連載
posted:2019.3.14 from:熊本県阿蘇市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
南阿蘇鉄道にある、日本一長い駅名の駅「南阿蘇水の生まれる里 白水高原」駅。
その駅舎に、週末だけ小さな古本屋が出現します。
四季の移ろいや訪れる人たちのこと、日常の風景を〈ひなた文庫〉から。
writer profile
Emi Nakao
中尾恵美
なかお・えみ●1989年、岡山県勝田郡生まれ。広島市立大学国際学部卒業。出版社の広告営業、書店員を経て2015年から〈ひなた文庫〉店主。
阿蘇の観光地としても有名な「草千里」の野焼きが3月2日に行われました。
移住する前に熊本を訪れた際、旦那さんに車で連れて行ってもらった草千里。
日本にこんな場所があるんだ! と感動し、
移住してからも時折行ってはパワーをもらう大好きな場所です。
そこでの野焼き、これは見なければと行ってきました。
阿蘇地域で2月から3月の早春の頃に行われる野焼きは、
草原を維持するための大切な作業。
野焼きをすることで前の年に生えた枯れ草を焼却し、
草原が森林に変わってしまわないよう低木類を抑圧して
牛馬が好むネザサなどの新しい草の芽立ちを助けます。
そうすることで牛や馬の放牧の場として利用するための
新鮮な草原を維持することができるのです。
阿蘇の草原の歴史は古く、『日本書紀』にも記述があり、
1000年以上にわたって人が自然と共生して維持してきた場所です。
阿蘇地方の野焼きは毎年日を分けて、北外輪山一帯や米塚周辺など数か所で行われます。
今回私が見学しに行った草千里は、阿蘇五岳の烏帽子岳の側火山として活動した
千里ヶ浜火山の火口跡を放牧地として草原化しています。
烏帽子岳の北麓に広がる78万5千平方メートルの大草原の中には
雨水が溜まってできたと言われる浅く広がる池がふたつ並んでいて、
初夏の新緑の緑と池の水が映す空の青とのコントラストがすばらしく、
阿蘇の観光地としても有名な場所です。
また、4月から11月頃までは乗馬体験用の馬が仕事を終えると放牧され、
夕方には自由に草を食む馬たちの姿を見ることもできます。
名だたる文豪たちも草千里を訪れており、
三好達治の『大阿蘇』という詩が草千里の情景をとてもよく表しています。
馬は草をたべてゐる
艸千里濱のとある丘の
雨に洗はれた青草を 彼らはいつもしんしんとたべてゐる
彼らはそこにみんな静かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでひとところに 彼らは静かに集つてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう
三好達治『大阿蘇』(抜粋)
三好達治がこの詩を書いてから80年以上経っていますが、
いまだにその風景は守り続けられています。
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草千里の野焼きは2016年におよそ50年ぶりに再開されました。
2010年に流行した口蹄疫をきっかけに、
それまで放牧していた牛や馬の放牧はいったん中止されていました。
しかし牛や馬が草を食べなくなったことで一部に低木が生え、
草原の維持が難しくなってきたため再開されたそうです。
私は今回が初めての見学。
しかも当初予定されていた日程から雨で3回も順延していたので、
やっと見ることができる! と期待も高まっていました。
そのためか前日はあまり眠れず朝6時に起きて、
予定より早めに家を出て草千里に向かいました。
車を走らせ1時間ほど、まだ駐車場の料金所の方も来ていない時間に到着。
ちょっと気合を入れすぎたようです。
それならばと焼かれる前の草原を歩いてみます。
夏にはきれいな緑だった草も完全に枯れて、すべてが枯色。
朝もまだ早いので土がむき出しの部分は霜柱が立っています。
ふたつある池のうちのひとつに歩いて行くと、水が凍っているのを見つけました。
草千里の標高は1140メートルあり、冬の最低気温はマイナス10度を下回ることも。
夏の夜に来ても半袖では凍えてしまうほどです。
今日も厚着をして来たつもりでしたが耳や手がかじかんできます。
さらに草原のところどころには馬フンが落ちています。
枯草の色と一緒なので、下をよく見ていないと踏んでしまいます。
草千里の乗馬体験用の馬たちが夕方になるとここに放牧され、
自由に草を食むので、その馬たちの残したものです。
そのほかにも、よく探して見るとほかの動物たちのものも見つけることができます。
阿蘇の草原にはノウサギやキツネ、イタチやなどが生息しています。
草原を歩いたあとは展望所に登って草千里を眺めていました。
草千里の左手には阿蘇山の火口の白い噴煙も見えます。
この広い茶色の景色がどんな風に変わるのか楽しみです。
そうこうしているうちに野焼きを行う牧野組合の方やボランティアの方、
消防車やパトカー、写真を撮りに来た観光客や報道陣も続々と集まってきました。
作業にあたる人たちは火をつけるバーナーを持つ人、
火を消すために必要な竹でつくられた火消し棒を持つ人、
水を噴射して火を消す水袋を背負った人、それぞれが各グループに分かれ行動します。
今回はおよそ100人が作業に当たられたそうです。
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10時半頃、いまかいまかと草千里駐車場から眺めていると、
左手奥から煙と炎が上がりました。
遠くから眺めていてもはっきりと炎の形がわかるほど。
近くで見れば恐らく数メートルの高さにまで炎は上がっているでしょう。
草がよく乾燥しているので、火は瞬く間に広がり地面を焦がしていきます。
その間パチパチ、メラメラ、ゴォーと燃える音が混ざり合って聞こえ、
徐々にこちらに近づくように広がってくるので、
遠くで見ているだけでも恐怖を感じます。
近くで火をつけ、燃え跡に残る火を消す牧野組合の方やボランティアの方は
危険と隣り合わせです。実際に死者も出ており、命の危険のある大変な作業です。
火入れは数か所に分けて行われ、見える位置からだと
左手前、中央、右手奥、右手前と次々に火がつけられます。
一瞬で大きく赤く燃え上がり、火炎は地面を真っ黒に塗り変えていきます。
風向きによっては視界が遮られるほどの煙と一緒に、
黒く散り散りになった灰もこちらに飛んできて、
体ごと燻されるような状態になりました。
火を入れてから全体が焼き終わるまで約40分ほどでしたが、
燃え上がりこちらに進んでくる炎に魅入られ、
ほんの一瞬の出来事のように感じられました。
焼き終えた草千里を展望所から眺めてみると、池のある場所を除いて
先ほどまで一面枯色だった草原が、漆黒に変貌しました。
阿蘇の野焼きを何年も撮り続けているという男性が私の隣で、
「日が経つと薄墨のように滲んでこんなにはっきりした黒を見ることはできないんだよ、
だから本当の野焼きの色を見るなら今日見ないとだめなんだ」と教えてくれました。
「今日しか見えない色」。
この色が大昔から行われてきた阿蘇に春を呼び込むための始まりの色だと思うと、
この場所は灰となって再び蘇る不死鳥のようにも思われます。
連綿と守られてきたこの場所の時の流れを感じ、
これは後世まで守り続けなければと思わされるのでした。
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