連載
posted:2021.11.25 from:全国 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
ローカルで暮らすことや移住することを選択し、独自のライフスタイルを切り開いている人がいます。
地域で暮らすことで見えてくる、日本のローカルのおもしろさと上質な生活について。
暮らし方のひとつの選択肢として、ふたつの拠点をもって生活することが
より多くの人に受け入れられるようになりました。
この「二拠点生活」は、「二拠点居住」「デュアルライフ」と
さまざまな呼び名があるように、そのスタイルもさまざまです。
1か月を半分ずつ過ごしたり、仕事とプライベートを分けるように使ったり
二拠点生活者の数だけ暮らし方があると言えます。
コロカルでは、これまでさまざまなスタイルの二拠点生活者を取材してきましたが、
彼ら・彼女らが口をそろえて言うのが、ひとつの生活に縛られなくなることで
暮らしにも、仕事にも相乗効果や柔軟性が生まれているということ。
二拠点生活者たちは、どんなところにメリットを感じているのでしょうか。
二拠点生活の事例とともに紹介します。
「仕事の本質は“どこで活動するか”より“いいものをつくること”だから」。
そう話してくれたのは、建築家の谷尻誠さん。
「クリエイティブな仕事をするなら東京」という考えが一般的だった
2008年に広島と東京を週イチで往復する生活を始めました。
多くの人に「週イチで広島と東京を移動するなんて、大変でしょう?」と
言われ続け、あることに気づいたそうです。
それは「二拠点は、世の中ではまだ価値化されてないんだな」ということ。
でも、その“大変”を人より先に自分のものにしてしまえば、
ほかの人には真似できない働き方ができると考えました。
ふたつの拠点を毎週移動するのは、情報も移動し混ざり合っていくこと。
それによって、新しい働き方やアイデアが生まれるかもしれない。
働く時間としては非効率だが、
“いいものが生まれる”という意味の効率はよくなっていると言います。
つまりは、二拠点生活の価値化ということ。
時間的な効率より、いいものが生まれる効率に比重を置いているのです。
また、二拠点生活が住宅建築に与える影響についても語ってくれました。
今後二拠点生活者が増えると、家の建て方や在り方も大きく変わるそうです。
記事はこちら:建築家・谷尻誠 広島・東京の二拠点から学んだ“谷尻流”働き方と発想力
ファッションデザイナーのスズキタカユキさんは、
北海道・根室の土地に魅せられ、東京と二拠点生活を送っています。
初めて根室を訪れた際、日本にこんなところがあるのかと驚くほど、
想像を超えた世界が広がっていたそうです。
北欧のようなドラマチックな光が差し込み、
こういう環境に身を置くことはおもしろそうだと感じたのです。
根室には、命の危険を感じるような場所や状況が当たり前に存在します。
「あと2時間ここにいたら死んでしまうかも」
と都会では考えもしないようなことに思いを巡らせます。
そして、この先も今のままでいいのかとか、
実はもっといろんな選択肢があるんじゃないかとか、
取るに足りないようなものに、意外と縛られていることに気がつくそうです。
ひとつの場所にとどまることで
自然と身についてしまっている常識や先入観から、
なるべく自由でありたいとスズキさんは考えています。
ひとつの場所しか知らなかったり、
逃げ場がないようなとき、そこが自分に合わなかったら本当につらいと言います。
その点、普段から見聞や見識を広げていれば、
今いる場所に生きづらさや不安を感じたり、満足感を得られないようなとき、
マイナス要素を回避する術を見つけやすいのです。
スズキさんは、そんな二拠点生活の良さを教えてくれました。
記事はこちら:デザイナー・スズキタカユキ 東京・根室、ふたつの拠点の往来が服づくりをより自由にする
住宅や商業施設をはじめ、多岐に渡るデザインを
国内外で手がける空間・プロダクトデザイナーの二俣公一さん。
1998年にデザイナーとしてのキャリアを福岡でスタートし、
2005年に東京事務所を開設して以来、
福岡と東京、2拠点での活動を続けています。
住まいは福岡。週の前半に東京へ行き、後半に福岡へ戻って
週末はできるだけ福岡で家族と過ごす、というのが1週間の基本サイクルです。
「日本って、47都道府県あって、
東京がメインで地方がサブかというと、そうじゃなくて、
東京以外の46道府県を合わせた面積のほうが圧倒的に広ければ、人も多い。
日本のマジョリティというか、リアルって、本当は地方にあると思うんです。
もちろん、東京にも暮らしはあるわけで否定する気はまったくないし、
ビジネス上はいろんな尺度があっていいと思うんですけど、
日々の生活とかそのリズムを考えると、
地方の暮らしのリアルをきちんと自分の中の尺度として
持っておくのは大事だと思っているんです」と二俣さん。
二俣さんの国内での仕事の半分は東京で、残り半分の“東京以外”は
福岡のみならず、千葉や神奈川の住宅設計、
兵庫の旅館の改装やランドスケープの整備など、
今や日本全国、驚くほど広範囲の“地方”に広がっています。
「地方のプロジェクトのクライアントさん自身が
ローカルに根ざしながら、見ているところはグローバルだったりする。
僕らは、海外の仕事も東京も地方も並列にやってきて、
相手の企業や施主も、そこをフラットに見ていて、
そのわけ隔てのない感覚が同調するというか、
超ローカルなところで、超ハイブリッドな仕事ができる、というのが
今、すごく楽しい」と語ります。
全国に点在する現場を行き来しながらも、
二俣さんは移動と移動の合間が1日しかなくても、福岡に戻ってくるそうです。
「例えると、掃除ロボットの“ルンバ”みたいな感じです。
移動でけっこう時間を無駄にするんですけど、
遠くても帰らないと充電できない。
自宅とか家族の存在というのも大きくて、逆に言えば、遠くても充電できる場所がある。
なんだかんだ言って、それがけっこう重要かな」
記事はこちら:デザイナー・二俣公一。福岡での暮らしに軸足を置きながら日本そして世界を見据える
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アパレルブランド〈SON OF THE CHEESE〉やサンドイッチ店〈BUY ME STAND〉、
蕎麦とバーが融合した〈Sober〉などを手がけているクリエイター・山本海人さん。
当初は、移住のつもりで神奈川県・真鶴にやってきました。
東京には一切行かずに、真鶴にいながら東京の会社をコントロールしましたが
100%リモートというのはコントロールが難しくなって、
いまは半分ずつの生活に落ち着いています。
真鶴での暮らしは「潮の流れとともに生活している」と山本さん。
真鶴にやってきて始めた釣りに大ハマりし、仕事の合間をぬっては
1日2回磯釣りに興じているそうです。
経営者として、働き方についても話してくれました。
「真鶴の家賃が東京の3分の1くらいだとすれば、
極論でいえば、3分の1しか働かなくていいわけです。
それがいいか悪いかというよりは、選択肢のひとつではありますよね」
山本さんは真鶴と二拠点生活をしながら、東京の現場を動かしています。
手がけているバーやレストランなどの飲食店は渋谷や新宿周辺にあり
いわゆる「トレンド商売」といってもいいでしょう。
「こういう職業だから、“都落ち”みたいにいわれることもあります。
“アイツは終わった”みたいな(笑)
でも真鶴にいながら、歌舞伎町にお店をオープンさせていますからね」
少し前であれば「都落ち」だったかもしれませんが
地方にいながら都心部で仕掛けるなんて、今はむしろ最先端。
その舞台はローカルに移り変わっていくのかもしれません。
記事はこちら:真鶴で釣り三昧! 〈SON OF THE CHEESE〉山本海人の両極端な二拠点生活
東京のデザイン・スタジオ〈groovisions(グルーヴィジョンズ)〉の代表を務める
伊藤弘さんは6年ほど前から八ヶ岳に一軒家を構え、
東京との二拠点生活を送っています。
伊藤さんはまちの変化と働き方について語ってくれました。
「東京は、まち全体が巨大なショールームみたいですばらしいけど、
買い物自体はネットがほとんどなので、やはりまちとの関係は変わりましたね。
逆にインターネットがなかったら、今のように考えるのは難しいと思います。
やるかやらないかは別として、車で2、3時間のところだったら、
日常をスライドさせながら土地を離れる敷居はだいぶ低くなっていると思います」
働き方については、週5日、出社するのはナンセンスだと言います。
「週1日や2日、必要に応じて会社に行ったり、1週間おきに会社に行ったっていいはず。
まだまだ柔軟性があるような気がしますね」
一方で、リモート作業でのやりとりはコミュニケーションが難しく、
とくにデザインの仕事においては、ニュアンスを伝えたり
ブラッシュアップをしていく作業は向いていないと言います。
しかし、働き方が変われば仕事の中身も変わるのではないかと話を続けます。
「デザインは、納得のいくまで積み上げていく作業が大事だけど、
これからの時代はあえてそこを切り捨てていくという考え方もある。
デジタル化していくと同時に、曖昧なものをどんどん割り切っていくと、
仕事の中身も変わると思います。
一見、同じことをやっているように見えるんだけど、実は中身は全然違う。
デザインや表現に対する考え方を変えていくことも必要かも。
そんな先のことをもやもやと考えたりしていますね」
記事はこちら:東京と八ヶ岳の二拠点生活。〈groovisions〉伊藤弘さんがコロナ禍で考える働き方とデザイン
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横浜市の野毛山エリアで活動しながら、
長野県立科町で地域おこし協力隊として活動するのは
設計事務所〈YONG architecture studio〉の主宰・永田賢一郎さん。
さまざまなスタイルの二拠点生活があるなかで
ユニークな二拠点生活をしています。
永田さんが横浜で過ごすのは、週の後半の夜間のみ。
自分がいない時間は誰かに使ってもらおうと考えました。
そこで、「住居兼シェアスタジオ」として貸し出すことにしました。
「多拠点居住者は、ホテルに宿泊か、ひとりで物件を借りるのはもったいないので
地域にいる友人とシェアをして暮らしている、という人が多いようです。
テレワークの普及や地方での活動が活発になっていくうえで、
『2地域居住の住まい方』は今後大切なテーマになるはず。
「自分がいない時間」の場所の使い方を考えることが、
新しい住まいの発明につながると考えています」
記事はこちら:シェアスタジオ〈南太田ブランチ〉 二拠点居住者の新たな住まいのつくり方
上吉原さん夫婦は、日光と東京で二拠点生活を送っています。
夫・隆浩さんはウェブや映像制作、イベント企画などを行う
〈upLuG(アプラグ)〉という会社の運営をしており、
妻・麻紀さんは日光・小来川(おころがわ)の地域おこし協力隊に参加しています。
隆浩さんは、現在日光市になっている旧今市市出身で、麻紀さんは県内の栃木市出身。
当初は日光に戻ってくるつもりはなかったそうですが、
その理由として「仕事がないだろう」という先入観が少なからずあったようです。
しかし、「日光の外で勝手に抱いていた『仕事がない』というイメージは、
実際に中に入ってみると全然違っていて、
ひとりとつながると、どんどん転がっていくんです。
東京では営業をかけまくって、ひとつかふたつ仕事をいただけたら
いいほうだったりするので、展開の速さに驚きましたね」
と、隆浩さん。
麻紀さんもここにやってきて驚いたのは、地域の人たちの結束力。
東京ではコンビニまで徒歩0分だったのに
近くに商店が1軒もないことを移住当初は心配していたものの、
おすそ分けと呼ぶには多すぎるほど野菜をいただくことも。
現在は週3日ほどを東京で、それ以外は日光で過ごす日々を送っているようですが、
行ったり来たりのデュアルライフを、思いのほか楽しんでいるようです。
記事はこちら:日光の隠れ里、小来川に魅せられ移住。地域おこし協力隊と二拠点生活の起業家夫婦
東京で暮らしながら、鎌倉市大船にある漢方薬局に通う、
いわば“逆通勤”スタイルを実現しているのは、
祖父の代から大船で漢方薬局店を営む杉本格朗さん。
「職住近接」志向が高まっている昨今だが、自らの活動範囲を広げるために、
あえて職と住の距離をとるという選択をしました。
しかも、職が「郊外」、住が「都心」という通常とは逆のスタイルもユニークです。
60年以上大船にある薬局を動かすことはできないので、
それなら自分が一度東京で暮らしてみればいいんじゃないかと考え、
「ゆったりした鎌倉の環境で仕事ができ、
一方で夜まで賑やかな東京でも自由に動けるので、
自分にとっては良いバランスなんです。
通勤もみんなと逆なので行きも帰りも楽ですし、
ひとつの暮らし方として良いのではないかと感じています」と杉本さん。
この二拠点生活を通して実現したいことは、
日々行き来している東京と鎌倉というふたつの地域をつなぐ
ハブのような存在になること。
「東京と鎌倉それぞれに良い部分がありますが、
両者には少し隔たりがあると以前から感じていました。
鎌倉では、思うように外出や食事をして、元気に暮らしていくために
健康でいたいと考えている人が比較的多いのに対して、
東京では、忙しい生活を送るなかで、ストレスが溜まっているという声をよく聞きます。
そういうまちにこそ漢方は必要とされるんじゃないかと漠然と思っていたし、
精神的に疲弊してしまっている人たちが少しでも楽になれるような提案をしたいと
ずっと考えていたんです」
記事はこちら:東京から鎌倉へ“逆通勤”!? 漢方〈杉本薬局〉の杉本格朗さんが二拠点生活を通して目指すもの
二拠点生活するうえで、都市とローカルのふたつの拠点の選択することが多いようですが、
ふたつの「家」をもつこと以上に、
ふたつの「ものの見方」や「ライフスタイル」をもつことが
二拠点生活から得られることではないでしょうか。
異なる環境、人間関係、風土から得られることは
ひとつの拠点では経験できない、より多様な人生を送ることに
近い感覚なのかもしれません。
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