連載
posted:2022.7.22 from:北海道函館市 genre:暮らしと移住 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
profile
Masayuki Togashi
富樫雅行
とがし・まさゆき●1980年愛媛県新居浜市生まれ。2011年古民家リノベを記録したブログ『拝啓 常盤坂の家を買いました。』を開設。〈港の庵〉〈日和坂の家〉〈大三坂ビルヂング〉で函館市都市景観賞。仲間と〈箱バル不動産〉を立ち上げ「函館移住計画」を開催し、まちやど〈SMALL TOWN HOSTEL HAKODATE〉を開業。〈カルチャーセンター臥牛館〉を引き継ぎ、文化複合施設として再生。まちの古民家を再生する町工場〈RE:MACHI&CO〉を開設。さらに向かいの古建築も引き継ぎ、複合施設〈街角NEWCULTURE〉として再生中。地域のリノベを請け負う建築家。http://togashimasayuki.info
credit
編集:中島彩
函館市で設計事務所を営みながら、建築施工や不動産賃貸、
ポップアップスペースの運営など、幅広い手法で地域に関わる
〈富樫雅行建築設計事務所〉の富樫雅行さんによる連載です。
今回お届けするのは、地域のパン屋、デザイナー、不動産屋とともに
〈箱バル不動産〉を立ち上げ、「函館移住計画」や古民家の再生などを通じて、
小さな複合施設づくりに挑んでいくお話。前後編にわたってお送りします。
独立前、〈小澤武建築研究室〉に勤めていた頃に、
函館山の麓の大三坂にある陶芸ギャラリーを改修する仕事をしました。
そこで出会ったのが、パン屋〈tombolo(トンボロ)〉を営む
芋坂淳・香生里(うさか じゅん・かおり)夫婦。
芋坂さんはご両親が運営する陶芸ギャラリーをパン屋にリノベーションして開業するため、
東京からUターンしてきたところでした。
仕事をするうちに仲良くなり、独立後も〈トンボロ〉に立ち寄っては
「空き家がもったいない」だの「あの家が壊された」だの、
西部地区でなかなか古い建物の活用が進まない現状を嘆きながら、
「おもしろい不動産屋が地元にいたらいいよね〜」とか、
しまいには「自分たちでがんばって宅建を取るか!」とか話していました。
そんなある日、ある友人が
「常盤坂の家を見たいと言っている」と連れてきた、
最近Uターンしてきたという後輩が、不動産屋〈蒲生商事〉3代目になる
蒲生寛之(がもう ひろゆき)さんでした。
すぐに意気投合し、2015年6月に共通の友人である
札幌の〈FUZ design〉の永井準平(ながい じゅんぺい)くんと飲みに行き
「蒲生商事の記念事業で空き家ツアーをやりたい」
「それなら空き家に泊まってもらい、暮らしを体験してもらおう!」と盛り上がりました。
その晩、みんなで空き家を巡りながらあらためてその数の多さに驚き
「このような名もなき古き良き建物を、自分たちが残していきたい!」と
語り合いながら帰宅しました。
その熱も冷めぬまま次の日をむかえ、
〈トンボロ〉の芋坂夫婦にも協力を仰ぎに行くとまた盛り上がり、
「じゃあ、移住希望者を募って『函館移住計画』をやろう」
「どうせなら西部地区を体験できるハシゴ酒のイベント『バル街』に合わせてやろう!」
という話に。9月上旬に開催される「バル街」まであと2か月ほど。
時間もないなか、無謀な挑戦が始まりました。
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まずは任意団体〈箱バル不動産〉として活動をスタートさせました。
「箱」と見立てた空き家や建物と、僕たちがリスペクトする
「バル街」をかけ合わせて考えた名前です。
西部地区の醍醐味であり、小さなお店をハシゴして楽しむイベント「バル街」のように、
空き家や空き店舗に小商いを増やしながら地域を“ハシゴ再生”していきたい
という思いを込めています。
不動産の免許は持たず、コミュニティメディアのように情報発信に力を入れながら
新しい不動産屋のカタチを実現しようと、準備を進めていきました。
〈箱バル不動産〉が発足してすぐ、メンバーの人脈から
空き家を提供してくれる大家さんに巡り合いました。
「坂道暮らし」「路地暮らし」「海街暮らし」と3つの物件の提供元が決まり、
すぐに応募を開始。その3つの物件はすぐに使える状態ではなかったので、
DIYでペンキ塗りをしたり大掃除をしたり、ボランティアを募って
地域のみんなで協力しながら準備を進めました。
2週間という短い募集期間でしたが、10件ほどの応募があったなかから3組を選考し、
「バル街」に合わせて1週間の移住体験者を迎えることができました。
2日目にまち案内をしながら空き家の内覧ツアーを行い、
夕方からはそれぞれ「バル街」でハシゴ酒を楽しんでいただきました。
別の日には〈港の庵〉を貸し切って、地元の人や先に移住された方たちとの交流会も行い、
おいしい料理と情報交換に花を咲かせました。
そして結果的に、3組のなかから1組が函館に移住することになりました。
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この活動のあと、少しずつ西部地区でのお店や住まい探しの相談、
古い建物の活用相談などが増えてきました。
その情報の受け皿になっていたのは、建築家の私でもなく、
不動産屋の蒲生くんでもなく、日常から地域に根ざしたパン屋を営む淳くんでした。
〈トンボロ〉では店内にパンを取るトングを置かず、
あえて会話をしないと買えないようになっています。
日常からいろんな人と世間話をしやすい環境をつくっているので、
さまざまな地域情報が集まってくるのです。
この頃の〈箱バル不動産〉は、不動産の仲介業務を〈蒲生商事〉、
地域情報の受け皿を〈トンボロ〉、建物の再生を〈富樫事務所〉というかたちで
各自役割を持ちながら連携を深め、いくつものプロジェクトを手がけていきました。
特徴的なプロジェクトのひとつが、花屋の〈BOTAN〉。
〈暮雪餅〉というお餅屋さんだった物件の売買交渉を進め、
住宅も併用した花屋へとリノベーションしました
(ちなみに、最初に蒲生くんと私を引き合わせてくれたのが、
〈BOTAN〉のオーナー加藤公章くんでした)。
続いては〈Transistor CAFE〉。
メンバーの芋坂香生里がひょんなことから知り合った旧歯科医院の建物を
オーナーから譲渡されたという嘘のような本当の話。
ドラマのような出会いが続き、〈Transistor CAFE〉をオープンしたプロジェクト。
こちらの物件も仲介からリノベーションまでを行いました。
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そんななかで、〈箱バル不動産〉のその後を左右する、
僕たちにとって驚きの相談がまたしても〈トンボロ〉に舞い込みました。
〈箱バル不動産〉の活動を新聞で見たという方から
「実家の建物が老朽化し、維持管理が手に負えない。
解体も含め検討しているから相談にのってほしい」というものでした。
その建物は、〈トンボロ〉と同じ通りである、
日本の道百選にも選ばれる石畳の大三坂沿いにありました。
西洋風の建築である〈エビス商会〉と〈川越電気商会〉の建物とともに
象徴的な景観をつくっており、坂下を通る路面電車からもいつもその風景を見ていました。
実は箱バル不動産の立ち上げ当初から、メンバーと
「いつかこの建物の再生に関われたらいいね」と話していた建物だったのです。
さっそく蒲生くん、淳くんとともに3人で建物を見せていただきました。
この建物は〈仁寿生命函館支店〉として、大正10年に建てられたもの。
事務所棟と蔵が玄関を挟んで正面に並び、その奥には自宅が増築されていました。
元のオーナーさんは奥の自宅で暮らしながら、
事務所棟と蔵は物置のように使われていたようです。
事務所棟には腰板が巡り、壁の上部は漆喰塗り。
天井は銅板の打ち出し式で、壁には埋め込みの立派な金庫もあり、
建具や照明器具もすばらしいものでした。
ただ、屋根瓦が落ち外壁は崩れ、雨漏りがひどい状態。
一部は天井が落ちて屋根越しに空が見えている部分があったり、
床が抜け落ちていたりと老朽化がかなり進んでいました。
このようにかなり傷んだ状態でしたが、それでも
「この建物が壊されてしまうことは絶対に避けなければ」と3人の意見は一致。
後日あらためて、どのように活用していくかをオーナーに提案させていただくことになりました。
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建物の個性を生かしながら、どうやったら未来に建物を引き継いでいけるか、
メンバーで話し合う日々。
結果として浮かんできたのは、
店舗とゲストハウスが融合した複合施設というアイデアでした。
「新しい文化の発信拠点となるようカフェや店舗などの小商いを呼び込み、
地域に暮らす私たちでゲストハウスを運営し、地元の人も旅人も交流できる拠点をつくろう!」
というビジョンを掲げました。
その事業主体として〈蒲生商事〉が建物を買い取り、
〈箱バル不動産〉で運営していくという内容でオーナーの了承を得て、
2016年6月には無事に売買契約が成立。
建物の名前を〈旧仁寿生命函館支店〉から〈大三坂ビルヂング〉と改め、
プロジェクトがスタートしていきました。
ところが、希望に満ち溢れていた矢先、近所のパーマ屋さんから
「旧仁寿生命の前にパトカーが来ている」という緊迫した電話がありました。
駆けつけると土蔵の土壁がドッサリと道路に向かって崩れ落ち、
近所の方が通報してくださったようでした。
警察によって立ち入り禁止のテープが張られ、
緊急を要するため急いで〈蒲生商事〉の会長も含めて予算を工面していくことになりました。
この〈旧仁寿生命〉はかつて函館市の伝統的建造物に指定されていましたが、
元オーナーさんが指定を解除していました。
今回の所有者変更のタイミングで再度、伝統的建造物に指定していただき、
緊急対策工事の予算として、外壁の倒壊を防ぐネット張りと
玄関屋根の葺替え費用の一部を市から支援をいただけることに。
ただ、予想以上に傷みが進行していたので、今後の計画にも暗雲が立ち込めていました。
後編では、本格的な工事のスタートから施設のオープンまでをお伝えしていきます。
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