何足ものわらじを履きこなす
光市の「ミスターPTA」
佐々木淳志さん

サッカー選手、公務員、YouTuber……。
いまどきの小学生が将来なりたい職業といえばこんな答えが思い浮かぶ。

だが、山口県の光市には「地域コーディネーターになりたい」と
キラキラとした表情で話す小学生がいるという。
小学校高学年の子どもたちが
「まちの良さをもっと広めたい。そのためにはどうすればいいか」と考えている。
日本全国、地元に愛と誇りを持つ人は少なくないが、
光市では段違いの郷土愛が育まれているようだ。

こうした状況を支えているキーパーソンのひとりとして、
佐々木淳志さんの名前が挙がった。
佐々木さんは、会社員として企画・広告の仕事に携わるかたわら、
光市PTA連合会会長、島田中学校PTA会長、島田中学校〈おやじの会〉会長、
自治会の会長、〈光市おせっかいプロジェクト〉代表など、
いくつもの地域活動に力を入れている。

それぞれの地域活動が相互に作用し合う、
佐々木さんならではの在り方、そして働き方を聞いた。

諸先輩がまちのことを熱く語らう姿にジーンときた

光市の人口は約5万人。

光市の人口は約5万人。

岡山県倉敷市出身の佐々木さんは、
奥様による度重なるお国自慢がきっかけで、2006年に家族で光市へ移り住んだ。

「妻のお国自慢もそうですけど、
きっかけは光市に遊びに行ったときの印象が大きいかもしれません。
花見や忘年会などお酒の席によく呼んでもらったんですけど、
地域のおじいさんたちや議員さんが
『まちのためにはもっとこうしたほうがいんじゃないか』と熱く語っていました。
僕の地元では誰かが地域のことを話しているのを耳にしたことがなかったので
『なんだ、このまちは……!』と驚きました」

また地域の子どもたちを我が孫のようにかわいがってくれる
おじいちゃんやおばあちゃんの姿を見て、子育てに対しても好印象だったそう。

コミュニティ・スクールが日本一の設置率

長女15歳、次女13歳、三女5歳、の三姉妹を育てる佐々木さんが、
PTA活動に関わるようになったのは、長女が小学校3年生のときだった。

「PTAをやるまで知らなかったんですけど、
山口県はコミュニティ・スクールもすごいんです」

コミュニティ・スクールとは保護者や地域の人々が学校運営に参画することで、
地域とともに子どもを育てていく取り組みのこと。
地域住民が生徒と合同で早朝にマラソンを行ったり、地域行事を一緒に開催するなど、
お互いが密に関わり合っている。

小中学校におけるコミュニティ・スクールの導入率は、
全国平均が23.7%であるのに対して、山口県は100%の導入率を誇る。
特に光市と萩市はモデル地区として全国でも先行してスタートしており、
地域が一体となって熱心に取り組んできた背景がある。

末っ子が5歳で保育園の年長なので、少なくともむこう9年間はPTAやコミュニティ・スクールなどで地域の子どもたちをがっつりサポートしていきます(笑)」と佐々木さん。

末っ子が5歳で保育園の年長なので、少なくともむこう9年間はPTAやコミュニティ・スクールなどで地域の子どもたちをがっつりサポートしていきます(笑)」と佐々木さん。

「たとえば浅江小学校では5年生の宿泊学習を2泊3日でやるんですけど、
地元のおじいちゃんたちが10人くらい来て、
泊まり込みで3日間ずっとサポートしてくれるんです。信じられないですよね」

加えて、市内のすべての小学校では登下校時も
「見守り隊」と呼ばれるおじいちゃんたちが常時5、6人そばにいてくれるそうだ。

「僕の住んでいる町内の見守り隊方は13年くらい毎日、
朝も夕方も低学年の子どもたちと一緒にいてくれて。
そのおじいちゃんは先日亡くなってしまったのですが、お葬式には卒業生、現役の児童、
さらに保護者までものすごい人数の人が参列していました」

「子どもたちにいろんな体験をさせてやりたい」「地域のことを教えたい」と願う、
心あたたかな光市のおじいちゃんおばあちゃんとコミュニティ・スクールの仕組みは
抜群に相性がよかったようだ。

1本のジンジャーシロップに
ギュッとつまった
〈HOMEMAKERS〉の1年の仕事

個人的な思いから始めた生姜づくりとジンジャーシロップ

生姜! ショウガ! しょうが!
11月上旬から始まった生姜の収穫、加工作業。
ほぼ毎日、島の友人たちに手伝いに来てもらってワイワイ作業しています。
収穫が始まってから1か月が過ぎ、ようやく終わりが見えてきました。ほっ。

4月から11月までの8か月間、土の中で育った生姜を収穫。

4月から11月までの8か月間、土の中で育った生姜を収穫。

ジンジャーシロップをつくるために、収穫後すぐに洗います。

ジンジャーシロップをつくるために、収穫後すぐに洗います。

私たち〈HOMEMAKERS〉は、年間80種類くらいのいろんな野菜を育てています。
一年中なんらかの野菜が収穫でき、日々、家の食卓に並びます。
いまの時期だとにんじんや大根、里芋、さつまいもなどの根菜類、
レタスやキャベツ、白菜などの葉物野菜。
12月はもりもり冬野菜シーズンです。

色とりどりの野菜たち。生姜作業の日のまかないごはん。

色とりどりの野菜たち。生姜作業の日のまかないごはん。

そんな野菜の中でも、時間と手間をかけて育てているのが生姜です。
なんで生姜? 小豆島って生姜の産地なの? 
と思われるかもしれません。小豆島は生姜の産地じゃないです。
誰かにすすめられたわけでもないです。

小豆島に引っ越してきた頃、体の冷えが気になっていて、
体を温めてくれる生姜を育てたいなぁ、
その生姜でジンジャーシロップをつくれたらいいなという個人的な思いから始めました。
2013年4月に初めて生姜を植えたときから始まって、
今年で生姜の栽培は7年目になります。

7年前、いろは(娘)も一緒に種生姜を初めて植えました。

7年前、いろは(娘)も一緒に種生姜を初めて植えました。

生姜の栽培は春から始めます。
生姜はじゃがいもや里芋などと同じく、
種生姜、親生姜などと呼ばれる生姜そのものを植えます。
毎年4月頭にこの植えつけ作業をします。

4月、生姜の植えつけ作業。

4月、生姜の植えつけ作業。

ちょうどいい大きさに種生姜をカット。

ちょうどいい大きさに種生姜をカット。

ひとつひとつ手で植えていきます。

ひとつひとつ手で植えていきます。

おふくろの味を生む「ぬか床」。
自家製のぬか漬けを受け継ぐ

継いでいきたい、おふくろの味

かつては、家庭でぬか床を持ち、自家製のぬか漬けが
日常的に食卓にのぼるなんてことは珍しくありませんでした。
下田に移住した津留崎家の食卓にも、
自家製のぬか漬けが並ぶようになったそう。
今回は、同じく下田に移住してきた
津留崎さんのお母さんとぬか床のお話です。

〈ARCH BREWERY〉柳昌宏さん
クラフトビールを通して
自分のまちを自分でおもしろくする

お酒のまち・岩国で生まれたクラフトビールのブルワリー

すがすがしい醸造所の様子を見た瞬間、
「この人がつくるビールはきっとおいしいに違いない」と確信した。
ここは2年ほど前に開業した、岩国市で初となるクラフトビールの醸造所
〈ARCH BREWERY(アーチブルワリー)〉である。

この岩国市は錦帯橋で有名だが、旭酒造や村重酒造など5つの名蔵元をもち、
あまたの“のんべえ”憧れの酒どころとしても知られる。
そんな酒の聖地で、岩国市出身の柳昌宏さんはなぜこの醸造所を始めたのだろうか。

岩国市の風景。

岩国市の風景。

醸造所はJR岩国駅から徒歩10分、まちの中心地付近にある。

醸造所はJR岩国駅から徒歩10分、まちの中心地付近にある。

カラフルなオレンジ色のビルの1階を訪ねると
すらりと背の高い〈ARCH BREWERY〉代表の柳昌宏さんが出迎えてくれた。
引き戸を開けると広がる、ぱっと見15坪ほどのコンパクトな醸造所。
クラフトビールのなかでも特に独立性が強く、
小さな規模である“マイクロブルワリー”然としている。

全商品5本を並べると錦帯橋が現れる仕掛けというのがいい。

全商品5本を並べると錦帯橋が現れる仕掛けというのがいい。

〈ARCH BREWERY〉は、ホップと柑橘が豊かに香る〈ARCH IPA〉など
全5種類をラインナップ。山口県周防大島のミカンを副原料として使用するなど、
地域の素材も積極的に取り入れる。
米軍基地のある岩国らしいインターナショナルな雰囲気もまた
ビールをおいしくしているかもしれない。
そんな生まれも育ちも岩国の柳昌宏さんに〈ARCH BREWERY〉を巡る物語をうかがった。

つまらないのは、このまちじゃなくて自分自身だった

柳昌宏さん。関西在住時は映画の助監督をしながら、夜は動画制作やライブの撮影をしていたそう。そのときの縁がきっかけで、OEMなどを通してお客さんになってくれている人も多い。

柳昌宏さん。関西在住時は映画の助監督をしながら、夜は動画制作やライブの撮影をしていたそう。そのときの縁がきっかけで、OEMなどを通してお客さんになってくれている人も多い。

大学進学を機に、地元・岩国を出て関西で暮らしたという柳さん。
経営学部で学び、卒業後は映画の助監督として弟子入りしたそう。

「大学まで出してもらったのに親不孝な道を進みました。
そうしているうちに父が病に倒れまして。
当時、僕はお金にならないことをやっていたし、弟の昌仁も県外でプラプラしていたので、
ふたりで一緒に岩国に戻って来ました」

こうして柳さんは2012年にUターンした。

鎌倉〈てぬぐいカフェ 一花屋〉の
瀬能笛里子さんが実践する、
慎ましくも豊かな生活

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

瀬能笛里子さんが営む〈てぬぐいカフェ 一花屋(いちげや)〉は、江ノ電が目の前を走る人気のフォトスポット「御霊神社」のすぐそばにある。

瀬能笛里子さんが営む〈てぬぐいカフェ 一花屋(いちげや)〉は、江ノ電が目の前を走る人気のフォトスポット「御霊神社」のすぐそばにある。

暮らしを起点に広がる多彩な活動

東京から電車で約1時間という距離にありながら、
山や海などの自然を身近に感じられる鎌倉には、
都心では実現できない暮らしを求めて移住してくる人たちがあとを絶たない。
そのためか鎌倉のまちにはユニークなかたちで、
自らの「暮らし」を探求している人たちが少なくない。

江ノ電の長谷駅から少し歩いたところにある古民家で、
〈てぬぐいカフェ 一花屋〉を営む瀬能笛里子さんもまた、自らの暮らしと向き合い、
その延長線上でさまざまな発信を続けている女性のひとりだ。

〈てぬぐいカフェ 一花屋〉を営む瀬能笛里子さん

鎌倉で生まれ育ち、結婚・出産を経て、理想とする江戸時代の
「慎ましくも豊かな暮らし」を体現する飲食店を始めた彼女は、
お店を通じて、思いを共有できる地域の仲間たちとつながり、
やがてその活動は、まちへと広がっていく。

東日本大震災後には、鎌倉のまちで反原発のパレードを継続的に行うようになり、
〈イマジン盆踊り部〉というユニークな活動も始まった。
さらに、盆踊り部のメンバーらも参加する「塩炊き」など、
自給自足を実践するためのさまざまな取り組みを行っている。

「市民活動」というかたちを通して、自らが思い描く
社会や暮らしのあり方を発信することからスタートした瀬能さんはいつしか、
より日常のそばにある暮らしの実践を通してメッセージを伝えるようになり、
共感者を増やしてきた。

そんな瀬能さんに話を聞くために、彼女の暮らしの最前線の場である一花屋を訪ねた。

〈てぬぐいカフェ 一花屋〉入り口

あの日を忘れない―
ユニークなアイデアで伝えていく
「わたしのまちの防災」

今月のテーマ 「わたしのまちの防災」

毎年データを上書きするかのように、さまざまな災害に見舞われる日本。
各地の河川で大氾濫を引き起こした「令和元年台風」も記憶に新しく、
命を守る行動について、考えを改める機会が多くなっています。

そんな経験や得た教訓を、さまざまな“かたち”で伝え、生かす地域があります。
悲しい記憶を、前向きに伝えようとするアイデアや工夫は、
いつの間にか、地域に愛される“文化”になっていくようです。

今回は、全国の皆さんから集まった
「共有したい防災アイデア」をご紹介します。

【石川県能美市】 大災害の記憶を、“お菓子”で語り継ぐ

日本三霊山のひとつである白山を源に、日本海へと注ぐ手取川は、
急流として知られ、かつては氾濫を繰り返していました。

治水技術の発達で氾濫が抑えられるようになり、
流域では洪水のことも忘れつつあった昭和9年のこと。
悪い条件が重なって、手取川は氾濫し、未曾有の大災害を起こしました。

普段は穏やかな手取川の流れ。

普段は穏やかな手取川の流れ。

その災害のことを風化させないため、
発生した「昭和九年」を名前にしたお菓子が売られています。

こちらをつくっているのが、手取川の流域、能美市にある〈御菓子處たなか〉。
昭和61年からかれこれ30年以上、この郷土銘菓をつくり続けています。

お菓子の名前にして災害を忘れさせないという発想に驚かされますが、
茶道や和菓子の文化が根づいている石川県だからこそ、ともいえそうです。

御菓子處たなかの店内。店舗は12月にすぐ近くに移転予定。

御菓子處たなかの店内。店舗は12月にすぐ近くに移転予定。

最中に大納言小豆の餡、カステラ、バタークリームがサンドされた和洋折衷のお菓子。
甘さ控えめで重たくなく、ずっと食べ続けていられるような、
誰にでも愛されるおいしさです。

〈手取川 昭和九年〉1個175円(税込)。日本茶だけでなく、紅茶やコーヒーにもよく合う。

〈手取川 昭和九年〉1個175円(税込)。日本茶だけでなく、紅茶やコーヒーにもよく合う。

手取川の氾濫は、災害だけでなく、
一方で能美市の名産〈加賀丸いも〉が育つ土壌という恵みも与えてくれました。

「水を大切にしなさいということだと思っています」

と御菓子處たなかの田中さんは言います。
その言葉を聞き、水や川への関心を高めることが、防災の第一歩なのではと思いました。

information

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御菓子處たなか

住所:石川県能美市徳久町ナ50(※2019年12月に移転予定)

TEL:0761-51-2116

営業時間:8:00~19:00

定休日:水曜(祝日の場合は営業)

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若井 憲 わかい・けん

フリー編集者&ライター。神奈川県生まれ、石川県在住。旅行雑誌の編集者を経て、1999年に家族とともに、Iターンで石川県へ移住。地に足がついた情報発信ができるローカルメディアのおもしろさを知る。編集長を務めていた季刊誌の休刊を機に、2018年からフリーとなり、北陸の魅力を広く伝えることに力を注ぐ。製本家の妻がつくる豆本ではイラスト描きも。Web:豆本工房わかい

移住と仕事、子育て。
岩見沢と下田の移住者が語る
ローカルの暮らし

北海道岩見沢市の山間地、美流渡(みると)に移住した編集者の來嶋路子さんと、
彼女の仲間の移住者たちを訪ねた旅
今回は、自らも下田に移住し、「暮らしを考える旅 わが家の移住について」を連載中の
フォトグラファー津留崎徹花さんと來嶋さんによる、
それぞれの暮らしと移住についての対談をお届けします。

移住ビジョンはなかった!?

徹花: 來嶋さんは東京から最初は岩見沢市の中心地に移住したんですよね。
そのあとさらに奥地である現在の美流渡に移住したのはなんでだったんですか?

來嶋: 友人と一緒に山の土地を買って、そのときはまだその山に
家を建てたいという気持ちがあったんです。
そこはまちからだと少し遠いので、もう少し近くから
山に通って整備などができたらいいなと思っていたら、空き家があるよと言われて。
じゃあ住んじゃおうかなって。
山も、安いから買っちゃおうかな、みたいな感じでした。

美流渡からほど近いエリアに8ヘクタールの山の土地を購入した來嶋さん。今後の使い道は「ノープラン」だそう。それでも、山が荒れたまま放置されているより、誰かがその土地を引き継ぐことが大事なのでは、と話します。

美流渡からほど近いエリアに8ヘクタールの山の土地を購入した來嶋さん。今後の使い道は「ノープラン」だそう。それでも、山が荒れたまま放置されているより、誰かがその土地を引き継ぐことが大事なのでは、と話します。

徹花: え、そんな軽いノリだったんですか(笑)。

來嶋: そうそう。そのほうが楽しそうだし。
とにかく新しいことにワクワクしていたいんです。
夫は「えー!?」という反応でいつも迷惑そうですが。

〈森の出版社ミチクル〉を立ち上げたのも、
ここで出版社をつくったら楽しそう! と思って。
「雪深い山奥でひとりで本をつくってる変わった人がいるんだ、
じゃあ本でも買ってやるか」なんて本を買ってくれる人がいるかもしれない。
ここでなら出版社ができるかも、と思ったんです。

山にはカラマツ1000本、ヤチダモとミズナラを500本ずつ植林しました。

山にはカラマツ1000本、ヤチダモとミズナラを500本ずつ植林しました。

徹花: 最初から移住して出版社をやろう、という感じではなかったんですね。

來嶋: 全部あとづけです。移住するのにビジョンってありました? 
私は全然なかったんです。

徹花: 私も夫もなんとなくありました。
自分たちが食べるものも自分たちでつくってみたいとか。
いまコロカルでやっている連載の前に「美味しいアルバム」という連載もしていて、
各地のお母さんたちに郷土料理を教えてもらうというものなんですが、
私は東京生まれ東京育ちで、田舎の人の暮らしの知恵にすごい憧れがあったんです。

來嶋: わかります、私もずっと東京だったので
漠然とした田舎暮らしに憧れはありました。
ただ私が移住したきっかけは、東日本大震災です。
田舎で暮らしたいというよりは都会から離れたいという気持ちが高まって、
半年後に夫の実家のある岩見沢に来ました。

徹花: 今回、ほかの移住者の方たちともお会いして、
みなさんとても仲が良くて楽しそうですけど、地元の人との交流は?

來嶋: ご近所のみなさんにはいつも支えてもらっています。
もちろん移住者に興味を持ってくれる人もいるし、
打ち解けにくい人もいると思いますし、移住したらどこでも、
噂をされたり、誤解を受けたりということは少なからずありますよね。

徹花: それはそうですよね。

來嶋: そんななかで、この地域の人たちはとっても柔軟な考えがあると思います。
感動したのは、廃校になった小中学校の利活用の問題を話し合う場で、
町会長さんたちが、移住者の人たちが使いやすいような、
まちがにぎわうような場所にしてくれたらうれしいとおっしゃっていて。
広い心でわたしたちを受け入れてくれていることがすごくうれしかったです。

徹花: それはすばらしいですね。

來嶋: このあたりはだんだん移住者が増えていて、
みなさん個性的な経歴を持っています。
「ちょっと変わった人」(笑)と思われそうですが、まちの人たちはフランクだし、
まちが活性化していることに可能性を感じてくれているようです。

しかも、自分たちももっとまちのことを考えなきゃいけないよね、
みたいな感じになってきてるんです。
昨日も、私の講演会に美流渡の町会の方が来てくださって、
そういう移住者にやさしいところは、すごくありがたいです。

徹花: たしかに、地元の人の応援ってありがたいですよね。

來嶋: 「がんばりなさいよ!」って私の本を買ってくれたりとか、
本当にうれしくて。ああいう感じは東京では味わったことないですね。

この対談の前日、岩見沢市主催の「ステップアップ講座」で來嶋さんが講師として登壇し「小さな集落『美流渡』だからこそできる、新しい出版活動」をテーマに講義。ステップアップではなく、ステップダウンでも楽しく生きていけるんじゃないかと來嶋さんは提案。既存のシステムとは違う、新しいローカルの経済やクリエイティブのかたちがあるのではという話に、みなさん熱心に耳を傾けていました。

この対談の前日、岩見沢市主催の「ステップアップ講座」で來嶋さんが講師として登壇し「小さな集落『美流渡』だからこそできる、新しい出版活動」をテーマに講義。ステップアップではなく、ステップダウンでも楽しく生きていけるんじゃないかと來嶋さんは提案。既存のシステムとは違う、新しいローカルの経済やクリエイティブのかたちがあるのではという話に、みなさん熱心に耳を傾けていました。

小豆島のキャンプ場で遊ぼう!
「小豆島アウトドアフェスティバル」

クライミングで小豆島の魅力を味わう

小豆島にはいくつかキャンプ場があります。
施設が充実していていろんなスタイルを選べる〈小豆島ふるさと村キャンプ場〉、
海のすぐそばにある〈小部キャンプ場〉や〈田井浜キャンプ場〉、
天然温泉を楽しめる〈小豆島オートビレッジYOSHIDA〉などなど。
海も山もすぐそばにあって、おまけに天然温泉も島内に何か所かあるので、
小豆島でキャンプ! おすすめだったりします。

先日、そんな小豆島のキャンプ場の中のひとつ、小豆島オートビレッジYOSHIDAで、
「小豆島アウトドアフェスティバル」というイベントが開催されました。

今年初開催の「小豆島アウトドアフェスティバル」。

今年初開催の「小豆島アウトドアフェスティバル」。

会場となった〈小豆島オートビレッジYOSHIDA〉は人気のキャンプ場。

会場となった〈小豆島オートビレッジYOSHIDA〉は人気のキャンプ場。

小豆島アウトドアフェスは、岡山県玉野市と小豆島を舞台とした
クライミングと音楽の複合型フェス「瀬戸内JAM」の一環。
瀬戸内海を目の前に臨む玉野市には、
王子が岳というすばらしい景観に恵まれたエリアがあり、
このエリアは海の眺めが美しいだけではなく、
40年以上も前に開拓されたボルダリングスポット。

このエリアの魅力をもっとたくさんの人たちに知ってもらい、
瀬戸内エリアのツーリズムにつなげていきたいという思いから、
瀬戸内JAMは始まりました。2018年から始まり、
2回目となる今年から小豆島も新たな舞台として加わりました。

今回の小豆島アウトドアフェスは、
小豆島のクライミングジム〈ミナウタリ〉の渡利知弘さん、みきさんご夫婦を中心に、
ジムに通う皆さんで準備・運営をされていました。

会場に設置されたボルダリングウォール。いつかあの奥にある岩を登る日が来るかも。

会場に設置されたボルダリングウォール。いつかあの奥にある岩を登る日が来るかも。

登るのってシンプルで楽しい。小さな子どもたちがずっと遊んでました。

登るのってシンプルで楽しい。小さな子どもたちがずっと遊んでました。

小豆島には岩場があちこちにあって、
昔から小豆島にクライミング目的で来られる方も多いのですが、
島で暮らす人で、クライミングの場としての小豆島の魅力、
小豆島の山や岩場の魅力をを知って楽しんでいる人はあまり多くありません。

こんなにもすばらしい環境で暮らしているのにそれはもったいない。
まずは外で遊ぶことの楽しさに気づいてもらいたい、
クライミングのフィールドである「吉田の岩場」に足を運んでもらって
理解を深めてもらいたいという思いから、
吉田の岩場のすぐそばにあるキャンプ場、小豆島オートビレッジYOSHIDAを舞台に
小豆島アウトドアフェスを開催することにしたそうです。

家族で遊びに来てくれてる方がたくさんいました。

家族で遊びに来てくれてる方がたくさんいました。

スラックラインで遊ぶ子どもたち。

スラックラインで遊ぶ子どもたち。

下田の家庭の味を支えてきた
〈山田鰹節店〉

家庭でつないでいく食文化

下田で暮らす津留崎さんが魅入られた〈山田鰹節店〉。
昭和初期から続く、地元の家庭の味を支えてきたかつお節屋さんです。
かつてに比べ、かつお節の消費量が減り、苦労もあるようですが、
これまで続けてこれたのは、食に対する強い思いがあるから。
実は、あの有名料理家さんも、このかつお節で育ったようです。

連載100回記念!
美流渡(みると)ってどんなところ?
ユニークな移住者たちを訪ねる旅

2011年の東日本大震災後、北海道岩見沢市に移住し、
いつかいろいろな人が集まったり滞在できるような
エコビレッジをつくりたいという夢を持つ來嶋路子さん。
この連載「うちへおいでよ! みんなでつくるエコビレッジ」も開始から4年余り、
ついに100回を迎えました。

そこで、100回記念特別企画として、
下田に移住し「暮らしを考える旅 わが家の移住について」を連載中の
津留崎さん一家と編集部が岩見沢へ赴き、
來嶋さんと仲間の移住者たちを取材してきました。

いま來嶋さんが暮らしているのは、岩見沢市の中心地から少し離れた、
かつて炭鉱で栄えた山あいのまち、美流渡(みると)。
今回は、これまでも連載に登場してきたみなさんを、あらためてご紹介します。

自作の薪窯で焼き上げるパン屋さん〈ミルトコッペ〉

まずは上美流渡にあるパン屋さん〈ミルトコッペ〉へ。
天然酵母を使い、窯で焼き上げたパンは、地元の人だけでなく、
札幌など遠方からも買いに来る人がいるという人気。
札幌で会社員をしていた中川達也さんが、
21年前に会社員を辞めてこのお店を始めたそう。

「なんでここでパン屋をやろうと思ったか? 忘れちゃったな(笑)」
とはぐらかす達也さんですが、当時ボロボロだった建物を自ら改修し、
レンガで窯をつくってお店を始めた熱意は並々ならぬものがあります。

來嶋さんと中川達也さん。新店舗も完成間近。屋根は、札幌の時計台などでも使われている菱葺き屋根という工法。さすがにこれは職人さんにお願いしたそう。

來嶋さんと中川達也さん。新店舗も完成間近。屋根は、札幌の時計台などでも使われている菱葺き屋根という工法。さすがにこれは職人さんにお願いしたそう。

その店舗もだんだん古くなってきたので、
現店舗の隣に、来年4月のオープンに向けて新店舗を建設中。
石を積んで基礎をつくり、壁を漆喰で塗るなど、
日々のパンづくりと並行して10年がかりでつくってきたそうです。

「今年の冬前くらいから新店舗でパンの試作を始めようと思います。
現店舗と同じように窯をつくったけど、天然酵母は環境が異なると
どう変わるかわからないですからね」と達也さん。

工事中の新店舗を特別に見せてもらいました。建築関係の仕事をする津留崎鎮生さんも興味津々。

工事中の新店舗を特別に見せてもらいました。建築関係の仕事をする津留崎鎮生さんも興味津々。

達也さんが焼いたパンはほんのりと香ばしく、もっちりした食べ応えがあり、
とてもおいしい。開店と同時にお客さんが訪れ、
昼前には売れ切れてしまうというのも頷けます。

薪を使って焼き上げるレンガづくりの窯も達也さんがつくったもの。コッペパンはプレーン、豆、レーズン、くるみ、ごま、あんぱんなどのほか、食パンも。

薪を使って焼き上げるレンガづくりの窯も達也さんがつくったもの。コッペパンはプレーン、豆、レーズン、くるみ、ごま、あんぱんなどのほか、食パンも。

続いて、達也さんのご自宅である〈美流渡の森の山荘〉も案内してくれました。
歩いて数分のところにあるこの山荘は、かつて別荘として使われていた、
森の中に佇むすてきなログハウス。

あくまで自宅なので公開はされていませんが、
リンパドレナージュセラピストである、達也さんの奥さんの文江さんが
サロンとして使用したり、服の展示会をしたり、
庭で月に1度、神奈川から先生を招いて太極拳をするなど、
イベントの会場となることも。

柱や梁など立派な木材がふんだんに使われた〈美流渡の森の山荘〉。こんな場所でイベントが開かれるなんて楽しそう!

柱や梁など立派な木材がふんだんに使われた〈美流渡の森の山荘〉。こんな場所でイベントが開かれるなんて楽しそう!

文江さんは、1か月のうち1週間ほどは都内でサロンを開いているため、
この日は会えませんでしたが、自分たちらしい暮らしを求め、
実現している中川さん夫妻のライフスタイルはとてもすてきでした。

information

map

ミルトコッペ

住所:北海道岩見沢市美流渡 上美流渡の森

TEL:0126-46-2288

営業時間:9:30~売り切れまで(営業は4月中旬~11月末)

定休日:月・火曜

Web:http://www9.plala.or.jp/coppe/index.htm

小豆島の木に実った宝物。
レモン、スダチ、ダイダイ、柑橘の恵み

柑橘の収穫シーズンがスタート!

11月に入って、寒いなぁと感じる瞬間が増えてきました。
ごそごそと、いつもとは違うクローゼットの引き出しを開けて、
そうそうこれこれと引っ張り出してきたフリース、それからタイツにレッグウォーマー。
あー、温かい。気づけば季節は少しずつ秋から冬へ。

私たちの秋冬の仕事のひとつに柑橘の収穫&加工があります。
柑橘は主に冬がシーズン。
もちろん柑橘の種類によって収穫時期は異なるし、
地域によっても変わってくると思いますが、たとえば小豆島のレモンだと
10月中旬〜11月にかけてまずグリーンレモンを収穫します。

グリーンレモンというのは品種のことではなくて、
まだ黄色に色づく前の緑色の状態のレモン。
果汁は少ないですが香りが強いです。11月後半くらいから黄色く色づき始め、
12月〜4月くらいまで黄色いレモンを収穫できます。

このレモンをはじめ、小さくて丸いスダチ、ゴツゴツとして大きいダイダイ、
香り爽やかなライムなどを収穫します。

10月末に収穫したレモンと生姜。生姜は11月が収穫シーズン。

10月末に収穫したレモンと生姜。生姜は11月が収穫シーズン。

11月に入り少しずつ黄色くなり始めたレモン。このレモンの木はじいちゃんが残してくれた大切な財産。

11月に入り少しずつ黄色くなり始めたレモン。このレモンの木はじいちゃんが残してくれた大切な財産。

収穫した柑橘は、そのまま販売したり、自宅やお店で
料理や飲みものをつくるときに使ったりします。
ただの炭酸水にスダチを絞って入れて飲んだり、
あ、ハイボールにもレモンやスダチは必須ですね。

料理だと、野菜のマリネをつくるときやカレーにかけて食べたりもします。
小豆島で暮らすようになり、柑橘は私たちの暮らしにとって
欠かせない存在になりました。

炭酸水にスダチの果汁をぎゅっと絞って入れるだけ。爽やかでおいしい。

炭酸水にスダチの果汁をぎゅっと絞って入れるだけ。爽やかでおいしい。

料理にもよく使います。

料理にもよく使います。

伊豆の海に260メートルの巨大風車!?
大規模再生可能エネルギー事業計画に
地域住民が思うこと

あらためて考える、
自然と電気、都市と地方のこと

今後期待される、再生可能エネルギーや自然エネルギーへの転換。
けれどまだまだ課題もあるようです。
津留崎さんが移住した下田市とそのお隣の南伊豆町で浮上した
洋上風力発電事業計画。
海に巨大な風車を設置するというものですが
調べてみると驚くようなことばかりで……。
首都圏に暮らす人にも無関係ではない、エネルギーの話。

〈こうち二段階移住〉 “ずっと住みたい”場所を 見つけてほしい! 高知が新たな移住サポート制度を スタート

ふたつのステップを踏んで、安心して移住を

引っ越しには、期待と不安がつきもの。
新しい土地への移住となれば、なおさらです。
移住経験者にアンケートをとったところ、
6組に1組が移住地を去ったという結果(※)もあるそうです。

いま高知県で、そんな移住者の不安を減らし、
サポートしていく「二段階移住」という取り組みが始まっています。
二段階移住とは、ふたつのステップを踏み「ずっと住み続けたい」と
思える場所を見つけ、移住するというもの。

【こうち二段階移住 PR動画】下調べもせずに憧れと勢いだけで地方移住決めた夫婦の話、聞く?

第1段階目では都市部の環境に近い高知市に物件を借りて滞在し、
そこを拠点に県内を巡って自分に合った場所を見つけ、
第2段階目で本格的に移住をするということを薦めています。
またその間には、移住専門スタッフや補助金制度などのサポートも得られます。

神奈川県から高知県吾川郡いの町へ移住した小野義矩さんは
「実際に移住して暮らしてみないとわからないことは沢山あります。
インターネットを活用して調べても、
移住前に全ての不安・心配事がなくなることは恐らくないです。
多かれ少なかれ、あらゆる面で大都市圏とのギャップは感じるでしょう」とコメント。

高知市全景

高知市全景

高知市市街。まちなかを路面電車が走る。

高知市市街。まちなかを路面電車が走る。

また、大阪府から高知県室戸市へ移住し、現在はサラリーマン漁師として
椎名大敷組合に勤務する多田満さんは
「私はサーフィンつながりで知り合いがたくさんいたので、
家も仕事も紹介してもらえましたが、
知り合いが少ないとなかなか難しいと思うので、
紹介してもらえるような知り合いをつくっておくといいと思います」とアドバイス。

——ということは、とにかく現地に足を運び、
地域の人たちと知り合い、ギャップをなくしていくことが大切になりそう。
高知への移住を考えている方は、ぜひ二段階移住のサポートを活用して
このステップを踏んでみてはいかがでしょうか?
そこで、実際に高知へ移住した方の体験談をご紹介します。

※移住経験者対象790名(全国4,800名うち移住経験者790名)平成30年10月調査実施:株式会社読売連合広告社調べ

宿毛市へUターン移住した〈kino shoe works〉木下藤也さん。

宿毛市へUターン移住した〈kino shoe works〉木下藤也さん。

お腹を空かせる暇がない!
幸せすぎる「おすそ分け文化」

今月のテーマ 「おすそ分け文化」

まちで暮らせば「買う」が中心になりがちな食べ物も、
地方に目を向ければ、多くの人が「育てる」「採る」ことで食べ物を得ています。
さらには「もらう」といったパターンも、一部の地域では日常的。

自家栽培の採れたて野菜、フルーツ、大量の魚介、狩猟したお肉。
普段使いの野菜から高級食材まで「食べて!」と分け与えてくれる、太っ腹なご近所さん。
都会に住む人にとっては、うらやましすぎる食事情です。

今回は、日本各地に暮らす皆さんから、
地域の特色が垣間見える「おすそ分け文化」を教えてもらいました。

※今回の「おすそ分け」とは、従来の「いただき物を分け与える」の意味以外に、
自家栽培品などを分ける意味も含みます。

【島根県隠岐の島町】 いただいたやさしさは、“恩送り”でお返し

隠岐の島のおすそ分け文化は、ひと言「すごい」です。
魚、貝、海藻、野菜、果物、お米、お蕎麦……。
春夏秋冬それぞれの、海の幸と山の幸をいただく日々。
おすそ分けレベルではないでしょう……! ということが幾度となく訪れました。

最初は、ある種の修業でもありました(笑)。
大量のメカブをキッチンで細かく刻んで、ネバネバ地獄から抜け出せなくなったり、
サザエの身を力ずくでとっていたら、疲れて食べる元気をなくしたり、
魚をどうにか捌いたときには、シンクが大惨事になってしまったり。

そんな状態でしたが、地域の方たちからいろいろなことを教えてもらい、
おかげさまで、自分なりにはひと通りのことができるようになりました。
成長させてもらったなぁと、ただただ感謝しています。

高級食材のカメノテ。磯の岩肌に固着する甲殻類の一種。最高においしいです。島に移住したての頃、「隠岐の人は亀の手を食べるんよ〜」という冗談を本気にして、びっくりしました(笑)。

高級食材のカメノテ。磯の岩肌に固着する甲殻類の一種。最高においしいです。島に移住したての頃、「隠岐の人は亀の手を食べるんよ〜」という冗談を本気にして、びっくりしました(笑)。

お返しをしようとしても、引き換えにまたいただいてしまうので、
「これはもう、物ではお返しできないのだ」と悟り、
そして、「見返りなんて求めていないのだ」と気がつきました。

だから、「地域おこし協力隊」を誠心誠意全うすることと、
いただいたやさしさを、ほかの人に渡していく“恩送り” をすることで、
お返しをしていこうと決めました。

物よりも、「やさしさをもらって、やさしくなれる」
その循環こそが本当にうれしいものなのです。

いただいた鮮魚のお刺身。

photo & text

五十嵐杏美 いがらし・あみ

平成2年生まれ。元ギャルの島ガール。2017年3月末、東京から島根県隠岐の島町へ移住し、現在は地域おこし協力隊として活動中。移住のテーマは、【自然との共生】と【丁寧な暮らし】。四季の移ろいのなかで豊かに生きる術を学び中。また、自分らしく生きることを探求するためにヨガとアーユルヴェーダを学んでおり、同時に広める活動も行っている。

小松理虔さん
外に出たからこそわかった
「ローカルのおもしろがり方」
福島県いわき市の
ローカルアクティビストってどんな人?

ローカルでアクティブするってどういうことだろう?

福島県いわき市小名浜。人口も面積も福島県で一番大きいいわき市の、中心街のひとつ。
県内最大の港である小名浜港や魚市場、
県内外にファンを持つ環境水族館〈アクアマリンふくしま〉や、
最近は県内最大規模となる商業施設〈イオンモールいわき小名浜〉が
オープンしたことでも話題になった。
そんな小名浜で「ローカルアクティビスト(地域活動家)」と名乗り活動しているのが、
小松理虔(こまつ・りけん)さんだ。

海の前に立つ理虔さん

実は、いわき市で地域づくり――いわゆるまちづくり的な活動――をしている人で、
理虔さんを知らない人はほとんどいないのではないかと思われるほど、
地元では有名人だったりする。
だがおそらく、地元の人たちのなかでも、「理虔さん像」はさまざまだろう。
地元・小名浜の魚屋さんを会場にした飲み会「さかなのば」を開催している人、だったり、
東京電力福島第一原子力発電所沖まで釣り船を出し、釣りを楽しんだあと、
釣った魚の放射線量を測る活動「うみラボ」をやっている人、だったり、
はたまた、昨年2018年に出版した初の単著『新復興論』が大佛次郎論壇賞を受賞した、
なんかすごい人なんじゃないか、とか……。

福島のメディアで働いていた時に、一度ローカルに失望した

「賞を取る前と取ったあとで、全然何も変わってないんですよ」と人懐っこく笑う理虔さん。
ラジオのDJになりたかったという少し大きめの声はよく通る。
新卒で勤めた福島のテレビ局では、取材や番組制作だけでなく、
ナレーションも務めたというのも納得だ。

そのテレビ局には、大学を卒業した2003年4月から丸3年勤務したが、
その頃にローカルというものが一時期嫌になったという。

「ローカルのテレビニュースは連続性がない。地域のイベントや祭りに行って、
参加者にコメントを取ってたった1分の枠を埋めるようなことばかりをやって
何の意味があるのかと」

それでいて特権階級のように、
会社の名刺ひとつでどんな立場の人にも取材に行けるという境遇にも違和感を覚えていた。
「いくら大きな取材をしてもそれはあくまでも会社の看板。
自分の力ではないから成功体験を積めない」と感じた理虔さんはテレビ局を辞め、
なんと単身上海へ。

上海を選んだ理由は、大学時代に関心を持って中国の勉強をしていて
中国語をある程度話せたことと、日本語教師としての勤務先があったこと、
そして、特に当時の中国は、日本にはない勢いがあり、
自身の力を試すことのできる環境であったからだった。

仕事中の理虔さん

稲刈り直前に大型台風接近!
2年目の米づくりで感じたこと

稲刈りはどうする? 究極の選択

伊豆下田に移住して、念願の米づくりを始めた津留崎さん一家。
昨年は手で田植えをし、稲刈りから天日干しまで
すべて自分たちの手で行いました。
2年目の今年もそうするつもりだったのが、
なんと稲刈りを目前に大型台風が到来。
今年は自分たちでつくったお米を食べられるのか……?

小豆島の「太鼓まつり」に想う。
自分たちが暮らす土地を
愛するということ

今年で7回目の参加。「太鼓まつり」で感じたこと

10月、台風19号が日本各地に大きな被害をもたらしました。
ニュースで見ていてその範囲の広さに驚いています。
私たちが暮らす西日本は、今回の台風では被害を受けませんでしたが、
昨年の夏の集中豪雨では大きな被害を受け、
いまだにいつもの暮らしを取り戻せてない方が多くいます。

本当に日本全国いたるところで、地震や台風、大雨の被害が
現在進行形で起こっています。

代々受け継いできた土地、家で暮らし続けること、
それは当たり前のようでいて、実はとても難しいことなのかもしれません。
ある日突然やってくる大きな災害で、一瞬にして
いままでの暮らしが壊れてしまうこともあります。

地方では高齢化と人口減少によってじわりじわりと家や畑が荒れていき、
いつしか集落の維持ができなくなってしまうこともあります。
私たちが暮らす集落も他人事ではありません。
何十年、何百年と暮らし続け、つくりあげてきた風景、文化が残っていることは
奇跡的なことであり、すごい財産なんだなとあらためて感じています。

10月中旬、小豆島では各地で「太鼓まつり」が行われます。

10月中旬、小豆島では各地で「太鼓まつり」が行われます。

太鼓まつりの前日は宵祭りとして、地区内の家々を太鼓台がまわります。子どもたちもおばあちゃんたちも太鼓台が来るのを楽しみに待ちます。

太鼓まつりの前日は宵祭りとして、地区内の家々を太鼓台がまわります。子どもたちもおばあちゃんたちも太鼓台が来るのを楽しみに待ちます。

先日、小豆島では各地で「太鼓まつり」が行われました。
秋の収穫を感謝する行事として、小豆島内にある6つの八幡神社で毎年開催され、
太鼓台を奉納します。

10月11日から10月16日にかけて、小豆島の各地区で太鼓台が奉納されます。10月14日は土庄八幡神社のお祭り。

10月11日から10月16日にかけて、小豆島の各地区で太鼓台が奉納されます。10月14日は土庄八幡神社のお祭り。

八幡さんのひとつ、池田亀山八幡宮の太鼓まつりを観覧するために
いまでも使われている石垣「池田の桟敷(さじき)」は、
江戸時代につくられたとされていて、そんな時代から太鼓まつりは続いています。

太鼓台には子どもたちが乗り、太鼓をたたき続けます。

太鼓台には子どもたちが乗り、太鼓をたたき続けます。

乗り子の子どもたち。10月に入ってから毎日練習してきました。

乗り子の子どもたち。10月に入ってから毎日練習してきました。

首都圏で暮らしながら 山口県とつながりを持つ方々を紹介する YY!ターンカレッジ・公開講座

山口県の特産品を使った料理も登場!

山口への移住に興味があるけれど、きっかけが見出せない人の背中をちょっと押す。
そんな、山口県の暮らしと仕事の魅力を伝えるトークセッション
「YY! ターンカレッジ」。
UでもJでもIでもなくYYターン? と思うかもしれませんが、
「やまぐち」のY、「わいわい楽しい暮らし」のYを組み合わせた、
山口県へのUJIターンを意味するキャッチフレーズです。
今回は「YY! ターンカレッジ」の公開講座が
11月2日(土)に東京・有楽町の交通会館で開かれます。

過去3回のカレッジでは、農業、漁業に挑戦したいと考える人向け講座、
山口で事業を始めたいと考える人向け講座、
山口でのリアルな子育て事情をテーマにした講座が開かれてきました。
今回のテーマは「山口と東京」。首都圏に暮らしながら山口県とつながりを持ち、
さまざまな活動をしているゲスト5名を招きます。

トークゲストのひとり、西村郁江さんは、岩国市出身で東京在住。
「いわくに まるごとasoviva!」を主宰し、
生まれ育った岩国市にある廃校になった小学校や、
西村さんの祖父母が営んでいたドライブイン跡を拠点に、
毎年映画イベントなどを開催しています。
西村さんの目指す、大人も子どもも一緒に遊び、
岩国と人がつながる未来へ続く場所づくりとは?

西村郁江さん

西村郁江さん

また、萩市出身で鎌倉在住の守永江里さんは、
幼少期より母親に教えてもらった家庭料理を基盤に、
数店舗の日本料理屋で調理を学んだ後、
現在は萩市の姉妹都市である鎌倉市を拠点に
萩の家庭で食べられている料理を提供しています。
山口県萩市でも定期的に食イベント開催しており、
地方と地方の二拠点生活についてもうかがえそうです。
今回会場では、守永さんのお料理をご用意します。

守永江里さん

守永江里さん

山口と接点がある人から、これまでなかった人まで、
まずはこの「YY! ターンカレッジ」に参加して、経験者のリアルな声に耳を傾け、
あなたの「山口県とのつながり方」について、
自分の将来像を描いてみてはいかがでしょうか。
お申し込みはこちらから。

information

map

「YY! ターンカレッジ・公開講座」

日時:2019年11月2日(土) 11:30~14:00

場所:東京都千代田区有楽町2−10-1東京交通会館ビル3F・グリーンルーム

参加費:無料

予約:要予約

定員:60名

Web:https://www.ymg-uji.jp/koukaikouza2019/

予約:https://pro.form-mailer.jp/fms/8eccfede180368

美流渡と青梅の2拠点で
木工作品をつくる〈遊木童〉の
波乱万丈の人生

上美流渡の森で制作する木工作家

この連載も今回で99回目。スタートして約4年が過ぎた。
編集者として20年ほど“文章”というものに関わってきたが、
実は執筆にはずっと苦手意識を持っており、
月に2回の更新はもがきつつ苦しみつつということも多かった。

けれど幸いなことに、書くネタに困ったことはなかった。
わたしが住む岩見沢の美流渡(みると)をはじめとする山あいの地域は、
人口は700人にも満たないが、個性あふれる人々が多いし、
毎月何かしらのイベントも開催されており、
これらすべてを紹介できないもどかしさを
いつも感じているような状態だった(200回までネタには困らなそう)。

そんな状態の中で、以前からずっと紹介したいと思っていたのは
木工作家の五十嵐茂さんだ。
3年前から地域PR活動として〈みる・とーぶ〉という展覧会を
札幌などで開催しており、その参加者のひとりではあったが、
彼のこれまでの歩みについて腰を据えて聞く機会はなかった。

そろそろ秋の気配が感じられるようになった9月、
わたしは上美流渡にある五十嵐さんのアトリエを訪ねて、本当に驚いた。
これまでさまざまな移住者を紹介してきたが、
これほどまでに波乱万丈な人生があっただろうかと言いたくなるような、
強い衝撃を受けたのだった。

五十嵐茂さんと妻の恵美子さん。後ろの小屋は恵美子さんが続けている機織りの制作小屋。

五十嵐茂さんと妻の恵美子さん。後ろの小屋は恵美子さんが続けている機織りの制作小屋。

北海道と東京・青梅にアトリエがあり、行き来をしながら
木工作品の制作を行う五十嵐さんの第一印象は、寡黙で控えめ。
長年にわたり黙々と木工作品をつくってきた人物だと想像していたのだが、
それは私の思い込みだった。

取材で訪ねて最初に彼がしてくれた話は、
2014年にサンタクロースの格好をして舞踏をするという、
短編映画の主演を務めたことについてだった。

「ラッシュアワーの時間に西荻窪の駅前ロータリーで踊りました。
暗黒舞踏を踊るのはこのときが初めてだったけど、監督に
このままやっていけば1年でプロになれるって言われましたね(笑)」

アーティストがJR西荻窪駅付近に滞在し、このまちを舞台に作品を制作、発表するプロジェクト「西荻レヂデンス」の企画によって制作された短編映画。小鷹拓郎監督による『西荻サンタクロース』は、まちにサンタクロースが実在するという設定で、五十嵐さん扮する白塗りのサンタクロースが登場し、骨のようなプレゼントを行き交う人に配布した。

アーティストがJR西荻窪駅付近に滞在し、このまちを舞台に作品を制作、発表するプロジェクト「西荻レヂデンス」の企画によって制作された短編映画。小鷹拓郎監督による『西荻サンタクロース』は、まちにサンタクロースが実在するという設定で、五十嵐さん扮する白塗りのサンタクロースが登場し、骨のようなプレゼントを行き交う人に配布した。

また、国立奥多摩美術館というインディペンデントなアートスポットで行われた、
路上生活者によるダンスグループ〈新人Hソケリッサ!〉のトークイベントで
司会をしたこともあるのだという。
イベントをきっかけに路上生活者のみなさんと意気投合し、
青梅の自宅に彼らを泊めた日のことを、懐かしそうに語ってくれた。

「ホームレスになったとき、最初の晩が一番辛いんだって。
線路に飛び込むか、段ボールを敷いて寝るか、そのどちらかだと誰もが考えるそうです」

こんなふうに、五十嵐さんの口からは、
わたしの想像がすぐには及ばないような話が次々と飛び出していった。

舞踏の演技の様子を手振り身振りで説明してくれた。

舞踏の演技の様子を手振り身振りで説明してくれた。

大きな家から小さな家へ……!?
移住から2年半。再び家探し、始まる

「予算はないけど夢はある」
家探しの旅

移住先探しの旅を経て、伊豆下田に移住した津留崎さん一家。
念願叶って広い庭のある大きな家に暮らしていますが
実際、暮らし始めるとそこには「理想」と「現実」のギャップが……。
そして再び、家探しが始まりました。
その理由は? そして今度はどんな家を探すのでしょう?

人がつながり、コトが始まる場所。
〈カフェ鎌倉美学〉に
まちの老若男女が集まる理由とは?

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

〈カフェ鎌倉美学〉がある御成通り商店街。ここ数年、新店が次々とオープンし、地元民に加えて観光客の往来も増えている。

〈カフェ鎌倉美学〉がある御成通り商店街。ここ数年、新店が次々とオープンし、地元民に加えて観光客の往来も増えている。

老若男女が集うコミュニケーションカフェ

鎌倉駅の西口は、地元住民から「裏駅」と呼ばれている。
鶴岡八幡宮へと連なる小町通りなどがあり、
観光客で賑わう駅の東側が正面口であることに対して、
西側は、鎌倉の裏口というわけだ。

この裏駅から延びる御成通り商店街は、近年続々と新店がオープンし、
少しずつその様相が変わり始めているものの、
のんびりしたローカルムード漂う商店街として、
地元民から観光客までに広く親しまれている。

この商店街を数分歩くと、〈カフェ鎌倉美学〉と書かれた赤い看板が見えてくる。
まだこの辺りに飲食店が数えるほどしかなかったいまからちょうど10年前、
オーナーの湊 万智子さんが、それまで勤めていた
鎌倉のケーブルテレビを退職して開いたお店だ。

「コミュニケーションカフェ」という冠がつけられた鎌倉美学には、
性別や世代、職種などを超えて老若男女が集い、
地元住民から観光客までが気軽に語らえるお店として、
いまではまちに欠かせない存在だ。

カフェ鎌倉美学の店主・湊万智子さん

この鎌倉美学では、しばしば音楽イベントや作品の展示などが行われ、
若手アーティストたちの表現の場にもなっており、
また、ここで間借り営業をしたことがきっかけで、
後に飲食店を構えることになる人や、鎌倉に移住してきたあと、
このお店を通じて地域コミュニティとの関わりを深める人なども多く、
まちで新たな活動を始める人たちのはじまりの場所にもなっている。

多くの人たちから「マチコさん」と慕われ、
常連客から観光客、スタッフまでが垣根を超えてつくる大きな輪の
求心力となっている鎌倉美学のオーナー、湊さんを訪ねた。

カフェ鎌倉美学外観

家族と、仲間と、
豊かで楽しい食卓のある暮らし

7年経って、驚くほど変わった生き方

小豆島で暮らし始めてもうすぐ丸7年経ちます。
うひょ〜、7年!
30代で引っ越してきた私たち夫婦は、気づけば40代になりました。
盛りだくさんの毎日が積み重なって、
小豆島に引っ越してきたのはもうずっとずっと昔のような気がします。

カフェメンバー、ファームメンバーそろって集合写真。

カフェメンバー、ファームメンバーそろって集合写真。

いま採れる野菜はこんな感じです。夏の暑さが落ち着き、みずみずしい葉物野菜が採れ始めました。

いま採れる野菜はこんな感じです。夏の暑さが落ち着き、みずみずしい葉物野菜が採れ始めました。

7年経ってもいまだに私たちは「移住者」で、雑誌の取材などでも
「どうして移住されたのですか?」と聞かれることがしばしばあります。
なんでだっけ?(笑)

名古屋で暮らしていた頃どんなことを考えて移住を決めたのか、
どんな気持ちだったのか、もう遠い記憶です。
ただやっぱり当時のことを思い出そうとすると、
いろんな思いや出来事が頭の中に浮かび出てきます。

30代前半、都会で子どもを育てながら働いていた私は、
それなりに満たされてはいたけれど、なにか悶々としていました。
自分が何をしたいのか、どんな生き方をしたいのか、ずっと考えていました。

畑の隅に植えられている栗の木から落ちた栗を収穫。

畑の隅に植えられている栗の木から落ちた栗を収穫。

この連載「小豆島日記」の最初の回に、私はこんなことを書いています。

消費するために働いてお金を稼ぐ、そういう生き方じゃなくて、
生きること自体を働くことにしよう。
暮らしに必要なものを自分たちの手でつくる時間、
ごはんを家族そろって食べる時間を持とう。

栗は食べるのにすごい手間がかかります。ひとつずつ鬼皮をむいて渋皮をむいて。

栗は食べるのにすごい手間がかかります。ひとつずつ鬼皮をむいて渋皮をむいて。

栗ごはーん! お米も栗も私たちが暮らす小豆島肥土山産。

栗ごはーん! お米も栗も私たちが暮らす小豆島肥土山産。

ポートランドのDIY精神に刺激を受け
ものづくりの喜びを分かち合う、
〈RINNE〉プロジェクト始動

写真提供:RINNE

廃材にクリエイティブな価値を見出し循環させたい

今回は、2020年春、東京・台東区に拠点がオープンするという
新しいプロジェクトについて紹介してみたい。

プロジェクト名は〈RINNE(りんね)〉。
生命が無限に転生を繰り返すという
「輪廻(りんね)」の思想が言葉の由来になっており、
モノを捨てることなくクリエイティブな価値を見出し
循環させていこうとするプロジェクトだ。

その第1弾として、不要なモノを素材にして、お酒を飲みながら
ワイワイものづくりを楽しむバーの立ち上げが計画されている。

RINNEの活動を知ったきっかけは、このプロジェクトのメンバーであり、
コミュニケーションデザイナーの山中緑さんと東京で約半年ぶりに再会したことだ。

札幌在住だった緑さんは、昨夏、娘さんとふたりでポートランドへ電撃移住。
住まいも仕事も決めずに現地に向かった彼女は、
この移住を“冒険の旅”と名づけ、さまざまな暮らしの挑戦を行っていった。

ハプニングを乗り越えつつ住まいを見つけたり、娘さんの学校を探したり。
Facebookで発信される日々の挑戦にわたしは引き込まれ、
昨冬の一時帰国のタイミングに合わせ、
わたしの住む美流渡(みると)で彼女にお話会を開いてもらったこともある。

美流渡のお話会の様子。緑さんは、「これまでのいろんな概念が壊され、常識が覆され、そして刺激を受け、ショックとともに自由になって元気になっている気がする」とポートランドでの日々を語ってくれた。

美流渡のお話会の様子。緑さんは、「これまでのいろんな概念が壊され、常識が覆され、そして刺激を受け、ショックとともに自由になって元気になっている気がする」とポートランドでの日々を語ってくれた。

今年の6月、たまたまわたしの上京予定と彼女の帰国のタイミングが重なって、
東京で会うことができて驚いたことがある。
たった半年のあいだに、緑さんのまわりでは、
新しいプロジェクトがたくさん始まっており、その中でも、
これから本格始動するというRINNEプロジェクトに、大きな興味を持ったのだった。

わたしが移住した岩見沢の山あいの美流渡地区は、過疎化が進み、空き家も多い。
これらの家の中には生活道具が残されていたり、
倒壊の危険のある古家はどんどん壊されているのだが、
廃材として捨ててしまうには惜しいものも多く、
なんとか活用する手段はないのだろうかと、つねづね感じており、
このプロジェクトがヒントになるのではと感じたからだ。

RINNEプロジェクトのアイデアの源泉になったのは、
ポートランドにある〈SCRAP PDX〉と〈DIY BAR〉という取り組みだ。
緑さんは、日々の暮らしのなかで、なぜポートランドが「世界の先端」と言われ、
「クリエイティブシティ(創造都市)」と言われるのか、その秘密を探っていた。
そんななかで大きな刺激を受けたものがこのふたつだったという。

〈SCRAP PDX〉の店内。シールや包装紙などあらゆる素材が集められている。(写真提供:RINNE)

〈SCRAP PDX〉の店内。シールや包装紙などあらゆる素材が集められている。(写真提供:RINNE)

SCRAP PDXは非営利の団体で、紙製品や布、文房具など、
クリエイティブな素材になりうる、ありとあらゆるモノが
集められたショップを運営している。
仕入れは売れ残りの商品や余った材料など寄付によってまかなわれていて、
ボランティアが仕分けを行っている。

緑さんの娘さんは、ここに入ったとたん「宝の山だ」と狂喜乱舞したそうで、
誰もが何かがつくりたくなってくる、
そんなワクワクした気分になれる場所なのだという。

〈DIY BAR〉。ものづくりをしながら食べたり飲んだり。店員さんもフレンドリーで、つくった作品をほめてくれることも。(写真提供:RINNE)

〈DIY BAR〉。ものづくりをしながら食べたり飲んだり。店員さんもフレンドリーで、つくった作品をほめてくれることも。(写真提供:RINNE)

もうひとつのDIY BARは、クラフトビールなどポートランドらしい飲み物を飲みながら、
和気あいあいとした雰囲気のなかでものづくりを楽しめる場所。

「わたしはもともとの真面目な性格と、デザイナーとしての変な意識(プライド?)で、
気持ち肩に力が入った気がしたけれど、それがだんだん、
どんどん“どうでもよくなって”いって、さまざまな手法を試したくなる!」

緑さん革小物づくりをこのバーで体験し、そんな感覚を覚えたという。

〈山里カフェ Mui〉
猟師である女性オーナーが
自ら猟をするジビエカフェ

年間100頭以上を狩猟し、自ら解体してカフェで提供

木の陰で息をひそめる、その女性が見つめる先には獣道が続く。

「勢子(せこ)と呼ばれる別働隊と猟犬が、追い込んでくる獲物をこうやって待ち伏せて、
通りかかった瞬間に銃で撃つんです」と教えてくれた。

いわゆる「巻き狩り」という伝統的な狩猟法で、
愛知県豊田市の山間部にある足助(あすけ)地区では、
多いときで10数人のハンターが集まり、この猟を行っている。
捕獲した山の恵みは、参加者全員で山分けするのが、昔からの習わしだ。

清水潤子さんは、猟師歴5年目。散弾銃が使える第一種銃猟免許に加えて、
わな猟、網猟免許も持ち、巻き狩りだけでなく単独でも猟を行い、
年間100頭以上の鳥獣を狩猟。
自ら解体、調理を行い、豊田市内の足助地区で営む〈山里カフェMui〉で、
ジビエ料理のランチとして提供している。

この秋から猟に出ることを目指し、現在訓練中の猟犬・ベリー(メス・4か月)と一緒に山へ。

この秋から猟に出ることを目指し、現在訓練中の猟犬・ベリー(メス・4か月)と一緒に山へ。

「イノシシ 捕る 資格」と、検索したのが始まり

「実は、結婚直後に、末期がんと診断されて。
私は新潟県長岡市の田舎育ちなので、
主人が『自然豊かなところで過ごせば、少しでも良くなるのでは』と考え、
間伐体験や米づくり体験など、いろいろな場所へ連れて行ってくれたんです」

最初は、横になって見学しているだけだったが、徐々に病状が回復。

「本当に、奇跡的に良くなったんです! 当時を知る人からは、
久しぶりに会うと『しぶといな~(笑)』ってからかわれます」

この足助地区を訪れたのも、米づくり体験がきっかけだった。
参加するたびに、地元農家の人たちからは、
イノシシによる農業被害について話を聞いていた。
昼食に登場するのも、イノシシ料理が中心。
そんなある日の昼休みに、目の前をイノシシが走り抜けた。

「それを見た農家の方が、『誰かとってくれ!』って口走ったんです。
しかしそこにいたのは、地域外からの参加者ばかり。
私たちのような“よそ者”にまで頼まなければならないほど、深刻な問題なんだと痛感して。
スマホで、『イノシシ 捕る 資格』と検索したら、狩猟免許のことが出てきて、
すぐに主人と、もうひとりの参加者と3人で申し込んだんです」

木の陰などで待ち伏せ、猟犬に追われ獲物が逃げてきたら、銃を構える。

木の陰などで待ち伏せ、猟犬に追われ獲物が逃げてきたら、銃を構える。

こうして、わな猟の免許を取得したのは2014年。
そのことを足助の農家の人たちに伝えると、
すぐに「今、罠にイノシシがかかっているけど来ないか?」という誘いの電話が。
1時間ほど車を走らせ、山の中に到着すると、大きなイノシシがかかっていた。

「最後に、ヤリを喉に突き刺してしとめるのですが、
ワイヤーが切れてこっちに突進してくるんじゃないかという恐怖心と、
返り血を浴びたときの罪悪感は、今でも忘れられません。
大切な命をいただいているのだからこそ、『無駄にしてはいけない』と強く思うのです」

駆除されたイノシシやシカの約9割が、埋設されている

猟友会に参加し、狩猟の現場に出るようになり、あらためて感じた問題がふたつある。
ひとつは、いわゆる鳥獣による農作物被害の深刻さだ。
豊田市では、イノシシやシカなどによる鳥獣被害が、
年間約1.2億円(豊田市産業部農政課「平成29年豊田市鳥獣被害状況調査結果」)に及び、
農家の人たちを悩ませている。

一方で、そういった有害鳥獣として駆除されたイノシシやシカは、
全国平均で約9割も、利用されることなく埋設されている。
ハクビシンやアライグマなどの小動物にいたっては、ほとんどが廃棄されているという。

緑色の大きな屋根の古民家が山里カフェMui。

緑色の大きな屋根の古民家が山里カフェMui。

「有害鳥獣といえど、命の重みに違いはありません。
せめて、最後までおいしく食べてあげたいと、
ちょうど募集中だった『三河の山里起業実践者』という制度に、
ジビエ料理を出すカフェのプランを提出したんです」

「三河の山里起業実践者」とは、愛知県の三河山間地域で起業に挑戦する人を支援し、
移住・定住を促進する県の事業。
清水さんのプランは見事採用となり、
当時暮らしていた愛知県刈谷市から足助地区への移住を決意。
すでに足助で購入してあった築150年の古民家を改装してジビエカフェを開く夢が、
現実のものとして動き出した。

猟師の先輩にもらった、20年前のシカの剥製。角が左右に広がっているのは、山がきれいに手入れされていた証。現在のシカは、角が上に真っ直ぐ伸びているそう。

猟師の先輩にもらった、20年前のシカの剥製。角が左右に広がっているのは、山がきれいに手入れされていた証。現在のシカは、角が上に真っ直ぐ伸びているそう。