厚真の“ために”ではなく、
厚真“で”何かをしてほしい。
ローカルベンチャースクール、募集再開

未来を劇的に変えるために必要なこととは?

9月6日未明に起きた北海道胆振東部地震から3か月が経とうとしている。
震度7を観測した厚真町では、大規模な土砂崩れが発生し、36名の命が失われた。
未だに避難所で暮らす人々もおり、穏やかな生活が戻っているとはいいがたいが、
すでに新しい厚真をつくっていこうとする動きは始まっている。

そのひとつは、
〈厚真町ローカルベンチャースクール(以下、LVS)2018〉の募集再開だ。
LVSとは、厚真町役場と岡山県の西粟倉村に本社のあるエーゼロが共同で進めている、
移住と起業を促進するためのプログラム。
エントリーした参加者の事業プランをスクールでブラッシュアップしていき、
採択されれば、実際に厚真町に移住して起業、あるいは支援を受けながら
起業準備や地域での就職を検討することができるというものだ。

震災は、今年3期目となるLVSのエントリー募集を始めた矢先に起こった。

北海道厚真町

役場はLVSの募集を一時は中止した。
このスクールを担当する産業経済課の宮久史さんによると、
「まずは人命救助。その後の復旧作業。住民のみなさんの生活を少しでも早く
安定させることだけに意識を集中させたい」という考えからだった。
しかし、2か月ほど経ち住民の生活再建に全力で取り組む一方で、
町外の人々の力を取り込むことの重要性を強く感じるようになったそうだ。

「僕は多様な人が集まってくることで、
『持続可能な社会』となる力を高めていきたいと思っています。
この1、2年のふるまいによって、10年後、20年後の未来が劇的に変わる可能性がある。
復興のスピードを加速させるのは、
町外の人材をどう活用するかにかかっていると考えました」

厚真町役場産業経済課の宮久史さん

厚真町役場 産業経済課の宮久史さん。

12月のLVSのエントリー締め切りに先駆け、
11月24日、25日には〈厚真町の今を知る見学会〉が開催された。
この見学会は、〈ハスカップファーム山口農園〉代表の山口善紀さんと、
馬搬(ばはん)という馬を使った伝統的な林業を行う西埜将世(にしのまさとし)さんの
震災の体験談を聞くとともに、
土砂被害の最も大きかった吉野・富里地区をめぐるという半日間のプログラムだ。
1日目の見学会に集まったのは15名ほどで、
道内だけでなく東京から駆けつけた参加者もいた。

この見学会で何より衝撃を受けたのは、土砂被害の現場をこの目で見たことだ。
土砂で流された倒木や家屋の搬出作業は急ピッチで進められているものの、
土砂崩れのすさまじいエネルギーの爪痕は生々しく残っていた。
宮さんによると、地震発生のわずか数秒後には崩落が起こったそうで、
逃げる間もなくその下敷きとなった人たちがいたという。
被害は役場の職員やその家族にも及んでおり、
見学会の案内役となった宮さんをはじめとする役場のみなさんの心中には、
被害現場を前にして、きっとさまざまな想いがこみ上げていたに違いない。
にもかかわらず、しっかりと前へ進もうとする意志がヒシヒシと伝わってきた。

「埋蔵文化財の発掘調査によると、
約4000年前に今回の地震に近い規模の地震が発生していたことがわかっています。
何千年というスケールで考えれば、
地震があったからこそいまの厚真があるといえます。
地震も含め、自然とともに生きるまちとしての価値を生み出したいと考えています」

日高幌内川が山の崩落によってせき止められ、土砂ダムも生まれた。
地形がまったく変わってしまうようなダイナミックな自然の営みを前に、
宮さんはこの震災に自分たちが立ち会っていることの意味を考えていた。

成功の鍵は“生態系”!?
「醸造するまち」遠野の仕掛け人たち

遠野市とキリン。長い時間をかけて“丁寧な”関係を築いてきた。

ビールの原料として使われるホップ。
名前くらいは聞いたことがあるかもしれないが、
実際に見たことのある人はどのくらいいるだろうか。
今、ホップの一大生産地である岩手県遠野市に全国から多くの人が集まっている。
また、世界108都市で展開しているシティガイド『タイムアウト』にも
遠野が取り上げられるなど、海外からも注目され始めている。
目的は「ビアツーリズム」だ。
夏には5メートルにも及ぶホップ畑のグリーンカーテンを見学し、
ホップ自体を手に取ることもできる。

ビールというと工業製品のように思われているかもしれないが、
遠野に来ると、れっきとした農業から生まれていることがわかる。
ホップ畑からホップの1次加工場、
ビールづくりをしている〈上閉伊(かみへい)酒造(ZUMONAビール)〉や〈遠野醸造〉まで、
完成までの一連の流れを見ることが可能だ。

とれたてのホップ!(写真提供:キリン株式会社)

とれたてのホップ!(写真提供:キリン株式会社)

グリーンカーテンは高さ5メートルにも及ぶ。(写真提供:キリン株式会社)

グリーンカーテンは高さ5メートルにも及ぶ。(写真提供:キリン株式会社)

こうしたプロジェクトやイベントに至るには、歴史がある。
遠野市は55年前から飲料メーカーの〈キリン〉と関係性を構築してきた。
特に転機となったのは、2004年に発売されたビールだ。

「『一番搾り とれたてホップ』に遠野産ホップがふんだんに使われることになって、
お互いに商品に対する思い入れが高まり、
遠野が“ホップの里”だとアピールしていこうというのがきっかけだと思います」
と説明してくれたのは、遠野市産業部六次産業室の菅原 康さん。
遠野市や遠野ホップ農協、キリンなどで組まれている
〈TKプロジェクト〉において、遠野市の窓口担当だ。

遠野市産業部六次産業室の菅原 康さん。

遠野市産業部六次産業室の菅原 康さん。

一方、キリンのCSV戦略部絆づくり推進室の浅井隆平さんは、
2013年から、復興支援の一環として遠野に通い始め、
今年(2018年)、新農業法人〈BEER EXPERIENCE株式会社〉の設立にともない
4月に移住してきた。
遠野に通い始めた当初、菅原さんをはじめ、市役所の関係者などと話しているうちに、
「遠野産ホップが本当に市民の誇りになっているのか!?」
と疑問に感じたという。

「そこで、もう一度、市民の誇りを醸成するために、こんなことができる、
というようなアイデアを菅原さんにぶつけていたんです。
すると良い反応をいただいて。
初年度の〈遠野ホップ収穫祭〉なんて準備期間3か月程度でやり切りました。
それがこのプロジェクトがブレイクスルーした瞬間かもしれません」(浅井さん)

キリンCSV戦略部絆づくり推進室の浅井隆平さん。

キリンCSV戦略部絆づくり推進室の浅井隆平さん。

キリンの浅井さんと遠野市の菅原さんは、
ほぼ毎日のように電話やメールなどでやりとりをしていたという。
市側でも農業や観光関係部署も巻き込み、単なる商品PRを超え、
持続可能なまちづくりへと変化していった。

「キリンとしても単にホップを絶やさないという目的だけではなく、
ホップやクラフトビールを通じて日本のビアカルチャーの未来をつくっていきたい。
だから新農業法人に出資だけして“遠野のみなさんがんばってください”ではなく、
日本産ホップの生産維持やブランド化=ビールの里構想の具現化を
遠野市民と一緒に推進していくために、本格的に人を派遣したということです。
それがないと、地域と持続的に関わることはできません」

こうして2015年に遠野市の行政や市民、ホップ生産者、キリンで
“ホップの里からビールの里へ”というキャッチフレーズのもと、
TONO BEER EXPERIENCE事業を発表し、さまざまな活動を繰り広げている。

浅井さんが着ていたTシャツロゴから遠野ホップ愛が伝わってくる。

浅井さんが着ていたTシャツロゴから遠野ホップ愛が伝わってくる。

お試し移住ようやく始動。
奄美上陸。
意外となんでも揃うビックツー。

7/5(木)

いよいよ奄美大島に

奄美大島へはVanilla Airで。
成田から直行便で約2時間ほどでいけるので、感覚として東京からは近く感じます。
Vanilla Airは1日に1本しか便はありません。
東京からは13時50分発なので、向こうに着くのは夕方になってしまいます。
旅行日程でいうと半日つぶれてしまうのが残念です。

ほかに行く方法としてはJALがお昼に1便出ています。
シーズンによりますがLCCの倍くらいの金額感になってきます。

8月からSkymarkが羽田から鹿児島経由で、午前発の便が出るように。
所要時間はトランジットに1時間ほどで、トータルでおよそ3時間半ほどかかります。
午前中に奄美大島に着くことができるので、1日の時間を有効活用できます。
次は活用してみようと思っていますが、
小さい子どもを抱える身としてはトランジットがちょっと心配です。

去年もVanilla Airで行ったのですが膝の上に娘を抱えてだったのと、
初めての飛行機、長時間移動で途中で飽きてしまってぐずってしまったりと大変でした。
なので、今年は席をひとつちゃんと取って、航行中の作戦も練りました。

直前まで、成田空港の各所にあるキッズスペースで娘を走り回らせておいて、
お昼寝の時間を飛行機の移動時間にぶつける作戦です。

写真は第1ターミナルのチェックイン前のキッズスペース。

写真は第1ターミナルのチェックイン前のキッズスペース。

第3ターミナルも搭乗口の近くにキッズスペースがあるのは、
前回行ったときに確認していたので、早々にチェックインを済ませて、
ギリギリまでキッズスペースで転がしておきました。
親も足を伸ばしてリラックスできるので
小さい子どもがいる方は積極的に活用するといいと思います。

いよいよ搭乗。

作戦がかなりうまくいきました。
離陸まもなくして、眠そうな娘、膝の上に抱えていたら夢の中へ。

着陸直前までおとなしく眠っていました。

着陸直前までおとなしく眠っていました。

子どもは耳抜きができないので、高度が高くなり気圧が変わると
何が起こったのかわからなくなって泣き出してしまうことが多いです。
お茶を飲ませると治るので、すぐに取り出せるところに用意しておくといいでしょう。

そのほかにも、フライトを楽しめるようにお気に入りの遊びなど
控えのアイテムなどを用意しておくといいです。
そんなこんなで、今年は大きくぐずることもなく無事に奄美入りを果たしました。

到着したときの奄美の天気は曇り。湿度は85パーセントほど。
飛行機を出た瞬間に、かなりモワッとした空気の印象を受けました。
最近は東京もかなりモワッとしますが、それとは違うちょっと軽さのあるモワッと感でした。

去年奄美を訪れた時は、空港は工事中でしたが、今年に入り、全面的にリニューアルオープン。
LCCが開通してから、関西方面からのお客さんも増えたようで、
島を訪れる人は例年増えていて過去最高水準らしいです。
混雑すると、ゲートがもたついた印象を受けていましたが、
セキュリティのゲートもふたつになり人の流れもスムーズになっているようでした。

到着ロビーにはデジタルサイネージも設置されていて、奄美をイメージした映像が流れています。

この映像は今回グラビア撮影でお世話になる予定だった
奄美大島にある映像プロダクションの〈ヱビス製作室〉によるもの。
奄美の名所の数々でダンスを踊っているという映像。
ドローンによる映像もありかなり見ごたえのあるものになっています。

こちらがその映像。

そして車を受け取りに、奄美レンタカーへ。
奄美での移動のほとんどは車です。島バスもありますが、
買い物やビーチに行くにも、やはり車がないと自由に行き来するのは厳しい印象です。
というのも、奄美大島は日本の島の中でも5番目に大きい島なんです。
(面積712.35 平方キロであり、本州など4島を除くと佐渡島に次ぎ面積5位の島wikipedia

島暮らしといえど、自転車で移動できるほど狭いわけではなく。
特に僕らが今回滞在する予定の龍郷町近辺は商店まで車で10分くらいかかります。
地元の人はひとり1台という、いわゆる車文化です。
子どもは自転車で走り回ってるところを見かけることはありますが、
ほとんどの人が車で移動しています。

空港の目の前には、ローカルのレンタカー屋さんから、
タイムズ、ニッポンレンタカーなど10軒ほどが建ち並んでいます。
空港の近くには目立つお店はなく、ほぼレンタカー屋さんしかありません。

今回は、滞在させていただく家の持ち主の方になんと車も貸していただきました。
その方は関東でお仕事をされていて、奄美に長期滞在する場合など、
レンタカーを借りると割高になるので、自家用車をレンタカー屋に預けているそうです。
ローカルのレンタカー屋さんのサービスメニューにも車を預かるプランがあるようでした。

お借りした車をピックアップして、今回のお試し移住の手配や諸々を支援してくれた
寶園純一さんのお宅へご挨拶。なんと夕飯までご馳走になりました。

寶園さんも大阪からの移住組で、事あるごとにいろいろと相談に乗ってもらっていました。

自宅兼ショップ兼工房という〈KOSHIRAERU〉さん。

去年行った際のショップでの写真。

ただ、この時台風が近づいていたこともあり、話題はほとんど台風の話。
僕らが本当は島入りするはずだった、7月2日にまさに奄美に直撃していた台風で、
寶園さんの工房の前のタープなどが壊滅したとこのことでした。

今回接近してる台風も相当強い勢力とのことで、用心が必要という話を念入りにされました。
その日は早めに解散になり、滞在先の本龍郷まで、寶園さんに送ってもらいました。
その日は荷解きもほどほどに、疲れ果てて早々に寝てしまいました。

リラックスした様子の娘。場所見知りそんなになさそう。

リラックスした様子の娘。場所見知りそんなになさそう。

奄美大島お試し移住、
憧れだけで来ちゃったけど
実際どうなの

憧れはあるけれどなかなか実行に移せない「移住」。
その地の暮らしに馴染めるのか? 子育ての環境としてはどうなのか? 仕事は?

たくさんの疑問と不安を解消すべく、1か月のお試し移住を決めたVR映像作家の渡邊家。
鹿児島・奄美大島から渡邊家がリポートします。

はじめまして。

どうも渡邊家の家長の渡邊徹です。
実写のVRの映像家〈渡邊課〉として活動しています。

テレビ大阪の特番のVRのアドバイザーをした時のロケ時の写真です。熱海城。※クリックで360度カメラ再生

そんな僕が今回奄美大島へ1か月のお試し移住をすることになりました。
移住というのは、なかなか壮大なお話で、漠然とした憧れのようなものはあったものの、
現実味がなくリアリティを持って考えたことはありませんでした

2017年に娘が生まれてから訪れた際の一枚。

2017年に娘が生まれてから訪れた際の一枚。

ワイルドでロハスな人が、島に移住するのはイメージがつくとは思うのですが。
ずーっと東京近郊で生まれ育ちなんなら都会暮らし肯定派の僕が
急に島での暮らしに馴染めるのかとか。子育ての環境としてはどうなのか? とか。
仕事は休まず持ち込む予定なので、
普段使っているIT系のリモートワークのツール類は機能するのか? などなど。

移住している先輩方にもたくさん話を聞いて
いろいろと思うことを率直な意見として書いていこうと思います。

僕の紹介をさせてもらいます。
35歳で恵比寿にあるデザイン会社でエディトリアルデザイナーとVR映像作家の
二足のわらじでやっております。仕事の比率は2:8くらいで、映像つくっています。
仕事は、まぁ、いわゆる不規則で終電で帰ることが常態化しています。

ただ、仕事に対するストレスはなくモノをつくるのが楽しいタイプなので
つい働き過ぎてしまうというのが実状です。

在宅で造本デザイナーをしている34歳の妻の麻由美と、
もうすぐ2歳になる娘のあさ葉の3人家族です。

出発の日。※クリックで360度カメラ再生

娘は保育園には一時保育という制度を使って、週3通っています。
僕の父と母も近くに住んでいることもあり週末やたまに平日預かってもらうことも。

子どもができる前は、土日も仕事に明け暮れていましたが、
休日は娘と過ごすようになりました。成長を日々感じ、
それを目の当たりにするのが最近とても楽しく、おもしろいなーと感じていて、
もっともっと見ていたいなーと最近よく感じています。

現在は川崎市の南武線のとある駅に住んでいます。
東京までは30分くらいで出られる便利なエリアで、
そこはもともと、僕の祖母の家で30年来僕自身も通っていたところです。
僕の出身は東京都町田市というところで、よく神奈川でしょ? と言われますが。
一応東京です。

〈コンセント〉(元アレフゼロ)というデザインの会社に勤めており、12年目になります。
最初はエディトリアルデザイナーとしてキャリアをスタートして、
雑誌や広報誌のデザインを中心にやっていました。会社が合併するタイミングで、
ウェブデザイナーに社内転職をして、最近はラボ的に立ち上げたVRの映像制作も、
事業として軌道に乗り始めてきました。

紙とVR映像の作家として会社に属しながらも、
フリーランスのように自由に働かせてもらっています。
なので、今回のお試し移住は会社員として休み半分、リモート仕事半分という状態で行きます。

奄美大島へは妻の妊娠中に初めて訪れました。
島の自然と、そこで活動している作家さんに出会いました。

2016年に妻も妊娠7か月というタイミングで、奄美大島へ。藍染めが体験できる金井工芸さんで、生まれてくる娘とお揃いの染物ティシャツをつくったり。

2016年に妻も妊娠7か月というタイミングで、奄美大島へ。藍染めが体験できる金井工芸さんで、生まれてくる娘とお揃いの染物Tシャツをつくったり。

そして子どもが生まれて10か月くらいになった時に、2回目。
以前訪れた場所にまた滞在して、より深く島の人と話す機会も生まれて、島の人たちは、
一過性になりがちな観光産業は求めていないことがわかりました。
本当の意味で奄美大島が求めていることってなんだろう? 
っていう考えが、コンテンツを作る人として出て来ました。

娘が10か月くらいになって2回目の奄美大島。

娘が10か月くらいになって2回目の奄美大島。

今回の奄美のお試し移住をすることになったきっかけは、
〈amu〉というイベントスペースで行ったイベントです。

公開家族会議:渡邊家の場合――「奄美大島に移住しようと思う」

イベントでも一緒に登壇をした、寶園(ホウゾノ)さんといろいろ話をすることで
より奄美大島に興味が出てきて、公開家族会議でのみんなの意見も参考にして、
今回のお試し移住が決まりました。

寶園さんは大阪から奄美大島に移住し、木工作家 KOSHIRAERU としてご活躍されています。
出会いは2年前に初めて奄美大島に来た時に、
金井工芸さんのところで染物体験をしていた時に出会いました。
素材にこだわり奄美大島で取れる木材を使ってひとつひとつ手仕事でつくられる作品は、
独特のフォルムと手触りがあり長く使っていたくなるものになっています。
うちも、あさ葉用のスプーンと、時計を使っています。
お店の紹介はまた今度詳しく。

去年あさ葉用のスプーンを選んだ時。

去年あさ葉用のスプーンを選んだ時。