連載
posted:2022.8.29 from:鹿児島県 genre:旅行 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
音楽家である坂口修一郎さんは、フェスの運営やコミュニティづくりのために、
東京と鹿児島、さらには日本のローカルを移動し続けています。
坂口さんが体現している新しい働き方やまちづくりを綴ってもらいました。
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Shuichiro Sakaguchi
坂口修一郎
さかぐち・しゅういちろう●BAGN Inc.代表/一般社団法人リバーバンク代表理事
音楽家/プロデューサー。1971年鹿児島生まれ。93年より無国籍楽団〈ダブルフェイマス〉のメンバーとして音楽活動を続ける。2010年から野外イベント〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉を主宰。企画/ディレクションカンパニー〈BAGN Inc.(BE A GOOD NEIGHBOR)〉を設立。東京と鹿児島を拠点に、日本各地でオープンスペースの空間プロデュースやイベント、フェスティバルなど、ジャンルや地域を越境しながら多くのプレイスメイキングを行っている。2018年、鹿児島県南九州市川辺の地域プロジェクト〈一般社団法人リバーバンク〉の代表理事に就任。
今年から僕ら〈BAGN Inc.〉では鹿児島の文化やアートの情報を収集〜発信する施設、
「かごしま市文化情報センター(Kagoshima Culture Information Center=KCIC)の
運営を引き受けることになり、新しい活動を始めています。
かごしま文化情報センターは市役所の中にあります。
この施設では「アートマネジメント実践人材育成講座」や、
市民に開かれた文化を学ぶワークショップなども随時開いていきます。
実は県立美術館がひとつもない鹿児島県ですが、
この講座では実際に鹿児島のあちこちで
さまざまなインディペンデントな企画を実践しているプロデューサーを毎回招いて、
半年かけてみんなで新しい企画を立ち上げていこうというもの。
ワークショップでは地域の生活文化にもフォーカスして、
いわゆるアートだけではなく、地域の食文化を子どもたちと一緒に学んだり、
現代の文学の一形態として、
子どもたちが地元で活動しているラッパーからラップを学び、
自己表現するなかで現代の文化に親しむ機会をつくるというような企画も。
センター内ではさまざまな地域内外の文化芸術関連の情報の案内や書籍の閲覧もできます。
この連載では文化の地産地消ということをタイトルに掲げて書き連ねていますが、
そもそも「文化ってなんだろう?」と改めて思うことがあります。
文化とは、ひと言でいうと
「地域社会のなかで共有される固有の考え方や価値基準」のことです。
ですが、今僕らが地域固有のものだと思っているものも、
ルーツを辿ると外から来たものだったということは多々あります。
そういうことに意識的じゃないと、
外来種と知らずに地元固有だと思いこんで地産地消と叫んでいる
というようなことになりかねない。
ただ、同じように外から流れてきても、
地域に根づくものとそうでないものがあって、地域によって大きく違いが生まれる。
なので、地域固有の文化というのは、土地固有のものや風土に加えて、
外からもたらされたものを地域の人がどう受け止め、
自分たちのものとして取り込んだかという受容の仕方のことだとも言えそうです。
人が介在しなければ文化とは呼ばないので、結局のところ地域の文化というのは
「その地域の人々のあり方=人柄」と言えるかもしれません。
県内を巡回する「六月灯」という移動祝祭日も地域に根づいた生活文化のひとつ。
外から取り入れたのちにガラパゴス化して、
いつの間にか独自の文化になっているものも往々にしてあります。
そんな目でもう一度鹿児島という地域を眺めてみると
ここに残る文化のなかにいろんなものが見えてきます。
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鹿児島では現在の県名と同じくらいの使い方で、
今でも「薩摩」という古い呼び方を使います。
地元だけじゃなく地域外からも薩摩といえば
「あぁ鹿児島のことね」というイメージがあると思います。
地元の人も薩摩という呼称にプライドを持っている。
明治維新を成した「薩長土肥」のなかでも、
いまだに薩摩「藩」だけが「県」とニアリーイコールで語られることが多い。
70年代に生まれた僕らの世代くらいまでは、子供の頃に、男の子は
「薩摩隼人」(かつてこの地域にいた部族であり、のちの薩摩国の武士の呼称)の
気概を持てと教わり、
女の子は「薩摩おごじょ」(やさしいしっかりもの)であれと言われて育ちます。
いずれにしても頭には常に「薩摩」がつく。
明治維新の後に300ほどあった藩は、廃藩置県とその後の統廃合などで
結果的に現在の47都道府県になりましたが、
150年以上経ってもまだまだ日本人の心には
殿様がどっしりと鎮座していると感じることがあります。
そのなかでも「薩摩っぽ」(薩摩の人)の頑なさは
群を抜いているのではないでしょうか。
そんな薩摩という地域名を守り続ける鹿児島人ですが、
守っているのは呼び方だけではなく、県内全域でいろんな古い風習を守っています。
一度県外に出て戻ってきてから地域を見ている自分にとってすごく興味深いのは、
かつての生活文化が色濃く残っている多種多様な祭りのかたちです。
伝統的な祭りはどこでもそうですが、
その地域の共同体のあり方と密接に関わっています。
現在はコロナ禍でかなりの数が中止を余儀なくされていますが、
コロナ前には一説によると日本全国のお祭りの数は年間30万回も行われていたなかで、
鹿児島の離島の祭りのエキゾチックさたるや、とても日本とは思えないものばかり。
鹿児島硫黄島のメンドン。《YOKAI NO SHIMA》 2013–2015© Charles Fréger, courtesy of MEM
県本土にもどうしてこうなった? と言いたくなるような祭りはあちこちに見つかります。
数年前に出版されたフランス人の写真家、シャルル・フレジェの
『YOKAI NO SHIMA』という写真集があります。
これは日本中の奇祭の装束を集めたものですが、
そのなかに鹿児島の古い祭りの装束がかなりたくさん収録されています。
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鹿児島は日本でいちばん有人島の多い県です。
黒潮に乗って島伝いに南方や大陸から流れてきた文化は、
もともとは外来のものでしょうが、
いまや県民の生活に普通に取り込まれてデフォルトになっている。
悪石島のボゼ神。《YOKAI NO SHIMA》 2013–2015© Charles Fréger, courtesy of MEM
そんな目でみると、「インドネシアの最北端」ともいわれる鹿児島には、
南方から台湾や沖縄、奄美を経て、
また韓国や中国などの大陸から流れ着いたとしか思えない
不思議な祭りや習俗が残っています。
悪石島の「ボゼ」や硫黄島の「メンドン」という祭りの装束は
フレジェが「妖怪」と表現するのも腑に落ちるような途轍もない衣装だし、
本土のいちき串木野市で行われている「タロータロー祭り」や「ガウンガウン祭り」も
独特の装束が不思議な祭りです。
タロータロー祭りの装束。《YOKAI NO SHIMA》 2013–2015© Charles Fréger, courtesy of MEM
ガウンガウン祭り。《YOKAI NO SHIMA》 2013–2015© Charles Fréger, courtesy of MEM
県内各地にさまざまにかたちを変えて残っている
「テコオドイ」(太鼓踊り)という踊り太鼓の叩き方は、
韓国のサムルノリのように見えるものもあったり、
まちごとに装束も違っていて、
となりまちに行くと台湾の原住民の装束のように見えるものもある。
むしろ実際の韓国や台湾のものよりエキゾチックに思えたりします。
日置市伊作の太鼓踊り。《YOKAI NO SHIMA》 2013–2015© Charles Fréger, courtesy of MEM
台湾の原住民「アミ族」のお祭り。
「薩摩琵琶」という伝統楽器には
弦に触れて音を振動させる「さわり」という部品があるんですが、
これはインドのほうに行くと同じように弦楽器についていて
「ジャワリ」という名前になる、など。
祭りにとどまらず文化芸能の文脈ではいろいろと流れ着いたものを感じるのです。
〈リバーバンク森の学校〉周辺に残っている太鼓踊りの装束。
こうしてやたらと古い文化を頑なに守り続ける一方で、
薩摩人は歴史ある建物などをあっさりと壊して建て替えてしまうという
二面性を持った県民でもあります。
自分も含めてこの地域の人たちの体のなかには、
近現代というより中世のマインドがいまだしっかりと残っているようにも感じます。
その「あり方」は変えようとしないけれど、後ろを振り返るのではなく、
次々に流れ着くものを重んじて表面上のものに頓着しない。
そんな鹿児島に暮らす僕らは、体のなかに残る気質を否定するのではなく、
むしろ遠い南方の文化を受け入れ自分たちのものとしてきた。
近代以前のほがらかな先取りの気風をもう一度思い出して、
アップデートするように考えたほうがいいのかもしれません。
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