連載
posted:2018.2.1 from:北海道古宇郡神恵内村 genre:暮らしと移住 / 食・グルメ
sponsored by 岩内町、神恵内村、泊村
〈 この連載・企画は… 〉
北海道の南西部に位置し、日本海に囲まれた積丹半島。
まるで南国のようなコバルトブルーの海が広がり、手つかずの自然と、神秘的な風景が残っています。
なぜ、積丹の海はこんなに青いのか? この海とともにどんな暮らしが営まれてきたのか?
この秘境をめぐるローカルトリップをご案内します。
writer profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
photographer profile
Tada
ただ
写真家。池田晶紀が主宰する写真事務所〈ゆかい〉に所属。神奈川県横須賀市出身。典型的な郊外居住者として、基地のまちの潮風を浴びてすこやかに育つ。最近は自宅にサウナをつくるべく、DIYに奮闘中。いて座のA型。
http://yukaistudio.com/
ウニ、イクラ、サケ、カニ、ホッケなど、数多ある北海道の海産物のなかで、
海苔のイメージはあるだろうか。
実は北海道の多くの日本海沿岸の地域では天然の岩海苔が採られている。
しかし天然ものゆえに少数ロットしか生産されず、
ほとんどは地域内消費に終わってしまっている。
札幌にすら、あまり流通していない状況だ。
積丹半島にある神恵内村(かもえないむら)も然り。
そんな地元の海苔のおいしさを広く伝えたいと、
Uターンで神恵内村に戻ってきた〈いちき岡田商店〉の岡田順司さんは、
地元で食料品などを販売する商店経営のかたわら海苔づくりを始めた。
「沿岸地域の人たちにとって、
この時期においしい海苔が食べられることは常識です。
それを神恵内の価値として、世に出したいと思いました」
と、きっかけを話してくれた岡田さん。
高校から札幌に出て、そのまま大学に進学した。
大学ではヒップホップダンスに目覚め、踊りに明け暮れる毎日。
そのときの経験を生かし、現在でも村の子どもたちにダンスを教えている。
積丹周辺の学校の先生にも、年数回、指導に行くこともあるという。
そんな異色のセンスと派手なルックスを携えて、
神恵内村に戻ってきたのは約10年前、25歳の頃だ。
「戻ってきたときは、村に活気がないと感じました。
経済循環も悪いし、疲弊している。
対外的に“神恵内”という名前の認知度が低かったことも問題でした」
海苔業の担い手も少なくなっていた。
岡田さんが師匠と呼ぶ3人は50代、60代、80代。
だから30代の岡田さんが技術を受け継いでいくことに意味がある。
そして海苔を広めていくことにより、神恵内村のブランディングができて、
知名度を高めていくことができる。そんな思いで海苔づくりに乗り出した。
大寒の頃の天然岩海苔が、一番品質が良いとされている。
だから地元では「寒海苔」と呼ばれている。
そこで岡田さんは、神恵内の「神」の字を用いて
〈神海苔〉(かんのり)と名づけた。
「養殖に比べたら、天然海苔は風味が10倍良い」と表現する岡田さん。
「師匠からは、海苔を採るときにその場でちょっと食べてみて、
おいしかったら採ればいいと教わりました。
その場で食べてみると、爆発的な磯の香りがしますよ」
〈神海苔〉のつくり方を教えてもらった。
まずは海で岩海苔を採る。
海苔漁が漁協から許可されているのは、12月下旬から4月末までの7〜12時。
真冬なので、厳しい寒さとの闘いだ。
波打ち際の岩場に張り付いている岩海苔を見つけては、剥していく。
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手には、軍手の上に手術用のビニール製手袋、その上にさらに軍手という3枚重ね。
濡れることが一番体温を奪われる。
岩海苔は足下にあるので、作業中はずっと中腰。
時にその背中を、日本海の荒波が超えていくこともある。
「大きくて乾いた海苔を見つけると興奮しますね。一気にベリベリと剥しやすい。
その代わり、岩の表面も一緒に取れてしまうので、
あとで小石を取り除く作業が大変です」
海から採ってきた海苔は、まずは手作業で石取り。
そのまま包丁で細かく細断すると刃を傷めてしまうのと、
最初の段階で、大きめの小石はすべて取り除いていく。
そして、大きな包丁で細断していく。
機械で切るよりも手で切ったほうが、風味が出るという。
次に細かく切った海苔を洗っていく。桶の中で洗うと、小石や砂がたくさん沈む。
目に見えないような砂粒でも、口に入れると気になるもの。
これを何度も何度も繰り返して、完全にゴミを取り除かなくてはならない。
岡田さんは、生海苔を冷凍保存しておいて、
シケて漁に出られないときなどに加工に回すなどの工夫をしているようだ。
海苔を洗い終わったら次の工程。
水の中に、“すだれ”(地域によっては“海苔す”とも呼ばれる巻き簾のような道具)
を浮かべて、その上に置いた木枠に海苔を流し込んでいく。
木枠の大きさが〈神海苔〉1枚のサイズになるというわけだ。
このとき海苔をいかに均一の厚さにできるか。
薄過ぎても穴が開いてしまうし、厚みが出ても食感が悪い。
この作業は、まるで和紙をつくっている職人のように見える。
均一に海苔を広げられたら、次にすだれごと干す。
寒い場所に2〜3日間、室内に2日間。自然乾燥で合計4〜5日間かかる。
急激に乾燥させようとすると収縮率が大きく、穴が開いてしまうことがある。
繊維の長い糸状の海苔などをうまく混ぜて、薄過ぎず、厚過ぎず、
そして均一にしていくのが匠の技だ。
すだれは、地元では“ムロツ”や“モロツ”と呼ばれる、
イネ科のハマニンニクという植物を編んだもの。
これだと吊るしても不思議と海苔がはがれ落ちないという。
ハマニンニクは秋口に採っておいて乾燥させたものを、自分で編んでいる。
それも海苔づくりの一環だ。
岡田さんは2016年度から海苔業を始めたばかり。
海苔づくりを始める際、まず周囲の海苔漁師に相談した。
漁に一緒に連れて行ってもらい、必要な道具や海苔づくりの手ほどきを受けた。
後継者不足をみんな認識していたので、丁寧に教えてくれたという。
昨季は、1日に最大で約3.5キロの生海苔が採れた。
これで約30枚の海苔がつくれる。昨季は合計で200枚の海苔をつくることができた。
今季は500枚が目標だ。
ちなみに岡田さんがカリスマ海苔漁師と呼ぶ師匠夫婦は、
1シーズンに約1600枚程度。
手作業なのでそれほどたくさんつくれないにもかかわらず、
地元の人たちは100枚単位で買っていく。
なかなか地域外に流通しないのも納得できる。
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岡田さんの本職は〈いちき岡田商店〉なので、配達で方々を回ることも多い。
岡田さんが海苔業に乗り出したことも、村民はみんな知っている。
そのなかには過去に海苔をつくっていたおばあちゃんたちも。
「配達のときに海苔づくりの思い出話をしてくれたり、
応援してくれる顔を見るのが好きです」と言う岡田さんも笑顔。
後継者問題はみんなが気にしている課題だ。
〈神海苔〉を通したコミュニケーションは、こんなところへも波及しているようだ。
2017年、札幌で行われた物産イベントでは2日間のつもりで用意した100枚が、
初日の2時間で売り切れてしまった。
神恵内に住んでいる岡田さんでも、
海苔でご飯を巻いて食べるのはぜいたくなことで、
「小さくちぎってご飯全体にまぶして醤油をかけて食べます」という。
沿岸地域に住んでいる人たちにとって、天然海苔は最高の「毎日の食事」だ。
2017年のゴールデンウィークには〈神海苔フィーユ弁当〉を売り出し、
神恵内村に100組以上の行列を生み出した。なんと3段重ね!
シンプルないわゆる「のり弁」だが、それだけに海苔の味が際立つ。
「地域外に売り出すと同時に、
神恵内村に人を呼び込むきっかけにできればと思っています。
そして村にもゆっくりと滞在してもらいたい」
岡田さんは、村の商工会青年部の部長であり、
〈神恵内魅力創造研究会〉という有志団体としても活動している。
そして〈神海苔〉という最高の武器を手に、
神恵内村の新たな魅力を発信し、ブランディングに挑む。
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いちき岡田商店
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