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下田に移住して1年半。
お金について変わったこと、思うこと|Page 3

暮らしを考える旅 わが家の移住について
vol.049

Page 3

お金が媒介しなくても、
こんなことができる!

訪れた暮らしの変化とは、
こうした「お金」が媒介しない行為が増えてきたことです。

伊勢海老

とある日。友人がふらっとやってきて、
網にひっかかったという伊勢海老を持ってきてくれました。
このときもお礼にと収穫した米を渡しました。
海の恵みと大地の恵みの交換というわけです。
江戸時代どころか、お金が登場する前の
「物々交換」の時代の行為そのものといえます。

例えば、東京で暮らしていた頃であれば、何かをいただいたお礼には、
それなりの金額で買ったもの(よく言われるのが半額相当のもの)を
お返しする、という感覚でした。

移住して1年半経ち、そのお返しとしてお金で買ったものでなく
自分たちでつくった「米」を渡せるようになったことに
うれしくなってしまいます。

そして、この「伊勢海老」と「無農薬の米」という、
いまの貨幣経済でもそれなりの価値をもっているものが、
お金が媒介せずに交換されると、
経済の「豊か」さを示す目安でもあるGDPといった数値には表れません
(わが家のGDPは超低空飛行です)。
何が「豊か」なのか? 考えてしまいます。

竹の伐採中

話が少し戻りますが、米づくりの際にも、
そんなお金が媒介しない行為がいくつもありました。

米の天日干しで使った竹の稲架(はさ)は、
自ら竹林から伐り出してつくりました。
地方では元気すぎる竹林が問題になっているほどで、
気力と体力さえあればいくらでも竹は手に入るということを
身をもって知りました。

下田の竹林

本当に竹林が元気すぎる……。そんなこともあり、下田では放置竹林の竹を使ったイベントも開催されました。まだまだ活用方法がありそうな気がします。

また、稲架を組む際に竹と竹を縛るのに使ったのは、
畳屋さんにいただいた畳の「縁(へり)」です。
米づくりを教えてもらっている〈南伊豆米店〉の中村大軌さんに、
竹を組む際に縛る紐を用意しておいたほうがよいか? と相談したところ
「わざわざ買わなくても畳屋さんにもらえる畳の縁が強くて最適だよ」
とのこと。

なるほど~! 
ということで稲刈りの朝に畳屋さんに行き、縁をもらいました。

畳屋さんからもらった縁

畳屋さんでは畳をつくる際には必ず出てしまうというこの縁は、
通常は廃棄物として処分されるといいます。
廃棄されれば費用とエネルギーを使って燃やされるわけです。
そんな畳縁が、竹を束ねる役割を果たし、わが家の田んぼで大活躍しました。

畳縁で竹を束ねる

そして、そんな竹と畳縁を使っての天日干しが終わり、
いま、竹は田んぼの端っこに保管しています。

伐採した竹

この竹は傷むまでの数年は使えるそうです。
まだ未完成ですが、この竹の保管場所は
竹と稲わらでつくってみようかと思っています。

実はこの材料を考える際にも、ホームセンターをうろうろ。
でも、売っている建材はどれも田んぼの風景には似つかわしくない素材感。
おまけに全部買いそろえたらかなりの金額になってしまいます。
どうにかならないか? と悩んだ末に、
そうだ! 竹と田んぼでたくさん出た稲わらでつくればいいんだ! 
と思いついたのです。

竹や稲わらは耐久性が落ちるので
一般的な建築の材料に使われることはあまりないのですが、
小屋などの材料として使われることはあるそうです。
田んぼの奥にある竹置き小屋としてはこれ以上のものはないという素材感。
そして、稲わらは屋根材として使えなくなったら田んぼに還せばいいのです。
傷んでいる分、すぐに土になるはずです。

これこそまさに循環ではないか! 
と、ひとりで興奮してしまいました。

そんなお金が媒介しない行為が、
東京生まれ東京育ちの自分にはなんとも心地よいのです。
お金が媒介しなくても人にお礼ができる。
お金が媒介しなくてもこんな材料が手に入る。
お金が媒介しないからこそ資源の有効活用ができる。

下田の湧き水

移住を境に大きく変化したことのひとつに「飲料水」があります。移住前はミネラルウォーターのペットボトルを買っていましたが、いまは湧き水を汲んでいるので買っていません。湧き水暮らしはペットボトルのゴミが出ないというのもとてもうれしいところ。

といっても、そんなお金が媒介しない行為に心地よさは感じていても
お金がなければ暮らしていけないのです
(ですので、もちろん仕事はして収入を得ています)。
お金が媒介しない行為に心地よさを感じることは、
現代社会の一員としては失格なのかもしれません。
お金をまわすことが経済をまわすことだからです。

でも、その経済が生み出した便利さ、快適さという恩恵は受けています。
例えば、日々お世話になっている車、冷蔵庫、照明器具からスマートフォン、
そして日々買い物をするネットや大手スーパー、ドラッグストアまで、
そうした経済活動が生み出したものといえます。

ただ経済の恩恵を受けるだけ受けて、
自分は経済を回さない暮らしを目指すのは、どうにも筋が通らないのでは?

そうも思えてきました……。
いい歳こいた大人がお金を使わないことで喜んでいていいのか??
自分が何を目指しているのか? わけがわからくなってきました……。