連載
posted:2017.3.24 from:三重県いなべ市 genre:暮らしと移住
sponsored by いなべ市
〈 この連載・企画は… 〉
ここには何もないから……、と言ってしまうのは簡単です。
だけどいなべ市には、四季を感じさせてくれる自然が贅沢にあって、
自然の恵みをたっぷり受けた人々の暮らしが息づいています。
そんな、いなべの暮らしを旅してみませんか?
writer profile
Ikuko Hyodo
兵藤育子
ひょうどう・いくこ●山形県酒田市出身、ライター。海外の旅から戻ってくるたびに、日本のよさを実感する今日このごろ。ならばそのよさをもっと突き詰めてみたいと思ったのが、国内に興味を持つようになったきっかけ。年に数回帰郷し、温泉と日本酒にとっぷり浸かって英気を養っています。
photographer profile
Yayoi Arimoto
在本彌生
フォトグラファー。東京生まれ。知らない土地で、その土地特有の文化に触れるのがとても好きです。衣食住、工芸には特に興味津々で、撮影の度に刺激を受けています。近著は写真集『わたしの獣たち』(2015年、青幻舎)。
http://yayoiarimoto.jp/photo/fashion/
肩に猟銃を下げた安田佳弘さんが、
雪が残る山の中を庭のように慣れた足取りで歩いていく。
「ここは動物がよく通るので、自然と道ができているんです」
三重県いなべ市北勢町新町の鈴原という森の中に、ひっそりとある集落。
寒桃の里といわれるこの地には、11月下旬から12月にかけて成熟する珍しい桃の樹があり、
春になるとまるで桃源郷のような美しさだという。
安田さんは、奥さんの真紀さんと5歳になる凪くんとともにここで暮らしながら、
自分たちで建てた〈MY HOUSE〉という山小屋で、雑貨と喫茶のお店を営んでいる。
「出身は大阪市。土を踏まずに過ごしたような町っ子です。
だけど自然が好きで、図鑑を模写しているような子どもだったらしいです」
大阪芸術大学に進学して、自然環境の再生と保存について
芸術方面からアプローチするユニークな学科を専攻。一方で探検部に所属して、
海外や無人島へ好奇心の赴くままに出かけていく。猟に触れたのはそのときだ。
「自然好きというバックボーンがありつつ、大学で学んだことと探検部での活動が、
今の暮らしにつながっているのだと思います」
いなべ市に移住したのは、大学の研究生だったとき。
自然やアウトドアに携わる仕事がしたいと考えていた安田さんは、オープンして間もなかった、
〈青川峡キャンピングパーク〉というオートキャンプ場の住み込み職員になる。
「空き家を探しても、当時はなかなか見つからなくて。
それで僕は古い技術や知恵が好きだったこともあって、
老人会に顔を出しまくり、猟に連れて行ってもらったり、ワラを編んだりなど、
いろんなことを教えてもらいました。
おじいさん、おばあさんを下の名前で呼んで、
なるべく方言を使うように心がけていたら、
5年くらい経った頃から急に空き家情報が溢れんばかりに出てきて、
あるじゃんと思って(笑)」
連れてきてもらった瞬間、「このロケーションはやばい」と思ったという、
傾斜の上に立つその家は、自給自足的生活をしたいと思っていた安田さんにとって、
周辺の自然も含めて理想的な環境だった。家が決まってすぐに、
大阪で暮らしていた真紀さんと結婚。鈴原での暮らしも、8年目になる。
「若い子たちが住み始めて、何か変なことをやっているって、
近所のおじいさん、おばあさんが毎日めっちゃ来るんですよ。
坂の下に住んでいる84歳の大家さんなんか、夏場は1日10回くらい来ます(笑)。
働いていた僕と違って奥さんは、人とのつながりがまったくなかったから、
最初は苦労したみたいだけど」
真紀さんは、
「大家さんとその同級生の家で、10時と3時にお茶をしているんですけど、
そこにときどき行くくらいでした。畑仕事などやることはいろいろあったので、
暮らし自体にはすんなり入ることができたのですが、
同世代との付き合いがほとんどだった大阪とは真逆の生活だったので、
月1回くらいは帰って友だちと遊んでいましたね」
MY HOUSEで雑貨を販売するようになったのは、6年前から。
芸大出身のふたりだけに、置いているものはほとんどが手づくり。
木や竹、毛皮、動物の骨、石など、家の周りで見つけた“地球の落とし物”を利用して、
アクセサリーや雑貨などをつくっている。2年ほど前から、同じ場所でカフェも始めた。
「雑貨だけだと来にくいと思ったので、もうちょっと気軽に来て、
お茶の時間を楽しんで、散策できるような場所にしたかったんです」と真紀さん。
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安田さんは現在、キャンプ場の仕事をやめて、いわゆる自営業者なのだが、
“退職=無職になる”と思い込んでいるお年寄りたちには、かなり心配されたそう。
しかしながら当の本人は、今のほうが理想に近い田舎暮らしができていると実感している。
「田舎って、たとえば月3万円の仕事を10個やろうと思うと、結構できちゃうんです。
僕の場合、生業の中心に猟があって、
毛皮やレザーを買ってくれる服屋さんや芸大時代の友だちがいるし、
獣害駆除費も出る。この夏には解体処理場をオープンして、
お肉を販売できるようにするつもりです。
ほかにも保育園や幼稚園に呼ばれて暮らしの話をしたり、
大学でサバイバルゼミの講師をしたり、春からこのフィールドを使って、
本格的に自然学校も始まります。レストランにキノコや山菜、魚を卸したり、
知り合い経由でグラフィックデザインやロゴの作成を引き受けることも。どれも自分が選んで、
やりたいと思っている仕事で暮らしが成り立っているから、楽しいですね」
安田さんの典型的な1日の過ごし方は、
まず朝6時くらいに周辺の山にかけている罠を見回りに行き、
帰ってきて鉄砲と弁当を持って再び山に入る。
戻ってくるのは夕方5時くらいで、獲物があったときは夜中まで解体作業を行う。
周辺の山にはサルやシカが多く、イノシシ、ウサギ、アナグマ、キツネ、タヌキ、
リス、ムササビ、イタチ、テン、ハクビシンも生息している。
「いろんな動物が身近にいることは楽しい」と真紀さんは言う。
「ここでの暮らしは、人ではない生き物の気配をいつも感じるんです。
それは人にとってもいいことだなと思っています」
息子の凪くんは、2歳のときにマッチの使い方を覚え、今ではお風呂を炊くのが担当。
安田さんもその仕事ぶりに、感心している。
「凪のほうが上手なくらいですよ。スイッチを押すだけだと味気ないけど、
今日は木を5本燃やしてお風呂に入ることができたとか、
今日は4本で済んだっていうふうに毎日ストーリーがあると、
こちらも感謝する気持ちが自然にわいてくる。
手作りや手作業はいちいち大変ですけど、暮らしにストーリーが生まれるんですよね」
凪くんの成長につれ、土地に対する真紀さんの思いも変わってきた。
「息子が2歳になるくらいまで、自分は大阪の人やと心のどこかで思っていて、
三重県民としては生きていなかった気がします。
でも息子にとってここが故郷になるのだと考えたら、
それってすごいことだなあと思って。最近は、大阪に帰ったほうが違和感があるくらい。
こんなに関西弁がきつかったっけ? と思ってしまいます(笑)」
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いなべで暮らし始めた頃は考えられなかったくらい、
今では周りに移住者やおもしろい活動をしている人が増えて、
さまざまなつながりが生まれている。2年ほど前から月1回、
MY HOUSEを会場に開催している「つぶつぶつ交換市」もそのひとつ。
「たとえば猟でとったお肉を友だちにあげるとき、あげるほうも、
もらうほうもなんとなく気を使ってしまうじゃないですか。
それだとあまり健全とはいえないので、
物々交換にすればいいんじゃないかと思ったんです。
それぞれ得意分野にしている暮らしの小さな粒を交換していけば、
もっと楽しくなるんじゃないかなって」
いなべに暮らす6世帯から始まったつぶつぶつ交換市は、
今では40、50世帯集まって、規模が大きくなりすぎたほど。
いなべに移住を考えている人が参加したり、
あるいは参加しているうちにいなべに住みたくなってしまうような人も。
交換するものは「奉仕の精神を忘れず、なおかつストーリーを語れるもの」
であることがルール。大人も子どももボーダレスに交換するため、
子どもたちも工夫を凝らして品物を用意をする。
「子どもたちは、自分のつくったものがおやつになったりすることが、
すごくうれしいみたいです。息子はこないだ、
自分で描いた絵を栗の渋皮煮と交換してもらえて、
『こんなのもらえるの!?』と喜んでいました。同じものでも200円で買うのと、
交換するのは価値感覚が全然違う。
農家さんも売れない野菜が、何かに変わるから助かっているみたいです」(真紀さん)
つぶつぶつ交換市があった日の夜ごはんは、
どの家庭もかなり充実した食卓になるのだそう。
当たり前に過ごしている日々のなかにも、暮らしの粒は探そうと思えばいくらでもある。
大切なのは、安田さん一家のようにその輝きを見つけられるかどうか、なのかもしれない。
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MY HOUSE
山の麓の雑貨と喫茶
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