連載
posted:2022.6.17 from:北海道函館市 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
profile
Masayuki Togashi
富樫雅行
とがし・まさゆき●1980年愛媛県新居浜市生まれ。2011年古民家リノベを記録したブログ『拝啓 常盤坂の家を買いました。』を開設。〈港の庵〉〈日和坂の家〉〈大三坂ビルヂング〉で函館市都市景観賞。仲間と〈箱バル不動産〉を立ち上げ「函館移住計画」を開催し、まちやど〈SMALL TOWN HOSTEL HAKODATE〉を開業。〈カルチャーセンター臥牛館〉を引き継ぎ、文化複合施設として再生。まちの古民家を再生する町工場〈RE:MACHI&CO〉を開設。さらに向かいの古建築も引き継ぎ、複合施設〈街角NEWCULTURE〉として再生中。地域のリノベを請け負う建築家。http://togashimasayuki.info
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編集:中島彩
北海道函館市で設計事務所を営みながら、施工や不動産賃貸、店舗経営など、
幅広い手法で地域に関わる、〈富樫雅行建築設計事務所〉の富樫雅行さんによる連載です。
今回お届けするのは、〈函館ドック外人住宅〉として建てられ、
その後フランス料理の名店として使われていた建物を引き継いだ
映画監督が、菜園つきのカフェへとリノベーションしたお話です。
前回お届けした〈港の庵〉の見学会にて、
函館に暮らす映画監督の大西功一(おおにし こういち)さんとの出会いがありました。
沖縄県宮古諸島の古代の歌を描いた『スケッチ・オブ・ミャーク』など、
失われゆく原風景を作品に残している映画監督です。
見学会での出会いを経てまもなく「外国人住宅を引き継いだ」と連絡をいただき、
2014年末に内見にうかがうことになりました。
外国人住宅があるのは、時任町(ときとうちょう)。
旧市街西部地区から車で15分ほどの場所で、
近代に西欧文化が取り入れられた住宅街です。
明治10年から函館支庁長になった時任為基(ときとう ためもと)が
このエリアで洋式の模範牧場となる〈時任牧場〉を営んだことを由来に
時任町と名づけられました。
アメリカ人宣教師が西部地区の元町に開校した〈遺愛学院(いあいがくいん)〉が
明治41年頃に移転してきたほか、
当時郊外だったこの地域は“文化村”と呼ばれ、
函館の発展に合わせて大正期に電気が引かれるなど、
函館市東部の住宅地開発において重要な役割を果たした地域です。
外国人住宅はちょうど遺愛学院の裏側に位置します。
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1956年に完成した〈函館ドック外人住宅〉。
函館ドック造船所がギリシャ船を造船した際、
その船の検査員として呼んだギリシャ人が函館に滞在するために建てられました。
当初は4棟が斜めに配置された特徴的な景観で、長らく地域の人に親しまれてきましたが、
残念ながら奥の2棟は既に解体されて現存しません。
木造平屋建てでモルタル塗りの防火構造。
軒(屋根のひさし)を出した造りで、外観に目立つ装飾はないシンプルなたたずまい。
内部も玄関を入るとすぐに居間や食堂に通じ、無駄がない間取りです。
敷地内には木が植えられており、ゆったりと建物が建っています。
キッチンやバスタブ、トイレは床や壁がタイル張りになった洋風の造りで、
寝室にはつくりつけのクローゼットがありました。
デザインはシンプルですが、北国仕様の2重窓でその間に網戸も組み込まれており、
しっかりした造りの住宅です。
大西監督が取得する前、1986年から2014年までは
〈ラ・メゾン・ドゥ・カンパーニュ〉というフレンチレストランとして使われていました。
ラ・メゾンといえば、地元で知る人ぞ知る名店。
落葉松の木立のなかのたたずまいとシェフの味に惚れこんで遠くから足を運ぶ人も多く、
私もランチデートで行った想い出の場所でした。
なぜカフェを開業しようと思い至ったのか。
大西監督にお話をうかがうと、東日本大震災での大規模な物流寸断をきっかけに、
自分たちの手で食べるものをつくる小さな菜園のある暮らしを広めていけるような、
菜園つきのカフェを始めたいという想いが芽生えたそうです。
大西監督が外国人住宅に出会ったのは18年ほど前に
初めてラ・メゾンを訪れたときのこと。
その後も足を運ぶうちに、この建物に憧れの気持ちを抱くようになっていったといいます。
10年後、縁あって建物のオーナーさんからこの家を譲っていただくことになったそうです。
「この家のたたずまいを見ていると、この家が建った頃の
まだゆったりとした周囲の風景やこの場所の美しいあり方が見えてくるようだ」
と監督は話していました。
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このような思いから、外国人住宅を後世に残せるようにと計画がスタートしました。
建物の状態を調査すると特に床の痛みが激しく、
土台や構造的な部分から直さなければいけません。
また、カフェから菜園がパノラマ状に広がり、東西南北に心地いいそよ風が抜ける、
自然と一体感のある空間にしたいと思いました。
隣に残っているもう1棟のお宅を見学させていただくと、
ほぼ当時のままの内装を残していたのですが、
一方で本物件は内部に壁紙が貼られていたり、
厨房部分が一部増築されていたりと手をかけられていました。
ただ今回の改修はオリジナルへの復元を目指すものではありません。
まずはこの建物をさらに未来に引き継ぐために、
基礎や構造の耐震補強など根幹から見つめ直すこと。
そして今ある魅力を超えて、庭の菜園とつながる豊かな空間を
当時の面影を残しながら実現しようと、方向性が決まりました。
工事は2015年の春から始まりました。
庭に広がる落葉松は樹齢60年を迎えて根腐れを始めており、
伐期が迫っていた時期でもありました。
伐採して根を起こし、丸太は〈三上製材所〉へ持ち込んで、
枕木やフェンス用の板材などに製材してもらい再利用しています。
根は掘り起こして処分し、土を入れ替えて菜園に向けて準備していきました。
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リビングやキッチンの既存の天井を解体すると緩やかな勾配天井があり、
屋根の勾配に合わせ、中央に向かって大きな吹き抜けの空間を確保しました。
そのことで中央にあった屋根のハイサイドライトからの陽の光を
キッチンの奥まで届けることができます。
さらに南西側にあった個室とリビングの間の壁を取り払い、
その奥に大きな掃き出し窓を設けることで、
空間に広がりが生まれて劇的に明るくなりました。
窓枠のグリーンは当時のオリジナルの色が文献からわかっていましたが、
監督の理想のグリーンに微調整してオリジナルより多少濃い色になりました。
壁には構造補強を入れて、現行基準の1.5倍ほどの強度になるよう設計しています。
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お店は、食べ物を通して豊かな自然とつながることをテーマに
〈plantar(プランタール)〉と名づけられました。
ラテン語やポルトガル語で「栽培する」「足の底の」などの意味を持ちます。
店づくりにおいては、大西監督が細部まで自分の目で確かめながら、
色や肌触りや雰囲気づくりなど、一緒に愛情をかけて試行錯誤を繰り返しました。
監督が映画撮影などで函館にいない場合は作業をなるべく進めず、
2年の歳月をかけて〈中川組〉のみなさんの手を借りながらじっくり進めました。
2017年7月にオープンハウスを行い、8月より朝食営業を開始。
初年度は畑づくりをメインに進め、2018年5月より本格的にオープンを迎えました。
敷地内の菜園では無農薬・無肥料の自然栽培で野菜などを育てながら、
種の交換会や食のお話会が行われました。
近郊のオーガニック農家さんとのマルシェや朝食など、
地域と生産者を巻き込みながら試行錯誤を重ね、
その先には「love & vegetable market」が生まれていきました。
菜園の前の大きなテーブルに生産者が直接届ける新鮮な野菜や
調味料などが並ぶ小さなマーケットで、
自然と人と地域の食の循環を感じながら食事をいただくことができます。
ゆったりブランチをとるにも最適な10時半からの営業で、
プランタールは日常を豊かにしてくれる存在です。
震災をきっかけに、“自分たちで食べるものを、自分たちでつくる”
家庭菜園のある暮らしを広めたいと始まった大西監督の種まき。
元函館市長・時任為楨が明治初期に洋式の模範牧場を築き、
かつてはのどかな草原だった時任町の地で、新たに始まった草の根の活動。
その想いが多くの人に届いてほしいと願います。
お店は新型コロナウイルスの影響で一旦クローズしています。
状況が落ち着くまでは、新たな目標を持って長期の準備期間に入っているとのこと。
次のオープンがいまから待ち遠しいです。
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カフェ プランタール
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