colocal コロカル マガジンハウス Local Network Magazine

連載の一覧 記事の検索・都道府県ごとの一覧
記事のカテゴリー

連載

IVolli architecture vol.7
土地に難あり、風呂なしの
小さな木造アパートが、
新しいコミュニティの拠点へ。

リノベのススメ
vol.132

posted:2016.12.30   from:神奈川県横浜市  genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築

〈 この連載・企画は… 〉  地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。

writer profile

IVolli architecture

アイボリィアーキテクチュア

永田賢一郎と原﨑寛明による建築ユニット。2013年より横浜を拠点に活動開始。建築設計をはじめ、インテリアやプロダクトのデザインからプロジェクトデザイン、インスタレーションなど建築にまつわる様々な活動に取り組んでいる。
永田賢一郎(ながた・けんいちろう):1983年東京都出身 横浜国立大学大学院/建築都市スクールY-GSA修了 KUUを経て2013年より活動開始。
原﨑寛明:(はらさき・ひろあき)1984年神奈川県出身 横浜国立大学工学部建設学科卒業 オンデザインパートナーズを経て2013年より活動開始。
http://ivolli.jp/

IVolli architecture vol.7

アイボリィアーキテクチュアの永田です。
半年ぶりの掲載になります。

だいぶ期間が空いてしまいましたが、前回は僕らの最初のプロジェクトである、
横浜の木造平屋のアパートの改修計画「藤棚のアパートメント」が
どのように始まっていったのかを紹介しました。

実はこの物件、最近になって、やっと竣工にたどり着きました。
今回は竣工に至るまでの長い道のりを紹介します。

オーナーさんがもつ別の物件〈ヨコハマアパートメント〉に僕が住んでいた縁で、
アイボリィが、この物件の改修をすることになりました。
僕らが、独立したばかりの2013年頃のことです。
もとは、いわゆる風呂なし、木造平屋アパートで、居室は3部屋。
ここに、共有スペースをもりこんで改修できないかというのです。

びっくりした、土地の境界

きっかけは、定期借地であった土地がオーナーさんのもとに帰ってきたことから始まります。
すぐ後ろに崖を背負った場所にあり、
あたりは古くからの木造家屋がいくつか残っているエリアです。
横浜というと港のイメージが強いですが、
歴史を遡ると埋め立てによってつくられた場所が多く、
少し内陸に入ると起伏に富んだ、崖や坂道の多い地形が特徴です。

例えば、「野毛」という地名も、古くは「崖」を意味する言葉だったようなので、
まさに「崖」そのものとも言えるまちです。

西横浜にある〈願成寺〉横の坂道。

オーナーさんのもとに木造平屋のアパートがそのまま残った状態で返ってきたうえに、
庭までついてきたので、初めての設計仕事としては
申し分ないくらいにおもしろくなりそうだとワクワクしていたのですが、
蓋を開けてみるといくつも高いハードルが待っていたのです……。

まず最初に僕らが驚いたのは、オーナーさんのもとに返ってきた土地と、
隣地との境界線がアパートの中にあるということでした。
どういうことかというと、

建物の建っている場所の4分の1くらいを削るように境界線(赤丸部分)が引かれています。
(これじゃ建物が完全に越境してる……)
どうやら過去に何度かを土地を分筆、合筆を繰り返すうちに、
建物だけが宙ぶらりの状態で残ってしまい、分筆された分の土地が返ってきたようです。

つまり、老朽化したアパートを改修して再生するには、
プランを変更して減築し、適法な状態にする必要がありました。ただ、減築をするとなると、
建物のひと部屋分くらいは減らさないといけないことになります。
お風呂もなく小さなトイレがついただけの長屋形式の建物でしたので、
減築してしまうと部屋の数もふたつしか残らず、
それぞれの部屋の床面積も大幅に減ってしまいます。これではお金をかけて工事をしても、
賃貸アパートとして貸し出せる部分がかなり少なくなってしまいます。

この風呂なし部屋の半分以上は削らないといけなさそうです。

庭も共有スペースとして生かす

老朽化も進んでいるので、いっそ建て替えるのが賢明かと
新築案も視野にいれてオーナーの川口さんと話し合いもしましたが、
最終的に予算的に可能な建物減築案を僕らは受け入れることにしました。

部屋の面積が減ってしまう代わりに、
増えた外部空間を部屋の延長として使う道を探そうという方針です。
部屋の面積を最小限にして、家の外にも部屋のような場所があれば、
自然と暮らしの中に外部空間と触れ合う場所が生まれそうです。

そしてそこがアパートの隣室の人や、隣家の方とのコミュニケーションの場になれば、
このような木造密集地でも新しく良好なコミュニティが育まれるのではと考えました。

狭い居室を補うように外部に居場所をつくる。

前回の記事にあるように、
藤棚とブロック塀による外部環境の提案が生まれたのはこの時期です。

建物の中と同じように、「庭の間取り」を考える。
寸法や壁位置、柱間隔も既存の建物にならって決めていき、
上空には梁と対応するように藤棚をかける。
「パンチのある、見たことがないアパート」を望んでいたオーナーの川口さんも、
この外部空間を活用する藤棚の提案には満足していただけました。

建物の構造に合わせて、外部空間をつくっています。

敷地にもともとある植物を切らずに屋根をかけるには藤棚が最適でした。

室内の狭さを払拭するために外部まで空間が広がっています。

方針が決まるころ、ちょうど夏真っ盛りの時期だったので、
この外部空間がどんな場所になるのかを、塩ビパイプで壁を組み立て、
実際の見えや、使い方を検証しながらBBQで利用してみました。

庭にある植物の位置や、お隣さんとの距離感など実地で検証しました。

前に進まない工事。その理由は?

さて、プランも定まり、意気揚々と工務店に見積もりをお願いする段階へと進みました。
予想外の「減築工事」が入ることになったため、予算はかつかつ。
当時まだ独立したばかりだった僕らには頼める工務店さんというのがあまりいませんでした。
それでも知人や前職のつながりで紹介してもらい、
何社か依頼できそうだったので、見積もりをお願いすることに。

通常見積もり調整は工務店からの金額をチェックして減額する部分を調整して、
という作業を何度か交わして最終的な金額に落ち着かせていきます。
あまり予算もない工事でしたが、
ある工務店の監督さんが「任せろ」と快く引き受けてくださり、
金額も予算に収める方向でまとめてくれることになりました。

ただ、ここで僕らは大きな失敗をしてしまいます。

予算的に一番現実味のある見積もりを出してくれた工務店がひとつしかなく、
そこ頼みで見積もりを進めていたので、
次第に相手のスケジュールに振り回されていくようになってしまいます。

「来週まで工事が忙しいからそのあと見積もり出します」

「夜間現場で1か月いません」

「3週間待って」

ことあるごとにリスケされ、見積もり調整のやりとりも延び延びになってしまい、
次第に連絡も取れなくなっていきました。数か月近くの時間が取られ、
さすがにまずいとその間ほかの工務店にも相談に乗ってもらいましたが、
やはり金額が合わず……。計画自体が暗礁に乗り上げてしまいました。
そして恥ずかしい話ですが、実は同じようなことがこの後2、3社続きました。

最初は快諾してもらえるのですが、どこも次第に連絡が取れなくなっていきます。
設計の精度や進め方など、こちらの経験不足が露呈し、
かなり訝しがられていたのだと思います。
未経験から始めたことによる「洗礼」をこの時受けました。

「待つ」時間ばかりで一向に前に進まず、
この時点で、改修の話をいただいてから2年半ほどの時間が経ってしまっていました。

次のページ
救世主が現れる……?

Page 2

オーナーさんからも「いつになったらできるのか」
と不安そうに何度も尋ねられました。
僕らはこのアパートの改修にものすごい情熱をもっていたのですが、
業者さんとはどうしてもその熱意を共有することが難しかった。

「小規模なわりに面倒くさい、しかも設計屋は慣れてない初心者」

こう見られていたため、あまり関わりたくないという印象を
多くの業者さんが感じているのが伝わりました。
信頼を築いていくことの難しさを身にしみて感じていました……。

ただその一方でその頃、僕らはvol.1にも登場した〈旧劇場〉に拠点をすでに移していて、
横浜の周辺にも大分知り合いも増えていました。
いくつかのプロジェクトを進めていくなかで、
継続的にその場所に関わってくれる人を増やすには、
確かな関係性の中で仕事を回し協働していくことが大切なんだと感じていたので、
旧劇場メンバーにこの「藤棚のアパートメント」のプロジェクトの相談をすることにしました。

旧劇場メンバー。(撮影:加藤 甫)

大工の劉 功眞くんやほかの仲間に協力を頼み、オーナーさんにも
「時間はかかってしまうが、信頼できるつながりでこのアパートをつくっていき、
完成後も多くの人が関わってくれる場所にしていきたい」ということを
この時あらためて伝えました。
このプロジェクトでは建物の竣工は「ゴール」ではなくて、
そこに多くの人が関わり続けるためのきっかけでしかありません。
今後このアパートがたくさんの人が関われる場所になるように、
使いながら育てていく必要があります。
そういう意味では、この時にやっとメンバーが揃ったと言えるかもしれません。

またこのタイミングで、オーナーさんとお隣さんと馴染みのある不動産屋さんと話し合い、
建物を横切る敷地の境界についても検討してもらう方向で話を進めるお願いもしました。
かかる手続きについて双方で話し合い、不動産屋さんに入ってもらい、
無事に数か月後には建物も取り壊さずに、現状のまま使う方向で話がまとまりました。

人に会い、ちゃんと相談をし、協力してもらう、という当たり前のプロセスがいかに大事か。
図面を書き、業者にお願いすれば建物が建つわけではないと、
この時の経験が教えてくれました。本当に何も知らなかったんだなとつくづく思います。

さて、そんなわけで、3年かかってやっと、着工するに至ります。
長かった……。

いよいよ工事がスタート

最終的にプランは現状の建物は壊さずに中の間取りを変更し、
庭に面して大きく共有部をつくるかたちになりました。
庭には藤棚の架構とコンクリートブロックによる外構をつくり、
ベンチや竈を置き、共有部には共同で使えるキッチンを設けています。

屋内外で連続して使える共有空間をつくることで、
隣の部屋の方や、隣の家の方、お客さんなどが交流しやすい環境をつくっています。
土地がオーナーさんのもとに返ってくる前まで、
庭をお隣さんがとても大事に手入れをしてくれていたので、
庭の植物は生かしつつ、ブロック塀は要所要所、視線の気になる箇所にだけ設置をすることで
お隣さんとの境界に明確な目隠しや仕切りを設けないようにしました。
お隣さんとの関係性をこれからも継続していくためにも、
接する機会がある場所を設けたかったのです。

現場は、大工の劉くんと、劉くんの工房LIUKOBOの川島 康典くん、
いつも旧劇場に出入りしている片岡周平くん、
黄金町でスタジオを構えているアーティストの椎橋良太さん、佐野彩夏さんという、
強力な仲間で現場に入ってもらいました。ちなみに解体作業は僕らもやりました。

解体作業の段取りをする片岡周平くん。

壁と床を撤去すると広々とした空間です。

壁と床を新設する段階です。

天井面には断熱材も新たに追加。

石工ボードをカットする劉くん。

庭にコンクリートブロックを積んでいます。

鉄骨の藤棚を掛けた様子。

ベンチや竈、屋外用テーブルが入り、外にも居場所がつくられます。

庭の植栽計画には、これまた横浜で活動するようになってから知り合った
〈深沢アート研究所 緑化研究室〉のカブさんにご協力していただきました。
時期が冬だったのですが、暖かくなったら、奥に竈をしつらえ、
藤棚には植物が茂っていく予定です。
時間とともに、暮らしや緑が寄り添っていく場所なので、いまから楽しみです。

次のページ
ついに、完成!

Page 3

暮らしが蓄積されていく場所へ

そして2016年の12月についに完成の日を迎えました。とても小さなアパートですが、
庭につながる共有部はワークショップや料理教室としても使えそうです。
改修の話をもらってから随分と長い時間が経ち、
完成を待ち望んでくれていた人たちの数も年々と増えていたので、
この機会にぜひお披露目をと、盛大にオープニングパーティをすることにしました。

オープニングでは、旧劇場のメンバーや、施工に携わってくれた仲間などたくさんの方が来ました。

深沢アート研究所 緑化研究室のカブさんによるナッツリースワークショップも行いました。

明るい共有部はアパートの住人同士だけでなく、さまざまな人を受け入れる場所になります。

窓を開けると外と中がつながっていきます。

既存の木製サッシを生かした居室。

外にも居場所をつくることで、生活の範囲が広がります。

アパートという建物は住民が入居するたびに更新していく前提の建物ですが、
ここではその都度原状回復によって漂白されてしまうのではなく、
暮らしが蓄積していく場所にしたいと思っていました。

そして、例えば住人ではなくなった場合でも、
元住人やその知人たちも気軽に遊びに来られるような環境をつくりたいと考えていました。
これは僕が学生時代にヨコハマアパートメントに入居していた時に生まれた
建物に対する価値観です。
ヨコハマアパートメントはいまでもかつて入居されていた方々との交流があり、
戻ってくる人もいて、みんなが気にかけてくれる建物になっています。

ひとつのコミュニティのような建物が、特にアパートのような賃貸物件が増えたら、
かつて住んだ場所やまちに対して、もっと多くの人が関われるようになる気がしています。
そしてそのような場所は、
ここのような小さな木造アパートからでも始められると思っています。

学生時代にヨコハマアパートメントに住み始めてから、
7年経って同じまちに「藤棚のアパートメント」という物件が建つまでになりました。
この間にたくさんの出会いと縁があって、旧劇場や、
近くには大学院の後輩でもあるtomito architecture の設計した
多世代交流施設〈CASACO〉など、おもしろい場所も増えてきました。
現在これらの地域にできた拠点間で連携をはかり、
さらにおもしろい活動をまちの中に仕掛けていこうと画策しています。
今回で僕らのやってきた活動のご紹介はおしまいですが、
またいつかどこかでご紹介したいと思います。
それでは長い間どうもありがとうございました!!

Feature  特集記事&おすすめ記事