連載
posted:2017.4.12 from:三重県いなべ市 genre:暮らしと移住 / 食・グルメ
sponsored by いなべ市
〈 この連載・企画は… 〉
ここには何もないから……、と言ってしまうのは簡単です。
だけどいなべ市には、四季を感じさせてくれる自然が贅沢にあって、
自然の恵みをたっぷり受けた人々の暮らしが息づいています。
そんな、いなべの暮らしを旅してみませんか?
writer profile
Ikuko Hyodo
兵藤育子
ひょうどう・いくこ●山形県酒田市出身、ライター。海外の旅から戻ってくるたびに、日本のよさを実感する今日このごろ。ならばそのよさをもっと突き詰めてみたいと思ったのが、国内に興味を持つようになったきっかけ。年に数回帰郷し、温泉と日本酒にとっぷり浸かって英気を養っています。
photographer profile
Yayoi Arimoto
在本彌生
フォトグラファー。東京生まれ。知らない土地で、その土地特有の文化に触れるのがとても好きです。衣食住、工芸には特に興味津々で、撮影の度に刺激を受けています。近著は写真集『わたしの獣たち』(2015年、青幻舎)。
http://yayoiarimoto.jp/photo/fashion/
蕎麦に一家言ある人は少なくないが、〈山里之蕎麦家 拘留孫(くるそん)〉は、
蕎麦好きを満足させる本格的な味と言っていいだろう。
身体の大きな松下祐康さんの打つ蕎麦は、香り豊かで繊細。
さらには奥さまの清子さんが作る天ぷらや小鉢、
デザートも素材の味が生きていて、味わい深い。
遠方から訪れる蕎麦好きを唸らせる、本格派。使う野菜はほぼ自家製。天ぷら、小鉢、変わりご飯(この日はむかごご飯)、デザートがついた「蕎麦定食」(1300円、税別)。
拘留孫があるのは、いなべ市藤原町篠立。
藤原岳の麓に位置する旧藤原町は、岐阜県や滋賀県と隣接していて、
いなべのなかでも特に自然豊かなエリアとして知られている。
この蕎麦屋はどうやらこだわりが強いらしく、メニューの1ページをさいて
「ざる蕎麦の食し方の一例」なるものが紹介されている。それによると、
最初はつゆにつけずに蕎麦だけを食べて、香りと甘みを楽しむ。
次につゆを味わって甘辛さを確認したら、蕎麦を3分の1ほどつけて食べる。
薬味は蕎麦に少しだけ乗せて食べてみてから、つゆに入れて食す。
最後に残しておいた薬味ねぎを入れて、蕎麦湯で割って飲む、
というのがいいらしい。こんなふうに細かくレクチャーする辺りに、
頑固な蕎麦職人を想像していたのだが……。
「蕎麦屋をするつもりは、まったくなかったんですよ。
こんなことになるとは思いませんでした」と、
こちらの不安(?)をあっさり消し去ってくれたご主人の祐康さん。
いなべ市職員をしていた祐康さんが、定年の1年前に早期退職して〈拘留孫〉を開業したのは、
2015年9月のこと。その大きなきっかけとなったのが、父親の死だった。
「親父が大切にしてきた畑や、山菜が採れる山をこの先どうしようかと思ったんです。
全部で500坪ほどの土地なのですが、基本的には自家栽培で、
収穫した野菜を周りの人におすそ分けして楽しんでいるようなかたちでした。
親父なりにいろいろ研究していたようで、
亡くなる前にこれまで集めた資料などももらったのですが、
僕は農業なんかしたことがなかったから。毎日仕事から帰ってきたら野菜に水をやって、
土日は草取りや山の掃除に追われ、死ぬまでこんなことをしていくんかな、と悩み始めて……」
先祖代々受け継がれてきた土地なので、荒らすこともできない。
かといって産地直売所などで販売しても、少量なので大した金額にもならない。
率直に言ってしまうと、祐康さんは土地に振り回されてしまっていた。
「なんとかならんかと思いついたのが、農家レストランでした。
それでいろんな人に聞いて歩いたり、講習会に行ったりするなかで、
僕も10年ばかり蕎麦打ちを習っていたもんで、
“ついでに”蕎麦も出そうかなと思うようになったんです」
自宅を利用した店内。美しい建具は古道具店で揃えたという。
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ここでいなべとソバの関係について、説明しておこう。
稲作が盛んないなべ市は、もともとソバの産地ではなかった。
しかし比較的冷涼で、昼夜の気温差が大きいいなべの気候は、
ソバの栽培に向いていたため、2002年から〈常陸秋蕎麦〉という品種の栽培・生産を開始。
現在では三重県で最も多い作付面積と生産量を誇っている。
秋になると、ソバの白い花が見られるそう。
ソバをいなべのブランドとして広めるために、
市職員が中心となって〈いなべ市蕎麦打ち同好会「雅」〉を結成。
祐康さんも草創期からのメンバーとして、
蕎麦打ちを習うことに。おかげで蕎麦打ちのできる市民は増えたものの、
もともと蕎麦を食べる文化が根づいていなかったせいか、
蕎麦を振る舞う場所はまだまだ少ないのが現状だ。
そんなこともあって祐康さんは当初「定食の横に蕎麦を出す程度」のお店を考えていたのだが、
気がつけば横どころか、蕎麦がメインのお店を開くことになっていた。
ふわふわしてなめらかな、絶品の蕎麦がき。
あと1年働けば晴れて定年退職だったにもかかわらず、
1年早く市役所を辞めたことについては、
「10年早く辞めるならともかく、1年や2年だったら定年と変わらない。
週4日、昼の11時半から2時半までの営業で、
生活を支えられる収益があるかっていうと、それもあらへんけどね」と笑う。
要するにそれくらいの覚悟があったということなのだろう。
「僕よりも看護や福祉の仕事を楽しんでやっていた嫁さんのほうが、
仕事を辞めてつらかったんじゃないかな」
取材した日の食後のデザートは、蕎麦プリン。焙煎したソバの実が香ばしくておいしい。
拘留孫のこだわりは、可能な限り自分のところでつくったもの、
そうでなければ地域の食材を使うこと。野菜はほとんどが自家栽培で、
店を開けていない週3日は畑仕事に追われている。そば粉はもちろん地元産だし、
しょう油やみりんなどの調味料もなるべく近くで作っているものを使用。
それがこの地域で生きるための方法だと、祐康さんは考えている。
「この辺りはちょうど分水嶺で、裏の川は岐阜県に流れていて、
表の川は三重県に流れているんです。地域っていうと、行政区分で考えられることが多いけど、僕にとってはいなべだけでなく、住んでいる周りが地域なんですよね」
地産地消は野菜だけではない。蕎麦つゆには、お隣・岐阜県養老町の〈玉泉堂〉のみりんと、いなべ市員弁町の〈丸三醤油〉の醤油を使用。丸三醤油は員弁町に唯一残るお醤油屋さんだが、残念ながらまもなく生産をやめてしまうそう。
蕎麦以外のメニューはすべて、清子さんが担当。
「うちは全部手作りだから、とにかく手間がかかるんです。
週1くらいのペースでいらっしゃる方もいるので、
その都度メニューを変える必要がありますし、
野菜の下処理も時間がかかるので、
朝の5時くらいから取りかからないといけません。この人にも釜の番以外に、
もうちょっと動いてもらいたいなって正直思っているんですけどね」
と愚痴をこぼす隣で、祐康さんはにやにや笑っている。
夫が張り切って蕎麦屋を開業して、
妻が巻き込まれてしまった典型的なパターンなのかもしれないが、
このご夫婦の場合は口ではそう言いつつ、お互いを信頼している感じが伝わってくる。
清子さんと祐康さん。
そもそも祐康さんが店をやろうと思ったのも、
「うちの嫁さんの料理なら大丈夫」という確信があったから。
「僕の好きな味やったからね」とノロケに聞こえるひとことも忘れない。
蕎麦を食べ慣れていなかったふたりは、
お店をやることになっていろんなところを食べ歩き、
蕎麦つゆも何度も試作して、ようやくこれと思える味を完成させた。
「でも、いまだに蕎麦の味はわからんもんね」と清子さんが言えば、
「わからんね、毎日食べても味が違うから」と祐康さんも同調する。
こんなにおいしい蕎麦を出しておきながら、
それはないだろうと思うけれども、
なぜか蕎麦の味についてだけははぐらかされてしまう。
こだわりはいちいち口で説明するものではなく、食べて感じるものなのだと、
暗に言われていたのかもしれない。
そういう意味では、祐康さんもやはり頑固な蕎麦職人なのだろう。
information
山里乃蕎麦家 拘留孫
住所:三重県いなべ市藤原町篠立771-2
TEL:0594-46-3181
営業時間:11:30~14:30 ※なくなり次第終了
定休日:水・木・金曜休
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