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人口14000人の小さなまち、
岡山県和気町に移住者が集まるワケ

ローカルの暮らしと移住
vol.025

posted:2019.3.28  from:岡山県和気郡和気町  genre:暮らしと移住 / 活性化と創生

PR 和気町

〈 この連載・企画は… 〉  ローカルで暮らすことや移住することを選択し、独自のライフスタイルを切り開いている人がいます。
地域で暮らすことで見えてくる、日本のローカルのおもしろさと上質な生活について。

writer profile

Yutaka Akahoshi

赤星 豊

あかほし・ゆたか●東京でライター・編集者として活動した後、郷里の倉敷でフリーマガジン『Krash japan』を創刊。2012年、岡山市内でコーヒーショップを始めた顛末は弊誌連載の「マチスタ・ラプソディー」で。2015年、岡山県浅口市に移住。

credit

撮影:池田理寛

移住者が増えている和気町で夢を語る人たち

東京から郷里の岡山県にUターンしたのが2006年のこと。
地方で新しく雑誌を始めたとあって、その後いろいろな人たちと知り合うことになった。

2011年の東北大震災以降は、
都心部から岡山に移住してきた人たちと知り合う機会がやたらと多かったように思う。
ぼくの守備範囲にひっかかってくる人たちなので、
グラフィックデザイナーやカメラマンといった
クリエイターの類が大方だったのだが、しかし、岡山への移住は
そういった一部の人たちの間だけで流行っている現象でもなかった。

移住先としての人気度をはかる調査やアンケートでは、
岡山県はたいてい五本の指に入っているのだという。
よくぞ気づいたなと思う。
十種競技の個々の競技では、どれもやっと3位に入れるかどうかなのに、
総合では常に優勝を争う位置にある、それがぼくの岡山のイメージだ。

つまりは、全般的に印象が薄くて
そのよさにはなかなか気づかないだろうと思っていたわけだ。
実際のところ、岡山というところは実に住みやすい。
地味に、しみじみと住み心地がよいのだ。

岡山で移住の話になると、近頃その町の名前が真っ先に挙がる。
岡山県南東部に位置する和気町である。
町の面積144平方キロメートルは神奈川県の川崎市とほぼ同じ。
ところが人口となると、和気町の約14000人に対して、
川崎市は約151万6000人(ともに2018年10月)。
あまりに差がありすぎて、なんの比較をしているのかさえわからなくなりそうだ。

和気町を車で5分も走れば「それもそのはず」と納得する。
中心部の小盆地を除けば、町の大半が山、川、田畑なのである。
この自然豊かなまちに、過去3年間で約300人が
主に東京や大阪といった都市圏から移り住んでいるという。

300人という数字はとりたてて騒ぐほどではないかもしれない。
しかし、人口の割合からすれば、これが結構な数字に違いないのだ。
なにせ川崎市では3万5000人に相当するのだから。

2016年に東京からこの和気町に移住してきた下鳥夫妻とお会いした。
自宅は和気町が営む、平屋戸建の町営住宅。
リビングは梁がむき出しの造りで、天井が高く、開放感がある。
南側の大きな窓からは春の日が射し込み、室内も明るい。
幼いふたりの子どもたちのはしゃぐ声がこの家のBGMだ。

奥さんの春恵さんがハートの形をしたカップに入った紅茶を出してくれた。
「いい家ですね」と声をかけると、
「ここ、すごく気に入ってるんですよ」と明るい声で言った。

「東京では豊洲のマンションに住んでいたんですけど、
隣や下の階にいつも気を遣っていました。
子どもにはあれをやっちゃダメ、これをやっちゃダメって。
でも、ここでは子どもは放置状態、誰にも気を遣わなくっていいから楽です」

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「引っ越して2年以上、いまも毎日感動」

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地元企業で働く傍ら、夫婦で起業 下鳥誠さん、春恵さん

岡山への移住のきっかけはご主人の誠さんの転職だった。
都内の商社に勤務していた誠さんは、勤続10年を迎える頃に
転職を考えるようになっていた。
商社に職を得る以前は都内でグラフィックデザインの仕事をしており、
もう一度クリエイティブな仕事に戻りたいと思うようになっていたのだった。

ちょうどその頃、長女のはなちゃんが生まれ、
生活は子育てを中心としたものに大きく変わっていた。
初めての赤ちゃんということもあり、日々の生活は幸せいっぱいであるはずだった。
しかし、誠さんはひどく疲れを感じていた。
平日は残業が多く睡眠が不足しがちだった。休日は休日で、
「子どもを連れて外に出かけるのが苦痛だった」と誠さんは振り返る。

「東京の電車はだいたい混んでいるので、ベビーカーで乗ろうとすると
まわりはいい顔をしません。『すいません、すいません』と何度謝ったかしれません。
それでも舌打ちされたりしたこともあります。
駅に着いてホームに降りると、今度は階段ばっかり。
休日に銀座一丁目の駅を利用することが多かったのですが、
出口が全部で10か所以上あるのに、エレベーターは1か所しかないんです」

子育てをしている家庭に東京の環境はやさしくない……。
下鳥さん夫妻はともに東京を離れることを意識するようになっていった。

春恵さんも、誠さんと同じく、東京で生まれ育った。
しかし、東京の生活にはどこかでいつも違和感があり、
大学生の頃には東京を出たいと感じていた。
そして、卒業後は長野県で就職。その後はワーキングホリデーを利用し、
豊かな自然に恵まれたニュージーランドに住んだこともある。
それだけに、誠さんとの東京での結婚生活には少なからずストレスがあった。

「緑がない、土がない、とにかく人だらけ。
東京にいるというだけで生きづらいと感じていたんです。
東京では生活していてもなにかにつけてフラストレーションがたまります。
たとえば、スターバックスでコーヒーを買うのに30分も並ぶ、
そんな生活ってなんだろうって」

移住を決めるきっかけは偶然の出会いにあった。誠さんが参加したWebの勉強会。
たまたま座った席の隣にいたのが、岡山のWebデザインの会社に勤める人だった。
転職活動中であることを告げると、彼は「うちの会社も募集していますよ」と言った。
「うち」とは彼が勤めている岡山の会社のこと。
そのとき、誠さんの頭の中で初めて
「転職」と「移住」が同じ次元のものとしてつながった。

春恵さんは諸手をあげて賛成した。ふたりで岡山のことを調べ始めた。
岡山を知るにつれて、誠さんも春恵さんも岡山への期待が膨らんでいく。
そして、都内の会社数社からもらっている転職の内定を蹴って、
一家で岡山への移住を決めたのだった。

最初に住んだのは岡山市内、JR岡山駅からほど近い都市部だった。
住宅が密集し、大きな通り沿いにはビルが建ち並ぶ。
住環境は東京と大きくは違わなかった。

夫妻にとってなにより問題だったのが保育園事情。
岡山市は待機児童の割合が非常に高いところだったのだ。
移住前に抱いていた岡山への期待感が少しずつ薄れていく。
ちょうどそんな折だった。誠さんが仕事で和気町を訪れた。

「ちょうど和気橋を渡ったあたりでした。
山と川のある景色に胸がキュンとしたんです」

さっそく、勤務していた会社の社長に和気町への引っ越しを相談したところ、
「そんな不便なところはやめなさい」と反対された。
通勤に電車で30分もかかる、とも。
しかし、誠さんは東京の電車通勤に片道1時間かけていた。
しかも通勤に使っていたJR総武線は乗車率400パーセントもざら。
和気町への引っ越しを押しとどめる理由にはならなかった。

夫妻にとってもっとも大切だった保育園事情も、
待機児童はゼロという回答を和気町からもらっていた。
和気町の子育て支援の手厚さが2度目の移住を後押しした。
幼稚園の費用が無料、保育園の保育料にも町からの補助があり、
さらには高校を卒業するまで子どもの医療費が無料などなど。
岡山県に移住して8か月、下鳥夫妻はついに和気町に移住した。

春恵さんは、初めから和気と水が合っていたと振り返って言う。

「和気町の生活は超楽しい。そこらじゅうでいちいち感動していました。
引っ越してきて2年以上になりますが、いまも毎日感動しています」

先に述べた町営住宅も快適だ。
子どもたちを家の中でも外でものびのびと遊ばせてやることができる。
町営住宅には下鳥さんと同じように都心部から移住してきた人たちもいて交流も盛ん。
「地元の人たちもとてもやさしくしてくれるんです」と春恵さんははりのある声で言う。

昨年、下鳥さんはこの町営住宅に隣接するところに土地を購入した。
年内には新居も完成する予定だ。

誠さんは和気町へ移住後、地元企業〈Bigmories〉に入社してWeb担当として働いている。
同時に春恵さんとともに和気町の情報を発信・斡旋する会社
〈WAKEBELL(ワケベル)〉を立ち上げた。
和気の魅力をひとりでも多くの人に知ってほしい——。
それが誠さんと春恵さんのいまの願い。
そのための今後の活動を語るふたりの表情は、夢を語る人のそれだと思った。

町営住宅の前で。ほかにも関東からの移住者数組が住む町営住宅では近所の交流も盛ん。誠さんが抱いている長男の●クンは移住してから生まれた。

町営住宅の前で。ほかにも関東からの移住者数組が住む町営住宅では近所の交流も盛ん。誠さんが抱いている長男の真音クンは移住してから生まれた。

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移住して、さらなる移住者を呼び込む

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自らも移住者の移住推進員 飯豊信さん

和気町が所有する白い軽自動車のバンに乗り、
1時間ほど町の名所を担当の方に案内してもらった。
町の庁舎を出てすぐに渡った橋に「和気橋」とあった。
「ここか」と思う。下鳥誠さんが言っていた、胸がキュンとした景色。

意外だったのは、そこがスーパーや外食店が建ち並ぶ
まちの中心地から2分と離れていなかったこと。
和気町の中心地はこぢんまりとしてはいるものの、たいていのものは手に入りそうだ。
なにより岡山駅へ乗り換えなし、30分で行ける山陽本線の駅がある。
利便性はけっして悪くないのだ。

そして、その中心から2分も車で走れば心に染みるような景色に遭遇する。
都会からの移住者に人気なのがわかるような気がした。
つまり和気町は田舎暮らし志向の初心者向けで、
都会からの移住者にとって田舎の度合いがほどよいのだ。

軽バンは右手に和気アルプスを眺めながら吉井川に沿って北上した。
景色がどんどん大きく、雄大になっていく。
岡山に10年以上住んで、田舎の景色には慣れきっているはずのぼくも
思わず見惚れてしまうような景色だった。運転席で町の担当の方が言った。

「わたしも以前、通勤で毎日ここを通っていたんですけど、
この景色はいまもまったく見飽きないんです」

担当の方は、和気町まち経営課の移住推進員・飯豊信(いいとよまこと)さん。
実は彼こそ、和気町への移住トレンドを生み出しているその人だった。

飯豊さん自身、2012年に東京から和気町に移住してきた「移住組」。
2011年の東日本大震災を経験して、都会の生活の危うさを実感した彼は、
2012年に家族とともに和気町に移った。
そして2016年、町の移住推進員に就任(移住希望者に情報を提供し、
家・仕事探しなどの移住活動を支援する)。
以来、この白の軽バンの後部座席に800人以上を乗せて案内してきた。

「1、2時間で案内して終わることもありますが、だいたいは半日か1日かかります。
希望があれば、2日でも3日でも一緒に回りますよ」

飯豊さんの和気町への愛ゆえだろう。町を案内するときの熱量は
結構なものを感じたが、ぐいぐいと押して来る感じではない。
そのあたりは、本人がもっとも気を遣っている部分だと思う。
もしも移住希望者の希望を叶えられるのが和気でなく、
県内のほかの地域だと感じたら、その地域を紹介することもよくあるという。
緊密とはまだ言えないが、それなりに行政の横のつながりがあるのだとか。

飯豊さんの強みは、なんといっても自身が移住を経験していることだろう。
移住者への支援策には、飯豊さんが経験して感じたことが
そのままダイレクトに反映されているものも少なくない。

たとえば、移住希望者への宿泊費の補助金制度。
和気町では、移住を目的として住居や仕事を探すために町を訪れた際に
宿泊料金の3分の2の補助が出る。1泊ひとりあたり最大4000円。
1回あたり2泊が上限で、5回までの利用が可能だ。

「東京から何度か視察で来るとなると、交通費と宿泊費で結構な額になるんです。
わたしも視察のために何度かここに来て、
しかも家族を連れてきたりもしたのでかなりの負担になっていました」

和気町にはこの宿泊費の補助金制度のほかにも、
県外からの移住希望者が月額3万円で利用できるお試し住宅制度
(2週間以上最長4か月までの期間)や、自動車の無料貸出制度もある。
こうした視察に対する町のサポートは、
「納得のいくまで町を見てもらいたい」という飯豊さんの願いゆえに実現したものだ。

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長い海外生活、東京での生活から和気町へ

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農業をしながら民泊〈静耕舎〉を営む、小林知樹さん、塚田貴弘さん

飯豊さんが移住希望者に紹介する宿のひとつに民泊の〈静耕舎〉がある。
実はこの宿を運営する小林知樹さんと塚田貴弘さんも2018年に東京から移住してきた。

場所は和気町庁舎から北に車で20分、美作市との境界にもほど近い保曽地区。
深い山の谷あいの村にその家はあった。
古民家というほど古くはないが、立派な和風建築の2階建ての家だった。
もとは農家の家だったと思われる。隣接して納屋がある。
細い道を挟んで向かいには田んぼが広がるのどかな光景があった。

家に入ってすぐの左手に6畳と8畳の和室がある。
広縁側の障子からやさしげな日が差し込んでいた。
民泊の予約があると客室になるというこのふた間つづきの和室で、
小林さんが腕をふるったお昼をご馳走になった。

メインは昨晩から浸けたというブリの醤油麹の漬け焼きにイカのフライ。
付け合わせの野菜は彼らがつくったもの。
こんにゃくのきんぴらは隣のおばあちゃんが芋から育てた自家製。
柿からとった酢でつくったなます。
お米は昨年彼らが初めてトライしてできたものだった。

素直にうまい。岡山と同じだ。
派手さはまったくないが、地味に、しみじみとうまい。

JICA(国際協力機構)に職員として19年間勤務していた小林さん。
赴任で海外での生活が長く、30年間で21回の引っ越しを経験したとあって、
常に、「自分は根無し草」という思いがあった。40歳代も半ばになって、
日本のどこかに根を下ろしたいという気持ちが強くなっていった。

「消費しかない都市の生活に罪悪感もあって、
農業にシフトして生産しながら生きていきたいと思ったんです」

農業をやるという条件で移住地を探した結果、
甲府、伊豆、浜松、瀬戸内が候補に絞られた。最後の決め手は安全性だった。
岡山県は地震が少なく、特に県南部は活断層から離れている。

「岡山にしよう」
そう決めてからすぐだった。偶然にも岡山に出張があった。
東京の移住イベントで前出の飯豊さんと知り合っていたこともあり、
岡山で仕事を済ませたあと、和気町に初めて足を運んだ。

「たしか6月だったと思います。地元の人や移住した人に話を聞いたのですが、
たまたま行った家でおじいちゃんが柿を出してくれたんです。
前の年に庭でとれたものを冷凍したものだったのですが、
これがとてつもなくおいしかった。そういう豊かさっていいなと思ったんです。
分け合う文化が残っているというか。そのとき和気に住もうと決めました」

海外生活が長く、いろんな経験をしてきたというのがあると思う。
小林さんには精神的な体幹の強さのようなものを感じる。

料理をする小林さん。罠猟免許を取得しているのでジビエにも挑戦したいとか。飼いはじめた鶏も「もちろん、しめますよ」。

料理をする小林さん。罠猟免許を取得しているのでジビエにも挑戦したいとか。飼いはじめた鶏も「もちろん、しめますよ」。

一方、塚田さんはやさしくてひかえめ。
小林さんと並ぶと線が細い印象は否めない。
塚田さんは、東京で長く苦しんできたと言う。
生きづらいと感じながらも、東京を出ることをリアルに考えることができずにいた。
そんなふたりが出会ったのが、府中市にある貸し農園だった。

「貸し農園で野菜をつくりながら、農業をやれたらいいなとは思っていました。
でも、それが実現できるとは思えませんでした。
そんなとき、小林さんが岡山に移住して農業をやると。
それでわたしも乗っかったんです。小林さんに連れ出してもらったようなものです。
そうでもしないと東京を離れることはできませんでした」

こうして塚田さんは小林さんとともに和気町にやってきた。
塚田さんはそれまで神戸から西に行ったことがなかった。

コーヒーを淹れるのは塚田さんの担当。淹れる直前に豆を挽いてくれる。塚田さんはピアノを弾くほか、フランス語の勉強が趣味。

コーヒーを淹れるのは塚田さんの担当。淹れる直前に豆を挽いてくれる。塚田さんはピアノを弾くほか、フランス語の勉強が趣味。

ふたりは最近、家の前の田んぼに鶏小屋をつくった。
中は柵でふたつのエリアに分かれており、
ひとつには鶏が、もうひとつには烏骨鶏がいる。
取材で訪れた日、近所の人がお米を持ってきて、小林さんが鶏の卵と交換していた。
卵の栄養価が高いとされている烏骨鶏は、産卵の卵の数は少ないが、
かなり高値で売れるのだという。

この日、農家の若い人が手伝いに来た。
大量の牛肥をまくなどして休耕田の土を改良し、
今年からぶどうの栽培を始めるのだとか。実にアクティブだ。
米に野菜、果物、卵。移住2年目にして、すでに自給自足も可能じゃないだろうか。
和気町への移住は「結果的に正解だった」と小林さんは言う。

「自分が思ったことを始めやすい環境があります。
こんなことをやってみたいんだと公言していると、
それがいろんな方面に伝わって、助力を申し出てくれる人が現れるんです。
そうした助けをもらって、いろんなことができるようになりました。
さらに町の行政が住民の方を向いている。同じ町民という視線で対応してくれる。
そういうのって失われがちですが、和気町という規模感がちょうどいいんでしょうね。
効率ばかり考える東京とは大きく違います」

塚田さんも表情は明るい。和気町の生活を楽しんでいるように見えた。

「趣味でピアノを弾くんですが、それを誰かに聞かせるなんて
東京にいた頃は考えもしなかったんです。
でも、こっちに来ると、公民館みたいな小さな場所で、
近所のおばあちゃんに聞いてもらうのはありかなとか、
そんな発想がここでは生まれるんです。なにかをやろうとするときに
ハードルが低いんですね。気楽にやれるし、気負わずにできる」

都会からやってきた人が、いきなり農業をやるというのは
リアリティがないかもしれない。
しかし、やる気があって、適正な場所を選びさえすれば不可能ではない。
小林さんと塚田さんの和気町での生活はそう語っているようだ。
そしてそれこそが、ふたりが静耕舎を通じて訴えたいことなのである。

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マスコミ業界から木工職人へ転身

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敷地700坪、築100年以上の古民家で暮らす、梅村竜矢さん

敷地に張り巡らせた石の塀に目を奪われた。
沖縄の伝統的な建築ではよく見るが、岡山ではまず見たことがない。
しかし、練り上げた土と合わさっていて土塀の趣もあるから異国情緒はない。
なにより瓦葺きだ。長屋門の前に車を停め、門から中に入った。
うーん、広い。敷地内には家と納屋と庭。
それだけで300坪ほどありそうだ。いや、400坪、もっとか。

カメラマンとそんな話をしていると、このお屋敷のご主人が出てきた。
梅村竜矢さん。奥さんの久美さんと3人の子どもたちと、
2018年、千葉県流山市からこの和気町に移住してきた。

東京で報道番組の制作に携わっていた梅村さんは、
30歳を前に「ものづくりがやりたい」と転身。
家具の下請けで技術を学び、3年後に独立して木工の職人となった。
以降、家の図面から設計して実際の家を銘木で再現する「積み木 House」や、
木工家具の一部に着物の生地や帯を再利用した「きもの再生家具」など、
ほかにはないユニークな家具スタイルを提案してきた。

目の前にしている古民家は、いかにもユニークな作家さんが
住処として選びそうな風情があった。さっそく家の中を見せていただいた。

広い土間に小さな靴がたくさんあった。
土間の左、和室の続き間で子どもたちのはしゃぐ声が聞こえた。
正面はリノベーションでフローリングにしてあり、
そこから上がって中央に薪ストーブが鎮座するリビングへ。
ストーブの鋳物の本体に負けず劣らず、柱や太い梁が黒々としている。
中途半端じゃない、築100年以上の本物の古民家だ。

梅村さん夫妻は千葉に住んでいる頃から、
「子どもをもっとのびのびとした環境で育てたい」と考えていた。
岡山は移住の候補地のひとつだった。

梅村さんは岡山によく来ていた。
和気町が隣接する赤磐市に備前焼作家の友人がいたのだ。
自然が豊富であること、しかも東京へ新幹線で行ける利便性のよさもあって
岡山は気に入っていた。
そして、夫妻の考えるいろいろな条件をもっとも多くクリアしたのが和気町だった。

「長男の小学校入学という時間的な期限が迫っていたので、
じっくりと選ぶ余裕がなかったんです。
しかし、そのなかでも和気町には絶対的なリスクがありませんでした。
これはダメというところがなかったんです」

もうひとつ、梅村さんの心を動かしたのが、この古民家だった。
石の塀に囲まれたその敷地、実に700坪!

「和気町の移住者向けサイトの空き家バンクで初めて見たんです。
目を引きました。広い庭とあの塀が強烈で。家は大きかったですね。
移住を和気町にした理由のひとつでもあります」

長屋門を兼ねた納屋は、屋根の瓦をすべて取り払って垂木だけの状態になっていた。
絶賛、屋根の葺き替え中といったところ。
なんと瓦は梅村さん夫妻がふたりだけですべて下ろしたのだという。
しかも上から放り投げるようなことをせず、そのためにつくった長い板をたてかけて、
滑り台で子どもを滑らせるように一枚一枚下ろした。
これからの屋根づくりも自分たちでやるつもりだ。

「この納屋をきれいにして、ブックカフェにしたいんですよ」

梅村さんはそう言った。この人はどこか浮世ばなれしたところがある。
屋根の瓦だって過酷な作業だったに違いないのに、苦労したふうにない。
「ぼくなら間違いなく業者にお願いしてました」と言うと、彼は言った。
「だって、自分でやってみたいと思いません?」

梅村邸の近い将来の想像図。梅村さんはこの絵をよく眺めているという。目指すところは地域のコミュニティとして機能する家。

梅村邸の近い将来の想像図。梅村さんはこの絵をよく眺めているという。目指すところは地域のコミュニティとして機能する家。

家の中で、梅村さんが知り合いに描いてもらったという絵を見せてもらった。
家の前の広い庭で、近所の人と思われるお年寄りたちがテーブルを囲み、
またそのまわりで子どもたちが遊んでいる。しっかりとした塀に囲まれたその空間は、
誰からも侵されることのない安全と平和の象徴のようだ。
敷地の中にブックカフェがあり、母屋では民泊もある。
誰もが自由に出入りできて、でも強固な塀が安全を保証してくれる。

梅村さんは、自分でつくったと思われる額にこの絵をちゃんと額装していた。
それだけでこの絵に対する思いが伝わってくる。
絵はこの家に抱いている梅村さんの夢そのものである。

「いつかね、こうなればいいなという絵です」

南側の門の前で。子どもたちは家の周辺でとにかくはしゃぎ回る。「(和気への移住は)子どもたちが楽しくしているので良かったと思います」と奥さんの久美さん。

南側の門の前で。子どもたちは家の周辺でとにかくはしゃぎ回る。「(和気への移住は)子どもたちが楽しくしているので良かったと思います」と奥さんの久美さん。

大きな敷地に古い家。梅村さんの家というのは、実はぼくの浅口市の家と結構似ている。
まあ、広いというのはなにかにつけ大変だ。
でも、家の持つ可能性はいつもわくわくさせてくれる。
あそこにウッドデッキをつくって、
その先にあるあのくぬぎの木を使ってツリーハウスをつくって、
といくらでも夢が広がる。

まあ、こんな夢は東京ではとてもじゃないが考えられなかった。
いま思うと、東京ではなにを夢みていたのか忘れてしまった。
それとも夢なんてなかったか?

今回会った人たちは、みんな夢を抱いていた。
それぞれ夢は異なるが、和気町への移住がそれをもたらした。
移住が成功だったかどうかの結論はまだ早いかもしれない。
でも、夢を語る彼らの表情を見る限り、いまのところは成功と言っていいかもしれない。
みんな、いい顔してた!

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