連載
posted:2018.1.22 from:栃木県日光市 genre:暮らしと移住 / 食・グルメ
sponsored by 日光市
〈 この連載・企画は… 〉
世界遺産「日光の社寺」に代表される歴史や文化、自然や温泉も豊かな日光市。
観光地としても魅力的な日光ですが、ここでの暮らしを楽しんでいる人たちもとても魅力的。
日光で暮らし、働く人たちにスポットを当て、観光だけでない日光の魅力をお届けします。
writer profile
Ikuko Hyodo
兵藤育子
ひょうどう・いくこ●山形県酒田市出身、ライター。海外の旅から戻ってくるたびに、日本のよさを実感する今日このごろ。ならばそのよさをもっと突き詰めてみたいと思ったのが、国内に興味を持つようになったきっかけ。年に数回帰郷し、温泉と日本酒にとっぷり浸かって英気を養っています。
credit
撮影:石井孝典
あの『枕草子』にも登場するかき氷は、日本の夏の風物詩だが、
ここ最近は夏に限った食べ物ではないようだ。
パフェ顔負けのゴージャスな盛りつけや、
旬のフルーツをふんだんに使った自家製シロップのかき氷を
年中提供する店が増えていて、繁忙期は長蛇の列ができるほど。
そんなかき氷フリークにも一目置かれているのが、天然氷を使ったもの。
天然氷というのは湧水などの清冽な水を採氷池に引き入れて、
真冬の寒さを利用して自然の中でつくられる氷のこと。
冷凍庫で急速に固める氷と違って、ゆっくりと時間をかけて凍らせていくため、
薄く削っても溶けにくく、口に含むとふんわりとした
やさしい食感を楽しむことができる。
しかしながら冷凍技術が発達した昨今、手間と時間をかけて
わざわざ天然氷をつくるところは、日本全国を見回してもわずか数か所残るのみ。
そのうち3軒が日光にあるのだという。
2018年、年が明けて間もなく、天然氷の蔵元〈四代目徳次郎〉で、
この時期恒例の氷の切り出しが行われた。
JR日光駅からそれほど遠くないところにある採氷池には、
朝早くから代表の山本雄一郎さんと息子の仁一郎さん、
そしてボランティアのメンバーが集まっていた。
氷を切り出すタイミングは、厚さ15センチが目安。
といっても自然が相手なので、例年2、3日前に切り出しの日が決定する。
にもかかわらず、これだけ人が集まることにまず驚いてしまう。
聞けば日光市内だけでなく、東京や関西方面からやって来る人もいるそうで、
いつもはひっそりしている池がこの日ばかりは賑やかに。
切り出しは流れ作業で、池に張った氷を動力カッターで切る役、
切られた氷を池から引き上げる役、竹でつくったラインに乗せて流す役、
氷室(ひむろ)とよばれる貯蔵庫に並べていく役などがいる。
寒さに耐えながらの作業で大きな励みとなるのが、
名物のカレーや打ちたてそばなどのお昼ごはん。
四代目徳次郎とつながりのあるシェフやそば職人らが、応援で来てくれるのだ。
氷の切り出しは農作業における収穫のようなもので、お祭り的な空気さえ漂っているが、
雄一郎さんが徳次郎を継いで間もない頃、こんな光景は想像すらできなかったようだ。
四代目徳次郎である雄一郎さんは、実をいうと初代から三代目とは血縁関係がない。
「私自身は24歳のとき、霧降高原に〈チロリン村〉というレジャー施設を開業して、
そこのカフェで出しているジュースやアイスコーヒーなどに
日光の天然氷のひとつ〈吉新(よしあら)氷室〉の氷を長いこと使っていたんです。
あるとき、吉新氷室が廃業するという話を、間に入っていた業者から聞いて……」
雄一郎さんは日光の天然氷の文化を絶やすわけにはいかないと、
氷室まで出向いて存続を直談判。
しかし高齢で体力的に厳しくなったのと、天然氷に未来はないという判断から、
廃業を決めた先代の意志はかたかった。
「手伝うから続けてほしいとお願いしたのですが、
辞めることは10年前から決めていたし、廃業届ももう用意してあるのだと。
その日から毎日ここへ通いつめました。
親方は毎朝7時に来て、番屋の薪ストーブをつけるのですが、
私は6時半から車の中で待っていて、煙突から煙が出たら
『おはようございます』と入っていくんです。
日光の氷の歴史とか、初代徳次郎がどうして氷づくりを始めたのかとか、
いろんな話を聞きました。そしたら2週間くらい経った頃、
『ほんとにやる気なのか?』と言ってくれたんです」
先代は一緒に作業はできないけれども、つくり方は指導するという条件を出し、
雄一郎さんに氷室を継承。
2006年、吉新氷室初代徳次郎から三代目の意志、文化を受け継ぐという思いを込めて、
屋号を「四代目徳次郎」とする。雄一郎さんが56歳のときだった。
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食用の天然氷をつくったことはなかったけれども、
日光で生まれ育った雄一郎さんにしてみれば、氷は身近な存在だった。
「日光は昔からスケートのメッカだから、
冬になるとそれぞれの地域の田んぼや学校の校庭に、
自分たちでスケートリンクをつくるんですよ。最初に雪を踏み固めて、
朝方や夕方に水を撒いて凍らせるようなことは、よくやっていたんだよね」
といっても滑るための氷と食べるための氷では、やはり勝手が違う。
雄一郎さんは海外の人に会ったとき、”I am an ice farmer” と自己紹介するそうで、
氷づくりと農業に共通するものを感じている。
たとえば、土づくりが大切な点。
晩秋になると氷づくりの準備が始まるのだが、
畑や水田と同じように池の底の土を丹念に耕していく。
池に張った水が表面から下へ向かって凍っていくとき、
底の土がかたいと氷の膨張を受け止められないからだ。
凍り始めても、厚くなるのをただ待っていればいいわけではない。
徳次郎が代々目指しているのは、日本一かたい氷。
急速に冷やすと細かい結晶が集まったやわらかい氷になるのだが、
ゆっくり冷やして大きな結晶として成長した氷は純度が高くてかたいため、
溶けにくくなるのだ。
「氷が張ってもいい状態に成長しなさそうなときは、
納得いくまで何度も割ってつくり直します。
寒波がくると風が出やすいので、木の葉などを夜通しすくわなければいけないし、
雪が表面に積もると氷が成長しなくなるので、
16時間ぶっ通しで雪かきをしたこともあります」
そうやって2週間ほどかけて育てた氷を、2面の池からひと冬に2回採取。
枚数にして4000枚、重さでいうと160トンにもなるのだが、
雄一郎さんが継いだばかりの頃は、買い手がほとんどおらず、
大部分を川に捨てざるを得なかった。
息子の仁一郎さんは、雄一郎さんが氷づくりを突然始めたとき、
呆れ半分に「またか」と思ったそう。
「これまでもいろんなことにチャレンジしてきて、失敗も多かったので。
それにしてもなぜ氷なんか……、と最初は思いました。
日光は冬になれば氷だらけだったし、当時は天然氷なんて言葉も一般的ではなく、
ただの氷としか思っていなかったんですよね。
日光の天然氷は、地元の人にもそれくらい知られていなかったのだけど、
親方や氷づくりを一緒に始めた親父の仲間たちの話を聞いているうちに、
そのすばらしさにようやく気づくことができました。周りから言われるとわかるけど、
自分の親の言葉ってなかなか染みてこないんですよね(笑)」
雄一郎さんは、採算度外視で日光の伝統文化を残すことに必死になっていたが、
あるとき知人から、「文化を残すだけでなく、
多くの人に知ってもらわなければ続かないのでは」と指摘される。
「地元で売れないのなら、東京に持っていこう。
そのためにはブランド化することが大切だと。いままでのようなかき氷ではなく、
大人の方にも受け入れられるようなかき氷をつくってみようということになったのです」
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こうして日光の天然氷は、広く知られるようになったわけだが、
山本さん親子はこれに満足することなく、
まだ日の目を浴びていない日光の魅力を常に探している。
霧降高原に自生するカエデから樹液を採取し、目下商品開発を進めている
〈日光メープルシロップ〉もそのひとつ。
紅葉は美しいが、スギやヒノキの植林には邪魔なものとされてきたカエデを、
新しい名物にしようというのだ。
「いい氷をつくるには、森づくりもしていかなければいけません。
メープルシロップをつくるのは、実際ものすごく手間ひまがかかるのですが、
話題としてもおもしろいじゃないですか」(仁一郎さん)
ほかにもメープルの樹液を使った手打ちそばや、
ヤマブドウのワインもブランド化を目指しているし、
霧降高原の丁字の滝を人工的に凍らせて、“遊ぶ氷”として
アイスクライミング場をプロのクライマーとつくるという試みも。
「初心者向けに高さ15メートルの氷爆をつくってみたら、
これはおもしろいということになって、30メートルのものもつくりました。
100メートルの場所ももう用意してあるんだよ」(雄一郎さん)
「人工といっても本物の自然の中にあるし、アクセスしやすいので
消防や警察などの訓練にも使ってもらえる。アウトドアツアーなどと
組んでうまくいけば、またひとつ、日光の目玉ができますしね」(仁一郎さん)
7年ほど東京で暮らした経験のある仁一郎さんは、
日光におけるビジネスの可能性をこんなふうに語る。
「たとえば土呂部(どろぶ)という地区の上質なワラビとか、
昨年辞めてしまったけれども今市の水車でつくる杉線香とか、
ひと昔前の天然氷みたいに地元の人にとっては当たり前すぎて、
その価値に気づいていないものがまだまだたくさんあると思うんです。
外から来た人ならその魅力に客観的に気づくことができるだろうし、
おもしろいことを見つけたら、どんどん入ってきてほしい」
やりたいこと、やらなければいけないことを実行するためにも、
「あと50年は生きなければ」と雄一郎さんは真顔で言う。
そんな父を見て、仁一郎さんは
「遊んでいるようにしか見えないんですよね。
自分もこういうふうに、仲間とワイワイやりながら、
いいものをつくっていけるようになりたいです」と笑う。
この親子なら、日光の魅力をさらに発見してくれそうだ。
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四代目徳次郎
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