下田の家庭の味を支えてきた
〈山田鰹節店〉
家庭でつないでいく食文化
下田で暮らす津留崎さんが魅入られた〈山田鰹節店〉。
昭和初期から続く、地元の家庭の味を支えてきたかつお節屋さんです。
かつてに比べ、かつお節の消費量が減り、苦労もあるようですが、
これまで続けてこれたのは、食に対する強い思いがあるから。
実は、あの有名料理家さんも、このかつお節で育ったようです。
削りたてのかつお節に胸がときめく!
下田に移住したばかりの頃、東京に住む友人が連絡をくれました。
「下田にすごくいいお店があるんだけど、知ってる?」と。
友人が教えてくれたのは下田のまちなかにある
〈山田鰹節店〉というお店。

初めてお店を訪れたとき、大げさに思われるかもしれませんが、
胸がときめきました。
古い木の建具が配された雰囲気のある店構え。
扉をあけると目に飛び込んでくるのは、
木箱にこんもりと積まれたかつお節の山。
ふわっとした削りたてのかつお節の香りが店いっぱいに充満しています。

このお店の魅力のひとつは、
削りたてのかつお節を量り売りしてくれること。
「100グラムください」なんてやり取りをするなんて、
肉屋以外では初めての経験です。
しかも相手が削りたてのかつお節なんて、何とも粋じゃありませんか。

注文するとかつお節やさば節を袋に詰めてくれます。手前がさば節、奥がかつお節。
初めて訪ねて以来、すっかり山田鰹節店が気に入ってしまい、
かつお節を買いにお店に通うようになりました。
お店の戸を開けるたびに「あ~、いい香り~」と深呼吸、
そして量り売りをしてもらうと何だか気持ちが温まるのです。
と同時に浮かんでくる疑問。
「古い佇まいのお店と昔ながらの対面販売、
しかもいまでは珍しいかつお節屋さん。
どんな思いでお店を続けてきたのだろうか」
気になって仕方ないのだけれど、
ぶっきらぼうに質問するのもなんだか失礼だし……。
お店にうかがうたびに少しずつ距離を縮め、
よきタイミングを見計らっていました。

そして先日のこと。
娘の学校給食に山田鰹節店のかつお節が使われていることを知り、
お店の方にその話をしてみると話がどんどん深い方向に。
「口から入るものなんだから変なものは出せないよね、
添加物とか防腐剤のないものじゃないと。
子どものうちからちゃんとしたものを食べさせてあげるって
大事なことだよね」
ふむふむ、激しくうなずいてしまいます。
「実は一度じっくりお話をうかがってみたかったのですが、
あらためてお時間いただけますか?」とうかがうと、
「こんな話でよければいいですよ」とご快諾いただいたのでした。

社長の山田悦子さん(前列左)とお姉さんの高橋和子さん(前列右)、お兄さんの山田光弘さん(後列右)甥っ子さんの高橋昌史さん(後列左)のご家族4人でお店を切り盛りしています。
[ff_assignvar name="nexttext" value="かつお節購入量は50年間で7割減少!?"]
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昭和初期から続く山田鰹節店の思い
山田鰹節店の創業は昭和初期にさかのぼります。
当時下田ではカツオ漁が盛んで、
市場のすぐ近くには大きなかつお節加工場があったといいます。
そして、そのかつお節を仕入れて小売りするかつお節屋さんが
まちなかにたくさんできたのだそうです。
そうした時代のなかで、悦子さんのお母様はこのお店を開業しました。

開業当時、お店のお得意さんに配ったという前掛け。色合いも生地も上質、デザインもモダンですよね。
一時は下田で盛んだったかつお節の販売でしたが、時代が進むにつれ、
しだいにカツオがとれなくなり、下降気味になります。
そうしたあおりを受けて廃業したお店も多く、
干物のほうが商売なるのではと干物屋に転向したお店もあったそうです。
最盛期には軒を連ねていたかつお節屋さんでしたが、
いまでは山田鰹節店の一軒のみとなったのです。
そんな時代を乗り越え、
これまで店を守り続けてきた思いをうかがいました。
「いい材料が仕入れられなくなったり、苦労はたくさんありましたよ。
でも、うちはどうしても品質にこだわりたかったんです」
材料へのこだわりから新たな仕入れ先を探したり、
試行錯誤してきたといいます。
「香りのない生臭いかつお節を出したくないですよね。
ちゃんとしたものをみなさんに食べてほしいんです」

お店で使用しているのは、20年以上おつき合いのある焼津の荒節専門店のもの。大量生産をせず、家族だけで丁寧につくっているという焼津の荒節。風味も香りもとてもよいのだそうです。

時代の変化による苦労は材料の調達だけではありません。
「昔は近所のお母さんたちがよく買いに来てくれたけど、
最近はやっぱり減りましたよね」
ある資料によると、1世帯当たりのかつお節の年間購入量は
50年間で7割減少しているといいます。
1963年(昭和38年)は平均864グラムでしたが、
2015 年(平成27年)には平均241グラムまで減少。
(参考資料:聖徳大学研究紀要)
和食から洋食への流れや外食が増えたこと、
女性が社会進出したことなど、
とにかく家庭で出汁をとる機会が減ったのです。


忙しいお母さんでも簡単に出汁がとれるようにという思いから生まれた〈かつおだしパック〉という商品。添加物や調味料は一切入っていないので、かつお節本来の旨みを味わうことができます。
もう無理かもしれない、そう思ったことも何度もあったといいます。
けれど、こうしていままでがんばってこれたのは
お客さんの喜ぶ声があったからだそうです。
[ff_assignvar name="nexttext" value="給食の食べ残しが減った?"]
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「子どもたちにはちゃんとしたものを
食べさせてあげたい」
例えば前述した娘の学校給食への提供もそのひとつ。
現在、下田市には7つの小学校と4つの中学校があり、
給食センターで全校分がつくられています。
10年ほど前、当時の栄養士さんがちゃんとした出汁を使いたいと
山田鰹節店に削り節を依頼しました。
使われているのはお店で削ったさば節で、
給食の予算が限られているため通常よりも安い値段で提供しています。
それはやはり、「子どもたちにはちゃんとしたものを
食べさせてあげたい」という思いから。
その後、学校の栄養士さんからこんな報告を受けたそうです。
「いままでは給食を残す子どもが多かったけれど、
みんな残さなくなったんですよ!」と。
「あ~よかったな~、うれしいな~って思いましたよね」
そういう声があるからここまでやってこれたと
悦子さんは話してくれました。



娘の給食の時間にお邪魔しました。おしゃべりしながらみんなで食べる時間は楽しいね。

今日の献立「ごはん、フジノクニイキイキドリの炒り鶏、玉ねぎとわかめのみそ汁、キャベツときゅうりのたたき漬、牛乳」。ちょうどこの週は地場産品週間でした。ごはん、鶏肉、ワカメ(味噌汁の出汁も!)、牛乳は地場産です。


お味噌汁おいしい!
「昔は下田のお母さんたちもそれなりにやってましたよね。
朝一番に出汁をとったり、サバなんかも“猫またぎ”って言われるくらい
よくとれたので、そぼろにしてご飯のおかずにしたりね」
[ff_assignvar name="nexttext" value="栗原はるみさんも受け継ぐ味"]
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つないでいきたい家庭の味
その話をうかがっていたら、
ふと料理家の栗原はるみさんのことを思い出しました。
私が料理に目覚めたのは、栗原はるみさんの著書
『ごちそうさまが、ききたくて。』でした。
気に入ったレシピを何度も何度もつくり、
調味料や油の染みがたくさんできているこの本。
実は、栗原はるみさんはこの下田で育った方です。
そして、著書『ごちそうさまが、ききたくて。』のなかにも
「さばそぼろ」のレシピが掲載されています。

栗原はるみさんの著書『ごちそうさまが、ききたくて。』と、その後出版された『もう一度、ごちそうさまがききたくて。』(文化出版局)
栗原はるみさんのお母様はとても丁寧な暮らしをされていて、
心のこもった家庭料理をつくる方だったそうです。
台所仕事はまず出汁をひくところから始まったといいます。
それも、この山田鰹節店の削りたてのかつお節を使っていたのです。
「昔はどこのお母さんも当たり前にやっていたことを、
みんな受け継いでいないんですよね。
はるみさんはそれをきちんと受け継いだのだと思います」


こちらが給食でも使われているさば節。給食ではこのさば節とイワシの削り節を使っています。
「食は文化だと思うんですよね。
そして、その文化は家庭で育まれるもの。
正直なところ商売として厳しいときもあります。
でも、日本にしかない文化をつないでいけないなんて、
なくしてしまうなんて、寂しいですよね」
悦子さんの言葉を聞いていて、ふと当たり前のことに気づきました。
いい習慣も風習も、母の味も食卓の温かい記憶も、
受け継がなければすべて消えてしまうんだ。
出汁をとることも、台所にたちのぼるかつお節のいい香りも湯気も、
食卓を囲んで家族で笑い合うことも、
この世からなくなってしまうかもしれない。
もう高齢となる私の母は、長年家族のために
せっせと料理をつくってくれました。
いわゆる便利な調味料などはあまり使わず、
昆布とかつお節で出汁をとり、おせちもほとんどが手づくりでした。
きっと面倒だと感じたこともあると思いますが、
それでも家族のことを思って続けてくれたのです。
そうした母の味や料理を、いまからでも
きちんと受け継ぐことができるのではないか。
そうして、おせちにしても、普段のなんてことのない食事にしても、
私からまた娘につなぐことができたら。
そんなことをあらためて感じています。

わが家では朝一番に昆布とかつお節で出汁をとり、味噌汁をつくります。娘が大人になったら思い出してくれるかな、この味を。
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