colocal コロカル マガジンハウス Local Network Magazine

連載の一覧 記事の検索・都道府県ごとの一覧
記事のカテゴリー

連載

明治維新を
薩摩から前向きに手放そう!
150年後を考える「薩摩会議」

坂口修一郎の「文化の地産地消を目指して」
vol.016

posted:2022.7.5   from:鹿児島県鹿児島市  genre:活性化と創生

〈 この連載・企画は… 〉  音楽家である坂口修一郎さんは、フェスの運営やコミュニティづくりのために、
東京と鹿児島、さらには日本のローカルを移動し続けています。
坂口さんが体現している新しい働き方やまちづくりを綴ってもらいました。

text

Shuichiro Sakaguchi

坂口修一郎

さかぐち・しゅういちろう●BAGN Inc.代表/一般社団法人リバーバンク代表理事
音楽家/プロデューサー。1971年鹿児島生まれ。93年より無国籍楽団〈ダブルフェイマス〉のメンバーとして音楽活動を続ける。2010年から野外イベント〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉を主宰。企画/ディレクションカンパニー〈BAGN Inc.(BE A GOOD NEIGHBOR)〉を設立。東京と鹿児島を拠点に、日本各地でオープンスペースの空間プロデュースやイベント、フェスティバルなど、ジャンルや地域を越境しながら多くのプレイスメイキングを行っている。2018年、鹿児島県南九州市川辺の地域プロジェクト〈一般社団法人リバーバンク〉の代表理事に就任。

これまでの150年を手放して、ここからの150年を考えよう

僕が監事として末席に名を連ねさせてもらっている
〈薩摩リーダーシップフォーラムSELF〉という団体が鹿児島にあります。
鹿児島でいろいろな活動をしている若い経営者や団体のリーダーの集まりです。
この団体が始まるきっかけの“ひとつ”は
僕があるとき、無責任に言い放ったちょっとした言葉でした。

「明治維新を、それを成した人物を輩出したこの薩摩から前向きに手放しましょう!」

そんな思いを、維新150年を盛り上げようと集まった、
地元の偉い人の前でわーっと口走った(口走ってしまった)。

〈薩摩リーダーシップフォーラムSELF〉のウェブサイトより。

〈薩摩リーダーシップフォーラムSELF〉のウェブサイトより。

もちろん思いつきで言ったのではなく、いきさつはこうです。

2018年は、明治維新150周年という節目の年でした
(※どの時点で明治維新元年とするかは諸説ある)。
鹿児島は大河ドラマ『西郷どん』も決まり、
ここぞとばかりに維新バンザ〜イ! みたいな感じ。

西郷さんの銅像。

西郷さんの銅像。

でも東京と鹿児島を行き来していた僕は、
鹿児島のその雰囲気に違和感を感じていました。
東京やほかの県で明治維新を祝うって感覚はほとんどない。
勝てば官軍で、明治維新150年なんて言ってるのは、日本でも一部。
福島では戊辰(戦争)150年と呼んでいます。

そりゃそうです。
明治維新を牽引したのは「薩長土肥」(薩摩、長州、土佐、肥前)。
明治維新以降、
内閣総理大臣はやっと大正時代になって19代目の原敬が出てくるまで
ほぼ山口と鹿児島(薩長)が牛耳っていて、
それは今でも通奏低音のように続いています。

維新を世界史的にもまれな“無血革命”だという説もありますが、
実際には同じ日本人同士が血で血を洗う戦いを行った。
21世紀のいまになっても、
長州(山口)や薩摩(鹿児島)に良くない思いを持っている人がゼロではない。
そのことを“旧薩長土肥”の人たちはほとんど知らないか、
見ないことにしているんじゃないだろうか。

次のページ
維新の志士たちは、現代をどう思うか?

Page 2

明治維新を前向きに手放す

明治維新が切り開いた近代革命とは、簡単にいうと西欧型の産業革命。
そこから150年経って、西欧近代モデルが世界中を覆いつくした結果、
地球に深刻な環境破壊を引き起こし、未だに世界中で戦争が止まらない。

150年前の維新の志士たちにとっては、
制度疲労を起こしていた幕藩体制を破って近代化するほかに、
選択肢はなかっただろうし、
それを否定するつもりはないんです。
彼らががんばってくれたおかげで今の日本があることに感謝する気持ちはあります。

けれど、もし彼らが今の時代に生きていたら?
自分たちがつくった世界が制度疲労を起こして
深刻な問題を引き起こしていると知ったらどうするんだろう。

いまの世界の状況を見たら、
もう一度、この制度の「次の世界」をつくろうとするんじゃないかな。

大久保利通像。鹿児島のまちなかはとにかく銅像だらけなんです。

大久保利通像。鹿児島のまちなかはとにかく銅像だらけなんです。

明治維新を振り返って称揚するのではなく、
過去の栄光を前向きに手放すことが必要なんじゃないのか。
維新を成した先輩たちをポジティブに否定して脱構築することが、
なによりも地元の先輩に対してのリスペクトにつながるんだと思っていました。

そこで前述の発言をしてしまいました。
なんだか場が白けてしまった気がして(当たり前)、
用事があるとかなんとか理由をつけて、その場から立ち去ったのを覚えています。

でもその場には、僕が口走った想いに共感する人もいた。
僕が引っ掻き回したカオスから秩序が立ち現れてきました。

次のページ
まるでフェス状態になったカンファレンスとは?

Page 3

コワーキングスペースに、薩摩会議も!

それから4年。
ラーニングコミュニティと呼んでいた薩摩リーダーシップフォーラムSELFは
どんどんと勢いを増して、あっという間にNPOとして法人化。

SELFの次のアクションとして、
最初は〈リバーバンク森の学校〉で行っていた合宿から発展して
「薩摩会議」という名目で大規模なカンファレンスを開催しました。

SELFは、鹿児島県庁舎18階であまり使われていなかった場所に、多様な人が集まる〈かごゆいテラス〉をつくった。

SELFは、鹿児島県庁舎18階であまり使われていなかった場所に、多様な人が集まる〈かごゆいテラス〉をつくった。

かごゆいテラス内のコワーキングスペース〈SOUU〉。

かごゆいテラス内のコワーキングスペース〈SOUU〉。

鹿児島県庁で行われた薩摩会議のオープニング。

鹿児島県庁で行われた薩摩会議のオープニング。

多くの地域から集まった薩摩会議

薩摩会議は、2022年2月にSELF理事メンバーで合宿を行い、
そこでやることを決めて4月には開催という怒涛のスケジュールでした。
会場は鹿児島県庁18階のコワーキングスペースと、
Li-Ka南国ホール/カンファレンス」を使い、
3日間の日程で全17のテーマ。
ゲストは40名という規模で
さまざまな問題について話し合うセッションが行われました。

リバーバンク森の学校での合宿風景。

リバーバンク森の学校での合宿風景。

Li-Ka南国ホールでセッションスタート。

Li-Ka南国ホールでセッションスタート。

薩摩会議の会場では、
全国から集まった多様なゲストがそれぞれの地域で活動してきたことが、
テーマを超えて共鳴し合っていました。
各セッションでハモったり、ぶつかったりしながら会場を巻き込んでいく感じは、
音楽のジャムセッションで化学変化を起こすフェス状態。

150年前の日本の近代革命は、現代の暮らしにいろいろな面で影響を与えている。
同じようにいまの僕らの行動は、150年後に必ず影響を及ぼしてしまうはずです。
制度疲労を起こしているこれまでの150年を前向きに手放して、
これからの150年を考えよう。

薩摩会議はこの命題に沿って、
17のテーマをすべて「トランスフォーメーション=不可逆的な変容」という
共通の切り口で考えるということ。
一期一会のアイデアを大切にするため「いま、ここ」に集中し、アーカイブはしない。
SELFの合宿で話し合ったこの設計が功を奏して、
どのセッションも本当に刺激的でおもしろかった。

次のページ
お味噌汁がコミュニティ!?

Page 4

散逸構造論的コミュニティ論とは

僕が担当したセッションは、「コミュニティ」について。
社会生活のなかで誰もが関わっていて、それについて語っているけれど、
明確に捉えづらい雲のような「人々のひとまとまりのつながり=コミュニティ」と、
それを未来に向けて変容させるにはどう考えていけばいいのかということを、
福島の会津で活動している藤井靖史さんと話し合いました。

コミュニティやプロジェクトが立ち上がり持続するときのメカニズムを、
「散逸構造論」的に説明するという藤井さんが見出した論を紹介してもらいました。
そこから会場のみなさんにも考えてもらいながら、
ビジョナリーな新しいコミュニティの在り方などを話し合うというかたちで
セッションを進めました。

安定して持続するコミュニティの状態を
「一番おいしい状態の味噌汁」という秀逸な例えで説明する
藤井さんのコミュニティ論は、
腹落ち感ハンパなく(例えが味噌汁だけに)、何度聞いても本当におもしろい。

カオスな状態(味噌と出汁が溶け合っている状態)から
適度な熱量と対流の運動がバランスよくなると、
安定した構造(味噌と出汁がじわじわとつくる模様)が出現する。
このおいしそうな味噌汁のような状態こそがコミュニティの構造だ、というものです。

ある一定の条件が揃うと、カオスな状態から運動体として構造が立ち現れてくる。
これが熱力学でいうところの散逸構造論ですが、
このメカニズムは人の間にあるコミュニティにも援用できる!

注ぎたてのお味噌汁がじわ〜っといちばんおいしそうな状態=構造。

注ぎたてのお味噌汁がじわ〜っといちばんおいしそうな状態=構造。

次のページ
薩摩と会津、150年越しの和解!

Page 5

「対流」を生み出すコミュニティとは

僕は数年前に初めてこの話を藤井さん本人から聞いたとき、
改めてコミュニティというのは人の営みである以上、
スタティックな構造物ではなくて、
対流し動き続ける運動体という構造なんだと認識し直しました。
人ありきのその運動体は、簡単に設計して構造化できるようなものじゃない。
先に構造化をしてしまうやり方の最たるものがいわゆる「箱モノ」だし、
組織図のようなルールばかりを先につくってしまうのも
熱のないコミュニティに顕著な状態でもある。

対流を生み出すには温度差と熱量は必須の条件。
しかしそれが高すぎてもうまくいかなかったりする。
熱量が高くコミュニティの結束が強すぎると、
構成メンバーが苦しくなったりして
持続性が失われてしまうこともあるんじゃないか。

コミュニティの輪郭が明確なのは大事なことではあるけど、
熱量の高さは方向性を間違えると分断を生みかねない。
イン/アウトがルール化するという本末転倒の状況から
排他性が生まれると、結果的にはコミュニティが形骸化することにもなる。

全く分断のないコミュニティは一見いいように思うけど、
度を越すと独裁やカルトにもつながってしまうから危険だったりもします。
分断ではなく、それを温度差だとポジティブに捉えることは、
ある意味コミュニティを活性化させるエンジンになり得るかもしれない。

古くからある自治会や会社のような、義務的で形骸化しがちな
地縁型(レガシー型)のようなコミュニティでも、
SNSのような価値観の共有で連帯する自由で風通しのいい運動体(ビジョン型)に
トランスフォームすることは不可能ではないと思う。

そのビジョンは必ずしも明文化されていたり、ルール化されているわけでもなく、
コミュニティに共有されているが言語化できない
「場の感覚」や「雰囲気」的なゆるいものもあり得る。
いや、むしろその「ゆるさ」こそが重要だとも思う。
輪郭が曖昧だからこそ出入りが自由で、自由が認められた場は
ひとりひとりが活性化して活動できるのではないか。
そのゆるさに心理的安全性も担保され、
さらに個人が能力を発揮しやすい場になるのではないか。

90分という限られた時間でしたが、薩摩会議の「コミュニティセッション」では
会津でさまざまな活動をしてきた藤井さんの体験も踏まえ、
会場のみんなとの対話を通じてコミュニティについて考える
濃い時間を過ごすことができました。

そもそも薩摩と会津は150年前にたいへんな因縁がある。
明治維新による分断によって、会津は薩摩と戦い叩かれた側。
ただ、会津で活動しているからという理由で藤井さんに来てもらったのではなくて、
とにかく彼の理論がおもしろいから、
いつかなにかできたらなと僕が思っていたところからの今回の声かけでした。

とはいえ、150年というテーマもあったので
セッションの最後に薩摩と会津の歴史に少しだけ触れ、
ちょっとした洒落で和解の握手をしようと立ち上がったとき、
藤井さんが上着を脱ぐと中には「さすけねえ」(会津弁で問題ないよ!)と書かれた
Tシャツが! これは僕も知らなかった打ち合わせなしのサプライズ。
その瞬間、明治維新の負の部分を
ちょっとだけトランスフォームできた気がしたのでした。

information

薩摩リーダーシップフォーラムSELF

Feature  特集記事&おすすめ記事