移住先探しの旅から2年。
紆余曲折の“無計画”移住を振り返る

連載50回で振り返る
「わが家の移住について」

この連載がスタートして2年余り。
「生まれ育った東京を離れ、移住することにしました。行き先は未定」
と大胆な宣言をして始まった、津留崎家の移住先探しの旅。
現在は伊豆下田に移住して1年半以上が経ちましたが
これまで順風満帆というわけではありませんでした。
それでも、少しずつ自分たちの暮らしをつくりあげています。

何も決めないまま、移住先探しの旅へ

016年の9月にスタートしたこの連載も、
今回で50回目となりました。

過去の記事を読み返してみると本当にいろんなことがありました。
移住先を探して旅に出て、一度は三重の山奥に住み始めたものの、
挫折して東京に戻り、そしていま下田に住んでいる。
それがたった2年間の出来事だなんて、なんだか不思議な気分です。

淡路島の道の駅で車中泊

淡路島の道の駅で車中泊。ミニバンにギューギューに荷物をつめて自由に旅をする。楽しかったな~。(2016年夏)

下田に移住してすぐに知り合った友人家族

下田に移住してすぐに知り合った友人家族。この家族と出会えたおかげで、娘も私たちも下田に馴染むことができました。(2017年春)

連載の第1回目は夫のこんな言葉から始まっています。

「5歳になる娘と42歳の妻、同じく42歳の僕と3人家族のわが家
(現在娘は7歳、夫と私は44歳です)。
生まれ育った東京を離れ、移住することにしました。
行き先は未定。“移住する”ということは決めたのですが、
どこに移住するかはまだ決めていません。
移住してからなにをして稼いでいくのか、それも決めていません。
なんとも無計画です」

住む場所も仕事もなにも決まっていない、本当に無計画でした。
無計画だったからこそ得られたものもあり、大変だったこともあり。
そして、よくここまでたどり着いたな~としみじみ感じています。
この2年間を振り返り、あらためて
わが家の移住についてお話させていただきます。

2016年の夏、わが家は移住先探しの旅に出ました。
夫婦とも東京の生まれのためUターンという選択肢はなく、
まずはどこに住むか決める必要があったのです。

そうして出会ったのが三重県の美杉町でした。
美杉町で知り合った人や豊かな自然に惹かれて移住を決意。
車に荷物を積み込んで東京と何往復もしながら引っ越しを完了。
そして新たな生活が始まりました。

三重県の美杉町

[ff_assignvar name="nexttext" value="下田に落ち着くまでの紆余曲折"]
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東京に出戻り。そして再び移住先を探して

これから始まる新しい生活に期待を膨らませていた私と夫。
けれど娘にとってこの移住は想像以上に負担が大きいものでした。
生まれ育った東京の家を離れること、
同じ屋根の下で育ってきたいとこたちと離れること、
しかも移住先が山奥というあまりにも急な環境の変化に馴染めませんでした。

娘はストレートにそれを表現しましたが、私たちも内心では
こんな山奥でやっていけるのかという不安な気持ちがありました。
いま考えてみると、そうした私たちの不安を
娘が汲み取ったのかもしれません。

移住先が山奥というあまりにも急な環境の変化

そうしてあっという間に東京に出戻りました。
正直あのときが一番戸惑いました。
三重でお世話になった方々に申し訳ないという気持ち、
移住しようと息巻いていたのにこの先どうすればいいのか。
頭がぐるぐるして先のことも考えられない。
そして体力的にも精神的にも参ってしまった。

けれど、あの経験があってよかったといまは思えます。
自分たちができる範囲、自分たちに向いている暮らし方を
知ることができたのです。

美杉町の借家前にて

美杉町の借家前にて。東京に戻る前、最後に撮影した家族写真。(2017年年始)

東京に戻った後、このまま移住を断念するかどうか
毎日夫婦で話し合いました。そうして出した結論は、
東京に週末戻れるくらいの距離でもう一度試してみよう。
娘が慣れるまで、毎週末東京に連れて帰るという方法でした。

そうして再び移住先を探し、下田で暮らし始めたのが昨年の4月です。
娘の様子次第では移住そのものを断念して東京で暮らそう、
そう決めていました。

新しい友だちに恵まれた娘

けれど新しい友だちに恵まれたこと、
大好きな海でたくさん遊べること、
おばあちゃんが下田に移住してきてくれたこと。
いろんなことが重なり合って、
娘は次第に新しい暮らしに馴染んでいきました。

娘は小学校に入学し、近所の友だちと毎日のように遊んでいます。
そして「早く夏にならないかな~、海で毎日遊べるから!」と
下田のこの環境をとても気に入っているようです。

下田の海

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実際に暮らしてみてわかったこと

「なぜ移住先を下田にしたの?」とよく聞かれます。
正直なところ、紆余曲折があって
たまたま下田にたどり着いたとしか言えません。
移住を決めたときには、この条件に当てはまるからという
はっきりとした理由もありませんでした。
三重でのこともあったので、ひとまず住んでみよう、
それから考えようという状況でした。

ところが連載をさかのぼって読んでみると、
夫が以前挙げていた移住先の条件がすべて満たされているのです。
つまり、目標として掲げていた条件といまの暮らしがぴったり合っている。

1 自給的生活のできる土地

いま借りている家には畑があるので、野菜を少しずつ育てています。
そして、今年初めて米づくりをしました。
これはわが家にとって大きな一歩です。

初めての米づくり

2 井戸水・沢の水が飲める、または日常的に汲みに行ける距離に湧水がある

夫の職場の近くに湧水が汲める場所があり、この水がなんともおいしい。
夫がタンクに汲んできてくれる水を、調理や飲料水として利用しています。

3 東京へのアクセスのよさ(車で6時間以内くらいを目安)

下田から東京へは電車で3時間弱、車だと3時間半です。
これくらいの距離ならば、実家に帰省するのも、
東京の仕事にも気軽に出かけられます。

4 小学校・中学校が近くにあり、徒歩圏内に駅やバス停がある

自宅から娘の小学校まで徒歩15分、駅までは徒歩25分、
近くのバス停までは徒歩2分という便利な立地です。

5 温暖な気候

東京と比べてもおよそ3~5度気温が高い温暖な気候。
雪はまず降らないですし、12月になっても蚊が飛んでいるほどです。

6 なるべくお金をかけずに生活できる物件価格・賃料

わが家は賃貸の一軒家ですが、庭もあり畑と駐車場もついています。
売買物件も賃貸物件も、東京と比べると圧倒的に安いです。

米づくりはいつか必ずやりたいと考えていました。
けれど、移住者が田んぼを借りるのはなかなか難しいと聞いていたので、
しばらく先になるだろうと覚悟していました。
けれど、ある方との出会いがきっかけで移住してすぐに実現したのです。

米づくりをサポートしてくれた南伊豆米店の方と、下田に移住してきた義母

米づくりをサポートしてくれた南伊豆米店の方と、下田に移住してきた義母。田植え後の田んぼにて。(2018年夏)

湧水に関しても、私は正直あきらめていました。
私たちが住み始めたのは住宅街なのだから、
ここはもう水道水に頼るしかないと。
けれどそれも夫が探してきてくれたのです。
家から近い距離で汲める場所、しかもすごくおいしい湧水を。

下田の湧き水

無計画なのか、ある意味計画的だったともいまでは思うのですが、
夫は仕事を決めずに移住しました。
その土地で自分に合った仕事を見つけたいという考えからです。

1年半たったいまどうなってるかといえば、
やりがいのある仕事に恵まれています。
都会では得ることのできなかった、生きる力を日々身につけているようです。
就職先がもし先に決まっていたら、
こうした経験もできなかったのだと思います。

獣害対策の電柵を設置する作業

夫の職場〈高橋養蜂〉にて。獣害対策の電柵を設置する作業。(vol.21vol.28参照)

無計画だったわが家の移住は、
遠回りをしながら下田という土地にたどり着きました。
実は下田に対して観光地というイメージが強かったので、
自分たちが思うような暮らしが果たしてできるのか? 
という疑問をしばらく抱いていました。

けれど、実際に暮らしてみたら
そのイメージとはまったく違う景色が見え始め、
自分たちが思い描いた暮らしに少しずつ近づいています。

この連載が100回目を迎えるのは2年後。
そのとき私たちにはどんな景色が見えているのだろうか。

田植え

text & photograph

津留崎徹花 Tetsuka Tsurusaki
つるさき・てつか●フォトグラファー。東京生まれ。料理・人物写真を中心に活動。移住先を探した末、伊豆下田で家族3人で暮らし始める。自身のコロカルでの連載『美味しいアルバム』では執筆も担当。

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