連載
posted:2017.8.22 from:北海道古宇郡泊村 genre:暮らしと移住 / 活性化と創生
sponsored by 岩内町、神恵内村、泊村
〈 この連載・企画は… 〉
北海道の南西部に位置し、日本海に囲まれた積丹半島。
まるで南国のようなコバルトブルーの海が広がり、手つかずの自然と、神秘的な風景が残っています。
なぜ、積丹の海はこんなに青いのか? この海とともにどんな暮らしが営まれてきたのか?
この秘境をめぐるローカルトリップをご案内します。
writer profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
photographer profile
Tada
ただ
写真家。池田晶紀が主宰する写真事務所〈ゆかい〉に所属。神奈川県横須賀市出身。典型的な郊外居住者として、基地のまちの潮風を浴びてすこやかに育つ。最近は自宅にサウナをつくるべく、DIYに奮闘中。いて座のA型。
http://yukaistudio.com/
積丹半島の夏を感じる海の幸といえば、なんといってもウニである。
泊村のウニ漁は毎年7月半ばから始まる。
古宇郡漁業協同組合の泊地区青年部長で第八哲栄丸を駆る
小塚哲弘さんのウニ漁を見せてもらった。
ガラス箱で海底を覗きながら“タモ”と呼ばれる柄の長い網でとる、伝統的な漁法だ。
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新鮮さが大切なのは言うまでもない。朝とれたウニはその日のうちに殻を割り、
むき身にされて出荷される。大抵は、
番屋(作業小屋)で家族や親類などの近しい人たちと作業にあたっている。
ウニにおいてはとることと同等かそれ以上に、ウニ剥きの作業が大変だし、重要だ。
泊村の漁師たちは、ずっとこうして暮らしてきた。
小塚さんの番屋には、7人ほどが分担して作業にあたっていた。
まずはウニの口から半分に割る。
割る担当は、とにかくどんどん連続で割っていく。
割られたウニから、小さなスプーンで身を取り出していく。
取り出した身には、食べている海藻などが黒い内臓となって付着している。
わずか数センチのこれらを取り除いていくのだから大変だ。
きれいに取らなければ商品価値は下がってしまう。
試しに作業させてもらったが、商品となるウニ自体を傷つけないように
ていねいにやらないといけない。売り物にならなくなってしまう。
思ったよりも、ウニの身に内臓が食い込んでいるのだ。
身を傷つけないようにと思うと、手がプルプルと震えてくる。
難しいというよりも、とても根気がいる作業だと思った。
しかしあまりゆっくりやっていてはダメだ。
ひとつのウニから取れる身はたったの5つしかないのだから。
青いケースに山と積まれたウニたちをどんどんやっつけていかなくては、仕事にならない。
みなさんは、すべての作業がさすがにすばやい。
「何十年もやってもらっているベテランばかりです。休日などになれば、
子どもたちも手伝ったりして、本当に家族総出という感じですね」
こうしてたくさんとれたとしても、むき身にすればわずかばかり。
しかもすべて手作業だ。
ウニ丼ひとつに、いったい何個のウニと、どれだけの労力が必要なのか。
一方、積丹半島はもちろん北海道では、塩水ウニという状態で売られている。
その名の通り、塩水に浸けられたパックに入ったものだ。
ウニは、現地で食べると圧倒的に味が違う。都会でウニが苦手だった人も、
「これなら食べられる」という声も実際に多いようだ。
「今年は身入りがいい」と小塚さんはいう。
しかし、20年ほど前からウニの漁獲量は年々、減少傾向だ。
「僕が始めた頃、そしてもっと昔の話を聞く限りでは、
ウニのとれる量は年々少なくなっています。
そしてひとつひとつも小さくなっています」という小塚さん。
今でも一緒にウニ割りをしている小塚さんのお母さん、喜見枝さんも、
「昔はとれてとれて、さばききれないくらいだったんだよ」という。
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ウニのエサは、昆布やワカメなどの海藻類。
このエサが育たない「磯焼け」という状態が近年続いているのだ。
その理由を〈泊村栽培漁業センター〉の安田拓さんが教えてくれた。
「ひとつには水温の上昇があります。昆布の芽が出るのは1、2月ですが、
通常その頃は、ウニはあまりエサを食べません。しかし海水温が高いため、
ウニが活動的になっていて、若い芽の状態で食べてしまうのです。
それで昆布が育たない状況になっています」
小塚さんも「今年(2017年)は最近まで海水温が上がらずに、
海水浴ができないんじゃないか」と言っていた。
今年の低水温はウニにとってはたまたまいい環境だったのだ。
こうした近年のウニが減っている状況から、泊村栽培漁業センターではウニを採卵し、
稚ウニに育ててから海に放流するという活動をしている。
まず6月頃、ウニから採卵し、受精卵をつくって孵化させる。
18〜20日間で卵からウニの形になってくると、新しい水槽に移して生育させていく。
エサはアオサからだんだんと昆布などの大きなものへと変えていく。
初夏に採卵してから1年弱、5〜10ミリほどに育つと出荷となる。
泊村栽培漁業センターでは、泊村以外にも道内7か所、合計200万粒の稚ウニを出荷している。
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こうした漁業の簡単ではない状況が影響してか、
泊村でも漁師の数は減っているという。小塚さん自身も
「親も継がせたくないんじゃないかな。
僕も子どもの頃は漁師になるつもりはありませんでした。
すごく船酔いする子どもでしたし(笑)」という。
それでも小塚さんは漁師になった。
「泊村は、にしん漁の頃から漁業で栄えたまちでしょ。
それを絶えさせるわけにはいかないんですよね」
これがその地域で生まれ育った人の、地元への思いなのかもしれない。
現在では、泊村の外からも3人が働きに来ているという。
「職業フェアのようなもので募集すると応募は来ますが、
思い描いていた漁師のイメージとは違うのか、
すぐに辞めてしまう人も多いですね。漁師はとって終わりではないし、
準備にも時間がかかります。地味な作業も多く、決して華やかな職場ではありません」
特にウニ漁の場合は、後作業に時間がかかる。
準備からきれいに後片づけるまでが、漁師の仕事。
そんな漁業の実体を知ってもらうために、今では青年部として
泊村の小学5年生の生徒たちに漁業の授業をしているという。
近海でとれるものや漁師の仕事の1日の流れを教え、
実体験として浜に来て漁の準備、沖にも連れて行く。最終的には出荷まで教える。
「泊村に住んでいるのに、食卓以外で魚を見たことがないなんて
子どももいます。だから授業のときの“食いつき”はすごくいいですよ。
今のうちは『漁師になりたいひと〜?』と聞くと、ほとんどの子どもが手を上げてくれます。
この純粋な気持ちが薄れないように努力していきたいですね」
漁業や漁師が「あこがれの仕事」「やりがいのある仕事」の対象であるためには、
漁師を続け、そして稼がなくてはならない。そのためにはウニや魚が育つように、
海や周辺環境の保全にも取り組んでいかなくてはならない。
特に泊村では、ウニ、ナマコなどの栽培漁業にシフトしてきているので、
より海域やそこに棲む生き物への理解を高める必要がある。
漁業という伝統文化を継いでいくために、
そしていつまでもおいしい積丹のウニを届けるために、
泊村の漁師は常にていねいな手作業で、今日もひとつひとつウニをむいている。
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