連載
posted:2019.4.12 from:神奈川県鎌倉市 genre:食・グルメ
〈 この連載・企画は… 〉
豊かな歴史と文化を持ち、関東でも屈指の観光地、鎌倉。
この土地に惹かれ移り住む人や、新しい仕事を始める人もいます。
暮らし、仕事、コミュニティなどを見つめ、鎌倉から考える、ローカルの未来。
writer profile
Yuki Harada
原田優輝
はらだ・ゆうき●編集者/ライター。千葉県生まれ、神奈川県育ち。『DAZED&CONFUSED JAPAN』『TOKION』編集部、『PUBLIC-IMAGE.ORG』編集長などを経て、2012年よりインタビューサイト『Qonversations』を運営。2016年には、活動拠点である鎌倉とさまざまな地域をつなぐインターローカル・プロジェクト『◯◯と鎌倉』をスタート。
photographer profile
Ryosuke Kikuchi
菊池良助
きくち・りょうすけ●栃木県出身。写真ひとつぼ展入選後、雑誌『STUDIO VOICE』編集部との縁で、INFASパブリケーションズ社内カメラマンを経てフリーランス。雑誌広告を中心に、ジャンル問わず広範囲で撮影中。鎌倉には20代極貧期に友人の家に転がり込んだのが始まり。フリーランス初期には都内に住んだものの鎌倉シックに陥って出戻り。都内との往来生活も通算8年目に。鎌倉の表現者のコレクティブ「全然禅」のメンバー。
http://d.hatena.ne.jp/rufuto2007/
長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。
年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。
東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。
その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。
そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。
観光客で賑わう日中とは打って変わり、夜になると静けさが訪れる鎌倉だが、
まちなかには、本格的なイタリアンやフレンチを、
ワイン片手に楽しめるカジュアルな飲食店が点在している。
そして、これらのお店はかなりの確率で、
「自然派ワイン」「ナチュラルワイン」と呼ばれるワインを取り揃え、
客の好みや料理との相性などをもとにした最適な一杯を、
造り手についての詳細な説明などとともにグラスに注いでくれるのだ。
鎌倉の食と言えば、鎌倉野菜やシラスなどがまず思い浮かぶだろうが、
実は、「自然派ワイン」もまた、このまちの食文化を語るうえで
欠かせない存在になっている。
数あるまちの飲食店やワインバーのみならず、2009年に鎌倉でスタートし、
いまや全国に広がっている自然派ワインのイベント〈満月ワインバー〉、
古刹・覚園寺で毎年開催されている〈terra! terara! terra!〉など、
いまや鎌倉は、「自然派ワイン」のまちとしても認知されつつある。
そして、鎌倉のワイン文化を語るうえで欠かせない存在が、
由比ヶ浜の地で100年以上続く〈鈴木屋酒店〉だ。
昔ながらの「まちの酒屋」だった鈴木屋酒店は、
4代目となる現店主・兵藤 昭さんに代替わりしたことを機にシフトチェンジし、
いまでは、店内に並ぶ商品のほとんどが自然派ワインという、
老舗酒屋らしからぬ振り切ったラインナップになっている。
時代とともに消費者のニーズが変わるなか、
老舗酒屋の後継者として新たな活路を見出しただけでなく、
市内の飲食店と密接なネットワークを築きながら、
鎌倉のまちに新たな食文化を浸透させた立役者とも言える兵藤さんを訪ね、
鈴木屋酒店に足を運んだ。
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兵藤さんが20代半ばでお店に立ち始めた頃の鈴木屋酒店は、
ビールや日本酒、焼酎、さらに食料品や灯油なども取り扱う、
いわゆる「まちの酒屋さん」だった。
小学生の頃から手伝いをすることもあったという兵藤さんは、
お店を引き継いだ当時の状況についてこう振り返る。
「父親の代の鈴木屋酒店は、由比ヶ浜から離れたエリアにある
住宅街に配達をする御用聞きが主な仕事でした。
でも、量販店が台頭し、ビールの安売りなどもされるようになるなかで、
配達というスタイルは時代にそぐわなくなりつつあったし、
このままだと先細っていくだけだろうと感じていました」
従来のビジネスモデルを変革していく必要性を感じていた兵藤さんは、
店の新たな強みをつくるために、そして何よりも、
店主として自らのやりがいを見つけるために、さまざまな模索を始める。
「商材として、自分が興味を持てるものは何だろうといろいろ考えましたね。
そのなかで日本酒という選択肢も視野に入れていたのですが、
僕の目にはワインという商材や、それを取り巻くビジネス環境のほうが魅力に映ったし、
可能性も感じられたんです」
こうして鈴木屋酒店は、商品ラインナップにおける
ワインの比重を徐々に高めていくようになる。
しかし、これらが鈴木屋酒店の柱となるまでには、まだしばしの時間が必要だった。
鈴木屋酒店が方向転換を図り始めた1990年代後半、
鎌倉のまちでは、個人経営のフレンチやイタリアンのレストランが
少しずつ生まれ始めていた。
こうした新しいムーブメントがまちに広がっていくなかで、
兵藤さんの挑戦も徐々に軌道に乗り始めたという。
「それまで鎌倉には、地元の人が日常的に使えるイタリアンや
フレンチのお店が少なかったのですが、自分と同世代のシェフたちが、
本格的な料理をカジュアルに楽しめるレストランを始めるようになり、
こうしたお店にワインを卸すようになったことで、流れが大きく変わったんです」
当時鎌倉でレストランを始めたシェフたちは、
ホテルなど同じ職場で働いていた間柄であることも多く、横のつながりが強かった。
鈴木屋酒店の存在が彼らの間で口コミで広まり、
鎌倉を中心とした湘南エリアに取引先を増やすことができたのだという。
ところで、鈴木屋酒店がワインを扱い始めた当初、
ラインナップの中心となっていたのは、アメリカ、チリ、オーストラリアなど
ニューワールドと呼ばれる国々のワインだったそうだ。
兵藤さんが自然派ワインに興味を持つようになったのは、
いつ頃のことだったのだろうか。
「自然派ワインという言葉が使われ始めた90年代末頃に、
ある試飲会に行ったことがきっかけでした。
そこで飲んだ自然派と呼ばれるワインの多くは、
良くも悪くも味わいの情報が整理されていないというか、
おいしい・まずいという観点とは別次元の個性や癖があり、
それが自分にとっては衝撃だったんです」
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鈴木屋酒店が取り扱っている類のワインには、
自然派ワイン、ビオワイン、オーガニックワインなどさまざまな呼称があり、
明確な使い分けや定義づけは難しいが、多くに共通しているのは、
自然の力に委ねるワイン造りを実践していることだ。
だからこそこれらのワインは、一般的なワインと比べて品質が安定しにくく、
香りや味わいに独特の個性や癖を持つものが多いとされる。
生産者の技術や消費者の認知が向上したことによって、
近年急速にその魅力に注目が集まりつつある自然派ワインだが、
鎌倉のまちでは、現在のムーブメントに先駆けて、これらのワインに魅了され、
独自の哲学やスタンスでその魅力を発信してきた飲食店などを中心に、
ユニークなワイン文化やコミュニティが育まれてきた。
その中核を担ってきたと言える兵藤さんは、
酒屋である自らの役割をどのように意識してきたのだろうか。
「自分にできるのは、まちのレストランのワインセラーとして機能すること。
膨大なワインの情報を絞り込み、レストランの特性に合わせて紹介していくことで、
それぞれのお店がより良い方向に進めるように案内をすることが
自分たちの使命だと思ってきました。
そのために、東京に負けないレベルの良いワイン、
おもしろいワインを紹介したいという思いは持っていましたね」
かつて、まちの酒屋として地域住民のニーズに幅広く応えてきた鈴木屋酒店は、
専門性を高めることで飲食店の良きサポーターとなり、
時に彼らを触発し、先導する役割を担うことによって、
まちに新たな食文化を育んでいくことに一役を買うことができたのだ。
鈴木屋酒店からの提案を受け止める飲食店の存在も、
鎌倉のワイン文化発展には欠かせなかったと兵藤さんは語る。
「受け取ったワインを開けたあとの味の変化など、いろいろな情報を共有してくれたり、
レストラン側がうちのことを大切にしてくれたことはとてもありがたかったです。
鎌倉で生まれ育った僕としては、自分が住むまちが
より楽しくなったほうが良いという思いで酒屋を営んできましたが、
酒屋などの供給機能と、それをおもしろがってキャッチする飲食店が
同じ地域の中にあったほうが、まちは盛り上がると感じています」
そんな両者の関係、ひいては自然派ワインを核にしたまちのコミュニティが
より強固になったひとつの契機があったという。
それは、2011年3月に起きた東日本大震災直後のことだった。
「計画停電が始まり、鎌倉のレストランも営業がままならなくなり、
一時はまち全体が静かに衰退していくような雰囲気がありました。
そのなかで、鎌倉の飲食店の人たちと集まる場をつくったのですが、
各々が抱える不安などを共有するなかで、みんなにひとつの目標ができました。
また、計画停電が終わった5月以降は、
鎌倉の人たちが意識的にレストランに足を運んでくれたこともあり、
かつてないほど景気が良くなったんです。
当たり前のことですが、自分たちがやっていけるのは
お客さんがいるからだということを痛感し、ふんどしを締め直す契機になりました」
兵藤さんが言う「ひとつの目標」というのは、
鈴木屋酒店をはじめとする市内の飲食店のメンバーが共同で主催し、
現在まで続いているワインイベント〈terra! terra! terra!〉だ。
震災があった2011年の10月初めて行われたこのイベントは現在、
チケット販売が抽選で行われるほどの人気を博し、
鎌倉における自然派ワインのコミュニティを体感できる最良の機会になっている。
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少し話は変わるが、現在鈴木屋酒店の目の前に広がる土地に、
大型商業施設とマンションを建設する話が持ち上がっている。
この開発計画に反対するべく、鈴木屋酒店では
「THINK YUIGAHAMA」という署名活動を主導してきた。
「もし商業施設ができたら、お客さんがうちにまで足を延ばすこともあるでしょうし、
お店の利益だけを考えれば良いことなのかもしれません。
でもそれ以上に、こうした開発によって日本のあらゆる場所が
均質化されていく状況には抗わないといけないと思っています。
どのまちにも同じ風景が広がり、享受できる食べ物も同じという状況になることは、
とても怖いことだと感じます」
いま日本各地で、その地域ならではの特産品やB級グルメを開発し、
ほかのまちとの差別化を図ることに力が注がれている。
これらを、兵藤さんが危惧する「均質化」に抗う流れと
捉えることもできるかもしれないが、少し意地悪な見方をすると、
地域をPRする手法自体が均質化している状況にあると言えなくもない。
翻って、兵藤さんたちがその魅力を発信してきた自然派ワインは、
言うまでもなく鎌倉の特産品ではない。
では、オーガニックやサステナビリティなどの文脈からも注目を集めている
自然派ワインが、鎌倉というまちの風土や文化と無関係かというと、
決してそんなことはないはずだ。
「たしかに、鎌倉に住んでいる人たちにも、
自然派ワインを受け入れる気質があったのだと思います。
そして、鎌倉にはシラス以外にこれといった特産品がなかったことも
良かったのかもしれない(笑)。
特産品というのはお金を動かすかもしれませんが、そこで思考停止してしまい、
まちに広がりがなくなってしまう可能性もあると思うんです」
地域における食文化の真髄は、PRや観光目的で開発された特産品や
B級グルメにあるのではなく、その土地の風土や、
そこに暮らす人々の気質などによって育まれていくものであるはずだ。
それが結果としてまちの新たな資産になると同時に、人と人をつなぐ媒介にもなり、
ユニークなコミュニティが醸成されていく。
兵藤さんたちが時間をかけて育ててきた鎌倉のワイン文化は、
そんな地域における食文化のあり方やこれからの可能性を、僕たちに教えてくれるのだ。
information
鈴木屋酒店
住所:神奈川県鎌倉市由比ヶ浜3-6-19
TEL:0467-22-2434
営業時間:10:00~19:00(週末の角打ち営業は11:00〜)
定休日:月曜・第3日曜
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