こんにちは。一級建築士事務所アトリエ・天工人の山下保博です。
第1回目、第2回目を読んでいただいた方には、
僕の故郷である奄美大島の魅力を十分にお伝えできたでしょうか?(笑)
伝統的、伝説的な古民家を探し出して、改修することで宿泊施設として蘇らせ、
さらに地域のコミュニティとして開放する仕組みを〈伝泊〉(でんぱく)と名づけて
活動しています。これまで奄美で5棟の古民家を宿泊施設としてオープンしました。

今回オープンした伝泊・佐渡の〈ぐるり竹とたらい湯の宿〉の外観。どんな宿になったのかは記事後半で。
第3回では、スタートしたばかりの佐渡島の伝泊について、お話します。
新潟県の佐渡島は、沖縄本島を除くと日本で一番大きな島です。
面積は東京都23区がすっぽりと入ってしまうほどの大きさ、人口は約57000人です。
歴史的には流人の島として日蓮聖人や世阿弥などが足跡を残した地であり、
江戸時代からは金山が大いに栄えました。
日本の地形の縮図であるとも言われる豊かな自然、
能や民謡〈佐渡おけさ〉、郷土芸能〈鬼太鼓〉(おんでこ)など
多彩な伝統文化も伝わる島です。
僕が初めて佐渡を訪れたのは2016年の12月のこと。
真冬でしたから、「寒いところに来たなぁ……」という印象でした。

佐渡と言えば金山で有名。史跡〈佐渡金山〉。
伝泊・佐渡スタートのきっかけは、若い建築家の仲間、
〈andfujiizaki 一級建築士事務所〉(以下アンドフジイザキ)の
藤井千晶さん、井崎恵さんとの出会いです。
藤井さん、井崎さんは、東京に事務所を置く建築家ですが、以前から佐渡の空き家調査や、
廃校になった小学校の利活用プロジェクトで佐渡と東京を行き来していました。
すっかり佐渡に魅了されていたおふたりから、
佐渡でも空き家を活用した伝泊ができないかと相談されたのが始まりですね。
そして3人で、佐渡のいろいろな空き家のリサーチを始めたのが今年の2月でした。

アンドフジイザキのふたりと佐渡の空き家をリサーチして歩いた。(photo:2017 Morto Yoshida)
奄美の伝泊と同じく、コンセプトは50年以上経った佐渡島の伝統的な建築が対象です。
僕たちが考える佐渡島の伝統建築とは、どのようなものかを7つに分けて紹介いたします。

佐渡では、漁村部、農村部、町屋によって習慣や生活がさまざまであるが、
その違いが建物の配置に表れており集落ごとに特徴のある建物配置になっている。

神棚があり、ハレの日などの宴会に使われた。囲炉裏や天井は
吹き抜けになっている場合が多く、家の中心にあたる。
普段は居間として使われている場合が多い。

あてび、ケヤキ、地松などの佐渡の木材が多用されている。
大断面の大黒柱や貫が露出されているのも特徴のひとつ。

入口から裏口まで土間が続く通り土間。町屋の長屋にも多く見られる。

光沢を持つ黒い能登瓦、薄く割った木羽を何枚も重ね、
その上に石を置いた木羽葺石置屋根、そして茅葺きなどがある。

海風から家屋を守るため、多くの建物は、外壁は縦板張りである。
屋根の「へ」の字部分である破風(はふ)は木の根元部分を生かし、
棟にむかって太くなっているなどの特徴が見られる。

周囲を海に囲まれ、大佐渡小佐渡の山からの吹き下ろしの風も受ける佐渡島では、
防風林や竹柵が集落や家の周囲に備わっている場合が多い。
佐渡の南部には、宿根木(しゅくねぎ)という地域があって、
重要伝統的建造物群保存地区に指定されていて、独特の古いまち並みが保存されています。
しかし、そういった保存地区以外の家やまち並みも本当に美しいんです。
佐渡の人たちが、集落のなかで協力しながら大切に守ってきたのだなあということが、
非常によくわかりました。

宿根木のまち並み。
そうしたリサーチのなかで僕たちが心惹かれた場所のひとつに、
松ヶ崎という集落があります。「屋号の里」として知られていて、
それぞれの家は「源太郎」さん、「権右エ門」さんなどと今でも古い屋号で呼び合っています。
まち並み再生の取り組みにより統一感ある外観となっており、
家ごとに屋号の看板をつくったり、漁具や古民具などを玄関の外に飾ったりと、
住民が一体となってさまざまな取り組みが行われている集落のひとつです。

松ヶ崎の集落。


屋号の名前も看板の形も個性豊かで見応えがある。
今回の伝泊に選んだのは、築100年以上といわれる「カネモ」という屋号の民家で、
以前は衣料品店として使われたこともある建物です。内部は非常に状態が良く、
広さもプランも申し分ない。
お店屋さんらしく玄関横にはかわいらしいショーウィンドーが付いています。

空き家でもショーウィンドーに小物が飾られている。(photo:2017 Morto Yoshida)
何よりもすばらしいのは、カネモの建物の管理を任されている本行寺の住職さんをはじめ、
向かいの海産物加工販売〈菊池商店〉のご主人など集落の方々、
周辺に在住されている元地域おこし協力隊のメンバーや、行政の方も含めて、
多くの人たちが伝泊を歓迎してくれ、協力を申し出てくれたことです。
アンドフジイザキとアトリエ・天工人で共同で「カネモ」を借り、
伝泊として運営していくことが決まりました。
奄美の伝泊と同じように、建物をできるだけ元の姿に戻しながら、
水まわりなどは快適に使えるように清潔で
使い勝手の良いものに変えていくというポリシーのもとに改修が始まりました。
僕が全体のディレクションを行い、アンドフジイザキのふたりが、
女性らしい感性で細部まで気配りの行き届いた図面を描き、
何度も佐渡と東京を行き来して、僕たちと現地の間の調整もしてくれました。
工事中は、多くの集落の方がボランティアで作業を手伝ってくださったり、
毎日のように工事の様子を見に来てくださったり。

大工さんや左官屋さんと、ひと仕事終われば宴会になることも。