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おふくろの味を生む「ぬか床」。
自家製のぬか漬けを受け継ぐ|Page 3

暮らしを考える旅 わが家の移住について
vol.073

Page 3

移住して変わった、母との距離

では、ぬか床の話の前に母の話を少し。

わが家が下田に移住してきたのは2017年の春。
それから1年後、東京でひとりで暮らしていた僕の母親を
下田に呼び寄せ、母も移住してきました。
そのとき、母は82歳。

ありがたいことに心身ともに健康で、
買い物や病院への行き来の手助けくらいは必要ですが、
基本的にはひとりで自立して生活できます。
同居の必要はないだろうと、わが家の近くに
小さな家を借りて暮らすことになりました。

でも、年齢を考えると、訪れる状況の変化にうまく対応できるのか? 
少なからずは心配ありました。

スパイスドッグの店内

わが家のお気に入りのお店〈スパイスドッグ〉にて、カレーを食べる母と妻。

でも、そんな心配をよそに、母は徐々に、順調に
下田での暮らしに慣れていきました(移住当初の様子は当時、
妻がこの連載で綴っています)。

移住してからは週に何度か一緒に食卓を囲むようになりました。
わが家に母が来ることがほとんどですが、
母の家に行き、母が手料理をふるまってくれることもあります。

鍋を囲む母と娘、その友だち

母の家にて。娘の友だちもすっかりなついています。

今年の春には一緒に旅行にも行きました。

ひめゆりの塔

母のたっての希望で沖縄へ。昭和10年生まれの母とまさに同世代の少女たちが多く犠牲となった「ひめゆりの塔」にて。忘れられない旅となりました。

また、10月には、台風19号が前代未聞の勢力を保ったまま
伊豆に上陸するという情報が流れました。
台風が接近する前日から母の家にわが家3人が避難。
無事に台風が通過したときの、ともに危機を乗り越えたという
安堵感が忘れられません。なんとも不思議な経験でした。

窓に補強テープが貼られている

わが家の雨戸のないガラス戸には補強テープを貼りまくって母の家に避難しました。家族みんなが揃っていれば、大きな災害がきても、ともに動ける。その点では安心して過ごせました。

お互いに東京で暮らしていたときには
2週間に1度くらいのペースで顔を見る程度でした。
当時は僕も会社員で、時間の融通がきかず
なかなか顔も出せなかったのです。
旅行に行くこともなかったですし、
災害があってもともに過ごすことはなかったと思います。

移住をきっかけに随分と距離が近くなりました。
ひとり暮らしの高齢の親を持つ身としては、
こうして頻繁に様子を見られる状況にあることは何より安心できます。
さらに母にとって、孫の成長を間近に感じることができるということは、
何よりの喜びだと思います。

この決断を受け入れてくれた妻にはあらためて感謝です。

下田の海に出かけた母と娘