お正月、移住後の小さな変化
東京から伊豆下田へ移住して
3度目のお正月を迎えた津留崎さん一家。
いろいろな変化がありましたが、お正月にもちょっとした変化が。
そのひとつが、正月飾り。
下田には、東京では経験しなかった昔ながらの暮らしが
まだ残っているようです。
能登半島の先のほうにある能登町から海を眺めると、
ちょうど富山県の立山連峰が海越しに見える。
その美しい景色を一望できる高台に、週末ともなれば半年先まで
予約で埋まることもある民宿がある。
オーストラリア人のベンジャミン・フラットさんと
能登町出身の船下智香子さんが営む、1日5組限定の〈民宿ふらっと〉だ。

民宿ふらっとの様子。森に自生する木々が、宿の背後に勢いよく盛り上がっている。海と森、その両方を楽しむには絶好の環境だ。
国内外から旅行者を引き寄せる民宿ふらっとの看板商品は、
能登の食材、能登の発酵食品を料理に生かした、
通称「ベンさん」のつくる能登イタリアンだ。
ベンさんは13歳から「farm to table」(身近な農場で採れた食材を調理に生かす)を
テーマにする実家のレストランで手伝いを始め、
シドニーにあるイタリアンレストランでは料理長を務めるまで、キャリアを磨いてきた。
イタリア料理は、土地の食材を生かす地産地消が多い。
能登に来たベンさんの考えも同じで、「地のもの」を重んじる姿勢は、
地元の漁港で揚がった魚介類を受け、
メニューが当日に決まるスタイルを見てもわかる。

アオリイカのアラギターラ。宇出津港で上がったアオリイカを使った手打ち生パスタ。(写真提供:民宿ふらっと)
調理では地元産の魚介類に、自分でつくった発酵食品の調味料「いしり」や
自家製ドレッシングなどを使って、手を加えていく。
使われる大根や干し柿なども敷地内の菜園や果樹園で採れる食材で、
食卓に並ぶパンも近隣にあるなじみのパン屋から仕入れている。
調味料のいしりとは地域によって「いしる」とも言い、
能登町ではイカを原料につくる発酵食品の魚醤油(うおじょうゆ)だ。
ベンさんは、こうした能登の発酵食品を大胆に取り入れ、
独自の能登イタリアンを完成させた。
特にいしりについては、もともと民宿の経営をしていた智香子さんの両親が、
だしや調味料として料理に使っていた。
魚介の香りが豊かなこの地元食品が、
べンさんのつくるイタリア料理の隠し味になっているのだ。

ベンジャミン・フラットさん。(写真提供:民宿ふらっと)
みなさま、あけましておめでとうございます。
私たちは小豆島で暮らし始めて、8回目の新しい年を迎えています。
今年も「小豆島日記」をどうぞよろしくお願いします。
2020年になったからといって何かががらりと変わるわけでもなく、
相変わらず毎日があっという間に過ぎていき、気づけば1月も半ば。
本当に1日1日を大切にしたいなと最近よく思います。
やることに追われて何気なく過ごしているとあっという間にまた1年終わってしまう。
「今日は何しようか」
「今日はこんな日にしよう」
そんなふうに意識して自分のやりたいことに取り組める毎日を積み重ねていきたいなと。
さて、今年は年明け早々久しぶりに東京に行ってきました。
私たちが育てた野菜を使ってくださっているお店や、
ジンジャーシロップを販売してくださっているお店など、
いつもお世話になっている方々に会いに。
「人に会いに行く、会ってお話する」
これも今年大事にしたいなと思っていることです。

私たちの育てた野菜やシロップを販売していただいているのを見るのはうれしい。

この冬に収穫した生姜を使った〈シトラスジンジャーシロップ〉(限定ホリデイラベル)の試飲販売。
12月上旬にオープンしたばかりの八百屋さん〈TAYORI MARKET〉では、
この冬に収穫した生姜でつくった〈シトラスジンジャーシロップ〉と
冬野菜の試食販売をさせていただきました。
TAYORI MARKETは、西日暮里駅すぐそばの
〈西日暮里スクランブル〉という施設の中にあって、東京・谷中を拠点に
建築設計、飲食事業などを営んでいる〈HAGI STUDIO〉さんが運営されています。
4年前、私たちが〈HAGISO〉(古い民家を改修したカフェや
ギャラリーなどの複合施設)を訪れたのが最初の出会いで、
HAGI STUDIOの方々も小豆島へ来てくれたり、
私たちも東京へ行くときはお店に立ち寄ったり、
そんなご縁で〈HOMEMAKERS〉の野菜やシロップを使ってくださっています。

2019年12月にオープンしたばかりの〈西日暮里スクランブル〉。

西日暮里駅のすぐ目の前にあって、毎日たくさんの人が行き来します。
造本作家でありグラフィックデザイナーである駒形克己さんは、
わたしの本づくりの指針となる存在だ。
駒形さんはニューヨークでデザイナーとして活躍し、
帰国した後に〈ワンストローク〉という会社を立ち上げ、
以来、独自の本づくりを行ってきた。
15年ほど前に取材をさせていただいたのがご縁で、
その後、何度かお目にかかる機会があり、
駒形さんの本づくりの姿勢に刺激を受けたことが、
自分なりの出版活動を行う始まりとなった。
そんな駒形さんのこれまでの足跡を紹介する『小さなデザイン 駒形克己展』が、
11月23日から東京の板橋区立美術館で開催されている。
開催予定を知ってから、わたしは展覧会を心待ちにした。
これまで駒形さんの活動に断片的に触れる機会があったものの、
表現がどのように展開していったのかを全体を通じて見たことはなかったからだ。

2019年6月、大規模改修を終えてリニューアルオープンした板橋区立美術館が会場となった。
展覧会でまず注目したのはニューヨーク時代のデザインの数々だ。
駒形さんは、日本デザインセンターに所属していたグラフィックデザイナーの
永井一正さんのもとで3年間アシスタントを務めたあとに渡米。
ロスで作品制作を行い、ニューヨークへと渡り、
アメリカ3大ネットワークのひとつCBSで
デザイナーとしてのキャリアをスタートさせた。
CBSの採用は狭き門だったが、駒形さんはこのときある作戦を立てたという。
これまで、ニューヨークでさまざまな企業に出向き、
自分の作品を収めたポートフォリオを秘書に預けてきたが、
なかなか面接にこぎ着けることができなかった。
そこで、これまでつくってきた大判ファイルのポートフォリオではなく、
あえて小さなスライド集を用意するというアイデアを思いついたそうだ。
「CBSに電話をすると、いつものように
ポートフォリオを置きに来てくださいと言われたのですが、
自分のポートフォリオは小さ過ぎてなくされると困るからと伝えると、
なんと直接ディレクターに見てもらえることになったのです」(展覧会図録より)
そこで駒形さんは、自分の作品を撮影したスライド集を
小さなパッケージに詰めてプレゼンテーションに臨んだそうだ。
面接したディレクターは駒形さんの作品をとても気に入り、採用となったという。

ロス時代に制作したコラージュ作品。原画は失われてしまったそうだが、残っていたスライドから作品を再現した。

CBSでの面接に持参したスライド集。小さなスライドに黒い厚紙でフレームをつけてある。
このエピソードは、駒形さんがキャリアをスタートさせたときから、
既存の常識にとらわれない自分なりの視点を持っていたことをうかがわせる。
その視点は絵本づくりを始めてからも変わることなく、
通常の絵本の形に留まらないカードタイプのものや、
さまざまな方向に折ってたたまれたものなどがあったり、
科学や自然の事象をシンプルな言葉と形で伝えるものがあったりなど、
数え上げれば切りがないほどだ。

ファッションブランド〈ズッカ〉のロゴは、駒形さんが帰国してからの仕事。案内状やタグなどのデザインも手がけている。
南北に長く、地域によって異なる気候区分に属する日本。
だからこそ、その風土を生かした、地域ならではの保存食が根づいています。
山の恵みや、海の幸にひと手間加え、長い冬を乗りきるための工夫。
おいしいものを、さらにおいしく食べるアイデア。
その技術や伝統は、今でも私たちの食生活を支えています。
先人の知恵には、頭が下がるばかり!
今回は、全国の皆さんから集まった
ユニークな「保存食」をご紹介します。

世界自然遺産「知床」を有する最果てのまち、羅臼町。
海・川・森の生命のサイクルがもたらす恵の地であるため、
1年を通して豊富な海産物が水揚げされます。
アクセスがよいまちではないからこそ生まれる保存食がいくつもあり、
今回はその中のひとつ「開きダラ」をご紹介します。

浜で天日干しし、熟成を重ねる開きダラ。
タラは、体の8割以上を水分が占めるため、足がはやく、流通には不向きな魚。
ですが、羅臼のおいしいタラを全国へ届けたいという思いから、
加工方法を模索し、流通できるようにしたのが開きダラ。

開きダラ加工で大賑わいだった、昭和初期の風景写真。(提供:羅臼町郷土資料館)
絶妙な塩加減に調整した塩水に漬け、天日で平干し。
何日もかけて干し、表裏表と繰り返し、じっくり仕上げていきます。
形を整え、重石で押さえ、熟成を重ね、
最後に浜で仕上げ干しを何日も繰り返し、ようやく完成。
2週間以上かけてつくる昔ながらの製法を守り続ける文化が、羅臼には残っています。
開きダラは、噛めば噛むほど口の中に広がる旨みがあり、
料理で使うときには、水で戻して使うことで、
タラ本来の旨みを最大限に生かすことができます。

photo & text

大石陽介 おおいし・ようすけ
1988年静岡県焼津市生まれ。大学卒業後、静岡県の小学校教諭として富士山の麓で8年勤務。うち2年間は青年海外協力隊(JICA)としてモンゴルへ。現地の小中高一貫校で先生方へのアドバイス・子どもたちへの指導にあたる。現在は、羅臼町の地域おこし協力隊として、「ソトから見た羅臼」という視点でまちの魅力を発信中。町内のあちこちへ出向き、取材から撮影、編集までをひとりでこなす。
岩見沢市の山あいの集落、美流渡(みると)地区で始めた
〈森の出版社ミチクル〉という活動。
昨年に立ち上げてから、いろいろな方に興味を持ってもらっていたが、
新刊がまったく出ないまま1年が過ぎ去っていた。
計画では昨年の夏に刊行する予定だった本が進まず、もどかしい日々を送っていた。
制作中だったのは、道南のせたな地区でオーガニックな農法で
作物や家畜を育てる5人の農家グループ〈やまの会〉に取材したものだ。
本づくりの経緯は以前の連載で書いたが、なぜ筆が進まなかったのかを
あらためて振り返ってみると、ずっと編集を続けてきたために身につけてしまった
“出版に対する既成概念”がジャマをしていたのだと気がついた。

やまの会のメンバーである村上健吾さんの牧場では、穀物飼料を与えず草だけで牛を育て、チーズをつくっている。牧場からは海が見渡せる。
この本のテーマとしたのは「死」。そしてその先に見える「生」だ。
やまの会のメンバーで家畜を育てている、
大口義盛さん、村上健吾さん、福永拡史さんは、
愛情を持って育てた動物たちを、やがては屠畜(とちく)に出すという
自らの仕事を通して「死」と向き合い続けてきた。
また、大豆やお米を主に育てる富樫一仁さん、
多彩な品種の作物を育てるソガイハルミツさんも、
自然の営みに日々寄り添うことで、「死」に対する独自の観念を持っていた。
やまの会のメンバーが考える死についてとことん深めたい。
そう思いながらインタビューの音声を文字に起こし、執筆にトライしていたのだが、
どこからともなく「死なんて重たいテーマに読者は興味を持ってくれるのだろうか?」
「エンターテイメントの要素も必要ではないか?」という考えが
ふつふつとわいてくるのだった。
こんなふうに、ひと目でわかりやすいキャッチーさと、
帯の言葉になりやすい打ち出しの強さが大切という、
商業出版で染みついた思考にとらわれてしまうこともあった。

インタビューの音源は手書きで起こした。手書きのほうが、大切な部分は文字を大きくしたりアンダーラインをつけたりなどがサッとできるので、自由度が高い。(撮影:佐々木育弥)
しかし一方で、いままでつくってきた本のセオリーに沿ってしまっては、
自分で刊行する意味はあるのだろうか? という考えも浮かび、
両方が頭の中で渦を巻いて、まったく着地点が見出せなかった。
普段であれば、仮にさまざまな迷いがあっても“締め切り”に合わせるのだが、
自分で出すとなれば、安易に落としどころを見つけず時間をかけてもいいわけで、
そのためアイデアが浮かぶまでじっと待ったり、
とにかく手を動かしたりというのを断続的に続けていった。
北海道岩見沢市の美流渡(みると)に移住した來嶋路子さんが、
いまとても気になっているというのが、
美流渡のお隣、毛陽というエリアで始まった
〈Maple Activity Center(メープルアクティビティセンター)〉。
今回はその活動と、アクティビティセンターを立ち上げたメンバーたちを取材しました。

札幌から車で約1時間、岩見沢市街地から車で約20分のところにある〈メープルロッジ〉。
岩見沢市の自然豊かなエリア、毛陽に佇む宿〈ログホテル メープルロッジ〉。
総面積20万平米という広大な敷地には、屋外テニスコートと屋内テニスコート、
りんごや桃などが収穫できる果樹園などもある。

一歩足を踏み入れると、開放感のあるホールが。太い丸太を柱や梁に使ったログハウス風ホテル。

スイートルーム「ホワイトバーチ」は広々として家族で泊まるのに最適。4名利用で1名13550円~(税別)。
以前から宿泊施設だったが、老朽化した設備などを一新し、
2018年4月に大幅リニューアル。料理も北海道産の食材にこだわるなど、
よりこの地域の魅力を生かす宿に生まれ変わった。
天然温泉や本格的なフィンランド式サウナも備え、グランピングも楽しめる快適な宿だ。

敷地内には菜園もあり、ここでとれた野菜やエディブルフラワーもレストランの料理に使用されている。
そのメープルロッジのフィールドで、4輪バギーなどのアクティビティを提供するのが、
〈Maple Activity Center(メープルアクティビティセンター)〉だ。
ここでは4輪バギーで公道を走ることはできないが、
免許はなくてもスタッフの講習を受け、広大な敷地の中を駆け巡ることができる。
近年、各地で人気が高まっているアクティビティだ。
ほかにも「焚き火カフェ」や地域の歴史を知ることができるようなサイクリング、
冬はスノーシューなど、このエリアで楽しめるアクティビティを企画、実施している。

4輪バギーはバイクのような乗り物だが、4輪でバイクよりも安定感がある。
このアクティビティセンターを立ち上げたのは、
イラン出身でアメリカ育ちのスティーブン・ホジャティさん。
「ここは草地が広がる広場もあるし、4輪バギーだったら
この敷地内でも楽しめるんじゃないかと思いつきました」
12歳未満の子どもは大人と同乗すれば乗車できるので、
家族でも、大人同士でも楽しめると好評だ。
いよいよ年末ですね。
2019年も残すところわずかになりました。
毎年この時期は野菜の収穫・出荷も多く、生姜の加工作業などもあり、
私たちはバタバタ。まさに師走。正月休みが待ち遠しい〜。
さてそんな年末、今回は私の故郷のことを書こうと思います。

岡崎で60年以上続く朝市「二七市(ふないち)」。小さい頃によく行きました。私にとって懐かしい風景。
私はすっかり小豆島の人として、小豆島での日々のことを書き続けているわけですが、
生まれは愛知県の岡崎市というまちです。
岡崎市というと、徳川家康の生誕地、八丁味噌の産地、
自動車関連産業が盛んなまちなど、いろんなイメージがあると思います。
愛知県の真ん中あたりにあって、田舎でもなくて、
かといって大都市でもない地方のまち。
2030年くらいまでは人口がゆるやかに増えていくと予測されていて、
人がたくさんいる元気で豊かなまちなんじゃないかなと思います。
地元の高校を卒業し、岡崎を離れて20年以上になりますが、
昨年から〈岡崎カメラがっこう〉という企画を通して
岡崎に関わらせていただいています。
私が岡崎出身だと知っていた知人が声をかけてくれたのがきっかけで昨年から始まり、
今年で2年目になります(経緯の詳細は、こちらの記事を読んでくださいね)。


家具屋さんだったビルを改修したカフェ〈wagamama house(ワガママハウス)〉さんをお借りしてカメラ講座。

〈小豆島カメラ〉もサポートしていただいているオリンパスさんが参加者全員にミラーレス一眼レフカメラを貸し出してくれました。
岡崎カメラがっこうは、カメラを片手にまちをめぐり、まちの人たちと話し、
まちの人の写真を通じて岡崎の魅力を発信・再発見するプロジェクトです。
私が小豆島で活動している〈小豆島カメラ〉と共通する部分が多く、
その経験を踏まえて、どんな思いでどんなふうに活動してるかを伝えながら、
カメラの使い方なども含めてお話したり、一緒にまちを歩いて撮影したりしています。

カメラを持って岡崎のまちにある製造メーカーやお店を訪ねます。

どんな思いでお店をされているのかなどお店の方とお話したり。

農園の生産者さんにお話をうかがったり。

まちから山の中まで岡崎のいろんな場所を訪ねます。
徳島県と香川県の県境に近い、美馬ICから山側へと車を走らせる。
山肌がぐんぐん迫るなか、山道を走り続けること20分。
やがて目前に広がるのは、稜線と空だけ……。標高600メートル。
四国山脈の美しい山あいに2019年8月、日本初であり、アジアでも初となる
“循環型”オフグリッド住宅〈アースシップ〉が完成した。
この家は、2020年の春、ゲストハウスとしてオープンする予定で、
それまでの間、施主の倉科智子さんがこの家で暮らしている。
倉科さんは2015年に、神奈川県からここ徳島県美馬市に移住し、
“妄想”でしかなかったアースシップの建設を実現した。
「どうなっているの?」「見たい!」という声も多く、
ここ、日本で唯一のアースシップでは、見学ツアーも受け付けている。
〈アースシップ〉とは、アメリカのニューメキシコ州タオスに拠点を置く建築家、
マイケル・レイノルズ氏が1970年代からアメリカを中心に建て始めた住宅スタイル。
トライアル&エラーを繰り返しながら独自の工法を確立し、
〈アースシップ・バイオテクチャー社〉を設立、
今では世界中でおよそ3000棟が建設されている。
〈アースシップ〉の特徴をまとめると、
【特長その1】太陽光や風力などの自然エネルギーで電気を自給自足する(オフグリッド)。
【特長その2】生活用水は雨水でまかなう。
【特長その3】おもな建築資材がいわゆるゴミ。廃タイヤや空き缶、空き瓶を使う。
【特長その4】デザイン性に富み、美しい。
これらを兼ね備えた、ほかに類を見ない家なのだ。

木の板を並べたアプローチを進み、その姿が現れると、まるでおとぎ話の世界に迷いこんだような錯覚に陥る。一方で、裏山と調和し、ずっとそこにあったかのような佇まい。
自然エネルギーが循環している仕組みから紹介する。
まずは水。飲料水・生活用水は雨水。屋根で集水した雨水を貯水槽にため、
何度もろ過して塩素を加えたのち、台所やお風呂、洗面所などで使用する。
台所以外の生活排水は室内に設けられた菜園の根元を通るように設計され、
排水に含まれる養分を吸収して野菜や果物などの植物を育てている。
そして最後は、水洗トイレの水として使われる。

家の裏側に回ると、円墳のような屋根がふたつ。雨水を受ける堤を設け、底に敷き詰められた砂利によってろ過された雨水が地中に埋められた貯水槽に流れ込むようになっている。

冷蔵庫も洗濯機も完備。都会での暮らしと変わらない快適性を維持している。
1か月4万円で、全国に自分の家が25か所以上あったら?
想像してみるとワクワクする話。
そんな“住み放題”という夢のような仕組みを実現したのが〈ADDress〉である。
「モノからコトへ、所有から利用へ」とはサブスクリプションモデルを語るときに
よく使われる言葉であるが、それがとうとう住居というジャンルにまで到達したようだ。
「ミレニアル世代が中核を担うようになってくる2035年頃になると、
デジタルノマドの人口が10億人規模になるという予測があります。
総人口の10%程度になってくると、
彼らに合わせた固定の家を持たない多拠点生活が増えていくのではないかと思います」
と言うのは、ADDressを立ち上げた佐別当隆志さん。

〈シェアリングエコノミー協会〉の理事でもある佐別当隆志さん。
どこでも情報発信できるこの時代に、一番縛られているのが住居や住所。
場所に縛られないライフスタイルは、その人の可能性をもっと広げてくれるのではないか。
「地域で“生産”する人を増やしたいと思っています。
観光客が入れ替わり訪れても、地域の人と交流するわけではありません。
それよりは地域とのコミュニティ創出に力を入れたい。
だからハードよりもソフトに力を入れています」
多拠点生活ということで、
たくさんの住居を整えるハードを中心としたサービスと思いきや、
実はそこで行われるコンテンツなどのソフト面が重要だと語る。
よく見てみると、ADDressのサービスはすべてがそういった思想をもとに
設計されているようだ。
まず、ADDressはゲストハウスやホテルではない、つまり宿泊ではない。
あくまで「住む」ということ。利用者は都度、宿泊代を払うのではなく、
ADDressの全会員が、すべての物件に対して共同で賃貸借契約を結んでいることになる。
「私自身が自宅をシェアハウスにしていた体験から、
日本では、滞在型・交流型の民泊や宿は難しいと感じました。
その代わり、日本の法律のなかで地域と交流できるモデルを考えたのです」

日南市の油津商店街にあるADDress。20年近く閉まっていた角地にオープン。
全国に点在する「拠点」は、画一的ではなく、
それぞれのローカルの特徴が活かされている。
どの場所に、何日住んでも定額だが、1か所には最大連続7日間まで。
日数の上限を設けているのは、まずは多くの人にいろいろな地域を見てもらいたいから。
“旅行以上定住未満”という関係人口の創出や、流動性を促したいという目的だ。
「最近では観光案内所ではなく、
“関係案内所”のようなものをつくる自治体も増えています。
単なるおいしいお店や見どころを紹介するのではなく、
“おもしろい人”を紹介する。地域に住んでいる人自体が魅力だからです。
また会いに行きたいと思わせるような魅力が、継続的な関係性を生み出します」

ADDress日南邸の部屋。木の香りにあふれている。
サッカー選手、公務員、YouTuber……。
いまどきの小学生が将来なりたい職業といえばこんな答えが思い浮かぶ。
だが、山口県の光市には「地域コーディネーターになりたい」と
キラキラとした表情で話す小学生がいるという。
小学校高学年の子どもたちが
「まちの良さをもっと広めたい。そのためにはどうすればいいか」と考えている。
日本全国、地元に愛と誇りを持つ人は少なくないが、
光市では段違いの郷土愛が育まれているようだ。
こうした状況を支えているキーパーソンのひとりとして、
佐々木淳志さんの名前が挙がった。
佐々木さんは、会社員として企画・広告の仕事に携わるかたわら、
光市PTA連合会会長、島田中学校PTA会長、島田中学校〈おやじの会〉会長、
自治会の会長、〈光市おせっかいプロジェクト〉代表など、
いくつもの地域活動に力を入れている。
それぞれの地域活動が相互に作用し合う、
佐々木さんならではの在り方、そして働き方を聞いた。

光市の人口は約5万人。
岡山県倉敷市出身の佐々木さんは、
奥様による度重なるお国自慢がきっかけで、2006年に家族で光市へ移り住んだ。
「妻のお国自慢もそうですけど、
きっかけは光市に遊びに行ったときの印象が大きいかもしれません。
花見や忘年会などお酒の席によく呼んでもらったんですけど、
地域のおじいさんたちや議員さんが
『まちのためにはもっとこうしたほうがいんじゃないか』と熱く語っていました。
僕の地元では誰かが地域のことを話しているのを耳にしたことがなかったので
『なんだ、このまちは……!』と驚きました」
また地域の子どもたちを我が孫のようにかわいがってくれる
おじいちゃんやおばあちゃんの姿を見て、子育てに対しても好印象だったそう。
長女15歳、次女13歳、三女5歳、の三姉妹を育てる佐々木さんが、
PTA活動に関わるようになったのは、長女が小学校3年生のときだった。
「PTAをやるまで知らなかったんですけど、
山口県はコミュニティ・スクールもすごいんです」
コミュニティ・スクールとは保護者や地域の人々が学校運営に参画することで、
地域とともに子どもを育てていく取り組みのこと。
地域住民が生徒と合同で早朝にマラソンを行ったり、地域行事を一緒に開催するなど、
お互いが密に関わり合っている。
小中学校におけるコミュニティ・スクールの導入率は、
全国平均が23.7%であるのに対して、山口県は100%の導入率を誇る。
特に光市と萩市はモデル地区として全国でも先行してスタートしており、
地域が一体となって熱心に取り組んできた背景がある。

末っ子が5歳で保育園の年長なので、少なくともむこう9年間はPTAやコミュニティ・スクールなどで地域の子どもたちをがっつりサポートしていきます(笑)」と佐々木さん。
「たとえば浅江小学校では5年生の宿泊学習を2泊3日でやるんですけど、
地元のおじいちゃんたちが10人くらい来て、
泊まり込みで3日間ずっとサポートしてくれるんです。信じられないですよね」
加えて、市内のすべての小学校では登下校時も
「見守り隊」と呼ばれるおじいちゃんたちが常時5、6人そばにいてくれるそうだ。
「僕の住んでいる町内の見守り隊方は13年くらい毎日、
朝も夕方も低学年の子どもたちと一緒にいてくれて。
そのおじいちゃんは先日亡くなってしまったのですが、お葬式には卒業生、現役の児童、
さらに保護者までものすごい人数の人が参列していました」
「子どもたちにいろんな体験をさせてやりたい」「地域のことを教えたい」と願う、
心あたたかな光市のおじいちゃんおばあちゃんとコミュニティ・スクールの仕組みは
抜群に相性がよかったようだ。
生姜! ショウガ! しょうが!
11月上旬から始まった生姜の収穫、加工作業。
ほぼ毎日、島の友人たちに手伝いに来てもらってワイワイ作業しています。
収穫が始まってから1か月が過ぎ、ようやく終わりが見えてきました。ほっ。

4月から11月までの8か月間、土の中で育った生姜を収穫。

ジンジャーシロップをつくるために、収穫後すぐに洗います。
私たち〈HOMEMAKERS〉は、年間80種類くらいのいろんな野菜を育てています。
一年中なんらかの野菜が収穫でき、日々、家の食卓に並びます。
いまの時期だとにんじんや大根、里芋、さつまいもなどの根菜類、
レタスやキャベツ、白菜などの葉物野菜。
12月はもりもり冬野菜シーズンです。

色とりどりの野菜たち。生姜作業の日のまかないごはん。
そんな野菜の中でも、時間と手間をかけて育てているのが生姜です。
なんで生姜? 小豆島って生姜の産地なの?
と思われるかもしれません。小豆島は生姜の産地じゃないです。
誰かにすすめられたわけでもないです。
小豆島に引っ越してきた頃、体の冷えが気になっていて、
体を温めてくれる生姜を育てたいなぁ、
その生姜でジンジャーシロップをつくれたらいいなという個人的な思いから始めました。
2013年4月に初めて生姜を植えたときから始まって、
今年で生姜の栽培は7年目になります。

7年前、いろは(娘)も一緒に種生姜を初めて植えました。
生姜の栽培は春から始めます。
生姜はじゃがいもや里芋などと同じく、
種生姜、親生姜などと呼ばれる生姜そのものを植えます。
毎年4月頭にこの植えつけ作業をします。

4月、生姜の植えつけ作業。

ちょうどいい大きさに種生姜をカット。

ひとつひとつ手で植えていきます。
すがすがしい醸造所の様子を見た瞬間、
「この人がつくるビールはきっとおいしいに違いない」と確信した。
ここは2年ほど前に開業した、岩国市で初となるクラフトビールの醸造所
〈ARCH BREWERY(アーチブルワリー)〉である。
この岩国市は錦帯橋で有名だが、旭酒造や村重酒造など5つの名蔵元をもち、
あまたの“のんべえ”憧れの酒どころとしても知られる。
そんな酒の聖地で、岩国市出身の柳昌宏さんはなぜこの醸造所を始めたのだろうか。

岩国市の風景。

醸造所はJR岩国駅から徒歩10分、まちの中心地付近にある。
カラフルなオレンジ色のビルの1階を訪ねると
すらりと背の高い〈ARCH BREWERY〉代表の柳昌宏さんが出迎えてくれた。
引き戸を開けると広がる、ぱっと見15坪ほどのコンパクトな醸造所。
クラフトビールのなかでも特に独立性が強く、
小さな規模である“マイクロブルワリー”然としている。

全商品5本を並べると錦帯橋が現れる仕掛けというのがいい。
〈ARCH BREWERY〉は、ホップと柑橘が豊かに香る〈ARCH IPA〉など
全5種類をラインナップ。山口県周防大島のミカンを副原料として使用するなど、
地域の素材も積極的に取り入れる。
米軍基地のある岩国らしいインターナショナルな雰囲気もまた
ビールをおいしくしているかもしれない。
そんな生まれも育ちも岩国の柳昌宏さんに〈ARCH BREWERY〉を巡る物語をうかがった。

柳昌宏さん。関西在住時は映画の助監督をしながら、夜は動画制作やライブの撮影をしていたそう。そのときの縁がきっかけで、OEMなどを通してお客さんになってくれている人も多い。
大学進学を機に、地元・岩国を出て関西で暮らしたという柳さん。
経営学部で学び、卒業後は映画の助監督として弟子入りしたそう。
「大学まで出してもらったのに親不孝な道を進みました。
そうしているうちに父が病に倒れまして。
当時、僕はお金にならないことをやっていたし、弟の昌仁も県外でプラプラしていたので、
ふたりで一緒に岩国に戻って来ました」
こうして柳さんは2012年にUターンした。
長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。
年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。
東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。
その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。
そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

瀬能笛里子さんが営む〈てぬぐいカフェ 一花屋(いちげや)〉は、江ノ電が目の前を走る人気のフォトスポット「御霊神社」のすぐそばにある。
東京から電車で約1時間という距離にありながら、
山や海などの自然を身近に感じられる鎌倉には、
都心では実現できない暮らしを求めて移住してくる人たちがあとを絶たない。
そのためか鎌倉のまちにはユニークなかたちで、
自らの「暮らし」を探求している人たちが少なくない。
江ノ電の長谷駅から少し歩いたところにある古民家で、
〈てぬぐいカフェ 一花屋〉を営む瀬能笛里子さんもまた、自らの暮らしと向き合い、
その延長線上でさまざまな発信を続けている女性のひとりだ。

鎌倉で生まれ育ち、結婚・出産を経て、理想とする江戸時代の
「慎ましくも豊かな暮らし」を体現する飲食店を始めた彼女は、
お店を通じて、思いを共有できる地域の仲間たちとつながり、
やがてその活動は、まちへと広がっていく。
東日本大震災後には、鎌倉のまちで反原発のパレードを継続的に行うようになり、
〈イマジン盆踊り部〉というユニークな活動も始まった。
さらに、盆踊り部のメンバーらも参加する「塩炊き」など、
自給自足を実践するためのさまざまな取り組みを行っている。
「市民活動」というかたちを通して、自らが思い描く
社会や暮らしのあり方を発信することからスタートした瀬能さんはいつしか、
より日常のそばにある暮らしの実践を通してメッセージを伝えるようになり、
共感者を増やしてきた。
そんな瀬能さんに話を聞くために、彼女の暮らしの最前線の場である一花屋を訪ねた。

毎年データを上書きするかのように、さまざまな災害に見舞われる日本。
各地の河川で大氾濫を引き起こした「令和元年台風」も記憶に新しく、
命を守る行動について、考えを改める機会が多くなっています。
そんな経験や得た教訓を、さまざまな“かたち”で伝え、生かす地域があります。
悲しい記憶を、前向きに伝えようとするアイデアや工夫は、
いつの間にか、地域に愛される“文化”になっていくようです。
今回は、全国の皆さんから集まった
「共有したい防災アイデア」をご紹介します。
日本三霊山のひとつである白山を源に、日本海へと注ぐ手取川は、
急流として知られ、かつては氾濫を繰り返していました。
治水技術の発達で氾濫が抑えられるようになり、
流域では洪水のことも忘れつつあった昭和9年のこと。
悪い条件が重なって、手取川は氾濫し、未曾有の大災害を起こしました。

普段は穏やかな手取川の流れ。
その災害のことを風化させないため、
発生した「昭和九年」を名前にしたお菓子が売られています。
こちらをつくっているのが、手取川の流域、能美市にある〈御菓子處たなか〉。
昭和61年からかれこれ30年以上、この郷土銘菓をつくり続けています。
お菓子の名前にして災害を忘れさせないという発想に驚かされますが、
茶道や和菓子の文化が根づいている石川県だからこそ、ともいえそうです。

御菓子處たなかの店内。店舗は12月にすぐ近くに移転予定。
最中に大納言小豆の餡、カステラ、バタークリームがサンドされた和洋折衷のお菓子。
甘さ控えめで重たくなく、ずっと食べ続けていられるような、
誰にでも愛されるおいしさです。

〈手取川 昭和九年〉1個175円(税込)。日本茶だけでなく、紅茶やコーヒーにもよく合う。
手取川の氾濫は、災害だけでなく、
一方で能美市の名産〈加賀丸いも〉が育つ土壌という恵みも与えてくれました。
「水を大切にしなさいということだと思っています」
と御菓子處たなかの田中さんは言います。
その言葉を聞き、水や川への関心を高めることが、防災の第一歩なのではと思いました。
information
御菓子處たなか
住所:石川県能美市徳久町ナ50(※2019年12月に移転予定)
TEL:0761-51-2116
営業時間:8:00~19:00
定休日:水曜(祝日の場合は営業)
photo & text

若井 憲 わかい・けん
フリー編集者&ライター。神奈川県生まれ、石川県在住。旅行雑誌の編集者を経て、1999年に家族とともに、Iターンで石川県へ移住。地に足がついた情報発信ができるローカルメディアのおもしろさを知る。編集長を務めていた季刊誌の休刊を機に、2018年からフリーとなり、北陸の魅力を広く伝えることに力を注ぐ。製本家の妻がつくる豆本ではイラスト描きも。Web:豆本工房わかい
北海道岩見沢市の山間地、美流渡(みると)に移住した編集者の來嶋路子さんと、
彼女の仲間の移住者たちを訪ねた旅。
今回は、自らも下田に移住し、「暮らしを考える旅 わが家の移住について」を連載中の
フォトグラファー津留崎徹花さんと來嶋さんによる、
それぞれの暮らしと移住についての対談をお届けします。

徹花: 來嶋さんは東京から最初は岩見沢市の中心地に移住したんですよね。
そのあとさらに奥地である現在の美流渡に移住したのはなんでだったんですか?
來嶋: 友人と一緒に山の土地を買って、そのときはまだその山に
家を建てたいという気持ちがあったんです。
そこはまちからだと少し遠いので、もう少し近くから
山に通って整備などができたらいいなと思っていたら、空き家があるよと言われて。
じゃあ住んじゃおうかなって。
山も、安いから買っちゃおうかな、みたいな感じでした。

美流渡からほど近いエリアに8ヘクタールの山の土地を購入した來嶋さん。今後の使い道は「ノープラン」だそう。それでも、山が荒れたまま放置されているより、誰かがその土地を引き継ぐことが大事なのでは、と話します。
徹花: え、そんな軽いノリだったんですか(笑)。
來嶋: そうそう。そのほうが楽しそうだし。
とにかく新しいことにワクワクしていたいんです。
夫は「えー!?」という反応でいつも迷惑そうですが。
〈森の出版社ミチクル〉を立ち上げたのも、
ここで出版社をつくったら楽しそう! と思って。
「雪深い山奥でひとりで本をつくってる変わった人がいるんだ、
じゃあ本でも買ってやるか」なんて本を買ってくれる人がいるかもしれない。
ここでなら出版社ができるかも、と思ったんです。

山にはカラマツ1000本、ヤチダモとミズナラを500本ずつ植林しました。
徹花: 最初から移住して出版社をやろう、という感じではなかったんですね。
來嶋: 全部あとづけです。移住するのにビジョンってありました?
私は全然なかったんです。
徹花: 私も夫もなんとなくありました。
自分たちが食べるものも自分たちでつくってみたいとか。
いまコロカルでやっている連載の前に「美味しいアルバム」という連載もしていて、
各地のお母さんたちに郷土料理を教えてもらうというものなんですが、
私は東京生まれ東京育ちで、田舎の人の暮らしの知恵にすごい憧れがあったんです。
來嶋: わかります、私もずっと東京だったので
漠然とした田舎暮らしに憧れはありました。
ただ私が移住したきっかけは、東日本大震災です。
田舎で暮らしたいというよりは都会から離れたいという気持ちが高まって、
半年後に夫の実家のある岩見沢に来ました。

徹花: 今回、ほかの移住者の方たちともお会いして、
みなさんとても仲が良くて楽しそうですけど、地元の人との交流は?
來嶋: ご近所のみなさんにはいつも支えてもらっています。
もちろん移住者に興味を持ってくれる人もいるし、
打ち解けにくい人もいると思いますし、移住したらどこでも、
噂をされたり、誤解を受けたりということは少なからずありますよね。
徹花: それはそうですよね。
來嶋: そんななかで、この地域の人たちはとっても柔軟な考えがあると思います。
感動したのは、廃校になった小中学校の利活用の問題を話し合う場で、
町会長さんたちが、移住者の人たちが使いやすいような、
まちがにぎわうような場所にしてくれたらうれしいとおっしゃっていて。
広い心でわたしたちを受け入れてくれていることがすごくうれしかったです。
徹花: それはすばらしいですね。
來嶋: このあたりはだんだん移住者が増えていて、
みなさん個性的な経歴を持っています。
「ちょっと変わった人」(笑)と思われそうですが、まちの人たちはフランクだし、
まちが活性化していることに可能性を感じてくれているようです。
しかも、自分たちももっとまちのことを考えなきゃいけないよね、
みたいな感じになってきてるんです。
昨日も、私の講演会に美流渡の町会の方が来てくださって、
そういう移住者にやさしいところは、すごくありがたいです。
徹花: たしかに、地元の人の応援ってありがたいですよね。
來嶋: 「がんばりなさいよ!」って私の本を買ってくれたりとか、
本当にうれしくて。ああいう感じは東京では味わったことないですね。

この対談の前日、岩見沢市主催の「ステップアップ講座」で來嶋さんが講師として登壇し「小さな集落『美流渡』だからこそできる、新しい出版活動」をテーマに講義。ステップアップではなく、ステップダウンでも楽しく生きていけるんじゃないかと來嶋さんは提案。既存のシステムとは違う、新しいローカルの経済やクリエイティブのかたちがあるのではという話に、みなさん熱心に耳を傾けていました。
小豆島にはいくつかキャンプ場があります。
施設が充実していていろんなスタイルを選べる〈小豆島ふるさと村キャンプ場〉、
海のすぐそばにある〈小部キャンプ場〉や〈田井浜キャンプ場〉、
天然温泉を楽しめる〈小豆島オートビレッジYOSHIDA〉などなど。
海も山もすぐそばにあって、おまけに天然温泉も島内に何か所かあるので、
小豆島でキャンプ! おすすめだったりします。
先日、そんな小豆島のキャンプ場の中のひとつ、小豆島オートビレッジYOSHIDAで、
「小豆島アウトドアフェスティバル」というイベントが開催されました。

今年初開催の「小豆島アウトドアフェスティバル」。

会場となった〈小豆島オートビレッジYOSHIDA〉は人気のキャンプ場。
小豆島アウトドアフェスは、岡山県玉野市と小豆島を舞台とした
クライミングと音楽の複合型フェス「瀬戸内JAM」の一環。
瀬戸内海を目の前に臨む玉野市には、
王子が岳というすばらしい景観に恵まれたエリアがあり、
このエリアは海の眺めが美しいだけではなく、
40年以上も前に開拓されたボルダリングスポット。
このエリアの魅力をもっとたくさんの人たちに知ってもらい、
瀬戸内エリアのツーリズムにつなげていきたいという思いから、
瀬戸内JAMは始まりました。2018年から始まり、
2回目となる今年から小豆島も新たな舞台として加わりました。
今回の小豆島アウトドアフェスは、
小豆島のクライミングジム〈ミナウタリ〉の渡利知弘さん、みきさんご夫婦を中心に、
ジムに通う皆さんで準備・運営をされていました。

会場に設置されたボルダリングウォール。いつかあの奥にある岩を登る日が来るかも。

登るのってシンプルで楽しい。小さな子どもたちがずっと遊んでました。
小豆島には岩場があちこちにあって、
昔から小豆島にクライミング目的で来られる方も多いのですが、
島で暮らす人で、クライミングの場としての小豆島の魅力、
小豆島の山や岩場の魅力をを知って楽しんでいる人はあまり多くありません。
こんなにもすばらしい環境で暮らしているのにそれはもったいない。
まずは外で遊ぶことの楽しさに気づいてもらいたい、
クライミングのフィールドである「吉田の岩場」に足を運んでもらって
理解を深めてもらいたいという思いから、
吉田の岩場のすぐそばにあるキャンプ場、小豆島オートビレッジYOSHIDAを舞台に
小豆島アウトドアフェスを開催することにしたそうです。

家族で遊びに来てくれてる方がたくさんいました。

スラックラインで遊ぶ子どもたち。
2011年の東日本大震災後、北海道岩見沢市に移住し、
いつかいろいろな人が集まったり滞在できるような
エコビレッジをつくりたいという夢を持つ來嶋路子さん。
この連載「うちへおいでよ! みんなでつくるエコビレッジ」も開始から4年余り、
ついに100回を迎えました。
そこで、100回記念特別企画として、
下田に移住し「暮らしを考える旅 わが家の移住について」を連載中の
津留崎さん一家と編集部が岩見沢へ赴き、
來嶋さんと仲間の移住者たちを取材してきました。
いま來嶋さんが暮らしているのは、岩見沢市の中心地から少し離れた、
かつて炭鉱で栄えた山あいのまち、美流渡(みると)。
今回は、これまでも連載に登場してきたみなさんを、あらためてご紹介します。


まずは上美流渡にあるパン屋さん〈ミルトコッペ〉へ。
天然酵母を使い、窯で焼き上げたパンは、地元の人だけでなく、
札幌など遠方からも買いに来る人がいるという人気。
札幌で会社員をしていた中川達也さんが、
21年前に会社員を辞めてこのお店を始めたそう。
「なんでここでパン屋をやろうと思ったか? 忘れちゃったな(笑)」
とはぐらかす達也さんですが、当時ボロボロだった建物を自ら改修し、
レンガで窯をつくってお店を始めた熱意は並々ならぬものがあります。

來嶋さんと中川達也さん。新店舗も完成間近。屋根は、札幌の時計台などでも使われている菱葺き屋根という工法。さすがにこれは職人さんにお願いしたそう。
その店舗もだんだん古くなってきたので、
現店舗の隣に、来年4月のオープンに向けて新店舗を建設中。
石を積んで基礎をつくり、壁を漆喰で塗るなど、
日々のパンづくりと並行して10年がかりでつくってきたそうです。
「今年の冬前くらいから新店舗でパンの試作を始めようと思います。
現店舗と同じように窯をつくったけど、天然酵母は環境が異なると
どう変わるかわからないですからね」と達也さん。

工事中の新店舗を特別に見せてもらいました。建築関係の仕事をする津留崎鎮生さんも興味津々。
達也さんが焼いたパンはほんのりと香ばしく、もっちりした食べ応えがあり、
とてもおいしい。開店と同時にお客さんが訪れ、
昼前には売れ切れてしまうというのも頷けます。

薪を使って焼き上げるレンガづくりの窯も達也さんがつくったもの。コッペパンはプレーン、豆、レーズン、くるみ、ごま、あんぱんなどのほか、食パンも。
続いて、達也さんのご自宅である〈美流渡の森の山荘〉も案内してくれました。
歩いて数分のところにあるこの山荘は、かつて別荘として使われていた、
森の中に佇むすてきなログハウス。
あくまで自宅なので公開はされていませんが、
リンパドレナージュセラピストである、達也さんの奥さんの文江さんが
サロンとして使用したり、服の展示会をしたり、
庭で月に1度、神奈川から先生を招いて太極拳をするなど、
イベントの会場となることも。

柱や梁など立派な木材がふんだんに使われた〈美流渡の森の山荘〉。こんな場所でイベントが開かれるなんて楽しそう!
文江さんは、1か月のうち1週間ほどは都内でサロンを開いているため、
この日は会えませんでしたが、自分たちらしい暮らしを求め、
実現している中川さん夫妻のライフスタイルはとてもすてきでした。

information
ミルトコッペ
住所:北海道岩見沢市美流渡 上美流渡の森
TEL:0126-46-2288
営業時間:9:30~売り切れまで(営業は4月中旬~11月末)
定休日:月・火曜
11月に入って、寒いなぁと感じる瞬間が増えてきました。
ごそごそと、いつもとは違うクローゼットの引き出しを開けて、
そうそうこれこれと引っ張り出してきたフリース、それからタイツにレッグウォーマー。
あー、温かい。気づけば季節は少しずつ秋から冬へ。
私たちの秋冬の仕事のひとつに柑橘の収穫&加工があります。
柑橘は主に冬がシーズン。
もちろん柑橘の種類によって収穫時期は異なるし、
地域によっても変わってくると思いますが、たとえば小豆島のレモンだと
10月中旬〜11月にかけてまずグリーンレモンを収穫します。
グリーンレモンというのは品種のことではなくて、
まだ黄色に色づく前の緑色の状態のレモン。
果汁は少ないですが香りが強いです。11月後半くらいから黄色く色づき始め、
12月〜4月くらいまで黄色いレモンを収穫できます。
このレモンをはじめ、小さくて丸いスダチ、ゴツゴツとして大きいダイダイ、
香り爽やかなライムなどを収穫します。

10月末に収穫したレモンと生姜。生姜は11月が収穫シーズン。

11月に入り少しずつ黄色くなり始めたレモン。このレモンの木はじいちゃんが残してくれた大切な財産。
収穫した柑橘は、そのまま販売したり、自宅やお店で
料理や飲みものをつくるときに使ったりします。
ただの炭酸水にスダチを絞って入れて飲んだり、
あ、ハイボールにもレモンやスダチは必須ですね。
料理だと、野菜のマリネをつくるときやカレーにかけて食べたりもします。
小豆島で暮らすようになり、柑橘は私たちの暮らしにとって
欠かせない存在になりました。

炭酸水にスダチの果汁をぎゅっと絞って入れるだけ。爽やかでおいしい。

料理にもよく使います。