あの『枕草子』にも登場するかき氷は、日本の夏の風物詩だが、
ここ最近は夏に限った食べ物ではないようだ。
パフェ顔負けのゴージャスな盛りつけや、
旬のフルーツをふんだんに使った自家製シロップのかき氷を
年中提供する店が増えていて、繁忙期は長蛇の列ができるほど。
そんなかき氷フリークにも一目置かれているのが、天然氷を使ったもの。
天然氷というのは湧水などの清冽な水を採氷池に引き入れて、
真冬の寒さを利用して自然の中でつくられる氷のこと。
冷凍庫で急速に固める氷と違って、ゆっくりと時間をかけて凍らせていくため、
薄く削っても溶けにくく、口に含むとふんわりとした
やさしい食感を楽しむことができる。
しかしながら冷凍技術が発達した昨今、手間と時間をかけて
わざわざ天然氷をつくるところは、日本全国を見回してもわずか数か所残るのみ。
そのうち3軒が日光にあるのだという。

〈四代目徳次郎〉の天然氷を使った、日光市今市にある〈日光珈琲 玉藻小路〉のかき氷。とちおとめのシロップも、四代目徳次郎のオリジナル。氷があれば冬でも食べることができる。
2018年、年が明けて間もなく、天然氷の蔵元〈四代目徳次郎〉で、
この時期恒例の氷の切り出しが行われた。
JR日光駅からそれほど遠くないところにある採氷池には、
朝早くから代表の山本雄一郎さんと息子の仁一郎さん、
そしてボランティアのメンバーが集まっていた。

表面に線が引かれ、切り出しを待つ氷。採氷池は2面あり、1面から1回で1000枚の氷がとれる。
氷を切り出すタイミングは、厚さ15センチが目安。
といっても自然が相手なので、例年2、3日前に切り出しの日が決定する。
にもかかわらず、これだけ人が集まることにまず驚いてしまう。
聞けば日光市内だけでなく、東京や関西方面からやって来る人もいるそうで、
いつもはひっそりしている池がこの日ばかりは賑やかに。


切り出しは流れ作業で、池に張った氷を動力カッターで切る役、
切られた氷を池から引き上げる役、竹でつくったラインに乗せて流す役、
氷室(ひむろ)とよばれる貯蔵庫に並べていく役などがいる。
寒さに耐えながらの作業で大きな励みとなるのが、
名物のカレーや打ちたてそばなどのお昼ごはん。
四代目徳次郎とつながりのあるシェフやそば職人らが、応援で来てくれるのだ。
氷の切り出しは農作業における収穫のようなもので、お祭り的な空気さえ漂っているが、
雄一郎さんが徳次郎を継いで間もない頃、こんな光景は想像すらできなかったようだ。


切り出しのお楽しみは、那須烏山市の名店〈梁山泊〉の店主が目の前で打ってくれるそば。これを目当てに来る人も!?

四代目徳次郎である雄一郎さんは、実をいうと初代から三代目とは血縁関係がない。
「私自身は24歳のとき、霧降高原に〈チロリン村〉というレジャー施設を開業して、
そこのカフェで出しているジュースやアイスコーヒーなどに
日光の天然氷のひとつ〈吉新(よしあら)氷室〉の氷を長いこと使っていたんです。
あるとき、吉新氷室が廃業するという話を、間に入っていた業者から聞いて……」

霧降高原の自然に囲まれたレジャー施設〈チロリン村〉。夏になると、四代目徳次郎の天然氷を使ったかき氷を求めて、多くの人がやって来る。
雄一郎さんは日光の天然氷の文化を絶やすわけにはいかないと、
氷室まで出向いて存続を直談判。
しかし高齢で体力的に厳しくなったのと、天然氷に未来はないという判断から、
廃業を決めた先代の意志はかたかった。
「手伝うから続けてほしいとお願いしたのですが、
辞めることは10年前から決めていたし、廃業届ももう用意してあるのだと。
その日から毎日ここへ通いつめました。
親方は毎朝7時に来て、番屋の薪ストーブをつけるのですが、
私は6時半から車の中で待っていて、煙突から煙が出たら
『おはようございます』と入っていくんです。
日光の氷の歴史とか、初代徳次郎がどうして氷づくりを始めたのかとか、
いろんな話を聞きました。そしたら2週間くらい経った頃、
『ほんとにやる気なのか?』と言ってくれたんです」
先代は一緒に作業はできないけれども、つくり方は指導するという条件を出し、
雄一郎さんに氷室を継承。
2006年、吉新氷室初代徳次郎から三代目の意志、文化を受け継ぐという思いを込めて、
屋号を「四代目徳次郎」とする。雄一郎さんが56歳のときだった。

日光の自然のように厳しくもやさしい、山本雄一郎さん。

雄一郎さんが先代からいろんな話を聞いた番屋。先代はいまでもたまに氷の様子を見に来てくれるそう。