おふくろの味を生む「ぬか床」。
自家製のぬか漬けを受け継ぐ

継いでいきたい、おふくろの味

かつては、家庭でぬか床を持ち、自家製のぬか漬けが
日常的に食卓にのぼるなんてことは珍しくありませんでした。
下田に移住した津留崎家の食卓にも、
自家製のぬか漬けが並ぶようになったそう。
今回は、同じく下田に移住してきた
津留崎さんのお母さんとぬか床のお話です。

最高のご飯のお供は……?

然ですが……「ご飯のお供」は何がお好きでしょうか?
先日、米づくりを手伝ってくれた友人たちをわが家に招いて
「新米を味わう会」を開催しました。
友人たちには、ご飯に合う一品はこれだ! という
お気に入りのご飯のお供を持ってきてもらい、
炊きたての新米と合わせていただきました。

みんなで汗を流してつくった米を土鍋で炊く。
そして、お気に入りのご飯のお供。
シンプルですが、これこそこの上ないごちそうではないか?
そんなことを感じました。

津留崎家自家製の梅干し

わが家で毎年漬けている梅干し。昔ながらのつくり方できちんとしょっぱい梅干し、これが新米と抜群の相性なのです。

最近、わが家のお気に入りのご飯のお供に、
自家製のぬか漬けが加わりました。
この秋から自宅のキッチンに鎮座しているぬか床で漬けたぬか漬け。
これが我ながらおいしいのです。

最近はこのぬか床で漬けた野菜がいい具合に漬かると
にんまりしてしまうほどで、
ぬか漬け臭の漂う手でこの原稿も書いております。

我が家のぬか床

実はこのぬか床は、僕の母が長年漬けているぬか床を
分けてもらったもの。
そして、母のぬか床は、僕が生まれるよりも前に
親戚から分けてもらったそうです。
それからは長年、東京の僕の実家にありました。
母の移住とともに下田にやってきたということになります。

今回は母とともに下田に移住(?)してきたぬか床の話です。

下田を散歩する母と娘

[ff_assignvar name="nexttext" value="高齢の母の移住"]
[ff_file_include_from_theme filepath="/include-unit/unit-layout-magazine-child-pagenation.php"]

移住して変わった、母との距離

では、ぬか床の話の前に母の話を少し。

わが家が下田に移住してきたのは2017年の春。
それから1年後、東京でひとりで暮らしていた僕の母親を
下田に呼び寄せ、母も移住してきました。
そのとき、母は82歳。

ありがたいことに心身ともに健康で、
買い物や病院への行き来の手助けくらいは必要ですが、
基本的にはひとりで自立して生活できます。
同居の必要はないだろうと、わが家の近くに
小さな家を借りて暮らすことになりました。

でも、年齢を考えると、訪れる状況の変化にうまく対応できるのか? 
少なからずは心配ありました。

スパイスドッグの店内

わが家のお気に入りのお店〈スパイスドッグ〉にて、カレーを食べる母と妻。

でも、そんな心配をよそに、母は徐々に、順調に
下田での暮らしに慣れていきました(移住当初の様子は当時、
妻がこの連載で綴っています)。

移住してからは週に何度か一緒に食卓を囲むようになりました。
わが家に母が来ることがほとんどですが、
母の家に行き、母が手料理をふるまってくれることもあります。

鍋を囲む母と娘、その友だち

母の家にて。娘の友だちもすっかりなついています。

今年の春には一緒に旅行にも行きました。

ひめゆりの塔

母のたっての希望で沖縄へ。昭和10年生まれの母とまさに同世代の少女たちが多く犠牲となった「ひめゆりの塔」にて。忘れられない旅となりました。

また、10月には、台風19号が前代未聞の勢力を保ったまま
伊豆に上陸するという情報が流れました。
台風が接近する前日から母の家にわが家3人が避難。
無事に台風が通過したときの、ともに危機を乗り越えたという
安堵感が忘れられません。なんとも不思議な経験でした。

窓に補強テープが貼られている

わが家の雨戸のないガラス戸には補強テープを貼りまくって母の家に避難しました。家族みんなが揃っていれば、大きな災害がきても、ともに動ける。その点では安心して過ごせました。

お互いに東京で暮らしていたときには
2週間に1度くらいのペースで顔を見る程度でした。
当時は僕も会社員で、時間の融通がきかず
なかなか顔も出せなかったのです。
旅行に行くこともなかったですし、
災害があってもともに過ごすことはなかったと思います。

移住をきっかけに随分と距離が近くなりました。
ひとり暮らしの高齢の親を持つ身としては、
こうして頻繁に様子を見られる状況にあることは何より安心できます。
さらに母にとって、孫の成長を間近に感じることができるということは、
何よりの喜びだと思います。

この決断を受け入れてくれた妻にはあらためて感謝です。

下田の海に出かけた母と娘

[ff_assignvar name="nexttext" value="母が入院! まず心配したこととは…"]
[ff_file_include_from_theme filepath="/include-unit/unit-layout-magazine-child-pagenation.php"]

母が大切にしてきたぬか床

そして、母の下田移住から1年半が経とうしていたこの秋のこと。
母が体調を崩してしまい、入院することになったのです。

入院当初は顔色もすぐれず心配していたのですが、
日が経つにつれて顔色もよくなり、ひと安心。
そんな状況だったのですが、母が入院してまず心配したことがあります。
自宅にある「ぬか床」のことでした。

入院して数日目。
様子を見に行った帰り際に、母が言い出しました。
「家のぬか床が心配なので様子を見ておいてほしい」と。

実は、この「ぬか床が心配だ」という言葉を最初に聞いたとき、
「ぬか床のことなんて気にしてないで、
しっかり休んで元気になってくれよ……」
と思ってしまったのですが、心配だというのであればしょうがない。
入院しているあいだはしっかり面倒見るから安心しなよと伝えて、
家路に着きました。

きゅうりとかぶのぬか漬け

母のぬか漬け。少し酸味がありしっかり塩気もある、これがなかなか美味なのです。

帰り道、車を運転しながらあらためて考えたことがあります。
そういえば母は、僕の記憶にある限り入院したこともない。
誰かがぬか床の面倒を見なければいけないほど
長く家を空けるようなこともなかった。
なので、これまでぬか床の管理を
誰かに頼むなんてことはなかったのです。

そのぬか床で漬ける漬け物は、僕の幼少の頃から慣れ親しんできた、
まさに「おふくろの味」。
いま、下田の母の家でごはんを食べるときにも、
母がつくる食事にはなくてはならないものでもあります。

母のつくる食事には、あたり前にぬか漬けが出てくる。
その陰にあった、ぬか床を混ぜ続けてきたという母の行為に、
初めて思いを馳せました。

誰もいないガランとした母の家に入り、
ぬか床の様子をおそるおそる確認。

ぬか床

ぬか床の管理の基本は日々混ぜること。混ぜていない期間が長いと腐ってダメになってしまうのです。

入院してから数日間混ぜていない状況でしたが、
だいぶ気温が下がっていた時期ということもあり、
特に問題はなさそうでした(気温の高い夏場は特に腐りやすく、
毎日混ぜなければならないのですが、気温が低い時期は
数日間混ぜなくても大丈夫なのです)。

実は東京に暮らしていた頃に一度、母のぬか床を少し分けてもらって
わが家でもぬか床を持っていた時期がありました。
でも、僕も妻もお互いにフルタイムで仕事をしていて余裕がなく、
ちゃんと面倒を見ることができず、腐らせてしまいました。

そのときは、分けてもらったぬか床だったので
「母のぬか床」を絶やすことにはならなかったのですが、
今回は違います。
母が長いあいだ混ぜ続けてきたぬか床、
これをダメにしたらもうほかに代わるものはないのです。
いままでとは違う緊張感を持って……混ぜました。

すると、幼少の頃より親しんだぬか床の
なんとも言えない複雑な香りが漂います。
香りとともに思い出が蘇ってくる気さえしました。

そのぬか床を、とりあえずわが家に持って帰りました。
母が入院しているあいだはうちで管理しようということになったのです。

どうせならばと、ぬか漬けに合う野菜を漬けこんでみる。
ひと口味わってみると、まさに自分が幼少の頃より親しんできた
おふくろの味です。いままで当たり前だと思っていた
おふくろの味の存在の大きさを、あらためて感じました。

ぬか床から取り出したかぶとにんじん

[ff_assignvar name="nexttext" value="この味を守れるのか…?"]
[ff_file_include_from_theme filepath="/include-unit/unit-layout-magazine-child-pagenation.php"]

再び、ぬか床を混ぜる日々

そして、母の体調は徐々に回復。
退院の日がやってきました。

わが家にしばらくあったぬか床は、母の家へと戻りました。
母がぬか床を混ぜる日々が再び始まったのです。

でも、わが家のぬか床を混ぜる日々も終わらなかった。
というのも、母のぬか床を再び分けてもらったのです。

ぬかを入れた壺

ぬか床管理の基本は混ぜることですが、ただ混ぜていればいいというものでもなく、ぬかを足したり、塩やら昆布やら唐辛子などなどで味を調えたりということも肝だそうです。

東京で暮らしていたときより、僕も妻も少し余裕ができました。
さらには、おふくろの味はあるのが当たり前なのではない、
継いでいくものなのだ。そんな思いも芽生えてきました。

今度こそはと、決意を新たに混ぜ混ぜしています。

とはいっても人間、そんなに簡単に変われないものです。
また腐らせてしまうかもしれない……。
そして、いまの風味を保っていけるのか? そんな不安もあります。
母に教えてもらいながら、しっかりおふくろの味を継いでいきたい。
そう思っています。

ぬか床の中のきゅうり

ということで、頼りない僕らがこのぬか床を継げるようになるまでは、
相当時間がかかりそう。
なので、母にはまだまだ元気でいてもらわないと困ります。

だから、まだまだ元気でいてね。
頼んだよ、母ちゃん。

text & photograph

津留崎鎮生 Shizuo Tsurusaki
つるさき・しずお●1974年東京生まれ東京育ち。大学で建築を学ぶ。その後、建築家の弟子、自営業でのカフェバー経営、リノベーション業界で数社と職を転々としながらも、地方に住む人々の暮らしに触れるにつれ「移住しなければ!」と思うように。移住先探しの旅を経て2017年4月に伊豆下田に移住。この地で見つけたいくつかの仕事をしつつ、家や庭をいじりながら暮らしてます。Facebook Instagram

Recommend 注目のコンテンツ

Special 関連サイト

What's New 最新記事