連載
posted:2019.7.16 from:神奈川県鎌倉市 genre:活性化と創生
〈 この連載・企画は… 〉
豊かな歴史と文化を持ち、関東でも屈指の観光地、鎌倉。
この土地に惹かれ移り住む人や、新しい仕事を始める人もいます。
暮らし、仕事、コミュニティなどを見つめ、鎌倉から考える、ローカルの未来。
writer profile
Yuki Harada
原田優輝
はらだ・ゆうき●編集者/ライター。千葉県生まれ、神奈川県育ち。『DAZED&CONFUSED JAPAN』『TOKION』編集部、『PUBLIC-IMAGE.ORG』編集長などを経て、2012年よりインタビューサイト『Qonversations』を運営。2016年には、活動拠点である鎌倉とさまざまな地域をつなぐインターローカル・プロジェクト『◯◯と鎌倉』をスタート。
photographer profile
Ryosuke Kikuchi
菊池良助
きくち・りょうすけ●栃木県出身。写真ひとつぼ展入選後、雑誌『STUDIO VOICE』編集部との縁で、INFASパブリケーションズ社内カメラマンを経てフリーランス。雑誌広告を中心に、ジャンル問わず広範囲で撮影中。鎌倉には20代極貧期に友人の家に転がり込んだのが始まり。フリーランス初期には都内に住んだものの鎌倉シックに陥って出戻り。都内との往来生活も通算8年目に。鎌倉の表現者のコレクティブ「全然禅」のメンバー。
http://d.hatena.ne.jp/rufuto2007/
長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。
年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。
東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。
その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。
そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。
鎌倉には、東京都心の企業に勤める会社員なども多く暮らし、
ベッドタウンとしての側面も持つ。
都心まで電車でおよそ1時間の通勤は彼らにとっては日常だが、
一方、東京から鎌倉方面にやって来る人たちにとっては、
この電車の旅が非日常の時間になることが多い。
これが、東京と鎌倉それぞれの地域の特性や役割を表しているようにも思えるが、
今回の主人公である鎌倉出身の杉本格朗さんは、
東京で暮らしながら、鎌倉市大船にある漢方薬局に通う、
いわば“逆通勤”スタイルを2年半前にスタートさせた。
漢方薬局を営む家に生まれた杉本さんは、大学でアートを学んだ後、
しばらくフリーランスで活動していたが、やがて家庭の事情から薬局に立つようになる。
ほどなくして薬局の仕事と並行し、漢方をテーマにしたワークショップやレクチャー、
鎌倉界隈のクリエイターらとのインスタレーション作品の制作などを行うようになり、
いまやその活動は、鎌倉・湘南エリアを超えて広がりを見せている。
昨今のオーガニック志向、健康志向の高まりとともに、
漢方は世界的に注目を集めつつあるが、
漢方製剤を取り扱う昔ながらの漢方薬局は、まちから姿を消しつつある。
こうした状況のなかで杉本さんは、100年続くまちの漢方薬局を目指すとともに、
東京での個人活動などを通して、若い世代に向けた漢方の入り口づくりに努めている。
鎌倉と東京を行き来しながら働き、暮らす杉本さんに話を聞くために、
昼夜問わず活気にあふれる鎌倉・大船にある〈杉本薬局〉を訪ねた。
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杉本さんのおじいさんが、大船の地に漢方薬局を構えたのは1950年代。
当時は漢方に限らず、薬品系の日用雑貨全般を扱い、家族総出で薬局を回してきたが、
3代目の世代にあたる杉本さんたち3人の兄弟には、跡を継ぐつもりはなかったという。
「跡を継いでほしいと言われたこともなかったですし、
姉、僕、弟は皆、薬学部には進みませんでした。
僕は、何かものをつくったりしていることが好きだったので、
大学では染色や現代美術を学びました。
実は、染色の材料には漢方でも使われているものも多いのですが、
それを先生に言われて初めて知るくらい、当時は漢方に興味がなかったんです(笑)」
大学卒業後は、フリーランスとしてものづくり関連の仕事を請け負いながら、
アートの公募展に出品するような日々を送っていたが、
26歳の頃にお父さんが体調を崩し、人手が足りなくなったことを機に、
薬局に立つようになった。
「子どもの頃から日常的に漢方薬は飲まされていましたが、
完全に知識ゼロからのスタートでした。
お客さんが求めるものも全然わからないし、
体に入れるものだから下手なものは薦められず、
まったく売れない時期がしばらく続きました(笑)。
そこから、漢方の勉強会に行ったり、祖父や父とつながりがあった先生に
電話で相談したりしながら、ひとつずつ覚えていきました」
家族経営の難しさも感じながら、漢方について一から学んでいった杉本さんだったが、
周囲の同年代の友人たちにとっては、漢方はあまりにも縁遠い存在だった。
「20代半ばの友人たちはみんな元気だし(笑)、
漢方をやっているといってもピンとこないですよね。
でも、日本の文化には漢方に由来している習慣や言葉があったり、
漢方が占いにも使われたりしていることを知るのは楽しく、
また、漢方の基礎になっている陰陽五行の考え方も興味深かった。
背景にさまざまな文脈があるところはアートのおもしろさに通じるところがあったし、
ひとつの正しい答えがあるわけではないことも、自分に合っていたのだと思います」
やがて、杉本さんは薬局を飛び出し、新たな活動を始める。
友人の薦めで漢方を用いたお茶などをつくるようになったことがきっかけとなり、
飲食店などでのワークショップやオリジナル商品の開発、
映画祭への出店などを行うようになり、
鎌倉界隈で徐々に漢方に興味を持つ人たちの輪が広がっていった。
「鎌倉・湘南エリアには、オーガニックなものを受け入れる土壌があり、
食や体のことに関心が強い人が多かったので、
漢方にも自然と興味を持ってもらえたのだと思います。
もともと表現に興味があった自分も、漢方というものを入り口にして、
さまざま領域の人たちと一緒に遊べている感覚が楽しいですし、
大きな刺激をもらえています」
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幼い頃から触れてきた漢方と、自らの興味の対象だったアートやカルチャー。
これらが自然と重なり合い、気づけばその活動は杉本さん独自のものになっていた。
「いろんな場所に出張してイベントをしているような漢方薬局はあまりないし、
一方でクリエイティブ業界で漢方関連のことをしている人も少ない。
気がついたら、自分の居心地の良いポジションに収まっていました(笑)」
2017年には、鎌倉の表現者によるコミュニティ〈ZENZENZEN〉のメンバーとして、
フランスやイタリアで漢方のイベントを行うなど、
いまや活動は海外にも広がっているが、杉本さんはこうした“課外活動”に、
どんな思いで取り組んでいるのだろうか。
「始めた頃は、多くの人たちに漢方に触れてもらいたいというのが
モチベーションになっていました。また、日本の文化に根ざした医学として、
国を越えて漢方を広げていきたいという思いもあります。
基本的に外に出ていくことが好きなので、もっといろいろやりたいところなのですが、
あくまでも漢方相談というベースがあっての活動なので、
薬局のことは絶対に疎かにしてはいけないという意識も強く持っています」
基盤となる薬局での仕事を大切にしながら、
個人の活動をより積極的に行える状況をつくるために、
いまから約2年半前、杉本さんはひとつの行動をとる。
それが、生活の拠点を東京に移し、大船の薬局に通うという働き方のシフトだ。
「これまでも東京でイベントをすることはあったのですが、
そこで漢方に興味を持ってくれた人がいざ相談をしたいと思っても、
大船まではなかなか足が延ばせないということが多かったし、
商品開発のプロジェクトなども、ここにずっといると
なかなか進んでいかない歯がゆさがありました。
とはいえ、60年以上大船にある薬局を動かすことはできないので、
それなら自分が一度東京で暮らしてみればいいんじゃないかと考えたんです」
「職住近接」志向が高まっている昨今だが、自らの活動範囲を広げるために、
あえて職と住の距離をとるという選択をした杉本さん。
しかも、職が「郊外」、住が「都心」という通常とは逆のスタイルもユニークだ。
「鎌倉で働いていると言うと、なぜわざわざ東京に越してきたのかと
よく聞かれます(笑)。でも、ゆったりした鎌倉の環境で仕事ができ、
一方で夜まで賑やかな東京でも自由に動けるので、
自分にとっては良いバランスなんです。
通勤もみんなと逆なので行きも帰りも楽ですし、
ひとつの暮らし方として良いのではないかと感じています」
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健康に関する相談や悩みを日々受けている杉本さんには、
漢方を通して、地域の人たちの暮らしが見えてくるところがあるようだ。
「鎌倉では、思うように外出や食事をして、元気に暮らしていくために
健康でいたいと考えている人が比較的多いのに対して、
東京では、忙しい生活を送るなかで、ストレスが溜まっているという声をよく聞きます。
そういうまちにこそ漢方は必要とされるんじゃないかと漠然と思っていたし、
精神的に疲弊してしまっている人たちが少しでも楽になれるような提案をしたいと
ずっと考えていたんです」
先日上梓された初の著書『こころ漢方』でも、
生活のあらゆるシーンに対応できる漢方の効能について書かれているように、
伝統的な漢方医学の知恵を、現代の暮らしにフィットさせていくことは、
杉本さんが追求し続けてきたテーマだ。
そして、その入り口を少しでも多くつくるためにスタートさせた東京での活動に、
杉本さんはたしかな手応えを感じている。
「漢方が、いろいろな人たちの目に触れる機会をつくれたことは
良かったと感じています。
ただ、イベントなどを通して漢方の良さを理解してもらえても、
それを日常にしてもらうまでのハードルはやはり高いんですね。
イベントだけを楽しんでもらう人から、興味を持って自分でいろいろ調べてみる人まで、
漢方との距離感は人それぞれですが、何か相談したいことがあったら、
薬局で処方を受けるという選択肢を、少しでも多くの人が持てるといいなと思っています」
最近は、企業との商品開発など新しい仕事も増えているそうで、
東京での新たな挑戦は順風満帆に見えるが、杉本さんにはもうひとつ、
この二拠点生活を通して実現したいことがあるという。
それは、日々行き来している東京と鎌倉というふたつの地域をつなぐ
ハブのような存在になることだ。
「東京と鎌倉それぞれに良い部分があるし、重なり合う部分も少なくないのですが、
両者には少し隔たりがあると以前から感じていました。
鎌倉の人たちにももっと東京でのイベントに来てほしいし、
逆にこれまで鎌倉にあまり縁がなかった東京の人たちが、
自分をきっかけに、もっと日常的に足を運んでくれるような状況を
つくれたらいいなと思っています」
杉本さんが薬局に立つようになったばかりの頃、
自分でつくったという1枚の合成写真がある。
薬局の前に多くの人だかりができているこの写真は、
いまもスタッフ全員が目にするレジの横に貼られている。
「大船のまちも開発が進み、古い建物がどんどんなくなっていますが、
商店街にはずっと残っていてほしいし、そこは自分たちの薬局もあり続けたい。
すでにインターネットで漢方を買う人もいるし、これからAIなどが発展すると、
薬局はどうなってしまうのかという不安はありますが、
そんな時代だからこそ、漢方には対面のコミュニケーションが大切なんだということを、
僕たちはしっかり打ち出していかないといけないんです」
仕事と生活の拠点にあえて振り幅を持たせ、そこを行き来しながら、
漢方を通じて、人と、地域と、コミュニケーションを続ける杉本さん。
各所に漢方への入り口をつくり、その裾野を広げること、
そして、およそ30年後に訪れる、杉本薬局の100周年を自らの目で見届けること。
そんな未来を実現するために、杉本さんは今日も活動を続けている。
information
杉本薬局
住所:神奈川県鎌倉市大船1-25-37
TEL:0467-46-2454
営業時間:10:00~18:30
定休日:木・日曜・祝日
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