平泉の食事と喫茶の店〈SATO〉
生産者の思いをおいしさにかえる 
ロールキャベツと自家製スイーツ

2015年、岩手県JR平泉駅の駅前に、1軒のカフェが誕生した。
店名は、店主・佐藤渉さんの苗字をそのまま取って付けられた〈SATO〉。
「SATOの隣の美術肖像画院は親父の店。つまり実家です」と話す佐藤さんは、
埼玉県からUターンして、勝手知ったるこのまちにお店を開いた。
生産者の思いに共感した素材を使い、
そのおいしさが生きる最高のかたちで料理を提供し続ける佐藤さん。
彼に、SATOというお店の在り方についてうかがった。

料理が、食べる人の記憶に残ってくれたら

〈中尊寺〉をはじめ、世界文化遺産に登録された史跡のある平泉町。
駅まで徒歩0分という好アクセスの場所に、SATOはある。
たまたま、ご実家が店舗貸ししていた場所を譲り受けることになり、
いわゆる観光客誘致のために、と選んだ場所ではない。
今はランチとカフェのみの営業で、予約があれば夜の営業も行う。

名物はロールキャベツと、菜種油を使ったゴボウのショコラ(ガトーショコラ)。
フレンチでもなく、イタリアンでもない「洋風のお食事と喫茶のお店」だ。

「ロールキャベツは昔から好きだったので、
ちょっとつくってみよう、という感じだったのですが、面倒ですよね(笑)。
ハンバーグだったらひき肉を練って終わりなのに、
そこからキャベツを茹でて、包んで、煮込んで……。
専門店じゃない限り、なかなかやらないと思いますけど、
『SATOのロールキャベツを食べに行こう』と
言ってくれる人が増えてくれたらいいな。特に子どもたち。
『変な店だったけど、あそこでロールキャベツ食べたな』
という感じで、記憶に残ってくれたらうれしい」と、佐藤さんは目を細める。

自家製サワークリームで仕上げる、ファンが多い特製ロールキャベツ(ごはんとサラダ、ドリンク付き)1300円。ランチメニューはほかに、SATOカレー、パスタ、定食、特製お子様ランチ。

ショコラに使う菜種油は
「安心・安全でおいしい油を届けたい」という熱い思いを持った
隣の一関市大東町の〈デクノボンズ〉が生産したもの。
もともと大東地域でつくられていた菜種の栽培から復活させ、
花畑の風景を守り地域の資源を循環させる仕組みづくりを目指す
彼らの思いに共感したことから、メニューに取り入れることとなった。

昔ながらの工程で丁寧に絞られる菜種油は香ばしいフレーバーが特徴の油。
パティシエの友だちに相談しても、お菓子の素材として使えるかどうか……と
最初は首を傾げられたという。

佐藤渉さん。

「でも逆に、この油が生かせるようなメニューを考えればいいか、と思って。
パンチが強い油だから、同じようにパンチが強いチョコレートを使って、
さらに香りの強いごぼうをキャラメリゼして合わせてみたら、これが大当たり」

菜種油のおかげで、ガトーショコラの生地はしっとりと仕上がり
ナッツにも似た香りとサクサクした食感のごぼうが抜群のアクセントとなって、
意外な看板メニューが誕生したのである。

デクノボンズの菜種油はSATOでも購入することができる。

ショコラのほかにも、季節のフルーツなどが使われる自家製ケーキもぜひ味わってほしい。

生産者と、その人がつくるものを好きになれるかどうか

佐藤さんの場合、まず素材に惚れ、そこからメニューを考える。
すべてではないが、徐々にそういったケースが増えてきているという。

「平泉に帰ってきて思ったのは、生産者が近くにいるのはいいな、ということ。
『いっぱいとれたから使って〜』というような感じで、
やっぱり1歩2歩踏み込んだ関係になれることが多いんですよね。
そうすると『じゃあ、この素材で何かできないかな?』という考え方になって
いろいろなアイデアが生まれてくるんです」

秀衡塗、岩谷堂箪笥、太鼓、染物。
岩手県南の職人の工房へ 
新たな工芸プロジェクトも始動 

国内外に広く知られる伝統工芸の工房が集まる岩手県南地域。
全国的に継承者が減り続ける中、ここに拠点を構える若き職人たちが集い、
これからの伝統工芸や職人のあり方を模索し、
チャレンジする過程で生まれた〈平泉五感市〉。
2016年、2017年と開催されたこのイベントは工芸体験ができ、
郷土料理や各社の美しい工芸品も販売された。(vol.10参照)
今回は、現場さながらの体験ができるこのイベントの運営に携わる
職人たちの工房を訪ねました。

丸三漆器 
今の課題は、どこでどう売るのか

右から〈丸三漆器〉の5代目・青柳 真さんと塗師で弟の青柳匠郎さん。

vol.10の記事で紹介した平泉の〈翁知屋〉(おうちや)と共に、
平泉に伝わる漆器〈秀衡塗〉(ひでひらぬり)の工房〈丸三漆器〉。
明治37年、一関市大東町を拠点に御膳造りを主とした
「丸三漆器工場」として創業して以来、木地、下地、塗り、絵付けと
一貫した生産工程を持つ数少ない工房として知られている。

木地は、地元周辺の材料を中心に岩手県産材にこだわっている。

「今はうち1軒だけになってしまいましたが、
大東町はかつて何軒か工房が建ち並ぶ秀衡塗の産地だったんですよ。
その名残りもあり、うちはお碗のセットや重箱など平安時代から伝えられてきた
伝統的な商品を大切に継承しつつ、先代の時代からガラスの漆器づくりなど、
現代の生活様式にフィットする新商品の開発にも力を入れています」

そう話すのは、5代目の青柳 真さん。
塗師として工房を支える弟の匠郎さんと二人三脚で、
100年以上続く〈丸三漆器〉のこれから100年のあり方を日々模索し続けている。
現在いちばんの課題は、販路開拓と職人の確保。

敷地の中を川が流れていて風情がある。

「地元百貨店の売り場や全国の百貨店の催事での販売が中心でしたが、
百貨店自体の売り上げの低下などとあいまって、
売り上げは減り続けているのが現状なんです。
インテリアショップやエキナカなど新規販路の開拓、ホテルや飲食店への納入など、
僕を中心に販路の見直しに取り組んでいます。

それから、今はほぼ家族経営になってしまっているのですが、
若い職人希望の人にきてもらえるように、環境を整えていきたいですね。
秀衡塗は工房ごとにしか教える場所がないので、
平泉の〈翁知屋〉さんとも連携しながら、
職人になりやすい環境をつくっていければと思っています」

全国の漆塗り工房に先駆け、10年ほど前に先代が開発した〈漆グラスシリーズ〉。普段使いにも贈り物にも使え、同社を代表するヒット商品になった。ほぼ家族経営だった〈丸三漆器〉に6年前に新卒として入社した菊地優太さん。同社で一から技術を習得し、現在は塗師として活躍している。

岩谷堂タンス製作所 
大切なのは、続けること、伝えること、変化すること

10年ほど前に東京から帰郷して家業を継いだ〈岩谷堂タンス製作所〉の専務取締役・三品綾一郎さん。

〈秀衡塗〉と並び、もともと〈いわて県南エリア伝統工芸協議会〉の
主要メンバーだった〈岩谷堂箪笥〉。
一関市や平泉町の北に隣接する奥州市に工房を構える
〈岩谷堂タンス製作所〉の13代目三品綾一郎さんは
現在、副会長として同イベントの運営に関わると共に、
自身の工房でも積極的に新しい取り組みを始めている。

ショールームには、伝統的な仕様から足付きの家具や照明器具など、多くの商品を実際に見ることができる。江戸時代には火事や洪水がおこると家財道具を箪笥にまとめて避難していたため、滑車がついていたというアンティークのものも展示。

工房は、大きく木工と塗りのふたつに分かれている。右手に並んでいるのは、これまで制作したすべてのタンスの寸法がわかる木の物差し。「やまびこ」など商品名が書かれていておもしろい。

いなべ市と連携し、映像制作。
再発見した移住先の魅力とは?
ビデオグラファー
ウラタタカヒデさん

まちの魅力は「いいかげん」!?

「いいかげん」という言葉には、
ご存じの通り「ちょうどよい」と「でたらめ」という相反する意味がある。

文脈や受け取る側の印象によって、どちらにも取ることができてしまうわけだが、
三重県いなべ市は大胆にもこの言葉をテーマにプロモーションビデオ(以下、PV)を
つくってしまった。

(いなべ市プロモーションムービー『いいかげんな街 いなべ』より)

『いいかげんな街 いなべ』は、いなべの魅力を市内外に広くPRすることを目的に、
官民協働で制作されたPVだ。
撮影・演出などを担当したビデオグラファーのウラタタカヒデさんは、
愛知県弥富市の出身で、いなべに移住してきたのは7年ほど前。
それ以前は名古屋や京都にも住んでいたことがあり、
いなべにやってきたのもたまたまで、特にこだわりはなかったようだ。

「20代のときはスノーボードに夢中になって、冬場はずっと山にいて、
夏はスノーボードの練習施設で働くような生活をしていたのですが、
映像に興味を持ったのもスノーボードがきっかけでした。
最初は見よう見まねで撮影していたのですが、
サラリーマンをしながら知り合いの下で修業させてもらい、
3年前に会社をやめて独立したんです」

ビデオグラファーのウラタタカヒデさん。

移住してしばらくの間は、いなべに知り合いがほとんどいなく、
遊びも仕事も市外に出かけていて、なかなか地域に入り込む機会がなく、
意識も外に向いていたというウラタさん。

「映像の仕事に関しても、いなべには何もつてがなかったので、
修業させてもらった四日市界隈や伊勢のほうによく行ってました。
それで外の地域のプロモーションに関わらせてもらったとき、ふと思ったんです。
せっかくいなべに住んでいるのだから、僕自身ももっと知りたいし、
いなべをアピールしなきゃいけないんじゃないかなって」

今ではすっかり、地域と深くコミットしているように見えるが、
市民や行政とともに、一体どんなPVをつくったのだろう。
そして自分の暮らすまちに対する新たな発見はあったのだろうか。

藤原町古田地区で、田園風景を撮影するウラタさん。(写真提供:いなべ市役所)

「いいかげん」の裏にあるもの

「いいかげん」という言葉に込めた思いを、
いなべ市企画部広報秘書課の伊藤淳一さんは、こんなふうに説明してくれた。

「いなべは何もないところだと思われがちですし、実際に田舎なんですけど、
都会からもほどよい距離にある。
田舎過ぎず、都会過ぎないちょうどよさを打ち出したいと思いました。
官民協働というのも今回の大きなテーマで、
市民のみなさんに出演していただいていますし、
市内唯一の高校であるいなべ総合学園の放送部の生徒さんが、
メイキングムービーをつくっているんです」

いなべ市役所の伊藤淳一さん。

今回の映像の舞台となった3地区のひとつ、藤原町鼎(かなえ)地区。中央にあるのは映像にも登場する地域拠点〈○鼎家〉(かなえハウス)。(いなべ市プロモーションムービー『いいかげんな街 いなべ』より)

たしかにいなべには、全国的に有名な観光スポットもないし、
自然は豊富だけれどもそのスケールが突出しているわけでもない。
だけど、暮らすうえではその「何もなさ」がむしろちょうどいいのかもしれない。

「『いいかげん』というキーワードを行政の方から聞いたとき、
単純におもしろいなと思いました。だけど、
それを表現するのって実はすごく難しい。だって住んでいる人たちにしてみれば、
『自分たちはいいかげん(でたらめ)に暮らしているわけじゃない』
と思うのは当然じゃないですか。どうやって映像にしていくべきか悩んだのですが、
市役所の加藤さんを主役にすればいいと思ったんです。まさか本当に、
その案が採用されるとは思わなかったけど(笑)」(ウラタさん)

取材のこの日、映像制作に携わったメンバーに〈○鼎家〉に集まってもらった。

北海道・神恵内村と岩内町で始動。
ウニ養殖が未来の海を変えるかも?
天然と変わらないおいしさへ

試行錯誤で成長中! 2年目のウニ養殖

ウニといえば、北海道・積丹半島の夏を代表する高級食材。
しかし積丹半島の神恵内村と岩内町では、最近は冬でも食べられるらしい。
なぜならばウニの養殖に乗り出しているからだ。
2016年度から本格的に事業として乗り出し、2回目の冬を迎えた。

ウニ養殖の背景には深刻な「磯焼け」がある。
磯焼けとは、水中に生えている昆布などの海藻が生えてこない状態のこと。
その磯焼けをもたらしている要因のひとつが、ウニである。
本来は水温が下がり、ウニが昆布を食べない一定期間があるのだが、
年々高くなる水温が原因でウニの活性が収まらず、
昆布が生育する前の芽を食べてしまうという。
すると昆布がそれ以上育つことなく、「磯焼け」状態になってしまう。

海の中に昆布が生えていないと、海中の栄養状態も良くなく、
またニシンをはじめとしたさまざまな魚が産卵する場所がなくなり、
魚が戻ってくる場所がなくなってしまうのだ。
年々、漁獲量が減少している理由のひとつともいえる。

養殖ウニの引き上げ、ウニ剥きは冬に行うので雪があって当然の状況。

そこで、海中のウニを適正な個体数に戻すように試みることになった。
夏の通常のウニ漁が終了した後、過剰なウニを駆除する。
ただし廃棄するのではなく、その後に養殖していくことで
商品価値を高められる。後志地区水産技術普及指導所の調査・試験により、
養殖が可能だということがわかり、
神恵内(かもえない)村と岩内町が実際にウニ養殖に乗り出した。

とはいえ、まだ2年目。ウニ養殖は、全国的にも例が少ない。
どうすれば効率よく身入りがよくなるのか、
さまざまな実験を繰り返している試験段階でもある。

養殖ウニにエサを与えに出発。(岩内町)

ウニの養殖って?

まず、夏のウニシーズンが終わった9月、磯焼けしている漁場から
ウニをとってくる。この時期のウニは産卵を終え、
身がない状態なので商品価値はない。これをカゴにいれて、餌を与える。

ウニのカゴを力を合わせて引き上げる。(岩内町)

カゴも漁師たちの手づくり。直径60センチ×2メートル程度の円筒型カゴで、
現在はひとつのカゴに300個程度のウニを入れているが、
実際に何個入れれば効率的か、それも試験段階。

エサとなる昆布を運び込む。(神恵内村)

エサは昆布である。基本的に週2回程度与えている。
もちろんシケなどで海に出られないこともある。
養殖とはいえ、自然相手なことに変わりはない。
これも量、回数、間隔など給餌方法を少しずつ変えながら比較検討している。
積丹半島エリアは、昆布が水温の上昇とともに枯れてしまうため、
秋以降は使えない。そこでマコンブという昆布自体も養殖することにした。

カゴにエサを投入。(神恵内村)

昆布をエサとして与えるときは、
一度ボイルした昆布を冷凍しておき、適宜、与えている。
9月から12月まで養殖し、年末商戦に合わせた出荷を目指す。

一度ボイルし冷凍した昆布をエサに使用。(岩内町)

まだまだ試験的なことが多く、さまざまなパターンをデータとして記録しておく。(神恵内村)

写真集『熊を彫る人』に込められた
木彫家・藤戸竹喜と
北海道、アイヌと木彫りの熊の物語

写真家の情熱からかたちになった1冊の本

北海道の木彫りの熊といわれて、
鮭をくわえたその姿をイメージする人は多いだろう。
それくらいお土産の定番だったわけだが、多くの土産物がそうであるように、
どんな人がつくっているのかというところまでは、よほど気になることがない限り、
なかなか考えが及ばないもの。

ましてやこんなに豊かな物語が背後に潜んでいるなんて、
『熊を彫る人』という1冊の本に出会わなかったら、
知ることができなかったかもしれない。

本書の副題は、
『木彫りの熊が誘うアイヌの森 命を紡ぐ彫刻家・藤戸竹喜の仕事』。
藤戸竹喜さんは、1934(昭和9)年旭川に生まれたアイヌの彫刻家。
11歳から熊彫りを始めて、阿寒湖畔にアトリエを構え、
アイヌ民族の伝統を受け継ぎながら現役で活躍しているのだが、
藤戸さんが彫る動物たちは、自然が神様であるというアイヌの考え方や生き方を、
そのまま表しているような躍動感に満ちている。

一方で、木彫り熊の歴史は大きく旭川と八雲、2つのルーツがある。
藤戸さんは、旭川の流れと深い関わりをもつ。アイヌの人たちには
昔から暮らしや祭りで使う道具を木彫りでつくってきた伝統があり、
旭川の木彫り熊は土産物として必要とされて生まれたものといわれている。

アトリエで撮影された藤戸竹喜さん。(『熊を彫る人』より photo:yayoi arimoto)

ワシントンD.C.の世界的に有名な博物館群である〈スミソニアン博物館〉に
作品が展示されたりなど、国内外での評価も高く、
彫刻家として一目置かれる存在なのだが、
この本は藤戸さんの輝かしい功績をたどる種類のものではないし、
図録のように作品を整然と並べたものでもない。
藤戸さんの記憶や、時代とともにかたちを変えてきた阿寒湖の風景が、
写真と文章で叙情的に立ち上がってくる、童話のような1冊だ。

阿寒湖での衝撃的な出会い

写真を担当したのは、コロカルでも活躍している在本彌生さん。
この本はいってみれば在本さんの情熱から生まれたものなのだが、
彼女が藤戸さんの作品と初めて出会ったのも、
実はコロカルの取材先でのことだった。

「2年前に阿寒湖で、藤戸さんのつくった木彫りのオオカミを見たとき、
これを自然のなかで撮ってみたいと直感的に思ったんです。
ちょうど『わたしの獣たち』という自分の写真集をまとめている時期で、
藤戸さんの作品に野性的なもの感じたというか、
この世にひとつしかないようなあり様が独特なものに、興味があったのだと思います」

藤戸さんの作品に魅せられ、北海道に通うことになった写真家の在本彌生さん。

東京に戻ってきてもその気持ちは収まらず、藤戸さんの自宅に直接電話をして、
再び北海道へ。藤戸さんと奥さまの茂子さんにお会いして、
撮影自体は快く承諾してもらえたものの、
在本さんはただ写真を撮って終わりになるようなものにはしたくないと、
そのときすでに思っていたようだ。

誘われたライターの村岡俊也さんも、在本さんが興奮気味に話す作品の魅力や、
藤戸さんという人物に興味を持ち、文章を担当することに。
ふたりで初めて藤戸さんのアトリエを訪れたのは、
マイナス20度を下回る極寒の時期だった。

20年ほど前、バイクで北海道旅行をしたときに訪れた阿寒湖アイヌコタンが印象に残っていたという、ライターの村岡俊也さん。

積丹の天然〈神海苔〉を知ってる?
神恵内村〈いちき岡田商店〉
地元民に愛される、幻の味

ほとんどが地域内で消費される、幻の海苔

ウニ、イクラ、サケ、カニ、ホッケなど、数多ある北海道の海産物のなかで、
海苔のイメージはあるだろうか。
実は北海道の多くの日本海沿岸の地域では天然の岩海苔が採られている。
しかし天然ものゆえに少数ロットしか生産されず、
ほとんどは地域内消費に終わってしまっている。
札幌にすら、あまり流通していない状況だ。

積丹半島にある神恵内村(かもえないむら)も然り。
そんな地元の海苔のおいしさを広く伝えたいと、
Uターンで神恵内村に戻ってきた〈いちき岡田商店〉の岡田順司さんは、
地元で食料品などを販売する商店経営のかたわら海苔づくりを始めた。

「沿岸地域の人たちにとって、
この時期においしい海苔が食べられることは常識です。
それを神恵内の価値として、世に出したいと思いました」

と、きっかけを話してくれた岡田さん。

高校から札幌に出て、そのまま大学に進学した。
大学ではヒップホップダンスに目覚め、踊りに明け暮れる毎日。
そのときの経験を生かし、現在でも村の子どもたちにダンスを教えている。
積丹周辺の学校の先生にも、年数回、指導に行くこともあるという。
そんな異色のセンスと派手なルックスを携えて、
神恵内村に戻ってきたのは約10年前、25歳の頃だ。

冬の神恵内村。

「戻ってきたときは、村に活気がないと感じました。
経済循環も悪いし、疲弊している。
対外的に“神恵内”という名前の認知度が低かったことも問題でした」

海苔業の担い手も少なくなっていた。
岡田さんが師匠と呼ぶ3人は50代、60代、80代。
だから30代の岡田さんが技術を受け継いでいくことに意味がある。
そして海苔を広めていくことにより、神恵内村のブランディングができて、
知名度を高めていくことができる。そんな思いで海苔づくりに乗り出した。

岡田さんのつくる〈神海苔〉は、希少な天然の海苔。まず封を開けるとふわっと磯の香りが漂ってくる。後味にも風味が残り、ご飯がいくらでも食べられる。少し直火であぶると最高だ。

天然海苔の風味は、養殖の10倍!

大寒の頃の天然岩海苔が、一番品質が良いとされている。
だから地元では「寒海苔」と呼ばれている。
そこで岡田さんは、神恵内の「神」の字を用いて
〈神海苔〉(かんのり)と名づけた。

漁の季節、積丹半島は当然、雪に覆われる。

「養殖に比べたら、天然海苔は風味が10倍良い」と表現する岡田さん。
「師匠からは、海苔を採るときにその場でちょっと食べてみて、
おいしかったら採ればいいと教わりました。
その場で食べてみると、爆発的な磯の香りがしますよ」

時に冷たい水しぶきを浴びながらの作業。

〈神海苔〉のつくり方を教えてもらった。
まずは海で岩海苔を採る。
海苔漁が漁協から許可されているのは、12月下旬から4月末までの7〜12時。
真冬なので、厳しい寒さとの闘いだ。
波打ち際の岩場に張り付いている岩海苔を見つけては、剥していく。

繊維の長い岩海苔は「糸海苔」と呼ばれている。

岩手〈平泉五感市〉
“実演”から“体験”へ。
東北の新しい工芸イベント

平安より伝わる漆と彫金が美しい奥州市の〈岩谷堂箪笥〉、
同市の水沢地域でつくられてきた南部鉄器、
そして、平泉町を中心につくられてきた
伝統的な漆器〈秀衡塗〉(ひでひらぬり)……。
実は国内外に広く知られる多くの伝統工芸の工房が集まる岩手県南地域。
昨今業界の継承者が減っていく中、ここに拠点を構える若き職人たちが集い、
これからの伝統工芸や職人のあり方を模索しチャレンジしている。
その取り組みのひとつが、現場さながらの工芸体験ができる〈平泉五感市〉だ。
進化する伝統工芸職人たちが込める思いとは?

同地域との関わりも深いプロダクトデザイナーの石田和人氏による五感市のロゴ。イベント当日は、この「五」のマークに目を惹かれ、平泉観光に訪れていたお客さんも多く足をとめていた。

自らで未来を切り開くために

「各工芸の体験、職人による直接販売、品物を試用する、
芸術やデザインの勉強会などを通じて、岩手の工芸を五感で感じてもらうイベント」
として2016年に立ち上がった〈平泉五感市〉。2017年も10月14日・15日に
平泉の漆器工房〈翁知屋〉(おおちや)を会場に開催され、
岩手県内外からたくさんのお客さんが集まった。
工芸体験のほかにも、旬の郷土料理や各社の美しい工芸品も販売された。

伝統工芸の体験は、翁知屋の中庭、ショールーム、蔵の3会場で行われた。1日3社ずつ2日間に渡り合計6タイプの工芸体験をすることができた。

「2016年以上に人が集まり、ホッとしましたね。
リピーターの方も多く、我々の活動が少しずつ認知されてきたのかなと思います。
やっぱり直接お客さんと触れ合えるのはうれしいし、刺激になりますね」

そう話すのは、平安時代に平泉を拠点に栄華を極めた
奥州藤原氏ゆかりの技を受け継ぐ、漆器〈秀衡塗〉を150年以上もの間伝承し、
国内外から高い評価を得てきた翁知屋の4代目・佐々木優弥さん。
同イベントを主催する〈いわて県南エリア伝統工芸協議会〉の前会長で、
若き伝統工芸職人たちの中心となり、
その立ち上げからプロジェクトを主導してきた。

佐々木優弥さん。翁知屋のショールーム2階の工房にて。

皇太子殿下への献上品や伊勢志摩サミットのG7各国首脳への贈呈品、
世界で活躍するデザイナー、マーク・ニューソン氏の作品への参加、
ミラノサローネへの出展、大手プロダクトメーカーとのコラボ……。
伝統の技術を生かしながらも全国のジャンルが違う職人仲間やデザイナーとの共作で
数々の作品を発表してきた佐々木さんは、伝統工芸の今を牽引する職人のひとり。

伝統的な秀衡塗から現代的なデザイン性の高いものまで、時代のニーズに合わせて広がった翁知屋の商品。

これからの時代にあった“職人の共通言語”とは

さまざまな仕事を手がけるなか、
岩手の伝統工芸業界への危機感を感じた佐々木さんは、
まず、もともとあった〈いわて県南エリア伝統工芸協議会〉の会長と交渉し、
次世代の若い経営者中心の組織に組み替えた。

「近年、富山や新潟辺りだと、
異業種工芸の職人たちが連携して工芸観光イベントを仕組んだり、
さまざまな商品を地域内の異業種間で開発したり、
“産地”として集団で攻めている流れがあるんです。
例えば職人を抱える事業者は若手デザイナーのデザイン案を商品化し、
売れたらデザイナーにロイヤリティーで還元。
若手デザイナーは自分のデザインを製品化でき、売れることで市場感覚が身につく。
事業者にとっても、初期投資を抑えて今までとは違うデザインの商品ラインを
揃えることができるという、今の時代にフィットするような試みを始めている。

それを目の当たりにしてきて、
『ちょっと岩手は遅れているぞ』という思いがありました。
もともとは秀衡塗・南部鉄器・岩谷堂箪笥の各事業者組合の
合同事業者組織として立ち上がったいわて県南エリア伝統工芸協議会は、
半ば休眠状態の組織になっていた。
そこで、僕たちの世代が中心になって、伝統工芸品製造事業所以外にも
県南地域の手工芸品を製造する企業も仲間にして、
新組織としてリスタートさせたんです」

北海道・岩内町〈石塚水産〉
漁師メシ発、絶品あわびの塩辛。
元バンドマンの販売戦略

肝もそのまま! 鮮度が命のあわび製品

積丹半島の秋を感じる海産物といえば、あわびといくら。
岩内町にある〈石塚水産〉でも、秋から冬にかけて、
あわびやいくらの加工品が最盛期を迎える。
特に同社の “あわびの塩辛”は、元は漁師飯から生まれた本場のおいしさ。
その製造過程を見せてもらいながら、
さらに、元バンドマンという経歴をもつ現社長が考えた、
販売戦略についても話は広がった。

まずは、あわびの加工現場を見せてもらった。

「あわびのシーズンは、9月末から12月まで。
一番いいのは11月〜12月頃ですね」と教えてくれたのは代表の石塚貴洋さん。

「いつも岩内町にあるあわび専門業者から仕入れています。今朝入荷したのは、
岩内から少し南に行ったところにあるせたな町のあわびです」

積丹半島周辺のあわびは、日本海側全般に棲息している
「黒あわび」の北方亜種とされる「蝦夷あわび」。
水温が低い地域で育つのであまり大型化しないが、その代わり、
身がギュッと締まって味や風味が濃いという。

石塚水産代表の石塚貴洋さん。

最初にあわびをサイズごとに分けていく。
大きめのものはやわらかさもそのまま味わってもらうために
お刺し身のようにスライスして〈お刺し身あわび〉に加工する。
小さいものは、逆にコリコリした触感を楽しめるので〈あわび塩辛〉に向いている。

まずあわびの殻をスプーンを使ってむく。

塩辛になるあわびは、塩で揉んで汚れなどを取り、水洗いする。
これを数回繰り返す。塩もみの効果ですごくコリコリになるという。
そして昆布とからめて重しを乗せ、
6時間ほど漬ける。すると水も抜けてギュッと締められていく。

塩もみをして汚れやぬめりなどをていねいに取る。

塩辛用はひとくち大に切る。

おいしさの秘密

「あわびはすごく足が早い。手の温度でもすぐにダメになってしまいます。
だから手早く作業しなくてはなりません」

この日作業していたのは石塚さんのお母さんである美雪さんと従業員の2名。
小さい規模ながら、ふたりとも集中していて作業が素早い。
加工場もとてもきれいに整理整頓されている。

「市場からの輸送中にダメになってしまうことがあるくらい、
あわびは温度管理がシビアです。実は夏場でもとれますが、
気温が高いのでとりません。うちくらいの規模だと、
その日のうちに届かないと鮮度が落ちてしまいます。
漁場が近くにあるまちだからできることです」

コンパクトできれいな作業場。

石塚水産の〈あわび塩辛〉の特徴は、肝が入っていること。
積丹地域では、肝のことをウロという。

「あわびのウロを固形状のまま生鮮加工品で使っているのは、
おそらく全国でも当社だけではないでしょうか。ウロがいちばん足が早いんです。
だからウロがそのままプルンと入っているのは鮮度のいい証です」

あわびと昆布を層にして、塩辛の一次漬け。

あわびの塩辛と聞けば、中高年のお酒のアテ?と思うかもしれない。
若者にとって水産加工品は「コンビニで買うかわきもの」くらいの認識しかなく、
まだまだおいしい食べ物としては普及していないことが残念だという。

「こだわりの一品がまだまだ地方にも埋もれていることを知ってほしいですね」

〈下大桑ヒツジ飼育者の会〉
一関のひつじをめぐる冒険!?
耕作放棄地の新たな活用へ

一関市萩荘地区。なかでも中山間地域に位置し、昔から棚田での稲作を中心とした
農業を営んできた34戸の農家が暮らす下大桑集落。
現在では、ほぼすべての農家の跡取りたちは兼業農家として
二足のわらじを履きながら、親が守ってきた農地の継承に向け、
休みなく汗を流している。しかし、採算に見合わなければ跡継ぎは減り、
耕作放棄地は増えていく一方だった。そこで、下大桑集落では、
耕作放棄地を羊の飼育地にあてるという新たな試みを始めたのだ。

もともと棚田が広がっていた耕作放棄地に生い茂った雑草を食む羊たち。

増える、耕作放棄地

「今までは、中山間地域の農地保全のために出ていた
国の交付金を利用して草刈りをしていたんです」

しかし、その草刈りをする農家の高齢化が進み
ひとり、ふたりと脱落していく。頼みの若い人は兼業で忙しい。

「どうにか解決できねぇもんか、
しかも少しでも所得の向上につながるような
いい知恵はねぇもんか、と集まるたびにタメ息ばかりでした。
ある時、知人の紹介で羊飼育を見学し目から鱗。
さっそく、雑草がボウボウに伸びていた耕作放棄地で羊を飼育してみんべ!
という話になったんです」

そう教えてくれたのは
〈下大桑ヒツジ飼育者の会〉で事務局長を務める桂田勝浩さん。
実際、農地をほったらかしていると、
土が固まって地質が悪くなり、さらに生い茂った雑草が
隣接する耕作地にも悪影響を与えてしまうのだそうだ。
羊は、生い茂った雑草をおいしく食べ、糞をし、
適度に歩き回って土をほどよく管理してくれるのだ。

桂田さんの自宅にある納屋にいた子羊。成長するまでは、納屋で育つ。〈下大桑ヒツジ飼育者の会〉の活動は、ここから始まった。

羊の飼育を始めた理由

なぜ、羊を飼って地域活性をしようとしたのかと尋ねると、
「まずはやはり、手間をかけずに処理したかった豊富な雑草を、
羊がおいしく食べてくれること。羊とはあまりリンクのなかった日本で、
岩手が数少ないゆかりの地であったこと。
日本では珍しく気候が羊の飼育にむいていること。
また、首都圏を中心に国産の生のラム肉などの需要が高まってきている
ことなどが主な理由です」と桂田さん。

最初に耕作放棄地につくられた山田ヒツジ牧場。

日本でも数年前に首都圏を中心に沸き起こったジンギスカンブームを除いては、
北海道と岩手県・遠野市の名物料理として食べられてきたくらいで、
たとえばスーパーで生の国産羊肉を購入することは難しく、
ほとんどが、ニュージーランドやオーストラリア産の冷凍物だった。
ただ昨今の女性を中心としたヘルシー食ブームの影響から、
ラムなどの羊肉への関心が高まっており、
首都圏の富裕層向けスーパーや健康食品店などでは、
ラムからマトン、ホゲットまで種類豊富に、
しかも冷凍物ではないフレッシュな食材を取り揃え始めているそうだ。
そんな状況から、国内生産に注目が集まり始めており、
桂田さんたちはそこに目をつけたのだった。

下大桑ヒツジ飼育者の会が飼育している羊のタグは、メンバーが手作りした畳の縁を再利用した首輪で付けられている。肌触りがよく、羊たちにも好評(?)の様子。

岩手〈cafe&living UCHIDA〉
カフェと託児所、
地域の新たな子育ての場へ。
COKAGE STUDIO vol.3

COKAGE STUDIO vol.3 
いよいよオープンしたウチダ。見たかった風景がここに。

前回紹介したように、5か月という長い改装期間を終え、
2017年6月15日にグランドオープンしました〈cafe&living UCHIDA〉。
ついこの間まで釘を打つ音や木を切る音がしていた店内からは
仕込みをする包丁の音とカレーの香りが。完成したカフェの空間を前に、
いよいよお店が始まるんだなと楽しみになりました。

完成した店内。手前がカフェ・窓の奥に見えるのがリビング(託児所)。

こちらは改装前の様子。

ウチダの特徴は、カフェとリビング(託児所)が併設されていること。
カフェとリビングは古い建具でつくった
パッチワークの大きな窓で仕切られていて、 
子どもたちが楽しそうに過ごしている様子をカフェから眺めることができます。

カフェからリビングを見た様子。

リビングは6か月の赤ちゃんから5歳まで、幅広い年齢の子どもが過ごす空間なので
年齢に合わせた過ごし方ができるように、
子ども用トイレとお昼寝ルームも備えています。

左側の小屋が子ども用トイレ。壁越しにお昼寝ルームがあります。お昼寝ルームの窓は、額縁を利用しています。

古いのに、新しい。古材や古道具の魅力

店舗に使用した古材や古道具は奥州市周辺からレスキュー(回収)したものです。
テーブルやカウンター、床に使った板も、もともとは
別の建物で使われていたもので、
それぞれに刻まれてきたストーリーがあります。
一度役目を終えた古材たちに、価値を見出してお店に使うことができたら、
きっとレスキュー先の知人や友人たちの思いも引き継ぐことができるはず。
そんな想いで古材を空間にはめ込んでいきました。

カウンターに使われている天板の一部は、奥州市にある仕入れ先のたまご屋さんの自宅からレスキュー。

カフェのカウンターに施したタイル状のデザインは、販売できないデニム約30本分を敷き詰めたもの。DIYしたメンバー“チームUCHIDA”は前職で古着を扱っていたので、それをイメージして、全体の空間デザインをお願いした長野の〈ReBuilding Center Japan〉の東野唯史さんがデザインしました。

古材や古道具の良さは、新しいお店でもその場所に
ずっとあったかのような雰囲気で、落ち着いた空間に仕上がります。
古材は反りがあったり、長さがバラバラだったりと
決して使いやすい材料ではないのですが、

「これはどんな場所に使うと良いだろう」

なんていうことを考えるのも楽しかったりします。
古いものが身近に多くなかった世代の私たちにとって、
古材や古道具は古さというよりも、新鮮でかっこよく見えています。

岩手〈世嬉の一酒造〉
山あり谷ありの地ビールづくりに、
100周年目の新たなチャレンジ。

日本酒はもちろん、数々の受賞歴をもつクラフトビールの醸造や
郷土料理レストランの運営など、
「酒」を軸に幅広い事業を手がける岩手県一関市の〈世嬉の一酒造〉。
2017年9月には、平泉町に
直営ビアカフェ〈The Brewers of Hiraizumi〉をオープンし、
来年2018年3月には本社敷地内にビール工場増設を予定している。

さらに今後は、酒蔵としての原点に立ち返るべく
日本酒の新しい蔵づくりにも動きだす。
常に進化&深化し続ける同社の思いを社長にうかがう。

創業は、倒産した老舗酒蔵を引き継いだこと

一関市のまちなかを流れる磐井川沿いに、〈世嬉の一酒造〉はある。
江戸期から受け継がれた古い蔵群を残す2000坪の敷地内には
郷土料理レストラン、ビール工場や博物館などが並び、
一関を訪れる観光客にとってのランドマークともいえる場所だ。

世嬉の一酒造の創業は、1918(大正7)年に遡る。
創業当時は、千厩町で代々続いてきた“横屋酒造”の名で呼ばれていた。
もともと江戸時代からこの地で酒蔵を営んだ〈熊文酒造〉が大正期に入って倒産し、
その経営を横屋酒造の次男・佐藤徳蔵氏(初代社長)が引き継いだのである。
ほどなく、現在の社名“世嬉の一酒造”に変更したが、
そこにはこんなエピソードがある。

「初代の頃に髭の宮様で知られる閑院宮載仁親王殿下が当蔵にお立ち寄りになって。
『世の人々が喜ぶ酒をつくりなさい』という言葉をいただき、
『世喜の一』というブランドのお酒をつくりました。
それを機に、初代が社名変更したんです」

そう教えてくれるのは、現在4代目を継ぐ佐藤 航(わたる)さんだ。

4代目を受け継ぐ代表取締役社長・佐藤航(わたる)さん。

しかし昭和後期、航さんの父・晄僖(こうき)さんが3代目を継ぐことになるも、
酒造業の経営は厳しかった。そんなときに
他企業からは、スーパーやホテルにしたいという話もあがったそうだが、
「貴重なこの蔵を残したい」という祖母の思いを受け、
晄僖さんは、千厩町で順調な経営をしていた
ふたつの自動車学校のうちひとつを売却して資金繰りをし、
世嬉の一酒造の経営を続けた。

蔵のひとつを〈cafe 徳蔵〉として活用中。アンティーク家具に囲まれ、居心地の良い空間。

「資金繰りは常に大変だったようです。もうひとつの自動車学校の利益で補てんし、
現金収入を得るために母がレストランを始め、酒を売るために売店をつくったり
親はいつも忙しく動き回っていました」と振り返る航さん。
中学生から高校生にかけて多忙な両親の姿を見ながらも
自身が酒蔵を継ぐことは想定しておらず、
「順調な自動車学校のほうを継ぐと思っていた」のだとか。

敷地内にある蔵元レストラン。一関の郷土料理が楽しめる。

いち早く、地ビールづくりに取り組むが……

1994年に酒税法が改正されると、ビール醸造免許取得の垣根が低くなり、
全国各地で地ビールづくりに取り組み始めた。
同社を中心にする地元企業もまちおこしの一環として、
1997年に〈いわて蔵ビール〉の販売をスタート。東北2番目の地ビールであり
各地から注目を集めたものの、なかなか軌道に乗らずに3年目で赤字に……。

高校卒業後に首都圏の大学へ進学したのち
船井総合研究所に就職した航さんが実家に戻ってきたのは
ちょうどその頃。30歳だったという。
ビール事業を辞める選択もあったが、辞めるにはお金もかかる。
航さんは大学時代に環境微生物を学んでおり、微生物の基礎知識があった。
そこで自身が工場長となり、たったひとりでビールづくりに再チャレンジし始めた。
「やり始めたらおもしろくて、おかげさまで順調に伸びていきました」と振り返る。

島根の古民家が海を渡った!?
日本とエチオピア、
2国の伝統建築改修プロジェクト。
伝泊 vol.4

伝泊 vol.4

こんにちは、建築家の山下保博です。
これまで、3回にわたり、伝泊についてお話してきました。
伝泊とは、僕のつくった造語で、伝統的、伝説的な古民家を探し出して、
改修することで宿泊施設としてよみがえらせ、
旅に物語を求める人のために、地域の人との出会いの場を提供する仕組みのことです。

これまで僕の出身地である奄美大島に3棟(第1回を参照)、
加計呂麻島に2棟(第2回を参照)、
そして佐渡島に1棟(第3回を参照)オープンしました。

加計呂麻島の伝泊・奄美「リリーの家」。

日本全国に、その土地の気候や風土に合った構法や、
材料を使って建てられた民家が、空き家のまま放置されています。
次の世代に伝えていくべき伝統的な建物が、住む人なく荒れ果て、
朽ちていくのを黙って見ていることができずに始めた活動です。

50年から200年前に建てられた民家を、
もとの姿に戻したシンプルな伝泊に滞在して、
集落に暮らすように過ごす島時間。

「一歩足を踏み入れた瞬間のわくわく感が忘れられません」

「3世代7人で泊まれる貴重な宿。泳いだ後に畳に寝そべり、
家族でゆっくりおしゃべりできて良かったです」など、

伝泊に宿泊されたお客さんには、
1棟貸しならではの体験を楽しんでいただいています。

逆に、ひとりでお泊りのお客さんからは、「夜ひとりで怖かったです」とも。
都会と違い、島の夜は本当に暗いですからね。虫もいますし(笑)。

伝泊・佐渡「ぐるり竹とたらい湯の宿」。

家の持ち主や、地域の方からも、

「どうしたらいいか途方に暮れていた空き家がよみがえり、
家族で喜んでいる。親戚が集まる時にぜひ使いたい」

「集落に活気が戻ることを期待している」など、うれしい言葉をいただきました。

よみがえった伝泊の庭で開催された8月踊りの輪を、うれしそうに眺める「高倉のある宿」の持ち主さんとご親戚。

第1回目でも触れたように、伝泊を始めるきっかけとなったのは、
奄美大島で空き家問題の相談を受けていたことでした。
ただ、伝泊を始めるまでにも、全国の古民家に携わるさまざまな機会がありました。
僕は、2007年から2009年頃、慶應義塾大学の講師としてゼミの学生とともに、
島根県の過疎地で空き家となった
古民家の再活用についてのリサーチを行っていました。

戦火を免れた島根県には、地場のクリ、クロマツ、ケヤキを使った
優良な古民家が多く現存しています。
しかし、毎年200棟の古民家が解体・焼却されていると言われ、
これらの実態調査や実測調査などを行い、
貴重な古民家や古材の保存活動を行ってきました。

今回は、伝泊からは少し離れて、日本の伝統建築の特特徴のひとつである、
「移築」をキーワードに建築家らしい活動をご紹介したいと思います。

島根の古民家が、海を渡る!?

約10年前に在エチオピアの日本大使館より、
日本とエチオピアの架け橋となる「日本文化会館」をプレゼントしたいという
建築設計の依頼をいただきました。
エチオピア歴2000年のミレニアムに合わせた
〈エチオピア・ミレニアム・パビリオン〉というプロジェクトで、
日本館とエチオピア館をつくります。

日本文化会館をつくることになったエチオピア第2の都市、ゴンダール市は、
17〜18世紀にゴンダール朝の都として栄え、
まちの中心部にある宮殿〈ファジル・ゲビ〉が、
世界遺産に登録されている古都です。

世界遺産ファシル・ゲビ宮殿。ゴンダール様式と呼ばれる独特の建築様式には、ポルトガルやインド、ムーア建築の影響もみられる。

僕はよくあるようなコンクリート造りの建物にはしたくないと思いました。
せっかくのプロジェクトがお仕着せになってしまうと意味がない。
ただお金を出す、施設をつくるというだけじゃ一方通行になってしまいます。
ですから、エチオピアの人々の視点に立ち、
彼らが本当に求めているものを渡せるよう、知恵を出したいと考えました。

日本文化会館を建設する敷地周辺の風景と人々。近くにはスラム地区もあり、貧しい様子だった。

ふたつの国の伝統的な建築とは?

日本とエチオピアの架け橋になる建物。
僕は両国の伝統的な住居に着目しました。
エチオピアの伝統的な円形住居はシンプルな石積みの壁と、
梁は木を渡しただけのシンプルな木造の屋根組みで構成されます。

ファジル・ゲビ周辺には歴史地区がひろがり、現在でも伝統的な石積みの円形住居が残っている。

一方で日本の伝統的な民家は、金物を使わない精緻な木造構築物です。
これらの伝統住居をそれぞれの地で解体、
輸送して敷地で再構築するとおもしろいんじゃないか?
日本で朽ち果てそうになっていた古民家と、
エチオピアの現地で捨てられていた石積みの円形の住居を移築して、
それぞれ日本館、エチオピア館として建て直したら、
新たな価値を見出せるのではないか?
ひと言でいうならば、「価値の再編成」です。

日本とエチオピアの古民家を移築して再利用したら新たな価値が生まれるか?

日本からは当時フィールドワークを行っていた島根県大田市の古民家を
ゴンダールへ移築し、エチオピアの伝統的な円形住居と合わせ再利用し、
地域資源のリサイクルモデルとなるような建築をつくりたいと考えました。

住み手を失い長い間空き家となっていた古民家を解体、移築することになった。

一関〈HIRASAWA F MARKET〉
窓の外は一面田んぼ。
地元野菜を生かす、古民家カフェ

一関市街から東へ車を走らせ、
のどかな里山の風景をいくつか越えていく――。
懐かしい農村地帯のなかに見えてくる産直カフェ
〈HIRASAWA F MARKET〉は、2017年秋でオープンから2年目。
高台から眺める田園が美しい空間であり、
地域と人とモノを結ぶ、心地よい時間が流れている。

山里に、産直カフェが生まれた理由

〈HIRASAWA F MARKET〉があるのは、一関市弥栄(やさかえ)の平沢地区。
国道沿いに見かけた小さな看板に従ってゆるやかに進み、
「果たして、本当にカフェがあるのか?」と不安を感じ始める頃、
古民家を改修した同店が見えてくる。

空き家だった古民家をリノベーションした店舗。

広々としたウッドデッキ、昔ながらの瓦屋根を生かしつつも、
しゃれた佇まいに仕上げた外観の建物は、
風景に違和感なく溶け込み、訪れる人を大らかに迎え入れる。

築200年を超える古民家を改装したカフェは
地元食材でつくるランチメニューやデザートなどを提供するとともに、
採れたての野菜、パンや菓子などの加工食品、
さらには器や洋服なども販売している。
時には地域の人を巻き込んで、ライブやイベントなども行い、
カフェの枠を超えた「人が集う場」になりつつあるようだ。

もともとあった古民家の梁を生かした店内。

自家製デザートも人気。

HIRASAWA F MARKETには、近郊だけでなく、遠方からもお客さんが訪れるという。
しかし、なぜこの農村風景広がる場所にカフェを開いたのか?
店主の熊谷志江(ゆきえ)さんに、その理由をうかがった。

「このあたりは農家が多くて、おいしい野菜がたくさん採れるんです。
お互いに採れたものを近所で配り合ったりしますが、
残ったものは廃棄せざるをえないことも。

味も質もまったく問題ない野菜たちを捨ててしまうのはもったいないと思って。
私も子育てが落ち着いた頃だったので、
じゃあ、ちょっとおしゃれな八百屋さんができないかと、
地域の新年会で提案してみたのがきっかけです」

穏やかな雰囲気ながら、「わりと思い切りがいいほう」と笑う熊谷さん。

一関市〈儛草神社〉と〈大部岩〉
実は、刀剣マニアの聖地!?
絶景スポットへも。

伝説の眠る、絶景ポイント

岩手県南部のまち、一関市。
隣接する平泉町には世界遺産として知られる中尊寺があり、
関連史跡も多いが、実はこのまちに日本刀発祥の地としての伝説が残っている。
日本刀とは、世界でもめずらしい日本独自の高い技術でつくられた強靭な刀で、
現在は文化財として高く評価されており、
最近は日本刀ブーム到来なんて声も聞こえてくるのだ。
しかも、そこには絶景を望む〈大部岩〉(だいぶいわ)というスポットがあるらしい。
なんともロマン溢れるその伝説についてうかがうべく、
〈平泉文化遺産センター〉の館長・千葉信胤さんを訪ねた。

大部岩から。同行してくれた一関・平泉地区の新しい観光・物産拠点〈一BA〉のスタッフの阿部奈緒さん。比較的簡単に登れるものの、あまりの高さに及び腰に。近世の文書では、“大部ヶ岩”とも表記されており、今も“だいぶがいわ”と呼ばれることもある。

元は修行の場? 巨石マニア必見の大部岩

一ノ関駅から車で約15分ほどのところにある一関市舞川地区。
東磐井郡の舞草村と相川村の2村が合併して舞川村となり、
後に一関市に編入された北上川流域の中山間地域だ。
実はこのエリア、中世には24院を数える坊が点在した吉祥山東城寺という天台宗の
大寺院があったと伝えられている。
「現在、寺院の跡はほとんど残っていません。
観音山に鎮座する〈儛草神社〉(もうくさじんじゃ)は、
延喜式内社といって平安時代からの由来を持つ古い神社です。
観音山は日本刀の源流のひとつとされる
〈舞草刀〉(もうくさとう)が生産されたところとして、
地元だけでなく全国の刀剣マニアに知られています。

〈吉祥山東城寺〉は、
世界遺産としても知られる平泉の〈中尊寺〉と同じ天台宗の山岳寺院で、
観音山一帯にある巨石が修行の場になっていたと言われています。
儛草神社の境内からさらに西へ5〜10分ほど歩いたところにある〈大部岩〉は
その代表的な場所。古文書によると16丈、つまり約48メートルの巨石です」

“大部ヶ岩”という看板に沿って森の中を進むと現れる巨石。

市内の人でもあまり足を運ぶことはないという大部岩に登ってみると、
そこには北上川を挟んで一関市街から平泉市街まで一望できる絶景が待っていた。
確かに、こんなに気持ちのよい場所で瞑想したら、
それは悟りも得られるような気がしてくる。

急傾斜の岩場を登るため、くれぐれもご注意を。

大部岩の上からの美しい眺望。左に一関市街、右に平泉市街を一望できる。眼下には雄大な北上川の流れと地元で谷起(やぎ)と呼んでいる平野に耕作地が広がる。

一関地域はもち料理の数日本一!?
郷土の食文化を伝えるお店

もち料理の多さは全国一を誇る一関地方。
一関を含む岩手県南地方のもち食文化は、伊達藩を源流とするそうだ。
連載第5回目は、一関が「もちのまち」と呼ばれる理由を探るとともに、
種類豊富なもち料理の数々を知るべく、市内のもち料理店を巡ってみた。

もち料理の数が多いのはなぜ?

寒さの厳しい東北において、北上川の中下流に位置する岩手県南地方は
比較的気候が温暖で平地が多く、米づくりに適していた。
いわて東山歴史文化振興会長の佐藤育郎さんにもちの歴史を聞いた。

藩政期、伊達藩は開墾・新田開拓に力を入れており、
毎月1日と15日はもちをついて神に供え、邪気払いのために
「赤いもの=小豆」と一緒にもちを食べる風習があったそうだ。

「ところが、貧しい農家はもちを食べるゆとりはなかったんです。
そこで、くず米を粉にして練り、雑穀などと混ぜ合わせた
『しいな餅』(すな餅)を食べていたのですよ」

くず米をよりおいしく食べる工夫。その暮らしの知恵こそが、
今に続くもち料理の数々となり、冬期や飢饉の保存食としても重宝された。

もちづくしの「もち本膳」

そのなかで、一関地方に伝わる「もち本膳」は、
冠婚葬祭などあらたまった席でのもてなし膳である。
本膳料理は、室町時代から江戸時代に武家の料理文化として登場したもので、
膳の数や食材は地域それぞれ。一関・平泉地域の場合は、
もち本膳と呼ばれるもちづくしの膳が受け継がれてきたのだ。

武士から商家へ、さらに農家へと広まっていったもち食文化。
特に農家では、もちつきと農作業の関わりが深く、
田植えや刈り上げのあとなど、神や自然への祈りと感謝をこめてもちをつき、
集まった人たちに振る舞ったという。

東山町で行われた昔の結婚式のもちつき風景。(写真:『年月のあしおと』より)

こうした古くからの習慣は年々減ってはいるものの、
もちは、今も一関地域の人たちにとっておもてなしの必須アイテム。
家庭に限らず、一関市内にはもち料理を食べられる店が徐々に増えている。
というわけで、実際に市内を巡ってみることに。

築200年の古民家にて、もちつきに遭遇!

最初に向かったのは、
一関の南端、花泉町にある農家レストラン〈夢みる老止(おとめ)の館〉だ。
ここでは、築200年を超える日本家屋で、四季折々の山菜とともに、
花泉地区ならではのもち料理が味わえる。経営者の佐々木善子(やすこ)さんが、
もち料理をもっと気軽に楽しめるように、と自宅を改装して開いた場だ。

平成12年にオープンした夢みる老止の館の和室。県外や海外からも団体客が訪れる。

「昔、嫁入りがある日は、早朝から親戚や近所の人たちが集まるから、
玄関口で嫁入り行列を迎えるもちまきが賑やかに行われたものよ。
千本杵でもちをつき、地域全体で嫁入りを祝いながら、『もちつき歌』を唄ったの」

そう出迎えてくれたのが佐々木さんだ。
一関市のなかでも特に、花泉町は古くから米づくりが盛んで、
地元のもち米と食材を使ったもち料理がたくさんある。
佐々木さんは花泉らしいもち料理を広く知ってもらおうと、杵と臼を使った
出前もちつきグループを立ち上げ、平成6年から全国各地に出向いてきた。
今や岩手県内各地で行われる、出前もちつきの先駆けだという。

もちつきに合わせた大黒舞は、貴重な文化のひとつ。

そして、取材にうかがった日、県内沿岸部の中学生が農家民泊に訪れており、
偶然にも庭先でもちつきを体験していた。もちつきとともに
〈花と泉のふるさと 出前もちつきグループ〉メンバーが大黒舞を披露。
唄にあわせて杵をおろし、合いの手を入れる様子は、
まさに日本の懐かしい生活風景が再現されたようで、感激の思いだ。

さて、この日いただいたのは、同店人気メニューの「山菜膳と餅膳」のセット。
最初に運ばれてきた「山菜膳」は彩りも美しく、
小鉢の一品一品がかわいらしいお膳だ。
どれも、佐々木さんが近くの山や畑で採った山菜や野菜などが中心。

この日は、ナマス、コシアブラの胡麻和え、春蘭、ツクシ、スベリヒユなど山菜や野草の盛り合わせ、サク(山菜)の油いため、アケビの皮のワイン煮、ブラックベリーの食前酒などなど、10数品。

季節によって素材は変わるが、どれも珍しい食材ばかり。
佐々木さんに、その特徴を聞きながら食べるのも楽しい。

地域の古材を生かして、
仲間とともにDIY!
カフェ併設の託児所をハーフビルド。
COKAGE STUDIO vol.2

COKAGE STUDIO vol.2

岩手県奥州市にある古ビルをリノベーションし、
カフェと託児所が併設された
〈Café&Living Uchida〉(以下ウチダ)をオープンしました。
前回は私が子育てで感じたことや
カフェと託児所をオープンするに至った経緯をお話しました。

第2回目の今回は物件と改装の話をします。

もとは地域に根づく画材屋さん

私たちがCafé&Living Uchidaを始めたこのビルは、
もともと額縁や画材を販売する〈アートショップウチダ〉というお店でした。
JR水沢駅の東口で50年もの間営業してきたお店です。
私の年齢よりも遥かに長い間、この場所にあり続けたアートショップウチダ。
家族経営の小さなお店でしたが、額装をお願いしたり、
絵の具を買ったりと数少ないまちの画材屋としてなくてはならない存在でした。

アートショップウチダ営業当時の懐かしい外観。

私自身、同店の近所に実家があり、幼少期を過ごした場所です。
水沢駅裏(東口)には、アートショップウチダがあって当たり前。
まちの風景にとけ込むお店だったのです。閉店の話を聞いた時、
馴染みの風景がまたひとつ失われることに寂しさを感じました。

水沢駅東口(駅裏)の様子。

2016年10月、まもなく閉店を迎える店に挨拶にうかがいました。
これまで一度も入ったことのなかった店内に足を運び、
ほんの数分、店主(現在の大家さん)とお話しして店をあとに。

後にこの場所を借りることになるとは思いもしませんでしたが、
とても雰囲気の良い方だなぁという印象でした。

それから数週間が経ち、シャッターに貼られた閉店の案内を見ると
「あぁ、本当に閉まってしまった」というなんとも言えない寂しさと同時に、
この建物を自分の手でどうにかできないか!
という思いがこみ上げてきました。

このとき、ちょうど新しいかたちの子育ての場所を
つくれないかと考えていたところでした。(第1回参照) 
それからすぐに大家さんへ連絡して、私の考えているプランを話したところ、
このビルを改装して使うことを快く承諾してくれて、物件が決まりました。
額縁店として続いてきたストーリーを引き継ぎ、物語の第2章が始まるような、
そんな思いを店名に込めて〈Cafe&Living UCHIDA〉と決めました。

まちぐるみで子育てをしていた昔懐かしさをウチダで見ることができたらいいなと思い描いたイメージ(イラスト:Mako.pen&paper )。

つながりが生んだ心強い仲間たち

改装コストをできる限り抑えつつ、良い空間をつくるために、
今回は空間デザインと施工の一部を業者に依頼して、
DIYできる部分は自分たちでやる
ハーフビルド形式でリノベーションに挑戦しました。

自分たちでDIYするにあたり、結成した〈チームUCHIDA〉。
メンバーとして声をかけたのは盛岡勤務時代の先輩たち。
みんなDIYは好きですが、施工経験のあるメンバーはゼロ。
素人だらけの店づくりです。

〈チームUCHIDA〉の主要メンバー。左から茂庭甲子、私(川島佳輔)、千葉夏生、久保友佳。

下地や電気工事などは地元工務店に依頼。
空間デザインは長野県に店を構える〈ReBuilding Center Japan〉に依頼しました。

ReBuilding Center Japanは、
解体される古民家などから古材や古道具を回収して販売する会社で、
アメリカのポートランドにある〈ReBuilding Center〉から正式に許可をもらい
日本で活動を始めた会社です。

長野県諏訪のRebuilding Center Japan。建物内にはカフェ、古材売り場、古道具売り場があります。

こちらは古材売り場。レスキューされたたくさんの木材が並べられています。

代表を務める東野唯史さん(以下、アズノさん)とは、
2010年に世界一周の旅中に出会い、帰国後も交流のある友人です。
「地元にお店をつくることがあったら相談して! 協力するよ」
という言葉を7年越しで実現することができました。

リノベーション前のビルで現地調査をするアズノさん。厨房スペースの寸法を計っています。

アズノさんは帰国後空間デザインユニット〈medicala〉として
ゲストハウスなどのデザインを手がけていて、
2016年9月にReBuilding Center JAPANを設立しました。
古材を使った空間はかっこいいのはもちろんですが、
建物のストーリーを大切にしたり、地域の素材を生かした空間づくりで、
良い空間を全国につくっています。(※リノベのススメでも連載

2017年1月、物件と改装チームが決まり、いよいよ改装がスタート。

中富良野〈ノーザンスターロッジ〉
十勝岳連峰のパノラマと
自然素材の宿でパワーチャージ。

大雪山系の山々を愛でるロッジ

広大なラベンダー園〈ファーム富田〉や〈彩香の里〉が集まる中富良野のシンボル北星山。
そのなだらかな丘を登っていくと、風景に溶け込むように建つ、
ファーグリーンの立派なログハウスが現れます。
ここは、まちや観光地の喧騒からちょっと離れた、
自然のなかの静かな宿〈ノーザンスターロッジ〉。

晴れた日はウッドデッキのハンモックに揺られて
大雪山系十勝岳連峰の雄大な稜線を眺め、
雨の日には大きな窓越しに刻々と変わる空模様を楽しむ。
そんな、自然によりそった豊かな時間を過ごすことができる、
小さくあたたかなロッジです。

ラベンダー畑の横道を登ってロッジに到着。冬を前に薪の準備も進んでいます。

ロッジのドアを開けると、心地よい香りとすがすがしい空気に、
思わず深呼吸したくなります。その理由は、
フィンランドから取り寄せて組み立てたという厚く立派な天然木のログ。
ログハウスは夏でも涼しく、冷え込みの厳しい冬も
薪ストーブと蓄熱暖房機のぬくもりが木に溜められて暖かく快適に過ごせるのだそう。

ダイニング兼リビングでもあるロビー。ミツロウ仕上げの天然木が落ち着ける空間をつくり出しています。特等席のソファは人気の場所。

天然素材でつくられた心地よさ

そして、自然に近い滞在を楽しめるように、
ロッジの中もすべてが天然素材でつくられているのも心地よさの理由です。
ゲストルームなどのぬくもりある白い壁は、
オーナーの加藤雅明さんが自ら塗ったという珪藻土。
湿気やにおいを吸って調節してくれるので、きれいな空気が保たれています。

入り口に飾られた、ドイツの〈ペトロマックス社〉の圧力式灯油ランタンが美しいたたずまい。

旅人の憩うダイニングテーブルは、加藤さんが山形の実家で見つけた栗の板を天板に旭川の家具職人がつくってくれた一点もの。海外からのお客さんが増えたのでローテーブルに高さをプラス。

開放感たっぷりな大きな窓や3つのゲストルームの窓は山に向かった真東にあり、
朝日が差し込むようにつくられています。
窓を開けると大雪山系を望むすばらしいロケーションが待っています。
お天気の朝はぜひ早起きして山から昇る壮麗な日の出を見たいところ。
刻々と姿を変える山を眺めているだけでも、心身ともにリセットされるようです。

2階奥のゲストルームはアウトバストイレでコンパクト。タイル貼りの洗面台はもちろん、なんとベッドまで手づくり。あちこちにすてきなセンスが光ります。

富良野は、生きている自然を感じられる場所

花々で彩られる夏はもちろん、富良野で近年注目が集まっているのは、
冬の険しく美しい雪山を楽しめるバックカントリースキーです。
大雪山系十勝連峰と夕張山地に囲まれ、冬はマイナス30度近くまで冷え込む富良野の、
世界最高の雪質ともうたわれるパウダースノーを求めて
世界各地から多くのスキーヤーが訪れています。

腕利きの大工さんに教わりながら、土地の整地から2年がかりでロッジづくりを手がけたオーナーの加藤雅明さん。風格あるログには既製品が合わないため、戸棚、椅子、テーブルはすべて手づくりしたそう。

「ここはセントラル北海道のちょうど真ん中にあたり、
大雪山エリアのどこにでもアプローチできる、欲張りな場所なんです」

そう教えてくれた加藤さんは
スキー愛好家御用達の雑誌『月刊スキージャーナル』の元編集長。
30年以上も世界の山やゲレンデを旅してきた加藤さんが
終の棲家として選んだのが、ここ中富良野でした。

「晴れた日は噴煙を上げる十勝岳を眺めて、生きている自然をすぐそばに体感できる。
そして冬は一歩外に出たら、平地から高地までどこにでも最高の雪質が待っている。
こんなエリアはほかにはないですね」

奥さまの見千子さんに連れられた2頭のヤギが絵画のよう。ログハウスの端材で建てられた立派なヤギ小屋に暮らしています。

さて、荷物を置いたら、ロッジのそばを散策してみるのもおすすめ。
入口にあるラベンダー畑はもちろん、
ファーム富田や彩香の里などのラベンダー園も徒歩圏内という好立地です。

夜には近くに街灯もなく、深い闇に包まれるロッジからは、
運がよければ天の川や満天の星空が見られることも。
そっと外へ出て空を見上げてみましょう。

除草担当のはずがおいしい草のみを食べるグルメな2頭。毎年近くの牧場から赤ちゃんヤギを秋まで預かり大きくして返すのだそう。ヤギの名は〈レン〉&〈タル〉。ロッジのマスコット的存在です。

ノーザンスターロッジには、
メインロッジとログコテージの2種類の宿泊施設があります。
宿泊の際は、食事をつけることも可能ですが、
富良野市街地や美瑛などで夕食をとるのもよし、十勝岳温泉まで足を延ばすのもよし。
さまざまなスポットへのアクセスが良いので、
自由なスタイルで滞在ができるのもこの場所の魅力です。

中富良野の〈Cafe てくり〉
石窯焼きの本格派ピザと
地野菜たっぷりのランチタイム

素材を生かした丁寧な料理が人気のカフェ

手づくりの石窯で焼かれる、カリッとした焦げまでおいしいピザ。
メニューのなかでも人気を誇る「4種のチーズピザ」が焼きあがると、
チーズのいい香りがふんわりと漂ってきます。

北海道の中心にある、大雪山系の十勝岳連峰を望む中富良野で
2016年にオープンした〈Cafe てくり〉は、
札幌のイタリアンレストランで修業を積んだシェフ竹内裕介さんの
本格的なイタリアンメニューが楽しめるアットホームなカフェです。

赤い屋根が目印のてくりを秋に訪れると、黄金色の風景が出迎えてくれます。その向こうには、晴れた日には雄大な姿を見せる十勝岳連峰が。

全国的にも有名な旭川の観光庭園〈上野ファーム〉から
美瑛・富良野を通り、占冠(しむかっぷ)までの国道237号線は
〈花人街道〉の愛称で親しまれ、車窓から美しい景観を楽しめるルートです。
中富良野のまちを通る花人街道を道道750号線へ折れてしばらく進むと、
田園風景にそっと佇む、赤い屋根のCafe てくりが見えてきます。

田園風景に佇む、納屋をリノベーション

明るい光が差し込む店内は木のあたたかな雰囲気も心地いい。左のテーブルセットは、富良野にあった〈北の国から資料館〉が閉館するときに譲り受けたものだそう。

もとは農家の納屋だった建物を自分たちでリノベーションしたお店は、
まわりの風景を切り取るような大きな窓と高い天井が開放的な空間です。
店内の、サイズもさまざまな窓、テーブルや椅子、
キッチンの什器類に至るまでほとんどがいただきもの。
それぞれ物語のある家具たちは、どれもお店にしっくりと馴染んでいます。

注文を受けてから、ピザ生地を手早く丁寧に伸ばし始めます。

まちはずれにありながらランチタイムは
混み合うCafe てくりでぜひオーダーしたいのが、石窯焼きのピザ。
十勝産の小麦と天然酵母を使い、手ごねした生地は
ふっくらもちもちかつ香ばしい焼き上がりで、くせになるおいしさです。
なかでも定番のピザ「4種類のチーズはちみつがけ」は、
重ねられた濃厚なチーズに、トッピングされたはちみつが絶妙なバランスです。

ゴルゴンゾーラ、モッツァレラ、グラナパダーノ、マスカルポーネチーズをたっぷり乗せた生地を窯へ。職人技が光る一瞬。

石窯のレンガは、中富良野の備前焼の窯元から譲り受けて再利用したもの。東川の道の駅に店を構える〈ピッツァ亭〉の方が、窯づくりを一から指導してくれたそう。

愛別町の隠れた名店〈粋人館〉
絶品の地元産きのこ蕎麦。
築95年絢爛豪華な建築は必見!

職人技術を駆使した、居心地よい木の空間

大雪山系の石狩岳に源流をもつ石狩川上流のまち愛別は、旭川から車で40分の距離。
豊かで美しい水を生かした農業がさかんで、きのことお米の名産地として知られています。

このまちのメインストリートに佇むのが、
土地の恵みに趣向を凝らした蕎麦と会席料理が楽しめる〈粋人館〉(すいじんかん)。
由緒ある歴史的建造物をリノベーションした母屋と合わせて、
大雪山をめぐる旅の途中に立ち寄りたい、隠れ家的な名店です。

京都の絵師、浦地 思久理さんが描いた鮮やかな鳳凰に迎えられ、階段を上った2階がメインフロア。お年寄りや足の不自由な方は1階のカウンター席へどうぞ。

広々とした2階。八角形のテーブルが置かれたスペースは半個室にもなる。家具はすべて飛騨から取り寄せたもの。

黒1色の外観からは想像もつかない2階の客席は、
上質で落ち着いた和の趣がすみずみまで感じられます。
内装や設計を手がけたのは、京都を拠点に、全国で活躍するデザイナーの永田正彦さん。
木のぬくもりとともに、障子に当たる光が心地よく、くつろぎます。

直線の欄間と交差する円形の天井に牡丹や獅子の絵画がのぞく精巧なつくり。

地元名産のきのこをたっぷり堪能

空間はもちろん、京都出身の料理長が腕をふるうお料理もじっくりと味わいたいところ。
カジュアルに楽しむなら、ランチタイムの訪問がおすすめ。
旬の素材を織り込んだリーズナブルな「本日の日替わり定食」のほか、
会席料理仕立ての贅沢なプレート「粋人館御膳」、
そしてこだわりの十割蕎麦メニューからお好みをチョイス。なかでも一番人気は、
社長であり蕎麦農家の矢部福二郎さんが無農薬で丹精込めて育てる
愛別産の蕎麦〈キタワセ〉に名物のきのこの天ぷらを添えた「茸天ぷらそば」です。

鰹だしが薫る、やわらかな甘みの京風蕎麦つゆに十割蕎麦がぴったりとマッチ。

毎日、地元農家さんから届く朝採りの
マイタケ、えのき、なめこの天ぷらはサクサクかつ風味豊かでジューシー。
あえて塩ではなく、特製の蕎麦つゆにつけて味わうのが粋人館流です。

「愛別の蕎麦そのもののおいしさを味わってほしい」
という思いが込められた十割蕎麦は、注文を受けるごとに、
蕎麦粉と水分を合わせる水回しの作業を手で行い、
シンプルな機械で麺に仕上げてつくりたてを提供しています。
程よい歯ごたえとみずみずしさをぜひ味わってみて。
矢部社長曰く「愛別は水の質がいいので、おいしい蕎麦ができるんです」とのこと。

もちもちに炊かれた甘みのあるゆめぴりか玄米をしっとり包み込んだ〈開運 稲荷寿司〉(120円)。つくり手の方々とは家族ぐるみのお付き合いをしているそう。

地元生産者の食材や器を使って

蕎麦はもちろん、お米にもこだわりが光ります。
蕎麦とも相性のいい稲荷寿司や定食の玄米ご飯に使われているのは、
希少かつ絶品の無農薬ゆめぴりか玄米。
愛別の米農家〈成田農園〉5代目の成田真市さんが生産を手がけています。
また、蕎麦や玄米稲荷を乗せたお皿、蕎麦湯用のしっくりと手になじむ片口は、
旭川にアトリエとギャラリー〈ウラヤマクラシテル〉を構える
人気の陶芸家、工藤和彦さんの作品です。
食材から器まで、愛別や近郊のまちの魅力あふれるつくり手の存在を知り、
安心してお料理をいただけるのもうれしいところ。

古伊万里や九谷焼など、飾られた骨董品が美しい佇まい。

紅葉名所「大雪高原沼めぐり」と
秘湯〈大雪高原山荘〉へ。
深山の沼に綾なす紅葉が絶景!

秘境と呼ばれる、大雪山の紅葉の名所へ

陽の光に輝く赤、紅色、黄色、オレンジ、深緑の織りなす心奪われるほどの紅葉が、
登山道の先にある沼地を包むように、次々と現れます。

ここは日本の紅葉の始まる地、北海道の大雪山国立公園の深部にあたる大雪高原。
ウラジロナナカマドやダケカンバなどの高山帯の落葉広葉樹と、
針葉樹のエゾマツ・トドマツが入り混じった混交林が特徴で、
秋には、火山活動によって生まれた沼とともに、独特の色彩豊かな紅葉が広がります。

この大雪高原に点在する大小10個の沼をめぐる「大雪高原沼めぐり」コースは、
紅葉のピーク時は多くの登山客でにぎわう、北海道屈指の紅葉の名所です。

冬季間は道が閉鎖されるため年間123日しか営業していない秘境の宿〈大雪高原山荘〉。建物裏には硫黄の煮え立つ沼〈ボッケ〉が。散策のあとは日帰り入浴にぜひ立ち寄って。

沼めぐりの入り口、〈大雪高原山荘〉へは旭川空港から車で約2時間、
柱状節理の峡谷で名高い層雲峡から40分。
大雪山最高峰旭岳の真裏にあたり、上川国道と呼ばれる国道273号線から、
川沿いの険しく細いダート道を20分ほど注意深く進んだ先、
標高1260メートルの高所に位置しています。

北海道の中でもかなりの秘境、
だからこそ残された美しい風景に出会えるのが沼めぐりの魅力。
9月中旬から10月までの間に、ぜひ足を延ばして訪ねたい場所です。

〈ヒグマ情報センター〉の建物やコース内にトイレはないので、出発前には駐車場に設置されたトイレを利用して。

まずはヒグマ遭遇のレクチャーから

沼めぐりコースのスタート地点は大雪高原山荘隣の、
周辺のヒグマの動向を毎日監視し発信する〈ヒグマ情報センター〉。
大雪山は、かつてアイヌの人々に「カムイミンタラ」と呼ばれた理由を
「クマの遊ぶ場所」とする説(『知里真志保地名小辞典』)があるのもうなずけるほど、
ヒグマの多く生息する地です。
入山前に15分ほどのレクチャーを受けて気を引き締めたら、沼めぐりへいざ出発。

ヒグマ情報センター内にあるヒグマ情報板。赤は個体発見、青は足跡、緑は食痕など、形跡があちこちに。本来一周できる右コースが台風被害で通行止めなので、現在は折り返すかたち。

国立公園として守られているコースの行き帰りには内外の種などを持ち込まない・持ち出さないため、小川で靴を洗います。

石や木の根が多くなかなか険しい山道が続くので、散策ではなく登山の気持ちで臨みましょう。

大雪高原山荘から最初の沼までは、澄み切った空気を吸い込み、
水辺を覆う巨大なミズバショウの群落や紅葉を眺めながら歩いて1時間ほど。
登山やトレッキング初心者でもトライできるコースです。
今回は旭川の〈大雪山倶楽部〉のガイド、
浦 幹生さんに見どころを案内してもらいながらコースをめぐります。

沼をめざして、トレッキングスタート

取材に訪れたのは9月中旬、2017年は例年より1週間も早く紅葉の見頃を迎えました。登山道から見える山肌の赤や黄色がきれい。

前日からの雨でコケがみずみずしくフカフカに。

入り口ではほぼ緑だった木々は、次第に黄色や赤が入り混じっていきます。
山歩きについ集中しがちですが、視線を上げると、
高いところや山々にも秋の色合いが見つかります。

紅葉のピークには黄金色のトンネルになるというミネカエデの道。

鉄製の橋が架けられたヤンベタップ川。滑りやすいので足元に注意して。

北海道で一番長い石狩川の支流、ヤンベタップ川を越えれば、沼はもう少し。
川のそばにはヤンベ温泉と呼ばれる噴気孔があり、
水蒸気の煙をもうもうと上げる姿も見ものです。
手前には、ヒグマ情報板にも記載があった、1か月ほど前のヒグマの落し物が残っていました。
大自然のなかに深く分け入っていることを実感しつつ、さらに進みます。

音を立てて煙を上げるヤンベ温泉は生きた火山の証。温泉といっても95度という高温・高圧の水蒸気が沸く危険な場所なので立ち入り禁止です。

ところどころにある看板で距離を確認。右廻りコースは残念ながら通行止。

和歌山の小さな集落で始まる
暮らし×リノベーション
〈Re SHIMIZU-URA PROJECT〉
いとうともひさ vol.4

いとうともひさ vol.4 
空き家を購入して、始まったこと

〈Re SHIMIZU-URA PROJECT〉。

このプロジェクトは「暮らし」と「リノベーション」をかけ合わせて、
つくる毎日を楽しもうというものです。
集落で生活する日々にリノベーションがあることで、
理想の暮らしや時間がつくれたらという想いがきっかけで始まりました。

今やどのまちにも空き家がありますよね。
そしてまだ空き家は増えそうだという流れがあります。
和歌山県海南市の冷水浦(しみずうら)集落で僕が購入した家は空き家でした。
そして隣の家も空き家です。集落から元気がなくなってきています。
増える空き家を、まちが管理することが難しくなっていくなかでいろいろな人と議論して、
リノベーションをして、暮らしをつくっていくプロジェクトです。

リノベーションをしながら暮らしを充実させる

暮らしに海がある集落。

この冷水浦という集落には海があり、山があります。
海南市には地酒の酒蔵もあれば漆器をつくってきた歴史もある。釣りもできる。
ほかにもたくさん、楽しむ要素はあるのに空き家が増えています。
それは雇用が少ないせいからか、整備された住まいが少ないせいからか。
しかし理由はどうであれ、この元気のなくなってきている集落に関わることで、
もっとこの集落での暮らしを楽しめるようになってほしいと思っています。

毎日が工事の実践。

この物件を購入したのは空き家が増えていくことが問題だとされているのにもかかわらず、
建物の工事も含めた暮らしのつくり方は
あまり公開されていないんじゃないかと思ったことがきっかけでした。

リノベーション+集落の暮らしを自ら実践してつくってみたい、
と思ったのが一番大きな理由です。
いろいろな意見が欲しくて、つくるものを広く公開しようとなりました。

こういった集落で始まる暮らし方にはこれといった正解も、決まりごともありません。
多くの人の意見が必要だし情報を閉じることよりも
情報を開くほうがにぎやかな暮らしになるんじゃないかと思っています。

リノベーション術は数々の事例があって、途中の工程を広く公開しているものもありますよね。
しかしここではリノベーション術より大きな枠としてひとつの物件に手をかけることで、
まちがどう変化していくか、暮らしぶりも含めてありのままを見てもらおうと思っています。
器をつくっただけでは解決が難しい問題も、
そこでの生活を見てもらうことでイメージがしやすくなるんじゃないかと思います。

Re SHIMIZU-URAはこんなところ

2017年5月に建物付きの70.9坪の土地を購入しました。
和歌山県海南市冷水。熊野参詣道・紀伊路沿いに漁村集落・冷水浦はあります。
海と山の距離が近くて、高低差のある地域です。

海側から冷水浦集落を見る。

接道していない特殊な地形から、道路の整備不足やインフラ整備の難しさもあります。
この集落には近くにスーパーマーケットもないので、
車がなければ生活するにもなかなか過酷な場所ですが、電車・車での交通アクセスは悪くない。
大阪市内から車で1時間程度、関西国際空港から車で30分程度で着きます。
またJR冷水浦駅から約300メートル、
徒歩5分で集落群の入口となるJRのトンネルが見えてきます。

JR紀勢本線が交差するトンネル。

山の中腹に位置するこの建物へのアクセスですが、
急な坂道に加えてこのトンネルがある限り、麓から車では入れません。
トンネルをくぐって左を振り向くと、購入した物件が見えます。
現地に行って初めて知ったのですが
敷地内に母屋(2階建て)と離れ(2階建て)と小屋(平屋)があります。

トンネルをくぐると開ける土地。左を振り向くとすぐの物件がRe SHIMIZU-URA。

まずはつくるための環境づくり。計画チームの発足

建築家・デザイナー・リサーチャーとチームをつくり、
このプロジェクトはスタートを切りました。
空間設計は〈PERSIMMON HILLS architects」柿木佑介さんと廣岡周平さんに、
プロジェクトの発信の仕方・ブランディングデザインは
designと〉の田中悠介さんに。
周辺リサーチやまちとの関わりづくりに和歌山大学特任助教の友渕貴之さんに、
そして施工はいとうともひさが行います。

旭川〈ウラヤマクラシテル〉
DIYにかけた歳月は15年。
廃墟同然だった旅館が、
器ギャラリーへ

陶芸家が廃墟旅館に込めた、新たな息吹

北海道第二の都市、JR旭川駅から車で30分。
春を告げるカタクリの群生地で有名な〈男山自然公園〉のある突硝山への
細い山道を進んでいくと、森の中に大きな建物が見えてきます。
その名も〈ウラヤマクラシテル〉。

道内外で人気の陶芸家、工藤和彦さんが15年の歳月をかけて
リノベーションしてきた元旭川温泉の広大な施設に、
工藤さんの作品が並ぶ広々としたギャラリーがオープン。
まちから離れた小さな裏山に、多くのお客さんが訪れています。

山の緑に囲まれた入り口そばには、工藤さんの焼きものに使われる薪がうず高く積まれています。

工藤さんの作品〈黄粉引片口鉢〉5000円(税抜)、〈黄粉引片口小鉢〉3500円(税抜)。

「ここ北海道でしかつくれない日本の焼きもの」を探求し、
自ら手掘りした道北の粘土をベースに、土地の素材を使って生みだされる
工藤さんの器は、豪壮さと繊細さをあわせもち、
北の風土を連想させる空気感をまとっています。
手に取るとすっと馴染み、長く使い込んでみたくなる。
ギャラリーにはそんな器との出会いが待っています。

この土地でしかできない陶芸の追求

元旭川温泉の広大な施設のなかで最初に整備したという工房は元宴会場。窓の外の美しい借景に向かいながら主にこの蹴ろくろで作品づくりに励みます。

神奈川出身の工藤和彦さんは、高校生のときに焼きもののおもしろさに魅せられ、
卒業と同時に滋賀県の信楽焼作家、神山清子先生、賢一先生のもとで修業。
その後アウトサイダーアートに興味を持ち、滋賀県立の福祉施設の陶芸の職業指導員として勤務、
続いて、北海道剣淵町の福祉施設開設に伴い陶芸担当として移住し、
退職後、作家として独立します。

色も質感もさまざまな、制作途中の器たち。

工藤さんがこの旧旭川温泉に出会ったのは、まったくの偶然でした。

「剣淵町から当麻町に移り、その後急遽引っ越さなくてはならないときに
知人から紹介された物件が、ここ、元旭川温泉の隣の一軒家だったんです」

北海道愛別町〈成田農園〉
無農薬栽培米のゆめぴりかに感動!
ファームステイ体験も

大雪山の美しい水が育む、おいしいお米

上川盆地の北東端にあり、きのこの一大生産地として名高い愛別町は
源流を大雪山国立公園にもつ石狩川上流のおいしい水を生かした、
米づくりもさかんなまち。旭川市街地から大雪国道を40分ほど走った
愛別町の山あいの傾斜地に広がる田園風景。

ここで、一度食べるとリピーターになってしまうと噂の
無農薬栽培の米〈ゆめぴりか〉を生産している〈成田農園〉を訪ねました。

無農薬の田んぼのあぜ道にはシロツメクサが咲き誇る。無農薬の稲は慣行栽培のものより生育がゆっくりで、最初に田植えし最後に収穫するそう。

農業用水路には石狩川のきれいな水が勢いよく流れこむ。「この水が愛別のお米のおいしさの理由です」と誇らしげな真市さん。

広い敷地で米づくりを行っている成田農園の5代目、成田真市さんは
3枚の田んぼを使って化学肥料不使用、無農薬での米づくりをしています。
もともと味に定評のあるブランド米の“ゆめぴりか”ですが、
真市さんのつくる無農薬ゆめぴりかは、安心とともに、おいしさも格別。
白米は粒感がしっかりしていて、艶やかでみずみずしくふっくらとした炊き上がり。
玄米は香ばしさを残しながらも水分たっぷりでモチモチに。

どちらも、お米の甘みと風味を存分に味わうことができ
おかずなしでも食べられてしまう、ごちそうのような逸品です。

北海道・旭岳のふもとの
セレクトショップ〈SALT〉。
大自然を遊びつくす厳選アイテム

山の暮らしを体現する、セレクトショップ

「このまちで着たい服」。

それは、永く大切に使える良質なもの。
大雪山をはじめ、大自然がすぐそばにある東川で、
厳選された国内のアウトドアブランドを軸に、
つくり手やメーカーの思いの込められたアイテムを提案する〈SALT〉は、
このまちでのライフスタイルを体現するショップです。

〈ランドスケーププロダクツ〉が設計を手がけたショップ。背の高い立派な木々に包まれるよう。

〈道の駅ひがしかわ 道草館〉から旭岳や天人峡へと伸びる道道1160号線沿いを進むこと5分。
田園風景の先にある洗練されたショップには明るい日差しが差し込み、
東川というまちのもつ、自然に寄り添ったアクティブな雰囲気に馴染む
ウェアや雑貨が並びます。

メンズは〈MOUNTAIN RESEARCH〉を主軸に〈and wander〉や〈SASSAFRAS〉など、
すぐに着たくなる、使いたくなる商品が並びます。
ウィメンズでは〈ORCIVAL〉〈NO CONTROL AIR〉など、
タウンユースもできるユニセックスなムードのブランドを取り扱っています。

and wanderのサコッシュなど、アウトドアだけでなく手にした人それぞれの使い方ができるアイテムがたくさん。

共通したコンセプトは、
“山に行くときも山を降りてからも着られる、永く使える上質なもの”

「すぐ外がアウトドアのフィールドという東川のまちで、
SALTが扱っているものの物語や背景を、
お客さんがリアルな魅力として感じてくれたら一番うれしいですね」

そう語るのは、東川のまちで生まれ育ったオーナーの米山勝範さん。取り扱うものを通して、
自身が培ってきたこのまちでの遊び方や暮らし方を訪れる人に伝えています。

自然体で東川の暮らしを楽しむ米山勝範さん。「戻ったときはまだ周りにお店もなかったけど、北の住まい設計社の渡邉さん夫妻の暮らしを見て、東川に可能性を感じました」

ウィメンズのセレクトは奥さまの知美さんが手がける。自身も愛用する長く飽きのこない日常着を提案。SALTはカジュアル寄り、週末オープンの〈due SALT〉では女性らしいブランドをセレクト。

ショップ奥の木陰で、カフェタイムも

店内にはドリンクのテイクアウトができるカフェスタンドを併設。
注文すると、店の奥にある広々としたウッドデッキのカフェスペースに出られます。
チェアに腰かけて風に吹かれるひとときは格別。その奥に佇むテントは、
取引先の〈MOUNTAIN RESEARCH〉代表の小林節正さんから譲り受けたものだそう。

木々の緑に包まれたウッドデッキはカフェ利用者専用。MOUNTAIN RESEARCH〈HOLIDAYS in The MOUNTAIN〉のCpt.S社のベンチとカーミットチェア用のカスタムキットがおしゃれ。

とろりとした飲み心地のクランベリージュース(350円)、美瑛の〈Gosh〉によるオリジナルブレンドのコーヒー(350円)。

ベッドが入るテントはいっとき小林さんの山生活に使われていたもの。ブランドのディスプレイに、友人用ゲストハウスにと活用。