連載
〈 この連載・企画は… 〉
ローカルで暮らすことや移住することを選択し、独自のライフスタイルを切り開いている人がいます。
地域で暮らすことで見えてくる、日本のローカルのおもしろさと上質な生活について。
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KEN WAKAI
若井 憲
わかい・けん●フリー編集者&ライター。神奈川県生まれ、石川県在住。旅行雑誌の編集者を経て、1999年に家族とともに、Iターンで石川県へ移住。地に足がついた情報発信ができるローカルメディアのおもしろさを知る。編集長を務めていた季刊誌の休刊を機に、2018年からフリーとなり、北陸の魅力を広く伝えることに力を注ぐ。製本家の妻がつくる豆本ではイラスト描きも。
Web:豆本工房わかい
いきなり私ごとだが、20年ほど前に神奈川県から石川県にIターンで移住してきた経験を持つ。
最初の頃は、あっち(神奈川)では見たこともなかった食材が、
こっち(石川)のスーパーにはたくさん並んでいたり、
一方、あっちのスーパーではどこでも買えたものが、
こっちではどこにも売っていなかったり、そんなことに戸惑っていた。
だが、そう言いつつも、暮らしてみないとわからない
食文化の違いを知ることができたことで、ワクワクもしていた。
そしてそれは、独自の文化がしっかりと根づいている、
北陸のおもしろさを知った瞬間でもあった。
その代表のひとつが「かまぼこ」だ。
神奈川には〈小田原かまぼこ〉があり、かまぼこといえば“板”かまぼこが当たり前。
これは全国でも同じだと思っていたが、板かまぼこを石川で見かけることは少ない。
そのかわりに売られているのが、赤いうずを巻いた、板にのっていないかまぼこ。
赤いうずは、青色や黄色いもの、そして昆布になっているものもあって、
かまぼこというよりは、ナルトのようでもある。
石川に住み始めてすぐに
「どうやら、この辺りではかまぼこの常識が違うらしい」ということはわかってきた。
周りには富山出身の人間も多く、そんな話をすると、
「富山のかまぼこはもっとすごいゾ!」と教えられて、
富山のかまぼこ店をのぞきに行ったこともあった。
そのときに見た華やかな店先に、度肝を抜かれたことは今も鮮明に覚えている。
「これが全部かまぼこなのか?」と。
北陸新幹線が2015年に開通し、
同時に新しくなった富山駅構内のショッピング街へ行ってみた。
ここにはかまぼこを専門に扱うショップが3軒ほどあり、
それぞれの店先は、以前にも増して華やかになっている。
店頭には、大きな鯛を中心に据え、
縁起物をかたどったかまぼこの盛り合わせが、存在感を示している。
それにしても、なぜこのようにデコレーションされたかまぼこが富山では盛んなのか?
無性に気になってきた。
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富山県のかまぼこメーカーがつくる
〈富山県蒲鉾水産加工業協同組合〉に問い合わせてみたら、
組合理事の奥井俊之さんを紹介してくれた。
奥井さんは富山最大級のかまぼこメーカー〈株式会社梅かま〉の常務取締役でもある。
富山市内の会社には〈梅かまミュージアム U-mei館(ゆーめいかん)〉が併設されていて、
日本や富山のかまぼこに関する資料や、かつて使われていた道具などが展示されている。
さっそく、富山のかまぼこについて、根掘り葉掘り聞いてみた。
奥井さんによると、富山のかまぼこを代表するものは、
「巻きかまぼこ」と「細工かまぼこ」のふたつだという。
「巻きかまぼこ」とは、スーパーで見かけた、
板は使わずに巻いてつくられるかまぼこのこと。
そして、もうひとつの「細工かまぼこ」とは、
鯛をはじめ縁起物などをかたどった、店先を華やかにしていたものの正体だ。
富山では、いつからかまぼこづくりが行われてきたのか?
それははっきりしないそうだが、“天然のいけす”ともいわれる富山湾で、
豊富にとれる魚を使ったかまぼこは、おそらくかなり古くからあったのではないだろうか。
魚はかまぼこにすれば日持ちするが、加工に手間がかかるため、
保存食というよりは、おいしさを求めて、
つまり“ご馳走”として広まっていったと考えられる。
日本で板かまぼこが登場したのは室町時代とされる。
しかし、それは焼いてつくるかまぼこで、
今あるような蒸してつくるかまぼこが登場したのは、おそらく江戸時代の後半。
富山でも蒸しかまぼこがつくられるようになったが、
それは板ではなく、昆布にのせてつくっていたと伝わる。
なぜ“昆布”かというと、北前船の寄港地であった富山には、
北海道から昆布が大量に運ばれ、身近な食材だったからだ。
そして、昆布を敷いてつくっていたかまぼこを、試しに昆布で巻いてみたら、
見た目もいいし、旨みがプラスされておいしいかまぼこができた――
これが、昆布巻の誕生だったのではないだろうか。
この昆布巻、幕末にはつくられていたことは、文献からもはっきりしているそうだ。
そして、昆布が大好きな富山県民の間で、昆布巻が人気となったのは言うまでもない。
余談だが、富山市の昆布の消費額は長年、全国トップクラスでもある。
産地でもない富山で昆布が人気となったのは、北前船の影響だけではないらしい。
明治に入ると、富山から多くの人が開拓民として北海道に移住して、
そのなかには漁業に従事する人もおり、なかでも羅臼町は富山出身者が多かったそうだ。
その人々が、昆布のなかでも最高級といわれる〈羅臼昆布〉を故郷へ届けた。
最高の昆布が身近にあったからこそ、
昆布好きの県民性がさらに醸成されていったとも考えられる。
そうはいっても昆布巻は高級なので、
気軽に食べられる赤巻が登場し、現在の富山では最もポピュラーとなった。
さてこの赤巻、ナルトに似ていると言ったが、
富山でラーメンを注文すると、実際にナルトではなく、
この赤巻がトッピングされてくることもよくある。
奥井さんによると、これらの巻きかまぼこが食べられているのは、
新潟の上越市から西は石川、南は岐阜の高山市あたりまでの限られたエリアだという。
富山でも板かまぼこを売ることはあるそうだが、ほとんど売れないらしい。
「図工でかまぼこ板を使った工作とかやるでしょう。
富山だとそもそも板かまぼこが売られていないから、
『かまぼこ板ってどこで手に入るの?』ってことになるんです(笑)」(奥井さん)
弾力の強い〈小田原かまぼこ〉に比べると、ふわっとしてやわらかい富山のかまぼこ。
生で食べるだけでなく、焼いたり、蒸したりしてもおいしく、
しっかりと出汁を吸うので、おでん種としても人気だ。
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ご馳走として広まったかまぼこだが、それでも巻きかまぼこはどちらかというと日常のもの。
一方の細工かまぼこはハレの日の特別な存在だ。
細工かまぼこは明治から大正にかけて、
おそらく関西から入ってきたのではないだろうかと奥井さんは言う。
「お吸物に入れていたかまぼこに、だんだんと飾りをつけるようになって、
それが自然に発展していった、そんな感じだったのではないでしょうか。
それが関西からも近い富山にも伝わってきたのではないかと考えられます」
めでたいときのご馳走として登場する細工かまぼこは、
富山に根づき、より華やかなものへと進化していく。
祝宴の引き出物に登場する「金花糖」という、鯛などをかたどった砂糖菓子があるが、
富山ではそれがかまぼこになった。
細工かまぼこは富山以外にもあるが、
ここまで盛んにつくられ、独自の進化を遂げた地域はほかにはない。
より華やかなで大きなものをつくり、人生の晴れ舞台を飾りたいと思う人々がそうさせた。
「職人は毎日つくっていますが、使う人は人生で一度きりのもの。
失敗は許されませんし、より華やかなものをつくって差し上げたいという職人の思いが、
細工かまぼこづくりの技を進化させたんです」(奥井さん)
しかし、この細工かまぼこが盛んにつくられるようになったのは、
戦後の高度経済成長期の頃からというから、意外と最近の話でもある。
では、なぜ盛んにつくられるようになったかというと、
そこには富山の県民性とも密接な関係があった。
「かまぼこの材料は、かつては近海でとれた白身魚の、
カマス、キス、グチなどを使っていましたが、安定してとれるものではありませんでした。
昭和30年代に、船の上で冷凍のすり身を加工する技術ができ、
材料が安定してくると、かまぼこの生産量が急激に増えたのです」(奥井さん)
ちょうど、日本が高度経済成長期を迎え、人々の暮らしが豊かになってきた頃。
祝宴も一層豪華になり、華やかな細工かまぼこも存在感が増していった。
なかでも人気となったのが、引き出物だった。
富山では、お祝いの席に呼ばれた人が、引き出物をご近所に配る
「おすそ分け文化」を大切にしてきた。
うれしいできごとは、なるべく多くの人と共有したい。
おすそ分けには、モノと一緒に幸せもシェアできればという、
すてきな思いが込められている。
そんなとき細工かまぼこは分けやすくて好まれ、引き出物の定番となっていったのだ。
「ただ、ひとつ問題がありまして、鯛のかまぼこを切り分けてご近所に配るときに、
どこの家を尾っぽにするか? これが悩ましいことなのです。尾っぽをもらった家が
『うちは尾っぽか?』って思わないか、気をつかうんですよ」(奥井さん)
しかし、時代とともにご近所づきあいが薄れてきて、配り先を失った大きな鯛は、
だんだん出番が少なくなってきた。
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大きさを競っていた鯛などの細工かまぼこは、
最近では手頃なかわいらしいサイズが主流となってきた。
若いカップルが、細工かまぼこを引き出物に採用する背景には、
富山の「おすそ分け文化」を大事にしたいという気持ちがあるというから、頼もしい。
「ライフスタイルの変化にあわせて柔軟に変えられるのが手づくりかまぼこの強み」
と、奥井さんも言う。
さらにかまぼこの進化は止まらない。
職人技を生かし、似顔絵のウェルカムボードをかまぼこでつくったり、
なかにはウエディングケーキがかまぼことなり、
“ケーキ入刀”が“かまぼこ入刀”になることもあるというから、さすが!
入学のお祝いや、母の日や父の日のプレゼント、バレンタインでもかまぼこが登場する。
富山ではハッピーな場面にかまぼこが似合う、それが県民の心に深く根づいているのだ。
「細工かまぼこはこれからも変化していくと考えますが、
廃れることはないと思っています」(奥井さん)
さて、一見同じように見える鯛の細工かまぼこ。
実は製造元によってその表情は異なり、
県東部では赤がピンクに近い色に変わっていくなどの違いがあるそうだ。
ひとつひとつが手づくりなので、同じメーカーでも職人さんによって
線の引き方などに違いが出る。
線の躍動感で生き生きとした鯛に見せるのがコツといい、センスも必要。
もちろん誰でもつくれるというものではなく、
梅かまでも3~4人しかこの作業は任されていない。
細工かまぼこづくりは、すべての作業をこなせるようになるのに10年はかかるそうで、
長い目で後継者を育てていかないと、技術が途絶えてしまう。
奥井さんはそのことも気にかけている。
それにしても、職人さんが、スッ、スッと、絞り金でかまぼこのキャンバスに
気持ちよさげに絵を描いていく、その様子を眺めていると、
自分もちょっとやってみたくなる。
実はそう思う見学者も多いみたいで、
7〜8年前から、細工かまぼこづくり体験を始めたら、これが口コミで評判となり、
今では年間2000人ほどが訪れるそうだ。
それにしても富山のかまぼこが、ここまでクリエイティブでエンターテイメントだとは!
目からウロコが落ちるような話の連続だった。
時代は令和となり、近所づきあいや人づきあいのあり方はこれからも変化していくだろう。
それでも、細工かまぼこと一緒に、周りの人と幸せをシェアしたいと思う
「おすそ分け文化」は、いつまでも継承されていってほしい。
information
梅かまミュージアム U-mei館
住所:富山県富山市水橋肘崎482-8
TEL:076-479-1850
営業時間:9:00〜16:30(日曜・祝〜16:00)
定休日:水曜(見学・体験は水曜・日曜・祝休み)
かまぼこづくり体験:ひとり1,500円(税別)、要予約
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