連載
posted:2017.1.20 from:福井県三国市 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer profile
Kendai Demizu
出水建大
株式会社建大工房代表取締役。福井市出身。2009年に仲間とともに〈FLAT〉プロジェクトを立ち上げ福井市内の廃ビルを再生。現在は160坪の廃工場をリノベーション中。廃材STORE&DIYスペースとして〈CRAFTWORK&Co.〉をオープン予定。
前回の最後に次回の記事は廃材で作ったらーめん屋さんと書いたのですが
諸々事情がありまして次回に回させていただきます。
そして今回紹介するのは、これまでこの連載で書かれた中では
恐らく最小の金額のリノベーション物件じゃないかと思います。
基本的な設備などのインフラ工事以外、建築の改装にかかった金額は20万円。
そして、こんな田舎の見捨てられたボロ小屋が
まさかの1日数十万円も稼ぐ店になるとは思ってもみませんでした。
住宅とは違って商業建築では一般的な話ですが、いくらSNSなどが発達したしたとは言え、
絶対的に観光資源や人口の少ない、高齢化の進む田舎のまちで、
個人が小規模で物販や飲食などの商売を始めるにあたって、
建築にかけることのできる予算は限られています。
尚かつ、田舎ならではのコミュニティや豊かな生活の知恵は多々あれど、
都会のようにアートやデザインに対して感度の高い人や
「質」にこだわったライフスタイルを送っている人もそうたくさんいるわけでもないのが現実。
ブランディングなどの「デザイン」に対する費用のかけ方も、
やはりその地域特有の絶妙なバランスがあると思います。
もちろん計算で数値化できるような単純なものでもないでしょうし、
僕個人としてはその限られた環境で
コアなファンをつくって細くとも長くお店を続けていくのが大事だと思っています。
最初に僕のところに話がきたのは4年近く前になります。
最初の写真のあのボロ小屋をかき氷屋さんにしたいとの依頼でした。
クライアントの出藏さんとはこのとき初めてお会いしたのですが、
もともと数年前は建築にもお金をかけて
こだわったパティスリーを福井県内で数店舗も経営されていた、地元では有名人だったので、
「何でいまさらこんなところで?」と最初は疑問だらけでした。
ただ、海水浴場の目の前という立地はおもしろい条件だったのと、
ボロ小屋が植物に侵されている感じがなんともかわいかったので、
僕としてはほぼ商売にはならない仕事でしたが快諾しました。
と言っても予算がかつかつなので、塗装して看板を付けただけの誰でもできる改装でした。
あまりに古すぎて、水と電気を通すのも近所の人に承諾を得て、
他人の敷地内を通って引っ張ってこないといけないとか、
装飾的な改装よりもインフラの整備のほうにお金をかけなければいけない状況で、
今まで誰も手をつけられなかったのも頷けました。
ここ三国町では毎年8月11日にある「三国花火」という海岸での花火大会が有名で、
その日は毎年県内外から20万人以上訪れると言われています。
人口80万人をきった福井県の人口から考えると化け物みたいなイベントですね。
オープンしたばかりのこのかき氷店、蓋を開けてみると、
花火当日は長蛇の列で1日で数十万円も売り上げる繁盛店になっていました。
かき氷もソースやトッピングに地元でとれる素材の果物を使ったり、
ほかにもクレープやアイスなど洋菓子店ならではのいろいろなスイーツが売っているので
この店構えだけで入ってきた人はビックリですよね。
いくらそれだけ人が集まるビッグイベントとは言え、まだまだ小さな田舎まち。
ほかに出店しているお店は一般的な露店なので、
そこに軒を連ねるようにこの個性的な店があれば確かに目を引くのは間違いありません。
毎年、海水浴シーズンの週末と花火の日だけのオープンなので、年間の稼働日はほんの数日。
もともと大家さんも壊そうとしていた物件だったので家賃も固定資産税程度。
ここだけの商売で考えると十分黒字です。
たぶん建物が朽ちるまでは商売続けられるんじゃないでしょうか。
やはり今まで数々のお店を出店してきた出藏さんだからこそ、
この場所に目をつけることができたのだと思います。
一時期は路面店、有名百貨店内の売り場などを合わせると
6店舗を切り盛りしながらスタッフも100人近くを抱えて手広く展開していた出藏さんですが、
今はすべて閉めて人も雇わずに、夫婦ふたりで黙々とスイーツをつくり続けています。
元来、こだわりの職人気質で人ともぶつかることが多かったみたいで、
ここに至る経緯も多分にあったと思うし、
聞けば1年くらい引き籠っていた時期もあったと言います。
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身軽になった現在、SNSを駆使しながら、まめに写真も更新し、
新メニューを考えながら、人とのつながりも大事にして、
地元の農家さん、アーティストやデザイナーと協働して、自らもイベントを開いたりと、
今でも常に新しいことにチャレンジし続ける姿勢は変わってはいません。
夏の〈港町職人〉でのかき氷販売以外、普段はお気に入りの車、
「VWのバス」で移動販売を主に夫婦ふたりだけでNUAGEのスイーツを提供しています。
ただ、ここにいたるまでにも段階があって、モバイルパティスリーも実はこの雲バスが3代目。
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1台目は牽引式のコンテナカーを業者さんにリースで運んでもらってそこに
僕がつくったパネル状の看板を引っかけるタイプのものでした。
その都度、運搬や設営に人手やコストがかかるのと内部でできる調理も限られていました。
そして2台目は2年前につくった小さな折り畳み式の木製リヤカー。
折り畳めば普通乗用車に積めるサイズになるまではよかったのですが、
結局、僕の計算不足で重量がありすぎて、
出し入れが大変でこれまた実用性がありませんでした。
一度は福井で上りつめて、挫折を繰り返しても尚、
常にトライ&エラーで新しいことにチャレンジし続ける出藏さん。
現在、僕が聞いているだけでもまだまだワクワクする計画がたくさんあります。
「一度はスイーツの本場フランスでも独自のスタイルで勝負してみたい」と言っています。
ほんの数年前、今より遥かに大きな販売実績のあるころに出藏さんと会っても
もしかしたらすれ違っていただけで、まさしく「雲の上の人」だったと思います。
そのときから比べて今のようなスタイルに働き方を変えるのは
とても勇気のいることでしょうし、自分のスタイルを貫き通すために、
受け入れてもらう場所に自ら赴くことはホント大変な労力を使うことだと思います。
前述したように福井で居を構え、
限られたなかでその環境に合わせながら長く商売をしていくのもひとつのやり方。
でもいろんなことが多様化されて、まわりの状況も目まぐるしく変わっていく
時代のこれからの働き方、生き方としては僕には出藏さんはお手本のような人に見えます。
販路は無限にありながら、基本的には地域に密着して地元のおもしろい人たちと交わり、
お互いを認め合いながらちゃんと商売に生かす。
今は夫婦で自由にやれて本当に幸せだと言っていました。
できれば僕もフランスに一緒に行きたいです。
そして次回こそは廃材らーめん屋さんのことを書きます!
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