連載
posted:2019.1.23 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
北海道に移住して8年目。
年が明けたとき、東京を離れてこんなにも時が経ったのかとあらためて驚いた。
あっという間に過ぎ去ったと感じるのは、もしかしたら以前と変わらず
雑誌や書籍の編集や執筆の仕事を続けられているからかもしれない。
東日本大震災が起こって暮らしのあり方を変えたいと、
夫の実家のある岩見沢市に移住したのが2011年夏のこと。
幸いなことに勤めていた東京の出版社に籍を置きつつ、
在宅勤務というかたちで働くことができた。
2015年の春に独立したが、これまでつながりを持っていた仲間が
声をかけてくれており、いままで仕事が続けられている。
仕事のスタイルは、月1回のペースで数日間東京へ出向いて、打ち合わせや取材をし、
自宅に持ち帰って編集や執筆を行うというものだ。
独立した時期は、第二子がちょうど1歳。
保育園に預けていなかったこともあり、上京のときはいつも連れていた。
その子が3歳になる頃に、今度は第三子を出産。
現在は1歳半の子どもを抱えて、東京に行っている。
遠距離子連れで編集の仕事をしようと思うとき、一番緊張するのが、
雑誌などの取材で、アポイントを入れる段階だ。
取材交渉をするときは、相手の都合に日時や場所を合わせるのが基本だが、
わたしの場合は、上京するタイミングに合わせてもらうほかはないし、
しかも子どもの同伴までお願いしなければならない。
日程に余裕のない著名人などに依頼状を送るときは
「ああ、きっと断られるだろうなあ……」と思ってしまう。
しかし、ありがたいことに、こうした無理なお願いを
取材相手は快く受け入れてくれることが多い。
取材時間をこちらの都合に合わせてくれるだけでなく、
子どものために取材場所を個室にしてくれるときだってある。
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ベビーカーに大きな荷物を積んで、子どもを抱っこしながらの取材は、
はたから見ると、とても仕事モードとは思えない。
最初の頃は、こうした自分の状況に負い目のようなものを感じることもあったが、
だんだんと考えは変わってきた。
わたしの様子を見て、取材相手が自身の子育ての体験や
北海道を旅した思い出を語ってくれることもあり、
ふとした会話から、相手の思いがけない一面が見えてきたりもする。
また、以前に取材した相手に再開したとき
「お子さん大きくなりましたね」
「北海道からまた来たんですか?」と聞かれることも増え、
わたしのことをよく覚えてくれていることに気づいた。
以前、東京で出版社に勤めていた頃は、相手に合わせて昼夜を問わず取材をし
「仕事できます!」というような風を吹かせていたように思う。
でも、同時にインタビューや原稿の執筆に自信が持てなくて、
肩に力が入って質問したいことをうっかり忘れてしまったり、
わからなくてもそのまま聞き流してしまったり。
あの頃のわたしは、取材相手といまほど深く話せていただろうか?
相手の印象にも残らない、どこか上滑りな人間だったのではないだろうか?
東京から遠く離れ、子ども連れで仕事をしていることは、
一見マイナスなことだけれど、実はわたしの個性として
相手に映っているのかもしれないと、最近思うようになった。
そして取材相手が、わたしの仕事の仕方や
暮らしぶりに興味を持ってくれることによって、
信頼関係が芽生えることもあると発見した
(ときどきプライベートで北海道に遊びに来てくれる方もいる)。
子連れで仕事を続けている理由のひとつは、
できる限り長い期間、母乳で育てたいと思っているから。
また、出産や育児で仕事をお休みしても、
なんの保証もないフリーランスだからというのも大きい。
さらに、不便な場所にいる小回りの利かない編集者に、
わざわざ仕事を頼んでくれる仲間の依頼に「できない」と言えるはずもない。
夫が子育てと家事を全面協力してくれているからこそ、なんとかやっているが、
それでも子どもが3人ともなると、家はいつもカオスな状態。
バリバリ仕事をしていた(つもりだった)以前と比べると、
実働時間は6割程度(収入もそのくらいダウン)で、
締め切り前はいつもわたしがピリピリしてしまって、
家庭内が荒んでくることも少なくない。
それでもなお、いまの働き方のほうが、自分には合っていると思う。
効率よくスマートな仕事の仕方とは正反対のこの状況が、
編集者という仕事に豊かさをもたらしてくれると思えるからだ。
さらに昨年から、地元で新しい展開も起こってきた。
これまで東京で美術やデザイン専門の編集者として
20年ほど活動を続けてきたことによって、
地元の大学のアート専攻で非常勤講師を務めたり、
コロカルでこの連載を続けていたことで、
『北海道新聞』の朝のコラムをときどき執筆したりできるようになった。
これらは美術や編集に携わる人間が少ない岩見沢にいるからこそ、
つながった仕事と言えるかもしれない。
東京生まれ東京育ちのわたしは、震災がなければ
地方で暮らすという選択を考えたことはなかった。
出版や編集という仕事は都会でしか成り立たないと思っていたが、
行動を起こしてみれば、
“北海道にいるからこそおもしろくできる仕事”があったのだった。
これからも、自分の“個性”を楽しみに変えて、仕事を広げていけたらと思っている。
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