連載
posted:2019.10.9 from:神奈川県鎌倉市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
豊かな歴史と文化を持ち、関東でも屈指の観光地、鎌倉。
この土地に惹かれ移り住む人や、新しい仕事を始める人もいます。
暮らし、仕事、コミュニティなどを見つめ、鎌倉から考える、ローカルの未来。
writer profile
Yuki Harada
原田優輝
はらだ・ゆうき●編集者/ライター。千葉県生まれ、神奈川県育ち。『DAZED&CONFUSED JAPAN』『TOKION』編集部、『PUBLIC-IMAGE.ORG』編集長などを経て、2012年よりインタビューサイト『Qonversations』を運営。2016年には、活動拠点である鎌倉とさまざまな地域をつなぐインターローカル・プロジェクト『◯◯と鎌倉』をスタート。
photographer profile
Ryosuke Kikuchi
菊池良助
きくち・りょうすけ●栃木県出身。写真ひとつぼ展入選後、雑誌『STUDIO VOICE』編集部との縁で、INFASパブリケーションズ社内カメラマンを経てフリーランス。雑誌広告を中心に、ジャンル問わず広範囲で撮影中。鎌倉には20代極貧期に友人の家に転がり込んだのが始まり。フリーランス初期には都内に住んだものの鎌倉シックに陥って出戻り。都内との往来生活も通算8年目に。鎌倉の表現者のコレクティブ「全然禅」のメンバー。
http://d.hatena.ne.jp/rufuto2007/
長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。
年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。
東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。
その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。
そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。
鎌倉駅の西口は、地元住民から「裏駅」と呼ばれている。
鶴岡八幡宮へと連なる小町通りなどがあり、
観光客で賑わう駅の東側が正面口であることに対して、
西側は、鎌倉の裏口というわけだ。
この裏駅から延びる御成通り商店街は、近年続々と新店がオープンし、
少しずつその様相が変わり始めているものの、
のんびりしたローカルムード漂う商店街として、
地元民から観光客までに広く親しまれている。
この商店街を数分歩くと、〈カフェ鎌倉美学〉と書かれた赤い看板が見えてくる。
まだこの辺りに飲食店が数えるほどしかなかったいまからちょうど10年前、
オーナーの湊 万智子さんが、それまで勤めていた
鎌倉のケーブルテレビを退職して開いたお店だ。
「コミュニケーションカフェ」という冠がつけられた鎌倉美学には、
性別や世代、職種などを超えて老若男女が集い、
地元住民から観光客までが気軽に語らえるお店として、
いまではまちに欠かせない存在だ。
この鎌倉美学では、しばしば音楽イベントや作品の展示などが行われ、
若手アーティストたちの表現の場にもなっており、
また、ここで間借り営業をしたことがきっかけで、
後に飲食店を構えることになる人や、鎌倉に移住してきたあと、
このお店を通じて地域コミュニティとの関わりを深める人なども多く、
まちで新たな活動を始める人たちのはじまりの場所にもなっている。
多くの人たちから「マチコさん」と慕われ、
常連客から観光客、スタッフまでが垣根を超えてつくる大きな輪の
求心力となっている鎌倉美学のオーナー、湊さんを訪ねた。
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徳島県の出身で、海や川のそばで生まれ育ったという湊 万智子さん。
社会人となり、東京のCS放送局で働いていた彼女はあるとき、
求人誌に載っていた「海のあるまちの放送局」という謳い文句に惹かれ、
15年ほど前に鎌倉のケーブルテレビ局に転職。
それを機に、このまちに移り住んだ。
ほとんど前情報もないまま暮らし始めた鎌倉だったが、
チャンネルガイドの編集やイベントの企画などの仕事を通じて、
地域との関係を深めていくなかで、このまちが持つ魅力にどんどん惹き込まれていった。
しかし、テレビ局が東京資本の企業に買収されることになり、
やがて転勤で鎌倉を離れていく同僚たちもチラホラと出てくるようになる。
「地域と密接に関わっていた仕事だったこともあり、
すぐに転勤はないと言われていたのですが、
歳を重ねてから遠くに行くのもイヤだったし、会社を辞める決意をしました。
そんな折に、当時のクライアントが運営していたお店が閉まることになり、
新しくお店をする人がいないかと相談され、結局私が手を挙げたんです」
こうして、図らずもケーブルテレビ局を退社する直前に、
鎌倉でお店を開業することが決まったのだ。
「鎌倉美学」という店名には、
鎌倉で暮らし、働いたおよそ5年の間に抱いたまちの印象や、
お店にかける湊さんの思いが反映されている。
「鎌倉の人たちは日々の暮らしや人生を楽しむことがとても上手で、
そこには金銭面とはまた別の豊かさがありました。各々が自分の好きなものを持ち、
それぞれの美学を持ってこのまちで暮らしていると感じていたので、
それらを持ち寄れるような楽しい空間がつくれたらいいなと思ったんです」
鎌倉美学の看板には、「コミュニケーションカフェ」という言葉が添えられている。
実はここにも、湊さんが長年温め続けてきた思いが反映されている。
「定年になったら、鎌倉を訪れる外国人とまちの人たちの
コミュニケーションの場になるようなカフェをやりたいと前から思っていたんです。
人と人をつないでいくような場所をつくりたいという思いがあったので、
コミュニケーションカフェという言葉を使っています」
鎌倉美学では、主にスペインや南米の食事やワインが提供されている。
20代の頃にスペインを訪れて以来、そのまち並みや人、
文化に魅せられてきたことがその大きな理由だ。
ラジオ講座などを通して独学でスペイン語を習得してしまうほど
スペインにハマってしまった湊さんだが、
コミュニケーションカフェを謳う鎌倉美学の原風景も、そんなスペインの街角にある。
「街角のバルなどで食事をしていると、
初めて出会った人が次のお店に連れて行ったりしてくれたりして、
その気軽さや寛容な感じがすごくいいんですよね。
だからこのお店も、年齢問わず誰もが気軽に来ることができて、
たまたま隣同士になった人たちが仲良くなれるような空間にしたい
という思いがありました」
鎌倉美学は、世代や性別、職種などを問わず老若男女が集い、
あらゆる人に開かれた場だ。このまちに移り住み、鎌倉美学を入口に
地域のコミュニティに深く関わるようになる人たちも少なくない。
「芋づる式に人とつながっていくところがあるので、
鎌倉に住み始めたばかりの人がここに来て友だちを増やし、
一気にまちになじむようなこともよくあります。
鎌倉は狭いまちなので、知り合いが増えれば増えるほど、毎日が楽しくなりますよね」
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鎌倉美学の店内には、個性的なアートワークやインテリアなどが見られるが、
これらの多くは、常連客や元スタッフなどの手によるものだ。
開店当初から、音楽イベントなどを開催していた鎌倉美学には、
近隣のアーティストや作家たちも訪れるようになり、
常連となった作家の器を用いたイベントや、
店内での作品展示なども数多く行われてきた。
「ケーブルテレビで働いていた頃に、
鎌倉芸術祭というイベントを企画したことがきっかけで、
若手アーティストのバックアップをしていきたいと思うようになりました。
アーティストや作家が会場を借りて展覧会をしても、
作品が売れなければお金にはなりません。
だから、美学での展示は基本的に無料で場所をお貸ししていて、
アーティストの活動や作品が、少しでも多くの人の目に触れる
お手伝いをしたいと思っています」
こうした若手アーティストの支援活動は、やがてお店を飛び出し、
鎌倉を拠点にするアーティストたちが集う展示イベントなどを行う
「鎌倉アーティストバンク」(現在は休止中)などへと発展し、
湊さんのライフワークとも言える活動となっている。
鎌倉美学では、以前に本連載でも紹介したウクレレソングユニット
〈小川コータ&とまそん〉の月一のライブイベント「鎌倉美楽」や、
店内の一部をラジオブースにした地元FM局の生放送なども行ってきた。
そのほかにもベリーダンスから落語まで、
湊さんはあらゆるジャンルの表現者たちにこの場所を開放している。
「私は美学のことを飲食店ではなく、なんでもできるハコだと考えています。
基本的にこの場所でできることは何でもウェルカムだし、
ジャンルを問わず何かを表現をしている人たちに
このハコをうまく使ってほしいと思っています」
同じく本連載の初回に登場したコーヒースタンド
〈グッドグッディーズ〉の内野陽平さんも、鎌倉美学でスタッフをしている時代に、
この場所で朝限定のカフェ営業を行い、それが独立のひとつのきっかけになったように、
湊さんは、このまちで新たな活動をしようとする人たちの背中を押し、
はじめの一歩となる機会を数多くつくってきた。
「美学に限らず、鎌倉には飲食店の間借り文化のようなものが根づいていて、
チャレンジしたい人が気軽に始められるところが良いと思っています。
うちでは、マスター方式と呼んでいたのですが、
ビーガン料理やイタリアンのシェフなどに、週一や月一など
それぞれのペースでキッチンに立ってもらうということもしていました。
その道のプロではあるけれど、まだ自分のお店を持っていないような人たちが、
ここでの経験を経て独立するようなこともあります」
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鎌倉美学では現在、昼夜合わせて10人前後のスタッフが働いている。
なかには、生業を別に持ちながら、週1、2回のペースでお店に立つスタッフもおり、
ここで培われたネットワークが、自らの本業や地域活動などに
生かされることも少なくない。
「平日は東京や横浜で会社員として働きながら、週末の夜だけお店に立ってくれる人や、
東京でシェフをしていて、お店が休みの日曜日だけ入ってくれる人もいます。
向こうから働きたいと言ってくれることも多いですが、
もともとお客さんとして来てくれていた人に、
私からナンパをするようなこともあるんです(笑)」
湊さんの人柄や、この場所が持つ空気に多くの人たちが惹き寄せられ、
鎌倉美学を中心とした輪は日増しに大きくなっている。
「スタッフや常連のお客さん同士が仲良くなり、
週末にみんなで近所の体育館でトレーニングをしたり、
水泳大会やマラソン大会に出場したりしているのですが、
周りに刺激をされてみんなどんどん多趣味になっていくんです(笑)。
もう大きなファミリーのようなものですし、
みんなでお店を回しているような感覚ですね」
この地にお店を構えてはや10年。
もはやこのまちになくてはならない存在となっている鎌倉美学だが、
湊さんは、このお店の今後についてどのように考えているのだろうか。
「お客さんからは、辞められると困るので
おばあちゃんになってもやっていてくれと言われています(笑)。
もはや美学は私のものではなく、まちのみんなのものという感じがしているので、
将来私が引退したとしても、何かしらのかたちでお店は残っていてほしいですね。
美食のまちとして知られるスペインのサンセバスチャンには、
会員制の“美食倶楽部”というものがあって、みんなで食材を持ち寄り、
料理をつくって食べ、お酒は飲んだ分だけお金を置いて帰るんです。
将来的には美学もユニオンのようなかたちでみんなで回していけるといいなって(笑)」
あらゆる世代、立場、職種の人たちが分け隔てなくつながり、
この場所での出会いや広がった輪から、まちの新たなアクションや表現が生まれていく。
これからも鎌倉美学は、このまちで暮らし、さまざまな活動を続ける
“みんな”の拠り所であり続けていくはずだ。
information
カフェ鎌倉美学
住所:神奈川県鎌倉市御成町8-41
TEL:0467-22-2233
営業時間:11:30〜15:00、18:00〜23:00
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