新型コロナで約2か月も休校。
家庭だけで、子どもを見ることに
限界を感じて

学校という存在の“ありがたさ”を痛感する日々

わたしが住む北海道岩見沢市では、5月12日から小中学校の分散登校が始まった。
週のうち数日、時間も短縮だが、それでも心からありがたいと思った。
わが家の子どもは3人。長男が小学4年生、長女が小学1年生、次女が2歳。

これまで息子が学校に通う様子を見て、
義務教育に関して疑問を投げかけるような発言もしてきたが、
いつも決まった時間に登校でき、子どもと真剣に接してくれる大人がいるおかげで、
わたしも夫も自分の仕事に集中する時間が得られ、
子どもたちも家庭とは違う世界を持てるということが、
家族によいバランスをもたらしてくれていたことを思い知らされた。

もちろん分散登校を手放しで喜べるわけではない。
新型コロナウイルスの感染拡大がいつ収束するのか見えないなかで、
子どもを学校へ通わせるのはリスクをともなう。

いまのところ市内の感染者はわずかであり、
子どもたちが通う学校は全校児童が40名にも満たないこと、
そして何より、そろそろ子どもを家だけで見続ける限界を感じ始めていたことから、
わたしは登校させることにした。

北海道も春本番。水はまだ冷たいが、子どもたちは水遊びが大好き。

北海道も春本番。水はまだ冷たいが、子どもたちは水遊びが大好き。

振り返ってみれば、北海道にはいち早く独自の緊急事態宣言が出され、
前触れもなく学校は休校。そこから春休みへと突入した。

最初、わが家は案外楽観的だった。
長男は、学校が休みになって宿題から解放されてうれしそうだった。

わが家の場合、夫の仕事は不定期。
休校中の子どもの世話は夫がメインでやるというのが、
ぼんやりとではあったが夫婦の了解事項となっていた。
わたしは、東京の出版社などから依頼された編集の仕事がたまっていたため、
昨年から借りている自宅から徒歩10分の仕事場に通って作業を続けた。

仕事場の裏にある山ではネコヤナギの花が開いていた。

仕事場の裏にある山ではネコヤナギの花が開いていた。

ただ、2週間ほどして、夫はお酒の量が増えていき、怒りっぽくなっていった。
また子どもたちも兄妹でずっといるとケンカが絶えず、仕事場から戻ってくると、
負のオーラのようなものが家に充満していることもあった。

もちろん、夫も子どもたちが楽しめるようにいろいろ工夫をした。
新しいおもちゃや子どもが楽しめそうな勉強ドリルを買ったり、
以前より回数は減らしているものの、ときには祖父母の家に連れて行って、
子どもたちに息抜きをさせたり。

しかし、育児は思い通りにならないことばかりだ。
よかれと思って遊びや勉強を提案しても、子どもがぜんぜんノってこないことも多く、
イライラがよけいに募る場合もある。
おまけに、この時期はコロナウイルスの情報が錯綜し、わからないことも多くて、
ニュースを聞くたびに気持ちが暗くなっていった。

仕事場に通っているとはいえ、夫が買い物をするときなどは、家で作業。パソコンを開きつつ、子どもを横目で見つつ。

仕事場に通っているとはいえ、夫が買い物をするときなどは、家で作業。パソコンを開きつつ、子どもを横目で見つつ。

負のオーラが家に吹き荒れるなか、4月初旬、学校が再開されることとなった。
長女は新1年生。入学式のために買ったワンピースに袖を通し、
大きなランドセルをカタカタ振るわせながら登校した。
マスク着用、お互いに距離を保つことなど、
子どもたちにとっては難しいことが多いなかではあるが、
それでも新しい世界が始まることに目を輝かせる姿は、本当に眩しかった。

北海道の桜は3日ほど花をつけたら、あっという間に散ってしまう。

北海道の桜は3日ほど花をつけたら、あっという間に散ってしまう。

学校がある日は、2歳の次女も保育所に行ってもらうことにした。
起伏がなく曜日の感覚も消えてしまうような日々に、適度な緊張感とリズムが生まれ、
当たり前の日常が戻ってきたことで、わが家は救われた。

一方で、都市部の感染者数が増えていき、
緊急事態宣言が出されるのではないかという話が持ち上がっていた頃だった。
東京に住んでいる友人たちは次第に深刻さが増していき、
「北海道は学校を再開して大丈夫なの?」と言われることも多くなった。

こんな言葉を投げかけられるたびに、心拍数が上がる想いがした。
確かに学校に通わせれば、子どもたちの感染リスクは高まる。
「心配であれば休ませてもよい」という教育委員会からの通達もあった。
自主休校という選択もあるわけで、
「自分がラクをしたいから子どもを学校に通わせているのではないか?」
という後ろめたい気持ちがつきまとった。

仕事をすべて夜にやれば、学校を休ませることもできるかもしれない。
フリーランスだから、仕事を断ることだってできるかもしれない。

そんなことを考えるたびに、悲しい気持ちに襲われた。

新型コロナのせいで
パンを焼くようになった?
家で料理を楽しむ!

家で楽しめることはたくさんある!

新型コロナウイルスの影響で自粛モードになってから2か月過ぎました。
田舎で暮らしていると、そもそも普段から人が少ないので、
海に行こうが山に行こうが人に会わなければ
別に問題ないんじゃないかと思うんですけど、
なんとなくのしかかる「自粛」という言葉。

島の友人のお店でテイクアウトしたランチを車の中で。

島の友人のお店でテイクアウトしたランチを車の中で。

港に車を停めて、海を眺めながら。

港に車を停めて、海を眺めながら。

心と体の健康のために、近くの海に散歩しに行くのは不要不急の外出? 
なんでもかんでもやめてしまうのはちょっと違う気がする。
国や行政から出ている要請の内容を確認したうえで、
自分たちがどうすべきかちゃんと考えていかないといけないなと思います。

中学生になって、まだ数日しか登校していない娘。

中学生になって、まだ数日しか登校していない娘。

さて、そんな自粛モードの中で「あー、遊びに行きたい! みんなで飲みたい!」
と思ったりするわけですが、いましばらく我慢。

じゃ、どうしようか、家で何しようかと考えるのですが、
最近、パンづくりが世界的に流行っているそうです。
パンをつくるのに必要なドライイーストや強力粉、
ベーキングパウダーなどは売り切れているところも多いそう。

ほんとにー? と思いつつ、いつも利用している
製菓材料のネット通販をみてみたら、たしかに! 
入荷待ちだったり購入できる数に制限がかかっていたり、
発送も注文が込み合っているため遅れるらしい。これはびっくり。

まぁ、でもわかる気がします。
うちでも休校中のいろは(娘)は、よく白玉団子や
「はったいあめ」(はったい粉に水あめを混ぜてつくるお菓子)をつくったりしてます。

iPadでレシピ見ながらおやつづくり。

iPadでレシピ見ながらおやつづくり。

家で焼いたパンに友人がつくったレモンカードをたっぷり塗って食べるのが最近の楽しみ。

家で焼いたパンに友人がつくったレモンカードをたっぷり塗って食べるのが最近の楽しみ。

直接会えない状況でも、
取材はできる? イラストレーター
坂本奈緒さんとの往復書簡

言葉と写真で独特のムードを出していたウェブ記事

全国に緊急事態宣言が出されてから、コロカルの執筆でも困ったことが起きている。
この連載では、自身の暮らしのことを書くほかに、
北海道でおもしろい活動をしている人々に取材をしてきたのだが、
直接、人に会うことが難しくなっていく状況のなかで、
どうやって記事をつくっていけばいいのだろうか? 

話を聞くだけならオンラインでもできるけれど、
相手の表情や会話のリズムなど微妙なニュアンスがなかなかつかみにくい。
ともに時間を過ごすなかで、ときおりハッと何かに気づく瞬間があって、
それが執筆の原動力となるのだが、オンラインにすると、
どうも気持ちの起伏が少なくなってしまうのだ。

しかも、ウェブの記事では写真も大切。
言葉の間に写真を組み込んでいくことで、記事に独特の“ムード”がつくり出されていく。

ということで、直接会わない取材というのは、かなり困難な状況と言えるのだが、
あるとき、わたしはこういうときだからこそ可能になる
おもしろい取材方法があるのではないかと考えるようになっていった。

例えば手紙のやりとりを重ねてみたらどうだろう?

同じ市内に住む友人である坂本奈緒さんと、
たわいもないメッセージをSNSでやりとりしていたときに、
ふとそう思ったところから、今回の記事づくりは始まった。
イラストレーターである奈緒さんとであれば、
写真に頼らない記事ができるかもしれない。
さっそくわたしは彼女にお手紙を書いたのだった。

お手紙取材。5つの質問を送ってみたら……

だいぶ長い前置きのあとに、奈緒さんにいまもっとも聞いてみたい質問を投げかけた。
奈緒さんには小学5年生になる息子さんがいて、
学校がお休みになっているなかで暮らしはどう変わったのか。
また、イベントなどが自粛となっているが、
イラストのお仕事も減っているのかなどについて質問した。

質問をしつつ、いまの自分の想いも書きつつ。
取材であれば、長々とした質問は絶対しないことにしているので
(自分は多くを語らない!)、いつもと勝手が違っているが、
少し絵も入れたりしつつ書き上げた。

そして……、奈緒さんに渡してみると(時間があまりなかったので、
今回はスキャンしてメール)、わずか1日でお返事が返ってきた。

下田で始まったクラウドファンディング
「新型コロナから伊豆下田を守りたい!
緊急支援プロジェクト」

愛するまちのための
クラウドファンディング

新型コロナウイルスにより影響を受けた飲食店の取り組みが
各地で始まっています。
津留崎さんが暮らす伊豆下田でも、コミュニティのつながりから
さまざまな支援が広がっているようです。
さらに、有志により地域を応援するクラウドファンディングが
スタートしました。

〈はとやまハウス〉 埼玉・鳩山ニュータウンに 学生とまちをつなぐシェアハウスが オープン

まちづくりに参加すると、賃料が無料に?

かつて、若い家族で賑わったニュータウン。
いま、全国のニュータウンで少子高齢化、空き家の増加が問題になっています。

埼玉県比企郡鳩山町にある鳩山ニュータウンも、
そうした問題を抱えるまちのひとつ。
高齢化率は50%以上にのぼるといいます。
今このまちで、空き家を新しい価値を持つ場所へ
改修する新しいプロジェクトが始まっています。

プロジェクトの核となるのは、学生向けのシェアハウス〈はとやまハウス。〉

写真:永井杏奈

写真:永井杏奈

写真:永井杏奈

写真:永井杏奈

現在こちらでは入居者を募っているのですが、その賃料が何ともユニーク。
今ならまちの公共施設〈鳩山町コミュニティマルシェ〉で
月32時間働けば、賃料が無料になるというのです。
こうしたシステムは若い人を呼び込み、
まちの問題に主体的に関わってもらうことにもつながります。

設計を手がけたのは、建築家の藤村龍至さんが主宰する建築設計事務所〈RFA〉。
同町から空き家活用の委託事業を請け負い、
設計後も管理者として近隣大学の学生や
地域住民の協力を得ながら運営に携わっています。

鳩山町コミュニティ・マルシェのイベントに参加する藤村龍至さん(左)。RFAはコミュニティマルシェを運営。空き家を登録、紹介する役目だけでなく、地元の人が利用できるカフェやマルシェとしても活動している。

鳩山町コミュニティ・マルシェのイベントに参加する藤村龍至さん(左)。RFAはコミュニティマルシェを運営。空き家を登録、紹介する役目だけでなく、地元の人が利用できるカフェやマルシェとしても活動している。

現在住んでいるのは、近隣の大学に通う留学生や、
建築を学ぶ学生さん、全部で3名。
うちひとりは、新型コロナウイルスの感染拡大にともない、
あえなく留学を中断し、鳩山への“郊外留学”を決意したのだそう。

3人はこちらに住み始めてから、鳩山町コミュニティ・マルシェの
仕事を通じてまちづくりに携わるほか、
交流会や農作業の手伝いなど、地域の方とさまざまな形で交流しています。

鳩山町コミュニティ・マルシェ、エントランス部のデザインを考えるためのリサーチ。

鳩山町コミュニティ・マルシェ、エントランス部のデザインを考えるためのリサーチ。

近隣にある〈ちはるふぁーむ〉の畑で泥んこになって農作業。

近隣にある〈ちはるふぁーむ〉の畑で泥んこになって農作業。

鳩山町には、彼らのほかにもニュータウンでの暮らしに
価値を見いだし、移り住んできた人たちがいます。

空き家を活用し〈ニュー喫茶 幻〉という店を営んでいるのは、
アーティストの菅沼朋香さん。
現在、コミュニティ・マルシェのスタッフとしても活動しています。

ベレー帽をかぶっている女性がアーティストの菅沼朋香さん。

ベレー帽をかぶっている女性がアーティストの菅沼朋香さん。

こちらはモーニング営業中の様子ですが、地元の人で大賑わい。
はとやまハウスのメンバーもしばしば訪れ、
常連さんと話に花を咲かせているようです。

ニュー喫茶 幻

※〈ニュー喫茶 幻〉の写真は、2020年2月〜3月初旬にかけて撮影されたものです。現在は臨時休業中。オンライン配信等を行なっています。詳しくはこちらから。

地方の小さなお店が
通販で商売するということ

カフェや野菜の売り上げ激減で、残るは……?

新型コロナウイルスの影響で、観光業や飲食業など、
場を開き、人が訪れることで成り立っていた商売は大きな打撃を受けています。
その観光施設や飲食店に食材やお土産品などを卸していた問屋、
さらにその商品をつくっていた生産者まで影響はつながっていて、
どこも本当に大変な状況になっていると思います。

いままでどおりの仕事と収入がある人って
いったいどれくらいの割合なんだろうと考えてしまいます。

小豆島から眺める瀬戸内海。いつもどおりの美しい風景。

小豆島から眺める瀬戸内海。いつもどおりの美しい風景。

私たち〈HOMEMAKERS〉もまったく他人事ではありません。
4月の収入は昨年の同じ月と比べると半分以下になりそうです。
最近ニュースで報道されている「持続化給付金」のまさに対象……。

うちの収入は大きく分けると、

・野菜の売り上げ

・ジンジャーシロップなどの加工品の売り上げ

・カフェ(金・土のみ営業)の売り上げ

の3つで成り立っています。
比率としてはざっくりですが、野菜:加工品:カフェ=1:2:1。

このカフェの売り上げが4月はゼロ。
野菜と加工品は、個人のお客さんとお店(飲食店や小売店など)向けに
販売していますが、お店からの注文は4月は9割減くらいの感じです。

では何が残っているかというと、オンラインストアでの個人のお客さんからの注文です。
幸いなことにこのオンラインストアからの注文がいつもより増えていて、
それでなんとか売り上げゼロにならずに済んでいるという状況です。

〈HOMEMAKERS〉がつくっているシロップ。左から〈プレーンジンジャーシロップ〉、〈シトラスジンジャーシロップ〉、〈ハニーダイダイシロップ〉。

〈HOMEMAKERS〉がつくっているシロップ。左から〈プレーンジンジャーシロップ〉、〈シトラスジンジャーシロップ〉、〈ハニーダイダイシロップ〉。

4月中は送料無料でシロップなどをお届けしています。

4月中は送料無料でシロップなどをお届けしています。

いま、私の周りでは、小さな商売をしている知り合いの多くが、通販に注力しています。
新しくオンラインストアを立ち上げたり、普段販売していないものを売り始めたり。
いますぐに収入を得られる手段はネット販売しかないというのが事実で、
オンラインで収入を得ながら、1年先、2年先どうするかを
考えていかないといけないのですが。

最近は簡単に、しかも無料でオンラインストアをつくることができます。
商品写真もまずは伝えること重視であればスマホですぐに撮れます。
すでに売りたい商品さえあれば、ネット上にお店を開き、
商品の写真を並べることはそんなに難しくないかもしれません。

ただ難しいのは、立ち上げたオンラインストアの存在を広く知ってもらうこと。
普段からSNSで情報を発信していて、発信パワーが強く、
つながっている人たちがたくさんいればいいですが、
それこそごまんとあるネット通販ショップの中から
見つけてもらう、選んでもらうというのはとても難しいことです。

新型コロナで減った仕事、増えた仕事。
過疎地で続ける在宅ワークに
起こった変化とは?

ストップした美術展カタログ制作の仕事

新型コロナウイルスの感染拡大によって、わたしの仕事にも影響が出始めている。
いまメインとなっているのは、アート関連の本の制作で、
約8割が東京の出版社やイベント事業を行う会社からの依頼によるものだ。

わたしの仕事のスタイルは、月1回のペースで東京へ出向いて打ち合わせを行い、
北海道に持ち帰って編集作業を行うというもの。
こうした仕事のなかで、もっとも影響を受けているのは美術展のカタログ制作だ。

先月、今月と2冊手がけたものがあったが、美術展が延期となってしまったため、
刷り上がったカタログも1冊はウェブで図録のみ先行発売となり、
もう1冊は日の目を見ない状態が続いている。
今後の美術展開催も不透明になっており、収入の3分の1は減る可能性もある。

一方で、継続している仕事もある。
ひとつは連載関係。このコロカルの連載のほか、
毎月2本担当している原稿があって、それらは淡々と続いている。
また、刊行が1年以上先になる分厚いアート本も抱えているのだが、
こちらも止まらずに継続している(大変だけどありがたい!)。

4月から連載を始めたJR北海道の車内誌。特急列車などで配布されている。

4月から連載を始めたJR北海道の車内誌。特急列車などで配布されている。

さらに、現在の社会状況に思わず体が反応し、
仕事と言えるのかどうかはわからないが、新しい活動も広がりを見せている。
その活動とは、この連載でも書いた画家・MAYA MAXXさんとの
〈Luce〉プロジェクトだ。

このプロジェクトでは、わたしの住む美流渡(みると)地区にアトリエをつくり、
そこを拠点にさまざまな企画を展開していこうというもの。
来月にはアトリエの改修もほぼ見通しがたち、MAYAさんも来道予定だったのだが、
それもいまのところ難しそうな状況になってしまった。
直接会って、美流渡で何かをするという計画は立てにくいのだが、
それでもなおMAYAさんとさまざまな活動が生まれていっている。

現在、MAYAさんは東京の自宅で過ごし、ほとんど外出せずに絵を描き続けており、
毎日、制作の経過の写真をわたしに送ってくれている。
電話もちょくちょくしていて、新しい作品について話しているとき、
お互いにフッとアイデアが浮かんでくることがある。

写真家・田附勝の旅コラム
「八戸のウニ漁から感じた
“ご馳走”の意味」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第7回は、写真家の田附勝さんが、青森県八戸市を訪れた話。
魚をテーマに撮影することを命題に、
地域の漁師に会い、ともに食事をし、関係性を築きながら撮影していく。
そのなかでウニの豊饒さを知り、漁師という生き方に惚れたようです。

八戸に毎月通って撮影した漁師たちの生々しい姿

2006年から東北を巡りはじめ、今では40ほどの地域に足を運んだと思う。
2011年7月には写真集『東北』(リトルモア)が出版され、その3年後に、
写真集を見てくれたという八戸市から魚をテーマに撮影してほしいと依頼があった。
しかし、東北地方を収めた写真集ではあるものの、八戸で撮影したわけではなかった。

いつものことなのだが、ふたつ返事で「いいですよ!」とはならないのが僕で、
八戸を一度案内してもらうように頼んで、まずはリサーチに向かった。
自分が知らない(“感じない”といったほうがいいかもしれない)ことを
安請け合いするのは、どうにも抵抗感がある。

八戸には大きな漁港と近代的な造りの水産加工場がある。
主にとれるのはサバやイカ。
全国規模でみても水揚げ量が多く、地元の産業として生活を支えている。
そんなことを頭では理解したものの、
そもそもの八戸の、魚や海がある人々の暮らしはどんなものなのか。
腑に落ちるにはまだ時間がかかりそうだな、と思った。
“そもそも”なんて発想自体、外からやってきた者の視点に過ぎないのかもしれない。
地元の人にとっては、“そもそも”も何もなく、そこにある土地と切っても切れない、
離れることができない「姿」のようなもの。
それを肌で感じたかった。

船に乗っている漁師たち

栃木県佐野市に移住してラーメン屋に! 佐野らーめん移住プロジェクト(仮称)

佐野らーめんで輝く! 移住者大募集

“ラーメンのまち”として名を挙げている栃木県佐野市。

佐野市内には昔からラーメン店が多く、
昭和初期には人口が約5万人だった街に160軒近いラーメン店があったのだそう。
現在も日本のラーメン店密度ランキングでは1位に登り出るほど、
多くのラーメン店が存在します。

しょうゆベースにちぢれ麺というスタイルが基本ですが、最近ではしお、みそ、ごまなど各店の特色を生かし、さまざまなバリエーションの〈佐野らーめん〉を提供するお店があるのだそう。

しょうゆベースにちぢれ麺というスタイルが基本ですが、最近ではしお、みそ、ごまなど各店の特色を生かし、さまざまなバリエーションの〈佐野らーめん〉を提供するお店があるのだそう。

そんな佐野のラーメン文化をさらに盛り上げ、移住へと繋げようと
今夏〈佐野らーめん移住プロジェクト(仮称)〉なるものが始動します。

このプロジェクトは、佐野らーめんづくりを魅力ある仕事ととらえ、
移住者へ佐野らーめん店の創業や事業承継をサポート。
2020年7月にプロジェクト運営法人の発足が発足し、移住希望者の募集が始まります。

小豆島に移住して得たもの。
自分たちの手で
食べるものをつくれるという強さ

カフェも臨時休業に。いま私たちがすべきこと

1か月前のこの「小豆島日記」(vol.243)で、
「新型コロナウイルスの影響がこんなにも大きくなるとはまったく想像してなかった」
と書いたのですが、いま、その影響はもっともっと大きくなっていて、
想像をはるかに超えてる。
まさか世界中に広がるなんて思ってもいなかったし、
こんなにもたくさんの人たちが亡くなるなんて想像もしていなかった。

そしていままさに日本でも新型コロナウイルスの感染が拡大していて、
緊急事態宣言が出されました。

いま(4月8日現在)の小豆島の状況としては、

・小豆島を含む香川県全体で報告されている感染者の数は3人。

・公立の小中高校は新学期からいったん授業再開したものの、

4月13日から2週間再び休校に。

・島へのフェリーは通常通り運航。

・島内のホテルや旅館の宿泊客は大幅に減少。

・ホテルや観光施設、カフェ、レストラン、お土産屋さんなど営業自粛するところも。

・スーパーや薬局でマスクはずっと売り切れ状態。

観光地としての小豆島はとても大きな影響を受けていて、
ホテルや旅館などが今後どうなるのか心配になります。
飲食店を経営する友人たちもどういうかたちで営業するのか、
収入が途絶えないようにするのか悩んでいます。
小豆島はまだ感染された方はいませんが、ほかの地域と同じように深刻な状況です。

いつもと変わらない風景。この時期に白いきれいな花を咲かせる木とわが家。

いつもと変わらない風景。この時期に白いきれいな花を咲かせる木とわが家。

定植したばかりのとうもろこし。夏が楽しみだ。

定植したばかりのとうもろこし。夏が楽しみだ。

私たち〈HOMEMAKERS〉もこの状況のなかでどうすべきなのか
いろいろと考えました。
通常時であれば、ほぼ毎日農作業をしていて、金・土曜日はカフェを営業しています。
週3~4日、農作業や野菜の出荷作業、
カフェ営業のためにスタッフ4~7名が出勤します。

育苗ハウスでは、これから植える夏野菜の苗たちが元気。

育苗ハウスでは、これから植える夏野菜の苗たちが元気。

葉の形が特徴的なカナリーノレタス! 畑では収穫を待ってる野菜がたくさんあります。

葉の形が特徴的なカナリーノレタス! 畑では収穫を待ってる野菜がたくさんあります。

4月に入ってからカフェは臨時休業することにしました。
自分たちが感染しない、広げないために。
この先4月いっぱいカフェはお休みする予定です。

〈HOMEMAKERS Farm & Cafe〉には、島の外から来てくださる方も
たくさんいますし、近所の方々もよく来てくださいます。
古家を改修した狭いカフェで、さらにコミュニケーションも比較的濃厚なので、
ここでいろいろな人が出会うことで感染を広げてしまわないようにという思いです。

〈HOMEMAKERS Farm & Cafe〉は4月中は臨時休業予定。

〈HOMEMAKERS Farm & Cafe〉は4月中は臨時休業予定。

新型コロナ騒動で考える
地方暮らしの可能性とテレワーク

地方で暮らすこと、そのこれからの可能性

伊豆下田に移住して丸3年が経った津留崎さん一家。
折しも新型ウイルスが猛威をふるっていますが
東日本大震災の頃の心情を思い返すこともあるそうです。
そして、あらためて現在の地方での暮らしを考えると
メリットと思えることがいくつもあるといいます。
移住してみてわかる、その可能性とは。

日々の迷いや不安を共有できる仲間。
美流渡に移住した陶芸家、
こむろしずかさんのこと

子どもと遊んでくれるのが、いま何よりありがたい!

新型コロナウイルス感染拡大を受け、
北海道では2月末から休校が続き、そのまま春休みへと突入した。

わが家は子どもが3人。みんなずっと家とその周辺で遊ぶ状態が続いている。
これまではリビングで仕事をしていたので、
もし子どもが家にいたら仕事は絶対にできなかったと思うが、
幸いなことに、最近、近所に仕事場を借りることができ、
日中は夫が子どもたちを見てくれているおかげでなんとか仕事が続けられている。

家の周りはほとんど空き地。夫が子どもたちと遊ぶためにつくった巨大なかまくらは、雪解けとともについに形がなくなった。

家の周りはほとんど空き地。夫が子どもたちと遊ぶためにつくった巨大なかまくらは、雪解けとともについに形がなくなった。

ときどき子どもたちは散歩ついでに私の仕事場にやってくる。
3人一度に乱入(!)してくると、机や棚に置いてあったものは
すべてグチャグチャになり、数秒ごとに話しかけられ仕事はストップ。
締め切りが迫っている日は、こちらもイライラしてしまうのだが、
そんな空気を察知すると、子どもたちはサッとある場所へと出かけていく。

そのある場所とは、私の借りた仕事場のお隣にある
陶芸家こむろしずかさんのアトリエだ。
こむろさんは、昨年夏に南幌町から私たちが暮らす美流渡(みると)地区に
移住したばかりだが、昔からの知り合いのように仲良くさせてもらっている。

こむろしずかさん

とくに、子どもたちは彼女のことを「しずちゃん」と呼んで慕っていて、
部屋に上がり込んで、お菓子を食べたり、テレビや動画を見たりしながら、
好き勝手に過ごしている。何時間経っても帰ってこないときは、
さすがに制作のジャマになるんじゃないかと心配して私が迎えに行くと……。

「私が子どもの面倒見てるから、仕事してていいよー」とサラリと言ってくれる。

これは、心底ありがたい!!!!
新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受けて、
ご近所のみなさんとのつき合い方にも変化が起こっているのでなおさらだ。

普段よく行き来をしていた、同じ年代の子がいる家庭を訪ねることは
ほとんどなくなった。
いまわが子に「○○ちゃんの家に遊びに行きたい~!」と言われても判断に迷う。
感染リスクのある行動をとって「もし、何かあったら……」と考えると、
こちらから進んで遊んでほしいとお願いするのは気が引けてしまう。

こむろさんに教わって子どもたちがつくった陶器。

こむろさんに教わって子どもたちがつくった陶器。

こむろさんの場合は、休校が決まった日に
「毎日、大変でしょ。子どもと遊ぼうか?」とすぐにメッセージをくれた。
自分からヘルプを言い出しにくい状況のなかで、
この言葉にどれほど救われたかわからない。
しかも、私の仕事のハードさをよくわかってくれて、
なるべく作業時間がとれるようにと気遣ってくれたこともうれしかった。

陶芸家こむろしずかさんの作品。カップ

その地域の魅力に"泊まって”体感
「わたしのまちを体験する宿」

今月のテーマ 「わたしのまちを体験する宿」

TVやガイドブックなどでさまざまなまちの特集を
見聞きすることも少なくないですが
やはり地域のことを知るならば、行ってみるのがいちばんです。

「自分の住むまちを好きになってもらいたい!」
そんな想いから、地域の特性を生かしたユニークな宿が全国に増えています。

今回は、日本各地の〈地域おこし協力隊〉のみなさんに、
地域の魅力を体験できる宿について教えてもらいました。

【北海道羅臼町】
こだわりの手料理とアットホームな雰囲気が自慢の宿〈民宿本間〉

羅臼の前浜でとれる自慢の海の幸、
その素材のうまみを最大限に引き出すお母さんの手料理は、
民宿に泊まるお客さんの心を一瞬でつかみます。
地産地消をモットーに鮮度にこだわり、
添加物を一切使用しない安心できる料理を、満足いくまで食べられます。

羅臼の前浜で船上活〆した鮮度抜群のブリ大根。

羅臼の前浜で船上活〆した鮮度抜群のブリ大根。

宿の看板料理のメンメの湯煮。メンメ(キンキ)を羅臼の海洋深層水だけで煮た素材の味を生かしたシンプルな料理。こちらのメンメは大きさ約30センチ!

宿の看板料理のメンメの湯煮。メンメ(キンキ)を羅臼の海洋深層水だけで煮た素材の味を生かしたシンプルな料理。こちらのメンメは大きさ約30センチ!

元漁師の奥さんだからこそできる無駄の一切ない調理は、
今の時代ともマッチしています。
また、ジビエ料理も提供される数少ないお店のひとつでもあります。

鹿肉のローストは、お手製のたれを添えていただきます。

鹿肉のローストは、お手製のたれを添えていただきます。

食事中はもちろん、滞在する間に話されるお母さんの巧みな話術は、
実家に帰ってきたような居心地に変えてしまいます。
そのため、思う存分くつろいで心も体もリフレッシュできる旅になります。

民宿本間

羅臼の本物の味は〈民宿本間〉にあるので、ぜひお越しください。

information

map

民宿本間

住所:北海道目梨郡羅臼町海岸町53

TEL:0153-89-2309

Web:http://minsyuku-honnma.jp/

photo & text

大石陽介 おおいし・ようすけ

1988年静岡県焼津市生まれ。大学卒業後、静岡県の小学校教諭として富士山の麓で8年勤務。うち2年間は青年海外協力隊(JICA)としてモンゴルへ。現地の小中高一貫校で先生方へのアドバイス・子どもたちへの指導にあたる。現在は、羅臼町の地域おこし協力隊として、「ソトから見た羅臼」という視点でまちの魅力を発信中。町内のあちこちへ出向き、取材から撮影、編集までをひとりでこなす。

〈岡崎カメラ〉、写真家浅田政志さんと
「家族と地域の写真」を考える

憧れの写真家と考える、「地域を元気にする写真」

2018年より始まった、私の生まれ育ったまち岡崎での
ローカルフォトプロジェクト〈岡崎カメラ〉。
岡崎で暮らす人たちがカメラを持ってまちをめぐり、
まちの人と話をして、交流を深めながら、
写真を通じて岡崎の魅力を再発見・発信するローカルフォト活動で、
私は写真家のMOTOKOさんと一緒に講師として関わらせていただいています。

2月末に開催された〈岡崎カメラ〉の作品発表会&トークライブ。

2月末に開催された〈岡崎カメラ〉の作品発表会&トークライブ。

2018年秋から始まり1年半、岡崎のまちを歩き、いろんな人に出会い、いままでなかった岡崎の写真が少しずつ増えてきました。

2018年秋から始まり1年半、岡崎のまちを歩き、いろんな人に出会い、いままでなかった岡崎の写真が少しずつ増えてきました。

岡崎カメラの講師を一緒にしている写真家のMOTOKOさん。いま、全国でローカルフォト活動をされています。

岡崎カメラの講師を一緒にしている写真家のMOTOKOさん。いま、全国でローカルフォト活動をされています。

先日、2年にわたる活動を経て、
岡崎カメラのみなさんが撮影・セレクトした岡崎の写真の発表会と
「地域を元気にする写真」の可能性について考えるトークイベントがありました。
スペシャルゲストは、なんと写真家の浅田政志さん!

岡崎カメラのみなさん。自分が撮影した写真から1枚を選んで展示。

岡崎カメラのみなさん。自分が撮影した写真から1枚を選んで展示。

伝えたいことは何か、トリミングの仕方など参加者の写真を1枚ずつ講評。

伝えたいことは何か、トリミングの仕方など参加者の写真を1枚ずつ講評。

高校生、大学生、子育て中のお母さん! いろんな人たちが一緒に活動。

高校生、大学生、子育て中のお母さん! いろんな人たちが一緒に活動。

新型コロナで揺れる気持ちを
抱えながら始まった
画家・MAYA MAXXとのプロジェクト

雪解けとともに美流渡(みると)での新しいプロジェクトが生まれて

心が落ち着かない日々が続いている。
朝、目が覚めると重苦しい気持ちが残ったままだ。
新型コロナウイルスの感染拡大が世界各地に広がっており、
暮らしに影響が出始めていることが原因なのだろうか。

3人の子どもたちは休校や休園で家にいて、友だちと気軽に遊んだりできないからか、
兄妹喧嘩も頻繁に起こるようになっている。
また、日中子どもの面倒をみるのは夫の役目となっているが、
ずっと子どもにつきあっていて、やりたい作業ができないことに
ストレスを感じているようだ。

わたしの仕事にも影響はあり、札幌で行う予定だった取材をリスケしたり、
地元で計画していたイベントを延期したり。

出口の見えないトンネルの中にいるような日々ではあるが、
こんな状況だからこそ、この春から新しく始めたプロジェクトが、
よけいに熱を帯びているといえるのかもしれない。

北海道も雪解け。気温が氷点下を下回らなくなると日差しは本当に暖かく感じられる。

北海道も雪解け。気温が氷点下を下回らなくなると日差しは本当に暖かく感じられる。

雪解けとともにスタートさせたプロジェクトは、
〈Luce(ルーチェ)〉。イタリア語で光。
画家・MAYA MAXXさんが、わたしの住む美流渡地区にアトリエを開き、
そこを拠点に数々の活動を展開していこうとする試みだ。

東日本大震災が起こってちょうど9年となる3月11日に、
MAYA MAXX_LuceというFacebookのサイトを立ち上げ、
そこでわたしはこんな言葉を書いた。

東日本大震災から数えて、10年目を迎えます。
今日から、わたしたちはMAYA MAXXのLuceプロジェクトを始めます。

このプロジェクトは、MAYA MAXXの制作の本拠地を
北海道岩見沢市の山あいにある美流渡地区に設け、
地域のみなさんの協力のもと、大きなスケールの作品を制作していく取り組みです。

合い言葉は「本当のことだけを」。

わたしたちは地震や津波、台風や豪雨、川の氾濫、そしてウィルスの感染拡大など、日々、多くの困難に直面しています。
しかし、こうした危機的状況は、普段の暮らしでは見えてこなかった
本当のことに気づくチャンスでもあるはずです。

いまこそ「本当のことだけを」行っていくときなのでは?
抽象的で曖昧な言葉かもしれませんが、Luceプロジェクトは、
この合い言葉を胸に活動を行っていきます。

どうか、今後の展開を見守ってくださったら幸いです。

1993年にMAYA MAXXという名前で活動を始めて27年。「いま、どんどん絵が描ける時期がきている」と語る。

1993年にMAYA MAXXという名前で活動を始めて27年。「いま、どんどん絵が描ける時期がきている」と語る。

プロジェクトの始まりは、突然だった。

MAYAさんと出会ったのは20年前。
当時わたしが編集長を務めていた雑誌の表紙絵を
MAYAさんに依頼したことが始まりだった。

以来、わたしの人生の節目をいつも見守ってくれていた。
2008年からは制作の拠点を東京から京都へと移したこともあり、
年に1度会うくらいだったが、MAYAさんが昨年東京に戻ってからは、
会って話をする機会も増えた。

このプロジェクトのきっかけは昨年11月のこと。
わたしが出張で東京を訪ね、MAYAさんと何気ない会話をしていたときだった。
「いままで制作した作品の記録をポートフォリオにまとめたい」
とMAYAさんが語ったときに、
「それなら手伝いましょうか?」とわたしが答えたことがスタートとなった。

これまでも仕事をともにすることはあったけれど、
それは一時的なものがほとんどだった。
けれどこれから同じ目的を持って仕事に向かえば、
いままでできなかったことが実現するのではないかという気持ちが急に高まった。

MAYAさんにいまもっとも必要なのは広い制作スペース。
東京のアトリエは、大作を描くには十分なスペースとはいえなかったため、
美流渡に拠点をつくって100メートル規模の絵も制作できるような環境を整える。
そして、描いた絵を世界中の人々と分かち合えるような機会を持つこと。
不思議なことだが、こうしたビジョンがはっきり見えたような感じがした。

鎌倉のバリスタ・望月光さんが
〈Bring me Shonan〉で
実現したい未来とは?

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

〈Bring me Shonan〉の代表・望月光さんが働く〈ヴァーヴコーヒーロースターズ〉鎌倉雪ノ下店は、鎌倉駅から鶴岡八幡宮に延びる若宮大路沿いにある。

〈Bring me Shonan〉の代表・望月光さんが働く〈ヴァーヴコーヒーロースターズ〉鎌倉雪ノ下店は、鎌倉駅から鶴岡八幡宮に延びる若宮大路沿いにある。

店舗の垣根を超えたローカルアクション

海洋プラスチックごみが世界的な問題になっているさなかの2018年夏、
鎌倉・由比ガ浜海岸にシロナガスクジラの赤ちゃんが打ち上げられ、
胃の中からプラスチックごみが発見された。

この出来事に象徴されるように、海を臨む鎌倉のまちに根ざす人たちにとって、
プラスチックごみをはじめとする環境問題は目に見える危機であり、
これらに対して行動を起こしている人たちも少なくない。

今回の主人公である、〈ヴァーヴコーヒーロースターズ〉鎌倉雪ノ下店の
望月光さんが始めた〈Bring me Shonan〉も、まさにそうしたアクションのひとつだ。

Bring me Shonanの代表で、ヴァーヴコーヒーロースターズ鎌倉雪ノ下店のトレイナーとして働く望月さん。

Bring me Shonanの代表で、ヴァーヴコーヒーロースターズ鎌倉雪ノ下店のトレイナーとして働く望月さん。

Bring me Shonanは、そのプロジェクト名のとおり、
鎌倉・湘南界隈のカフェやコーヒースタンドに
マイタンブラー、マイボトルを持参することを推奨し、ゴミの削減につなげる運動だ。

このような取り組みはこれまでもさまざまな店舗で行われていたが、
Bring me Shonanがユニークなのは、
ローカルに根ざした小規模なコーヒースタンドから、
各地に店舗を展開するグローバルチェーン店までが参加する
地域ぐるみの活動となっている点だろう。

コーヒー屋を生業とする人たちが抱える問題意識を
店舗の垣根を超えてつないでいくことで、各店、各人の小さな取り組みを
大きなムーブメントに広げているBring me Shonanの運動は、
鎌倉・湘南エリアから発信されるメッセージとして、いまや全国へと広がりつつある。

鎌倉の隣、藤沢市辻堂で生まれ育ち、
カナダのバンクーバー島、沖縄の西表島などでの経験を生かし、
このプロジェクトを立ち上げた望月さんを訪ねるべく、鎌倉・若宮大路沿いに位置する
ヴァーヴコーヒーロースターズ鎌倉雪ノ下店に足を運んだ。

ヴァーヴコーヒーロースターズは、カリフォルニア・サンタクルーズ発のコーヒーショップとして2016年に日本に上陸し、新宿や六本木、さらに北鎌倉にも店舗を構えている。

ヴァーヴコーヒーロースターズは、カリフォルニア・サンタクルーズ発のコーヒーショップとして2016年に日本に上陸し、新宿や六本木、さらに北鎌倉にも店舗を構えている。

下田で愛される名物「はんば」とは。
83歳の現役海女さんの漁に密着

地元でつくられる食材の舞台裏

津留崎さんが伊豆下田で暮らすようになって知った食材「はんば」。
海藻を干して板状にしたもので、地元の人に好まれているそう。
そのはんばをとるところを見てみたいという希望が叶い
83歳の現役の海女さんの漁に同行することに。
こうした食材がどうやって私たちに届けられるのか
その裏側を垣間見ることができました。

いつもの卒業式が
できなかったみなさんへ。
MAYA MAXXの小さな絵本を届けたい

突然の休校、落ち着かない毎日

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、
北海道では全国より早く学校や幼稚園がお休みになった。
3年生の長男と幼稚園に通う長女が突然家にいることとなり、
保育所では子どもの受け入れはしていたものの、
大事をとって次女もお休みさせることにした。

考えてみれば、休日でも習い事などがあり、子どもが出かけていることも多く、
家族全員が家で長時間過ごすという状態は案外少なかった。
私は編集の仕事の締め切りが迫っていたので、
基本的には夫が子どもたちをみてくれたのだが、
仕事にあてられる時間は思うようにとれなくなった。

家の前の雪山で遊ぶ子どもたち。休校になったけれど、一歩外に出れば、どこでも駆け回れるのはありがたい。

家の前の雪山で遊ぶ子どもたち。休校になったけれど、一歩外に出れば、どこでも駆け回れるのはありがたい。

少ない時間のなかでなんとか仕事をこなさなければと気は焦るが、
まるではかどらなかった。
世界各地に感染が広がり、マスクやトイレットペーパーが品薄になり、
イベントなどの多くは中止や延期。
さらには北海道に2月28日からの3週間、道知事によって「緊急事態宣言」が出され、
とくに29日からの土日は外出を控えるよう呼びかけられた。

次々と変化する状況のなかで、
出口の見えないトンネルの中にいるような感覚がわき上がった。
これは、東日本大震災が起こった直後の感覚ととてもよく似ていた。

あのとき私は、心がザラザラとして胸が詰まるような無力感に襲われた。
揺れ、津波、そして原発事故。多くの人が亡くなり、生活に困る人が出るなかで、
自分は何もできず、ただただニュースを見るばかりだった。

無力ではあったが、震災から2か月ほどして落ち着きを取り戻し、
「できることを、できるかぎりやろう」と、小さな本をつくったことも思い出した。

この本は、当時、福島第一原発の事故がなかなか収束せず
放射能汚染に関する情報が入り交じるなかで、
自分なりにわかりやすく絵と文とでそれを解説したものだ。
タイトルは『放射能と向き合う本』。小さな冊子で150円で配布。
SNSに情報をアップしたところ、多くの反響があり、
1000冊ほどがみなさんの手に渡っていった。

あのとき「自分ができることは本づくりしかない。
それを生かすことが、難しい局面に向き合う一歩なのでは?」
と強く実感したことを覚えている。

2011年5月『放射能と向き合う本』という小さな冊子をつくり、その後『3つのお願い』という絵本も出した。

2011年5月『放射能と向き合う本』という小さな冊子をつくり、その後『3つのお願い』という絵本も出した。

空白になっていくカレンダー、
中止になってしまった伝統行事

急に時間ができてしまったら……?

新型コロナウイルスの影響がこんなにも大きくなるとはまったく想像してなかった。
ここ小豆島でも子どもの学校は3月3日から本当に臨時休校になってしまったし、
予定していたイベントも次々中止。
離島の小さなまちの小学校まで休みになるなんて思いもしなかった……。
予定で埋まっていたカレンダーがどんどん空白になっていく。

突然やってきた小学校最後の日。ランドセルを背負う姿も見納め。

突然やってきた小学校最後の日。ランドセルを背負う姿も見納め。

私たち〈HOMEAKERS〉は、毎年12月下旬〜2月中旬までを
冬季休業期間としてカフェの営業をお休みしています。
2月上旬になると営業再開に向けて、少しずつ忙しくなっていきます。
屋根裏や梁の上など普段掃除できないところを掃除したり、
食器を入れ替えたり、床を塗り直したり。

カフェは2月21日から営業再開し、翌日2月22日にはめでたく6周年を迎えました。
ここからまた次の冬が来るまで毎週金、土曜とカフェを開きます。

カフェはいつもどおり営業してます。毎週金、土曜日オープン。

カフェはいつもどおり営業してます。毎週金、土曜日オープン。

〈HOMEAKERS〉のカレーライス。野菜たっぷり。食べに来てね。

〈HOMEAKERS〉のカレーライス。野菜たっぷり。食べに来てね。

そしてそのタイミングと同じくして、私たちが暮らす小豆島肥土山(ひとやま)で
江戸時代から続いている伝統行事「肥土山農村歌舞伎」の練習が始まります。
毎年5月3日に開催されるのですが、3か月前のこの頃に演目が決まり、
役者が決まり、台本が配られ、今年もまた歌舞伎が始まるなぁと感じます。

穏やかだった冬の期間が終わり、
「あー、今年もまた忙しくなるなぁ」となるのが2月下旬。
そして4月に入ると生姜の植えつけ作業もあり、
農村歌舞伎も本番間近となり、毎晩のように家で練習したり、
週末はリハーサルがあったり、うちが1年で一番忙しい時期になります。
なんとか歌舞伎が終わるまで乗り切ろうと日々せわしなく過ごします。

それが今年は一転。
なんと肥土山農村歌舞伎の上演が中止になってしまいました。
5月の行事だし、まさか中止になるとは思ってもみなかったのでとても驚きました。
これから先どうなるかまだ予想ができないし、学校が休校になってしまった以上、
子どもたちが集まって練習するのは難しい。

今年もいろは(娘)とたくちゃん(夫)は役者として参加することになっていて、
配役も決まり、すでに練習は始まっていました。

今年は乳母役の予定だったいろは。見たかったなぁ。

今年は乳母役の予定だったいろは。見たかったなぁ。

それが突然なくなってしまった。
やることが当たり前だと思っていたことが次々となくなっていく。
行かないといけないと思っていた学校が休みになり、
何百年も続いている伝統行事が開催中止になる。
予定がぎゅうぎゅうだったカレンダーが少しずつ空白になっていく。
さてどうしようか。

伊豆への移住に乗り気でなかった妻が、
下田での暮らしを楽しんでいる理由

実際に暮らすことで、見えてきたこと

伊豆下田に移住して3年の津留崎さん一家。
先月、フォトグラファーの妻・徹花さんに、
伊豆の魅力について語る講演会の依頼が。
でも実は、当初あまり下田への移住に乗り気でなかったという徹花さん。
いまではすっかり暮らしを楽しんでいるようですが、
その変化とは。

長良川の水辺で全世代教育を。
〈郡上カンパニー〉が生み出す
持続的な地方移住のかたちとは?

〈地方創生ワカモノ会合in松山〉で講演をした〈郡上カンパニー〉の岡野春樹さん。
連載「ローカルで見つける、これからの仕事。」vol.001で行われた
座談会にも参加してくれた岡野さんは、岐阜県郡上市で地域に根ざした
新しい共創のあり方を仲間とともに模索している。
では、郡上で実際にどんな取り組みをしているのか?

自分をリセットする“型”を求めて

東京の広告会社に所属する岡野春樹さんが、
総務省の「地域おこし企業人」という制度をつかって、
一家で岐阜県郡上市に移住したのは2018年6月のこと。

各地で移住者受け入れの取り組みが活発化し、
地方へのUターン、Iターンが現実的な選択肢になりつつある昨今だが、
とはいえ地方で仕事を見つけ、
環境との折り合いをつけるのはまだまだ簡単なことではない。

その点、会社に籍を残したまま郡上に身を移し、
〈Deep Japan Lab〉という一般社団法人を運営する傍ら、
共同体〈郡上カンパニー〉の活動を展開する岡野さんのケースはユニークな事例といえる。

郡上八幡のまちなかを横断する吉田川。

郡上八幡のまちなかを横断する吉田川。

「郡上に移住するきっかけのひとつは、
入社2年目に、ハードワークで体を壊しことだった気がします。
まだ労働時間に寛容な時代だったこともあり、
とにかく体力に任せて毎日深夜まで働き続けていたのですが、
そのうち自律神経を悪くしてしまって……。
あるときから体温が乱高下して、朝手が震えて起き上がることもできない状態になり、
ついにはドクターストップで休職することになったんです」

郡上八幡は水のまち。川や水路がたくさんある。

郡上八幡は水のまち。川や水路がたくさんある。

長期離脱を余儀なくされた岡野さんは、
しばし自身の不調と向き合いながら、再起の道を模索する。
そんななか、貴重なヒントを与えてくれたのは、名のある歌人でもある祖父だった。

「祖父は94歳になりますが、今でも自分のクリエイティビティを守るために、
山を歩く時間や長く風呂に浸かる時間をすごく大切にしている人なんです。
その姿を見ているうちに、
そういえば僕が尊敬する企業家やクリエイターはみんな、自分をいったん“空っぽ”にし、
リセットする型を持っている人が多いということに気がつきました。
自分の中に新たな何かが生まれる隙間を、意図的につくっているわけです」

そう思い至ったとき、原因は環境にあるのではなく、
自分をうまくリセットする術を持たない己の責任なのだと気づかされたという岡野さん。
では、自分にとってリセットの型は何か?

〈郡上カンパニー〉の岡野春樹さん。

〈郡上カンパニー〉の岡野春樹さん。

「この時期は、ジョギングをしてみたり瞑想してみたり、
本当にいろんなことを試していました。そんななかでたどりついたのが“水”でした。
僕は、プールでも銭湯でも水にふれていると妙に心が落ち着くし、
未来志向で物事を考えられることに気がついたんです」

そこで本格的にTI理論という長くゆっくり泳ぐ泳法をプロのコーチから教わり、
プール通いを始めたところ、岡野さんの心身はみるみる快復。
3か月強の休職期間を終えて、職場復帰を果たすことになった。

1千万円貯めて漁師の道へ!
年収も公開する次世代型漁師、
佐藤嵩宗さん・冬奈さん

「イカが釣れない? それならほかの魚を釣ればいい!
潮が悪いし、風が強いし、誰も漁に出ていない。
そんなこと考えている暇があったら10分でも早く海に出たほうがよっぽどいい。
自分の感じている恐怖や不安に立ち向かうことが、
今の自分を救う唯一の活路になるんじゃないかと思います」

とある漁師ブログの、歴史的なイカの不漁について書かれた記事に出てくる言葉だ。
漁業の文脈で発せられたものでありながら、人生訓のようでもある。
この言葉の主に会いたい、と今回は山口県下関市を訪れた。

角島大橋からは、息をのむ絶景を思う存分堪能することができる。

角島大橋からは、息をのむ絶景を思う存分堪能することができる。

遠目に見ると爽やかなエメラルドグリーン、
間近で見ると濃い青の美しさが際立つ海が広がる下関市。

この清らかな海に囲まれた下関市豊北(ほうほく)町で、
独立漁師として生計を立てているのが
佐藤嵩宗(たかむね)さん・冬奈(ふゆな)さん夫妻。
それぞれ32歳、24歳のふたりは若手漁師のホープともいえる。
今回は、北海道出身の嵩宗さんと福井県出身の冬奈さん、
それぞれの地から移住し、生業として漁師を継続していくコツをうかがった。

嵩宗さんが漁師になりたかった理由

「漁は獲物を追い求めていくのがワクワクして楽しい」と嵩宗さん。

「漁は獲物を追い求めていくのがワクワクして楽しい」と嵩宗さん。

今でこそふたりで漁に勤しむ佐藤さん夫妻だが、
もともと漁師になりたかったのは夫の嵩宗さん。
19歳のとき、北海道から上京しSNS関連の会社でノウハウを蓄え、
大阪での起業を経て、再び東京へ。
休みの日をすべて費やすくらいに、とにかく釣りが好きな青年だった。

「これから何十年先、一生の仕事として自分は何がしたいのかを考えるようになりました。
日本中をバイクで回るうちに『自然の中で暮らすっていいなあ』と。
静かなところで暮らせて、好きなことをしてお金を稼いで、
おいしいものが気軽に食べられる。
なおかつ働きたいときに働けて、
自分ひとりで勝負して結果を出す生き方ができるのは……と考えていくと、
それをかなえられるのは漁師だと気づきました」(嵩宗さん)

24歳で漁師になると決めてからは、
さっそく「漁業就業支援フェア」に参加して漁業について話を聞き、勉強をした。

その後、漁協や行政の就漁支援制度を利用して、27歳のときに山口へ移住。

「旅をしていたときに、前に海、後ろに山がある山口はいいなあと思っていました。
空が広くて景色がきれいで災害も少ない。
雪が降らないので雪かきもしなくていいので(笑)」(嵩宗さん)

佐藤さん夫妻の船。「嵩海丸(たかみまる)」の「嵩」は嵩宗さんの名前から取ったそう。

佐藤さん夫妻の船。「嵩海丸(たかみまる)」の「嵩」は嵩宗さんの名前から取ったそう。

はじめの1年間は師匠である漁師につきっきりで漁を行い、2年目では自分の船を買い、
どんどん実践経験を積んだという。こうして、29歳で独立漁師としてデビュー。
独立1年目で「やれる」と確信した嵩宗さんは、
当時、山口・福井間で遠距離恋愛をしていた冬奈さんと結婚した。

嵩宗さんがバイクで日本全国を旅しているとき、冬奈さんの地元である福井でたまたまふたりは出会った。

嵩宗さんがバイクで日本全国を旅しているとき、冬奈さんの地元である福井でたまたまふたりは出会った。

「一緒に船に乗って潜り漁に出るとき、はじめは泳ぐこともできなかったので
浮き輪でぷかぷかしながら旦那の漁を見てました(笑)。
当初、沖の釣り漁では酔って吐いたりしていたことは、今ではいい思い出です。
それでもどんどん慣れて、今では6、7メートル下のアワビもとれるようになりました」
(冬奈さん)

伊豆の宿泊施設
〈Tiny Base The River〉で
タイニーハウスの小さい暮らしを体感

タイニーハウスに住んでみたい……!

河津町にある建築会社〈天城カントリー工房〉が、
「シンプルで楽しい暮らし」をコンセプトにつくるタイニーハウス。
そのタイニーハウスが設置された宿泊施設
〈Tiny Base The River〉が新たにオープンし、
見学に出かけた津留崎さん一家。
「家」の概念や暮らし方について、
あらためて見直すきっかけとなったようです。

〈良品計画〉が取り組む廃校舎活用から
美流渡(みると)のまちづくりを考える

“土着化”をキーワードにした地域とのつながりづくり

昨年、地元岩見沢市の小中学校が閉校して以来、
校舎をどのように活用していったらいいのかについて日々想いをめぐらせている。
これまでさまざまな活動をしてきたが、
昨年末からは、校舎のような規模の大きな施設を運営するためには、
どんなスキルが必要なのかを考える連続セミナーを企画している。

このセミナーは、前半はゲストスピーカーの話から運営方法のヒントを探り、
後半は参加者みんなで校舎活用のアイデアを話し合うというもの。
「森の学校ミルトをつくろう みんなでまちと校舎のことを話してみませんか?」
と題し、第1回目は〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉という、
札幌市の旧宿泊施設を活用してアーティスト・イン・レジデンスの拠点を運営する
ディレクターの小田井真美さんをゲストスピーカーとしてお招きした。

年が明けた1月18日には、第2回目を企画。
ゲストスピーカーは、株式会社〈良品計画〉で地域推進を担当する
鈴木恵一さんにお願いした。

良品計画は、〈無印良品〉の商品開発や店舗展開とともに、
近年では地域のサポートも行うなど、活動領域を拡大させている。
千葉県の廃校舎活用も行っていることから、
今回、そうした取り組みについて話をしてもらおうと考えていた。

鈴木恵一さん。1982年西友に入社し、88年に無印良品に出向(のち転籍)してから、主に販売畑を中心に約30年活躍。現在は、北海道地域推進担当となり、地域連携や地域再生のサポートに取り組む。

鈴木恵一さん。1982年西友に入社し、88年に無印良品に出向(のち転籍)してから、主に販売畑を中心に約30年活躍。現在は、北海道地域推進担当となり、地域連携や地域再生のサポートに取り組む。

鈴木さんとの出会いは、一昨年にコロカルで、北海道胆振東部地震から
3か月が経った厚真町の取材をしたことがきっかけだ。
取材したのは「厚真町の今を知る見学会」。
その参加者のひとりとして鈴木さんの姿もあり、この会の帰り道で
お話ししたことがきっかけで、その後札幌で何度かお目にかかる機会があった。

ここ数年、わたしが暮らす美流渡(みると)に
移住者が増えていることに鈴木さんは注目してくれていて、
それならばゲストスピーカーとしておいでいただけたらとお誘いしたのだった。

話し合いに集まったのは約20名。地元住民に加え、市内にある北海道教育大学の学生も参加した。(撮影:吉川幸佑)

話し合いに集まったのは約20名。地元住民に加え、市内にある北海道教育大学の学生も参加した。(撮影:吉川幸佑)

鈴木さんのお話は多岐にわたっており、校舎活用はもちろん、
まちの未来を考えるうえで多くの示唆に富んでいた。

まず、良品計画の活動として紹介してくれたのは、千葉県鴨川市での取り組みだ。
地元で活動するNPOとともに棚田の再生をしたり、
地元の生産者の団体が運営していた直売所などからなる総合交流ターミナルを
〈里のMUJI みんなみの里〉としてリニューアルするといった活動が紹介された。

「いま良品計画では“土着化”をキーワードとしています。
鴨川は首都圏から近く里山と里海があります。
未来に残すべき場所として棚田の再生をお手伝いし、
そこから派生して味噌をつくったり、お酒をつくったりもしています」

高齢化にともない維持管理が困難になった棚田を、都市に住む人たちとともに保全する活動をNPO法人〈うず〉と共同で実施。田植え・田の草取り・稲刈りなどの農業体験イベントを実施。(写真提供:株式会社良品計画)

高齢化にともない維持管理が困難になった棚田を、都市に住む人たちとともに保全する活動をNPO法人〈うず〉と共同で実施。田植え・田の草取り・稲刈りなどの農業体験イベントを実施。(写真提供:株式会社良品計画)