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今年の春から秋にかけて、初めての米づくりに追われていました。
収穫も終わり、ようやく落ち着きを取り戻してきた感じです。
そして、早いもので移住して1年半が過ぎました。
今回はそんなタイミングで訪れたある変化について書きます。
こちら、わが家にやってきた米、約300キロ! 1年家族が食べられる米が家にあるってなんだか不思議なものです。何とも言えない安心感はあるけれどネズミに食べられたらどうしよう、という不安もあったり。
自分たちでつくった米が食卓にあがる日常が始まりました。
日々、田んぼ作業を思い出しながらおいしくいただいています。
僕はわが家の朝ごはん担当。ご飯とみそ汁ともう一品ほどの質素な朝ごはんですが、自分たちのつくった米というだけでついついにやけてしまうほど、贅沢に感じさせてくれます。
前回、妻が触れていましたが、
先日「新米の集い」という集まりをわが家で開き、
田んぼを手伝ってくれた友人たちと新米の収穫を祝いました。
その際には、田んぼ作業のお礼として収穫した新米をお渡ししました。
わが家の近くに移住してきた僕の母親も混ざっての「新米の集い」。こうした場に親がいることに違和感がないのも都会暮らしとの大きな違いです。
友人たちに渡す新米、どうせなら包装にも気持ちをこめたいと娘と僕でハンコをつくりました。津留崎の「つる」に「米」で「つる米」。なかなかいいでしょ?
田んぼ作業のお礼として米を。
大げさかもしれませんが、いわば「労働の対価として米を納める」
ということともいえます。
調べると、これは江戸時代までは普通にあったことのようです。
たとえば当時、武士の給料はお米でした。
それを貨幣に換えて、米以外の必要なものを買ってそうです。
農民の税金が米(年貢米)だったので、
藩や幕府の収入は米だったというのはよく聞く話かと。
貨幣よりまず米ありきの「米本位制」の社会。
その社会はいろいろと厳しい面も多かったようですが、
米が貨幣に比べて長く貯めておくことができないということや、
ひとりの米の消費量がほぼ同じことからも、
貧富の差が生まれにくかったという点があったことを知りました。
貯めておいても腐ってしまうから使うしかないし、
殿様だろうが小作人だろうが食べることのできる米の量はあまり変わらない、
ということです。
貧富の差が開く一方のいまの社会が見習うべき点もあるように感じます。
お手伝いありがとね~!!