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下田の家庭の味を支えてきた
〈山田鰹節店〉|Page 3

暮らしを考える旅 わが家の移住について
vol.072

Page 3

昭和初期から続く山田鰹節店の思い

山田鰹節店の創業は昭和初期にさかのぼります。
当時下田ではカツオ漁が盛んで、
市場のすぐ近くには大きなかつお節加工場があったといいます。
そして、そのかつお節を仕入れて小売りするかつお節屋さんが
まちなかにたくさんできたのだそうです。
そうした時代のなかで、悦子さんのお母様はこのお店を開業しました。

かつおのイラストがかわいい前掛け

開業当時、お店のお得意さんに配ったという前掛け。色合いも生地も上質、デザインもモダンですよね。

一時は下田で盛んだったかつお節の販売でしたが、時代が進むにつれ、
しだいにカツオがとれなくなり、下降気味になります。
そうしたあおりを受けて廃業したお店も多く、
干物のほうが商売なるのではと干物屋に転向したお店もあったそうです。

最盛期には軒を連ねていたかつお節屋さんでしたが、
いまでは山田鰹節店の一軒のみとなったのです。
そんな時代を乗り越え、
これまで店を守り続けてきた思いをうかがいました。

「いい材料が仕入れられなくなったり、苦労はたくさんありましたよ。
でも、うちはどうしても品質にこだわりたかったんです」

材料へのこだわりから新たな仕入れ先を探したり、
試行錯誤してきたといいます。

「香りのない生臭いかつお節を出したくないですよね。
ちゃんとしたものをみなさんに食べてほしいんです」

黒くツヤのある削る前のかつお節

お店で使用しているのは、20年以上おつき合いのある焼津の荒節専門店のもの。大量生産をせず、家族だけで丁寧につくっているという焼津の荒節。風味も香りもとてもよいのだそうです。

年季の入った削り機

時代の変化による苦労は材料の調達だけではありません。
「昔は近所のお母さんたちがよく買いに来てくれたけど、
最近はやっぱり減りましたよね」

ある資料によると、1世帯当たりのかつお節の年間購入量は
50年間で7割減少しているといいます。
1963年(昭和38年)は平均864グラムでしたが、
2015 年(平成27年)には平均241グラムまで減少。
参考資料:聖徳大学研究紀要

和食から洋食への流れや外食が増えたこと、
女性が社会進出したことなど、
とにかく家庭で出汁をとる機会が減ったのです。

紙袋パッケージもレトロで愛らしい

かつおだしパック

忙しいお母さんでも簡単に出汁がとれるようにという思いから生まれた〈かつおだしパック〉という商品。添加物や調味料は一切入っていないので、かつお節本来の旨みを味わうことができます。

もう無理かもしれない、そう思ったことも何度もあったといいます。
けれど、こうしていままでがんばってこれたのは
お客さんの喜ぶ声があったからだそうです。