連載
posted:2017.5.19 from:鹿児島県奄美市 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer profile
YASUHIRO YAMASHITA
山下保博
1960年鹿児島県奄美大島生まれ。芝浦工業大学大学院修了後、1991年に独立。都市の狭小住宅にてar+d世界新人賞グランプリ、英国LEAF Awards3部門最優秀賞、日本建築家協会賞、日事連建築賞、ARCASIA金賞受賞ほか多数。2013年に「一般社団法人 地域素材利活用協会」を設立し、さまざまな地域の素材や構法を再編集することにより仕事を生み出し、まちづくりに発展させる地域支援活動も行っている。2015年、多様な社会のニーズに応えるための奄美出身建築家のプラットフォームとなる「奄美設計集団」を設立。阪神淡路大震災、東日本大震災の復興を支援するNPO法人理事長、九州大学非常勤講師も務める。
みなさん、はじめまして。建築家の山下保博です。
〈アトリエ・天工人〉という建築設計事務所の代表として、
住宅や公共施設などの設計をしています。
特に都市の狭小住宅は、東京を中心にこれまでに250棟以上つくってきました。
しかし今回は、僕の設計とは少し違う活動である〈伝泊〉についてお話しようと思います。
〈伝泊〉は、“でんぱく”と読みます。伝統的、伝説的な古民家を探し出して、
改修することで宿泊施設としてよみがえらせ、
さらに地域のコミュニティとして開放する仕組みのことで、僕のつくった造語です。
その第1弾の宿〈伝泊 FUNA-GURA〉と〈伝泊 MAE-HIDA〉が、
奄美大島に2016年7月にオープンしました。
僕は鹿児島県の奄美大島出身です。
鹿児島市からは約350キロも離れた島々で、奄美大島本島は沖縄本島を除いては、
日本の中で2番目に大きな離島です。ちなみに一番大きな離島は佐渡島です。
人口は本島で6万人ほど、奄美群島全体で約11万人。
海に囲まれ、豊かな山もあり、独特の動植物などの手つかずの自然が今なお見られます。
そして、集落や古い民家が昔ながらの姿で残っている場所がいくつかあります。
手つかずの自然が多くのこる奄美大島。観光地化されることで本来の良さが失われることは絶対に避けたい。
その奄美が、この度ユネスコの世界自然遺産の登録候補になりました。
僕は2年半ほど前からリゾート施設をつくる仕事で奄美に帰るようになっていたのですが、
奄美らしいものを提供したいと思い、奄美の昔ながらの集落を新しいかたちで復活させようと、
奄美のいろいろな人にアイデアをもらってやっています。
そんななか、奄美でも空き家問題があって、
空いている古民家を何とかしてほしいと地元の方から相談を受けるようになりました。
お話を聞いたり、実際に空き家を見に行ったりするうちに、
「奄美大島の特徴のある建築を残して、
たくさんの人々に実際に利用してもらうことで、単なる建築の保存活動ではない、
“生きた保存・継承” ができないだろうか」と考え始めました。
たくさんの伝統的な民家や空き家になっていることがわかった。
そこで、まずはおおよそ50年〜100年前に建てられた民家を選んで、
奄美の伝統的な建築の条件を調べ上げました。
その条件に合った空き家を、一棟貸しの宿として改修することにしたのです。
奄美の特徴的な自然環境として、台風が多いことと、
ハブが生息しているという2点が挙げられます。
こうした環境で、いかに安全、快適に暮らしていくかという知恵が生かされているのが、
奄美の伝統建築です。僕の調べた奄美の伝統建築について具体的に説明します。
台風対策のため、敷地の周りは、最大瞬間風速40~60メートルの風に耐えうるための塀が設けられている。昔の素材は珊瑚石や生垣・防風林だったが、最近はコンクリートブロック塀も見られる。
敷地内には、母屋と水屋と家畜小屋、納屋、便所などがバラバラに3〜5棟配置されている。理由は、大きな建物は台風に対して弱いこと、建築に使える大きな材木が乏しかったこと、また昔から豊かではなく、外部からの影響も少なかったことから、建築技巧が低かったことなどが考えられる。穀物を貯蔵する倉で、湿気から穀物を守り、ハブ、ねずみなどの動物の侵入を防ぐための〈高倉〉が現存する家もあり、井戸も必ず設けられている。この写真は、実際に奄美にある、貯蔵のための倉。湿気や動物の外を防ぐために高くなっている。柱がツルツルしていて、ねずみやハブが登りにくくなっている。
庭には、井戸が必ず設置されている。
同じく風が強いこと、建築的な技術があまり発達しなかったことから、平屋がほとんど。屋根の形は、高倉から派生した〈入母屋造り〉や変形的な〈寄せ棟造り〉が多く見られる。
東南アジア地域特有の高床式が多く見られ、床の高さは60〜90センチメートル。高床の理由はふたつあり、湿気対策と台風の風を通過させることで建物が倒れないようにするためである。
奄美は、東南アジア地域からの影響で、束石(つかいし:床をを支えるための基礎)の上に乗せただけの柱が土台を貫通して梁まで伸びている〈ヒキモン構造〉が多く見られる。これも台風対策の一環で、足元周りや建物全体の強化をするための先人たちの知恵。
母屋の間取りはメインの部屋(オモテ)を外廊下で囲い込み、その廊下が玄関の役割も果たしている。最近では、廊下の先にトイレが多く設置され、台所は土間が多く、半屋外の作業場でもあったが、現在は床が張られ、台所や食事どころなっている場合がほとんどだ。
奄美は貴重な動植物に恵まれているが、いい木材はとれなかった。それでも、シロアリに強い曲がった柱や梁材をうまく利用して組み立てていつ。屋根は茅葺きだったが、現在では多くがトタン屋根に葺き直されている。清めのために庭に珊瑚石や海砂を敷き詰めた家もある。
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まず、島内の集落ごとに、伝統的な建築がどのくらい残っているのか調査していきます。
各区長に協力していただいて、スタッフとともに北から何か所かリサーチします。
親戚の誰かが奄美に戻ってくるために、数年前にリフォームしたものの、
そのまま空き家になっているような民家も何軒かあることがわかりました。
こうした民家を宿泊施設として使うためにお借りするのは、
通常はとても難しいのですが、
奄美出身である僕は親の代からの素性が明らかなことが役に立ちました。
山下家の誰々さんの息子で、東京で建築家をしている山下保博といえば、
奄美では知られているんですよ。
同行した区長も「よい仕組みだから」と住民に説明してくださり、
持ち主の協力を得て何軒か借りることができました。
スタッフとともにリサーチを行う。
住民向けの説明会では、思いのほか反対意見はありませんでした。でも、
「外部の人が新しいことを始めても、数年で撤退して放置されるのでは」
という懸念をもつ方が多くいらっしゃいました。
外からのお客さんが、本当に島のことを考えてくれるのかということに対して、
とても敏感なんですね。その点でも、僕が奄美出身で、
リゾート建設のほかにも、小学校でワークショップを開いたり、
奄美伝統の泥染めを使った素材を開発したりと、
既に奄美でいろいろな活動をしていることが、理解を得る助けになったのだと思います。
まず、借りられた空き家2軒を先行して改修を始めました。
50年以上経った家は、たいてい2、3回は増改築や改修が行われています。
たとえば壁の補修の場合は、奄美ではクロスを貼ったり、ペンキを塗ったりではなく、
プリント合板でそのままカバーしてしまうことが多いのです。
理由は、コストが安いこと、メンテナンスが簡単なこと、
技術がさほど必要でないことなどです。
まず、そんな壁をめくって古いものを出し、
良いものが出てきたらそのまま使う、良くない場合は木の壁をペンキで白く塗って消す。
〈FUNA-GURA〉の改修風景。現場で状況を見ながら、大工さんへ指示を出す。
そうやって現場で状況をみながら、古く戻しつつ、
ちょっと味つけして、宿として滞在したくなるような洗練されたデザイン空間に整える。
水まわりは、現代の人が快適に使えるように改修しますが、
デザインはできるだけシンプルに、伝統的な空間を邪魔しないように配慮します。
構造的なものは、耐震補強もしつつ、基本的には元の姿に戻します。
民家を含む集落全体が、ぼろぼろになってしまう前に、
もとの姿に返してコミュニティとして再生させたいという思いでやっています。
改修作業をしながら、いろいろなハプニングが起こります。
ある家では、3年前にリフォームして、とてもきれいな状態だということで借り受けたところ、
プリント合板を剥がしてみると、シロアリの被害を受けていたので、
駆除をし直す必要があり、工事が遅れてしまいました。
〈FUNA-GURA〉の改修時、壁をはがすと、シロアリ被害が広がっていた。
逆に、ある家では、石垣を一部壊してビーチに直接つながる通路をつくることができ、
70~80メートルにわたる海岸を、
まるでプライベートビーチのように使えることになったのはうれしいハプニングでした。
〈MAE-HIDA〉では、宿から直接ビーチへ続く道とつながった。
〈MAE-HIDA〉の家の別の場所にあったデッキを、庭側に移設。
こうした伝統的・伝説的な建築を残すという意味を込めて、
この仕組みを〈伝泊〉と名づけました。
奄美らしい、やさしくゆったりとした空気感を楽しみながら過ごせるように、
あえてすべての空間を使い果たすのではなく、余裕をもたせてプランニングしています。
島の知り合いの家に泊まっているような感じで、大切な人たちとのんびり過ごせるように、
でもWi-Fiがつながっていて、
ワインを飲みながらゆっくりできるような場所にしたいと考えています。
自然のなかで優雅に過ごしてほしい。(アトリエ・天工人スタッフによるスケッチ)
そして物件を探し始めてから約3か月を経て、
2016年7月にオープンしたのが〈伝泊 FUNA-GURA〉と〈伝泊 MAE-HIDA〉の2棟です。
どちらも築50年以上経過した古民家で、奄美空港から車で10分〜15分の集落にあり、
白砂の海岸まで歩いてすぐという立地です。
オープン準備。のれんは奄美の伝統的な草木染めである〈フクギ染め〉を連想させる黄色にした。伝泊奄美のイメージカラーにもなっている。
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〈FUNA-GURA〉とは、漢字で“船倉”と書きます。
海岸に船をしまうための船小屋があったことから名づけました。
〈FUNA-GURA〉の入口。奄美の知り合いのうちに泊まるような気持ちでどうぞ。
築50年以上経った、奄美の伝統的な一棟貸しの広いスペースには、
機能別に「食べドコロ」「寝ドコロ」「呑ドコロ」と名前をつけています。
「読みドコロ」で心置きなく読書を堪能したり、歩いてすぐのビーチを散策したり、
集落の中でのんびりと過ごす時間が、お客さまにとって、
慌しい現代の喧騒から離れた優雅なひとときになればと考えています。
それぞれの空間を「寝ドコロ」、「呑みドコロ」、「食ドコロ」と名づけた。
Wi-Fi完備の「読みドコロ」。奄美関連の本を集めて置いている。
〈MAE-HIDA〉は、“前肥田”と書き、集落の名前です。ガジュマルの林を抜けた集落に位置し、
宿から10メートルほど行くと、白い砂浜と高い透明度の美しい海が広がります。
まるでプライベートビーチのような感覚で過ごせます。
裏庭には大きなデッキがあるので、外で本を読んだり、食事をすることができます。
さらに地面がふかふかの砂浜になっていて、裸足で歩くこともできます。
MAE-HIDAの入口。外観はできるだけもとの姿にもどすことを心がけた。
デッキのある庭を見る。大きなクワズイモの葉とガジュマルがある。
MAE-HIDAの「寝ドコロ」。思う存分ゴロゴロできる。
宿の目の前に、プライベートビーチのような白砂の海岸が広がる。
建物は、持ち主の方からお借りして、宿としての運営も自分たちで全部しています。
そうしないと僕がやりたいこと、
つまり伝統的な建築や地域の雰囲気を守ることができないんです。
100年後200年後「あんないい場所があったのに」って、みんないつも言うんですよね。
僕は「昔はね、あそこよかったのにねえ」って言う立場になりたくないので、
自分でそれをやろうと思っています。
そして〈伝泊〉を、宿泊施設であると同時に
その地域のコミュニティの場所としても開放し、例えば小学生の学童施設になったり、
地元の人と観光客が一緒に宴会をできる場にして、地域の活性化につなげたいと考えています。
FUNA-GURAに、建築家仲間と地元の人たちが集まって座談会を行った。
島の女性たちが、美味しい島じゅうり(島料理)を準備してくれ、宴は夜更けまで続いた。
次回は、神の島と呼ばれる加計呂麻島で、
オープンしたばかりの〈伝泊〉についてお話します。どうぞお楽しみに。
農園直営のジェラート店〈La Fonte〉。奄美産の果物と砂糖を使っていて、自然の味と安心にこだわっています。伝泊から車で10分くらい。
information
伝泊 FUNA-GURA、MAE-HIDA(奄美)
宿泊予約などについては以下よりお問い合わせください。
電話:0997-63-2117(奄美設計集団内)※平日9:00〜18:00
メール:amami@den-paku.com
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