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ストリップ劇場が
「旧劇場」になるまで。
IVolli architecture vol.1

リノベのススメ
vol.089

posted:2015.10.22   from:神奈川県横浜市  genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築

〈 この連載・企画は… 〉  地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。

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IVolli architecture

アイボリィアーキテクチュア

永田賢一郎と原﨑寛明による建築ユニット。2013年より横浜を拠点に活動開始。建築設計をはじめ、インテリアやプロダクトのデザインからプロジェクトデザイン、インスタレーションなど建築にまつわる様々な活動に取り組んでいる。
永田賢一郎(ながた・けんいちろう):1983年東京都出身 横浜国立大学大学院/建築都市スクールY-GSA修了 KUUを経て2013年より活動開始。
原﨑寛明:(はらさき・ひろあき)1984年神奈川県出身 横浜国立大学工学部建設学科卒業 オンデザインパートナーズを経て2013年より活動開始。
http://ivolli.jp/

IVolli architecture vol.1

はじめまして。〈アイボリィアーキテクチュア〉の永田賢一郎 と申します。
アイボリィアーキテクチュアは横浜市の黄金町というまちを拠点に
活動している設計事務所です。
2014年にもともとストリップ劇場だった建物を仲間と改修し、
〈旧劇場〉というシェアスタジオを立ち上げて活動をしています。
アーティストや木工職人、カメラマンやライターといった
異なる分野の人間たち9人でつくった場所で、
それぞれ個々に活動しながらも、ときに協働したりしながら動いています。
今回より6回にわたって、このスタジオができるに至った経緯や、
拠点を持ったことで生まれた地域との関わりについて、
またスタジオをシェアする仲間たちとの協働プロジェクトなどについて
紹介していきたいと思います。

まずはじめに私たちについてですが、
アイボリィアーキテクチュアは永田賢一郎と原﨑寛明のふたりで活動しています。
もともと上海と横浜という別々の場所で働いていたのですが、
僕が上海より帰国した際に、大学時代の同期だった原﨑に声をかけて活動を始めました。
大学が横浜にあったこともあり、
学生時代に過ごしていた場所も横浜だった僕らは、
自然と活動の拠点を横浜にしていたのですが、
そのなかでも、もとから黄金町に縁があったわけではなく、
事務所を始めたばかりの頃は横浜市内の別の場所で活動していました。

始まりはハンマーヘッドスタジオ

2013年当時、みなとみらいの新港埠頭に
〈ハンマーヘッドスタジオ「新・港区」〉という巨大なシェアスタジオがあり、
そこの一区画を僕らは借りていました。
ここには50組以上のアーティストやクリエイターが入居していて、
毎日スタジオに通うだけで実に多様な人たちに触れ合うことができました。
年齢もジャンルも超えたフラットな空気感がそこにはあり、
常に刺激をもらえる環境がありました。

ハンマーヘッドスタジオ。たくさんの方々が日々制作をしていました。© BankART1929 photo Tatsuhiko Nakagawa

残念ながらハンマーヘッドスタジオは2年間限定のスタジオだったので、
2014年の4月には解体されてしまいましたが、
横浜の関内外エリアという場所は
以前から多くのクリエイターやアーティストが拠点を持って活動しているエリアなので、
スタジオ解体後もまちの中に拠点を移しやすい環境ではありました。
これだけ多くの人がシェアしているスタジオがあるということ自体奇跡的でしたが、
それ以上に、多数のアーティストやクリエイターが
一度にまちに拡散していくという状況が生まれたことが大変特殊な出来事でした。

ひとつの大きな場所からたくさんの小さな拠点となって、
まちの中にアーティストやクリエイターが散らばっていくことがどんな影響を及ぼすのか。
そもそもまちの中に拠点を構えるとはどういうことなんだろうか、
とスタジオ解体までの間よく話していました。
実際にはほかの地域へ移られる方もいましたし、
新たに自分で横浜に拠点を持つ方もいました。
そういった状況のなかで、僕らと同世代のメンバーは
「自分だけで場所を賄う体力はまだあまりないけども場所は必要」
と境遇も近かったので、自然と共同で場所を借りようという話になりました。

次は自分たちで拠点をつくる

集まったメンバーは建築事務所2組4人、
ライター、木工職人、現代美術家、アーティスト、カメラマンの計9名。
それぞれ仕事の仕方も違うし、必要な場所のスペックも予算も違いました。

木材を搬出入できる天井の高い場所が必要。
音が出る作業ができる空間がいい。
絵が描ける環境にしたい。
建築模型をつくれるだけの広さは欲しい。
1階だとなおいい。
スタジオ内でも地域とも交流が持てる環境がつくりたい……と、
それぞれの仕事場として最低限の必要な条件と、
その場所がどうなってほしいかを毎日のように話し合いながら、
拠点としてふさわしい場所はどこなのかを模索していました。

それぞれ分野の異なる仲間が集まりました。

物件ありきで後からシェアを募るのではなく、
最初からメンバーと具体的な使い方を固めてから
共同で場所を使うという流れができていたので、
不動産市場では埋もれてしまうような特殊な物件などでも
積極的にその使い方を考えていました。
そしてそんな最中、僕らは黄金町にあった元ストリップ劇場という、
とても魅力的な建物に出会うことになりました。

黄金町とストリップ

ご存知の方も多いかもしれませんが、
横浜市の黄金町と言えばかつては違法風俗で栄えた歓楽街で
今でもまちを歩けば250件もあった売春宿の一部を名残として見ることができます。
10年ほど前からは地域住民によって環境浄化運動が始まり、
2009年には〈特定非営利活動法人黄金町エリアマネジメントセンター〉も設立されて、
黄金町というまちのイメージは刷新されてきています。

かつての売春宿はアーティストの活動拠点やイベントスペースに。

独特な歴史がもたらすまちの空気感が個性的な場所を多く生み出し、
ドラマ『私立探偵濱マイク』の舞台などでも使われていました。
僕らが出会った建物もそのような黄金町の真ん中にあり、
つい最近までは「黄金劇場」という名前のストリップ劇場で、
近くを走る京急線からも大きな看板が目立っていました。

黄金劇場があったころの様子(画像提供: 三日画師)。

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いざ、ストリップ劇場へ下見に!

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いざ劇場へ

内見時にはすでに看板などは撤去されていて、
外観が漂白された状態の建物でしたが、
内部は劇場当時のままに近い状態。
ショーをしていたと思われる1階ホールは真っ黒で、
ステージに下りるための階段や大鏡などが残っていました。
1階ホールは天井がとても高く、
2階は踊り子さんの楽屋とスタッフの部屋に小さく分かれていました。
またはしごでしか入れない照明室もありました。
それ以外にもお客さんに向けて書かれた看板や、スタッフへの注意書き、
お気に入りの踊り子用の名前入り団扇や小道具といった、
当時を思わせるものがたくさん残っていて、
時間がそのまま止まっていたようでした。

内見時にはすでに外壁は白くなり、階段のフードも取れていました。

中は劇場らしく、真っ黒。当時の様子がうかがえました。

独特な色使いのトイレとシャワー室。

2階の楽屋。踊り子さんたちは舞台に上がるまでここで準備していたようです。

2階の個室。スタッフ用の小さい部屋が3つ並んでいました。

工房と事務所のシェアがしたいという話から、
このストリップ劇場を引っ張ってきた不動産屋さんの腕力もすごいと思いました。
紹介してくれたのは〈ウミガワ不動産〉の石井律子さん。
石井さんは横浜の井土ヶ谷で〈宿るや商店〉、三崎では〈ちいさな島〉など、
空き家再生事業の一環として日替わりカフェやレンタルスペースの運営などを行っていて、
今回僕らの提案にも粘り強く付き合ってくださいました。

協働で改修作業

既存の解体と改修は、メンバーのひとりである、
大工・木工職人の劉 功眞くんに指示を出してもらいながらみんなで進めました。
とてもインパクトのある歴史をもつ建物だったので、
極力、手は入れずに建物に残った痕跡を手がかりに改修は進めていきました。

部屋を分けていた間仕切り壁や、楽屋の畳、天井など、
解体をしていくと思いもよらない表情が出てきます。
間仕切りを取り払うことで、
それぞれの部屋の壁に塗られていた異なる色が
隣りあって特徴的な模様をつくったり、
ベニヤ板で塞がれていた窓をあらためて開けることで一気に空気が抜けるようになったり。
解体現場は瞬間瞬間で劇的に空間に変化が生じていきます。

解体は大工の劉くん主導。撮影はカメラマンの加藤甫くん。各々の専門性を持ち寄れるのも特徴です。

細かく分かれていた2階の壁を解体して広くしています。

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解体後の空間はいかに?

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最終的には1階が職人と美術家のためのアトリエ、
中2階はカメラマンの作業場、
2階楽屋は建築チーム、アーティスト、
ライターのオフィスとアトリエして使うことになりました。

1階は工房に。前のスタジオ解体時に出た廃材を譲ってもらい、床も張りました。

2階はオフィスエリアに。壁で仕切らずオープンなレイアウトに。

スタジオの名前は散々議論した挙句、〈旧劇場〉という昔の名残を残した名前になりました。
スタジオの看板ロゴはデザイナーの西尾真人さん。
「ここをこのタイミングで借りた人にしか付けられない名前を大事にしたほうがいい」
とのアドバイスをいただき、
かつての看板の字体を踏襲したサインをつくっていただきました。

旧劇場の看板。解体時に取り外された誘導灯を再利用しました。

たくさんの人が集まった竣工パーティ

〈旧劇場」として生まれ変わった元劇場。

それぞれの仕事をしながらのスタジオ改修は3か月以上かかりましたが、
ようやく2014年7月にスタジオをオープンすることができました。
当日はハンマーヘッドスタジオで一緒だった方などたくさんの人が来てくれて、
そのなかにはもともとのストリップ劇場時代のお客さんや近所の方もいました。
当時の様子など、新しくきた僕らが知り得ない話もたくさんあり、
さまざまな意味で記憶に残っている建物だったことを知りました。

オープニングにはたくさんの方が来られました。

建物内にイベントスペースのような場所はつくらず、
あくまでそれぞれの専有の仕事場にしたことが、特徴ともいえるかもしれません。
まちにとって「特別な場所」ができたことが有益になるよりも、
「特別な場所に集まった人たち」が
そこで日々活動しながら、
まちとも関わることが有益になるような関係性を築くことが、
地域に拠点を持つことに対する僕らの答えでした。

黄金町に移ってから1年経ちますが、
その間にいろいろな人たちと関わらせていただく機会がありました。
そのなかでもひとつ、黄金町でもともと違法風俗店が連なっていた、
長屋のひとつを改修したスペースが、
現在黄金町で開催されている「黄金町バザール2015」でお披露目されています。
会期中は展示空間として、会期後はアーティストのアトリエとして利用される予定ですので、
またここで紹介したいと思います。

次回は、まず旧劇場の日常と、関わりのある人たち、
そこで生まれた仕事などについて紹介していきたいと思います!

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IVolli architecture 
アイボリィアーキテクチュア

住所:神奈川県横浜市中区末吉町3-49 旧劇場2F

http://ivolli.jp/

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