連載
posted:2019.3.24 from:神奈川県鎌倉市 genre:エンタメ・お楽しみ
〈 この連載・企画は… 〉
豊かな歴史と文化を持ち、関東でも屈指の観光地、鎌倉。
この土地に惹かれ移り住む人や、新しい仕事を始める人もいます。
暮らし、仕事、コミュニティなどを見つめ、鎌倉から考える、ローカルの未来。
writer profile
Yuki Harada
原田優輝
はらだ・ゆうき●編集者/ライター。千葉県生まれ、神奈川県育ち。『DAZED&CONFUSED JAPAN』『TOKION』編集部、『PUBLIC-IMAGE.ORG』編集長などを経て、2012年よりインタビューサイト『Qonversations』を運営。2016年には、活動拠点である鎌倉とさまざまな地域をつなぐインターローカル・プロジェクト『◯◯と鎌倉』をスタート。
photographer profile
Miyu Terasawa
寺沢美遊
てらさわ・みゆ●大学在学中よりフォトグラファーとして活動。CDジャケットや雑誌広告を中心に幅広く撮影。最近実家が鎌倉に引っ越したことにより、家の屋上で鎌倉花火大会を見るのが毎年の恒例行事になりつつある。
長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。
年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。
東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。
その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。
そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。
大船駅12時30分発、湘南江の島行きのモノレール。
出発のおよそ5分前に入線してきたモノレールに乗客とともに乗り込むやいなや、
音響機器のセッティングをするのは、車掌帽をかぶったふたり組の男性だ。
そして、出発とともに、大船から江の島までを結ぶこの湘南モノレール沿線に
越してきたであろう女性について綴られた楽曲『空中散歩』の演奏が始まったーー。
これは、湘南江の島駅リニューアルを記念して開催された
〈小川コータ&とまそん〉のモノレールライブの一幕。
抽選によるライブチケットを手に入れた乗客たちは、
いまでは数少なくなった吊り下げ型モノレールの車内で、
江の島に到着するまでのわずか十数分の「空中散歩」を十分に満喫したようだった。
鎌倉を中心とした湘南エリアで、さまざまなイベントや夏祭り、
飲食店などを舞台にライブを行い、江ノ島電鉄の全15駅をテーマにした楽曲群など、
鎌倉各エリアの情景を歌い続けているウクレレソングユニット、小川コータ&とまそん。
満月の夜に、彼らのお気に入りやオススメの場所でライブを行い、
すでに80回もの歴史を積み重ねている〈満月キャラバン〉、
北鎌倉の由緒ある寺社を舞台とした音楽フェスティバル〈きたかまフェス〉、
さらに地元FM局でのレギュラー番組など、地域と密接に関わりながら、
鎌倉・湘南エリアの魅力を内外に発信し続けている。
従来の音楽業界のヒエラルキーとは一線を画し、
音楽における地産地消とも言える独自の活動を展開するふたりに話をうかがった。
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2011年に、小川コータ&とまそんが結成される前まで、
小川コータさんと、林陽介(とまそん)さんは、
東京を拠点に活動するミュージシャンとして、別々に活動を続けていた。
ふたりが初めて出会ったのは、かつて鎌倉・大町にあったダイニングバーでのこと。
「たまたまふたりが居合わせていたときに、お店の人がつないでくれたんです。
その頃の僕は、東京から実家のある鎌倉に戻って暮らし始めていたのですが、
レコーディングやライブは都内がほとんど。鎌倉はとても良い場所なのに、
東京から遠いというデメリットのほうが大きかったことがもったいなくて、
何か地元で音楽活動ができないかと考えていた頃でした」
当時のことを振り返るのは、鎌倉・材木座で生まれ育ち、
メジャーデビューも果たしていたバンド〈オトナモード〉で
ベーシストとして活動していた、とまそんさんだ。
一方、東京・町田市出身で、AKB48やももいろクローバーZへの
楽曲提供などをしてきた小川コータさんもまた、
東京から鎌倉に引っ越してきてまもない頃だった。
「当時住んでいた文京区の家から引っ越しをすることになったときに、
たまたま3人くらいの友だちから別々に、鎌倉を勧められたことがきっかけでした。
それまで鎌倉には遠足のイメージくらいしかなかったのですが、
こっちに引っ越してきて、フラッと立ち寄ったカフェやバーで
突然ライブが始まるようなことが結構あって、
それがとても新鮮だったことを覚えています」
初対面の場で意気投合し、2011年にユニットを結成したふたりは、
地元でのライブを重ね、徐々にその存在を知られるようになっていく。
商店街のお祭りなどで、その地域をテーマにしたオリジナル楽曲を披露しているうちに、
いつしか「自分たちが住むエリアの曲もつくってほしい」
というリクエストも聞かれるようになったという。
「振り返ってみると僕は子どもの頃から、
地域のことについて歌っている曲に惹かれていたんです。
民謡や童謡などにしても、土地の名前が出てくる曲が好きで、
たとえそこに行ったことがなかったとしても、
不思議と懐かしい気持ちになるんですよね」(小川コータ)
演歌やフォークソング、さらには民謡や民俗音楽などの歴史を紐解いていくと、
音楽には本来、その土地の情景や出来事を歌うことによって、
地域の歴史や文化を継承し、コミュニティを育んでいく
触媒としての役割があったことがわかる。
ふたりの活動もまた、こうした音楽の根源に立ち返ったものと捉えることもできそうだ。
「商店街のお祭りなどで地元のことを歌うと、
近所の子どもたちからお年寄りまでが喜んでくれるんです。
誰しもが共感してくれる曲をつくろうとするのではなく、
まず地域の人たちの生活があり、それを歌にすることで
身近な人たちに共感してもらうということが、
最も自然な音楽のあり方なんじゃないかと感じるようになっていきました」(とまそん)
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『That’s 材木座』『ちょい待ち、大町』『長谷で逢いましょう』など、
彼らの楽曲には鎌倉のさまざまな地域をテーマにしているものが多く、
まちの日常的な風景やローカルのみぞ知るお店など、
地元民が思わずニヤリとしてしまう固有名詞も顔を出す。
こうした歌をつくり続けていくなかで、
徐々にある思いが強まってきたと、とまそんさんは言う。
「地元のことを描写した歌を残すことによって、
まちの日常の瞬間をパッケージすることができるんです。
いま目の前にあるお店やお祭りなども、
もしかしたら5年、10年後にはなくなっているかもしれない。
いつか失われてしまうかもしれない『当たり前の風景』を、
『これいいよね』とみんなに共有していくことが大切なんじゃないかと思っています」
地域に残したいものを歌にし、
その歌が地元の人たちから愛されるものになっていくこと。
それが、尊い日常や失われゆく風景を守ることにもつながると
考えているコータさんには、こんな原風景があるという。
「以前に新潟を旅していた頃、現地で知り合ったおじいさんと仲良くなり、
行きつけのスナックに連れて行ってもらったことがありました。
そこには、大御所の演歌歌手が下積み時代にこの地を訪れたときにつくったという歌を、
地元の人たちみんながカラオケで歌うという
すてきな風景があったんです」(小川コータ)
小川コータ&とまそんのふたりは、楽曲に登場する
鎌倉の名所や店鋪を実際に訪れる「さんぽ企画」を開催するなど、
鎌倉の魅力を外に向けて発信していく活動も積極的に行っている。
「大仏様や小町通りなどガイドブックに載っているものだけが鎌倉ではなく、
ふらっと入ったお店で、店員さんとちょっとしたやり取りをしたことで
うれしい気持ちになったり、記憶に残ったりしますよね。
僕らが鎌倉で暮らしていていいなと感じるまちの空気感のようなものを、
自分たちの楽曲やイベントなどを通して
感じてもらえたらうれしいなと思っています」(とまそん)
小川コータ&とまそんが、自分たちの活動を通じてメッセージしているのは、
鎌倉というまちの魅力だけにとどまらない。
地元出身のとまそんさんに対し、友人の勧めで鎌倉に移ってきたコータさんはこう語る。
「極端な話、鎌倉でなくても良かったと思っています。
最近、自分がしたかったのは、そのまちにしかないものを
大切にすることだということがわかってきました。
いまは全国どこに行ってもまちが均一化しつつあるし、
それは音楽に関しても言えることかもしれない。
それぞれの地域の人たちが、地元のおもしろさを大切にしていくことで、
日本中がもっとおもしろくなるんじゃないかという気持ちで活動をしています」
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彼らのオフィシャルサイトのプロフィール欄には、
「演奏のケータリング随時受け付け中」という文言が添えられている。
事実、モノレール車内でのライブをはじめ、飲食店や学校、
児童福祉施設、教会など彼らがライブをしてきた場所は多岐にわたり、
これは見方を変えると、まちにおける音楽のニーズの多様さを表しているとも言える。
「メジャーレーベルに所属していた時代は、
限られた音楽ファンに向けて曲をつくり、ライブをしていましたが、
いまは、たまたまライブを見てくれた地元のおっちゃんが、
『30年ぶりにCDを買った』と声をかけてくれたりするんです。
自分の周りで暮らす人たちが、ある種生々しい距離感で応援をしてくれるというのは、
音楽活動や生活を充実させていくうえで
非常に大きな要素だと感じています」(とまそん)
言うまでもなく、いまや音楽はデータ化され、
世界中の音源がワンクリックでダウンロードできる時代だ。
こうした流れに半ば逆行するかのように、
地域内のさまざまなニーズに応えていく小川コータ&とまそんの活動を、
音楽における地域循環型モデルの未来と考えてみるのもおもしろい。
「CDが売れない時代と言われるなか、音楽ビジネスの形態は大きく変わり、
最近はライブの価値が見直されるなど、
音楽がもとあるかたちに戻りつつある気がします。
あまり深く考えたことはなかったですが、もしかしたら僕らの活動もまた、
古くて新しいものなのかもしれないですね(笑)」(小川コータ)
従来のミュージシャンにおける成功モデルは、
メジャーデビューを果たしてミリオンセラーを達成し、
アリーナ会場で大観衆を前にライブを行うというものだった。
こうした業界のヒエラルキーのもとでは、都心のライブハウスで演奏を重ね、
成功の足がかりにすることがひとつの定番プロセスかもしれないが、
“都市化”していくことだけが、音楽における成熟ではないはずだ。
「CDをリリースし、テレビで歌っている人だけがミュージシャンではないし、
地元だけで歌っているすばらしいミュージシャンもたくさんいます。
そういう人たちが多くの人を沸かすような機会が増えていくとおもしろいし、
いつかは、おらが村の自慢話をしてくれるようなミュージシャンたちが集まる
フェスを開催してみたいんです」(とまそん)
「日本の音楽にもうひとつおもしろい要素を増やしたい」
と未来を見据える小川コータ&とまそんのふたり。
そんな彼らのヴィジョンは、ミュージシャンという生業に、
新たな可能性を切り開くことにもつながるかもしれない。
「若い頃にブレイクした音楽性を、そのまま惰性でキープしていくだけではない、
音楽の続け方があるといいですよね。
鎌倉には、レジェンドと言えるほどご高齢のバーテンダーがいて、
その人に会うために遠くから足を運ぶ人も少なくないんです。
自分たちが歳を重ねていったときにも、
ジジイなりの良さが出せるようなら活動を続けていたいし、
そこに行かなければ聴けない存在になるというのも
おもしろいかもしれないですね」(小川コータ)
いまから数十年後、小川コータ&とまそんが鎌倉で演奏を続けていたとしたら、
そのときにはきっと、彼らが思い描く音楽の楽しみ方や
ミュージシャンとしての生き方が、全国に広がっているはずだ。
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小川コータ&とまそん
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