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映画館のない飛騨で映画をつくる?
監督、脚本、キャストを
市民が担う映画『ひなたつむ』

Local Action
vol.127

posted:2018.3.22  from:岐阜県飛騨市  genre:暮らしと移住

sponsored by 飛騨地域創生連携協議会

〈 この連載・企画は… 〉  ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。

writer profile

Tatsufumi Shiraishi

白石達史

しらいし・たつふみ●2010年に飛騨に移住。世界中から旅人が集まるガイドツアー、SATOYAMA EXPERIENCEの立ち上げに関わり、2017年に独立。編集・企画・広報・珈琲を柱に、新しい暮らしを実践中。

photographer profile

Fuko Nagasaka

長坂風子

ながさか・ふうこ●愛知県生まれ。大学卒業後、映像制作会社に勤務。地域の“今”を残したいと思い、岐阜県白川村に移住。好きなことは、映画を観ること、食べること。

飛騨への移住は何が違う?
仕事、住居、暮らしを支える飛騨コミュニティ vol.6

世界中から集まる、多くの旅人の心を掴んで離さない飛騨。
観光地として有名な飛騨は、高山市・飛騨市・下呂市・白川村の
三市一村からなる広域エリアだ。
伝統に触れつつ、新しい生き方を実践できるこの地域には、
観光客だけでなく移住者が増えている。

地域で暮らすうえで、大きなポイントとなるのが、人とのつながり。
縁を感じられる地域には、移住者は自然と集まってくる。
コロカル×未来の地域編集部でお届けする、飛騨の魅力に迫る連載。
外の人々を迎え、つながりを強くする。そんな飛騨のコミュニティを訪ねていく。

映画館のないまちで動き出した市民プロジェクトとは?

飛騨と映画といえば、2016年に大ヒットした
『君の名は。』を思い浮かべる方も多いだろう。
全国の映画館で、ロングラン上映されたこの映画だが、実は飛騨地域には映画館がない。

一見、映画上映とは縁の薄いまちのように思えるが、
飛騨市には、市民を巻き込んで自分たちで映画を制作し、
上映会までしてしまった人々がいる。

飛騨市には、〈飛騨市小さなまちづくり応援事業〉という制度がある。
市民主体のまちを住みやすくする活動に対して、一定の助成金が交付される制度だ。

この制度を利用し、撮影、上映されたのが、
飛騨市を舞台にした短編映画『ひなたつむ』だ。

『ひなたつむ』は、ある家族のあいだで起こった、小さな奇跡の物語。
表裏を返しながらふたつのストーリーが展開するが、
どちらも、ひなたのようにあたたかい映画だ。

飛騨市で撮影し、市民がつくりあげた短編映画『ひなたつむ』撮影現場。

一般募集して集めたというキャストをはじめ、
監督、脚本、制作スタッフすべてに、市民が関わっている。

プロの俳優や、飛騨市長も巻き込み制作されたこの映画は、
いったいどのようにしてつくられたのだろうか。

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市民を巻き込む映画はどうつくる?

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映画制作から離れた監督が、『ひなたつむ』で再びメガホンを取るまで

『ひなたつむ』は誰にも身近な家族のあり方について描かれた作品。全編を飛騨市で撮影した。

「一般市民を集めて映画を撮る、というのは、相当エネルギーが必要なことなんです。
僕は、10年ほど前にも市民でつくる映画を撮って、
自分の中ではひと区切りついたかな、というところだったので、
まさか、また撮影することになるとは思いませんでした」

こう話すのは、飛騨市神岡町在住の映画監督、吉木敏博さんだ。
映画監督としての経歴も長く、現在は鉄工所を営みながら、創作活動を行っている。

吉木監督は、役者になるためには拳銃くらい撃てないと、と警察学校に行き、その後役者の道に進んだという経歴の持ち主。

「もともと役者を目指して上京したものの、うまくいかなくて神岡に戻ったんです。
帰ってきてからも、家業である鉄工所をしながら創作活動を続けていたんですが、
役者をやりたくても撮ってくれる人がいない。
それで、自分で脚本を書いて自分で撮る、ということを繰り返していました」

監督として、華々しくスタートしたわけではない。
それでも、地道に作品づくりを続けていくうちに、
いくつかの短編映画が国内の映画祭に入選するようになっていった。
〈蓼科高原映画祭〉第6回短編映画コンクールでは、グランプリを受賞し、
山田洋次監督からコメントをもらったこともある。

少しずつファンが増え、全国の劇場で上映される映画も出てきた2007年。
神岡町にあるイベント施設〈船津座〉から、
市民を一般公募して映画を撮ることを提案された。

『ひなたつむ』の稽古風景。初めて演技に挑戦する人も多い。

「それまでは、よく知った身内メンバーで映画をつくっていたので、
一般の人を巻き込んだ撮影は初めてだったんです。
市民をどうやって稽古するか、慣れないことも多くて。
なかなか大変だったこともあり、完成後、しばらく
映画はいいかな、と控えるようになってしまいました」

映画制作はしばらく休もうと思っていたが、一方で、
地域には吉木監督の作品づくりに関わりたい若者が増えていた。

そのなかで、吉木さんにもう一度メガホンを持たせた人物が、山口郁夫さんだ。
『ひなたつむ』では、制作プロデューサーとして、全体の取りまとめを一手に担った。

市民キャストとしても出演した山口さん。演技力には定評があり、吉木監督作品にも何度か登場している。

「前の市民映画の撮影のとき、吉木監督は、脚本やプロデュース、
人集めからスケジュール調整まで、すべてひとりでやっていたんです。
そうした大変な労力をチームで支えていくことで、もう一度
作品を撮ってくれるんじゃないかと、長い時間をかけて交渉していました」

山口さんも家業が鉄工所ということもあり、吉木監督とはつき合いが長い。

山口さんの粘り強い交渉で、ついに監督も折れたそう。
そして、少しでも制作負担を減らすため〈飛騨市小さなまちづくり応援事業〉への
応募と、一般市民を巻き込んだ映画づくりが始まった。

監督は見つかったものの、映画をつくるうえでは脚本家が必要だ。
山口さんには、吉木さんと引き合わせたい人物がいた。

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飛騨から毎週東京に通って脚本家に

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飛騨市にUターンした脚本家、藤井亮子さん

『ひなたつむ』の脚本を手がけたのは、神岡町在住の藤井亮子さん。
もともと神岡町の出身で、名古屋と福島での生活を経て、2004年にUターンしてきた。

東京のクリエイター養成学校に通っていた藤井さんは、2017年の作品『ここ、から』が、カンヌ国際映画祭の短編部門にエントリーされたという実力派だ。

藤井さんは、神岡で主婦をしつつ、脚本家としても活動している。

「小学校から高校までは、神岡で過ごしたんです。
名古屋で就職後、結婚して、夫の実家である福島に行きました。
しばらくは福島で暮らしていたんですが、
母が神岡でずっとひとり暮らしだったので気になっていて。
それで、家族と相談して、2004年に神岡に帰ってきたんです」

神岡で過ごした小学校の頃から、本ばかり読んでいたという藤井さん。
いつしか小説を書くようになり、小学校6年生の頃には、
文化祭の劇で台本を任されたという。

「武田信玄と上杉謙信の“川中島の戦い”、という渋い内容だったんですが(笑)、
当時の自分なりに書いたものの、反応があまりよくなくて。
それで、人に見せることが恥ずかしくなってしまったんですね。
以来、誰にも見せずに書くようになりました」

身近な人には作品を見せずに書き続けた藤井さんだったが、
高校生の頃にコンクールに応募した作品が最優秀賞を受賞し、
小説家の赤川次郎から表彰を受けた。
その後も、勢いを落とすことなく作品づくりに打ち込むものの、
どうしても2次、3次審査よりも上には通らなかったという。

小学校から書き始めた小説だが、作品を読んだことがある人はごくわずかだそう。

「自分の作品はフィクションなので、落ち込んでいるときも、
自分の気持ちを無視して楽しい話ばかり書いていたんです。
それを続けているうちに、実際の生活とのギャップに疲れてしまって。
その後、結婚や子育ての時期に入ったこともあって、書くことからしばらく離れました」

藤井さんに転機が訪れたのは、神岡での暮らしも落ち着いた40歳の頃。

「神岡では、40歳の年になると厄落としで神輿を担ぐ、という伝統があります。
そのとき、ちょうどいまが人生折り返しという感覚が、
自分の中でふつふつと湧きあがってきたんです。
それで、ここから先の40年は、中途半端に逃げ出してしまった創作活動に、
残りの人生を注ごうと決めました」

たまたま目についた雑誌で、企画や脚本を学べるクリエイター養成学校があることを知ったという。

そこからの流れは早い。
すぐに東京のクリエイター養成学校に申し込み、小説家からのステップアップを図った。
週末のみ開催されるコースを選択し、家族の協力のもと、
毎週高速バスで東京まで通った。

これまで、自己流で作品をつくっていた藤井さんからすると、
学校で教わることは驚くことばかり。
ただ、もともと小説を書いていたというベースもあり、
学校では、映画の企画の立て方や、脚本の書き方をどんどん吸収していった。

吉木監督と現場打ち合わせをする藤井さん。

「卒業制作の課題が、10分映画の脚本を書きあげることだったんです。
そのなかで、いくつか書いたうちのひとつ『ここ、から』が評価されて、
最優秀賞をいただきました」

その後、『ここ、から』は、藤井さん自身が監督し、映像化も果たした。
いくつかの映画祭に出品したところ、カンヌ国際映画祭の短編部門に
エントリーが決まった。名実ともに、脚本家としての活動が
本格的に動き始めた頃、山口さんを通して吉木監督を紹介された。

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撮影から上映まで

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着々と進んでいく、『ひなたつむ』の撮影準備

『ひなたつむ』最初の上映会場となった船津座ホールにて。

「僕は、友人づてで神岡にすごい脚本家がいると聞いていたので、
これは吉木監督と引き合わせるしかないと思って。
2017年の6月に、顔合わせという名目で飲み会をセッティングして、
そこで監督を口説き落としたんです。
お酒の力もだいぶ借りたんですが、『本当にやるの!?』という感じで
決まっていきましたね(笑)」(山口さん)

監督も脚本も決まり、山口さんは〈飛騨市小さなまちづくり応援事業〉の
応募手続きを進め、藤井さんは脚本のベースとなる企画制作に取りかかった。

「審査用の資料をつくって、ロケ地選定、企画会議にオーディションと、
すべてが同時進行でしたね。市民公募のオーディションも、
脚本が確実に仕上がる前からスタートしているので、とりあえず、
このくらいの年代の男性を……と、募集要項も曖昧でした」(山口さん)

出演者募集のチラシ。この時点では脚本はまだ完成していない。

都市部だと、演劇の学校があり役者を目指す人も多い分、
比較的人材も見つけやすいだろう。
ただ、飛騨地域ではそういった人は少ない。
そもそもオーディションに人が集まるのか、まったく予想がつかず、
制作チームは気が気でなかったそうだ。

しかし、蓋を開けてみればオーディションは反響が大きく、多くの人から応募があった。
ほっと安心したのもつかの間、次は別の問題が浮上した。

「もともと、『ひなたつむ』は出演者5人程度で10分の短編映画という想定でした。
ただ、せっかくオーディションに応募してくれたのだから、
何かしら関わってもらいたいと考えているうちに、
登場人物とシーンが増えて30分超えの映画になってしまったんです。
そして、出演する一般市民が増えた分、どうしても
映画自体に締まりのない部分が出てしまいました」(藤井さん)

撮影場所はまちの喫茶店など、市民にとって身近なスポットも。

この課題は、各シーンにプロの俳優を入れることで解決した。
一般市民だけだと甘くなってしまう部分を、
プロの俳優が空気をつくることで、ぐっと映画の深みが増したそう。

「これは、学校のコネクションもあったおかげで、
役者さんの事務所にすぐにお願いすることができました。
実は、役者さんにとっても、大きい役で出演させてもらうというのは貴重なんです。
お願いした役者さんにも、今回の撮影はいい機会になったかなと思います」

満員御礼! 船津座での上映会

市長をはじめ、多くの人がかけつけた上映会場。

11月下旬、雪の降る前にクランクアップした『ひなたつむ』は、
総勢30名以上の市民が関わる映画となった。
参加したみんなが口を揃えて、次回作も何かしら関わりたい、
と言ってくれているそうだ。

飛騨市のように小さなまちでも、クリエイティブな作品をつくることができる。
映画づくりをとおして、参加者が感じたことは多いだろう。

吉木監督たちの地元、船津座での上映会と、
飛騨市文化交流センターでの上映会には、数百人の市民が詰めかけた。

「何年か経ったら、また市民と一緒に映画を撮りたいですね。
藤井さんが監督として作品をつくったり、
これからできることがたくさんありそうです」(吉木さん)

現在、いくつかのコンクールに応募もしているという『ひなたつむ』は、
夏にDVD化も予定している。

そして、3人はいずれ、映画祭を飛騨でやってみたいと夢を膨らませている。
映画館のない飛騨で、たくさんの作品を観ることができる日も近いかもしれない。

「未来の地域編集部」が発信する、
グッとくる飛騨

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