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加計呂麻島で映画舞台の民家が
宿〈リリーの家〉として
今夏オープン!
伝泊 vol.2

リノベのススメ
vol.149

posted:2017.6.23   from:鹿児島県大島郡瀬戸内町諸鈍  genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築

〈 この連載・企画は… 〉  地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。

writer profile

YASUHIRO YAMASHITA

山下保博

1960年鹿児島県奄美大島生まれ。芝浦工業大学大学院修了後、1991年に独立。都市の狭小住宅にてar+d世界新人賞グランプリ、英国LEAF Awards3部門最優秀賞、日本建築家協会賞、日事連建築賞、ARCASIA金賞受賞ほか多数。2013年に「一般社団法人 地域素材利活用協会」を設立し、さまざまな地域の素材や構法を再編集することにより仕事を生み出し、まちづくりに発展させる地域支援活動も行っている。2015年、多様な社会のニーズに応えるための奄美出身建築家のプラットフォームとなる「奄美設計集団」を設立。阪神淡路大震災、東日本大震災の復興を支援するNPO法人理事長、九州大学非常勤講師も務める。

伝泊 vol.2

こんにちは。一級建築士事務所アトリエ・天工人の山下保博です。
第1回目では、奄美の伝統的な建築の特徴と、
〈伝泊〉のはじめの2棟を立ち上げたお話を読んでいただきました。

〈伝泊〉は、“でんぱく”と読みます。伝統的、伝説的な古民家を探し出して、
改修することで宿泊施設として蘇らせ、
さらに地域のコミュニティとして開放する仕組みのことで、僕のつくった造語です。
その第1弾の宿が、奄美大島に2016年7月にオープンしました。
(詳しくは、第1回目にて

僕の原点は、生まれ育った奄美大島にあります。
豊かな自然を湛える奄美は、砂、土、石、海、そして動植物……とまさに素材の宝庫。
ここで育ったことは、間違いなく僕の礎になっています。

モノとしての素材も、知や時間という素材も、すべては地域の宝。
地域の素材を生かすという考え方をすると、空き家も地域の大切な資源です。
残っているものの7〜8割は残し、直せるところは補修して使う。
建物の保存だけではなく、それを利活用して経済がまわることが大切だと思っています。

今回は、現在改修中で、奄美群島内のひとつ、加計呂麻島にこの夏オープンする2棟と、
奄美市でオープンしたばかりの1棟についてお話します。

寅さんとマドンナの思い出の「リリーの家」

次の世代に残していくべき伝統的な古民家を探してリサーチを行っていた僕たちは、
奄美大島を離れて加計呂麻島へ渡りました。
実は、加計呂麻島の諸鈍(しょどん)という集落に
映画『男はつらいよ』の撮影に使われた家が残っているのです。

「リリーの家」と呼ばれるこの家は、渥美清主演、
シリーズ第48作『男はつらいよ 紅の花』(山田洋次監督)で、
寅さんとマドンナのリリーが暮らしているシーンを撮影した家です。
この家は、長い間地域の人たちや観光客からも「リリーの家」と呼ばれ親しまれています。

現在改装中のリリーの家。2017年夏にオープン予定。

でも何年も空き家になっていて、僕が家を見たときの第一印象は、
すたれてしまった、かわいそうな家という感じ。
さっそく持ち主を探しましたが、現在は行政に譲渡されているということがわかり、
役場でお話をうかがいました。

すると、地元の方や映画ファンから愛された家ではあるけれど、
修繕して保存するには費用がかかりすぎる。
しかし文化遺産というほどのものでもない、解体される危機に瀕していたのでした。
僕の伝泊の活動の話をすると、ぜひ一度見てほしいとのこと。

外部に2か所アルミのひさしが付いており、昔の外観を損ねている。

内部は、白アリの跡があったり、床が腐っていたり、ひどい状況でした。
しかし、今ならぎりぎり間に合いそう。
というよりも、今直さなければ壊すしかない、すぐにでも取り掛かる必要がありました。
それで僕が行政から借りて改修し、宿泊施設として運営すると同時に、
住民にも開放する場所にすることに決めました。

窓からは集落の様子が見える。

住民説明会を開き、集落の皆さんの意見を聞くと、できるたけ長く使ってほしい。
島出身者の人が面倒をみるのは良かった。住民にも開放してくれてうれしいというコメント。
地域おこし協力隊のサポートもあり、宿泊施設としてのほか、
ダンス教室や学童保育として使う案も出ているんですよ。

道を挟んで海が見える。広縁を増設中。

最後に、宿の名称をどうしようとなったとき、
集落からも親しまれている「リリーの家」という名前をぜひ使いたいと考えました。
それで、山田洋次監督へ「リリーの家」という名称を
使用させていただきたいとお願いに行ったところ、
監督もご快諾くださり、晴れて伝泊「リリーの家」としてオープンすることになりました。

諸鈍地区にある「寅さんは、今」の石碑。

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加計呂麻島のもうひとつの宿は?

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古来文化が色濃く残る集落の「海と星みる宿」

もうひとつは、同じく加計呂麻島の須子茂(すこも)という集落にある
築90年以上の民家です。
須子茂は、15世帯ほどの小さな集落で、
奄美のなかでも昔ながらの集落がもっともきれいなかたちで残っている場所です。

例えば、奄美の伝統的な住宅には、台風を避けるための塀が必ず設けられていますが、
須子茂では、ほかでよく見られるサンゴ石の塀ではなく、生垣が一般的なんです。
生垣は、たとえ空き家であっても、集落の人によって美しく手入れがされています。

生垣が美しく手入れされている。集落の目の前は白砂の海岸だ。

ほかにも、道の幅がほぼ昔のままであるとか、一部はアスファルト舗装に代わっているけど、
海砂やサンゴの舗装も残っているとか。
そして集落の中心に神様を祀る場が設けてあったり、
「神道(かみみち)」という神さまが通るための道が山から海へと続いていたり、
と、何百年も前から続いている古来からの集落の成り立ちが、ほぼ完璧に残っているのです。
こんな場所が残っていたとはと感激しました。

昔ながらの配置で住居が並ぶ集落。

集落の中心には、神様を祀る「アシャゲ」と呼ばれる建物が残る。

この集落は必ず残したいという思いで、空き家を見つけた僕たちは、
地域おこし協力隊にお願いして、家の持ち主を探してもらいました。

すると、持ち主のOさんの娘さんは、
アトリエ・天工人が東京でもお世話になっている
設備の販売会社の大阪支社にお勤めの方でした。

ご縁があるということで、空き家になっていたお宅を僕たちが伝泊として改修、
運営させてもらえることになりました。
幼い頃にこの家で暮らしたこともあるというOさんの娘さんも、
奄美出身の建築家が面倒を見てくれるのはうれしいと、ふたつ返事で承諾してくれました

内部はこぢんまりとして、使いやすそうなスケール感だが、かなり傷んでいる状態。

壁、畳、天井はすべてはがして、できるだけ元の姿に近づける。

五右衛門風呂が残っている。これも補修して使えるようにしたい。

この屋根の上に星見台をつくる予定。

この家は、海に面して建っていて、夜になると満天の星が降り注ぐんです。
それで「海と星みる宿」と名づけました。
屋根の上に星見台をつくる予定です。
夜そこで海と星を眺めながらお酒を飲むと至福の時を過ごせますよ。

「海と星みる宿」の目の前はビーチ。星見台ができたら、ここでお酒を飲むのが楽しみ。

のんびりとした集落のバス停。

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奄美の伝統建築を生かして

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地域の伝統を受け継ぐ「高倉のある宿」

最後に奄美大島にオープンしたばかりの伝泊を紹介します。
こちらは名前の通り、庭に伝統的な高倉が残っている家です。
高倉とは、穀物などを貯蔵する倉のことで、湿気や動物の害を防ぐために高くなっているもの。今では、トタン屋根に葺き替えられたものも多く、
昔からの茅葺屋根の倉は少なくなってしまいました。

空き家リサーチを続けるなかで、奄美空港からほど近い須野という集落に、
見事な高倉が残っている家を見つけました。
その家は、近くで道路工事が行われているため、工事現場事務所として使われていました。
さっそく持ち主のHさんに交渉して家を見せていただきました。

改修前の住宅部分。トタンやべニヤで補修を重ねた状態だった。

室内には生活していた当時の調度品などもそのまま残っていた。

Hさんのお話では、この立派な高倉を残したいので、庭の掃除はかかさず行ってきた。
しかし家のほうは古すぎて、住宅として使うのは無理だろうとあきらめていたそうなのです。
僕が建築の専門家の目で見てみると、
まだまだ補修をすれば宿として生き返らせることができそうです。
Hさん家族は、お祭りや行事のときには、
高倉のある庭を集落に快く場所を提供されてきたそう。
高倉の周りで集落の伝統的な踊りの練習が行われたりしてきたのです。

Hさんのお母さんが、高倉を残したいという思いがあり、
ご家族で相談して、奄美パークの高倉を修繕したメンバーにお願いして、
高倉の葺き替えをしたとのこと。若い人たちも一緒に茅葺を葺き替えたり、
スズメの巣ができないようネットをかぶせたりして、みんなで手入れをしてきました。

Hさんご家族(お母さん、3名の息子さん、そのご家族)と葺き替えの作業を手伝った若者たち。

おじいさん、おばあさんが生きていた頃の思い出のある家と、大切に守ってきた高倉。
そこが〈伝泊〉としてよみがえり、ゲストに使ってもらってにぎやかになることを、
Hさんは楽しみにしてくれています。

住宅部分も改修して元の姿に近づき、Hさんにも喜んでいただいた。

高倉の下で飲んだり食べたり、のんびりと島の空気を楽しんでほしい。

畳の上でゴロゴロできる広々とした〈寝ドコロ〉。

読書にぴったりの〈読みドコロ〉。Wi−Fiあります。

調理器具、食器、調味料が揃った、〈食べドコロ〉。

洗面所は明るく、清潔に。

この切り絵は3枚あり、1枚はHさんがご実家に飾られています。
2枚目は、高倉のある家を引き継いだ三男のお宅に、3枚目を伝泊に提供してくださいました。
3枚目の絵は、内地の兄弟へ送ろうと考えていらしたそうですが、
今回「高倉のある宿」として、ご実家が蘇ることを喜んでくださり、
宿に置いてもらうのが良いだろうと申し出てくださいました。

改装された床の間。以前Hさんの息子さんの習字が貼ってあった場所に切り絵を飾る。

そのままの奄美の体験できる場所へ

ハワイのオアフ島、ハワイ島、カウアイ島など、
島により雰囲気が異なるのと同じように、奄美も島により特色があるんですよ。
例えば、奄美大島は緑が多く山深い、群島の政治・経済・文化の中心。
ほかにも闘牛で有名な徳之島、リゾート観光地として知られる与論島など……。

僕は、〈伝泊〉を通じて、
いままでになかった奄美群島の文化継承のオリジナルモデルをつくりたいと思っています。
ぜひ、みなさんも奄美にいらして、
〈伝泊〉に泊まって、集落の生活を体験してみてくださいね。

僕のエネルギーの源は? と問われれば、やはり奄美でしょうね。
奄美の海は30年ほど前にサンゴの白化現象が起きて、
僕が知っていたはずの海もずいぶんなくなってしまいました。
海辺もどんどんコンクリート化されている。

自然が失われていくことへの危機感、悲しさがベースにあるんですよ。
それと、奄美はさまざまな国の領土とされ、追いやられてきた歴史があります。
そのことに対する根っからの反発心というか……。
僕が「みすてられたもの」にこだわり、
なんとか日の目を見させようと走るのは、その血がたぎるから。

空き家の前で猫はのんびり。

建築に携わる人間として思うんですよ。これからの建築は、
そこに住んでいる人々や地域、そして自然から祝福されるべきものでなくてはならないと。
そのためのチャレンジを続けていきたいし、
僕はただシンプルに、「本当に世の中が幸せになることは何か」を追求していきたいのです。

加計呂麻島では誰もが知っている、島民の味方、移動トラックスーパー〈とらや〉。

ほかにも、地方で閉鎖になったデパート跡地の有効活用であるとか、
あれこれ相談を受けることがあります。
こうなると「何屋さんですか?」という話になりますが(笑)、
僕は建築家って、社会に対して利益の還元を総括的に行う職業だと思っているし、
またそれができる職能を有しているじゃないですか。その本懐をまっとうしたいと思うのです。

加計呂麻島 諸鈍地区のデイゴ並木の中程にある、喫茶〈ホットリップス〉。リリーの家から歩いて1分。

加計呂麻島へは、奄美大島の瀬戸内町の古仁屋港から、フェリーか海上タクシーで。生間(いけんま)港まで15~20分で到着。

information

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伝泊「高倉のある宿」(奄美大島)
伝泊「リリーの家」「海と星みる宿」(加計呂麻島)

TEL:0997-63-2117(奄美設計集団内)※平日9:00~18:00

メール:amami@den-paku.com 

宿泊予約などについては上記よりお問い合わせください。

http://den-paku.com/amami

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