連載
posted:2018.12.19 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
息子の通う岩見沢の山あいにある小さな小学校が今年度いっぱいで閉校となり、
近隣の学校への統廃合が決まった。
当たり前だと思っていたものが地域から消えること。
それは、学校という存在について、あらためて考える機会を与えてくれた。
閉校についての想いは以前の連載で書いた。
子どもたちにとって、現在より人数の多い学校に行くことは、
きっと友だちが増えて、新しい発見や楽しみにつながるはずだ。
一方、学校がなくなることは地域にとって、どんな影響があるのだろう?
にぎわいを失った校舎は、このままどうなっていくのだろうか?
閉校の話題でよく聞かれる「寂しくなるね」という声に、
わたしはモヤモヤとした想いを感じずにはいられなかった。
閉校は仕方のないことだとしても、残された校舎を、
いままで以上に人が集う場所にする方法はないのだろうか?
そんなことを考えていたとき〈北海道に自由な小学校をつくる会〉の存在を知った。
SNSで、この会の説明会が2018年5月に札幌で開催されるという告知を見つけ、
「学校ってどうやったらつくれるのだろう。校舎の活用方法のアイデアが見つかるかも」
と興味がわき、参加してみることにした。
会場には30名ほどの参加者がつめかけていた。
どんな小学校をつくりたいのかという話をしてくれたのは、
この会の中心メンバーのひとりであり、
札幌にある養護学校の教員でもある細田孝哉さん。
会の母体は、1980年代から活動し、現在認定NPO法人となった
〈北海道自由が丘学園・ともに人間教育をすすめる会〉。
新しい教育提案とその実現を目指そうとする組織で、
これまでフリースクールの運営を続けており、
そこで培った経験を生かした自由な小学校をつくろうとしているという。
モデルとなるのは、和歌山県の山あいにある〈きのくに子どもの村学園〉。
この学園には、宿題も試験も学年の壁もなく、先生とは呼ばれる大人もいないという
(大人は「○○さん」やニックネームで呼ばれている)。
1992年より私立小学校がスタートし、その後、中学校や国際高等専修学校も誕生。
現在では、福井や山梨などにも同じ方針をもとにつくられた学校がある。
基本方針となるのは、子どもが自ら決めること。
ひとりひとりの違いや興味を大事にすること。
体験や生活を通して学習すること。
特徴的な取り組みは「プロジェクト」という、小学校では週14時間とられている授業。
木工・園芸や劇団、農業、食の研究など、さまざまなプロジェクトがあり、
子どもたちは1年を通じて自分が何を学びたいのかを選択。
大人はサポート役となり、子どもたちの自主性を尊重してプロジェクトは進められる。
この学園をたびたび見学してきた細田さんは、
木工のプロジェクトについて話してくれた。
「敷地には20年ほど前に子どもたちがつくった
20メートルくらいの大きな木製すべり台があります。
設置する場所の傾斜や降りるスピード、安全な角度などを考えて
小学生が自分たちで設計したものです」
「かず」と「ことば」という基礎学習の時間も設けられ、
プロジェクトと連動した内容もあるそうだ。
「プロジェクトの内容からつくった“かず”のプリントに取り組むなかで、
ある子が三角形の各辺の2乗の数字とにらめっこしているうちに、
『これってひょっとして……』と
ピタゴラスの定理に気づいてしまったということもあったそうです」
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では、実際問題として、私立の小学校はつくることができるのか。
説明会では、ふたつの課題が語られた。
ひとつは場所。札幌近郊で廃校舎の利用ができないか検討中という。
もうひとつは資金面。
きのくに子どもの村学園のように、学校法人としての認可を受け、
数年間の運転資金を確保するには、数億円規模のお金がかかるそうだ。
5月の時点では、このふたつのめどは立っておらず、
開校目標と語られた2020年までには、
まだまだ超えなければならないハードルは高いように感じられた。
「困難なことは多いですが、学校法人の認可を受ける学校をつくりたいと思っています。
フリースクールでは不登校の子どもたちの受け皿と捉えられてしまうことも多くて。
僕らはより多くの人に関心をもってもらって、
教育界に一石を投じたいと考えています」(細田さん)
その後、月に1回のペースで説明会は開催され、
40〜50名に設定した定員は満席となった。
わたしも、3回目の説明会に再び参加した。
そこで感じたのは、参加者の関心が高まるにつれて、
自由な小学校をつくる会のメンバーも動きを加速させているということだった。
自治体との廃校舎利用の交渉や署名活動などを開始。
資金の調達方法に関するプランなども具体的に作成されていった。
3回目の説明会では、参加者同士の意見交換も行われた。
「どんな学校・教育を望みますか?」
「学校づくりに必要なことは何だと思いますか?」
「あなたが子育て・教育で、いま気になっていることは?」
この3つのいずれかをテーマに話をしていくことになった。
わたしの座ったテーブルを囲んだ参加者は、用意されたポストイットに
日々考えていることをどんどん書いていった。
「子どもの個性を尊重する先生がいてくれる」
「子どもがやりたいことをやらせてくれる」
「受験受験って言わなくていい、イヤイヤ勉強しなくてもいい学校がほしい」
さまざまな意見の中で多かったのは、受験の学力だけではない、
子どもの個性を育む自由な空気を感じさせる学びの場を求める声だった。
説明会開催をSNSで呼びかけた会のメンバー、綿谷千春さんは、
会に対する反響の大きさについてこう考えていた。
「地方では公立しか選択肢がないということに、
疑問を感じている人がたくさんいたことがわかりました。
説明会で、点だったものが線としてつながっただけで、
自然発生的に新しい選択肢を求める波が生まれたんだと思います」
現在の学校に対して疑問を持っている人たちと意見交換を行って、
わたしは晴れやかな想いがした。
心のどこかで日々の教育に疑問を抱いたり、変えたいと感じる点があったのだが、
それをこれまで声にしてこなかったことに気づかされた。
そして、地元の岩見沢でも、この会のお話会を
開いてみてはどうだろうと考えるようになった。
現在のところ、岩見沢は学校づくりの候補地になっているわけではないが、
学校という“当たり前”と感じていたものについて、
みんなで話し合うきっかけにもしていきたいと考えたからだ。
会のメンバーに提案したところ快諾してもらい、
お話会の場所を探していたちょうどそのとき、
岩見沢で「プレーパークお泊まり会」というイベントがあることを知り、
ここで同時開催させてもらうこととなった。
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プレーパークとは「ケガとお弁当は自分持ち」が合い言葉。
子どものやりたいという気持ちを尊重し、禁止事項をなるべく減らし、
大人が子どもの目線に立って見守るなかで遊ぶ場で、
岩見沢では2014年から活動が始まっている。
自由な小学校をつくる会と通じる精神があり、
ここに参加する親子もお話会に興味を持ってくれるのではないかと考えた。
当日集まった人の中には、プレーパークに参加した幼児や小学生の子を持つ親とともに、
教育に携わる人もいた。
自由な小学校についての説明を細田さんが行ったあとに、質問や感想を語る場を設けた。
参加者からは、学校づくりをサポートしていきたいという意見とともに、
私立の場合、学費が払えない家庭は行かせたくても行かせられないなどの
課題を指摘する声もあがった。
そのほか、公教育の場でも子どもたちが心からいいと思える学校もあるし、
現場の先生方は一生懸命やっていることを踏まえたうえで、
新しい学校づくりを考えてほしいという提案もあった。
わたしがこのとき気づいたのは、自分の学校体験と重ね合わせながら
意見を語っていた参加者が多かったことだ。
「中学生のときに、自分のすべてをそのまま無条件に受け入れてくれる大人に
わたしは助けられました。学校の先生だったり近所のお姉さんだったり。
そういう存在に自分もなれたらと思って先生になりました」
「全校児童8名の学校の校長をしていました。
そのとき出会った教育実習生たちと20年たったいまでもつながりを持っています。
今日話題になった“自由な小学校”のように楽しい学校だったからだと思います」
参加者の話を聞いていくと、公立学校だからとひとくくりにすることは不可能で、
先生や同級生との関係によって無限ともいえる多様さがあることが感じられた。
そのためまずは個々の学校体験と向き合ってこそ初めて、
互いの理解が生まれるんじゃないかと思った。
設定した2時間はあっというまに過ぎ、それぞれの意見を出し切るまでは至らず、
終了後も意見交換を続ける参加者の姿があった。
そして、まだまだ話し足りないという意見もあがり、
来月にも開催予定のプレーパークで、2回目のお話会を開催することにした。
次回のお話会では、いったいどんな展開が待っているのだろう?
参加者の学校体験をしっかりと共有することで、
きっとそこから新しい発想が生まれるのではないか。
そんなことを考えながら、自由な小学校をつくる会の綿谷さんが
以前わたしに話してくれた言葉を思い出した。
「自由な小学校づくりに関わっているのは、
当たり前と思っている常識を疑ってかかって、
新しい常識を次世代に残してあげられたらと思っているからです。
そして根底にあるのは、社会全体の価値観を変えていきたいという想いです。
例えば安くて大量に生産されているものがいいという価値を超えて、
よい循環を生み出していきたいと考えているんです」
お話会に参加した発端は、地元の閉校した校舎の利用方法を探るためだったのだが、
どんな学校をどうやってつくるかという話にとどまらない、広がりのある世界があった。
今後も、学校とは何かについて考えを深めながら、
日々の暮らしのあり方も見つめていけたらと思っている。
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