【へラルボニー・松田崇弥・文登×
スノーピーク・山井梨沙】(前編)
「違うからこそおもしろい」
アートで「障害」の概念を変えていく

連載4回目となる今回は、
岩手と東京の二拠点で「異彩を、放て。」というミッションのもと、
福祉を起点に新たな文化をつくりだす福祉実験ユニット〈ヘラルボニー〉代表の
松田崇弥さん&松田文登さんにお話を伺った。
前後編の2回に分けた前編をお届けする。
(※後編「自然とアートは似ているのか?」はこちら

 

「障害」の概念やイメージを変えていく

 

山井梨沙(以下、山井): おふたりとお会いするのはこれが初めてですが、
実は結構同じシンポジウムなどにゲストやパネラーとして呼ばれることも多いんですよね。
やっとお会いできてうれしいです。

松田崇弥&松田文登(以下、崇弥、文登): こちらこそ書籍も読ませて頂いたりしていて、
ずっとお会いしたかったので、今回の対談をとても楽しみにしていました。

山井: まずはヘラルボニーさんの活動について、改めてお話を伺えますか?

文登: 簡単に説明しますと、障害のある方のアートデータを管理し、
それを軸にさまざまなモノやコト、場所に落とし込むような事業を中心に展開しています。
そのデータを使用したプロジェクトの利益の一部を
福祉施設さんに直接バックしていくようなモデルをつくり、
現在は北海道から沖縄まで、
全国37の社会福祉施設や個人の作家とアートのライセンス契約を結んでいます。
「障害」を話題にすると途端に重苦しい話になりがちですけど、
障害の有無に関わらず、ひとりひとりが本当の意味で尊重される、
そういう風に社会の意識を変えていけるような活動をしています。

世界中にいわゆる「障害者」が10億人、日本だと936万人が障害者手帳を持っていて、
そのうち知的障害の方は109万人ほどいらっしゃるんです。
障害のある方は福祉施設でいわゆる受産品と呼ばれるような
クラフトや食品などをつくっている方が多くて、
もちろん絵を描いている方もいらっしゃるのですが、月額の平均賃金は16000円くらい。
一概には言えないですが、やっぱりそれは妥当な額ではないと思うし、
僕たちの活動によって、まずは一緒に仕事をしているアーティストから
そういったところを根本的に変えていけたらと思っています。

 

 

崇弥: 僕たちは岩手県出身。
岩手県花巻市にある福祉施設〈るんびにい美術館〉をきっかけに会社が始まったこともあり、
自分たちのアイデンティティやスタンスを忘れたくないという気持ちが強くて、
本社は岩手県に置き、東京との二拠点で会社を運営しています。
今では、全国のギャラリーで「障害者アート」の展示がされるようになってきましたけど、
アートに興味のない人にも観てもらえるように、
例えば駅舎や電車ごとラッピングしたり、工事現場の仮囲いにアートを掲示するなど、
パブリックな場所にアートを落とし込んでいくことで、
障害の概念やイメージが変わっていけばいいなと思っています。

あとは自社ブランドとして〈HERALBONY〉という
アートライフスタイルブランドを展開しています。
支援や貢献の文脈ではなくて、デザインが好きだからとか、
直感的に欲しいから買うという行動につながるように、商品の品質にもこだわり、
百貨店を中心にポップアップショップで販売しています。
あとは地ビールのメーカーや食品会社など、
さまざまな企業とコラボレーションもさせていただいています。
作家さんたちによりお金の流れを生んでいけるような仕組みをもっと広げていきたいですね。

 

今年プロデュースした〈ハイアット セントリック 銀座 東京〉というホテルの客室。(写真提供:HERALBONY)

今年プロデュースした〈ハイアット セントリック 銀座 東京〉というホテルの客室。(写真提供:HERALBONY)

釜石線のアートラッピング車両。(写真提供:HERALBONY)

釜石線のアートラッピング車両。(写真提供:HERALBONY)

パピエラボ・江藤公昭の旅コラム
「必ず“収穫”がある。
3度目の〈板室温泉 大黒屋〉」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第28回は、パピエラボ代表の江藤公昭さんによる
那須の山奥にある旅館〈板室温泉 大黒屋〉を訪れた話。
当初の目的は現代美術家・菅木志雄の作品の鑑賞でしたが、
通ううちに、違う魅力や「収穫」もあったようです。

かつて旅とは仕事であった

国内で旅した履歴を思い返せる限り思い返してみると、
自ら国内旅行のプランを立てたことがほとんどない。
ひとりでの地方出張は可能なら日帰りにするし、
出かけたところで目的以外にまちをぶらぶらすることもほぼない。

写真を見返してみても、旅先の記録はほとんどなく、
かろうじて撮っているものといえば仕事の素材になりそうなものばかりで、
食べ物もまちの様子もきれいな景色も写っていない。

仕事を始めてから特に20代の頃は、
「出かける=店のための仕入れをする」というのが常だったこともあり、
何も収穫なく帰ることに対して罪悪感を感じていたのを引きずっているのか、
見たいものや欲しいものがそこにあって、それを見聞きしたり手に入れたり、
何かしらの収穫を得られるという確信がない限り、重い腰はなかなか上がらない。

とはいえ、気心知れた人と会ったり、車窓の景色の変化を眺めたり、
おいしいお酒や食を味わったり、
日常ではない環境で過ごしたりするのは楽しいという感覚はある。
それが遠方であれば「旅」なんだとしたら、
旅が嫌いなわけではなく、むしろ旅をしたいのだと思う。
収穫を得なければという強迫観念みたいなものが足かせになってきた。

ところが、期待しなかった収穫を得てばかりの旅先がある。
那須の山の中にある温泉旅館、〈板室温泉 大黒屋〉だ。
これまでに3度泊まった。
最初は数年前、現代美術家の菅 木志雄さんの作品が館内に飾られているというのを聞いて、
そんなに尖がった旅館が那須にあるのかという物珍しさで行ってみることにした。

館内の菅 木志雄作品。

館内の菅 木志雄作品。

富山の土徳を五感で堪能。 アートホテル〈楽土庵〉 開業に向け予約受付中!

楽土庵のラウンジ。

世界各地の土徳が生んだ家具や工芸も

田園地帯に家々が点在する、
富山県砺波(となみ)市の美しき農村景観「散居村」。
この地域で家の周りを囲む屋敷林は「カイニョ」と呼ばれ、
国の重点里地里山にも選定されています。

そんな自然豊かな地に、2022年10月5日(水)、
築120年の古民家を再生した宿と
レストラン〈楽土庵(らくどあん)〉が開業。
現在予約を受けつけています。

楽土庵は、三方を水田に囲まれた「アズマダチ」と呼ばれる
富山の伝統的な民家を活かした1日3組限定の宿。

コンセプトは、村の景観・空間・アート・料理・アクティビティなどを通じて
「富山の土徳(どとく)」を体感してもらうこと。

「土徳」とは、人と自然がつくりあげてきた、
その土地が醸し出す品格のようなものです。
富山の地を訪れた民藝運動の創始者・柳宗悦が、
厳しくも豊かな環境の中で、恵みに感謝しながら生きる人々に出会い、
「ここには土徳がある」と表現したとか。
楽土庵は、そんな富山の土徳に触れることで、
訪れる人が癒される宿を目指していくといいます。

館内は、土・木・和紙・絹など古来からの自然素材を用いた、
周囲の自然環境や歴史と切れ目なくつながる空間に、
民藝・工芸や現代アートが調和しながら設えられます。

例えば、ピエール・ジャンヌレの家具、
李朝のバンダチなどのインテリアに、
芹沢銈介・濱田庄司といった民藝作家から
富山の工芸作家、内藤礼といった現代美術家の作品まで。
世界各地の土徳から見出せる「他力美」が顕現した家具や
工芸・美術品を蒐集し、設えに使われています。
これらの作品やアメニティ、レストランで使用される
オリジナルの器の多くが購入可能。

ZINE、アートブック、写真集…… 東北6県の「本」の形の表現が大集合! 〈ART BOOK TERMINAL TOHOKU 2022〉

東北にゆかりある“「本」の形の表現”

岩手県盛岡市の〈Cyg art gallery〉で、
〈ART BOOK TERMINAL TOHOKU 2022〉が開催中です。

2012年に〈ZINE STOP〉としてスタートし、
2014年に〈ART BOOK TERMINAL TOHOKU〉と名称を変更して今年で11回目。
ZINEの枠に留まらない、アートブックや写真集、記録集など
「本」の形のあらゆる表現を募集し、紹介・販売する展覧会で、
今年は114作品が出品されています。

東北6県の出身・在住者、
あるいは、東北に住んだことがある・活動していたことがあるなど
「東北にゆかりがある人・団体」であることが出品の条件です。

作品はどれも手にとって見ることができ、購入可能。出品者は販売価格を100円~1万円の中で設定できるため、安価につくることも、本格的に凝ってつくることもできます。

作品はどれも手にとって見ることができ、購入可能。出品者は販売価格を100円~1万円の中で設定できるため、安価につくることも、本格的に凝ってつくることもできます。

はじめてZINEをつくった人から人気作家まで、子どもが描いた絵本、
デザインの専門学校生の作品、プロのイラストレーターが手がけたものなど、
年齢も経歴も多様な人たちの表現が分け隔てなく展示されています。

このイベントをきっかけに表現を始めたという人も多く、
〈ART BOOK TERMINAL TOHOKU〉への出品の後、
〈Cyg art gallery〉で個展を開いたアーティストもいるそう。
会場ではそうしたアーティストの絵画や刺繍作品も展示されていました。

岩手県出身の美術家 吉田和夏さんの作品。吉田さんも、〈ART BOOK TERMINAL TOHOKU〉に出品後、〈Cyg art gallery〉で個展を開いたひとり。今年も『veil』と題したドローイング集を出品しています。

岩手県出身の美術家 吉田和夏さんの作品。吉田さんも、〈ART BOOK TERMINAL TOHOKU〉に出品後、〈Cyg art gallery〉で個展を開いたひとり。今年も『veil』と題したドローイング集を出品しています。

宮城、山形に在住経験があり、今も各地の活動に関わっている美術家・是恒さくらさんは国内外の鯨にまつわる話を訪ね集め、文章と刺繍作品を制作し、リトルプレス『ありふれたくじら』シリーズを発表しています。このリトルプレスを〈ART BOOK TERMINAL TOHOKU〉に出品後、〈Cyg art gallery〉で展覧会も行いました。

宮城、山形に在住経験があり、今も各地の活動に関わっている美術家・是恒さくらさんは国内外の鯨にまつわる話を訪ね集め、文章と刺繍作品を制作し、リトルプレス『ありふれたくじら』シリーズを発表しています。このリトルプレスを〈ART BOOK TERMINAL TOHOKU〉に出品後、〈Cyg art gallery〉で展覧会も行いました。

ソーラーシェアリング農業で
ぶどう&ブルーベリーづくりに挑む。
「自分でつくること」を楽しむ暮らし

ソーラーシェアリングの農業

特にフルーツの産地というわけではない神奈川県秦野市というエリアで、
ぶどう(シャインマスカット)とブルーベリーを育てている佐藤岳さん・美紗子さん夫妻。
しかも、ふたりとも農業経験がないところからのスタートだった。

農業のなかでもハードルが高いフルーツを選んだ理由を岳さんに尋ねると
「好きだから」と単純明快な答えが返ってくる。
好きなものには、一直線。

佐藤岳さんと美紗子さん、シャインマスカットの下で。

佐藤岳さんと美紗子さん、シャインマスカットの下で。

約1年前からBESSの「G-LOG イスカ」モデルに住んでいる佐藤さん一家。
以前の借家アパートに住んでいたときから、
なんとプランターでブルーベリーを育てていたという。

「ブルーベリーは4年前からつくっています。
当時住んでいた家にちょっとした敷地があって、
そこにたくさんプランターを置いて育てていました。
ご近所さんに売りものと勘違いされるくらい(笑)。
でも、当時は自分で食べたり、ジャムをつくったり、
自分で消費するだけでした」(岳さん)

ブルーベリーは20種類以上の品種を育てている。

ブルーベリーは20種類以上の品種を育てている。

その後、現在の農地を借りる縁を得て、
本格的に生業としてブルーベリーとシャインマスカットの農家を始めることとなる。
農地は約2反(約600坪)。
その半分には屋根を設置して、その下の「棚」でシャインマスカットを育て、
地面でブルーベリーを育てている。
もう半分はなんと、太陽光パネルの下でシャインマスカットを育てている。

ソーラーパネルの下にぶどう棚がある。ほどよく日と雨を遮ってくれる。

ソーラーパネルの下にぶどう棚がある。ほどよく日と雨を遮ってくれる。

最近では、太陽光パネルの下で農作物を育てる
ソーラーシェアリング(営農型太陽光発電)と呼ばれる農業スタイルも増えてきている。

当時、農地を探していた佐藤さん。
その頃からソーラーシェアリングでシャインマスカットを育てることも念頭にあった。
そこに現在の地主さんがソーラーパネルをつけることになり、
その土地を借りることになった。
だから佐藤さんは発電には関与していないが、
実は日光をほどよく遮ることは、シャインマスカットの生育にとって意味がある。

「シャインマスカットのように緑のぶどうは、
あまり陽に当てすぎると日焼けして黄色っぽくなってしまうんです。
巨峰のような赤系ぶどうはどんどん陽に当てても構わないのですが」

背の高い岳さんの身長に合わせた高さになっているが、それでも実がなってくると前屈みに。

背の高い岳さんの身長に合わせた高さになっているが、それでも実がなってくると前屈みに。

シャインマスカットは現在4年目。
木が大人になりきるのに6年くらいかかるようで、
それまでは実をつけ過ぎないないほうがいいという。
人間でいうなれば、まだ完全に体ができていない高校生のようなもの。
“木の体力”と相談しながら育てていかないと、来年以降に実が採れなくなってしまう。
いまの収穫量は約3000房だが、6年目になると2倍近く増えるという。

現在は、まだ規模も小さく、夫婦ふたりのみで作業を行っている。
去年までは収穫量も多くなかったので、家に持ち帰って梱包などをしていた。
それらの資材も家に置いていたという。

しかしそれでは間に合わなくなり、今年になって畑の前に作業・物置小屋を建てた。
BESSの家を建てたときに出た端材を一部利用しているという。
畑自体の柵も前面が木で囲われており、
家も畑も、木を身近に感じる暮らしを楽しんでいるようだ。

BESSの家を建てたときに出た端材を利用した壁面。

BESSの家を建てたときに出た端材を利用した壁面。

函館市〈大三坂ビルヂング〉後編
まちの暮らしを見つける宿
〈SMALL TOWN HOSTEL〉

富樫雅行建築設計事務所 vol.5

函館市で設計事務所を営みながら、建築施工や不動産賃貸、
ポップアップスペースの運営など、幅広い手法で地域に関わる
〈富樫雅行建築設計事務所〉の富樫雅行さんによる連載です。

今回は前編と後編にわたって、地域のパン屋、デザイナー、不動産屋とともに
〈箱バル不動産〉を立ち上げ、小さな複合施設づくりに挑んでいくお話をお届けします。
「函館移住計画」や古民家の再生、〈大三坂ビルヂング〉との出合いをご紹介した前編に続き、
後編では〈大三坂ビルヂング〉の工事からオープンまでの様子をお送りします。

函館の暮らしを見つける宿〈SMALL TOWN HOSTEL〉

2016年秋、〈大三坂ビルヂング〉土蔵の外壁が歩道に崩れ落ちたため、
外壁をネットで覆って応急処置を施し、何とかその年の冬を持ち堪えました。

冬の間、これまで取り組んできた「函館移住計画」と、
これから先、取り組んでいくべきことを話し合いました。
この小さなまちで、旅人と地域住民が交流し、暮らすようにして
まち全体を楽しんでもらえるような、それぞれの「暮らしを見つける宿」になりたい。
その拠点となるゲストハウスとして、〈SMALL TOWN HOSTEL〉と名づけました。

宿の立ち上げには新メンバーも加わり、僕たちの暮らしを表現するムービーを作成。
ゲストハウスに併設する店舗のテナント募集と同時に公開しました。

宿の立ち上げには、代表をつとめる蒲生寛之の妻・奈緒子と、函館にUターンしてきた泉加奈、函館移住計画2017から参加した工藤知子も参加。ムービーは箱バル不動産の蒲生と芋坂淳、〈BOTAN〉の加藤公章や〈Brant&sons〉谷藤崇司が参加する〈スモールタウンバンド〉の音源と、奈緒子が巡る西部地区のまち並み、そして〈Beyond the Lenz〉馬場雄介によるもの。土蔵の土壁が崩れた直後から応急処置前の様子を映像におさめた。

宿の立ち上げには、代表をつとめる蒲生寛之の妻・奈緒子と、函館にUターンしてきた泉加奈、函館移住計画2017から参加した工藤知子も参加。ムービーは箱バル不動産の蒲生と芋坂淳、〈BOTAN〉の加藤公章や〈Brant&sons〉谷藤崇司が参加する〈スモールタウンバンド〉の音源と、奈緒子が巡る西部地区のまち並み、そして〈Beyond the Lenz〉馬場雄介によるもの。土蔵の土壁が崩れた直後から応急処置前の様子を映像におさめた。

また、市販のガイドブックに載っていない、僕らの日常のオススメのお店を紹介する
マップの制作も手がけていきました。

市販のガイドブックには載っていないオススメのスポットを〈箱バル不動産〉の芋坂淳のイラストで紹介する『箱マップ』。

市販のガイドブックには載っていないオススメのスポットを〈箱バル不動産〉の芋坂淳のイラストで紹介する『箱マップ』。

路面電車から石畳を登った大三坂沿いにある〈大三坂ビルヂング〉。さらに上に行くと、〈箱バル不動産〉メンバーの芋坂が経営するパン屋〈トンボロ〉があり、そのすぐ上には重要文化財で日本最初のコンクリート寺院の〈東本願寺〉、その向かいには〈カトリック元町教会〉〈函館ハリストス正教会〉〈函館聖ヨハネ教会〉〈妙福寺〉など、異なる宗教施設が立ち並ぶ世界平和の象徴のような坂。「日本の道百選」にも認定されている。

路面電車から石畳を登った大三坂沿いにある〈大三坂ビルヂング〉。さらに上に行くと、〈箱バル不動産〉メンバーの芋坂が経営するパン屋〈トンボロ〉があり、そのすぐ上には重要文化財で日本最初のコンクリート寺院の〈東本願寺〉、その向かいには〈カトリック元町教会〉〈函館ハリストス正教会〉〈函館聖ヨハネ教会〉〈妙福寺〉など、異なる宗教施設が立ち並ぶ世界平和の象徴のような坂。「日本の道百選」にも認定されている。

これはあとからわかったことですが、ペリー来航以降、
西部地区の主要な坂のひとつ〈基坂〉には奉行所が置かれ、
大三坂の坂下には地方から公用で訪れる人々の宿があり、
その屋号が〈大三〉でした。大三坂はその宿名をもとに名づけられたとのこと。
それから160年余り、いま僕らがここで宿を始める巡り合わせが、
これから始まる多くの出会いを予感させました。

まるで南国の踊り!
今でも鹿児島に多く残る
奇抜な装束の奇祭とは?

外から流れてきた文化は、取り入れられ、定着する

今年から僕ら〈BAGN Inc.〉では鹿児島の文化やアートの情報を収集〜発信する施設、
かごしま市文化情報センター(Kagoshima Culture Information Center=KCIC)の
運営を引き受けることになり、新しい活動を始めています。

かごしま文化情報センターは市役所の中にあります。

かごしま文化情報センターは市役所の中にあります。

この施設では「アートマネジメント実践人材育成講座」や、
市民に開かれた文化を学ぶワークショップなども随時開いていきます。
実は県立美術館がひとつもない鹿児島県ですが、
この講座では実際に鹿児島のあちこちで
さまざまなインディペンデントな企画を実践しているプロデューサーを毎回招いて、
半年かけてみんなで新しい企画を立ち上げていこうというもの。

ワークショップでは地域の生活文化にもフォーカスして、
いわゆるアートだけではなく、地域の食文化を子どもたちと一緒に学んだり、
現代の文学の一形態として、
子どもたちが地元で活動しているラッパーからラップを学び、
自己表現するなかで現代の文化に親しむ機会をつくるというような企画も。

センター内ではさまざまな地域内外の文化芸術関連の情報の案内や書籍の閲覧もできます。

センター内ではさまざまな地域内外の文化芸術関連の情報の案内や書籍の閲覧もできます。

この連載では文化の地産地消ということをタイトルに掲げて書き連ねていますが、
そもそも「文化ってなんだろう?」と改めて思うことがあります。

文化とは、ひと言でいうと
「地域社会のなかで共有される固有の考え方や価値基準」のことです。
ですが、今僕らが地域固有のものだと思っているものも、
ルーツを辿ると外から来たものだったということは多々あります。
そういうことに意識的じゃないと、
外来種と知らずに地元固有だと思いこんで地産地消と叫んでいる
というようなことになりかねない。

ただ、同じように外から流れてきても、
地域に根づくものとそうでないものがあって、地域によって大きく違いが生まれる。
なので、地域固有の文化というのは、土地固有のものや風土に加えて、
外からもたらされたものを地域の人がどう受け止め、
自分たちのものとして取り込んだかという受容の仕方のことだとも言えそうです。

人が介在しなければ文化とは呼ばないので、結局のところ地域の文化というのは
「その地域の人々のあり方=人柄」と言えるかもしれません。

県内を巡回する「六月灯」という移動祝祭日も地域に根づいた生活文化のひとつ。

県内を巡回する「六月灯」という移動祝祭日も地域に根づいた生活文化のひとつ。

外から取り入れたのちにガラパゴス化して、
いつの間にか独自の文化になっているものも往々にしてあります。
そんな目でもう一度鹿児島という地域を眺めてみると
ここに残る文化のなかにいろんなものが見えてきます。

〈かたくりの宿〉 秘境「秋山郷」の小学校に泊まる!? 芸術祭とともに歩む宿

集落を見守ってきた小学校が宿に

新潟県津南町と長野県栄村にまたがる秘境、秋山郷。
昔ながらの農村風景や美しい自然が残るこのエリアの
結東(けっとう)という小さな集落に、その宿はあります。
ここは廃校になった校舎を改築した〈かたくりの宿〉。
地域の人たちの思いがつまった建物です。

どこか懐かしい雰囲気に包まれています。

どこか懐かしい雰囲気に包まれています。

中に入ってみると、学校だった頃の面影がそこかしこに感じられ、
ノスタルジックな気分に。
つくりもユニークで、教室はくつろげるシンプルな和室の客室に、
そしてなんと校長室はお風呂になっているんです。

元校長室に温泉が。結東温泉は「芒硝泉(ぼうしょうせん)」(硫酸塩泉の一種)という希少な泉質のお湯。日帰り入浴もできます(不定休のため電話にて要問い合わせ)。

元校長室に温泉が。結東温泉は「芒硝泉(ぼうしょうせん)」(硫酸塩泉の一種)という希少な泉質のお湯。日帰り入浴もできます(不定休のため電話にて要問い合わせ)。

この学校の歴史は古く、開校は明治17(1884)年。
僻地のため、義務教育免除地に指定されたこともありましたが、
昭和61(1986)年に休校になるまで、多くの子どもたちがここで学び、
巣立っていきました。

地域の人たちにとって大切な場所であり、
ずっと地域の子どもたちを見守ってきたこの学校を、
なんとか生かせないかと考えた集落の人たちは、町とも協議し、宿泊施設にすることに。
1992年に閉校となり、翌1993年にふるさと資源活用事業として、
かたくりの宿へと生まれ変わります。

部屋にはベランダも。

部屋にはベランダも。

ところが、秘境の山里の宿は経営が難しく、事業者は何度か交代。
4度目に経営に身を乗り出したのが、〈NPO法人越後妻有里山協働機構〉でした。
越後妻有里山協働機構は〈大地の芸術祭〉を運営するNPOで、
2009年の芸術祭開催を機にかたくりの宿を再スタートさせ、
現在も運営を担っています。

〈graf〉服部滋樹が手がける
ローカルのブランディング。
「リサーチ力」が物を言う

つくり方からデザインする

ローカルのものづくりを都心部のデザイナーがお手伝いする。
そんな図式はここ数年で定番化してきた。
そうした活動をもう10年以上前から行ってきたのは、大阪の〈graf〉だ。
プロダクトや家具、グラフィックを中心とするデザイン集団だったgrafのなかで
ローカル活動が増えていくきっかけは、プロダクトのデザイン依頼だった。

「ある東大阪のものづくりの産地から、
“この土地らしいものをつくりたい”という商品のデザイン依頼がありました。
それで現地に行ってみて倉庫を開けてみたら、
90年代に先輩方がデザインしたものが在庫として積み上がっていたんです。
ぜんぜん売れていなかったんですよね」と話す、graf代表の服部滋樹さん。

graf代表の服部滋樹さん。

graf代表の服部滋樹さん。

そうした現状を目の当たりにして、
「ものをつくるだけではなく、つくられる以前からしっかり整えていかないといけない。
そうしないとまた同じようなものばかりできてしまう」と、
“つくり方自体をデザインする”というところから入り込むように心がけた。

2003〜5年あたりは、デザイナーとして産地に行っても、
必ずしも歓迎ムードではなかったという。
しかも上記のようなgraf流のやり方でいると、
半年経っても肝心のデザインそのものが上がってこない、なんてことも。
それで怒られたり、批判されたりもした。
しかし、服部さんは粘り強く、クライアントを説いた。

「例えば、“工場で機械を入れたときに解雇した職人さんはいますか?”と聞くと、
数人いると。
定年した職人さんも含めて、そういう人たちにインタビューしたいと提案するんです。
すると機械生産の前に行われていたこと、先代や先々代の社長が考えていたこと、
その社長たちが実は当時の技術を機械化したかったことなど、
会社の哲学がわかってきます」

服部さんがそこまで遡るのは、
デザインと歴史や風土は、密接に絡み合っていると考えるからだ。

「その土地にあった資源や素材があったから、技術が生まれ、産業になり、
コミュニティができ上がる。
そこまで遡って土地らしさを見出さないと、デザインはできません」

北九州市・小倉〈cafe causa〉
「リノベーションまちづくり」が、
ここから始まる

タムタムデザインvol.1

みなさん、こんにちは。
タムタムデザインの田村晟一朗(たむら・せいいちろう)と申します。
福岡県北九州市で建築設計事務所を営みつつ、転貸事業や飲食店運営をしています。
九州圏内を中心に全国各地へフットワーク軽く動き、現在はオフィスやホテル事業、
行政施設などBtoB、BtoG(企業と行政の取引)の設計を中心に仕事の依頼をいただいています。

生まれは高知県。工業高校から建築科に入学し、高校卒業後に進学のために北九州市へ。
その後も専門学校で建築を学んで、設計事務所に勤めてからも建築の実務しか学んでこなかったのですが、
なぜリノベーションに軸足を置きつつほかの事業も展開しているのか、
本連載を通じてお届けしていきます。

今回はタムタムデザインを立ち上げる前のお話。
小倉駅北口にて「リノベーションまちづくり」の起点となり、
そしてタムタムデザインの原点ともなった、とあるカフェのプロジェクトをご紹介します。

建築士による新たな営業方法

さかのぼること2009年。当時はまだ設計事務所に勤めていました。
“リノベーション”という言葉をまったく知らないそんな時代です。
設計室の室長というポストに着き、社長から「君も営業してきなさい」と命令が下されました。
それまで現場か設計作図か、という技術畑でしか経験を積んでいなかった僕が、
急に営業して仕事をとってくるという使命を持たされ、
「いや~マジどうしよう……飛び込み営業とかできない……」と弱気になっていました。
それで必死に考えた結果、ひとつの営業方法を思いついたんです。

それは“空き物件にプランを入れて売り込む”という方法。

一般的な設計事務所の実務の流れは以下になります。

1.クライアントが土地や空きテナントの区画情報を持って相談にくる
2.希望の用途に応じて計画する
3.イメージパースを描き、具体的なデザインを共有していく
4.実施設計、見積り、施工者選定を進める
5.着工し監理を行う
6.完工、引渡し

もっと細分化できますが、概ねこういう流れです。
僕が思いついた営業方法はこの1~3を先に自分でやっちゃって、
このプランを使ってもらう人を探す、という方法でした。

長野県・佐久穂町
一棟貸し切り宿〈山村テラス〉で過ごす
美しいひととき

セルフビルドの隠れ小屋

長野県南佐久郡佐久穂町。
軽井沢から近く、特にコロナ後は移住者や県外からの視線を集めているが、
このまちにはそれよりずっと以前から、国内外の旅行者が頻繁に訪れる、
1棟貸し切りの宿がある。
手がけたのは、〈山村テラス〉の岩下大悟さんだ。

〈月夜の蚕小屋〉。かつての養蚕の場所はシンプルで美しい寝室に改装。

〈月夜の蚕小屋〉。かつての養蚕の場所はシンプルで美しい寝室に改装。

森に続く丘の上にある12畳の小さな小屋、〈山村テラス〉。
築70年の蚕小屋を改装した〈月夜の蚕小屋〉。
北八ヶ岳山麓の別荘地を改装した〈ヨクサルの小屋〉。
訪れた人は、その美しさに目を見張るだろう。
しかもこれらは岩下さんたちのセルフビルド、さらに完全に独学だというから驚きだ。

いずれも空間は小さいが、外装も内装も家具も食器も、
あらゆるところに丁寧な目配りがされている。
丸みのある、どこかかわいらしくもある空間に、質感のあるあたたかで親密な雰囲気。
仕事場にするよりも、ここでただ時間を過ごすことを味わいたい、
叶うものなら、ここでずっと暮らしていたい……
山村テラスの空間には来訪者の心をつかんで離さない魅力がある。

〈木馬のワルツ〉。奥の部屋との壁を抜く際、筋交いを避けるため曲線状にした。

〈木馬のワルツ〉。奥の部屋との壁を抜く際、筋交いを避けるため曲線状にした。

岩下さんは2021年、4軒目の宿泊施設となる〈木馬のワルツ〉を、
佐久穂町が隣接する佐久市の望月という地域にオープンした。
もともとはすぐ近くにある馬事公苑の馬の調教師の宿舎だったが、
約10年使用されておらず、建物を所有する佐久市の観光政策のひとつとして、
市の振興公社から管理運営を委託されるかたちで、岩下さんたちが手がけることになった。
望月という地名が由来する満月、
この地が平安時代から朝廷へ献上する名馬の産地だったという郷土史に想を得て、
「月と馬」を空間のテーマにしたという。

木馬のワルツ。玄関をはじめ、室内には馬蹄のシルエットがアクセントに。

木馬のワルツ。玄関をはじめ、室内には馬蹄のシルエットがアクセントに。

「そういう歴史や文化はヒントにします。
『この場所だったから、この空間になった』というのがベストですね」と岩下さん。
ところが意外にも、「ものづくりはそんなに向いてないと思います」と言う。
東京に工房を構える兄弟の仕事と比べると、
「プロの職人になれなかった劣等感があるからこそ、手を動かして、試行錯誤して、
結果として山村テラスっぽい空間が仕上がっているんだと思います」

プラントハンター・西畠清順の旅コラム
「フェニックス・ロベレニーと
最高の波が待つ八丈島へ、再び」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第27回は、“プラントハンター”西畠清順さんによる
八丈島のワーク&サーフトリップ。
八丈島で待っているのは“難しい”買い付けと、格別の波。
雄大な自然に身を投じていると、
次なるステップに進むアイデアも生まれてくるようです。

八丈島の「フェニックス・ロベレニー」産業

実は八丈島の花卉(かき)園芸(観賞用植物の産業)の産地としての歴史は意外に古く、
東京都でありながら温暖な気候に恵まれた環境を生かし、
第二次世界大戦以降に観葉植物の生産農家が増えた。

島内の農業生産額20億円(だいたい)のうち、15億円(だいたい)が花卉園芸の生産であり、
そのうちフェニックス・ロベレニーというヤシ1品種で10億円(だいたい)を稼ぐという、
ずいぶんと特殊なセグメントだ。

フェニックス・ロベレニーは業者間で通称・ロベと呼ばれ、
それに関しては全国のトップの産地となるほど有名だ。
あ、いや、やっぱ有名ではない。
八丈島産ロベの鉢物は日本全国のそこら辺の喫茶店や駅など、
あまりにもどこでも目にするし、
切り葉は知らず知らずのうちに花屋さんのブーケやアレンジなどに紛れていたり
私たちの生活の日常に浸透しすぎていて気づかないほどだからだ。

八丈島のフェニックス・ロベレニー。

八丈島のフェニックス・ロベレニー。

そんな八丈島は、ロべ以外にも多少いろいろな品種の観葉植物の産地でもあるので、
都内の園芸屋さん、グリーン屋さんにとって身近な産地であり、
例えばここ10年くらいで植物業をやり始めた人が
海外での買いつけなら、まずはタイ旅行に行ってバイヤー気分で園芸屋を回るのが
テッパン初心者コースであるのと同じように、
国内の離島での観葉植物の買いつけといえばまずは八丈島から、
といったニュアンスは若干あるような気がする。

ただし、八丈島の特殊なところは、近年植物の商いをやり始めたバイヤーでも、
おれのようなド業者の大卸屋でもあまり関係なしに、
隙あらば高い値段をふっかけてくるところだ(爆)。

例えば、農家と一度金額を合意して発注してから
「やっぱり荷造りが大変だから金額を上げたい」などと
あとで悪気なく平気で言われて空いた口が塞がらない……的な経験は一度や二度ではない。
しかも八丈島の観葉植物の産地での相場はとんでもなく値上がりしており、
設定する売価の目安が仕入れ値の2.5倍といわれる小売り屋ならまだしも、
利益3割ベースといわれる問屋業界には八丈島での仕入れは割にあわない。

沖縄・首里織の担い手たちによる 約100枚のハンカチが〈木村硝子店〉に集結

1枚1枚手織りされた由緒あるハンカチ

琉球王国時代に貴族や士族の着物や帯に使用され、
その多彩な織が当時から今にかけて多くの人を魅了する
沖縄の伝統的な織物〈首里織〉。

そんな首里織の工程の緻密さと、
布の美しさに魅了された沖縄出身のデザイナー
真喜志奈美さんと桶田千夏子さん(Luft)は、
2013年に〈四角いヌヌ〉(沖縄方言で、ヌヌ=布)
というプロジェクトを発足しました。

上間ゆかり

上間ゆかり 1963年那覇市生まれ。1992年那覇伝統織物事業協同組合後継者育成講習(初級、中級)終了。1993年首里織組合に加入。1999-2005年にギャラリー企画による展示会を開催。2008-2010年沖縄県工芸技術支援センター(現・沖縄県工芸振興センター)で織物講師を務める。2011年県民ギャラリーで自主企画による個展開催。2012 - 2014年那覇伝統織物事業協同組合で講師を務め、現在は着尺や帯を中心に自身の制作を行う。

金良勝代

金良勝代 1965年那覇市生まれ。1988年那覇伝統織物事業協同組合後継者育成講習終了後、同年より2004年まで宮平織物工房(アトリエ・ルバース)に在籍。そのかたわら、1991-1993年まで大塚テキスタイル専門学校で学ぶ。2004年退社後、作品制作に入る。2010年首里織物組合に加入。帯、着尺を中心に小物制作にも力を入れている。

新垣斉子

新垣斉子 1970年沖縄県南風原町生まれ。1999年那覇伝統織物事業協同組合後継者育成事業講習初級終了。2000年首里織物組合に加入。現在は着尺、帯を中心に制作を行なっている。主に沖縄の植物染料(琉球藍も進行中)を使用して糸を染め、織りを行っている。

同プロジェクトでは、着物を着る機会が減るなかでも、
首里織の文化の知ってもらったり、
手織の布を生活の中に取り入れてもらうよう、
首里織の技と心を受け継ぎ、
普段は帯や着尺を織る上間ゆかりさん、金良勝代さん、新垣斉子さんの
3名の織り手たちとハンカチを制作。

函館市〈大三坂ビルヂング〉前編。
地域のパン屋、デザイナー、不動産屋と
結成した〈箱バル不動産〉の活動。

富樫雅行建築設計事務所 vol.4

函館市で設計事務所を営みながら、建築施工や不動産賃貸、
ポップアップスペースの運営など、幅広い手法で地域に関わる
〈富樫雅行建築設計事務所〉の富樫雅行さんによる連載です。

今回お届けするのは、地域のパン屋、デザイナー、不動産屋とともに
〈箱バル不動産〉を立ち上げ、「函館移住計画」や古民家の再生などを通じて、
小さな複合施設づくりに挑んでいくお話。前後編にわたってお送りします。

仲間たちとの出会い

独立前、〈小澤武建築研究室〉に勤めていた頃に、
函館山の麓の大三坂にある陶芸ギャラリーを改修する仕事をしました。
そこで出会ったのが、パン屋〈tombolo(トンボロ)〉を営む
芋坂淳・香生里(うさか じゅん・かおり)夫婦。
芋坂さんはご両親が運営する陶芸ギャラリーをパン屋にリノベーションして開業するため、
東京からUターンしてきたところでした。

仕事をするうちに仲良くなり、独立後も〈トンボロ〉に立ち寄っては
「空き家がもったいない」だの「あの家が壊された」だの、
西部地区でなかなか古い建物の活用が進まない現状を嘆きながら、
「おもしろい不動産屋が地元にいたらいいよね〜」とか、
しまいには「自分たちでがんばって宅建を取るか!」とか話していました。

函館山の麓の大三坂沿いで、黄色の外壁が特徴的な〈トンボロ〉。大正15年築であり、函館市の伝統的建築物にも指定されている。

函館山の麓の大三坂沿いで、黄色の外壁が特徴的な〈トンボロ〉。大正15年築であり、函館市の伝統的建築物にも指定されている。

そんなある日、ある友人が
「常盤坂の家を見たいと言っている」と連れてきた、
最近Uターンしてきたという後輩が、不動産屋〈蒲生商事〉3代目になる
蒲生寛之(がもう ひろゆき)さんでした。

すぐに意気投合し、2015年6月に共通の友人である
札幌の〈FUZ design〉の永井準平(ながい じゅんぺい)くんと飲みに行き
「蒲生商事の記念事業で空き家ツアーをやりたい」
「それなら空き家に泊まってもらい、暮らしを体験してもらおう!」と盛り上がりました。

その晩、みんなで空き家を巡りながらあらためてその数の多さに驚き
「このような名もなき古き良き建物を、自分たちが残していきたい!」と
語り合いながら帰宅しました。

その熱も冷めぬまま次の日をむかえ、
〈トンボロ〉の芋坂夫婦にも協力を仰ぎに行くとまた盛り上がり、
「じゃあ、移住希望者を募って『函館移住計画』をやろう」
「どうせなら西部地区を体験できるハシゴ酒のイベント『バル街』に合わせてやろう!」
という話に。9月上旬に開催される「バル街」まであと2か月ほど。
時間もないなか、無謀な挑戦が始まりました。

第1回の函館移住計画のポスター。2015〜17年まで計3回の移住計画を〈箱バル不動産〉で主催した。

第1回の函館移住計画のポスター。2015〜17年まで計3回の移住計画を〈箱バル不動産〉で主催した。

函館山の麓に広がる旧市街地の西部地区。東側と西側、海側と山側でそれぞれまったく違った地域性があり、応募者の特性に合わせて家を選んだ。

函館山の麓に広がる旧市街地の西部地区。東側と西側、海側と山側でそれぞれまったく違った地域性があり、応募者の特性に合わせて家を選んだ。

青森県立美術館にて 『ミナ ペルホネン/ 皆川明 つづく』展開催 7月16日から

Photograph:Yoshihiko Ueda

ユニフォームも手がける〈青森県立美術館〉で開幕!

2019年に初開催後、全国を巡回する『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』が、
2022年7月16日(土)から、〈青森県立美術館〉で開幕します。

過去会場の様子 Photograph : L . A . TOMARI

過去会場の様子。 Photograph:L. A. TOMARI

デザイナー・皆川明氏が、
〈ミナ ペルホネン〉の前身となる〈ミナ〉を立ち上げたのは1995年。
「流行に左右されず、長年着用できる普遍的な価値を持つ『特別な日常服』」
をコンセプトに、
「せめて100年つづくブランドに」という思いでファッションからスタートし、
以来インテリア、食器などの生活全般、
さらにはデザインを超えたホスピタリティを基盤にした分野へと活動を広げてきました。

過去会場の様子 Photograph:L. A. TOMARI

過去会場の様子。 Photograph:L. A. TOMARI

過去会場の様子 Photograph:L. A. TOMARI

過去会場の様子。 Photograph:L. A. TOMARI

2019年に東京でスタートし、兵庫、福岡を経て、青森で開幕する本展覧会では、
「継続する」「つながる」「連なる」「手を組む」「循環する」など、
多義的な意味をもつ「つづく」をキーワードに、生地や衣服、インテリア、
食器などのプロダクトに加え、原画、映像、印刷物など、
創作の背景を浮き彫りにする作品群や資料が展示される予定です。

過去会場の様子 Photograph : L . A . TOMARI

過去会場の様子。 Photograph:L . A . TOMARI

過去会場の様子 Photograph : L . A . TOMARI

過去会場の様子。 Photograph:L. A. TOMARI

今回の会場となる青森県立美術館は、
2009年からミナ ペルホネンによりデザインされた
スタッフユニフォームが採用されている特別な場所。
プレイベントとして、青森市内の小学校で、皆川氏による特別授業も行われました。

開幕日の7月16日(土)には、ユニフォームをデザインした皆川氏、
美術館の設計者である建築家・青木淳氏、
美術館のV.Iを手がけたアートディレクター・菊地敦己による、
開館以来初のスペシャル鼎談が開催されます。
会場視聴の参加申し込みは終了しましたが、
青森県立美術館のYouTubeチャンネルでライブ配信が決定しました。

〈ミナ ペルホネン〉の〈choucho〉柄がデザインされた、〈青森県立美術館〉のスタッフユニフォーム。

〈ミナ ペルホネン〉の〈choucho〉柄がデザインされた、〈青森県立美術館〉のスタッフユニフォーム。

MAYA MAXXとつくり手の展覧会。
年3回の開催で、
メンバーはどこまで成長できる?

MAYA MAXXの新作。撮影=佐々木育弥

年3回の展覧会開催! ハードルを上げることで力を発揮

「がんばるなんて、当たり前なんだよ。がんばるから、生きていて楽しいんだよ」

ゴールデンウィークに旧美流渡(みると)中学校で開催した、
地域のつくり手の作品を集めた『みる・とーぶ展』と、
一昨年、この地に移住した画家・MAYA MAXXさんによる『みんなとMAYA MAXX展』
その反省会の席でMAYAさんは、みんなに語りかけた。

この日集まっていたのは、会場で木工や陶芸、ハーブティーブレンド、
キッチン雑貨などを販売したり、飲食ブースを出したり、
イベントを行ったりしたメンバーたち。
今年は、7月と9月にも同様の展覧会を計画中のため、反省会の場でも、
今後どうするのかについて熱のこもった話し合いが行われた。

年3回の展覧会となると、作品をどんどんつくり出さなければ間に合わない。
しかも、来場者を飽きさせないように、つねに何かしら
新しい視点を盛り込んでいかなければならない。

5月に開催した『みんなとMAYA MAXX展』。(写真提供:佐々木育弥)

5月に開催した『みんなとMAYA MAXX展』。(写真提供:佐々木育弥)

5月に開催した『みる・とーぶ展』。地域のつくり手の作品を集めた。

5月に開催した『みる・とーぶ展』。地域のつくり手の作品を集めた。

「来場者数とか全体の売り上げとか、そんな数字は一切関係なくて、
大切なのは自分が成長をすることだよ」

MAYAさんは、そう続けた。
年3回にしようと発案したのはMAYAさん。
ハードな状況をあえてつくり出すことによって、ここに関わるメンバーが、
いつも以上の力を発揮できたらと考えての決断だった。

5月に開催したMAYAさんのワークショップ「キミのコトバを描いてみようか」。参加者に描いてほしいものを聞き、それを描きながら対話を重ねた。

5月に開催したMAYAさんのワークショップ「キミのコトバを描いてみようか」。参加者に描いてほしいものを聞き、それを描きながら対話を重ねた。

5月の展覧会では2週間でおよそ2000人が訪れた。
みんなゆったりと会場を楽しんでくれたようで、
「山あいの地域で、自分なりのものづくりをやっている人たちが
いることを知って元気が出た」や
「この学校の卒業生です。校舎をこうして利用してくれていることがうれしい」
という温かなメッセージが寄せられた。

連日、飲食ブースもにぎわって、毎日ほぼ完売状態。
出店メンバーは大きな手応えを感じていたようだ。
そして期間中、「次の開催まで、あと65日!」と私たちは心のなかで唱え、
7月の展覧会に思いを馳せていた。

〈アトリエ遊木童(ゆうもくどう)〉の五十嵐茂さんは、5月の会期中、展示をしつつ、次回に向けて木工室で家具をつくり続けた。

〈アトリエ遊木童(ゆうもくどう)〉の五十嵐茂さんは、5月の会期中、展示をしつつ、次回に向けて木工室で家具をつくり続けた。

〈森の出版社 ミチクル〉の新しい絵本
土偶は、なぜ不思議な
かたちをしているの?

12年前につくり始めた、縄文時代の土偶をテーマにした絵本

大学在学中に美術系の出版社で働くようになってから約30年、編集の仕事を続けてきた。
どんな本をつくっていても何かしらの発見やワクワク感があって、
この仕事は自分に合っていると日々実感している。
けれど時々、自分の創作に突き進んでみたいという気持ちが
頭をもたげてくることがあった。

高校・大学で私は絵画制作に取り組んできたが、
表現するということがなんなのかがつかめないまま卒業してしまった。
その後、編集の仕事へとシフトしたのだが、心のどこかで、
学生時代の自分を置き去りにしたような感覚が残っていた。

今年の6月、『DOGU かたちのふしぎ』という絵本を刊行した。
この絵本をつくろうと思ったのは12年前のこと。
当時、このまま編集の仕事だけを続けていていいのだろうかという迷いと、
絵を描くことにもう一度チャレンジしてみたいという想いがあってのことだった。

日頃から本づくりをしていたこともあり、1枚の絵を描くよりも、
内容があってそれを描くほうが、手がかりがあって進めやすいと考え
絵本という形式を選んだ。

テーマは土偶。
1万年も続いた縄文時代、人々はさまざまな「ひとがた」をつくっていた。
それらは、宇宙人かと思うほどの不思議なかたちをしており、
そこに私は以前から惹かれていた。

『DOGU かたちのふしぎ』(森の出版社 ミチクル) アクリル絵の具で、リアルにかたちを描いた。

『DOGU かたちのふしぎ』(森の出版社 ミチクル) アクリル絵の具で、リアルにかたちを描いた。

仕事の合間をぬって半年ほどで完成させ、海外の絵本コンペに応募した。
結果は落選。そののちに出産。やがて東日本大震災が起こり、北海道へ移住。
忙しない日々のなかで、絵本は出版することなくお蔵入りになっていた。
そのまま10年以上、この絵本を開くことはなかった。

〈瀬戸内国際芸術祭2022〉
小豆島・三都半島の
アートプロジェクトを楽しむ

〈三都半島アートプロジェクト〉の作品めぐり

3年に一度開催されるアートイベント〈瀬戸内国際芸術祭2022〉。
春・夏・秋の3会期に分けて開催されますが、あっという間に春会期が終わり、
今は8月5日から始まる夏会期に向けて、
新しい作品の制作や、イベントの準備が進んでいます。

〈瀬戸内国際芸術祭2022〉会期

春会期:2022年4月14日(木)~5月18日(水)

夏会期:2022年8月5日(金)~9月4日(日)

秋会期:2022年9月29日(木)~11月6日(日)

芸術祭の会期中は、すべての作品の公開、イベントの開催、
高松港と直島にある公式ショップのオープン、臨時航路の運航など、
芸術祭全体がアクティブな状態になりますが、
実は会期と会期の間でも楽しめる作品がたくさんあるんです。

三都半島の海沿いの道に掲げられた芸術祭のフラッグ。海を眺めながらのドライブは最高!

三都半島の海沿いの道に掲げられた芸術祭のフラッグ。海を眺めながらのドライブは最高!

芸術祭の作品には、開館時間が決まっている屋内作品と、
いつでも開放している屋外作品があります。
この、屋外で公開されている作品については、会期中じゃなくても見に行けるんです。
作品の公開スケジュールは、芸術祭公式サイトで確認できます。

ちなみに島で暮らす私たちは、会期中より、
人が少ない会期期間外を狙って見に行くこともあります。

夏会期が始まるまでの今の時期におすすめなのが、
小豆島の三都(みと)半島で展開されている
〈三都半島アートプロジェクト〉の作品めぐりです!

作品を観ながら歩いていると、猫ちゃんたちに遭遇。島の穏やかな光景。

作品を観ながら歩いていると、猫ちゃんたちに遭遇。島の穏やかな光景。

三都半島は、小豆島のちょうど真ん中あたりから南に突き出している半島。
半島内には吉野地区、蒲野(かまの)地区、神浦(こうのうら)地区など
小さな集落がいくつかあり、移住する人も多い、人気のエリアです。

この三都半島では、2009年から〈小豆島アーティスト・イン・レジデンス〉や
ワークショップなど、行政と地域住民とアーティストの協働による
さまざまな取り組みが行われています。

2014年からは、広島市立大学芸術学部のみなさんが中心となって
アート活動を展開しており、今回の芸術祭では半島南西端の神浦地区をメインに、
屋外や古民家、バス停などで多くの作品が制作・展示されています。

そんな〈三都半島アートプロジェクト〉のなかで、
私が好きな作品をいくつか紹介します。

函館市〈カフェ・プランタール〉。
旧函館ドックの外国人住宅を
オーガニック菜園つきカフェへ

富樫雅行建築設計事務所 vol.3

北海道函館市で設計事務所を営みながら、施工や不動産賃貸、店舗経営など、
幅広い手法で地域に関わる、〈富樫雅行建築設計事務所〉の富樫雅行さんによる連載です。
 
今回お届けするのは、〈函館ドック外人住宅〉として建てられ、
その後フランス料理の名店として使われていた建物を引き継いだ
映画監督が、菜園つきのカフェへとリノベーションしたお話です。

西欧文化の名残がある住宅街

前回お届けした〈港の庵〉の見学会にて、
函館に暮らす映画監督の大西功一(おおにし こういち)さんとの出会いがありました。
沖縄県宮古諸島の古代の歌を描いた『スケッチ・オブ・ミャーク』など、
失われゆく原風景を作品に残している映画監督です。
見学会での出会いを経てまもなく「外国人住宅を引き継いだ」と連絡をいただき、
2014年末に内見にうかがうことになりました。

外国人住宅があるのは、時任町(ときとうちょう)。
旧市街西部地区から車で15分ほどの場所で、
近代に西欧文化が取り入れられた住宅街です。
 
明治10年から函館支庁長になった時任為基(ときとう ためもと)が
このエリアで洋式の模範牧場となる〈時任牧場〉を営んだことを由来に
時任町と名づけられました。
 
アメリカ人宣教師が西部地区の元町に開校した〈遺愛学院(いあいがくいん)〉が
明治41年頃に移転してきたほか、
当時郊外だったこの地域は“文化村”と呼ばれ、
函館の発展に合わせて大正期に電気が引かれるなど、
函館市東部の住宅地開発において重要な役割を果たした地域です。
外国人住宅はちょうど遺愛学院の裏側に位置します。

北海道で身近な野草、
イタドリを絵本に。
15冊限定の小さな本づくり

北海道の植物をテーマにした絵本づくり

野草のイタドリをテーマにした絵本をつくり始めたのは、およそ5年前のこと。
私は〈森の出版社 ミチクル〉という出版活動を行っていて、
そのなかで『ふきのとう』という、北海道ではお馴染みの植物をテーマにした絵本を制作した。
この絵本は、造本作家である駒形克己さんにアドバイスをもらいながら、
娘の駒形あいさんにデザインを仕上げてもらった。

絵本『ふきのとう』。半透明の紙を使った切り絵で表現。

絵本『ふきのとう』。半透明の紙を使った切り絵で表現。

そして私はすぐに次回作をつくろうと考えた。
ふきのとうとともに、北海道の広範囲に生息するイタドリを取り上げたいと思った。
 
物語の骨子は、すぐに浮かんだ。
私の周りで見かけるイタドリは、オオイタドリという種類で、
ぐんぐん伸びて、あっという間に2メートルほどになる植物だ。
空き地や土手に群生し、畑ではジャマ者扱いをされることも。
調べてみると国際自然保護連合(IUCN)が発表した
「世界の侵略的外来種ワースト100」に選定されていて、
欧米ではイタドリが生えていると地価を左右するという事例もあるようだ。

我が家のまわりに生えているオオイタドリ。

我が家のまわりに生えているオオイタドリ。

その一方で、イタドリは日本に古くから生息していて、さまざまに活用されてきた。
「痛みをとる」が語源となっているそうで、その葉には止血作用があり、
また根などは生薬として利用されることも。
 
春には若芽を炒めて食べたり、ジャムにしたり。
またイタドリという名以外に、
スカンポ、イタンポ、ドングイ、スッポン、ゴンパチなど、地方によって呼び名も多彩。
なにより、青々と茂っていく姿は生命力に満ちていて、
荒地を再生しようと頑張っているかのように私には見えるのだ。

「ジャマ者って思われているけれど、案外いいやつなんじゃないか……」
 
そんな想いを物語として展開してみた。
絵本の判型は縦長。
黒い紙を切って貼りつけた切り絵の技法で、長く伸びていくイタドリを表した。

絵本の試作。

絵本の試作。

〈JICA横浜〉がリニューアル! 海外移住資料館やアート作品、 その見どころを紹介

150年以上前の横浜港。
最初の行き先はハワイ、それから北米、そしてブラジルなど中南米へ。
新天地を求めて、ここから大きな移民船が旅立っていった時代がありました。

その横浜港を望む「みなとみらい」地区に
〈JICA横浜(独立行政法人国際協力機構 横浜センター)〉があります。
館内にある〈海外移住資料館〉では、ハワイを含む北米と、
戦後、JICAの前身組織のひとつである海外移住事業団が移住事業を担った
中南米の国々を主な対象として、日本人の海外移住の歴史を紹介しています。

このJICA横浜 海外移住資料館が、設立20周年を記念して2022年4月末にリニューアル。
昨年には、国際協力をテーマとしたアートワークが常設され、
子どもから大人まで楽しみながら歴史に触れられるスポットとなっています。

過去・現在・未来、そして世界の自然や人々をつなぐアートワーク

それではアートワークから紹介していきましょう。
まず、ふたつのエントランスと館内の柱に、
3つの作品からなる『トラベリング・アラウンド・ザ・ワールド』を展開しているのは、
1965年サンパウロ生まれ、日系ブラジル二世のアーティスト、大岩オスカールさんです。

大岩さんはブラジルで建築を学んだのち、
1991年に東京に移住して現代美術の制作活動を地道に始め、
2002年からニューヨークを拠点に国際的に活躍しています。
自身の生い立ちから日本人移民の歴史にはなじみがあり、
新たにリサーチしたことも交えて描いたといいます。

大岩オスカール『トラベリング・アラウンド・ザ・ワールド(ニューカントリー)』(撮影:加藤健)

大岩オスカール『トラベリング・アラウンド・ザ・ワールド(ニューカントリー)』(撮影:加藤健)

1階エントランスのガラス扉に描かれた作品
『トラベリング・アラウンド・ザ・ワールド(ニューカントリー)』は、
20世紀初頭の横浜大さん橋から出航する移民船、
中南米へ向かう大海の様子が描かれています。

今回はコロナ禍での制作となり、2階の作品はデジタルドローイングを描いて
シートに印刷する形式に初挑戦していますが、
この1階の作品は、来日して直接マーカーペンで描いたもの。
うねる波にも圧倒されます。

大岩オスカール『トラベリング・アラウンド・ザ・ワールド(ニューカントリー)』

大岩オスカール『トラベリング・アラウンド・ザ・ワールド(ニューカントリー)』

2階エントランスの作品
『トラベリング・アラウンド・ザ・ワールド(大さん橋)』には、
実在した移民船〈天洋丸〉が描かれています。
着物にシルクハットなど、20世紀初頭の人々の描写も楽しめます。

大岩オスカール『トラベリング・アラウンド・ザ・ワールド(大さん橋)』

大岩オスカール『トラベリング・アラウンド・ザ・ワールド(大さん橋)』

そしてもうひとつ、2階の吹き抜けに面する5つの柱を取り巻く作品にも注目。
ブラジル移民船の第1号である〈笠戸丸〉をはじめ、
日本から中南米、ハワイ、アメリカなどへ渡った7隻の移民船が描かれています。

ちなみに6月18日は「海外移住の日」。
1908年に笠戸丸がブラジルに入港したことにちなんで制定されました。

大岩オスカール『トラベリング・アラウンド・ザ・ワールド』(撮影:加藤健)

大岩オスカール『トラベリング・アラウンド・ザ・ワールド』(撮影:加藤健)。左の柱に描かれている船が笠戸丸。

さて、2階エントランスを入ってすぐのインスタレーションは、
アーティスト藤浩志さんの作品『メッセンジャー』です。
1986年、青年海外協力隊員として
パプアニューギニア国立芸術学校で活動していたことがある藤さん。
このときの経験がのちの制作にも影響を与えています。

藤浩志『メッセンジャー』。カピバラの背中に座ることもできる。

藤浩志『メッセンジャー』。カピバラの背中に座ることもできる。

今回は、中南米地域の日系人や日系社会ボランティアの人々から集めた
開拓時の苦労話や、日本人が移住地で遭遇した動植物についてのエピソードを展示。
「原生林を開墾中、一番恐ろしかった動物」として語られるオオアリクイ、
「庭に現れる」カピバラなどを「メッセンジャー」と見立てる参加型作品です。
ぜひメッセージを書き残してみてください。

その奥の壁には、横浜在住のイラストレーター、
イクタケマコトさんが描いた大型のドローイングボード『日系移民の歩み』があります。

イクタケマコト『日系移民の歩み』

イクタケマコト『日系移民の歩み』

アメリカや中南米などの日系人が生活するまちの風景、
暮らしの様子、現地の文化などが画面いっぱいに描かれ、
好きなところを自由に塗れるぬり絵になっています。
海外移住資料館の展示とリンクしている絵も多いので説明図も要チェック!

自由に塗ることができる参加型作品。色がたくさん塗られたら、また白からスタート。

自由に塗ることができる参加型作品。色がたくさん塗られたら、また白からスタート。

イラストレーター・
STOMACHACHE.の旅コラム
「大阪の本屋に絵本の展示をしに行く」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第25回は、姉妹によるイラストレーターユニット、
STOMACHACHE.のお姉さん、宮崎信恵さん。
自身の絵本の展示があり、大阪の本屋さんに行く旅です。
娘の成長を感じ、多くの人に会い、自分のネクストステップを踏み出すなど、
思い出深い旅になったようです。

名古屋から大阪へ、3人旅

2019年の夏、娘とふたりで4年半暮らした徳島から引っ越すことになった。
名古屋に住む恋人と一緒に住むことになったのだ。
同じ年の冬、大阪の本屋さんで私が描いた絵本の展示があり、
搬入と在廊も兼ねて初めて3人で旅をした。

展示の搬入日は金曜で、私は一足先に昼前に大阪に到着して搬入作業をし、
恋人が学校から帰った娘(当時小学3年生)を連れて来てくれて、
合流することになった。

ひとりでの電車での移動は滅多にないので、何となく手持ち無沙汰に感じる。
動きがぎこちなくなってないかな、とか大阪の電車のアナウンスは早口だな、
とかどうでもいいようなことを考えてしまう。
でも、電車に揺られて静かなひとりの時間を過ごせるということは、
娘が小さい頃には考えられない時間だった。
こうして自由に身軽に出かけられるくらい、娘は大きくなったのだなぁと思う。

名古屋駅から新大阪駅まではあっという間で、
徳島に住んでいた頃のことを思うと、交通の便がいいということは
本当に素晴らしいことだな、としみじみ感じる。
徳島には新幹線が通っておらず、
本州から鉄道で行こうと思えば、岡山から高松を経由しなくてはならなかった。
それなので、名古屋くらいまでなら車で移動することが多かった。
恋人に会いに何度も往復したおかげで、運転技術が向上した。
今思い返すと健気によく頑張って運転していたな、と思う。

本屋さんは豊中市の服部緑地の近くにある〈blackbird books〉だ。
マンションに囲まれたこぢんまりとしたお店だった。
店主の吉川さんとはSNSをフォローし合っていて、
メールのやり取りを数回していたが、搬入日にやっと対面することができた。
初対面の吉川さんに少し緊張しつつ、作業は15時半頃まで続いた。
途中、近くの小学校の下校中の子どもたちが賑やかな声とともに通り過ぎ、
このお店の日常を垣間見られたようでうれしくなった。
作業後に店内の本を見ているとあれこれ欲しいものがあって困ったが、
あと二日間あるのでおいおい吟味することにして途中で店を後にした。

〈川久ミュージアム〉初となる企画展『KAWAKYU ART Exhibition 2022』が6月1日から開催

〈ホテル川久〉をアトリエとしてアートを製作する新プロジェクト

和歌山県南紀白浜の海辺にそびえ立つ、
ポストモダン建築の代表作としても名高い〈ホテル川久〉。
同館の文化資産としての保存と継承をテーマに
一般公開されている〈川久ミュージアム〉で、
2022年6月1日(水)~30日(木)の期間、
同施設初となる企画展『KAWAKYU ART Exhibition 2022』が開催されます。

和歌山県南紀白浜の海辺にそびえ立つ、ポストモダン建築の代表作としても名高い〈ホテル川久〉。

日本がバブル景気に沸くなか、建築家の永田祐三が監修し、
総工費400億円をかけて建てられた、
この豪華絢爛な施設は1991年に会員制高級ホテルとして創業。
中国の皇帝だけが使用を許された老中黄(ろうちゅうき)と呼ばれる
黄金色の瑠璃瓦をはじめ、イタリアの職人によって敷き詰められた
緻密なローマンモザイクタイルの床や、
フランスの人間国宝が手がけた金箔ドーム天井など、
世界各地の技術や文化を融合させた建築は
開業から30年以上が経過した今なお訪れる人を魅了しています。

〈川久ミュージアム〉常設展一部

〈川久ミュージアム〉常設展の一部。

川久ミュージアムは、同館オーナーが長年に渡りコレクションしてきた
インテリアや骨董、絵画など数百点にも上るアート作品を公開する
私設美術館として、2020年にオープン。
2022年にはアーティストインレジデンス事業を新設し、
世界中の匠の技術を結集させた同館の役割とパワーを次世代に継承すべく、
新たな取り組みをスタートしています。

植田陽貴のドローイング風景

植田陽貴のドローイング風景。

宮本華子〈しろが消えていく。〉公開制作

宮本華子『しろが消えていく。』公開制作。

異国情緒あふれる庭と、
宇宙船のようなドームハウス

すべてはトレーラーハウスから始まった

南国のヴィラか? はたまたアメリカ西海岸の邸宅か?
今いる場所を錯覚してしまうようなBESSの家があった。
しかしここは、紛れもなく埼玉県久喜市である。
通りから奥まった場所にあり、エントランスを抜けていくと、
大きなドーム状の家〈BESS DOME〉が現れる。

扉は友人につくってもらったという。

扉は友人につくってもらったという。

住んでいるのは、宮澤さん一家。
そもそもこの土地を購入したのは10年ほど前。
当時、敷地は荒れていて、古い家屋が2軒建っていたという。
宮澤雅教さんは、まず敷地にアメリカから直輸入したトレーラーハウスを導入した。
新しく家を建てるつもりだったので、そのトレーラーハウスに住みながら、
既存の家を解体し、荒地を整備していった。
とはいえ宮澤さん一家は6人家族。さまざまな工夫をしながら暮らしていたようだ。

「庭に小さな池が見えるでしょう? あそこは当時お風呂でした。
ホースでお湯を張ってね。トレーラーハウスにはシャワーしかないから」

〈SPARTAN〉のトレーラーハウスは今も健在。

〈SPARTAN〉のトレーラーハウスは今も健在。

現在、トレーラーハウスは雅教さんの趣味部屋になっている。

現在、トレーラーハウスは雅教さんの趣味部屋になっている。

思いのほかワイルドライフだったようだが、雅教さんはそれを楽しそうに話す。
どんな環境でも楽しくやっていける豪胆さがある。

ひとりでコツコツと整備している期間に、小屋キットであるBESS〈IMAGO〉を導入し、
基本的には、雅教さんひとりでセルフビルド。
これを完成させたことによって、「四角い家ならば自分でもつくれそう」と感じたという。
これがのちのドーム購入にもつながっていく。

BESSの小屋キット〈IMAGO〉をセルフビルド。現在は雅教さんの仕事部屋になっている。

BESSの小屋キット〈IMAGO〉をセルフビルド。現在は雅教さんの仕事部屋になっている。

子どもの頃から、雑誌で見てドームの家に憧れていたという雅教さん。

「家を建てようと考えていたときは、どんな家にしようかと、
夫婦で紙に描いたりして話合っていました。
ただ僕の心の片隅には、常にドームがありました。
妻はきっとNGだろうなと思っていたんですよね。
でも一度見てもらおうと、
代官山にあるBESSのLOGWAY(ログウェイ・展示場)に行ったんです。
代官山だからランチでもしつつ1杯飲んで、なんて誘ってね」

ドームなので天井が高く、とても広く感じる。

ドームなので天井が高く、とても広く感じる。

初めてドームを見せられた妻・愛季さんは
「衝撃的でした。でもほしいと思った」と当時の感想を話す。

「私は、〈スターウォーズ〉が好きなんです。その世界観とつながりました。
パンフレットにも『有限の中の無限大。』というキャッチフレーズがあったり、
当時は『エイリアンズ』というニックネームもあって気に入りました。
もちろん使いにくい部分はあるかもしれないと思い、ほかの家も見ましたが、
それでもドームがいいと思ってしまったんですよね」(愛季さん)

右奥は愛季さんのスターウォーズ棚。工事中にひらめいてその場でお願いしたそう。

右奥は愛季さんのスターウォーズ棚。工事中にひらめいてその場でお願いしたそう。

雅教さんも「真上からドローンなどで撮った写真を見ると、
本当に宇宙船みたいに見えるんですよ。ビンテージのハンドルを買ってあるので、
プール前のウッドデッキ先端につけようと思っています。
何かあったら家ごと飛び出せる」と笑う。