連載
posted:2020.6.15 from:長野県富士見町 genre:暮らしと移住 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
ローカルで暮らすことや移住することを選択し、独自のライフスタイルを切り開いている人がいます。
地域で暮らすことで見えてくる、日本のローカルのおもしろさと上質な生活について。
writer profile
Ayano Ito
伊藤彩乃
いとう・あやの●神奈川県出身。株式会社Fukairiでプランナー・コピーライターとして、情報を整理し文章を書いているうちに、ライター的な仕事も手がけるようになる。ひとりひとりが持つ「ものがたり」に触れることができるため、インタビューが好き。
https://fukairi.com/
2020年を迎え、今年はオリンピックイヤーだと思ったのもつかの間、
中国・武漢での新型コロナウイルスの発生が報じられ、
3月には東京オリンピックの延期が正式に発表された。
外の景色を桃色に染めた桜はあっという間に散ってしまった。
コロナ禍において、テレワークが進み、会社に出社しなくても、
さらには都心部に住んでいなくても仕事が成り立つことがわかったという人も多い。
そうした人たちから、2拠点生活が注目されている。
東京のデザイン・スタジオ〈groovisions(グルーヴィジョンズ)〉の代表を務める
伊藤弘さんは6年ほど前から八ヶ岳に一軒家を構え、東京との2拠点生活を送っている。
グラフィックやモーショングラフィックを中心に、音楽や出版、
ファッションやインテリア、ウェブといった多様な領域で存在感を発揮し続ける
アートディレクターで、自転車やアウトドア好きとしても知られている。
コロナウイルスの影響を考え、お子さんの通う小学校の休校が決まった時点で
しばらくの間、八ヶ岳の家で過ごすことを決めたそうだ
(現在は東京の自宅で過ごしている)。
取材は東京の事務所で行い、掲載写真は伊藤さん本人に撮影してもらった。
始まりは、やはり
「コロナ禍、どう過ごされていますか?」である。
「買い物は、近くのスーパーで。
家の周りは住宅が密集しているわけではないけど、
のびのびとスポーツをするのもなんか違う気がして、
家でビールを飲みながらだらだらと過ごしていました」
東京から車で約2時間半、
中央道から少し入ったところに伊藤さんのもうひとつの家はある。
八ヶ岳で過ごした約1か月半は、東京のように大勢の人がいるなかで
自粛していたわけではなかったため、家にいるストレスはあまり感じていなかったという。
それでも、抱えていた仕事やプロジェクトは半分ほどが延期や中止となった。
「資金は必要なので、
ある程度シミュレーションしながらこの先の展開を考えていますが……。
正直、まだ悶々としていて、まだ積極的に動くタイミングではないようです。
うちの事務所は、もともと会議が少なく、ひとりひとりが作業に集中するタイプなので、
作業自体の変化はないほうかもしれません。
今は、手元にあるプロジェクトを各々の場所でゆっくり実行している感じです」
伊藤さん自身、手持ちのMacがあれば日常的な作業はほとんどできてしまうという。
ならば、東京と八ヶ岳に拠点を持ち、パソコンで仕事ができる伊藤さんの暮らしは
これからをどう生きるかのヒントになるかもしれない。
結論を急ぎたくなる気持ちを一旦落ち着かせ、
まずは、伊藤さんが八ヶ岳の家を建てることになった経緯をうかがった。
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「当時、なんとなく東京とは別の居場所を探していて。
あと、モノとしての『一軒家』を実際に建ててみたくなったんです。
ただ、東京だとあまりにコストパフォーマンスが悪いし、
それならほかの場所を探してみようということに」
そんな思いから、土地探しをしていたところ東日本大震災が起こった。
「1拠点に留まるのではなく、もうひとつの場がほしい」という気持ちは、
より強くなったそうだ。
「震災後、本気で行動に移し始めました。
なんとなく、夏がどんどん暑くなっていくと思っていたので、
夏が涼しく、晴天率が高い場所を探していました。
そうすると、わりと選択肢は限られていて、
時間をかけることなく八ヶ岳の西側に決まりました」
東京との距離感と、もともと伊藤さん自身に土地勘があったことも決め手となった。
あまり時間をかけず、考えすぎず、場所を決めたことも良かったという。
「自分はどうも1拠点に留まるのがダメみたいで。京都にいたときもそうでした。
ずっと同じ場所にいると、そこの空気が重くなる感じがして。
片足は別の場所に置いて、その間を往復することが自分の精神衛生的にいいみたいです。
その逃げ場が自然のある場所だったことも確かに良かったんですけど、
実はそれよりも、日常とは違う場所を設定するっていうこと自体が
自分にとって大事でした。
なので、土地選びにもそんなに時間をかけずにサッと決めてしまった」
groovisionsは京都で誕生し、その後、東京に拠点を移している。
「京都にいたときも、後半はわりと閉塞感を感じていて。
東京に来てからのほうが、京都のことをすごく好きになりました。
今回も同じで、離れるとまた戻りたくなって。
東京のちょっとしたことが、新鮮に感じるようになったり」
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「家を建ててみたかった」という言葉通り、家づくりは建築家探しから始まった。
八ヶ岳に建てる木造の一軒家と考えたとき、
伊藤さんの頭の中には自然と建築家・中村好文さんが浮かんだという。
「中村さんのつくる家のイメージがあったんです。
ファンも多い建築家ですので、はじめは近い作風の建築家を探していて。
候補は多数集まったんだけど、ちょっと待てよと、
とりあえず、まずは中村さんにお願いしてみようと。
結果、やっていただけることになりました」
中村好文さんといえば、見せたい家よりも住みたい家。
そこに住む人の暮らしを主役とする住宅を数多く手がけ、住宅設計と同じように、
自然素材を使用した家具もデザインすることで有名な建築家だ。
「大きな家具とか道具を買ったような感覚なんです。
groovisionsの事務所のつくりもそうですけど、
本来、僕は倉庫のような大きな空間を自由に使うことが好きな人間。
でも、中村さんのつくる家は、人の生活や具体的な営みを前提とした建物になっていて、
心地の良さが細かく設計されている。
自分はいままでそういう感じに無頓着だったんですけど、
住むことでとても大きな発見になりました」
家づくりを通して、伊藤さんは今まで感じたことのない心地よさを知ったようだ。
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金曜日の夜になると、家族3人で車に乗り、2時間半をかけて、八ヶ岳を目指す。
山に登ったり、キャンプをしたりするわけでもなく、
ビールを飲みながら、子どもの遊び相手をして、1日はあっという間に終わる。
「趣味だった自転車や登山、アウトドアのアクティビティはあまりやらなくなりました。
大自然ではないけれど、八ヶ岳の家が森に囲まれていることで、
ある程度充足しちゃったんですかね」
行き帰りの車内では、事前にダウンロードした新しい音楽をひたすら聞くという。
「目的があるわけじゃないんだけど、東京を離れて八ヶ岳へ行く、
その往復がなんかいいんですよね」
インターネットが発達したことで、森の中でも
パソコンを開きいつものように仕事ができるようになった。
昔は東京のお店でしか買えなかったようなものも
Amazonを覗けば簡単に探すことができる。
そうした時代の変化とともに、
何をどこで“する・しない”の選択肢は広がりつつある。
「今は、まち全体が巨大なショールームみたいで。
東京は、ショールームとしてすばらしいけど、
買い物自体はネットがほとんどなので、やはりまちとの関係は変わりましたね。
逆にインターネットがなかったら、今のように考えるのは難しいと思います。
やるかやらないかは別として、車で2、3時間のところだったら、
日常をスライドさせながら土地を離れる敷居はだいぶ低くなっていると思います」
伊藤さんの住んでいる辺りには、同じように移住してきた人が多くいる。
「ひとりで住んでいる作家さんもいれば、
家族で住んでいて旦那さんだけ東京と行き来している人もいます。
いい意味でサバサバしていて、ほどよい距離感を保っていることが
地域の人たちに共有されている感じがあって、それはほんとに良かったなと思います」
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八ヶ岳の森を彩る樹木は、冬になると、身につけていた木の葉をすべて落とす。
東京では気にすることのなかった木々の成長は
今の伊藤さんにとってはリアルな世界であり、
それを身近に感じられることが、一番おもしろいかもしれないと話した。
それほど魅力的な環境なら、完全な移住を考えたりはしないのだろうか?
「僕は、あまり決めつけないようにしておきたいっていうのが結構あって。
東京で部屋を買ったこともあるんですけど、
今はそこを売って東京では賃貸の部屋に暮らしています。
八ヶ岳の家も、すごく気に入っているんだけど、なりゆきで気軽に使っていきたい」
伊藤さんは、常に今の自分に合った場所の使い方を選択している。
新型コロナウイルスよって、誰もが考えさせられたこれからの働き方についても、
こう話した。
「もっといろいろなパターンがあってもいいですよね。
週5日、会社に張り付いてっていうのはナンセンスだと思っています。
かといってオフィスをなくしたりというのも違う気がして。
週1日や2日、必要に応じて会社に行ったり、1週間おきに会社に行ったっていいはず。
まだまだ柔軟性があるような気がしますね。
一方で、リモート作業することのストレスもあります。
デジタルでのやりとりだとコミュニケーションが難しく、
曖昧かつ微妙なニュアンスを伝えづらい。
やはりちゃんと言語化する必要があるから、
デザインをニュアンスでブラッシュアップしていく作業にはちょっと負荷がかかるんです」
伊藤さんは、働き方が変われば仕事の中身も変わるのではないかと話を続けた。
「デザインは、納得のいくまで積み上げていく作業が大事だけど、
これからの時代はあえてそこを切り捨てていくという考え方もある。
デジタル化していくと同時に、曖昧なものをどんどん割り切っていくと、
仕事の中身も変わると思います。
一見、同じことをやっているように見えるんだけど、実は中身は全然違う。
デザインや表現に対する考え方を変えていくことも必要かも。
そんな先のことをもやもやと考えたりしていますね」
震災後、伊藤さんが日常に足りないと感じたのは、
もうひとつの逃げ場であり、東京との距離だったけれど、
アフターコロナ・ウィズコロナに感じることは、また少し違ってくるのかもしれない。
考えてみれば、新型コロナウイルスが出現し、変化してしまった日常を支えたのは
一番いいものを探し求める力より、今を満たそうとする力だった。
ついつい理想の暮らしを追いかけてしまいたくなるけど
「今、日常に足りないと感じているものは、何だろう?」
住む場所も、働き方も、暮らし方も、
まずはそこから、スタートするべきなのかもしれない。
profile
Hiroshi Ito
伊藤弘
アートディレクター。デザイン・スタジオ〈groovisions〉代表。グラフィックやモーショングラフィックを中心に、音楽、出版、プロダクト、インテリア、ファッション、ウェブなど多様な領域で活動する。
1993年、京都で〈groovisions〉設立。〈PIZZICATO FIVE〉のステージビジュアルなどにより注目を集める。1997年東京に拠点を移す。主な活動として、〈リップスライム〉や〈FPM〉などのCDパッケージやPVのアートディレクション、〈100%ChocolateCafe.〉をはじめとするさまざまなブランドのVI・CI、『Metro min』誌などのアートディレクションや『ideaink』シリーズなどのエディトリアルデザイン、『ノースフェイス展』など展覧会でのアートディレクション、〈MUJI TO GO〉キャンペーンのアートディレクション&デザイン、『NHKスペシャル』シリーズジャパンブランドや日テレ『NEWS ZERO』でのモーショングラフィック制作など。
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