山梨の〈五味醤油〉に生まれた
食のワークショップスペース。
新築から、まちのリノベーションへ。
PRIME KOFU vol.2

PRIME KOFU vol.2

前回は、オランダで建築を学び、震災復興のために訪れた
福島県いわき市での空き家から複合施設へのリノベーション。
これを機に山梨へ戻ることを決めたのですが、
第2回目は、地元である山梨に戻ってきてから、最初のプロジェクトができるまでのお話。

山梨に戻ってきたはいいが、仕事がない

海外東京と渡り歩いて戻ってきたはいいけれど、

「おかえり、さっそく仕事をお願いします」 

なんてことはありえないわけで。仕事のあてがあったわけでもないので、
しばらくは失業保険やアルバイトで食いつなぐ生活が続きました。

地方は、親世代から家業として建築業を営まれている方や大手ハウスメーカー、
工務店などがほとんどの仕事を請け負っており、地縁、既存コミュニティのつながりが強く、
新規参入で独立開業することはなかなか難しい社会状況です。

そこで僕が山梨に戻り、最初にやるべきことは、福島での震災復興でもそうだったように、
地元の方々との交流をもつこと。特に、
僕と同様に地方都市に対して問題意識をもつ地元の諸先輩方のお話に耳を傾けることでした。

つながりを育てること

最初の1年間は、ありとあらゆるイベントや集まりに顔を出しました。
鯉淵さんはどこにでもいるけど、
何をやっているのかよくわからない人と言われたほどです(笑)。
そのフットワークの軽さが功を奏したのか、
1年の間でとても多くの方とお話をさせていただき、
よい関係性を築かせていただくことができました。

山梨は県人口80万人と少なく、非常に狭いコミュニティなので、
なにかしらどこかで誰かがつながっています。
そうすると、友だちの友だちは実は友だちだったみたいなことがどんどんと連鎖していき、
ちょっとした出会いがさらに新たな出会いを生んでいく。

地方が東京のような大都市圏と大きく違うことは、
この人のつながりの連鎖がものすごく速いことです。
建築に限らず、地方で独立して、仕事のフィールドを開拓するならば、そうした連鎖のなかで、
自分がなにを思い、どんな役割でなにができる人なのかを明確にしてアピールしていくことが
とても重要なのだということがわかりました。
これは福島の復興支援で学んだこととも重なります。

そのなかでも、ちょうど僕が山梨に戻るタイミングで開かれていのが、
毎年、春先に行われる富士吉田市の〈げんき祭〉。
富士吉田市の地域おこし協力隊や行政職員が中心となり、
山梨のアートディレクターやデザイナーさん、一般の方など、
山梨をもりあげている若者たちが多く集まるお祭りでした。
今思えば、このイベントでできたつながりが、
僕にとってはかけがえのないとても重要なものとなっています。

2013年からスタートした〈ハモニカ横丁げんき祭り〉は、空き家になってしまった6軒長屋〈ハモニカ横丁〉を舞台に、さまざまなイベントや出店が行われます。

五味醤油との出会い

そんななかで出会ったのが〈五味醤油〉の6代目である五味 仁さん。
五味さんは、家業のお味噌屋さんを継ぐために
僕よりも5年以上前に山梨へUターンされた方で、
現在、妹の洋子さんと一緒に発酵兄妹というユニットを組み、お味噌だけではなく、
発酵文化や食文化などを広めるため、県内外で、とてもおもしろい活動を続けている方々です。

僕と同じく甲府にお店を構えていることもあり、いろいろな場所で顔を合わせる機会に恵まれ、
トークショーなどにも、スピーカーとして一緒に参加させていただいたこともありました。

2015年の〈ハモニカ横丁げんき祭り〉にて、山梨の今を伝えるフリーマガジン『BEEK』が主催するトークイベントにゲストとして参加。司会はアートディレクターで『BEEK』編集長の土屋 誠さんと五味醤油6代目の五味 仁さん。©BEEK DESIGN/土屋誠

そんなご縁もあり、ある日、五味さんから
味噌づくりのためのワークショップスペースをつくりたいとお願いをされました。
山梨に戻って1年弱、初めて依頼されたお仕事です。

古い工場リノベーションが正解ではない?

五味醤油には築70年以上も経つ味噌工場が敷地の奥に建っています。
その工場の一角を改修して、味噌づくりや
食に関するワークショップやイベントを行う拠点をつくりたいというご相談でした。

工場自体は、何度か改修を重ねていましたが、やはり老朽化している箇所も多くあるため、
かなり修繕しないとならない状況。
加えて、敷地の奥にあるため、道路からの視認性が非常に悪く、
集客という面では大きなデメリットになる立地です。

そうこうやり取りを続けているうちに、
五味醤油さんから敷地に持て余している部分があるので、
そこに新築するのはどうですか? という提案がありました。

開業150年を目前に控える老舗のお味噌屋さんとなれば、
工場をリノベーションするほうが、ストーリーとしては美しいし、話題性もあります。
「新築」という選択肢など僕の頭にはまったくなかった提案でした。

しかし、この提案をきっかけに、
僕のリノベーションに対する視野が大きく広がるきっかけになります。

左にあるのが、五味醤油の店舗スペース。

空き家は、島の文化財?
伝統的な民家を宿に再生。
奄美大島で始まった〈伝泊〉とは

伝泊 vol.1

みなさん、はじめまして。建築家の山下保博です。
〈アトリエ・天工人〉という建築設計事務所の代表として、
住宅や公共施設などの設計をしています。
特に都市の狭小住宅は、東京を中心にこれまでに250棟以上つくってきました。

しかし今回は、僕の設計とは少し違う活動である〈伝泊〉についてお話しようと思います。
〈伝泊〉は、“でんぱく”と読みます。伝統的、伝説的な古民家を探し出して、
改修することで宿泊施設としてよみがえらせ、
さらに地域のコミュニティとして開放する仕組みのことで、僕のつくった造語です。
その第1弾の宿〈伝泊 FUNA-GURA〉と〈伝泊 MAE-HIDA〉が、
奄美大島に2016年7月にオープンしました。

なぜ、奄美大島?

僕は鹿児島県の奄美大島出身です。
鹿児島市からは約350キロも離れた島々で、奄美大島本島は沖縄本島を除いては、
日本の中で2番目に大きな離島です。ちなみに一番大きな離島は佐渡島です。

人口は本島で6万人ほど、奄美群島全体で約11万人。
海に囲まれ、豊かな山もあり、独特の動植物などの手つかずの自然が今なお見られます。
そして、集落や古い民家が昔ながらの姿で残っている場所がいくつかあります。

手つかずの自然が多くのこる奄美大島。観光地化されることで本来の良さが失われることは絶対に避けたい。

その奄美が、この度ユネスコの世界自然遺産の登録候補になりました。
僕は2年半ほど前からリゾート施設をつくる仕事で奄美に帰るようになっていたのですが、
奄美らしいものを提供したいと思い、奄美の昔ながらの集落を新しいかたちで復活させようと、
奄美のいろいろな人にアイデアをもらってやっています。

そんななか、奄美でも空き家問題があって、
空いている古民家を何とかしてほしいと地元の方から相談を受けるようになりました。

お話を聞いたり、実際に空き家を見に行ったりするうちに、
「奄美大島の特徴のある建築を残して、
たくさんの人々に実際に利用してもらうことで、単なる建築の保存活動ではない、
“生きた保存・継承” ができないだろうか」と考え始めました。

たくさんの伝統的な民家や空き家になっていることがわかった。

そこで、まずはおおよそ50年〜100年前に建てられた民家を選んで、
奄美の伝統的な建築の条件を調べ上げました。
その条件に合った空き家を、一棟貸しの宿として改修することにしたのです。

奄美の伝統建築とはどのようなものか

奄美の特徴的な自然環境として、台風が多いことと、
ハブが生息しているという2点が挙げられます。
こうした環境で、いかに安全、快適に暮らしていくかという知恵が生かされているのが、
奄美の伝統建築です。僕の調べた奄美の伝統建築について具体的に説明します。

①珊瑚石や生垣・防風林やブロックの塀がある

台風対策のため、敷地の周りは、最大瞬間風速40~60メートルの風に耐えうるための塀が設けられている。昔の素材は珊瑚石や生垣・防風林だったが、最近はコンクリートブロック塀も見られる。

②母屋、水屋など複数棟に分散されている

敷地内には、母屋と水屋と家畜小屋、納屋、便所などがバラバラに3〜5棟配置されている。理由は、大きな建物は台風に対して弱いこと、建築に使える大きな材木が乏しかったこと、また昔から豊かではなく、外部からの影響も少なかったことから、建築技巧が低かったことなどが考えられる。穀物を貯蔵する倉で、湿気から穀物を守り、ハブ、ねずみなどの動物の侵入を防ぐための〈高倉〉が現存する家もあり、井戸も必ず設けられている。この写真は、実際に奄美にある、貯蔵のための倉。湿気や動物の外を防ぐために高くなっている。柱がツルツルしていて、ねずみやハブが登りにくくなっている。

庭には、井戸が必ず設置されている。

③ほとんどは平屋づくり

同じく風が強いこと、建築的な技術があまり発達しなかったことから、平屋がほとんど。屋根の形は、高倉から派生した〈入母屋造り〉や変形的な〈寄せ棟造り〉が多く見られる。

④熱帯エリア特有の仕様“高床”

東南アジア地域特有の高床式が多く見られ、床の高さは60〜90センチメートル。高床の理由はふたつあり、湿気対策と台風の風を通過させることで建物が倒れないようにするためである。

⑤先人の智恵が詰まった〈ヒキモン構造〉

奄美は、東南アジア地域からの影響で、束石(つかいし:床をを支えるための基礎)の上に乗せただけの柱が土台を貫通して梁まで伸びている〈ヒキモン構造〉が多く見られる。これも台風対策の一環で、足元周りや建物全体の強化をするための先人たちの知恵。

⑥独特の平面計画

母屋の間取りはメインの部屋(オモテ)を外廊下で囲い込み、その廊下が玄関の役割も果たしている。最近では、廊下の先にトイレが多く設置され、台所は土間が多く、半屋外の作業場でもあったが、現在は床が張られ、台所や食事どころなっている場合がほとんどだ。

⑦木や海砂、珊瑚石など奄美の材料を使っている

奄美は貴重な動植物に恵まれているが、いい木材はとれなかった。それでも、シロアリに強い曲がった柱や梁材をうまく利用して組み立てていつ。屋根は茅葺きだったが、現在では多くがトタン屋根に葺き直されている。清めのために庭に珊瑚石や海砂を敷き詰めた家もある。

地元密着の材木店だからできること
大兵材木店の林洋見さん

木にまつわることのホームドクターとして

鈴鹿山脈の北部に位置するいなべ市では、
古くから木とともに人々の暮らしが成り立ってきた。
藤原町にある〈大兵(だいひょう)材木店〉は、そんな木と人間の営みをつないできた存在で、
材木店という名前ではあるものの、山から木を切り出す製材業から、
木造建築の設計・施工・リフォームまで幅広い業務を請け負っている。

「たとえば1枚だけめくれてしまった瓦を差し替えたり、
建具の立てつけが悪いと言われて見に行ったり。個人で所有している山の木や、
通学路で腐りかけている危険な木を切り出したり、
庭木が倒れているからなんとかしてほしいという依頼にも対応できるのは、
地域に密着しているからこそ。
木にまつわることのホームドクターみたいな役割を担っています」

と話す、林洋見さん。
家業として代々この仕事を受け継いできた大兵材木店の現在の社長は、
洋見さんの父・正廣さん。洋見さんと兄の雅樹さんは6代目にあたる。

「もともとは船材を扱っていて、この辺の山から切り出した木材でいかだを組んで、
員弁川を下って四日市まで運んでいたそうです。
建築を始めたのは、祖父の代からと聞いています」

いなべ市での伐採風景。(写真提供:大兵材木店)

一級建築士の資格を持つ林さんは、大学卒業後、
愛知の設計事務所で鉄筋コンクリートのマンションの設計などを行っていた。
しかしちょうどリーマンショックの煽りを受けていた頃で、
売れ残っているマンションがたくさんあるのに新築物件も減らないことや、
エンドユーザーの顔がまったく見えないことに違和感を覚えていた。

「新築は新築でもちろん大事だし、必要とされているのですが、
それよりも循環型に変えていくことが、僕らの世代がやるべきことのように思えたのです」

生まれ育った地域だからこそ取り組める、空き家対策

地域の空き家対策や古民家再生に興味を持ったのは、ごく自然な流れといえるだろう。
この連載で紹介している、廃屋になっていた古い旅館を
リノベーションした〈上木(あげき)食堂〉の設計・施工を担当したのも、林さんだ。

「最初は旅館を解体する依頼をいただいたのですが、
現在、上木食堂になっている道路沿いの棟に水場などがいい感じであったので、
『ここは残されたらどうですか?』と提案させてもらったんです。
そしたらタイミングよく、(オーナーとなった)寺園 風くんが
やりたいと手を挙げてくれて、うまくご縁がつながっていきました」

解体が終わったところ。(写真提供:大兵材木店)

旅館から食堂へのリノベーションは、「とてもやりがいがあった」と
振り返る林さん。旅館として使われていた時点ですでに修理を重ねていたため、
アルミサッシがはめ込まれているような場所もあったが、
そういう現代的なものはあえて取っ払い、解体した木製の建具などを再利用。

工事中盤。写真に写っているのは、休憩中のオーナーの寺園さんと、店長の松本耕太さん。(写真提供:大兵材木店)

天井を撤去し高窓を設けたことで、古い建物特有の薄暗さがなくなり、
明るく開放的な食堂になった。タイミングが後押ししてくれた部分は大きかったものの、
自分が提案した何気ないひと言に多くの人が賛同して、
結果的に地域活性化の拠点になるような場所が完成。
しかもその空間づくりを担うことができて、大きな手応えをつかんだようだ。

解体した旅館と切り離した部分に、破風板という材料を取り付けているところ。(写真提供:大兵材木店)

上木食堂は無事に、2016年11月にオープン。

少子高齢化や過疎化などにより、いなべにも空き家自体は多いのだが、
まったく知らない人に貸すことに抵抗があったり、
仏壇がそのまま残されていたりして、
空き家問題の解決にはまだまだ多くのハードルがあるのも事実。
しかしながら林さんは、地元で生まれ育った人ならではの縁を生かして、
こうした問題に取り組んでいきたいと思っている。

「空き家再生に取り組んでいるNPO法人は全国にもたくさんありますが、
いなべでも上木食堂でやったようなことをもっと仕組み化して、
継続していけるような組織がほしいですよね」

なぜ、地元山梨で
建築の仕事をするのか。
震災復興から学んだこと。
PRIME KOFU vol.1

PRIME KOFU vol.1

2014年に地元である山梨に設計活動の拠点を構え、
現在、建築デザイン事務所〈PRIME KOFU〉を主宰しています。

地元山梨に帰るつもりもなく、建築家として大都会で仕事をしたい。
そんな誰しもが思うあこがれにつき動かされながら、日本の大学、海外の大学院で建築を学び、
都内の設計事務所で建築と向き合ってきた日々。そんな僕が、なぜ3年前に空き家率No.1、
県庁所在地のある市町村で人口が最も少ない山梨にUターンしたのか。

「まちのリノベーション」をテーマに、山梨で建築を生業とすることのリアルな日常を
少しでもこの場でお伝えできればと思います。
第1回目は、山梨に戻ったきっかけについての話。

オランダで学んだ建築のこと

いわゆるスター建築家像にあこがれていた僕にとって、
建築に対する向き合い方に新たな視点を与えてくれたのは海外の建築教育でした。
僕が通った大学院は、オランダにある〈Berlage Institute〉(現Berlage)というところで、
世界中の企業や行政からプロジェクトを依頼され、
リサーチから提案までを行う教育機関でした。

扱うテーマもさまざまで、僕自身は、
パリの移民問題や人種差別などに向き合うプロジェクトなどに携わっており、
深刻な社会問題に対して、建築にはなにが可能か?
ということを試行錯誤する2年間でした。当時の日本の建築教育は、
建築のデザイン性について追求していく傾向が強かったなかで、
こういった教育現場に身を置いたことは、ある種ショッキングでもあると同時に、
建築の可能性や視野が広がった貴重な時間でした。

berlage instituteのスタジオ。各自、デスクが割り当てられ連日作業を行っている。

ユニットミーティング後の様子。

帰国してすぐに経験した大震災

社会に鋭くメスを入れ、建築を通して課題解決をしていこうという
海外の姿勢にいたく心を動かされつつも、いろいろなご縁やタイミングもあって帰国後、
東京の設計事務所で働くことになりました。
そして、帰国後わずか3か月、東日本大震災を経験することになります。

津波による建物の倒壊や見通しのつかない原発処理問題など
東北の状況が連日メディアによって伝えられ、
いたたまれない気持ちと先行きのない不安に押しつぶされそうになっていたことを
今でも覚えています。震災以降、建築に携わる身として、
この現状にどう向き合うべきか真剣に考える毎日。
半年が過ぎる頃、事務所のスタッフや他設計事務所の方、
デザイナー、大学生などと一緒に福島へ震災復興のため行くことを決めました。

被災地であり限界集落という二重性

まずはいくつかの仮設住宅に出向き、被災した方々のお話をうかがっていたのですが、
訪問した仮設住宅の多くは僻地に建設されており、
閉ざされた環境の中で生活を送らざるをえない被災者の方々がほとんどでした。
そんな状況の中でも、復興に向けて一致団結して
支えあっている被災者の方々が多く、逆に僕らが励まされている気がしたほどです。

その道中、たまたま知り合った現地のNPOの方から、
福島県いわき市にある空き家を仮設住宅に住む避難民や近隣住民の交流拠点として
改修してほしいというご相談をいただきました。

現地調査時の様子。

その空き家がある地域は、
もともと農作業と自営のお店などをされていた方々が多かったのですが、
被災する以前から限界集落という中山間地特有の問題を抱えており、
著しい過疎化に追い打ちをかけるように、
震災による原発の風評被害によって農作業もお店も続けられない、
そんな二重の課題に直面していました。

2階部分の連間。

そこで、僕らは仮設住宅に住む方々が、定期的に訪れながら地域住民と接し、
少しでもリラックスしていただける場所、さらに、周辺住民の方々を雇用することで、
単なる空き家再生に留まることなく、
限界集落に経済的な活動を少しずつ取り戻すことができるような、
応急的かつ中長期的な「まちのリノベーション」を提案させていただきました。

イメージパース。さまざまな内部、外部が連続した空間をイメージ。

建物自体のデザインは、年代を経て増築されており、
木造2階建て、木造平屋、鉄骨造平屋、中庭など異なった個性がつながった空間だったため、
その個性を最大限に生かすことと、最初から過度な内装デザインを施すのではなく、
徐々に地元住民の方々が自分たちで手を加えていけるような
余白のある空間にしようと努めました。

産直〈ふれあいの駅 うりぼう〉
とれたて野菜に、惣菜やお酒まで。
生産者と消費者をつなぐ場所へ

地域の農産物が地元の人に回るための場所を

その土地のおいしいものや食文化が知りたかったら、
農産物直売所に行ってみるのが手っ取り早いが、
いなべ市員弁町にある〈ふれあいの駅 うりぼう〉は、
置かれている商品の多彩さにまず驚かされる。

それもそのはず、いなべには全国的に知られているような特産品があるわけではないけれども、
少量多品目生産をしている農家が多いのだ。
地元の農産物などを扱う産直施設はいまや日本各地にあるが、
うりぼうはその先駆けといえる存在で、1989年に員弁町で始まった朝市を前身としている。

うりぼうの正面入口。開店時間から、多くのお客さんが訪れていた。

「朝市からふれあいの駅うりぼうになった2004年当時、
この辺りは三岐鉄道北勢線の大泉駅がぽつんとあるだけの寂しい場所でした」
と話すのは、農事組合法人うりぼうの代表理事を務める日紫喜淳さん。
農事組合法人とは、小さな農協のような組織。
もともと農協で営農指導をしていた日紫喜さんは、
地域の農業が活性化する方法をかねてから考えていて、
先述した朝市を立ち上げた人物でもあるのだ。

ほのかな甘みを感じ、一度食べたらクセになる〈さくらポーク〉は、うりぼうの売れ筋商品。〈松葉ピッグファーム〉は、いなべで唯一豚肉を生産している。

「四日市などの市場に出荷するためには、
ある程度の安定した生産量を確保しなければいけないけれども、
簡単なことではない。それならば地域の農産物が地元の人に回る、
つまり地産地消をするのが一番いい。地域おこしなんていうと大げさだけど、
旧員弁町は何もないところだったので、自分たちでどうにかしたいと思い、
生産者と協力してうりぼうを始めたのです」

「地域のため」を常に考えている日紫喜さん。

店内に並んでいるのは、野菜や肉などの生鮮食品だけでなく、お菓子や調味料、
お惣菜なども充実。6次産業という言葉が一般的になる前から、
ここでは地元の農産物を使った加工品も積極的につくってきた。

「今でこそ冬場でもいろんな農産物が揃っていますが、
昔はどうしても品薄になってしまったため、加工品にも力を入れてきた結果なんです。
たとえば黒米なんかはお酒をはじめとして、
これまで30種類くらいの加工品を商品化しましたよ。
今残っているもののほうが少ないですけどね(笑)」

売り場の隣にある厨房でつくられたばかりのお惣菜が、店頭に並ぶ。

販売している全商品に、生産者名が表示されている。

涙ぐましい努力と言えるが、うりぼうの店舗の前に2014年にオープンした
〈ジェラートの駅うりぼ~の〉のジェラートは、
近年のヒット作のひとつ。いちごやトマト、さつまいもなど、
いなべでとれた旬の野菜やくだものを使うのはもちろん、
良質なお茶の産地である大安町石榑の緑茶やほうじ茶のフレーバー、
黒米をリゾットにして練り込んだジェラートもあって、ついつい目移りしてしまう。

ジェラートも地産地消が基本。卵を使わず、低カロリーなのが特長。

いとうともひさvol.2
習いながら、施工する。
インストラクターDIYで空き家改修

いとうともひさ vol.2 
プロのサポートによる、DIY

自分の居場所になる空間を、自分でつくれたら生活の幅が広がると思います。
近年空き家の数が多くなって、治安の悪化につながる一因となったり、
また、人が住んでいないことで建物の劣化スピードも速くなります。

建物が空いているのはいい状況ではありませんが、DIYと空き家ってすごく相性がいいのです。
DIYが空き家問題を解決する糸口になるのではないかと考えています。
大きく手を加えることができるので、自分の描いたような空間となる。

しかし、DIYと言っても初心者にはなかなかハードルが高いもの。
そこで僕は、“DIYのインストラクター”といったことができないかと思っています。
プロの職人に任せるだけでなく、
自分たちだけでもない、プロの職人がインストラクターとなりながら、
DIYを進めていくかたちがいいと考えています。今回はそんな事例を2軒紹介します。

習うDIYで長屋をカレー屋店舗に

2017年2月の工事後の写真。コツコツと工事は進んでいます。(撮影:古市邦人)

大阪市東住吉区の連棟長屋にカレー屋店舗をつくりたいという相談です。
店名は、〈nimoalcamo〉(ニモアルカモ)。
依頼主の古市邦人さんは当初工務店への相談を考えていたのですが、
でき上がりがイメージできないということと、
作業するのが好きで自分も工事に参加できる方法はないかということで相談をいただきました。

古市さんの持っている空間のイメージを客観的に立ち上げるために、
DIYだけでもない職人だけの工事でもない、その真ん中のやり方として
僕がインストラクターとなり作業をレクチャーする立場で
工事に参加させてもらうことを提案して、こころよく了解してもらいました。

2016年7月、工事前にテープを貼って実測している様子。

空間を前に実測し、大きさのイメージを確認します。
アイデアを出し合い、予算を確認しながら
「手をつける場所と手をつけない場所」の選択をして一緒に輪郭をつくっていきます。

何気ない会話が、アイデアソースに

そのためにはまず現状の空間を褒めるところから始めます。

「この階段、華奢だけどかわいいよね」とか

「天井はこのまま見せてもカッコいいじゃない?」とか

「床のワイルドさ、こんな雰囲気を生かして全体をつくりたいね」

などが古市さんとの話のなかで浮き上がってきました。
これを最初の計画に組み込んで、床と天井と階段は手をつけないという選択をしました。
全体に手を加えることができなくても、
厨房に集中してアイデアを投入することで最大の効果が出せるように計画を進めます。

話をしているなかで「舞台装置のような厨房」というキーワードが出ました。
それをもとに天井を下げて床を上げて、
厨房がこの空間の中で浮き上がって見えるような演出を考え始めます。
この会話でふたりともイメージが膨らみ、ワクワクしたのを覚えています。

次に仕上がりの材質を選択します。
木なのか、鉄なのか、ペンキなのか、漆喰、モルタル、化粧パネル、ガラス……
どの部分にどの素材を使うかという選択は、
組み合わせで言うと星の数ほどありますので相談しながら決断していきます。
照明は現場用のライトの傘をひっくり返した造形をそのまま採用。

古市さんが製作した建具。右手に写っているのが現場用照明の傘をひっくり返したワイヤーシェード。(撮影:古市邦人)

やりたいことは無限に出てくるので、組み合わせを考えないと混乱してしまいます。
素材の選定から、前もって計画をしてから次の工程に進みます。

古市さんのイメージをもとにここではコンクリートの床の無垢な表情に合わせ
厨房の内部を仕上げるように素材をチョイスします。
コンクリートブロック、コンクリート補修塗料、
厨房内土間はコンクリートを金鏝(かなごて)で押さえて、
金額的にも予算内でクリアする見通しが立ったので次に進みます。

作業段階に移っても、選択だらけです。
「職人に任せる」or「自分でやる」という選択をひとつひとつしていき、金額に反映させます。
古市さんは、まず自分でやってみる。
わからなかったらインストラクターを呼ぶ、
または職人にお願いするような順番で作業を進めました。

手伝いに来てくれた知人にも作業をレクチャーし、工事してもらいます。(撮影:古市邦人)

結果、水道工事・電気工事・カウンターの製作や扉の吊り込みなどは僕が工事し、
それ以外の部分を古市さんが担当することになりました。
建具やスツールもつくってしまうこんなカレー屋さん、一度行ってみたくなりますよね。

古市さんがDIYで作ったスツール。足はガス管を切って組み合わせています。(撮影:古市邦人)

軒下にプリン店?
地元のおいしい卵を使った
三重の〈いなべプリン店〉

子育てをしながらでも、できるかたちを模索

田んぼに囲まれたのどかな集落に、月に2回だけオープンするプリン屋さんがある。
ごく普通の民家の軒下にテーブルを置き、プリンを販売するその店の名前は
〈いなべプリン店〉と、シンプルかつストレート。
窓を開け放して、軒下に座っている日置愛彩さんの背中では、
看板息子の官助くんがにこにこと愛嬌を振りまいている。
日置さんはいなべ出身のだんなさんと結婚して、
2014年に生まれ育った同県の鈴鹿から移住してきた。
しかしなぜ、自宅の軒下でプリンを売ろうと思ったのだろう。

「鈴鹿にいた頃、ひとりで喫茶店をやっていたんです。
U字型のカウンターしかないちょっと変わったお店なんですけど、
昼間は私が喫茶店をやり、夜は母がスナックをやっていました。
喫茶店のメニューのひとつにプリンがあって、
積極的にお勧めしていたわけでもないのに、お客さんには結構人気だったんです。
移住とともに喫茶店は閉じてしまったのですが、
いなべでも何かやりたいと思って。この辺にはプリン屋さんもないし、
子育てをしながらでもできるかたちが“軒下プリン”でした」

ストライプのシェードが目印。「わざわざ足を運んでくれる人には、『めっちゃ家やん!』ってびっくりされます(笑)」と日置さん。

いなべプリン店の定番商品は3つ。鈴鹿のときの喫茶店の名前を冠した「カリカのプリン」は、
人気メニューのレシピを踏襲したシンプルで懐かしい味わい。
食べ方も昔ながらのスタイルで、お皿に盛りつけて楽しんでほしいという思いから、
このプリンだけはプラスチックのカップを使っている。
「よそいきプリン」はコクのあるなめらかな味わいで、どちらかというと女性に人気。

「茶っぷりん」はまちのヒット商品で、いなべ産のお茶を使ったプリンというのが定義。
パティスリーやカフェ、レストランなどさまざまな店がオリジナル商品を販売しているのだが、
いなべプリン店ではその発案者でもある〈マル信 緑香園〉のほうじ茶を使用。
甘さ控えめの生クリームと香り豊かなほうじ茶のプリン、
そしてほろ苦いカラメルが層になっている。

右側のカップに入っているのが「カリカのプリン」、真ん中がリッチな味わいが人気の「よそいきプリン」、左側はほうじ茶の香ばしさを生かした「茶っぷりん」。

ほかにもバレンタインの時期はチョコのプリン、
夏はアイスプリンなど季節限定の商品が登場するのだが、
共通してこだわっているのは、やはり素材。
いなべプリン店という店名にふさわしく、できるだけ地産地消にしたいと思っている。

トミトアーキテクチャ vol.4
CASACOの日常のはじまり。
設計者として運営に関わること

トミトアーキテクチャ vol.4

2016年4月9日、今から1年ほど前に、横浜市の丘の上の住宅街に木造二軒長屋を改修した
〈CASACO〉(カサコ)は無事オープンの日を迎えました。
改修のお手伝いをしてくれた多くの方々や、
CASACOに期待を寄せてくださるまちの方々に見守られるなか、
これから始まる「日常」のことを思っていました。

オープン時のメンバー。 後方左から冨永美保、伊藤孝仁、濱島幸生、玉腰純、前方左から春日井省吾、柴田真帆、加藤功甫。(photo:大高隆)

オープニングイベントの際の様子。(photo:大高隆)

石をたたいたり、埃まみれになったり、壁を壊したり、ペンキを塗ったり。
「汚れてもいい格好」で過ごした6か月間の「非日常」な日々から、
突如として穏やかな日常へと切り替わる。正直なところ、あまり想像がつきませんでした。

オープンの日は、設計者にとってみれば、ある責任から解放される日です。
ただ私たちは、継続して運営にも関わっていくことに決めていました。

旅・教育・まちづくり・建築といったバックグランドをもつ7名のメンバーが
CASACOの運営を担っています。
週1回のミーティングと、ウェブ上での情報共有を基本に、
CASACOでの出来事や活動を整理し、時間や空間やお金のマネジメントをしています。
CASACOがどういう場所であるべきかを、
短期的・長期的な視点にたって試行錯誤しながら検討しています。

自分たちが設計した建物が、どのように使われ、どこに問題があり、
どういった工夫を経て誰かの居場所となる日常を獲得していくか。
空間に血が通っていくプロセスを最前列で体験することは、
私たちにとってこれ以上ない学びの機会でもあると思いました。

CASACOの大家さんにお願いをして、同じ敷地内の建物の一室を事務所としてお借りしました。
設計中ずっとお世話になった横浜の古民家(vol.1登場)を後にし、
窓からCASACOが見える場所へ。トミトアーキテクチャの活動を始めて、
2年が経った頃でした。

(photo:大高隆)

住宅と公共的なスペースを両立させる運営は可能?

CASACOの現在の使われ方は、1階と2階で異なるのが特徴です。
2階はシェアハウスの居住スペースで、4つの部屋があります。
そのうち1〜2室は海外から語学留学に来ている学生のための
ホームステイ用の部屋になっており、スペースの管理を担う住民が、
ごはんや日本語の勉強の世話をしています。大きな広間やキッチンがある1階は、
住民の共有空間でありつつ、時間によって住民以外のまちの方々にも使われるような、
広い意味での共有空間です。

地域住民の「日直さん」によって運営されるカフェやバーであり、
ママさんたちのクラブ活動の場であり、子どもが放課後に立ち寄れる児童館のようであり、
散歩中にふと立ち寄る休憩スペースであり、
旅人が観光地では味わえないローカルな体験ができる場所であり、
いろんな人が出会い、思い思いの時間を過ごす場所です。

月毎に発行しているカレンダー。日直さんの個性があらわれるプログラムが日替わりで実施されています。

住宅でありながら不特定多数の人にスペースを開くというのは、
実は相当にチャレンジングなことだなと日々痛感しています。
曜日や時間、登場する人物によって場所のキャラクターが変わりながら、
人が居心地よく時間を過ごすために、きめ細かい調整を行う運営が必要になります。

毎日のようにイベントが実施され、たくさんの人がCASACOに出入りをしていたら、
2階の住民の心が休まりにくいですし、
1階がいかにも家のようになってしまうと入りにくい雰囲気になってしまいます。
また、CASACOが持続的に運営していくために必要なお金を稼ぐ必要もあります。

住民とまちの人、よそから遊びにくる方の関係をよりよくするための、
空間と時間とお金のマネジメントの方法を、試行錯誤しながらつくっていっています。

〈山里乃蕎麦家 拘留孫〉
山の麓の頑固な蕎麦屋!?
地産地消は地域で生きる道。

ついでに蕎麦を出すつもりが……

蕎麦に一家言ある人は少なくないが、〈山里之蕎麦家 拘留孫(くるそん)〉は、
蕎麦好きを満足させる本格的な味と言っていいだろう。
身体の大きな松下祐康さんの打つ蕎麦は、香り豊かで繊細。
さらには奥さまの清子さんが作る天ぷらや小鉢、
デザートも素材の味が生きていて、味わい深い。

遠方から訪れる蕎麦好きを唸らせる、本格派。使う野菜はほぼ自家製。天ぷら、小鉢、変わりご飯(この日はむかごご飯)、デザートがついた「蕎麦定食」(1300円、税別)。

拘留孫があるのは、いなべ市藤原町篠立。
藤原岳の麓に位置する旧藤原町は、岐阜県や滋賀県と隣接していて、
いなべのなかでも特に自然豊かなエリアとして知られている。
この蕎麦屋はどうやらこだわりが強いらしく、メニューの1ページをさいて
「ざる蕎麦の食し方の一例」なるものが紹介されている。それによると、
最初はつゆにつけずに蕎麦だけを食べて、香りと甘みを楽しむ。

次につゆを味わって甘辛さを確認したら、蕎麦を3分の1ほどつけて食べる。
薬味は蕎麦に少しだけ乗せて食べてみてから、つゆに入れて食す。
最後に残しておいた薬味ねぎを入れて、蕎麦湯で割って飲む、
というのがいいらしい。こんなふうに細かくレクチャーする辺りに、
頑固な蕎麦職人を想像していたのだが……。

「蕎麦屋をするつもりは、まったくなかったんですよ。
こんなことになるとは思いませんでした」と、
こちらの不安(?)をあっさり消し去ってくれたご主人の祐康さん。

いなべ市職員をしていた祐康さんが、定年の1年前に早期退職して〈拘留孫〉を開業したのは、
2015年9月のこと。その大きなきっかけとなったのが、父親の死だった。

「親父が大切にしてきた畑や、山菜が採れる山をこの先どうしようかと思ったんです。
全部で500坪ほどの土地なのですが、基本的には自家栽培で、
収穫した野菜を周りの人におすそ分けして楽しんでいるようなかたちでした。
親父なりにいろいろ研究していたようで、
亡くなる前にこれまで集めた資料などももらったのですが、
僕は農業なんかしたことがなかったから。毎日仕事から帰ってきたら野菜に水をやって、
土日は草取りや山の掃除に追われ、死ぬまでこんなことをしていくんかな、と悩み始めて……」

先祖代々受け継がれてきた土地なので、荒らすこともできない。
かといって産地直売所などで販売しても、少量なので大した金額にもならない。
率直に言ってしまうと、祐康さんは土地に振り回されてしまっていた。

「なんとかならんかと思いついたのが、農家レストランでした。
それでいろんな人に聞いて歩いたり、講習会に行ったりするなかで、
僕も10年ばかり蕎麦打ちを習っていたもんで、
“ついでに”蕎麦も出そうかなと思うようになったんです」

自宅を利用した店内。美しい建具は古道具店で揃えたという。

仕掛人は若い農家と料理人。
元旅館の空き家を再生した、
三重の〈上木食堂〉へ

店長と大家が仲良く働き、オーナーがふらりと訪れる食堂

ランチタイムは、小さな子どもを連れたママたちや、
ちょっぴりおめかしをした中高年の女性などが集い、
夜になるとボトルキープをしている常連のおじさんの横で
女子会が繰り広げられる〈上木(あげき)食堂〉。

のれんをくぐって引き戸を開けると広がる、ほっとするような懐かしい空間。
入り口横のコンパクトな厨房では、店長の松本耕太さんが立ち回り、
松本さんのつくる料理を、この建物の大家さんでもある林典子さんが運んでいる。

ランチは、2種類から選べる。この日の日替わりは八風農園の自然栽培の野菜をたっぷり使った本日のランチ「さわらとブロッコリーのフリット 甜醤油ソース」(1000円)。

クラシカルな家具が似合う店内。手前のテーブルにしている木箱は、旅館で使われていたもの。

2016年11月にオープンして以来、昼も夜もにぎわっているこの食堂は、
いなべ市のほぼ中心に位置する阿下喜(あげき)地区にある。
その昔、桑名市三ツ矢橋町からいなべ市藤原町山口へ続く、
約25キロの濃州街道の宿場町として栄えた阿下喜には、
趣きのある町屋が今も多く残っていて、上木食堂もそんな建物のひとつだった。

「ここはもともと100年以上続く旅館で、宿泊客のメインは行商の薬屋さんでした」

と、上木食堂の改修前を知る林さんは説明する。

店内には阿下喜地区にたくさんの人が訪れていた頃の写真が。上の写真には旅館だった当時の建物が写っていて、通りは、苗木市でにぎわっている。

行商の方はお見えになると、大抵3か月から半年くらいは滞在するんです。
入り口がこんなに広いのは、
お客様の使う自転車やバイクがここにずらりと並んでいたからなんです」

行商の衰退と、林さんのお父さんが亡くなったことを機に、
旅館を閉じたのは1990年。それからいつの間にか、長い年月が経ってしまっていた。

「建物の老朽化が進んでいたので、
近所にご迷惑をかけないためにも早く解体しなければと思い、
中に残っているものをようやく片付け始めていたんです。
そしたら息子の友だちから『壊すつもりなら、
改修して食堂にしたいと言っている人がいるんだけど、貸してもらえないか?』
という話がきたから、びっくりしちゃって」

改修前の上木食堂の建物。右の窓部分は現在、テイクアウトのコーナーになっている。

密かにそんな計画を練っていた人物は、
藤原町で農業を営んでいる〈八風農園〉の寺園風さん(移住インタビューはこちら)。
2013年に名古屋市から移住して自然農法で野菜を育てている寺園さんは、
自分が生産した野菜を使い、気軽に仲間が集えるような店が、
いなべにほしいと常々思っていたのだ。

「移住して、阿下喜の日帰り温泉によく行っていたのですが、
この辺りの雰囲気がよくてずっと気になっていたんです。
仕事の合間にここへ来てコーヒーをテイクアウトしたり、
ふらりと立ち寄ってみたら友だちがいるような場所があったらいいなって」

寺園 風さん。

とはいえそれは「いつかできたらいいな」という程度の、
漠然とした夢みたいなものだった。しかしこの物件に出会って、
行動せずにはいられなくなってしまった。

「初めてこの建物の中に入ったとき、高揚感を抑えたんです。
僕の今の仕事の状態では、お店をつくることなんて無理だと思っていたから。
でも何回か足を運ぶうちに、どうしてもやりたくなっちゃったんですよね」

旅館当時の受付カウンターがそのまま残っており、おもしろいつくり。

農作業で忙しい寺園さんが、店につきっきりになるわけにはいかない。
店を任せられる適任者はいないかと、野菜を配達している車中で思い浮かんだのが、
当時、名古屋のカフェで働いていた松本さんだった。

上木食堂では、八風農園のとれたて野菜も販売されている。

移住と独立、両方する覚悟はある?

ふたりが出会ったきっかけは、松本さんが勤務していたカフェで企画した野菜の直売イベント。
出店者を探していた松本さんは、
たまたま同い年の若い農家がいることに興味を持って、寺園さんに声をかけた。

「当時から彼は週2ペースで名古屋に野菜を売りに来ていて、
そのイベント以降、うちの店で野菜を使わせてもらう関係が
2年くらい続いていたんです。そんななかで、僕がいつか独立したいと思っていることとか、
彼のいなべでの生活についてあれこれ聞いて、移住するのもありかななんて話もしていて、
それが彼の頭に残っていたんでしょうね。
『そういえば、あのときの話って生きてる?』って
この物件のことを教えてくれて、
『移住と独立、両方する覚悟があるなら来ない?』と言われたんです」

古民家宿LOOF vol.5
山梨の集落で2棟目の空き家を、
小さな子どもも安心の宿へ

古民家宿LOOF vol.5

山梨県笛吹市芦川町で運営している、
古民家一棟貸し宿LOOF〈澤之家〉・〈坂之家〉ができるまでを綴ってきました。
前回までに紹介した1棟目の澤之家が完成後、
すぐにお借りできた2軒目の空き家は、
1棟目の澤之家から徒歩1分のところにありました。

改修を急ぐ理由

改修が本格的に始まったのは2016年1月からでしたが、
どうしても冬の間に改修をしたくて、
大家さんにも年末の忙しい中ドタバタで契約をさせていただいたのは、
お願いする大工さんのことがあってでした。

今回2棟目の改修をお願いしたのは
芦川町に10年以上住んでいる大工さんの根本則夫さん。
冬の間だけ狩猟をするため、芦川町に住んでいる方です。
毎年11月〜3月の狩猟期間だけ芦川町に来ては、
毎年どこかのお家の改修をお願いされて大工をしながら狩猟をしています。
私が芦川町に帰ってきてからすぐに知り合い、とても良くしていただいていた方で、
どうしても芦川町で改修をしていくなかで1棟はその方にお願いしたいと思っていました。

思いがけず早くに2棟目を始められることになり、
それならばぜひ根本さんにお願いしたいと
根本さんの滞在している冬の期間に合わせて改修を行うことにしました。

2棟目に借りられることになった古民家。

大家さんとまずは大そうじ

今回は夏前のオープンを目指したいと思い、宿づくりアカデミーは行わず、
基本的にはボランティアを入れずに行いました。
物件が決まってから始まるまではとても早く、お借りすることになってからすぐに
大家さんや親戚の方が大掃除に来てくださいました。

改修前の台所。

大家さんたちと大そうじ。

古民家を改修するのになによりも大変なのはゴミ捨て。
澤之家同様、今回もものすごい量のゴミが出てきました。

2棟目の物件はとても立派な大黒柱や天井板を使用しており、
大家さんからもできるだけそのまま使用してほしいとお願いされていました。
そこで今回はもともとあった立派な木材が生きるような内装にすることにしました。

大工の根本さんと打ち合わせ。右奥にあるのが、改修前の立派な大黒柱。

2棟目ということもあり、旅館にするための手続きなどは自分で行い、
施工も基本的には大工さんと私で行い、建築士さんは入れずに進めていきました。
ただ、なかなか大工さんに私の求めている内装を伝えるのは難しい。
写真などのイメージだけでは伝わりきれず、
やってみてはやり直しという作業が続いてしまいました。

株式会社建大工房 vol.5
福井に、廃材ホームセンター
〈CRAFTWORK CENTER〉
ができるまで

株式会社建大工房 vol.5

ホームセンターが大好きです。
僕にとってはちょっとしたアミューズメントパークだと思っています。
もしホームセンター内に宿泊施設が併設されている所があったら間違いなく通います。
そして、「ホームセンター」という言葉は、
軽い力で開けられるものづくりの扉だと思っています。

今回はそんな僕が長年かけてコツコツつくってきた
廃材オンリーの自分のホームセンターの話です。
とは言え、実は今でもまだつくっている途中ですが、
必要な部分だけ完成したら、〈CRAFTWORK CENTER〉として4月中旬にオープンさせて、
それからもつくりながらしばらくは週末だけ営業していきます!

なぜホームセンター?

結婚してから中古の家を探しているときもホームセンターが近くにあるかが決め手だったので
家から車で3分の距離内にホームセンターが2軒もあります。ほぼ毎日行きます。
なんなら1日に数回行きます。(単に買い忘れが多いだけですが)
休みの日は家族でもよく行きます。何時間でもいられます。
僕がもしスタッフだったら相当売り上げる自信もあります。

そんな大好きな場所ですが、福井のホームセンターには、
機能的に必要なものは大体ありますが、
デザイン的にはまだまだ需要を満たしていません。最近は、店舗はもちろん、
住宅建築でも金物や照明、衛生器具、棚板にいたるまでが輸入品や一点ものなど、
こだわってつくる人が増えてきたので、雑貨屋さんで買うか
結局はネットで買うことになります。

そういうものを選ぶときに専門的な知識が必要なときもあります。
DIYでもどんどんマニアックな道具や商品の使い方も増えてきて、
ホームセンターでも実際に現場の知識があるスタッフも
まだまだ少ないのでアドバイスにも限界はあります。

職人なら当然知っているようなことでも、
DIYとなると基本、独学なのでいろいろな失敗もします。
あと、もちろん古材や中古の商品なども普通のホームセンターには売っていません。

「もっと個性的な商品を揃えているホームセンターがあっていいんじゃないか?」

「もっと建築や現場に寄せたものづくりの場所があっても」

ということで、僕の思いはどんどん膨らんでいき、
いつしか「欲しいものが揃っている自分のホームセンターを持ちたい!」
に変わっていきました。2013年頃のことです。

そんな矢先、テレビでオレゴン州ポートランドの建築建材のリサイクルショップ
〈リビルディングセンター〉の存在を知りました。

廃材をうまく流通させている取り組みです。これなら資本もそこまでかけずにできる!
その後、シリコンバレーから始まり、現在では
全米8か所にある、本格的な工作機器を備えるDIY工房〈TechShop〉などの存在も知り、
専門的なものづくりが誰でも身近にできる場所があることが斬新で、
なによりも楽しそうでした。

それらすべてに全部行ける機会が突然訪れたのが、この連載の第2回でも書きましたが、
2014年に黒崎輝男氏に連れていってもらった全米ツアーでした。

ずっと行きたかった、ポートランドのリビルディングセンター。

日本ではあまり考えられないけど、中古の浴槽や便器までたくさん。

サンフランシスコのTechShop。今はもう日本にもこういった場所は増えたが、当時はまだまだ目新しかった。木工、鉄工、布、皮、すべての道具も揃っているし、最新の3Dプリンターが何台も。

このリノベのススメでも散々書き綴ってきましたが、
DIYが好きで廃材が好き、そしてホームセンターが好き。
それを全部ひっくるめた場所をつくりたい。
その一角にはもちろん人が集まれるカフェもあって。
今まで経験してきたこと、自分の好きなこと、アメリカや各地で行われていること、
これから日本でも始まろうとしていること。
そしてそれらを、粛々とものづくりの精神が根づくこの北陸の福井でやること。
アメリカの旅ですべてが一気につながり、帰ってきて確信にかわりました。
ただ唯一見つかってないのがそれらをお金に換える方法でしたが……。

猟師・安田佳弘さん家族が
移住先の三重で見つけた、
新しい暮らしのかたち。

町っ子が自給自足的生活を送るようになるまで

肩に猟銃を下げた安田佳弘さんが、
雪が残る山の中を庭のように慣れた足取りで歩いていく。

「ここは動物がよく通るので、自然と道ができているんです」

安田さんがいつも猟をしている、自宅のすぐ裏の山の入り口へ。かつてこの辺りは、田んぼがあった。

比較的新しいシカの糞を発見。

三重県いなべ市北勢町新町の鈴原という森の中に、ひっそりとある集落。
寒桃の里といわれるこの地には、11月下旬から12月にかけて成熟する珍しい桃の樹があり、
春になるとまるで桃源郷のような美しさだという。
安田さんは、奥さんの真紀さんと5歳になる凪くんとともにここで暮らしながら、
自分たちで建てた〈MY HOUSE〉という山小屋で、雑貨と喫茶のお店を営んでいる。

MY HOUSEの入り口。

「出身は大阪市。土を踏まずに過ごしたような町っ子です。
だけど自然が好きで、図鑑を模写しているような子どもだったらしいです」

大阪芸術大学に進学して、自然環境の再生と保存について
芸術方面からアプローチするユニークな学科を専攻。一方で探検部に所属して、
海外や無人島へ好奇心の赴くままに出かけていく。猟に触れたのはそのときだ。

「自然好きというバックボーンがありつつ、大学で学んだことと探検部での活動が、
今の暮らしにつながっているのだと思います」

安田さんとともに山を歩く。家の裏山の一部は、次の世代のためにとこの土地の先人たちが植林したスギやヒノキが。

庭先に干してあった、シカの毛皮。

いなべ市に移住したのは、大学の研究生だったとき。
自然やアウトドアに携わる仕事がしたいと考えていた安田さんは、オープンして間もなかった、
〈青川峡キャンピングパーク〉というオートキャンプ場の住み込み職員になる。

「空き家を探しても、当時はなかなか見つからなくて。
それで僕は古い技術や知恵が好きだったこともあって、
老人会に顔を出しまくり、猟に連れて行ってもらったり、ワラを編んだりなど、
いろんなことを教えてもらいました。

おじいさん、おばあさんを下の名前で呼んで、
なるべく方言を使うように心がけていたら、
5年くらい経った頃から急に空き家情報が溢れんばかりに出てきて、
あるじゃんと思って(笑)」

山を歩くと、動物の気配とともに昔の暮らしの痕跡が残っていることを安田さんが教えてくれた。ここは、江戸時代に獣害防止のため土手をつくった〈猪鹿垣(ししがき)〉の跡。ほかにも山水を水田用水にひくために整備された〈まんぼ〉という石積みの水路跡もあった。

連れてきてもらった瞬間、「このロケーションはやばい」と思ったという、
傾斜の上に立つその家は、自給自足的生活をしたいと思っていた安田さんにとって、
周辺の自然も含めて理想的な環境だった。家が決まってすぐに、
大阪で暮らしていた真紀さんと結婚。鈴原での暮らしも、8年目になる。

写真好きだった大家さんのお兄さんが自費出版した写真集。安田さんたちが暮らしている家の往時の姿が残されている。

「若い子たちが住み始めて、何か変なことをやっているって、
近所のおじいさん、おばあさんが毎日めっちゃ来るんですよ。
坂の下に住んでいる84歳の大家さんなんか、夏場は1日10回くらい来ます(笑)。
働いていた僕と違って奥さんは、人とのつながりがまったくなかったから、
最初は苦労したみたいだけど」

今では親戚以上の付き合いをしている、大家さんと。

真紀さんは、
「大家さんとその同級生の家で、10時と3時にお茶をしているんですけど、
そこにときどき行くくらいでした。畑仕事などやることはいろいろあったので、
暮らし自体にはすんなり入ることができたのですが、
同世代との付き合いがほとんどだった大阪とは真逆の生活だったので、
月1回くらいは帰って友だちと遊んでいましたね」

奥さまの真紀さん。かぶっているチャーミングな帽子も真紀さんのお手製。

人ではない生き物の気配を感じる暮らし

MY HOUSEで雑貨を販売するようになったのは、6年前から。
芸大出身のふたりだけに、置いているものはほとんどが手づくり。
木や竹、毛皮、動物の骨、石など、家の周りで見つけた“地球の落とし物”を利用して、
アクセサリーや雑貨などをつくっている。2年ほど前から、同じ場所でカフェも始めた。

シカの角でつくった人形〈角偶(つのぐう)〉。説明書きによると、財布にしのばせたり、人に自慢したり、恋の相談をもちかけたり、取り扱い方はいろいろ。

山で拾った木の実も、立派な商品に。都会のデスクに置いておきたくなるような素朴さがいい。

「雑貨だけだと来にくいと思ったので、もうちょっと気軽に来て、
お茶の時間を楽しんで、散策できるような場所にしたかったんです」と真紀さん。

いとうともひさvol.1
スケルトンの大型ビル1棟をDIY。
変幻自在のクリエイティブスペース
大阪の〈上町荘〉とは。

いとうともひさ vol.1

はじめまして、伊藤智寿と申します。
大工・ディレクター・インストラクターのような動きを並行して行う
株式会社いとうともひさを主宰しております。

大阪を拠点としていますが、日本各地に出向いて
その地域の方と協働するスタイルで活動しています。大工工事と並行して、
お客さんに工事の指導をしたり、設計業務に協力させていただいたり、
プロジェクトを企画したりしています。

具体的な業務は、現場で工事する、依頼主に予算内で使える材料・つくり方の提案をする、
全国の地域にある空き家の利用方法を考える、設計者とチームを組む、
DIYのサポートをする、場所を運営するなど、
家をはじめとした空間を一緒に考える・つくるという案件が多いような気がします。

第1回目は現在、拠点として運営に携わっている
シェアスペース〈上町荘(うえまちそう)〉の話をさせてもらおうと思います。
そこから見えるリノベーションのひとつのあり方を知ってもらえたらうれしいです。

スケルトンの大型ビルを、活動の拠点に

2014年大阪市中央区に誕生したシェアスペース、上町荘。
大通りに面した角地に建ち、3階建てで延べ床面積300平米超の大きな空間です。
1階はホールスペース92平米+工房スペース50平米、2階はライブラリスペース20平米に、
打ち合わせスペース10平米+オフィススペース50平米、
3階に85平米オフィスと45平米のオフィスといった構成になっており、
上町荘は入居以来、時間をかけてリノベーションし続けています。

2階オフィススペース各ブースにテーブル、棚が当てられた専有作業スペース。

2階吹き抜け部分の通路から交差点を見る。自動車ディーラー時代の面影を残した特徴のあるガラス面。

2階ライブラリースペース。

梅田・心斎橋・難波など大阪の主要部へのアクセスが便利なエリアにあり、
以前は自動車ディーラーの展示空間・オフィスでした。
ディーラー時代に車の見栄えが良いように設計され、
交差点に向かって大きなガラス面がはめられています。

もともとはオフィス兼倉庫をひとりで探していたのですが、
上町荘のようなビルをひとりで1棟借りするのは
大工が工房や倉庫として利用するには家賃が高すぎるし、選択肢になかった。
まともに考えると田舎でかつ、車の便がいい倉庫を借りるほうが断然現実的だったんです。
しかし今では思い切って地価の高いエリアに飛び込めたことの意味を感じています。
それはほかの人の利益になることをすれば、利益を受け取る人の数が多いため、
シェアする利益が大きいということ。
自分だけの空間として閉じてしまえばもったいない話なんだと思います。

広すぎるビルの使い方

上町荘に入ることになったきっかけは
建築家の白須寛規さん(designSU主宰)からのお誘いでした。
学生時代から、まちに開かれた活動をされていたのが魅力的で
白須さんの催したイベントに通い、いろいろなことを教えてもらったり、
さまざまな人を紹介してもらったりしていました。
そんな白須さんから「共同オフィスを一緒に探さない?」とお誘いをもらったのです。
以前から白須さんと仲が良かった山口陽登さん(シイナリ一級建築士事務所主宰)と、
3人で共同オフィスを探すところから始まりました。

エレベーターがない、駅から遠い、など大阪市内でも安くなりそうな条件で検索して、
とにかく広いビルを探しました。

写真中央右、濃灰色のビルが上町荘。

そんななか、大阪市中央区に100坪を超えるビルがあると山口さんから連絡をもらい、
3人で見に行くことにしました。

トミトアーキテクチャvol.3
横浜の木造アパートをまちに開く。
リノベーションの鍵は、
地域の家具や建具、ピンコロ石

トミトアーキテクチャvol.3

横浜市の丘の上にある、多国籍・多世代交流スペース〈CASACO(カサコ)〉。
トミトアーキテクチャでは、この設計を担当し、現在も運営に携わっています。
vol.3は、建設について。前回紹介した近所から集められた地域の素材を生かし、
「いろんな人が気軽に立ち寄れる場所にしたい」という思いをどう実現していったのか。

新しい発見を与えあう場所

地域素材を近所から集めたり、住民からまちの話を聞いたり。このように手間をかけながら、
住宅を開かれた場所にリノベーションしようとしている、
そもそもの理由を少しお話したいと思います。

フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキの『過去のない男』という作品は、
日常が埃をかぶったような冴えない雰囲気の地域に、
「よそ者」が登場するところからストーリーが始まります。

記憶をなくした男がヘルシンキの貧しい港町にたどり着くと、
何かと地域の人が世話をしに絡んでくる。それがきっかけとなり、
止まっていた時間が動き始め、埃が払われるかのように、
まちが生き生きしていく様子を描いたコメディ映画です。

CASACOのことを考えるとき、僕はよくこの映画を思い出します。
CASACOはもともと地域にとってよそ者だった若者たちが始めた活動です。
旅人がローカルな場所に訪れて、観光地では味わえない「暮らし」を体験すると同時に、
地域に長く住む人が「こんなところがおもしろいんだ」と勇気づけられたりするような、
お互いが「他者」であることが、
新しい発見を与えあうことにつながる環境づくりを目指しています。

それが、「多世代多国籍の人々に開かれた場所」というCASACOの基本理念に通じています。
CASACOの地域に対する姿勢に対して、

「人のためによく頑張れるね」

と言われることがありますが、
実は、地域のために何かをすることはCASACOの目的ではありません。
むしろ、自分たちが楽しい住み方、住宅地の新しい楽しさを追求していくことが、
根っこにあります。楽しさの追求が結果的に公共性につながるかもしれないところに、
可能性を感じています。

さて、ここからはCASACOのリノベーションの詳細を見ていきます。
まずは前回お話しした「地域素材」の行方から。

延命された地域の記憶

「カーンカーンカーン」

CASACOの裏庭から、住宅地では聞き慣れない音が響きます。

ピンコロ石の整形作業現場。奥に積まれているのがモルタルを剝がした石で、散らばる小さなかけらは剝がされたモルタル。

近所の野毛坂に敷かれていた石畳のピンコロ石を、
横浜市から2トントラック2台分譲り受けました。
「1個ずつ」に分離された状態のピンコロ石を思い描いていたのですが、
届いてびっくり、ほとんどモルタルと一緒に固まったものでした。
遺跡発掘現場さながらの、ピンコロ石整形現場。
それから半年に及ぶ、CASACO自主施工シリーズの最初の一手となりました。

ピンコロ石の一生から

石畳が敷かれていた頃の野毛坂。野毛山動物園や野毛山公園に向かう人々が行き交う。

CASACOのある東ケ丘の麓に広がる飲屋街「野毛」から、
横浜市中央図書館の脇を抜けて動物園へと通じる坂道「野毛坂」には、
大正時代から石畳の風景がありました。近所の人々からも愛着をもたれていた風景でしたが、
振動などの理由からアスファルトに置き換わることが決まってしまいました。

石畳を剝がす作業している際の様子。

CASACO改修のサポートをしてくださっていた横浜市職員の方に相談したところ、
一部譲り受けることができました。2トントラック2台分のピンコロ石の固まりが、
CASACOの裏庭に運ばれてきました。石にとってみれば、
どこかの処分場に運ばれていくことよりも、幸せなことに違いありません。

2トントラック2台分、2000個近くのピンコロ石がCASACOの裏庭に運ばれてきた。

ピンコロ石についたモルタルは、ひとつずつ手作業で剝がしていく。

数個でひと塊になっているものを、大きなハンマーで分解していきます。
作業をしてみると石は非常に頑丈で、モルタルは打撃に弱いことがよくわかります。

それでもこびりついているモルタルを、今度は小さなハンマーで叩いていきます。
最初は苦戦しますが、慣れてくると「ツボ」が見えてきて、
一発で剝がすことも可能になっていきます。

繰り返される単純作業と重労働に心折れる人もいれば、
そのリズム感と剝がれた時の快感によって「ピンコロ中毒」になっていく人もいたり(笑)。
石1個にこれほど向き合い、愛着をもったこともないように思います。

部活帰りの中学生や、近所のお母さんが、その珍しい光景に引き寄せられ、
一緒に作業することもしばしばありました。
多くの人に手伝っていただきながら、すべてのピンコロ石の整形を終えたころには、
2週間ほど経っていました。

みんなで敷いたからこそ生まれた「歪み」

整形されたピンコロ石は、CASACOの前面道路側に新たに生まれる「軒下空間」に敷かれます。これを地域の方々に呼びかけした参加型の施工ワークショップとし、
CASACO改修のメインイベントとなりました。

京都府北部の多様な移住スタイルを
「編集」するプロジェクトが始動!
「ひとつ先の京都へ」を掲げる
冊子と動画が登場。

多種多様な移住のカタチを伝える、
新しい移住・定住促進プロジェクト

京都府北部地域の福知山市、舞鶴市、綾部市、宮津市、京丹後市、伊根町、与謝野町。
これらの7市町が広域連携し、
2016年に移住・定住促進プロジェクト「たんたんターン」が始まった。
このプロジェクトをサポートしているのが、
地域社会のブランディングを支援する「ロコブラ」などを手がける博報堂、
移住定住を推進するメディア『雛形』を運営するオズマピーアール、
そしてコロカル編集部が連携した「地域エディットブランディング」チームだ。
京都府北部にはどんな魅力や暮らしのスタイル、働き方があるのか。
移住者はどんな暮らしを営んでいるのか。
半年をかけてそれを探り、新しい価値を見つける活動を自治体とともに行ってきた。
ここには、想像以上に多種多様な移住のかたちがあり、
それを受け入れる地域のふところの深さがあった。

海のまちも、山のまちも、
都市とつながるまちも。

日本海沿いにある京丹後市、伊根町、宮津市、舞鶴市。
緑豊かな田園風景が広がる与謝野町、福知山市、綾部市。
これらの7市町までは、京都市内から車で1時間30分〜2時間程度。
“いわゆる京都”のちょっと先の場所に位置している。
この地域には今もなお、なつかしい里山の景色が残り、
ゆったりとしたリズムで穏やかな時間が流れている。

伊根町には〈舟屋〉と呼ばれる民家が伊根湾に沿って建ち並び、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。舟屋は、230軒ほどがずらっと並び、その長さは5キロメートルにもわたる。

京丹後市にある八丁浜のビーチ。

海とともに暮らすまちにある壮大な景色。水がきれいで、心地よい浜風を浴びながら、
自由気ままなライフスタイルを過ごせる。
釣りはもちろん、サーフィンなどのアクティビティも充実。
また、海沿いにある公園は、夜になればきれいな星空の下、
友人たちと語らいの場としても使われることも。

棚田や民家など集落を含めた里山景観が注目される、宮津市の上世屋集落。四季折々に移ろう大自然のエネルギーを身近に感じられる。

舞鶴市の昔なつかしい日本家屋。伝統的なつくりを残しつつリノベーションで特別な空間に。

山には穏やかな空気が流れ、棚田や笹葺き屋根の家屋からは日本特有の情緒が漂う。
歴史文化も7市町に内在するキーワード。
景観、家のつくり、集落など、レトロでなつかしいまち並みが残り、
後世へと受け継がれている。
農業をしながら自給自足の生活を営む人もなかにはいて、
生きる工夫が生活の豊かさにつながっていく。
人それぞれ、十人十色の暮らし方がここにはある。

京丹後市のとれたての魚をネタにしたお寿司。ときには、みんなでお寿司づくりを楽しむパーティーが開催される。

海の幸、山の幸ともに充実し、旬の魚、野菜、果物をたらふく食べることができる。
今朝あがったばかりの魚、収穫したばかりの野菜や果物などを使った
贅沢なごちそうを常日頃から味わえる。水がきれいだからお米もおいしい。
そして、おいしいごちそうを一緒に食べる仲間に囲まれて、
楽しい団欒のひと時もこの地域の魅力のひとつ。

2015年には、京都府北部地域と京都市内をつなぐ自動車専用道路が開通された。
市内からさほど遠くなく、簡単に遊びに行けるため、住民たちの行き来も多くなっている。
なかでも、綾部市は京都市内へ通勤圏内という場所でもある。
適度にアクセスがよく、自然だけでなく伝統文化や食文化、
レジャーなど豊富な地域資源を使った楽しみもあるため、最近では観光業が発展してきている。

なにより人同士のつながりが強い京都府北部地域。
この地域のこれらの魅力に惹かれて、移住を決めた人たちがいる。
彼らがどういった経緯で移住を決心して、現在はどんな暮らしを送っているのか? 
「地域エディットブランディング」チームが、7人のキーパーソンの移住スタイルを追った。

古民家宿 LOOF vol.4
山梨の集落の宿に、国内外から
年間1000人以上が訪れた理由とは

古民家宿LOOF vol.4

山梨県笛吹市芦川町で運営している、古民家一棟貸し宿LOOF〈澤之家〉・〈坂之家〉という、
2棟の宿ができるまでを綴っていきます。

古民家宿LOOF〈澤之家〉が、解体、改修を経てようやく完成しました。
しかしすぐ迎える冬、大きな観光地でもない芦川町に、果たしてお客さまは来るのか。

床の間にプロジェクターで映画が映し出せる、床の間シアター。

茅葺きを眺めながら寝られる、2階に設けた就寝スペース。

2階建ての吹き抜けがある古民家宿LOOF澤之家。

ギリギリだった、お披露目の日

オープンは2014年10月15日。

その前に、お世話になったたくさんの方へお披露目として、
オープニングパーティーを行いました。
オープニングパーティーまでには準備がしっかり整っているはず……でしたが、
パーティー当日にまだ水道の蛇口が付いていない。
お祓いも終わっていない。パーティーの準備もできていない。
朝から水道工事が始まり、同時に古民家のお掃除、神主さんによるお祓いと、
ドタバタのオープンになりました。

オープン前の準備の様子。

地元の神主さんにオープン前のお祓いをしていただいているところ。

オープニングパーティーには、地域の方、お手伝いいただいたボランティアの方、
クラウドファンディングで支援してくださった方、
友人、議員さんなどたくさんの方にお越しいただきました。

オープニングパーティーの様子。

無事、お披露目も終了し、本格オープンは10月15日。
首都圏の20〜30代、海外のお客さまをターゲットに、
若い方にも古民家に気軽に泊まっていただけるように、
過ごしやすい空間づくりを徹底しました。

始める前は90パーセント以上の人に失敗すると否定されており、
私も観光地ではないこの場所に本当にひとりもお客さまが来なくても
不思議ではないと思っていました。

ただ、プレスリリースなどは行わず、お越しいただいたお客さまから
確実に口コミで広げていこうと特に大きな広告は打たずにオープンをしました。

しかしオープン直後、冬ということもあって、不安は募るばかり。

株式会社建大工房 vol.4
木材、布にガラス。
地元企業の廃材を組み合わせて、
ラーメン店にリノベーション!

株式会社建大工房 vol.4 
地元の廃材プロジェクトの始まり

一般的に、建築には人件費が一番高くつくといいます。
それを削減するためにどんどん工業化や簡略化が進み、
結果、職人不足になるというスパイラル。
今回は廃材やもらい物を使うことで安く上げるのではなく、
材料費で浮いた分を、あえて「職人の人件費に分配しよう」ということから始まりました。

今回の物件は廃材をふんだんに使ってつくったラーメン屋さん。
福井市に2店舗を構える人気店〈いちろくらーめん〉の新店舗で、
福井市内の空き店舗をリノベーションしました。
大きなコンセプトとしては廃材を利用するということですが、
ほかにもいろんな意味のあるプロジェクトになりました。

通常、店舗の内装工事であればできるだけ短期間で仕上げて店をオープンさせるところを、
廃材を使うなど、あえて手間と時間をかける。
1日十数万円売り上げる店舗が、逆にテナントの空家賃という余計な出費まで発生します。

そんなリスクを負ってまでこのプロジェクトを実現させてくれた、
〈いちろくらーめん〉山中与志一社長に感謝します。

業界トップシェア、地元ガラス商社との出会い

事の発端は僕の知人で、山中社長の友人でもある、
〈OOKABE GLASS HD〉(元大壁商事株式会社)の大壁勝洋社長が
このプロジェクトを発案したことでした。
このOOKABE GLASS HDという会社はインターネットで特殊なガラスを販売する、
業界トップシェアを誇る福井の企業で、建築業界だけではなく個人でも購入できます。
また、ネット販売でも電話での顧客対応サービスに特化していることで定評のある会社です。
同社の大壁社長が考えているのが自社で日々排出されるガラスの端材などを含め、
さまざまな産業から出る廃材の流通や活用法でした。

〈いちろくらーめん〉3店舗目の出店が福井市の繁華街でも目立つ中心部に決まった時に、
大壁社長が「どうせならおもしろいお店にしようよ!」ということで、
廃材を使ったデザインをするのが好きな僕に山中社長を紹介してくれたのが始まりでした。

閉鎖的な夜のお店が多い繁華街でガラス張りの壁。

トミトアーキテクチャ vol.2
空き家を公共的な交流空間へ。
でも、誰の声を聞いて設計する?

トミトアーキテクチャ vol.2

横浜市の丘の上の住宅街に生まれた〈CASACO〉(カサコ)は、
木造二軒長屋を改修した、多国籍・多世代交流スペースです。
トミトアーキテクチャでは、この設計を担当し、現在も運営に携わっています。

はじまりは、NPO法人〈Connection of the Children〉を主宰する
加藤 功甫さんからの依頼でした。
目的は「家をまちに開きたい」というもの。しかし、予算は0円。
前途多難ですが、まずは市や地域の協力者を募ることにしました。

若者 × 空家 = 不気味?

記念すべきワークショップ第1回。周到に準備をしたつもりが、近隣住民の参加はひとりだけでした。

さて、突然ですがこの写真、みなさんどう思いますか?
いろんな世代のご近所さんが集まって仲睦まじく交流している、
そんな印象を抱く方もいるかと思います。

カサコの改修計画をつくるにあたり、地域の人にも愛着をもって使ってもらうために、
ワークショップを開くことになりました。
近隣住民を招いて初めて開催したのはカサコをどんな風に使ってみたいかをヒアリングする
「お話を聴く会」。写真は、ワークショップのワンシーンなのですが、
実は肝心の「近隣住民」はピンクのシャツを着た元気な男の子ひとりだけ。
あとは全員、会を主催した側の人やその友人、つまり「内輪」なのです! チラシを配り、
楽しんでもらうための最強コンテンツ「流しそうめん」まで用意したのですが……。

5年以上空き家だった建物に突然若い人が移り住んできて、
次第に同じ世代の人が集まり、夜な夜なミーティングをしている。
大きなバッグを背負った外国人もたまに泊まりにきている。

「地域・子ども・旅人のみなさんのために家を開こうと思っているんです! 
ぜひ遊びにきてください!」

と目を輝かせながら言われても、近所の人には少し不気味に映ったことでしょう。
今振り返るとよくわかります(笑)。
しかし当時の僕らは「どうして集まらないんだろう」と、悩みました。

救世主は、横浜市のユニークな制度「まち普請」

問題はまだあります。カサコの改修予算は0円。スポンサーを募る? 寄付をお願いする? 
クラウドファンディング? どれも現実味がないなか、
横浜市の「ヨコハマ市民まち普請事業」に出合いました。

この事業、全国でも珍しい取り組みなのです。

「普請」とは相互扶助による道や家の建設行為のこと。
現在の言葉では「DO IT WITH OTHERS」でしょうか。
市民自らが公共性をもつスペースの整備を企画し、
自分たちで運営をしていくという意志と持続可能性があるものについて、
その改修に関わる「ハード」整備費用を最大500万円まで市が補助するものです。

審査に1年かかり、そこから地域住民を巻き込みながら場所を整備することが求められるので、
2年以上かかるプログラムなのです。整備の内容ももちろん問われますが、
もっとも重視されるのは、地域の人が求めているか、どう思っているか、
持続的に運営できる内容かなどといった「ソフト」のほうなのです。

先ほどのワークショップの悩みは、まち普請事業の一次審査に通過した後、
運営や設計の計画を練っている頃にぶちあたったものでした。

やりたいことと動機を発信する

通りからよくみえる場所にある窓。しかし中は雑然としており、あまり入りたい雰囲気ではなかった。

アドバイザーに入っていただいていた〈コトラボ合同会社〉の岡部友彦さん
リノベのススメにも登場)に悩みを相談したところ、
「通りからの見え」を指摘されました。確かに、あまり入りたいとは思えない状況です(笑)。

通りを見通すことができる場所に位置する窓は、地域の人々とコミュニケーションを図る
絶好の道具であるにもかかわらず、そのポテンシャルに気づいていませんでした。
その指摘を受けた直後、窓辺を掃除し、改修後の姿をしめす模型をレイアウト。
自分たちがどんな思いで何をしたいのか伝えるために、
「道行く人へのプレゼンテーションコーナー」をつくりました。

窓を掃除し、模型をレイアウト。道行く人が覗いていくようになった。

この試み、じわじわと効果がでてきました。
「何をしようとしているのか、ちょっとわかった気がする」
と声をかけていただいたり、窓を介した挨拶も増えていきました。

何をしたいのか、なぜしたいのか。それをきちんと伝えること。

この重要性に気づいたカサコメンバーは、地域向けに新聞をつくることにしました。
東ケ丘での出来事やカサコでの活動を月一でA3版の新聞にまとめ、
町内会に協力いただくかたちで、町内約250世帯すべてに配布させていただいています。
最新号は34号。約3年が経つ現在も、継続して発行しています。

歴代の新聞を展示。ワークショップやイベントに顔を出してくださる住民も増えてきた。

丘のまちの住宅地の地域素材

このような取り組みを経て、無事まち普請事業に採択されて
改修資金の足がかりを得ることができましたが、改修する面積に対する費用の割合でいったら、
ほとんど不可能に近いような規模であり、改修費を抑えるための工夫が不可欠です。

その工夫のひとつとして僕らが考えたのが、地域素材を活用すること。
豊かな自然が近くにあるわけでもない住宅地のど真ん中で、地域素材とは一体どういうことか。

古民家宿 LOOF vol.3 デザイン家具に薪ストーブ。 山梨に残る伝統建築を、快適な宿へ

古民家宿LOOF vol.3

山梨県笛吹市芦川町で運営している、古民家一棟貸し宿LOOF澤之家・坂之家という2棟の宿の
オープンまでの経緯を綴っていきます。

vol.2では、澤之家の解体がひと通り終わり、ようやく建物をつくりあげていく段階へ。
大工の市田 仁さん指導のもと、
使ったことのない機械や道具を使って建物をつくり上げていきます。

床材・壁材を古民家に合わせた色に塗っているところ。

初めてインパクトを使用して、床を張っていきます。

改修は、下記のポイントを大切にしました。

1、古民家の良い部分は残す。

2、快適に過ごせるような空間にする。

3、モダンな内装にする。

ひとつ目に、古民家の良い部分はそのまま残すという点。
これはいろいろな古民家をリノベーションした宿やレストラン、カフェを見るなかで、
まったく手を加えていないそのままの古民家や、
手を加えすぎて古民家の良さがなくなってしまった現代的すぎる建物を見て、
ほどよく改修していこうと考えたからでした。

まずは、元の姿をとり戻す

芦川町の古民家の特長である “兜造り”の屋根はそのまま残し、
中の茅葺きがしっかりと映えるように、建物は吹き抜けにしました。

長年時間をかけて燻された梁はそのままに。燻された黒い梁の色に合わせて壁や床は同様の色に。

建物自体は築100年を超える建物ですが、すべてが当時のままだったわけではありません。

私たちがお借りする前に住んでいた方が住みやすいようにと
お風呂、キッチンなどの水回りは現代的に改修され、窓はアルミサッシに変わっていました。

改修前のキッチン。

解体前、窓はほとんどこのようなアルミサッシでした。

そこで、古民家の室内に浮いてしまっていた現代的な部分はすべて解体し、
キッチンスペースは土間のキッチンに、サッシはアルミから
すべて木枠のサッシに取り替えるような、逆に古く戻すという作業をしました。

株式会社建大工房 vol.3 海辺のボロボロの小屋が かわいいかき氷店に変身! パティスリー〈NUAGE〉

株式会社建大工房 vol.3

前回の最後に次回の記事は廃材で作ったらーめん屋さんと書いたのですが
諸々事情がありまして次回に回させていただきます。
そして今回紹介するのは、これまでこの連載で書かれた中では
恐らく最小の金額のリノベーション物件じゃないかと思います。
基本的な設備などのインフラ工事以外、建築の改装にかかった金額は20万円。
そして、こんな田舎の見捨てられたボロ小屋が
まさかの1日数十万円も稼ぐ店になるとは思ってもみませんでした。

改装前。目の前が海水浴場で風雨に耐え、いろいろ傾いていてギリギリ立っている感じ。最初は家の中まで植物が侵食してきていた。

夫妻の小さなパティスリー

住宅とは違って商業建築では一般的な話ですが、いくらSNSなどが発達したしたとは言え、
絶対的に観光資源や人口の少ない、高齢化の進む田舎のまちで、
個人が小規模で物販や飲食などの商売を始めるにあたって、
建築にかけることのできる予算は限られています。

尚かつ、田舎ならではのコミュニティや豊かな生活の知恵は多々あれど、
都会のようにアートやデザインに対して感度の高い人や
「質」にこだわったライフスタイルを送っている人もそうたくさんいるわけでもないのが現実。
ブランディングなどの「デザイン」に対する費用のかけ方も、
やはりその地域特有の絶妙なバランスがあると思います。
もちろん計算で数値化できるような単純なものでもないでしょうし、
僕個人としてはその限られた環境で
コアなファンをつくって細くとも長くお店を続けていくのが大事だと思っています。

ボロボロの木造平屋を超低予算でお店にしたい

最初に僕のところに話がきたのは4年近く前になります。
最初の写真のあのボロ小屋をかき氷屋さんにしたいとの依頼でした。
クライアントの出藏さんとはこのとき初めてお会いしたのですが、
もともと数年前は建築にもお金をかけて
こだわったパティスリーを福井県内で数店舗も経営されていた、地元では有名人だったので、
「何でいまさらこんなところで?」と最初は疑問だらけでした。

ただ、海水浴場の目の前という立地はおもしろい条件だったのと、
ボロ小屋が植物に侵されている感じがなんともかわいかったので、
僕としてはほぼ商売にはならない仕事でしたが快諾しました。
と言っても予算がかつかつなので、塗装して看板を付けただけの誰でもできる改装でした。

あまりに古すぎて、水と電気を通すのも近所の人に承諾を得て、
他人の敷地内を通って引っ張ってこないといけないとか、
装飾的な改装よりもインフラの整備のほうにお金をかけなければいけない状況で、
今まで誰も手をつけられなかったのも頷けました。

中もただペンキを塗っただけ。福井のガラス工房〈WATARIGLASS studio〉の作品が色を添えてくれています。

ここ三国町では毎年8月11日にある「三国花火」という海岸での花火大会が有名で、
その日は毎年県内外から20万人以上訪れると言われています。
人口80万人をきった福井県の人口から考えると化け物みたいなイベントですね。

オープンしたばかりのこのかき氷店、蓋を開けてみると、
花火当日は長蛇の列で1日で数十万円も売り上げる繁盛店になっていました。
かき氷もソースやトッピングに地元でとれる素材の果物を使ったり、
ほかにもクレープやアイスなど洋菓子店ならではのいろいろなスイーツが売っているので
この店構えだけで入ってきた人はビックリですよね。

いくらそれだけ人が集まるビッグイベントとは言え、まだまだ小さな田舎まち。
ほかに出店しているお店は一般的な露店なので、
そこに軒を連ねるようにこの個性的な店があれば確かに目を引くのは間違いありません。

地元の吹きガラスの作家さんや鉄工職人たちとコラボレーションして立ちあげたお店の名前は〈港町職人〉。屋根の棟の部分にこのお店のロゴでもある古い船の舵を。

毎年、海水浴シーズンの週末と花火の日だけのオープンなので、年間の稼働日はほんの数日。
もともと大家さんも壊そうとしていた物件だったので家賃も固定資産税程度。
ここだけの商売で考えると十分黒字です。
たぶん建物が朽ちるまでは商売続けられるんじゃないでしょうか。
やはり今まで数々のお店を出店してきた出藏さんだからこそ、
この場所に目をつけることができたのだと思います。

一時期は路面店、有名百貨店内の売り場などを合わせると
6店舗を切り盛りしながらスタッフも100人近くを抱えて手広く展開していた出藏さんですが、
今はすべて閉めて人も雇わずに、夫婦ふたりで黙々とスイーツをつくり続けています。
元来、こだわりの職人気質で人ともぶつかることが多かったみたいで、
ここに至る経緯も多分にあったと思うし、
聞けば1年くらい引き籠っていた時期もあったと言います。

トミトアーキテクチャ vol.1 横浜市の多国籍・多世代交流施設 〈CASACO〉ができるまで。

トミトアーキテクチャ vol.1

はじめまして。伊藤孝仁と申します。冨永美保とふたりで
tomito architecture〈トミトアーキテクチャ〉という設計事務所を共同主宰しています。
横浜の“東ケ丘”という丘に広がる住宅地に事務所を構えており、
設計を行った地域拠点型シェアハウス〈CASACO〉(カサコ)の運営にも関わっています。

CASACOとは?

CASACOは、築65年以上の木造二軒長屋を改修したスペースです。
2階には語学留学中のホームステイゲストを含む国際色豊かなメンバーの居室が集まり、
1階はシェアスペースです。ただ居住者だけが使うシェアスペースではなく、
地域の多世代や外から来た人々にも広く開かれているのが特徴です。

CASACO 、そして東ケ丘という何の変哲もない住宅地が、この連載の主役です。
設計から運営へと地続きに連続する3年の間の、さまざまな出来事を振り返りながら、
住宅地の片隅に生まれつつある新しい生活のかたちについて考えていきたいと思います。
とはいえ、あまり肩肘張らず気楽に。どうぞお付き合いください。

はじまりは、若者のある想いから

改修前のCASACOの外観。緩やかにカーブする尾根道沿いにあり、通りからよく見える。

「DIYで家を住み開きしたいっていう若者がいるんだけど、相談に乗ってもらえない?」
私たちの共通の知り合いであり、
横浜で長く子どもの居場所づくりの活動をしている今井嘉江さんから声をかけていただき、
東ケ丘に初めて訪れたのは2014年の2月でした。

当時私は設計事務所を退職した後で、
横浜の関内を拠点にフリーランスとして設計活動を行っており、
冨永は大学で研究室の助手をしながら設計活動をしていました。
横浜国立大学のY-GSA(Yokohama Graduate School of Architecture)で同じ釜の飯を食い、
ときたまコンペなどを一緒にやっていた私たちは、卒業以来久しぶりの再会でした。
依頼者である若者、加藤功甫さんは同世代で同じ大学の出身。
自転車でユーラシア大陸を横断した経験をもち、
子どもの教育や旅にフォーカスしたNPO法人〈Connection of the Children〉を主宰する
パワフルでオープンな人物です。 相談の内容はだいたいこんな感じでした。

「賃貸で借りている物件だけど、大家さん曰く好きにいじっていいと」
「自宅兼NPOの事務所として、いろんな人が気軽に立ち寄れる場所にしたい」
「予算は0円。DIYだったらどうにかなりますか?」

予算は0円でも関わろうと決めた3つの理由

おそらく普通の設計事務所であれば、
「おもしろそうな活動ですね、陰ながら応援します、頑張ってください!」と、
やんわりフェイドアウトするのが常でしょう(笑)。
しかし私たちは、仕組みづくりから関わることを決めました。その理由は3つあります。

ひとつは、「家を開きたい」という彼の飾らない意思と人柄に、公共性を感じたからです。
まるで風通しのいい空間に出会ったような感覚です。彼が旅の間訪れた先々で、
温かく迎え入れられたエピソードを聞くことで、
その人柄が形成されていった過程をうかがい知ることができました。

ふたつめは、見るからにボロ屋ではあるその建物の、
ぴょこっと道に顔を出しているような佇まいに惚れたことです。
建築は普通、中に入ることで経験されるものですが、
建築が生まれ変わることでまちへ与えるインパクトは、必ずしもそれだけではありません。
遠くから眺めたり、横を通り過ぎるのも建築の経験だと考えると、
非常に可能性を秘めた場所だと思えたのです。

3つめは、空間の使い方が漠然とした依頼内容だったからこそ、
ソフトとハードを一緒に考えられるのではと思えたからです。
建築設計の依頼は通常、ソフトがガチガチに決まった状態で降りてきます。
主に経済的な枠組みに従って、機能や部屋の種類や数、面積などの
ガイドラインが与えられたなか、
ソフトを最高の状態で実現するハードを一生懸命に考えるわけです。しかし建築の可能性を、
ソフトを受け止める「箱」という役割の中だけに見るのは悲しいことです。

ソフトとハードは相互に影響するもの。
例えば子どもは、野性的な感覚で「遊び場」をまち中に見つけだし、
ときにはその空間の特徴から「新しい遊び」を発明します。
これはハードをきっかけに生まれるソフトのひとつの事例でしょう。
空間の使い方や仕組みと建築のかたちを、一緒に考えなければ生まれないような、
新しい場所のあり方をデザインしたいと強く思いました。

「お掃除大会」をきっかけに、古民家の離れを借りる

さて、プロジェクトができたものの、私たちには事務所がありません。
模型製作や打ち合わせをするような、
ふたりで共同で使える空間はありませんでした。なかなかの見切り発車です。
そこで、プロジェクトの紹介をしてくださった今井さんに相談をしてみました。
「倉庫として借りている古民家があるんだけど、ちょっと遊びにこない?」
横浜駅から15分ほど歩いた、旧東海道沿いの閑静な住宅街の中に、その古民家はありました。

「稲葉邸」と呼ばれる、古民家という言葉があまり似つかわしくない、
「邸宅」とでも呼びたくなる佇まいに驚きました。
敷地内には蔵と庭、井戸や稲荷まであります。

稲葉邸の空間を体験し感嘆の声を漏らしながら、
密かに目をつけたのは「離れ」と呼ばれる計10畳ほどの空間。
建物の中にはたくさんの物がありましたが、
整理整頓をすればこの「離れ」のサイズくらいの空きスペースはつくれるのでは、
という予感がしました。また、 表庭と裏庭の両方に開口をもち、
いかにもいい風が通り抜けていきそうで、魅力的でした。

そこで、大胆な提案をしてみることにしました。
「大掃除と効率的な収納空間づくりをさせてください。
そして、空いた離れのスペースを間借りさせてもらえないでしょうか」
若いクリエイターを応援したいと思ってくださっていた今井さんは、快諾。
この瞬間ほどワクワクしたことはないかもしれません。

庭を埋めつくす物の大群。時間をかけながら捨てる/残すを考える今井さんの姿と「人生を整理するいい時間だった」という言葉が印象的でした。

かくして、偶然に偶然が重なって、すてきな事務所を手にしてしまった私たちは、
その空間の雰囲気や応援してくださる方々に後押しされるようなかたちで、
トミトアーキテクチャを名乗るようになりました。

古民家宿 LOOF vol.2 経験ゼロの古民家改修。 遊んで学べる、 宿づくりアカデミー始動

古民家宿 LOOF vol.2

山梨県笛吹市芦川町で、
古民一棟貸し宿LOOF澤之家・坂之家という2棟の宿を経営しています。
vol.1では、どうして私が芦川町で古民家の宿を始めようと思ったのか。
全国の宿や、古民家プロジェクトなどを見学に行き、地元の方の理解を得て、
実際に古民家を借りるところまでを書きました。今回は、いよいよ古民家に手を入れます。

改修方針を決めるマーケティングリサーチ

築100年の古民家を改修するにあたって、
改修する前にいろいろ勉強に見学に行ったところでわかったことは、
やはり古民家の改修にはお金がかかるということ。
何千万、何億の費用がかかるということがわかりました。

クオリティは高いものをつくりあげたいけど、費用を下げたい。
そこで、「プロ×セルフDIYでイニシャルコストを徹底的に抑える」方法を考えました。
完全にプロに任せては費用がかかってしまうので、
私も実際に作業に加わることにし、さらに手伝ってくれるボランティアの人を集めようと。

ただ単純にボランティアで手伝ってもらうのでは、参加してくれた方は楽しくない。
ボランティアの方にも意味のあるものにするためには、どうしたらいいか。
考えたのが、「宿づくりアカデミー」です。

建築の勉強をしているけど、実際の作業をあまりできていない建築学科の学生さん、
古民家に興味のある方、宿に興味のある方が、ただ手伝うだけでなく、
その方にもプラスになるようにプロに学びながら古民家の宿を実際につくり上げていきます。

今回、プロフェッショナルの先生としてお願いしたのが、
一級建築士の斎藤 透さんと、山梨県古民家再生協会に所属している大工さんの市田 仁さん。
アカデミーの内容は、部活動のようなかたちにし、3つのチーム分けを行いました。

1、マーケティング企画部

2、設計・デザイン部

3、建築・ものづくり部

マーケティング・企画部はまず、「コンセプトメイキング」。
宿企画の軸となる部分。“誰に何を売るのか?”を明確にします。
3C分析として、Customer(顧客)Company、(自社)、Competitor(競合)の分析。
SWOT分析として、Strengths (強み)、Weaknesses (弱み)、Opportunities (機会)、
Threats (脅威)の分析。
5P戦略として、Product(製品)、Price(価格)、Place(流通)、
Promotion(プロモーション)など基本的なフレームワークを基に、
コンセプトを明確にし、具体的なところまで落とし込んでいくことを考える。
そして企画・販売戦略立案として、コンセプトが決まり、それに沿った内装が決まった後に、
今度はそれをいくらで、どのようにして、
認知してもらい商品を買ってもらうかを明確にします。

次に、設計・デザイン部。
現地調査・図面おこしを建築士の斎藤さんと行い、
古民家の現状調査をはじめ、まずは図面におこし、
問題点・修正箇所を明確にしていきます。
その後、コンセプトから具体的になった内装イメージを基に、
完成図面をおこし、空間スケッチを作成し、施工業者に見積もりを依頼します。

最後に建築・ものづくり部。
ここは実際に手を動かす作業。まずは、古民家内にある荷物のゴミなどをまとめ、
使用するもの・捨てるものに区別し整理整頓をします。
その後、解体作業が始まります。変更やつくり直しが決まったところに関しては、解体し、
使える資材などをまとめていきます。整理整頓が終わったら、古民家の改修。
実際に大工の市田さんと一緒に改修するとともに、
古材を使用しながらインテリアを作成していきます。

宿づくりアカデミー始動

最初に始まったのは、2014年2月に始まった、マーケティング・企画部。
このチームは単発の参加ではなく、しっかりコミットできる人員である必要があり、
さらに外部からの視点・内部からの視点の両軸が必要でした。
内部の視点として、芦川育ちの私と、山梨出身の友人、
プランナーの宮川しおりさんに協力してもらい、
外部の視点として、東京で出会った友人の丸谷篤史さんと関口照輝さん、
本間めぐみさんに協力してもらい、
ニーズ・シーズ目線からコンセプトをつくり上げていくことに。
それぞれ「自分を知ろうチーム」と「外部を知ろうチーム」に分かれ、
まずは情報を集めていきます。

IVolli architecture vol.7 土地に難あり、風呂なしの 小さな木造アパートが、 新しいコミュニティの拠点へ。

IVolli architecture vol.7

アイボリィアーキテクチュアの永田です。
半年ぶりの掲載になります。

だいぶ期間が空いてしまいましたが、前回は僕らの最初のプロジェクトである、
横浜の木造平屋のアパートの改修計画「藤棚のアパートメント」が
どのように始まっていったのかを紹介しました。

実はこの物件、最近になって、やっと竣工にたどり着きました。
今回は竣工に至るまでの長い道のりを紹介します。

オーナーさんがもつ別の物件〈ヨコハマアパートメント〉に僕が住んでいた縁で、
アイボリィが、この物件の改修をすることになりました。
僕らが、独立したばかりの2013年頃のことです。
もとは、いわゆる風呂なし、木造平屋アパートで、居室は3部屋。
ここに、共有スペースをもりこんで改修できないかというのです。

びっくりした、土地の境界

きっかけは、定期借地であった土地がオーナーさんのもとに帰ってきたことから始まります。
すぐ後ろに崖を背負った場所にあり、
あたりは古くからの木造家屋がいくつか残っているエリアです。
横浜というと港のイメージが強いですが、
歴史を遡ると埋め立てによってつくられた場所が多く、
少し内陸に入ると起伏に富んだ、崖や坂道の多い地形が特徴です。

例えば、「野毛」という地名も、古くは「崖」を意味する言葉だったようなので、
まさに「崖」そのものとも言えるまちです。

西横浜にある〈願成寺〉横の坂道。

オーナーさんのもとに木造平屋のアパートがそのまま残った状態で返ってきたうえに、
庭までついてきたので、初めての設計仕事としては
申し分ないくらいにおもしろくなりそうだとワクワクしていたのですが、
蓋を開けてみるといくつも高いハードルが待っていたのです……。

まず最初に僕らが驚いたのは、オーナーさんのもとに返ってきた土地と、
隣地との境界線がアパートの中にあるということでした。
どういうことかというと、

建物の建っている場所の4分の1くらいを削るように境界線(赤丸部分)が引かれています。
(これじゃ建物が完全に越境してる……)
どうやら過去に何度かを土地を分筆、合筆を繰り返すうちに、
建物だけが宙ぶらりの状態で残ってしまい、分筆された分の土地が返ってきたようです。

つまり、老朽化したアパートを改修して再生するには、
プランを変更して減築し、適法な状態にする必要がありました。ただ、減築をするとなると、
建物のひと部屋分くらいは減らさないといけないことになります。
お風呂もなく小さなトイレがついただけの長屋形式の建物でしたので、
減築してしまうと部屋の数もふたつしか残らず、
それぞれの部屋の床面積も大幅に減ってしまいます。これではお金をかけて工事をしても、
賃貸アパートとして貸し出せる部分がかなり少なくなってしまいます。

この風呂なし部屋の半分以上は削らないといけなさそうです。

庭も共有スペースとして生かす

老朽化も進んでいるので、いっそ建て替えるのが賢明かと
新築案も視野にいれてオーナーの川口さんと話し合いもしましたが、
最終的に予算的に可能な建物減築案を僕らは受け入れることにしました。

部屋の面積が減ってしまう代わりに、
増えた外部空間を部屋の延長として使う道を探そうという方針です。
部屋の面積を最小限にして、家の外にも部屋のような場所があれば、
自然と暮らしの中に外部空間と触れ合う場所が生まれそうです。

そしてそこがアパートの隣室の人や、隣家の方とのコミュニケーションの場になれば、
このような木造密集地でも新しく良好なコミュニティが育まれるのではと考えました。

狭い居室を補うように外部に居場所をつくる。

前回の記事にあるように、
藤棚とブロック塀による外部環境の提案が生まれたのはこの時期です。

建物の中と同じように、「庭の間取り」を考える。
寸法や壁位置、柱間隔も既存の建物にならって決めていき、
上空には梁と対応するように藤棚をかける。
「パンチのある、見たことがないアパート」を望んでいたオーナーの川口さんも、
この外部空間を活用する藤棚の提案には満足していただけました。

建物の構造に合わせて、外部空間をつくっています。

敷地にもともとある植物を切らずに屋根をかけるには藤棚が最適でした。

室内の狭さを払拭するために外部まで空間が広がっています。

方針が決まるころ、ちょうど夏真っ盛りの時期だったので、
この外部空間がどんな場所になるのかを、塩ビパイプで壁を組み立て、
実際の見えや、使い方を検証しながらBBQで利用してみました。

庭にある植物の位置や、お隣さんとの距離感など実地で検証しました。

前に進まない工事。その理由は?

さて、プランも定まり、意気揚々と工務店に見積もりをお願いする段階へと進みました。
予想外の「減築工事」が入ることになったため、予算はかつかつ。
当時まだ独立したばかりだった僕らには頼める工務店さんというのがあまりいませんでした。
それでも知人や前職のつながりで紹介してもらい、
何社か依頼できそうだったので、見積もりをお願いすることに。

通常見積もり調整は工務店からの金額をチェックして減額する部分を調整して、
という作業を何度か交わして最終的な金額に落ち着かせていきます。
あまり予算もない工事でしたが、
ある工務店の監督さんが「任せろ」と快く引き受けてくださり、
金額も予算に収める方向でまとめてくれることになりました。

ただ、ここで僕らは大きな失敗をしてしまいます。

予算的に一番現実味のある見積もりを出してくれた工務店がひとつしかなく、
そこ頼みで見積もりを進めていたので、
次第に相手のスケジュールに振り回されていくようになってしまいます。

「来週まで工事が忙しいからそのあと見積もり出します」

「夜間現場で1か月いません」

「3週間待って」

ことあるごとにリスケされ、見積もり調整のやりとりも延び延びになってしまい、
次第に連絡も取れなくなっていきました。数か月近くの時間が取られ、
さすがにまずいとその間ほかの工務店にも相談に乗ってもらいましたが、
やはり金額が合わず……。計画自体が暗礁に乗り上げてしまいました。
そして恥ずかしい話ですが、実は同じようなことがこの後2、3社続きました。

最初は快諾してもらえるのですが、どこも次第に連絡が取れなくなっていきます。
設計の精度や進め方など、こちらの経験不足が露呈し、
かなり訝しがられていたのだと思います。
未経験から始めたことによる「洗礼」をこの時受けました。

「待つ」時間ばかりで一向に前に進まず、
この時点で、改修の話をいただいてから2年半ほどの時間が経ってしまっていました。