三重県の“大人力”が世界を救う!?
〈OTONAMIE × TOKYO〉で
広がる都市部の地元ネットワーク

写真提供:三重県観光連盟

伊勢うどんが世界平和につながる…?

11月上旬、東京・日本橋の某所。
「都会のギスギスをなおすのは、伊勢うどんしかないと思っているんです。
世界平和のためには伊勢うどんが必要!」と熱弁をふるう、ひとりの男性。
そんな彼の話に熱心に耳を傾けているのは、年齢も雰囲気もバラバラな約20名の男女。
この集まりはいったい……?

実はこれ、伊勢うどんを深く愛する人たちによる会合……ではなく
三重県南部地域活性化局が、県内でウェブマガジンを運営している
OTONAMIE(オトナミエ)〉と連携して開催した、
東京に暮らす三重県出身者を対象とした交流イベント。

南北に長い三重県の南部地域は、ほかの地域に比べて
進学や就職時に地域外に転出してしまう若者が多い地域。
でも都市部で生活しているからこそ気づく三重県の魅力もあるだろうし、
きっと都市部に暮らしながらも地元のために何か貢献をしたいと考えている
三重県出身者も多いはず……という想いから誕生したのが、
〈OTONAMIE × TOKYO〉と〈OTONAMIE × OSAKA〉。

東京・大阪在住の三重県出身者と、三重に興味がある人が交流を図りながら、
SNSなどを通して三重県南部地域などの魅力を継続して発信することを目指す
プロジェクトです。そんな〈OTONAMIE × TOKYO〉の発足を記念して、
この日の交流イベントは開催されたのでした。

「三重に暮らす・旅するWEBマガジン」をコンセプトに、三重県各地のディープな情報を発信しているローカルメディア〈OTONAMIE〉。記事を書いているのはプロのライターではなく三重を愛する地元の有志記者で、いまやその数は約130名(!)に。

さて、記事冒頭で伊勢うどんについて熱く語っていた気になる人物。
この方はイベントのメインゲストであるコラムニスト・石原壮一郎さん。
『大人養成講座』『大人力検定』などの著書で、
大人が大人として生きるために欠かせない“大人力”を広めてきた石原さんですが、
出身は三重県松阪市。

また故郷の名物である伊勢うどんを応援する〈伊勢うどん友の会〉を立ち上げ、
2013年には「伊勢うどん大使」(伊勢市麺類飲食業組合&三重県製麺協同組合公認)
に就任し、国内のみならず世界に向けて伊勢うどんの魅力を広め続けているのです。

“大人力”シリーズの著作で知られる 石原壮一郎さん。ご自身のサイト『 大人マガジン 』でも、伊勢うどん情報を発信中。

3部構成となったイベントの第1部として行われたのが
『三重大人力講座』をテーマとした、石原さんのトークライブ。
「近畿地方なのか、東海地方なのか、関西なのか、中部なのかと、
よく言われる三重県の武器は、どっちつかずな“なぁなぁ”なところ」と、語る石原さん。

「白黒つけるということは、もう片方を否定するということ。
でもそういう無益な争いに与しないで、両方の味方をする、
両方の良さを認めるというところが、三重県の人のすばらしいところだと思うんです」

三重といえば伊勢神宮。内宮への入り口にある五十鈴川にかかる宇治橋は、神聖な世界へ入っていく、人と神を結ぶ架け橋。(写真提供:伊勢志摩観光コンベンション機構

江戸時代よりお伊勢参りの名物だった「伊勢うどん」。太くてやわらかな麺にかけられた、真っ黒な甘辛いタレ。体を温めてくれる、腹持ちのいいうどんには、伊勢のおもてなしの心がつまっています。(写真提供:三重県観光連盟

そんな県民性と伊勢うどんの共通点について、持論を展開し
「伊勢うどんのことを調べれば調べるほど『“大人力”とは、
結局伊勢うどんのことを言っていたのではないだろうか?』と感じるようになった」
と話す石原さん。コシがなく、太くてやわらかいことが特徴の伊勢うどんですが
「その想像を超えたやわからさが、“うどんはコシが大事”という思い込みが
いかにアテにならないかということを感じさせてくれるんです」

イベント参加者に配られた、伊勢うどん友の会制作の『伊勢うどん手帖』。裏面には「伊勢うどんで味わえる五つの幸せ」の教えが。

「いままでとは違う価値観を導入することによって
『違う考え方、文化、宗教があっても良いのではないか?』ということを訴えかけ、
ありもしない正解にとらわれて悩むことなんてないと教えてくれるのが伊勢うどん。
その魅力を周りに伝えるということで世界の平和や、
ひとりひとりの自分にとって幸せな生き方を伝えることができるんです」と、
三重と伊勢うどんへの愛を深くからめながら、三重県民にとっての“大人力”と
伊勢うどんについてユニークなトークを繰り広げる石原さんでした。

トークイベントのなかでは三重県版「大人力検定」も行われ、高得点を獲得した参加者には特製クリアファイルがプレゼントされました。

谷中〈TAYORI〉
「つくる人」と「食べる人」の
橋渡しをする場所

「食の郵便局」というコンセプトを持つお店

お正月ボケからようやく復帰し、またいつも通りのばたばたした日々を過ごしています。
2018年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年末、とても久しぶりに東京に行ってきました。
〈HOMEMAKERS〉の野菜を使ってくださっているお店へご挨拶に。

日暮里駅で降りて、谷中銀座を歩き、細い脇道に入っていくと、
TAYORI〉というお店があります。お惣菜とお弁当と珈琲のお店です。

谷中銀座から脇道を入ったとことにある〈TAYORI〉。

たよりを運んでくれる配達員さんのロゴがいい!

TAYORIの北川瑠奈さんとの出会いは2年前の冬。
私たちが谷中を訪れお会いし、その翌年の夏には
北川さんが小豆島に遊びに来てくれました。
数日間小豆島に滞在し、私たちを含めた
島のいろいろな生産者さんに会いに行き、島の食材リサーチ。

その食材を使って、〈HAGISO〉というスペースで「旅する朝ごはん」をコンセプトに、
小豆島の食材を使った「HAGI morning」を企画してくれました。

TAYORIの北川瑠奈さんと。直接話すのはやっぱり大事ですね。

そんな流れの中で、去年6月TAYORIがオープンしました。
TAYORIのコンセプトは「食の郵便局」。
日本各地の地域性を反映する野菜や加工食品、調味料を「つくる人」と、
谷中で暮らす&谷中を訪れる「食べる人」の間にあって、
食を通じたコミュニケーションの場。

「たより」という言葉にはいろんな意味が含まれていて、

・「つくる人」からの食の「便り」をその想いとともに編集して

「食べる人」にお惣菜やお弁当として届けること

・「食べる人」からの感謝の手紙(=便り)を受け取り、「つくる人」に送ること

・「つくる人」と「食べる人」の健全な関係性を築き、安心して食べられる食材を使った

日常の食事を提供することで、地域の「頼り」となること

店内には「食の郵便局」コーナーがあります。こういう仕組みをちゃんとつくって運用しているのはすごいなと思う。

HOMEMAKERSへお便りくださいね!

ハプニング続きの移住計画!
岩見沢の山里への引っ越しに
2年もかかった理由

いつまでも引っ越しできなかった理由とは?

2018年1月5日、ついに美流渡(みると)へ引っ越した。
美流渡は、わたしたちが住んでいた岩見沢の市街地から
車で30分ほどのところにある山間の地域だ。
2年前、この地域に暮らす人々と出会って1軒の古家を紹介してもらい、
転居しようと心に決めたわけだが、それからずいぶんと長い時間が経ってしまった。

当初の予定では、大工である夫が1年ほどかけて改修をし、
息子が小学校へ上がるタイミングで引っ越そうと考えていたのだが、
作業は思うようには進まず、転居の目処はまったく立たないまま時が過ぎていた。

2年前に出会った空き家。内壁や床をはがしてみたところ、基礎の部分が腐っていたりなど、修繕が必要な部分が多数見つかった。

転居を見越して、すでに息子は美流渡にある小学校に通わせていたこともあって、
このままズルズルと引っ越しを延ばすわけにもいかなくなっていた。
そこでわたしと夫は苦肉の策として、大がかりな改修をしなくても住める家を、
さらにもう1軒見つけることにした。
そこにとりあえず住んで、ゆっくりと古家を直していこうと考えたのだった。

幸いなことに、昨年10月、状態のよい空き家を見つけることができたのだが、
それ以降も数々のハプニングに見舞われた。

設備の点検をしてみると、ボイラーを入れ替える必要があることがわかったり、
水道管の一部が破裂していたことがわかったりと、
業者さんに直してもらわなければならない部分がいくつも見つかった。
そのうえ夫は家事や育児の合間を縫いながら、
転居先の家の掃除や部分的な改修をするのに手間取っており、
目標としていた11月中の引っ越しは難しくなっていった。

さらにもう1軒見つけた空き家。室内は荷物がキレイに片づけられており、すぐに住めると思ったが……。

このままでは、またもや引っ越しできない状況が続くのではないか?
わたしは、不安に襲われていた。
何か、これまでとは違ったアクションを起こす必要性を感じ、
ある約束事を自分に課すことにした。

それは仕事の時間をギリギリまで減らして、家事と育児にあてる時間を増やすことだ。
わたしの仕事は編集者。これまで原稿の締め切りや単行本の制作などが重なったときは、
家事や育児の大半を夫に肩代わりしてもらっていたのだが、
このことが転居の作業に集中できない大きな原因になっていたのだ。

冬休みになった子どもたちも、空き家の掃除を手伝ってくれた。

1年以上空き家だったようで、たまったホコリを隅々まで掃除。

この約束事を守ることは容易ではなかった。
朝5時半に起床して弁当づくりなどをし、
夕方16時半には仕事を切り上げ夕飯の支度を始める。
仕事にあてることのできる時間は、日中たったの6時間。
第三子が5か月ということもあり、背中におんぶしつつ、
オムツを変えつつなので、実際に働ける時間はもっと少ない。

これまでは毎日10時間ほど仕事に費やしてきたので、
子どもたちを寝かしつけてからも、仕事をせざるを得ない状況が連日続いた。
しかも夜に数回、授乳もしつつ、明け方にはまた起きて……。

今日も雪が降る。岩見沢は北海道有数の豪雪地帯。冬になると快晴の日は少ない。

島での暮らし方と人生を考える。
先輩移住者は、
なぜ壱岐と対馬を選んだ?

移住者だからできる仕事の生み出し方

11月3日~5日、2泊3日のスケジュールで開催された、対馬と壱岐の移住体験ツアー。
長崎県が主催するこのツアーは、一般的な観光ツアーと異なり、
暮らすという視点で仕事や居住の候補となるような場所を見学し、
先輩移住者ともコミュニケーションを取ることのできる貴重な機会だ。

今回参加した6名は、どちらの島も初めて訪れる人ばかり。
韓国人観光客が増加している対馬で起業の可能性を探りに来た人、
海外で暮らした経験があり、家族で島暮らしをすることに興味を持っている人、
在宅勤務をしながら二拠点居住をゆくゆくはしたいと考えている人など、
参加の動機もさまざまだ。

羽田空港から飛行機でまず向かったのが、対馬市。
九州と朝鮮半島に挟まれた対馬海峡に浮かぶこの島は、
韓国の釜山まで直線距離でわずか50キロ弱。
気候条件によっては、釜山の夜景を目視できる「国境の島」だ。
到着早々、対馬名物の〈対州そば〉と、
醤油、味噌などをベースにした甘辛の焼肉ダレに漬けこんだ豚肉〈とんちゃん丼〉を堪能すると、
南北に長い島をバスで1時間ほど北上。
移動にかかる時間や景色の変化からも、島の広さを実感することができる。

対州そばは、原種に近いかたちで残っている対馬特産のそば。とんちゃん丼とともに。

最初の企業訪問は、上県町佐須奈にある〈一般社団法人MIT(ミット)〉。
代表理事を務める宮城県仙台市出身の吉野元さんが、
移住者ならではの客観的な視点やこれまでのキャリアを生かして、
対馬の資源や魅力を“みつけ・いかし・つなぐ”ことを目的に、
幅広い事業を展開している。
たとえば対馬にしか生息していないツシマヤマネコが、田んぼでエサを取ったり、
子育てしていることに着目して、減農薬米を〈佐護ツシマヤマネコ米〉としてブランド化。
吉野さんの奥様の由紀子さんが、
パッケージデザインや関連グッズを製作している。

2013年6月に創業したこの会社は、メンバーのほとんどが移住者。
吉野さんが、プロジェクターを使って説明してくれたのだが、自己紹介のあとに登場したのが、
タチウオ、ハガツオ、アナゴ、サバなど
思わず生唾を飲み込んでしまうような刺盛り写真の数々……。

「長崎のなかでも、対馬の魚が一番おいしいと思います!」と力説する吉野さん。
知り合いの漁師からこうした魚を日々おすそ分けしてもらえるだけでなく、
吉野さん自身も小さな舟を所有しているそうで、
仕事をしながら朝夕に釣りを楽しむ暮らしがここでは可能なのだとか。

ほかにも霞が関で20年以上働いていたという事務方のプロや、
漁師になりたくて移住した人、
ツシマヤマネコが好きすぎて早期退職して移住した人など、ユニークな人材ばかり。

「たとえば“半漁半MIT”じゃないですけど、MITの仕事をしながら趣味の釣りをしたり、
絵を描いたり、農業をしたり、ヤマネコを愛でたり……。
せっかく移住したのだから、好きなことを好きなだけやって新しい働き方を発信するのが、
私たちの使命なのかなと思っています」

対馬の暮らしを満喫しているMITのみなさん。霞が関で働いていたという冨永健さん(左)、吉野元さん(中)、吉野由紀子さん(右)。

急増する韓国人観光客。ビジネスチャンス到来!?

続いて訪れたのは、
対馬最北の比田勝でオープンを控える(取材当時。2017年11月オープン)
〈ホテルDAEMADO(テマド)比田勝〉。
船でやってくる韓国人観光客の多くは、比田勝港国際ターミナルで下船することもあり、
この辺りはハングルの看板がかなり目につく。
当ホテルもそんな観光客の利用を見込んでつくられたそうで、
「DAEMADO」は韓国語で対馬を意味している。

「韓国人にとって対馬は、最も近い海外旅行先。
今まで比田勝には大型の宿泊施設がなく、日帰りする方が多かったのですが、
今後は楽しみ方も変わってくると思います」
と、総支配人の豊福誠一郎さん。
急増する来島者数に対して宿泊施設などをはじめとする受け皿は
まだまだ足りていないそうで、
比田勝は今後発展していくであろう注目のエリアであることがうかがえた。

ホテルDAEMADO比田勝の開業を機に福岡から移住してきた、総支配人の豊福誠一郎さん。島の人の優しさに日々助けられているそう。

その晩行われた交流会には、MITの吉野元さんと由紀子さん、
そして同じくMITの理事を務める漁師の細井尉佐義さんが参加。
17年前に移住してきたという細井さんは、吉野さんたちも一目置く先輩移住者で、
一本釣りで生計が立てられる漁場を探して、対馬に辿り着いた“Iターン漁師”。
移住当初は第一次産業が今ほど注目されていなかったため、
漁師を取り巻く環境は厳しかったこと、
自然環境保全と資源保護を第一に考えた持続可能な漁業を対馬で実践していること、
そして対馬の暮らしの魅力などを熱く語ってくれた。

交流会は対馬でとれた刺し身と韓国料理で。

翌日は、最も人口の多い厳原地区にある〈対馬バーガーKiYo〉を訪問。
Uターンして2009年に同店をオープンした新庄清孝さんは、
ご当地バーガーブームの波に乗るかたちで、対馬バーガーを考案。
対馬の特産であるひじきを練り込んだパテと、
プリプリのイカを甘めのソースで絡めたハンバーガーなのだが、
韓国人観光客がブログやSNSに投稿したことがきっかけで、
日本よりも先に韓国で注目されるように。今では島内に2店舗、釜山に1店舗、
そして福岡にも移動式店舗を展開するほどの人気ぶりで、
対馬におけるビジネスチャンスをこんなふうに語ってくれた。

甘辛の和風ソースが絶妙な対馬バーガー。

「ほかの離島と違うのは、150キロ圏内に釜山や福岡などの大都市があること。
これらのエリアを含めてビジネスを考えると、いろんなチャンスが見えてきますし、
対馬で生まれたものを使って外で勝負するという意味では、
すごくおもしろい場所だと思います」

彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祀り、竜宮伝説が残る和多都美神社。

和多都美神社の背後にそびえる烏帽子岳の展望台から、対馬のリアス式海岸を一望。

南インドの出版社〈タラブックス〉
小さな組織だからこそできる、
本づくりの可能性

撮影:吉次史成

〈タラブックス〉の編集者、ふたりのギータが日本にやってきた!

いま、わたしが転居を計画中の岩見沢の山里で、“森の出版社”を始めてみたい。
そんな想いを、この連載で以前に書いたことがある

その構想の源になったのは、〈タラブックス〉という小さな出版社の活動だ。
南インドのチェンナイにあり、手漉きの紙に手刷り、手製本による
工芸品のような美しい絵本を生み出す出版社として、その名を知られている。

長年、出版を行うのは都会がベストという固定観念を持っていたのだが、
これらの本を眺めているうちに、過疎化が進む山間部でも、
印刷工房をつくって出版活動ができるんじゃないか? 
という可能性が感じられるようになったのだ。

ハンドメイド本『夜の木』は、やわらかな質感の黒い紙に手で刷られたもの。インクがしっかりとのったシルクスクリーン印刷ならではの力強さを感じさせる。

タラブックスの活動を深く知るようになったのは、つい最近のこと。
きっかけは、板橋区立美術館で開催中のタラブックスの展覧会に、
長年仕事をともにしてきた仲間が関わっており、
準備段階から話を聞いていたことによる。

さらに、7月に玄光社より刊行された書籍『タラブックス』を読み、
出版社の様子を詳しく知ることができた。
しかも、タラブックスのことをもっと知りたいと思っていた矢先、
展覧会を手がけていた仲間から、関連企画として行うシンポジウムの
資料づくりや司会のサポートをしてほしいと頼まれ、
実際にタラブックスの編集者に会えるという、すばらしい機会がやってきたのだ!

2017年11月25日から板橋区立美術館で開催中の『世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦』展。2018年1月8日まで。(撮影:吉次史成)

インドの東部、西ベンガル州に伝わる絵巻物も紹介されている。タラブックスでは、ポトゥア(絵巻物師)の伝統的な語りや新しい物語を、本というかたちで展開する試みを行った。(撮影:吉次史成)

シンポジウムも開催。タラブックスの本づくりの視点とは?

シンポジウムのテーマは「世界を変える本づくり」。
パネリストはこの出版社の編集者、ギータ・ウォルフさんと
V・ギータさん(ふたりのギータと呼ばれている)に加え日本から7名が参加。
日本のパネリストも個性的な本づくりに関わっていることもあり、
開催前から注目度は高く、定員300名の会場は事前予約でいっぱいとなった。

11月28日、東京都港区の〈コクヨホール〉でシンポジウムが開催され、
まずウォルフさんの基調講演が行われた。
20分と短いものではあったが、タラブックスがどんな視点で
本づくりを行っているのかが多角的に語られていった。

1994年にタラブックスを創設した代表のギータ・ウォルフさん。インドの絵本は西洋の翻訳本が中心だった状況のなかで、子どもたちに向けたインドならではの新しい本づくりを開拓。タラブックスから20冊以上の著作を出している。(撮影:南阿沙美)

基調講演ではV・ギータさんも壇上で本を紹介してくれた。広げているのは、日本人作家・タカハシカオリさんとつくった『ぱたぱた絵本 くまさんどこかな?』。上下左右にページが開かれるという独創的なもの。本の形状の可能性を広げる実験も、タラブックスの特徴のひとつ。(撮影:南阿沙美)

飛騨市の高校がチャレンジする
教育革命!
地域を担う高校生を育てる、
〈YCKプロジェクト〉

飛騨への移住は何が違う?
仕事、住居、暮らしを支える飛騨コミュニティ vol.3

世界中から集まる、多くの旅人の心を掴んで離さない飛騨。
観光地として有名な飛騨は、高山市・飛騨市・下呂市・白川村の
三市一村からなる広域エリアだ。
伝統に触れつつ、新しい生き方を実践できるこの地域には、
観光客だけでなく移住者が増えている。

地域で暮らすうえで、大きなポイントとなるのが、人とのつながり。
縁を感じられる地域には、移住者は自然と集まってくる。
コロカル×未来の地域編集部でお届けする、飛騨の魅力に迫る連載。
外の人々を迎え、つながりを強くする。そんな飛騨のコミュニティを訪ねていく。

育てていくのは考える力。地元出身者が支える母校の挑戦

岐阜県の最北端にある飛騨市。
中心街である飛騨古川は、富山市と高山市に挟まれた山深い地域で、
まちなかには風格ある古い町家が残っている。

映画『君の名は。』の舞台となったことで注目を集めたこのまちには、
飾らない暮らしがあり、日々の小さな幸せがあふれている。
そんな飛騨古川で、地域と深く関わる吉城(よしき)高校での取り組みについて、
話を聞いた。

飛騨古川の古いまち並みと、下校中の小学生。

〈吉高地域キラメキプロジェクト(YCKプロジェクト)〉がある。
YCKプロジェクトとは、地域と連携して学びの場をつくっていく、
地域課題解決型キャリア教育のことだ。

2015年からスタートしたこのプロジェクトは、
「観光」、「教育」、「福祉」、「防災」の4分野で24項目の地域活動があり、
生徒はこの中から希望する活動に参加することができる。
地域に飛び出し、社会と関わることで、今後の自分たちのキャリアについて
考えてもらうことが目的だ。

このプロジェクトに、キャリア教育コーディネーターとして関わることになったのが、
地元出身の関口祐太さんだ。

関口さんは、吉城高校卒業後、名古屋の大学に進学。
卒業後、家業である〈有限会社関口教材店〉を継ぐため、
2006年に飛騨市に戻ってきた。
現在は、教材販売業と並行して、メンタルコーチとしても活動中。
教育、経営、スポーツの分野で、さまざまな方の夢の実現を支援している。

飛騨古川出身の関口祐太さん。吉城高校は自身の母校でもある。

「最初話をいただいたときは、高校教育についてわからないことばかりだったんです。
でも、僕自身の出身校でもあるし、学校で困っていることがあるなら、
役立ちたいという思いでスタートしました」

キャリア教育とは、従来の進路指導教育とは異なる。
卒業後の進路にかかわらず、生徒が将来就く仕事をはじめ、
今後の人生をどう生きていくか、指針を与える教育方法だ。

文部科学省によると、これからの高校教育では、
「学ぶこと」や「働くこと」への意欲を育むと同時に、
自らのキャリア形成ができる力を育成しておくことが重要だという。
(参考:高等学校におけるキャリア教育の論点と基本的な考え方

進学についてアドバイスをする進路指導と比べると、
キャリア教育とは、生徒がいずれ社会で自立して生きていくために、
必要な能力や態度を育てること、自分らしい生き方を実現していくことを
支援する教育といえるだろう。

家は? 仕事は?
現地の人に聞く
「島で暮らす、働く」ということ。
移住体験ツアーで長崎・五島列島へ

福岡からおよそ45分で、祈りの島・五島列島へ

「島暮らし」。なんてわくわくする言葉だろうか。
よくよく考えれば私たちは日本という島国で暮らしているのだけど、
ここでは「離島暮らし」について。

毎日満員電車に揺られ、あくせく働き、気づけば季節が巡っている。
「都会での生活を捨てて、自然豊かな島で暮らせたら」
そんな想いを巡らせたことのある人も少なからずいるだろう。
でも実際にそこで暮らすと考えると、仕事はあるのか、
どんな生活になるのか、気になることだらけ。

そうであれば、実際に現地の人に話を聞けばいい。
九州の最西端の島々である長崎県五島列島にて
2017年10月27日〜29日に開催された
「長崎のしまで暮らそう!働こう!移住体験ツアー」。
ツアーは島の職場見学から先輩移住者との交流、住まいの見学など
実際に五島列島で暮らすならどんな生活なのかを体験できる内容となっており、
島暮らしに興味を持つ20〜40代の関東在住の男女が参加した。

五島列島は長崎市の西方約100キロに位置する五島市福江島と、
150あまりの島々がある。
五島市、新上五島町、小値賀町の3つの市町と佐世保市、西海市の離島からなり、
合わせて約6万人が暮らしている。
海と山とが織りなす美しい景観により、一部が西海国立公園に指定され、
ダイナミックな自然を楽しむことができる。

また、五島列島は潜伏キリシタンの島としても知られている。
16世紀にキリスト教が日本に伝えられ、長崎は信仰の中心地となったが、
豊臣秀吉による禁教令が出され、キリシタンへの迫害が始まった。
その後、18世紀後半には約3,000名の潜伏キリシタンが
仏教徒を装って五島列島へと移り住んだ歴史があり、
現在も島のあちこちで美しい教会を目にすることができる。
その歴史を語る「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、
世界遺産候補となっている。

地元民から「かわいい」と愛されているプロペラ機。五島市の福江島にある五島つばき空港へは、福岡空港と長崎空港からアクセス可能。

福岡空港からプロペラ機に乗って45分、
あっという間に五島市の五島つばき空港に到着。
10時前に羽田空港を出発したばかりなのに、まだ13時。
離島って案外近いもんだなあ、なんて思いながら、
〈五島コンカナ王国 ワイナリー&リゾート〉の視察へ向かう。

滞在型リゾートである〈コンカナ王国〉には、宿泊施設だけでなく
レストラン、陶芸館、椿油を使用したエステ、鬼岳温泉、五島ワイナリーなどが揃う。
なかでも気になるのは、2014年からスタートしたという
長崎初のワイナリーである〈五島ワイナリー〉。
ブドウの栽培から醸造までを手がけており、コンカナ王国の敷地内で育った
ブドウを使用した純“王国産”のワインが楽しめる。2016年には3万本を出荷した。

8月に収穫を終えたブドウ畑。うかがった前週の大型台風によって、この畑まで潮をかぶったそう。キャンベル・アーリー、ナイアガラ、マスカット・ベリーAを育てている。

軽やかな味わいの五島ワイン。ワインの製造に携わる移住者も募集中だ。

次の訪問先へ向かう間に、福江島のシンボルである鬼岳へ寄り道。天文台もあり、晴れた夜には満天の星空が頭上に広がるという。毎年ゴールデンウィークには凧揚げ大会が催され、名物である五島ばらもん凧が空に舞う。

第44話・父の誕生日プレゼントを
買いに、神戸三ノ宮センター街へ。
まちはクリスマス一色!

第44話
わが家のプレゼント選びには
3つのルールあり。

2017年も残りわずかとなるなか、
今回グレアムさんは、クリスマス一色につつまれた
〈三ノ宮センター街〉へと向かいました。
目的は、クリスマスの買い物……と思いきや
お父さんの誕生日プレゼント選び。
なにやらミックニー家では、プレゼント選びに
3つのルールがある模様。
グレアムさん、お父さんにいったい何を贈る?
今回もスルスルと横にスライドしながら、お楽しみください。

〈テマトカ〉
小豆島に移住して、
オリーブを育てる夫婦

手間ひまかけてつくられた小豆島産オリーブオイルが誕生!

2017年も残すところ数日。
いよいよもう年末! というこの時期に、
新しいオリーブオイルを発売したご夫婦がいます。
今日はそのふたりのことを書きます。

テマトカ〉の高野真也さんと夕希子さんご夫妻。
おふたりとの出会いは4年前(だったかな)。
私たちは小豆島に引っ越してきたその翌年、
香川県丸亀市の有機農家へ1年間農業研修に行っていたのですが、
高野さんたちとはその農園で出会いました。

実は高野さんたちも小豆島で暮らしたいと考えていたそうで、
東京からいったん香川本土へ移住し、これからどうしようかというときだったそうです。

たくちゃん(夫)が研修先の丸亀市の〈よしむら農園〉さんで一緒だった高野さんご夫妻(写真左側)。

農園での研修が終わったあとも、何度か小豆島へ遊びに来てくれて、
一度住む家も決まりかけたのですが白紙に戻ってしまったり。
その後、オリーブの収穫の仕事で住み込みで何週間か島に滞在したり。
去年の冬には、私たちの家の離れに住み込みで
生姜収穫&加工の手伝いにも来てくれました。

どうなるかなぁ、住む家見つかるかなぁ、仕事見つかるかなぁと思っていましたが、
ちょうど去年の今頃、手伝いに行っていたオリーブ農家さんから
畑を一部譲ってもらえることになり、そしてなんと家も決まり、
めでたく小豆島への移住が決まりました!

引っ越し先の家をみんなで一緒に見に行きました。

奥さまのゆっこさん。しばらく滞在していたうちの離れの壁を漆喰塗りしてもらいました。

さぁ、引っ越し! と思いきや、ここから引っ越し完了までにはまだ長い道のりが。
新居となる家は改装工事真っ最中で、今年の春は2か月間くらい
島の友人たちの家を転々としていたような。
うちにも1か月くらい住んでいたような(笑)。

もうひとつひとつのことが普通じゃなくて、書くと長くなりすぎちゃうので、
もし気になる方はぜひ小豆島に遊びに来てご本人たちからお聞きください。

テマトカのオリーブ畑は、山の斜面にあります。

一本一本、大事に補強されたオリーブの木。

それにしても、島で暮らし始める前からすでに島に何人もの友人がいて、
その友人たちの家を転々としながら、これから暮らす家を直したり、
すでに島で働き始めていた高野さん夫妻のサバイバル能力とつながり力は、
ほんとにすごいなと思います。

オリーブの実を収穫する高野さん。

大きな実は〈マンザニロ〉という品種のオリーブ。

この冬の西和賀は、
演劇とアートがアツい!
〈ギンガク〉企画委員
髙野由茉さん

西和賀にんげん図鑑vol.8 髙野由茉さん(ギンガク企画委員)

「西和賀にんげん図鑑」vol.1の小堀陽平さんが運営に携わっている、
演劇専用の〈ギンガク(銀河ホール学生演劇合宿事業)〉は、来年の冬、7年目に突入する。
その企画委員として小堀さんとともに活動しているのが、髙野由茉さんだ。
日本大学芸術学部3年の時にギンガクに参加し、
その後、企画運営に関わって実家のある東京と行き来しているうちに、
「西和賀に住んだほうが、運営がスムーズかも」と、今年7月に移住。
11月中旬にはさっそく「豪雪」の洗礼を受けながらも、
これまでの経験や大学での学びを生かし、充実した日々を送っている。

「町内の人たちからはお米や野菜をいただくなど、本当にお世話になっています。町内産の野菜は味が濃くておいしいんですよ」と、西和賀の暮らしにすっかりなじんだ様子。

『伊豆下田100景』での撮影仕事は
名物お菓子屋さんめぐり。
2足のわらじをはく働き方は
少しずつ前進中

自転車で、地元お菓子屋さんの撮影へ!

移住先の伊豆下田で、本業のカメラマンに加え、
ときどきパン屋をやろうとしている津留崎徹花さんですが、
本業でもいい動きが。

地元で初めてまとまった撮影仕事の機会に恵まれたのです。
下田の情報サイトに掲載するため、お菓子屋さんの取材へ。
個性的ですてきなお店にたくさん出会えたようです。

移住での仕事探し、
取材事例から見えてきた
8つのヒント

近年高まる地方移住への関心。
たしかに、都市部とは違った豊かさのある地域での暮らしは魅力的だが、
不安材料も多い。では実際はどうなのか? 
コロカルでこれまで取材してきたいろいろなケースを見ながら、
地方移住へのヒントを探っていこう。

【移住定住を考える人の、若年化】

「国土交通省白書」によると、地方から都市への人口流出は続いているものの、
過疎地域で人口の社会増を実現した市町村が占める割合は、
横ばいまたは微増傾向にあるという。

また、地方移住というと、かつてはリタイア後、
老後の暮らしの選択肢として考えられていたのが、
近年では地域を志向する若年層が増えている。同白書によると、
「2005年調査に比べ2014年調査では、30代の農山漁村への定住願望が
17.0%から32.7%へ、40代では15.9%から35.0%へと伸びている」
というのだ。

「国土交通省白書・都市住民の農山漁村への定住願望」

出典:国土交通省ホームページ(http://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h26/hakusho/h27/html/n1211000.html)「都市住民の農山漁村への定住願望」の資料・データをもとにコロカル編集部が作図。

ただし、「いますぐ」というわけではなく、
「いずれ」そうしたいと考えている人が多いのも事実。
移住を実現するにはまだまだ大きな壁があるようだ。

【移住を考えるとき、
いちばん重視するのは?】

移住を考えるときに、人は何を重視しているのだろう? 
移住希望者が移住定住に際して重視する条件として挙げられるのは、
以下のようなポイント。

■ 日用品の買い物環境

■ 交通インフラの充実度

■ 地域の固有の魅力

■ 収入源

都市部で暮らす人にとって地方での暮らしは魅力的だが、
やはり利便性が失われたり収入が減少することには抵抗があるようだ。

また同白書によると、現在の居住地に住むようになった理由として、
Uターン者は「実家・家業を継ぐため」、
I・Jターン者は「現在の居住地でやりたい仕事がある」
という回答が突出して多いという。
このようなことから、地方移住はやはり、仕事と密接な関係があるといえる。

地元の素材で高級食パンをつくる
〈brivory〉
Uターン者が日光で開いたパン工房

地元・日光でオープンした、こだわりのパン工房

午前8時、朝の光が差し込むパン工房で、4人の女性たちが作業台を囲み、
発酵した生地と対話をするように、言葉少なに手を動かしている。

発酵が進んだ生地の空気を抜きながら、つやが出るようにしっかりと丸め直す。スピーディながら生地を扱う手つきはやさしく、愛情が伝わってくる。

「生地の状態を見ながら、だいたいこのくらいの時間から
パンを丸める作業が始まります。
一般的なパン屋さんは朝の4時くらいからつくり始めて、
焼きたてのパンが店頭に並ぶ頃なのですが、
家庭を持つ女性でも無理なくできるパン屋さんにしたいと思っているんです。
朝の家事を済ませて、子どもを学校などに送り出してから、
ここへ来てパンづくりを始めるといった感じで」

24時間寝かせた生地。卵や油脂などの副材料を一切使っていないため、時間をかけてじっくりと発酵させて旨みを引き出す。

更家友美さんが日光市今市本町にパン工房〈brivory(ブライヴォリー)〉を
オープンさせたのは、2017年9月19日のこと。
趣味が高じて仕事になるパターンは珍しくないかもしれないが、
更家さんの話を聞いていると、その探究心とパンに対する情熱には驚くばかり。

「日光で生まれ育ったのですが、小さい頃からパン好きで、
東京の会社に就職してからも、パン屋さん巡りをして食べ比べていたんです。
就職先もパンやお酒の小売店で、だんだん食べるだけではなく
自分でもパンをつくってみたいと思うようになりました」

さまざまなパンを食べ歩いて特に魅了されたのが、
日本の高級パンブームの先駆けとなった東京・世田谷区の〈recette(ルセット)〉。
退職して日光に戻った更家さんは、一度は断られたものの
諦めきれずに再度かけ合って、recetteでアルバイトをさせてもらうことに。

「平日は日光で別のお仕事をしつつ、週末だけ東京に通って
recetteで働く日々を2年くらい続けました」

その後、recetteが規模を拡大するタイミングで、フルタイムで働くことになり、
再び拠点を東京に移す。店長として10年ほど働きながら、
パンコーディネーターの資格も取得した。

パンコーディネーターとは、更家さんいわく
「パンのある生活を広めるプロフェッショナルな資格」。
パンに関する仕事をしたい人が製パン理論や、
シーンやニーズに合わせたパンの食べ方など基礎知識を学ぶところから始まり、
企業やカフェ、ホテルなどに企画提案を行うための知識を身につける「エキスパート」、
パンの知識や技術を第三者に伝える教授法を学ぶ「アドバンス」まで、
3つの段階に分かれている。

更家さんは最高位のアドバンスまで取得し、recetteで働きながら
パン教室や専門学校の講師を務めたり、レシピ本を出版したりなど、
パンとより広く深いかたちで関わっていく。

更家さんが講師を務めるパン教室に通っていた人に声をかけられ、2008年に出版したレシピ本。パンを使った料理や、パンに合う料理を紹介している。

空き家の改修中に
もう1軒、空き家を発見!
山間部への移住はできるのか?

状態のいい、すぐに住める空き家は見つかるか?

岩見沢の市街地から山間部への移住を計画してから約2年。
その間、取得した古家を大工である夫がたったひとりで改修していたのだが、
いろいろな困難に遭遇し、いま年内の完成は断念せざるを得ない状況となっている。
そこで苦肉の策ではあるが、この地区でもう1軒、
わたしたちは空き家を探すことにした。
なぜなら子どもの通学の問題があるためだ(詳しくは連載50回)。

わたしたちが移住をしようと思っている美流渡(みると)は、
以前炭鉱街として栄え、閉山とともに人口が激減した地区。
現在の人口は約400人。過疎化が進み、道を歩けば、
そこかしこに空き家を見つけることはできるのだが、たいていは屋根が壊れていたり、
床板が腐っていたりなど修繕しなければ住むのは難しい状態だ。

炭鉱街として栄えた時代に建てられた家は、年々傷みが激しくなっている。毎年、豪雪に見舞われるため、修繕をしないと使い続けるのは難しい。

こうした状況のなかで、わが家は、この地域では希少な
“すぐに住める”空き家探しを始めたのだった。

この地区の物件情報は、不動産屋にはほとんどあがらない。
頼りになるのは、地元の皆さんの情報だ。
わが家の窮状を聞きつけ、移住にさきがけて
息子が通っている山間部の小学校の同級生のお母さんや、町会や消防団の皆さん、
そして、日頃、この地域のPR活動を一緒にしている
地域おこし推進員(協力隊)の皆さんが、いろいろな情報をよせてくれた。

この地区に移住をしようと思ってから2年が経ち、
少しずつ地域の人たちとのつながりができていなければ、
こんな風に空き家探しはできなかったんじゃないかと思う。
地域の皆さんの温かい協力が、とてもとてもありがたかった。

「○○さんの隣の家が空いているよ」
「○○さんが前に住んでいた家があるよ」など、
皆さんの情報を頼りに、実際に空き家を見に行ったりしてみたのだが、
わたしたちが住むには大きすぎたり、修繕が必要だったりと、
なかなかコレ! という物件が見つからないまま時間が過ぎていった。

北海道の冬は早い。今年は10月中旬を過ぎて霜が降りた。

豪雪の岩見沢。雪が降る前に、なんとしてでも引っ越したい

ああ、冬になったらどうしよう……。
息子が通う小学校は、現在住んでいる家から車で30分。
岩見沢は北海道有数の豪雪地帯だ。朝は車にたっぷり積もった雪を落とし、
車庫や玄関まわりを除雪しなければ外には出られない。
加えて路面はアイスバーンとなり、ときには吹雪でホワイトアウト。

通学が難しくなる前に家を見つけたいと気を揉む日々が続くなか、
10月中旬、ついに有力情報が舞い込んできた。

ホワイトアウトはいつ起こるか予想がつかない。吹雪になったと思ったら、あっという間に白い世界におおわれることもある。

その空き家は築年数は古く、もともとは炭住(炭鉱労働者が住んでいた家)
だったそうだが、前の住人がしっかりとリフォームしており、
中を見せてもらうと荷物もなく、大がかりな修繕も必要なさそうだった。
しかも、夫は“平屋好き”ということもあり(地面が近くにないとイヤなのだそう)、
まんざらでもない様子。

家を見た子どもたちも、脇に大きな川が流れ、
地面にはドングリがたくさん転がっていたこともあり、ロケーションに大喜び。
持ち主の方との話し合いもトントン拍子に進み、
ここに住まわせてもらうことになったのだった(ヤッター!)。

見つかった空き家。息子が通う学校からも近い。

家の前にはナラの木々が。奥には原っぱがあり、子どもたちが思いっきり駆け回れそう。

家から少し行ったところに大きな川が流れている。息子は、この川が特に気に入ったよう。

「11月中には引っ越したいね!」
雪が本格的に降り積もる前に引っ越そうと、家族で話し合った。
古家の改修がのびのびになり、新しい暮らしが始まらないことに、
なんとも残念な想いを抱えていたわたしにとっては、
晴れやかな気持ちでいっぱいになった。

自然の豊かな場所で、動植物の営みや四季の変化を敏感に感じとりながら、
執筆や編集の仕事をさらに深めてみたい。
また、この地域をもっとよく知るなかで、
ゆくゆくはエコビレッジのような活動をしてみたい。
そんな想いに、ようやく近づけるのかと考えるだけでワクワクした。

移住して約8か月。
新しい土地でどうやって地域に
なじんでいくのか?

移住後の、地域との関わり方

伊豆の下田に移住して、新しい暮らしにも慣れてきた津留崎さん。
移住して初めての秋はいろいろなイベントにも参加し、
地域とのつながりも深まってきたようです。
移住者が新しい土地でどうやって地域になじんでいくのか。
さて津留崎さんの場合は……?

日々の風景が写真展に。
小豆島での暮らしを撮り続けること

同じようで、少しずつ違う日常を撮る

今年も残りわずか。
ほんとに毎年あっというまに過ぎていきます。

この小豆島日記も気づけば連載189回目!
小豆島に引っ越してきたのが2012年10月で、
その半年後の2013年4月から書かせていただいていて、
もうすぐ5年書き続けてることになります。
我ながらよく続いているなぁと驚き。

時々振り返って読んだりするのですが、この小豆島日記は
私たちの小豆島暮らしの記録そのもの。
いまやなくてはならない大切なものです。
意外と忘れてしまっていることも多く、あー、こんなことあったなぁ、
いろは(娘)が小さいなぁ、懐かしいなぁとしみじみしながら読んでます。

小豆島で暮らし始めた頃は、何もかもが新鮮で、
書きたいこと伝えたいことであふれかえってました(笑)。
毎週更新してましたからね。すごいな。
いまも書きたいことはたくさんありますが、
2週間に1回くらいのペースが書き続けるにはちょうどいい感じ。

最近の週末は山へよく遊びに行ってます。

山から少しだけおすそ分けいただいて、クリスマスの飾りをつくったり。

山でカップヌードルを食べるのが楽しみのひとつ。

私は小豆島に来る前は、都会で働く会社員でした。
写真を撮ることは昔から好きで、大学生の頃くらいから一眼レフカメラを持って
旅したりしてたけど、写真は趣味で、それで稼げはしませんでした。

いろはが生まれてからは、どこかに写真を撮りに行くというより、
子どもや暮らしを撮ることがメインに。
本を読んだりしてカメラのことを少し勉強して、
当時よく読んでいた『ダカフェ日記』でオススメされていた
カメラとレンズを購入。日常的に写真を撮るように。
いつか写真を仕事にできたらいいなぁと漠然と思っていました。

この日は、たくちゃん(夫)の誕生日。家の中でのささやかなお祝い。

いろはがつくってくれたお祝いのくす玉。

Iターン移住者が
渦を巻き起こした!?
長野県飯山市で自然体験イベント
〈自然足りてますか?〉が
生まれるまで

東京・三軒茶屋生まれ、三軒茶屋育ちが、
不思議な縁から長野県飯山市にターン、しかも山伏として。
そこで気の合う仲間を得て、地元と東京をつなぎ始める。
2017年9月には自然体験イベント〈自然足りてますか?〉の第2回目も開催。
彼はどうやって飯山に新しい渦を起こしたのだろうか?

「次は、何する?」
気の合う“男4人衆”が長野県飯山市を盛り上げる

長野県飯山市と言われてもピンとこない人も多いだろう。
野沢温泉に向かう途中のまちといえば、少しはわかるはず……。
長野県の観光ガイドブックを見ても紹介されているページ数は少なく、
グッとくるスポットがないのが正直なところ……。

飯山市は長野県の最北部に位置し、
全国ターンランキングで毎回首位を争う長野県のなかでも、
飯山市に移住する人は県内トップ。
しかしまち自体はそこまで盛り上がっていない。

長野新幹線の停車駅として乗降客数は多いものの、
観光客は隣町の野沢温泉へと直行してしまいがち。
停車駅としての知名度は高いが、「まちを知っている人」は少ない。

そんなまちに魅了され、住みたいまちランキングでも
常に上位に位置する東京・三軒茶屋からターンで
この飯山に移住してきた人がいる。志田吉隆さんだ。
過去には芸能事務所で働き、六本木ヒルズなどの飲食店でマネージメントを経験。

「人が好きだから」

とあっけらかんと彼は言うが、それだけで移住してしまうものだろうか。

それに加え、山伏の道にも入ってしまう。

何もかもをリスタートさせる

職を捨て、地位を捨て、ステータスを捨て、飯山に移住して1年。
地域おこし協力隊員として活動し、
徐々に地元の人にも受け入れてもらえるように。

ターン移住者というと、聞こえはいいが、地域住民との問題はたくさんある。
行政がウエルカムでも、決してすべての地元住民が望んでいるわけではない。
自然環境などを理由に移住しても、
その後の暮らしの充実ぶりを左右するのは、結局は 「人とのつながり」だ。

都会のマンションなら、隣の住人を知らなくても構わず生活できるが、
田舎はそうはいかない。田舎には田舎のルールがあり、自身の対応力を試される。
そんななか志田さんは、持ち前の明るさと人懐っこい性格で新生活をスタート。
単身、静かな山間の集落で古民家を借り、テレビも置かず、自然の音を楽しんでいる。

「まにまに」に任せて

移住を決断する前、ひょんなことから
修験で有名な出羽三山の星野先達さんと東京で出会うことに。

「修験とは山に身を置いて感じたことを考える哲学。
山伏とは山と里、神と人をつなげる存在」
などの山伏の話に魅了され、修験の道に入る。
震災以降、“食”に対しても、どこか都会的なシステムには違和感があり、
「まにまに(流れに逆らわず、あるがままに)」
という言葉を聞いたときに移住を決める。
移住先の飯山市小菅地区は、昔、修験の地として
多くの山伏がいたことも要因のひとつだ。

「このご縁を信じたことが始まりです。ノリ的なとこもありましたね(笑)。
『まにまに』って言葉が好きで、これからの流れって部分もあるけど、
いままでの自分の流れも大切にしています。
人と人がつながることができれば、地域には新たな流れができて、
おもしろいことがきっとできるはず」

普段は市役所に勤務。年数回、山形の出羽三山で修行し、住んでいる小菅の山に祈り入れている。

日光で楽しむシャワーウォーク!
Uターンという道を選んだ
アウトドアガイドと歩く

山、森、清流、湖がそろうフィールド

紅葉の隙間からやわらかな光が降り注ぐなか、
川の中を上流に向かってじゃぶじゃぶと歩く。
肌に当たる水はひんやりと冷たく、日に日に秋が深まっていることを教えてくれる。

なだらかな一枚岩の川床が続く、霧降川の「床滑」。水の流れに逆らって上っていくのが楽しい。

「ここの川底は大きな一枚岩になっていて、
シャワーウォークにぴったりの場所なんですよ」
「冷たくないですか? こっちのほうが比較的浅くて、歩きやすいですよ」

前を歩くふたりが、こちらの様子をいちいち気にしながら声をかけてくれる。

「夏にここを歩くのも気持ちよさそうですね」と言うと、
「だけど夏は歩くだけでも汗をかくから、膝下だけ水に浸るシャワーウォークより、
全身ずぶ濡れになるキャニオニングのほうが断然おすすめですよ」とのこと。
シャワーウォークは紅葉シーズン限定の、贅沢なアクティビティなのだ。

川の中でも滑りにくい、沢登り用のシューズを着用。

「これからの季節だと1月下旬くらいから、
雲竜渓谷のスノートレッキングがイチオシですよ。
滝や渓谷が凍って、巨大なつららができるのですが、
その年によって形が全然違うんです。

それと、スノーシューという西洋“かんじき”を履いて奥日光を歩く、
スノーシューツアーもおすすめですね。
本州の北海道と言われていて、サラッサラのパウダースノーの上を
歩くことができるんです。奥日光の温泉とセットで楽しむと最高ですよ!」

厳冬の日光の自然を体験できる雲竜渓谷でのスノートレッキングは、NAOCのトレッキングツアーで一番人気。(写真提供:NAOC)

奥日光は、本州ではなかなかない極上のパウダースノースポット。スキーより手軽に楽しめるスノーシューツアーも人気。(写真提供:NAOC)

高山の夜祭り〈本町四丁目夏酒場〉
シャッター商店街にグルーヴを。
人生にロックンロールを!

写真提供:hiroko.hashimoto

飛騨への移住は何が違う?
仕事、住居、暮らしを支える飛騨コミュニティ vol.2

世界中から集まる、多くの旅人の心を掴んで離さない飛騨。
観光地として有名な飛騨は、高山市・飛騨市・下呂市・白川村の
三市一村からなる広域エリアだ。
伝統に触れつつ、新しい生き方を実践できるこの地域には、
観光客だけでなく移住者が増えている。

地域で暮らすうえで、大きなポイントとなるのが、人とのつながり。
縁を感じられる地域には、移住者は自然と集まってくる。
コロカル×未来の地域編集部でお届けする、飛騨の魅力に迫る連載。
外の人々を迎え、つながりを強くする。そんな飛騨のコミュニティを訪ねていく。

レトロな商店街で人々を熱狂させる、夏の恒例イベント

歴史ある家屋が並ぶ「古いまち並み」や、
日本三大朝市のひとつ〈宮川朝市〉で有名な高山市。
まわりを山に囲まれた情緒深いまちの風景は、近年外国人旅行者にも人気が高い。

趣のある夕方のまち並み。日中は外国人旅行者も多数訪れる。

ちょうど、まちの中心を流れる宮川に沿って、レトロな雰囲気の本町商店街がある。
ここでは、毎年夏に多くの人々を熱狂させる
〈本町四丁目夏酒場〉(夏酒場)というお祭りが行われている。

このイベントを主催するのは、本町四丁目商店街振興組合のみなさん。
商店街の持続と発展を目的として、四丁目で商店を営む19名で構成されている。
40年以上前からある組合だが、近年は高齢化や後継者問題を抱える商店も多く、
昔と比べて活動規模は縮小している。

そんな商店街で毎年行われている夏酒場は、飛騨地域には珍しい屋外の大型イベントだ。
いまでは、夏の恒例イベントとして多くの人に知られるようになったが、
活動が始まった背景には、さまざまな人たちの思いが詰まっていた。

空き店舗をなんとかしたい! 靴屋の原田さんの思い

原田憲一さんは、本町四丁目にある〈靴のハラダ〉の息子として生まれ育った。
大学進学を機に上京し、東京の靴屋で修業時代を過ごした後、25年前に帰郷。
高山で自身の靴屋をオープンさせた。
もともと郊外に出店していたが、何度かの移転を経て、
現在は本町四丁目でブーツ専門店〈Knockin’ Boots〉を営んでいる。

Knockin’ Bootsはネット販売が中心。店舗では、原宿系のカラフルなブーツが目を引くこともあり、外国人旅行者がよく立ち寄るという。

「この場所で靴屋を始めたのは2012年。
ちょうど四丁目でも空き店舗が目立ってきた頃でしたね。
昔は、地元の人は商店街で買い物していましたが、やっぱりいまは、
郊外の大型店やショッピングモールなどに出てしまう人が多い。
何もせずに放っておいたら、衰退する一方です」

本町四丁目は、市街地のメインストリートから少し離れていることもあり、
人通りが多いとは言えない。
なかには、どうしても環境の変化に対応しきれない商店もある。
シャッターが下り、空き店舗が目立つようになってきた商店街は、
原田さんにとって、なんとかしたい課題だった。

夜の商店街は、人通りもまばら。閉店してしまっている店舗も多い。

「もともと、本町では毎年8月1、2日に〈納涼夜市〉というお祭りがありました。
一丁目から四丁目まで、それぞれの組合が管理していますが、この日は一致団結。
本町商店街がすべて歩行者天国になって、金魚すくいや動物のレースなど、
お祭りらしいことをやっていたんです。
組合としては、自分たちの父親世代が頑張っていた時期ですね」

以前は靴以外にも商品を販売していたが、現在はブーツが看板商品だ。

一丁目から三丁目までは、いまでも多くのお店が開店しているが、
空き店舗が増えてきた四丁目では、イベント運営が徐々に難しくなっていった。
原田さんがUターンしてお店を始めた頃は、
四丁目のみ納涼夜市のすべての運営を企画会社に委託していたという。

子どもの頃に体験したかつての賑わいと、
目の前にある空き店舗だらけの商店街とのギャップ。
何かできないかと思案していた原田さんに、ある店で転機が訪れた。

いい働き方をしたい。
小豆島に移住して農業を営む
〈HOMEMAKERS〉の畑の1日

私たち、こんなふうに働いてます!

11月中旬からぐっと寒くなりました。
天気予報では、1月並みの寒さになるでしょうとか初雪を観測しましたとか。
いよいよ冬ですね。

この秋初収穫のフェンネル。肌がとてもきれい。

レタスの葉の上を歩くてんとう虫。アブラムシを食べてくれます。

11月の畑は、夏にはなかった野菜たちがいっぱいです。
大根、にんじん、白菜、なばな、とにかく緑の葉っぱがわさわさしてます。
1年のなかで、畑が一番きれいな時期なんじゃないかなと思います。

今日はそんな私たち〈HOMEMAKERS〉の畑の1日について書こうかと。
こんなふうに働いています!

私たちは週に3回、野菜の収穫&出荷作業をしています。
レタス農家、さつまいも農家さんなど、単一のお野菜を栽培しているところは、
1年のなかで出荷のシーズンが決まっていて、その時期に出荷作業が集中しますが、
私たちはいろいろな野菜をつくっていて、1年を通して収穫&出荷作業をしています。
もちろん野菜が多い時期、少ない時期などあるので、量は変動しますが。

11月23日(木)、この日は出荷の日。
朝一番で、その日の出荷リストや宅配用の宛名、
お届け案内などを作成します(前日にしておくこともありますが)。
私たちは島外のお客さまにもお野菜を宅配でお届けしているので、
その宛名の準備や、ダンボールの中に野菜と一緒に入れる野菜の説明や
納品書などを用意するのに結構時間がかかります。

野菜の出荷リストを作成。これをもとに収穫していきます。

この時期の大根は葉もきれいでまるごと食べられます。

にんじんも掘りたてを出荷します。

この時期、畑に出るのは9時から。
ほかの農家さんと比べたらちょっと遅めかも。
それでも家族そろって朝ごはんを食べて、子どもを送り出して、ストレッチとかして、
片づけや準備、事務作業などしているとあっという間にその時間。
朝のこの時間がけっこう貴重だったりします。

9時、畑チームのみんな集合、いざ出動です。
この日はいつもより少し多めの6人体制(私たち夫婦も入れて)。
この時期は玉ねぎの定植、生姜の収穫などやることが多いので、
みんなにお手伝いをお願いしています。
玉ねぎの定植チームと収穫出荷チームに分かれて作業を進めていきます。

種をまいて育てた玉ねぎの苗を掘り上げて、等間隔に定植していきます。

秋は青虫の被害がひどいので、防虫ネットをはって野菜を守ります。

赤かぶ。これは週末カフェで使います。

買った山に大量の枝や幹が
放置されていた!
森林伐採に潜む“闇”

ありえないほど大量の木の枝があったことが発覚!

前回の連載で買った山に植林をしたいきさつを書いたが、
実は苗を植えようとした矢先に驚くべき事態が起こっていた。

それは10月下旬のこと。
岩見沢に出張所のある〈千歳林業〉さんが、苗を植える準備となる
“地ごしらえ”の作業を行おうとしたときのことだった。

今回の作業では、まず木が伐採された跡に残った細い枝や幹を、
重機を使ってじゃまにならない場所に移動させることから始まった。
そのとき作業員のひとりが土の下の変な感触に気づいたという。

地面を掘ってみたところ、山積みになっていた枝や幹は氷山の一角で、
土だと思っていた部分からも、それらが大量に見つかったのだった。
作業員によると、伐採した木を運搬しやすくするために、
土とともに枝や幹を置いて土地を平らにならしたのではないかということだった。

ところどころに枝や幹が山積みにされていたが、その下にも大量に埋まっていた。

このままでは木を植えられない……。
事態を聞いて駆けつけた道の森林室や森林組合の皆さんも
作業の大変さに頭を痛めていた様子だったという。
通常は3日ほどで行われる“地ごしらえ”の作業は、
たくさんの土や枝を取り除くために難航し、
1週間以上にわたって行われることになった。

わたしと夫は現場に何度か出向いて、作業員の方から話を聞いたのだったが、
驚くべきことに、処理した層は厚いところでは2メートル(!)もあり、
さらに一部の場所からは地下水が出ていたようで、
ぬかるみがひどく作業は困難を極めたそうだ。

予定していた重機だけでは足りずに、新しい重機も導入し、土や枝を寄せる作業が連日続いた。

地下水がわいている部分に排水溝をつけることになった。苗木の成長を助けるための対策のひとつ。

なぜこんな事態が起こったのか。
この山は、わたしたちが取得する数年前に、
ある業者の手によって木が伐採されていたのだが、その業者とは
2014年に立木売買の詐欺容疑で逮捕されたことがある、いわゆる悪徳業者だった。
その業者がこの土地の木を伐採したことは以前から聞いていたが、
今回の出来事は、まったく予想もしていなかった。

「普通は苗を植えやすいように“ボサ”(枝や幹)は、
きれいに端によけておくものなんですよ」と、山の植林を進めてくれている
森林組合の玉川則子さんも困惑した様子だった。

山には植林する前からカラマツの小さな苗がいたるところに出てきていたが、ボサのような土ではない層の上では大きく育つことはできないという。

国や北海道の補助金を使って行われる植林は、木を切ったら
必ずまた木を植えなおさなければならないという決め事がある。
そして通常は、木を伐採する作業と、その後に苗を植え、
下草刈りや間伐などを行う作業は、同じ業者が請け負うことになっている。

しかし、森林室の栗田健さんの考えでは、
「おそらく、この山の木を切った業者は、その後の植林までは考えていなかったため、
雑な作業しかしなかったのではないか」とのことだった。

移住がきっかけでパン屋に?
伊豆に移住したカメラマンが
ときどきパン屋をやろうとする理由

「カメラマン、ときどきパン屋」
という暮らし方。

伊豆下田に移住して、東京と行き来しながら
カメラマンを続ける津留崎徹花さん。
東京で暮らしていたときからパンを焼くのが好きだった徹花さんが
下田でさらにパンづくりに夢中になり、パン屋をやりたいと思うまでに。
パン屋と移住、一見関係なさそうですが、
彼女にとっては大いに関係ある、必然のことだったようです。
移住して新しいことに挑戦、新しい働き方ができるのでしょうか。

〈島&都市デュアル〉 神戸市、芦屋市、淡路市、洲本市が 連携する、島&都市を行き来する 移住推進プロジェクト始動!

都市と島の“いいとこどりな暮らし”を叶える
新しい移住促進プロジェクト

兵庫県神戸市、芦屋市、淡路市、洲本市の近接する4市が、
島と都市を両立した魅力的な暮らしを提案する移住促進プロジェクト
〈島&都市デュアル〉を始動。
4市長による合同発表会が10月30日、神戸市役所で行われました。

〈島&都市デュアル〉とは、都市と島が近接する
この地域ならではの特徴を生かした4市合同によるプロモーション事業。
都市の文化が味わえる「都市エリア」と、
自然の豊かさを体験できる「島エリア」をひとつの生活圏として捉え、
それを行き来できるというちょっと贅沢なライフスタイルを提案しています。

「都市エリア」としての生活圏は神戸市と芦屋市。
「島エリア」として生活圏は淡路市と洲本市。

全国6位の人口を擁し、関西有数の観光都市として知られる神戸市。ショッピングやレジャー施設のほか、暮らしに欠かせない医療、教育施設も充実していします。芦屋市は、全国屈指の高級住宅街としてもおなじみ。

淡路島に位置する淡路市と洲本市。漁港や山などの自然に恵まれ、島特有のおおらかな時間が満喫できます。

4市は海をはさんでほぼ隣接し、明石海峡大橋を駆け抜ければ、
わずか数十分で行き来が可能!

都市のオフィスで働き、暮らしながら、
週末は自然のある島で家族とのんびりと過ごす、
自然溢れる島を生活拠点にしながら、
週末は都市でショッピングやカルチャーを満喫する、
島で暮らしながら都市のオフィスに通う。
そんな“都会と田舎のいいとこ取り=デュアルな暮らし”が、ここでなら叶うのです。

「明石海峡大橋で都会と自然がつながっているこの地域ならではの魅力を発信していきたい」と神戸市の久元喜造市長。

子育てもワインづくりも諦めない!
愛するものを育むための移住。
井下奈未香さん

徳島県初のワイナリーを成功させる!

取材班との待ち合わせ場所にやってきた井下奈未香(いのした・なみか)さんは、
つなぎを身にまとい、長年農に従事する人といった出で立ちだった。
彼女の手がける作物は、ブドウ。といっても食べるためのものではなく、
ワインをつくるためのもの。
ワインに惚れ込んでソムリエの資格を取得し、
奈良市内でワインショップを営んでいた奈未香さんは
結婚を機に30代半ばで徳島県三好市に移住した。
現在、長年の夢だったワイナリー設立に向けてブドウ栽培をしている。

市役所やスーパーなどがある市の中心地から車で約20分。
山を上がったところにある集落にたどりつくと、
谷を挟んだ向かいの山の上にも人の営みが見えた。
3年前、彼女はそのような傾斜地の一角に、ワイン用のブドウを180本植樹した。

3年前、奈未香さんが奈良から徳島に引っ越すことを決めたとき、
ワイナリーを始めると周囲に伝えたら、無謀だと大反対されたそうだ。
なぜなら、これまで徳島県でのワイン用ブドウ栽培に関する前例がなく、
どの品種がこの土地で栽培できるのか予想がつかなかったから。
ブドウが苦手とする湿気の多い土地ということで、周囲には先の苦労が目に見えていたのだろう。

「絶対無理、やめとけと言われるほど、やる本人が無理とは言っていないから大丈夫、
と思うようにしました。確かに、カビ系の病気や虫とは日々格闘していますけどね」
奈未香さんは、まずはブドウを家族として扱い、ともに暮らしていく生活を目指した。
基本的に肥料や農薬は使わないが、病気の予防には気をつける。
「土もブドウも日々見続けていないと相性が良いとか悪いとかわかりません。
植えてしばらくのブドウは赤ちゃんと一緒なんです。
必要に応じて薬をあげるなど対応してあげないと。
だから、こういう育て方でこんなワインにしてやると決めつけないことにしています」

奈未香さんのブドウ畑の周囲には、牧歌的な風景が広がっている。雨が多いとされる三好でも、この場所はなぜか少ないと土地のおばさんは言い切るのだとか。

幸いなことに畑を借りた緩やかな傾斜地は、四季を通して寒暖差があり、
北東から風が抜ける。ブドウ生産の条件として、まったくダメというわけではない。
定植して3年目を迎えた今年は8月にヤマソーヴィニヨン15キロを収穫し、
10月初旬に試験醸造を終えた。
来年には、徳島県初のワインがリリースされる予定だ。
現在はたったひとりですべての作業を行う彼女だが、
どんな作業もうれしくてしょうがないと笑顔を見せる。
「ワインのためと思うと苦労は感じないですね。自分でやりたいことをやっているから」

25歳のときに出会ったワインで人生が変わったという奈未香さん。ワインとともに生きることを信条としている。ソムリエの資格取得のほか、大阪の飛鳥ワイン株式会社のワイナリーで研鑽を積む。「ワインに人生を溺れさせたいんです」

日本固有の品種、ヤマソーヴィニヨン。親に日本固有の品種が入っていると育てやすいかもしれないとのことで選んだ。そのほか赤ワインはピノ・ノワールも栽培。白は甲斐ブランとリースリングを植えている。1本の木からできるワインは1本半。ブドウのいのちはひと粒たりとも無駄にできない。