連載
posted:2017.6.27 from:北海道岩内郡岩内町 genre:ものづくり / 活性化と創生
sponsored by 岩内町、神恵内村、泊村
〈 この連載・企画は… 〉
北海道の南西部に位置し、日本海に囲まれた積丹半島。
まるで南国のようなコバルトブルーの海が広がり、手つかずの自然と、神秘的な風景が残っています。
なぜ、積丹の海はこんなに青いのか? この海とともにどんな暮らしが営まれてきたのか?
この秘境をめぐるローカルトリップをご案内します。
writer profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
photographer profile
Tada
ただ
写真家。池田晶紀が主宰する写真事務所〈ゆかい〉に所属。神奈川県横須賀市出身。典型的な郊外居住者として、基地のまちの潮風を浴びてすこやかに育つ。最近は自宅にサウナをつくるべく、DIYに奮闘中。いて座のA型。
http://yukaistudio.com/
周囲を海に囲まれた北海道の積丹半島には、
海の幸がおいしいというイメージを持つかもしれないが、春は山菜もおいしい。
山に山菜採りに出かける趣味を持つ人も多い。5月頃は、姫竹(根曲がり竹)がよく採れて、
身欠きにしんと一緒に煮物に使われたりする。
そんな積丹周辺の山菜採り愛好家に人気なのが、〈村本テント〉の山菜リュックだ。
山菜はひとつひとつは小さいが、たくさん採ると、ずっしりと重くなる。
そんなときにも背負いやすく、耐久性があると人気なのだ。
岩内町に〈村本テント〉の店舗と工房はある。
現在4代目の村本剛さんとその家族で営んでいる。山菜リュック自体に定義はないが、
いろいろなメーカーから「山菜リュック」という名称で発売されている。
要は山菜採りに適したリュックということ。
「もともとは2代目、つまり祖父の代から山菜リュックをつくり始めました。
近くに営林署があって、そこに納めていたこともあるようです。
少しずつ改良を重ね、現在の形になりました」と語る村本 剛さん。
山菜は湿っているので、水抜き用の穴が空いている。
また重くなったときに肩への負担が軽減されるように
ショルダーストラップにフェルトを付けている。
修理もするし、お客さんからの要望があれば最大限応えていく。
こうした工夫は、ユーザーとのコミュニケーションの賜物。
その結果、使い勝手のよい山菜リュックへとアップデートしていった。
「革の部分が水に弱いので修理交換したり、
ポケットがサイドに付いていると薮の中では邪魔だから前面に移したり。
パーツの増減もありました。すべてお客さまの声のおかげです」
耐久性が求められる山菜リュックには、業務用の強くて固い生地が用いられている。
そうした生地は、実は〈村本テント〉のもうひとつの顔が関係している。
「トラックやダンプカーを覆うシートや
コンクリートミキサー車に使われるカバー、重機を覆うシートなど、
建築現場や運輸関係で使われる業務用のシートやカバーを製作しています」
テントといっても、アウトドア的なそれではなかった。
タフなコンディションで高い安全性が必要な商品に使う生地は、
山菜リュックにも適した生地だったのだ。
こうした素材が身近にあったことも、山菜リュックが生み出された要因のひとつだ。
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明治44年、初代が始めたのは馬具店だった。
2代目からはテント業をスタートし、同時にリュックも少しずつつくり始めた。
「時代に合わせて業態を変化させてきました。
テント業と並行して、3代目の父の代からは綿帆布バッグもつくり始めました。
当時はひとつつくってひとつ売る、という程度の規模でした。
しかし時代の流れから、公共事業が減ってシート類の需要が少なくなったことが影響し、
バッグ製造業にも力を入れていくことになりました」
剛さんは、岩内から札幌に出て、営業職のサラリーマンをしていた。
岩内に戻ってきたのが約8年前。
地元の祭りやイベントなどで帰省したときに家業を手伝っていたことを通して、
少しずつものづくりへ意識が目覚めてきた。
「そのまま札幌での仕事を続けていれば、それなりの役職になれたかもしれません。
しかし、工場でつくったものを販売する仕事だったので、
売るものに愛着を感じることもできず……。
不毛に思うことも多くなり、手応えみたいなことを感じられなかったんです。
それよりも、自分でつくったものを自分で責任を持って売る、
というものづくりをやりたいという気持ちが強くなってきました」
そこからつくり方を勉強した。いや、剛さんいわく「やらざるを得なかった」。
当時は父親とふたりだったので、とにかくやりながら仕事を覚えたという。
「新品バッグをつくる仕事もありましたが、シート修理などの仕事も多かったです。
修理は決まりきったものではないだけに、とても勉強になりました。
新品の売り物とは求められることが違いますから」
次第に専門的な素材ではなく、
通常の帆布などを使った、よりカジュアルで一般的なバッグもつくり始める。
「現在あるラインナップのなかにも、『こういうバッグをつくってほしい』と
お客さまから言われて定番化したものがたくさんあります。
少しずつ改良を施し、クオリティも高くなっています」
そもそもシートやカバーの仕事も多くはオーダーメイド。
現場に行って、採寸し、つくり上げる一点もの。
そのなかで、営業職経験も手伝って、
ユーザーの目線や使いやすさの意味などを吸収していった。
「みなさん、ぴったりサイズでつくりたがるんですよね。
でもそれではカバーとして掛けにくいし、複雑な形にすると壊れやすい。
だからなるべくシンプルにしたほうがいいと交渉します。
そのほうが、実際に壊れにくく長持ちします。
以前はお客さんの要望に100パーセント答えるという職人的な考え方でしたが、
それで価格も上がって壊れやすかったら意味がない。
それできちんと話すようにしたんです」
そうした修理やオーダーメイドの哲学がバッグのディテールにも生かされている。
少しずつ通常のバッグも注目されてきた。
最近ではビームスとコラボレーションしたバッグもある。
現在では40〜50種類のバッグがある。
それでも〈村本テント〉の真髄はオーダーメイドだ。
工房に貼ってあった発注表を見ると、全国からオーダーが来ていることがわかる。
観光客が店舗を訪れて、オーダーしていくことも多いようだ。
しかし今オーダーしても、完成は2018年6月末とのこと……。
「現在発売しているバッグの生地やボタンを変更したり、
パーツや糸の色を変更したいというパターンオーダーのようなものから、
自分が持っているバッグと同じようにつくってほしいというフルオーダーもあります」
こうしたオーダーを可能にしているのも、
シートやカバーで培ってきた技術力はもちろん、
お客さんの声を取り入れてきた真摯な姿勢によるものだろう。
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シートやカバーは業務用なので、バッグをつくり始めるまでは、
〈村本テント〉の業務は、いわゆるエンドユーザーには伝わりにくかった。
店舗と工房をリニューアルし、この地にわかりやすく構えること。
すると地域住民にも知られるようになり、交流も深められていく。
「娘のお母さん仲間も来てくれるようになりましたし、
地元の若い人から年配の人までバッグを買いに来てくれるようになりました」
今では地元幼稚園の卒園記念バッグ、
岩内最古の寺院〈帰厚院〉のクラウドファンディングの返礼品、
地元の〈カネタ吉田蒲鉾店〉とのバレンタインギフト用のバッグなども製作するようになった。
「地元コラボをもっと進めたい」と剛さんは希望を持つ。
地域に根ざして、住民の声に耳を傾けると、ステキなバッグができあがる。
山菜リュックが利用者の声を取り入れているように、
店舗も住民との関係性で成り立っていく。
だから地域が自慢できるブランドになっていくのだろう。
information
村本テント
住所:北海道岩内郡岩内町字万代13-1
TEL:0135-62-0503
営業時間:8:30〜19:00(日曜日は〜18:00)
定休日:不定休(11月〜3月は水曜定休)
※山菜リュックの製造は6月いっぱいで一旦終了となりますので、在庫に限りがあります。年明けよりまた製造・来春より販売予定です。
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