連載
posted:2017.4.7 from:三重県いなべ市 genre:暮らしと移住 / 活性化と創生
sponsored by いなべ市
〈 この連載・企画は… 〉
ここには何もないから……、と言ってしまうのは簡単です。
だけどいなべ市には、四季を感じさせてくれる自然が贅沢にあって、
自然の恵みをたっぷり受けた人々の暮らしが息づいています。
そんな、いなべの暮らしを旅してみませんか?
writer profile
Ikuko Hyodo
兵藤育子
ひょうどう・いくこ●山形県酒田市出身、ライター。海外の旅から戻ってくるたびに、日本のよさを実感する今日このごろ。ならばそのよさをもっと突き詰めてみたいと思ったのが、国内に興味を持つようになったきっかけ。年に数回帰郷し、温泉と日本酒にとっぷり浸かって英気を養っています。
photographer profile
Yayoi Arimoto
在本彌生
フォトグラファー。東京生まれ。知らない土地で、その土地特有の文化に触れるのがとても好きです。衣食住、工芸には特に興味津々で、撮影の度に刺激を受けています。近著は写真集『わたしの獣たち』(2015年、青幻舎)。
http://yayoiarimoto.jp/photo/fashion/
ランチタイムは、小さな子どもを連れたママたちや、
ちょっぴりおめかしをした中高年の女性などが集い、
夜になるとボトルキープをしている常連のおじさんの横で
女子会が繰り広げられる〈上木(あげき)食堂〉。
のれんをくぐって引き戸を開けると広がる、ほっとするような懐かしい空間。
入り口横のコンパクトな厨房では、店長の松本耕太さんが立ち回り、
松本さんのつくる料理を、この建物の大家さんでもある林典子さんが運んでいる。
2016年11月にオープンして以来、昼も夜もにぎわっているこの食堂は、
いなべ市のほぼ中心に位置する阿下喜(あげき)地区にある。
その昔、桑名市三ツ矢橋町からいなべ市藤原町山口へ続く、
約25キロの濃州街道の宿場町として栄えた阿下喜には、
趣きのある町屋が今も多く残っていて、上木食堂もそんな建物のひとつだった。
「ここはもともと100年以上続く旅館で、宿泊客のメインは行商の薬屋さんでした」
と、上木食堂の改修前を知る林さんは説明する。
行商の方はお見えになると、大抵3か月から半年くらいは滞在するんです。
入り口がこんなに広いのは、
お客様の使う自転車やバイクがここにずらりと並んでいたからなんです」
行商の衰退と、林さんのお父さんが亡くなったことを機に、
旅館を閉じたのは1990年。それからいつの間にか、長い年月が経ってしまっていた。
「建物の老朽化が進んでいたので、
近所にご迷惑をかけないためにも早く解体しなければと思い、
中に残っているものをようやく片付け始めていたんです。
そしたら息子の友だちから『壊すつもりなら、
改修して食堂にしたいと言っている人がいるんだけど、貸してもらえないか?』
という話がきたから、びっくりしちゃって」
密かにそんな計画を練っていた人物は、
藤原町で農業を営んでいる〈八風農園〉の寺園風さん(移住インタビューはこちら)。
2013年に名古屋市から移住して自然農法で野菜を育てている寺園さんは、
自分が生産した野菜を使い、気軽に仲間が集えるような店が、
いなべにほしいと常々思っていたのだ。
「移住して、阿下喜の日帰り温泉によく行っていたのですが、
この辺りの雰囲気がよくてずっと気になっていたんです。
仕事の合間にここへ来てコーヒーをテイクアウトしたり、
ふらりと立ち寄ってみたら友だちがいるような場所があったらいいなって」
とはいえそれは「いつかできたらいいな」という程度の、
漠然とした夢みたいなものだった。しかしこの物件に出会って、
行動せずにはいられなくなってしまった。
「初めてこの建物の中に入ったとき、高揚感を抑えたんです。
僕の今の仕事の状態では、お店をつくることなんて無理だと思っていたから。
でも何回か足を運ぶうちに、どうしてもやりたくなっちゃったんですよね」
農作業で忙しい寺園さんが、店につきっきりになるわけにはいかない。
店を任せられる適任者はいないかと、野菜を配達している車中で思い浮かんだのが、
当時、名古屋のカフェで働いていた松本さんだった。
ふたりが出会ったきっかけは、松本さんが勤務していたカフェで企画した野菜の直売イベント。
出店者を探していた松本さんは、
たまたま同い年の若い農家がいることに興味を持って、寺園さんに声をかけた。
「当時から彼は週2ペースで名古屋に野菜を売りに来ていて、
そのイベント以降、うちの店で野菜を使わせてもらう関係が
2年くらい続いていたんです。そんななかで、僕がいつか独立したいと思っていることとか、
彼のいなべでの生活についてあれこれ聞いて、移住するのもありかななんて話もしていて、
それが彼の頭に残っていたんでしょうね。
『そういえば、あのときの話って生きてる?』って
この物件のことを教えてくれて、
『移住と独立、両方する覚悟があるなら来ない?』と言われたんです」
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松本さんは、渡りに船とばかりにその場で即答。
まだ物件すら見ていなかったため、寺園さんが逆に不安になってしまうほどだった。
「あまりにも簡単に返事をされてしまったから(笑)。
まっちゃんも初めて阿下喜に来て、
『風さん、周りに人が全然いないね』って言ってたよね?」
これに対して松本さんは
「商店街のなかにある旅館って聞いたら、
やっぱりそれなりににぎわっている場所を想像するじゃないですか。
アーケードもないし、お店もほとんど開いてないから、
これが商店街なのか……、と思ったんですよ(笑)。
もう決めていたから、迷うことはなかったけど」
松本さんは前の職場を辞めるまでの間、
貴重な休日に電車でいなべにやって来ては、寺園さんと会ったり、
解体作業の進む物件を見てとんぼ返りすることを繰り返して、
お互いの信頼関係を築いていった。
「いなべに移住したのが2016年7月なのですが、
改修が予定通りに進んでいなかったんです。
だからその間、ここの工事を請け負っていた地元の材木店で
アルバイトさせてもらいつつ、工事が終わったあとの磨きや塗装などは、
2か月かけて僕がほぼひとりでやりました」
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そして2016年11月5日に、ようやくオープン。
30年近い時を経て旅館から食堂へと生まれ変わり、
建物だけでなく林さんのお母さんが愛用していた裁ち台や、各客室にあった作業机、
さらには林さんが「典子」と自分の名前を彫った勉強机なども、現役復帰することに。
「もともとここにあったものを使ったほうがしっくり来ると思ったので、
家具や建具などの内装も、使えるものはできる限り使っているんです」
と松本さん。家族の思い出が詰まった場所で働く林さんは、とてもうれしそうだ。
「息子からは、『大家が店を手伝うなんて、煙たいからやめとけ』って
反対されたんです。でも自分たちが暮らしていた場所が
こんなふう生まれ変わったのもうれしいし、
私自身、こういう仕事が前々からしたかったんですよね。
それで風くんにお願いしたら『そんなんいいよ』と軽く言ってくれたから、
強引に手伝わせてもらうことにしたんです」と林さん。
大家さんが一緒に働くことで、
移住者が始めたお店以上の効果を生んでいるのも事実だ。
「典ちゃんに会いに来る人や、旅館だった頃を知っている人など、
僕ひとりでやっていたら来なかったであろう地元の方も、たくさん来てくれるんです。
この建物について聞かれたときもいろんな話をしてくれるから、
すごく助かっています。ほかにも僕や風くんの友だちが名古屋から来たり、
桑名や四日市から噂を聞いて来てくれるようなお客さんもいて、
いい意味で、入り乱れた空間になっていますね」
寺園さんは「オープンするまで、
どんなお店になるのかまったく想像できなかった」というが、
結果的にはほしいと思っていた空間ができあがっていた。
「名古屋に野菜を売りに行って、使ってもらえる場所も徐々に増えてはいるけれど、
こういう店が地元にできると農家としても楽だし、知った仲だから自分の思いも伝えやすい。
僕が偶然立てた白羽の矢は間違ってなかったなあって(笑)」
上木食堂で使っている野菜の9割は、八風農園でとれたもの。
昼も夜も、メニューは基本的にその日ある野菜で決まっていく。
「上木食堂は、彼と一緒で、
しかもここでしかできないかたちなのかなと思っています」と松本さん。
建物の持ち主、オーナーとなった農家、移住してきた店長、
それぞれの思いの詰まった上木食堂。かつての姿を知る人も知らない人も、
こんなお店をずっと待っていたのかもしれない。
information
上木食堂
住所:三重県いなべ市北勢町阿下喜2057
TEL:0594-82-6058
営業時間:11:30~17:00(喫茶)、17:00~22:00(居酒)
定休日:水曜、第1・3木曜休
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