食卓で季節を楽しむ!
野菜宅配で旬の野菜の
お取り寄せはいかが?

日々の食卓に、ちょっとした楽しさを!

外食できない、旅行に行けない、イベント中止、そんな日々が続いています。
暮らしのメリハリが減ってしまった。
季節を感じる機会が減ってしまった。
そんないま、私がいいなと思っていることは、
食卓いっぱいに旬の野菜の料理を並べて食べること!

〈HOMEMAKERS〉のまかないごはん。季節を感じさせてくれる旬野菜の料理が並びます。

〈HOMEMAKERS〉のまかないごはん。季節を感じさせてくれる旬野菜の料理が並びます。

普段から私たちは家が働く場でもあるので、家で過ごす時間が長いです。
家が好きなので、家で過ごすこと自体にはそんなにストレスを感じない。
それとオフィスに通勤していた人たちに比べたら、
コロナ禍でそこまで生活が大きく変わってしまったというわけでもない。

それでもやっぱり1年もこんな期間が続いていて、小さな我慢をし続けていて、
気づかないうちに心に小さなストレスがたまり続けているような気がします。
気分転換に島を出て都会に買いものにいくのをためらったり、
いつもお世話になっている人たちに会いに行くのも諦めたり。

毎日外で過ごす時間が多いので窮屈な気持ちにはならないけれど、いつもと違う刺激が欲しくなったり、気分転換したくなる。

毎日外で過ごす時間が多いので窮屈な気持ちにはならないけれど、いつもと違う刺激が欲しくなったり、気分転換したくなる。

畑の脇では梅の花がきれいに咲いてます。もうすぐ春~。毎年この時期は肥土山農村歌舞伎の練習が始まり忙しくなる頃。

畑の脇では梅の花がきれいに咲いてます。もうすぐ春~。毎年この時期は肥土山農村歌舞伎の練習が始まり忙しくなる頃。

そして昨年に引き続き、今年も私たちが暮らす地区の伝統行事
「肥土山農村歌舞伎」は中止になってしまいました。
夏の虫送りや秋の太鼓祭りなどもどうなるかなぁ。
地域の行事や祭りに参加するのは、準備や練習、
朝早くからの弁当づくりなどとても大変なのですが、中止になってしまうと、
こうも暮らしにメリハリがなくなってしまうんだなぁと寂しく感じます。

知らない間に季節が流れていき、1年が終わってしまうような……。

季節の行事や気分転換の旅行、久しぶりの人に会いにいく、
そういう時間があることで、私たちは毎日の生活を楽しみ、季節を感じることができ、
記憶に残る日々を過ごしていたんだなぁとあらためて感じています。

でも、こういう状況のなかでどう楽しむか、
どうメリハリをつくりだし、日々が流れていってしまわないようにするか。
いまみんなが考えていると思います。
お菓子づくりをしたり、映画を見たり、いい入浴剤を入れてゆっくりお風呂に入ったり。
ちょっとしたワクワクや驚き、幸せを、毎日の生活のなかに取り込みたい!

冬の間ほとんど成長してなかったけど、2月に入ってからようやく茎を伸ばし始めたチンゲンナバナ。

冬の間ほとんど成長してなかったけど、2月に入ってからようやく茎を伸ばし始めたチンゲンナバナ。

紅菜苔(こうさいたい)という紫色のナバナ。いまが旬!

紅菜苔(こうさいたい)という紫色のナバナ。いまが旬!

締切間近! 移住希望者をサポートし
“職住一体”の京都の魅力を伝える
「京都移住コンシェルジュ」募集中

左から京都府農業会議の瀬野史朗さん、京都移住コンシェルジュの磯貝咲知さん、京都移住計画の藤本和志さん。

好きな土地や故郷に移住したい。

でも、うまく生活ができるだろうか。まちの雰囲気は自分に合うだろうか。
仕事はちゃんと見つかるだろうか……。

そんな移住検討者の不安に向き合い、
理想の暮らしづくりをサポートするのが「移住コンシェルジュ」。
現在、さまざまな市町村で移住コンシェルジュの働きが注目されています。

京都府でも現在、令和3年度の移住コンシェルジュの募集が始まっています。

京都移住コンシェルジュの事業は、
京都府と一般社団法人京都府農業会議、
京都暮らしのさまざまなサポートや情報発信を行う
任意団体「京都移住計画」が組んだ官民共同プロジェクト。


京都移住 Life Style Book

「京都」といえば、寺社仏閣や和食、伝統工芸などを思い浮かべる人が多いかもしれません。

しかし、あくまでこれは京都市の中心部に限った話です。
「京都府」全体では美しい山々や海、茶畑などが広がる自然豊かなエリアもたくさん。

農業や漁業を始めたり、
集落に溶け込みながらオフィスワークとアクティビティを両立させたりと、
自分らしい京都暮らしを実現している人たちが大勢います。

そんな職住一体の京都の魅力を伝え、移住検討者のサポートを行うのが
「京都移住コンシェルジュ」なのです。

根本的に何かが変わった。
北海道のアトリエで描いた
MAYA MAXXの新作

撮影:佐々木育弥

“生きている”っていう感じがします

昨年夏、私が住む美流渡(みると)地区に移住した
画家のMAYA MAXXさんが、3月1日から東京で個展を開くこととなった。

MAYAさんは愛媛県今治市の出身。
大学進学を機に上京し1993年に画家としてデビューした。
以来、東京をベースに活動を続けており、
2008年からの10年は京都で制作を行ってきた。

北国で暮らすのは今回が初めて。
十分な広さの制作環境を確保するための移住であったが、
以前から、アイヌやイヌイットなど北方の民族に興味を持っていたこと、
いままでとはまったく違う場所に身を置いてみたかったことも
北海道を選んだ理由となった。

美流渡は豪雪地帯。アトリエも雪に埋もれる。

美流渡は豪雪地帯。アトリエも雪に埋もれる。

「夏から秋、冬にかけて、新しい経験が常にありました。
いまちょうど10年に1度の大雪に見舞われているし、本当に大変です。
だけど、何もなくつつがなく暮らすよりも、困難も含めて何かが起こっていて、
それを乗り越えようとしている状況のほうが自分には合っています。
移住して半年ですが、振り返ってみると3年くらい過ごしたような感覚です。
“生きている”っていう感じがします」

移住した夏には制作環境を整えるためにアトリエにペンキを塗り、
秋には本格的な制作が始まった。
そして、作品に大きな変化が起こっていった。

撮影:佐々木育弥

撮影:佐々木育弥

真鶴で釣り三昧!
〈SON OF THE CHEESE〉山本海人の
両極端な2拠点生活

都会のクリエイターが真鶴へ移住した

真鶴半島のとある場所で海釣りに興じているのは、山本海人さん。
アパレルブランド〈SON OF THE CHEESE〉やサンドイッチ店〈BUY ME STAND〉、
蕎麦とバーが融合した〈Sober〉などを手がけているクリエイターだ。
ここには東京から遊びに来たわけではない。彼は真鶴半島の高台、
しかも半島の両側の海を見下ろせる最高のローケーションの家に住んでいる。

アパレルブランド〈SON OF THE CHEESE〉などをディレクションしている山本海人さん。

アパレルブランド〈SON OF THE CHEESE〉などをディレクションしている山本海人さん。

現在は、もともと住んでいた東京の家と真鶴の家を往復する2拠点生活を送っている。
きっかけはライススタイルの変化だった。

「2年前に、家から家具が全部なくなっちゃったんですよね。
ベッドひとつと犬2匹というミニマルアーティストみたいな暮らしになっちゃって。
その頃、なんとなく東京に居心地の悪さも感じて、真鶴に来てみました。
住民票も会社の登記もすぐに真鶴に移しましたよ」

真鶴の西側、湯河原、熱海方面を望むことができる。

真鶴の西側、湯河原、熱海方面を望むことができる。

こうして山本さんが移住してきたのは2018年。実は現在住んでいるこの家は、
山本さんの両親が5年ほど前に建て、別荘として使っていた家。
そこに居を移したのだ。

「最初は東京には一切行かずに、真鶴にいながら東京の会社をコントロールしました。
でも100%リモートというのはコントロールが難しくなって、
いまは半分ずつの生活に落ち着いています」

現在は新型コロナウイルス感染症の影響もあって、両親も真鶴を中心に生活している。
ローコストでつくることをテーマにした家だというが、
「古い物を寄せ集めて置いている」という家具も含め、
瀟洒なデザインの部屋がお父さんのセンスをうかがわせる。

ウッドテラスはくつろげる仕様に。

ウッドテラスはくつろげる仕様に。

テラスからは真鶴半島の西海岸を眺めることができ、
犬が快適に過ごせそうな広い庭からは反対側の漁港周辺を見下ろすことができる。
スペインや南仏あたりのリゾートを思わせる雰囲気だ。

アーチが特徴的な部屋の内観。

アーチが特徴的な部屋の内観。

小豆島の渓谷「銚子渓」。
高さ21メートルの滝が凍る!

動物園に、凍る滝まで。渓谷を楽しむ!

小豆島には、日本三大渓谷美のひとつである
「寒霞渓(かんかけい)」という有名な渓谷があります。
日本三大渓谷美と言われるだけあって、渓谷はもちろん、
その先にある小豆島のまちなみ、瀬戸内海を望む景色はとても美しく、
観光スポットとしても人気ですし、知っている方も多いと思います。

その寒霞渓から西に10キロほどのところに
「銚子渓(ちょうしけい)」という渓谷があります。

小豆島の山間にある銚子渓エリア。写真真ん中の建物の右下あたりに銚子の滝があります。

小豆島の山間にある銚子渓エリア。写真真ん中の建物の右下あたりに銚子の滝があります。

銚子の滝の下にはこんな大きな岩が重なってます。

銚子の滝の下にはこんな大きな岩が重なってます。

寒霞渓に比べたら小さな渓谷ですが、滝があったり、
野生の猿が餌付けされている〈銚子渓自然動物園 お猿の国〉があったりして、
意外とおもしろい場所なんです!

野生の猿たちがいる〈銚子渓自然動物園 お猿の国〉。柵はなくて、目の前で猿たちが歩いてます。

野生の猿たちがいる〈銚子渓自然動物園 お猿の国〉。柵はなくて、目の前で猿たちが歩いてます。

突然、孔雀もいたりします。小さな動物園みたいな感じです。

突然、孔雀もいたりします。小さな動物園みたいな感じです。

実はこの銚子渓、私たち〈HOMEMAKERS〉の畑から見える
美しい山々の景色の中にあって、うちから車で10分くらいで行けるところにあります。

あらためてその風景を眺めてみると、私たちは島暮らしだけど
海じゃなくて、美しい山の景色の中で暮らしているんだなぁと思います。
当たり前のように毎日そこにありますが、
ふとしたときに美しいなぁと感じさせてくれる渓谷です。

〈HOMEMAKERS〉の生姜畑の奥にあるのが銚子渓。島の中にある畑とは思えない風景。

〈HOMEMAKERS〉の生姜畑の奥にあるのが銚子渓。島の中にある畑とは思えない風景。

この銚子渓には、銚子の滝という高さ21メートルほどの滝があります。
小豆島で一番大きな滝らしいのですが、普段は流量がそんなに多くなくて、
山の中にひっそりとある感じです。
豪快な滝! みたいなイメージで見に行かないでくださいね(笑)。

とても寒い日が続いた1月。
そういえば、銚子の滝って寒いと凍るんだよなぁと思い出し、見に行ってみることに。
銚子の滝はちょっとわかりにくいところにあります。案内板などもありません。
お猿の国の駐車場から500メートルほど西に下っていくと、
道沿いのガードレールが一部ないところがあります。そこから入っていきます。

ちなみに以前は〈銚子茶屋〉という、食事処&お土産屋さんが滝のすぐ上にあり、
そのすぐ横から銚子の滝に行けたのですが、いまは行けないみたいです。
そして残念なことにその銚子茶屋自体がいまは閉まっています。
ガードレールの間から入って山道を歩くこと3分ほどで銚子の滝が見えてきます。

銚子の滝へ続く山道。落ち葉で滑りやすいので、歩きやすい靴で行きましょう。

銚子の滝へ続く山道。落ち葉で滑りやすいので、歩きやすい靴で行きましょう。

アイヌの音と物語に触れる、
OKIさん、Rekpoさんによる
小さな音楽会

縁がつながって、美流渡にふたりがやってくることに

昨年末に岩見沢市の美流渡(みると)で小さな音楽会が開かれた。
「アイヌの音と物語」というタイトルで、
カラフトアイヌの伝統弦楽器トンコリの奏者であるOKIさんと、
アイヌ伝承歌の歌い手であるRekpoさんがやってきてくれた。

この音楽会が開かれるきっかけとなったのは、
道内各地のアートプロジェクトなどでディレクターを務める
木野哲也さんとの出会いによる。
3年ほど前から私は仕事でお世話になっていて、今回
「アイヌ音楽の子ども向けの公演を開こうと思っているので、
美流渡でもやりませんか?」と声をかけてくれたのだった。

出演するおふたりの名前を聞いて私は心が踊る思いがした。
常々公演に行ってみたいと思っていたおふたりで、
これまでは子どもが小さかったり遠方だったりしてなかなか叶わなかったからだ。
さっそく、会を開けるように会場の選定や
地域の声掛けなどのサポートを行うこととなった。

会の当日、木野哲也さん(写真右)は、昨年、美流渡に移住した画家・MAYA MAXXさん(写真左)のアトリエに立ち寄った。木野さんは、芸術文化プロデューサーとして活躍しており、白老町で行われている飛生(とびう)芸術祭やウイマム文化芸術プロジェクトなど数々のディレクターを務めている。

会の当日、木野哲也さん(写真右)は、昨年、美流渡に移住した画家・MAYA MAXXさん(写真左)のアトリエに立ち寄った。木野さんは、芸術文化プロデューサーとして活躍しており、白老町で行われている飛生(とびう)芸術祭やウイマム文化芸術プロジェクトなど数々のディレクターを務めている。

この会の開催を決めたあと、新型コロナウイルスの感染者が市内でも確認されるなど、
北海道全体の緊張感がより高まっていった時期ではあったが、
なんとか開催できる方法を模索したいという気持ちがあった。

ちょうどその頃、子どもたちが通う小学校では
アイヌ文化を学ぶ取り組みが行われていて、学校に講師を招く予定が中止となり、
とてもがっかりしている我が子の姿を見ていたからだ。

子どもたちは授業でアイヌ文化について調べ、壁新聞にして発表した。

子どもたちは授業でアイヌ文化について調べ、壁新聞にして発表した。

この公演は文化庁の採択事業で、
道内の学校など5か所で開催されるツアーとなっていて、
出演者は事前にPCR検査を受け、万全の感染対策をしながら行うというものだった。

受け入れるこちらも、100人以上収容できるスペースを借り、
地域の20人ほどの親子だけに限定するという最小単位で行おうと考えた。
手探りではあったが、それぞれの家族に参加してみたいか尋ねていったところ、
思った以上にいい反応だった。
OKIさん、Rekpoさんの大ファンだと言ってくれた友人もいて、
私はとても勇気づけられた。

会場としたのは地域のコミュニティセンター。普段は地元主催のイベントで使用されている大広間を借りた。

会場としたのは地域のコミュニティセンター。普段は地元主催のイベントで使用されている大広間を借りた。

〈ミヤノオート〉植田祐司さん
事業を受け継ぎながら、
自分らしく働くには

タイヤのネジを慣れた手つきで、グッと締める。1本締めたら、また1本。
車の持ち主が安心して走れるように、ひとつのタイヤが終わったらまた次へ。
迷いのない手つきから、整備士が熟練者であることがわかる。

整備をしていたのは、山口市にある〈ミヤノオート〉の植田祐司さん。
根っからの車、バイク好きが高じて大学卒業後は、迷わず整備士の道へ。
海外メーカーで整備の経験を積んだ後、
2018年にミヤノオートを前オーナーから引き継いだ。

当時は前オーナーと面識はなく、創業のことしか頭になかったという植田さんが、
なぜ事業を引き継ぐことにしたのか。その道のりを聞いた。

ミヤノオートの看板から(株)が外されたワケ

ミヤノオートは2台の車が入る整備場、こぢんまりとした事務所、
販売待ちの車や展示用のカスタムカーが並べられた展示場からなっており、
一見、どこにでもある整備・販売会社に思える。

が、よく見ると看板には「ミヤノオート」の文字、そして事務所のドアには、
〈植田エンヂニヤリング〉なる名前が。
異なる名前が並んでいるのは、事業承継が行われたから。
事業承継とは、会社の経営権や理念、資産など、
事業に関わるすべてを次の経営者に引き継ぐこと。
一般的には、親族内や承継前からの従業員に引き継ぐことが多いが、
植田さんは縁もゆかりもなかったミヤノオートを引き継ぐことになった。

〈ミヤノオート〉の事務所(右)と車検場(左)。建物も、ミヤノオートの文字看板も引き継ぐ前から変えていない。承継の際に、法人名のみ植田エンヂニヤリングに変更し、ミヤノオートは屋号として残した。

〈ミヤノオート〉の事務所(右)と車検場(左)。建物も、ミヤノオートの文字看板も引き継ぐ前から変えていない。承継の際に、法人名のみ植田エンヂニヤリングに変更し、ミヤノオートは屋号として残した。

「大事なのは看板ではなく、整備や販売の仕事に集中できる環境があること。
ミヤノオートの名前で覚えてくださっているお客さんが多いので、
事業も名前も一緒に引き継ぎました」

そう話す植田さんだが、独立を考えていた当初は
事業承継のことはまったく選択肢になかった。
事業承継がどんなものかすら、わかっていなかったという。

事務所のドア。屋号のミヤノオートはあくまで大きく、法人名の植田エンヂニヤリングは小さく。植田さんの考え方がうかがえる。

事務所のドア。屋号のミヤノオートはあくまで大きく、法人名の植田エンヂニヤリングは小さく。植田さんの考え方がうかがえる。

ある日突然、職場がなくなった

大学卒業後に通った職業訓練校で整備士の資格を取得し、
就職したのは外資系自動車メーカーの〈フォード〉。
アメ車のデザインが大好きで、
自分の手で車を改造したいと考えていた植田さんにとってはこれ以上ない環境だった。

就職当初から「いつかは独立を」と考えていたものの、
環境がいいこともあり気がつけば10年近く在籍。
ところが2016年に、フォードは日本からの撤退を決定。
植田さんはこの事態をチャンスと捉えた。

事務所には、フォード時代に整備の大会で表彰された際の賞状が。フォードでは、整備とマネジメントを約5年ずつ経験した。

事務所には、フォード時代に整備の大会で表彰された際の賞状が。フォードでは、整備とマネジメントを約5年ずつ経験した。

植田さんは、「自分の思い通りにやるときがきた」と創業を決意。
準備を進めるが、そう簡単に事は運ばなかった。

地元で大ヒット!
知られざる「わたしのまちで
愛される調味料」


今月のテーマ 「わたしのまちで愛される調味料」

料理の味の決め手になる調味料。
全国的に有名なものも多いですが
地元企業がつくり、地元で大人気の知られざる商品も
全国各地に存在しています。

今回は、まちの人たちに愛される必需品的な調味料を
〈地域おこし協力隊〉のみなさんに紹介してもらいました。

名産品を使ったもの、伝統的につくられ食べられているものなど、
さまざまな調味料がラインナップ。
気になるものがあればお取り寄せしてみてください。

【岩手県奥州市】
一度食べたら病みつきに! ネギ農家さんがつくるネギドレッシング

奥州市江刺のネギ農家高橋沙織さんがつくる
〈ネギ屋のドレッシング〉。

ネギ農家の高橋沙織さん。

ネギ農家の高橋沙織さん。

個人で製造しているため、
できる時に、できる量だけ、自分のペースでつくられているそうです。
リピーターからの口コミで広がり、
SNSで販売告知をするとすぐに完売してしまうほどの大人気商品なんです。

ネギ畑の様子。

ネギ畑の様子。

息子さんも時々お手伝いをしてくれるそうです。

息子さんも時々お手伝いをしてくれるそうです。

〈ネギ屋のドレッシング〉は、
ネギだけでなくにんじんも入っているので鮮やかなオレンジ色。
ネギ特有の辛みや匂いは感じず、
本来の甘みが凝縮されている濃厚なドレッシング。

ベースのレシピはあるけれど季節によって
異なるネギの甘みや水分量に合わせて、
高橋さんの舌で味のバランスを調整しています。

販売先である古道具や雑貨、野菜などを販売する
〈YOLISUL〉のオーナーおふたりも、
あまりのおいしさに1回にボトル半量を
サラダにかけてしまうというのも納得。
材料に動物性のものは一切使用していないので、
ビーガンの方にもおすすめです。

かわいいデザインのパッケージ。

かわいいデザインのパッケージ。

ネギ生産者である高橋さんが、
このドレッシングを販売するきっかけになったのは
岩手県奥州市江刺にあるヨガスタジオ
〈ヨガスペースコパン〉で開催されたマルシェ出店だったそうです。

それ以来、ネギを生産するだけではなく、
自分が育てた野菜そのもののおいしさを引きだす商品を開発し続けていて、
その商品をいろいろなかたちでお客さんに届けています。

マルシェの様子。

マルシェの様子。

自慢のネギはもちろん……。

自慢のネギはもちろん……。

さまざまな野菜を販売!

さまざまな野菜を販売!

また、〈ネギ屋のドレッシング〉だけではなく、
ビーガンスイーツづくりもされている高橋さんは
「つくることが好きなんです」と話してくれました。

イベント限定のスイーツやピクルスなども販売。

イベント限定のスイーツやピクルスなども販売。

キャロットケーキにはドライいちじくも入っています。

キャロットケーキにはドライいちじくも入っています。

購入方法は市内のお店で数量限定、不定期で販売。
ハンバーガー屋〈GROW〉には
ネギ屋さんオリジナルソースを使用したメニューがあるので、
気になる方は、お試しあれ!

information

map

YOLISUL FUCHI″

住所:岩手県奥州市江刺川原町3-9

TEL:0197-34-0388

営業時間:11:00〜16:00

Instagram:@yolisul.fuchi

information

map

GROW

住所:岩手県奥州市江刺六日町1-1

TEL:0197-47-6207

営業時間:11:00〜14:30(14:00L.O)、17:30〜22:00(21:00L.O)

日・祝日 11:00〜14:30(14:00L.O)

定休日:火曜

※ハンバーガー完売次第閉店。

Web:https://grow-funburger.com/

photo & text

小川ちひろ おがわ・ちひろ

東京都品川区出身。大学で移民を学び、言語や異文化に興味を抱く。オーストラリア留学、台湾ワーキングホリデーと海外生活を経験。着任前は都内ギャラリーカフェに勤務。2018年5月岩手県奥州市地域おこし協力隊着任。今年度は台湾向けに東北のリアルライフスタイルやカルチャーシーンを伝えるウェブメディア立ち上げを目指し、自身も旅するように東北でしか味わえない経験を堪能中。

伊豆半島の魅力とは?
観光スポットだけじゃない、
土地が持つ“豊かさ”

コロナ禍であらためて気づく、
伊豆半島の魅力

伊豆半島には魅力的なスポットがたくさんあります。
ダイナミックな地形、美しい夕陽――
伊豆下田で暮らす津留崎さんでも、まだ知らない場所があり、
それらを巡ってあらためて伊豆の魅力を発見したそう。
そしてそれは、単に観光地としての魅力ではなく、
土地の持つ“豊かさ”だといいます。

瀬戸内レモンはおいしい!
小豆島でレモンを育てる

もっと気軽に! レモン生活のすすめ

1月、小豆島は冬ど真ん中。
足の指がしもやけになったり、野菜を水洗いする手が冷えすぎて
真っ赤になってしまったり、そんな寒い日が続いています。

こんな寒い時期ですが、レモンやみかんなどの柑橘の収穫はいまが最盛期です。
柑橘の種類によって収穫タイミングが少しずつ違い、
冬の間は何かしらの柑橘を収穫したり、いただいて食べたりしてます。
今週はぽんかんをいただきました。
柑橘は種類が多すぎて、どれがどれだかいまだにわかってないです(汗)。

11月末頃から黄色く色づくレモン。4月くらいまで順番に収穫していきます。

11月末頃から黄色く色づくレモン。4月くらいまで順番に収穫していきます。

温州みかんとはっさくをかけあわせたスイートスプリングという柑橘。皮を向いてそのままみかんみたいに食べられます。

温州みかんとはっさくをかけあわせたスイートスプリングという柑橘。皮を向いてそのままみかんみたいに食べられます。

「瀬戸内式気候」と呼ばれる、降水量が少なく冬も温暖な気候の小豆島では、
昔から柑橘の栽培が盛んです。
昔は南向きの山の斜面では一面みかんなどの柑橘が栽培がされていたそうで、
うちの裏山も山のずっと上のほうまでみかん畑でした。

いまは高齢化により畑作業ができなくなってしまったり、
柑橘類の消費が減ったことで価格が下がってしまったりして、
柑橘栽培をやめてしまった畑も多く、あっというまに山に戻っていっています。
収穫されずに実がついたままの柑橘の木が島のあちこちにあります。

集落の中には小さな柑橘畑がぽつぽつあります。寂しいですが少しずつ放置された柑橘の木が増えています。

集落の中には小さな柑橘畑がぽつぽつあります。寂しいですが少しずつ放置された柑橘の木が増えています。

これは「ダイダイ」という柑橘。酸味が強く、果汁を搾って使います。醤油とあわせてフレッシュな自家製ポン酢をつくったり。

これは「ダイダイ」という柑橘。酸味が強く、果汁を搾って使います。醤油とあわせてフレッシュな自家製ポン酢をつくったり。

家具からキャンプギアまで、
ものづくりの楽しみは
家の中から外へ無限に広がる

買ったものを探すほうが難しい。手づくりに満たされた家

JR四日市駅から、鈴鹿山脈のほうへ向かって車で15分ほど。
大通りから1本入った静かな住宅街に、
伊藤芳樹さん、恭子さん、碧泉(あおい)くん、愛犬のかんぱちが暮らす住まいはある。
BESS〉の〈WONDER DEVICE〉は暮らしを楽しむための“装置”というコンセプト。
なかでも伊藤家が暮らす「PHANTOM(ファントム)」は
一面がガルバリウムの外壁に囲まれ、
外からは様子がうかがい知れない怪しげなムードが特徴的だ。

家の前には、切りそろえられた薪が太さや樹種ごとに整然と積まれ、
その上では、先日入手したばかりだというグリーンのカナディアンカヌーが存在感を放つ。
枕木を敷いたアプローチには、端材でつくったポストや流木の手すりが取り付けられ、
この数メートルを歩いただけでも、
伊藤さん一家が、この家での日々を楽しむ様子が伝わってくる。

35センチにきれいに切りそろえられた薪。1年半乾燥してようやく使用できる。

35センチにきれいに切りそろえられた薪。1年半乾燥してようやく使用できる。

「ここはぼくが積んだんだよ!」と、
薪棚の一角を指差す碧泉くんに続いて玄関へ向かうと、
芳樹さん、恭子さんが出迎えてくれた。
一歩中に足を踏み入れると外観のクールな印象とはうって変わって、
木の温かみあふれるやさしい空間が広がっている。

「ダイニングテーブルと椅子以外は、ほとんど自分でつくりました」

そう芳樹さんが話すとおり、リビングのテレビボードから琉球畳の小上がり、飾り棚、
2階ワークスペースのカウンターや、子ども部屋の秘密基地のようなロフトまで、
7年間にわたりコツコツとつくってきた家具や雑貨が、空間を彩っている。

年輪の模様がかわいい薄い板を、扉に貼ったテレビボード。

年輪の模様がかわいい薄い板を、扉に貼ったテレビボード。

2階にある芳樹さんのワークスペース。ホウノキの一枚板のカウンターも自作

2階にある芳樹さんのワークスペース。ホウノキの一枚板のカウンターも自作。

それだけではない。
5年ほど前から親子で毎月のようにキャンプに出かけている芳樹さんは、
テントやタープ、ローチェアなど、キャンプギアまでも自作して楽しんでいる。

「先日、ついに家庭用の溶接機も導入し、鉄の丸棒で『焚き火ラック』をつくったんです」

何かほしいものがあるとき、まずは自分でつくれないか、
調べることが習慣になっているという芳樹さん。

「彼は好きになるとのめり込むタイプで、以前、釣りにはまったときも、
竹を削って釣り竿を手づくりして、『売ってほしい』と頼まれるほど上達していました」
と恭子さんは話す。

横型の多い薪ストーブだが、芳樹さんは縦型のシンプルな形がお気に入り。

横型の多い薪ストーブだが、芳樹さんは縦型のシンプルな形がお気に入り。

どうして不便なところに住んでいるの?
北海道の過疎地に住む人々の
“本音”をまとめた本

撮影:佐々木育弥

ハタチの学生が山あいに住む人々にインタビュー

3月初旬に地域の人に取材した本ができあがる。
昨日、原稿のチェックをすべて終え、最終工程に入る段階までこぎつけた。
このコロカルで、岩見沢市の山あいに暮らす人々のことを書いてきて5年、
いつか単行本にまとめられたらと思っていたのだが、
今回、思いがけないかたちで実現することとなった。

きっかけはコロナ禍だ。
2019年より、私は北海道教育大学岩見沢校による
「万字線プロジェクト」というプロジェクトに関わっていた。
かつて炭鉱輸送の要として岩見沢市の山あいにあった路線から名前をとったもので、
学生がここでアートマネジメントについて学ぶという取り組みだ。

昨年は閉校になった美流渡(みると)中学校の体育館を使って
地元の人々と交流するイベントなどを実施。
今年度の活動を準備中だった矢先に新型コロナウイルスの感染が拡大し、
学生たちの授業はほとんどオンラインとなり、
イベントなどの開催は難しい状況となってしまった。

2019年に実施した万字線プロジェクトでは、閉校となった校舎で学生がイベントを企画。久しぶりに子どもたちが集まった。

2019年に実施した万字線プロジェクトでは、閉校となった校舎で学生がイベントを企画。久しぶりに子どもたちが集まった。

こうしたなかではあったが、秋になって対面での授業も一部は実施されるようになり、
担当教授・宇田川耕一先生は、学生を少人数のグループに分ければ、
地域でフィールドワークが可能ではないかと考えた。

そして、「学生と一緒に地域をテーマにした本をつくってみませんか?」と
宇田川先生から誘いを受けた。
年度末までの刊行という差し迫ったスケジュールではあったが、
地域の人々10組に学生が10問ずつ質問を投げかけ
1冊にまとめてみたいと私は考えた。

コロカルでもこれまでたくさんの地域の人を取材してきており、
人選は悩みどころだった。
今回は「地域の課題をアートを通じて解決する」という題目があったため、
まちづくりに関わったり、アートやものづくりに関わったりしている人に登場を願った。

このプロジェクトに参加したのは26名の3年生。
宇田川先生が5名ほどのグループに学生を振り分け、
10組の取材を1か月半かけて行う計画を立てた。

雪が降り積もる季節に学生たちの取材が行われた。(撮影:佐々木育弥)

雪が降り積もる季節に学生たちの取材が行われた。(撮影:佐々木育弥)

移住先マッチングサービス 〈ピタマチ〉 写真を直感で選んで 効率的に移住先探しを!

新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、社会情勢の変化を感じ、
地方への移住を考えている方も多いのではないでしょうか。
自治体としても、この未曾有のピンチを移住者を呼び込むチャンスに変えるべく、
さまざまな支援策や広報活動を行っています。
こうしたアクションが呼水となり、
都市生活者が新しい土地での新しい生活様式を求める動きは、今後も続く模様です。

いきなり物件探しや引越しと、行動に移す方もいるかと思いますが、
まずは、移住に際して何を重要視したらいいのだろう?
とわからないながらも漠然と移住を考え始めた方に、おすすめのWebサービスがあります。
その名も〈ピタマチ〉
凸版印刷とふるさと回帰支援センターとの共同開発で誕生した、
ピッタリな地域とマッチングできる移住支援サービスです。

移住への憧れを抱いたり、どこに移住するかを考えるのは大切。
でも、“そこ”でどういう暮らしをするかを思い描くことはできますか?

自分や家族にとっての理想の暮らしを提案してくれるこの〈ピタマチ〉。
働き方、自然環境、子育て環境といった暮らしのキーワード(特徴)からサジェストされた
移住先を検討したり、地域から届いたメッセージを一括管理できます。

特に、写真を選択していくことで、移住意向を言語化してくれる
「理想の暮らし診断」は〈ピタマチ〉ならでは。
まずは、移住を検討し始めた方の“はじめの一歩”として役立ちそうです。

「理想の暮らし診断」では、風景や生活シーンの写真を直感で選ぶだけで、
言葉や条件では語るのが難しい移住先での理想の暮らしを診断できます。

診断時の画像選択画面のイメージ。

診断時の画像選択画面のイメージ。

診断結果は、独自の画像解析アルゴリズムによって、
移住で重視している3つの軸と、それぞれの3つのキーワードが自動で表示されます。

診断結果画面イメージ。

診断結果画面イメージ。

いつもと違う年末年始。
初めて迎えた伊豆下田でのお正月

帰省は、お節はどうする? 
初めてづくしのお正月

年末年始は帰省を断念した人も多いのではないでしょうか。
東京から伊豆下田に移住した津留崎徹花さんも
今年は初めて実家ではなく、下田で年末年始を過ごしたそう。
でも、逆に初めてできた経験も。
そこで感じたことや、複雑な思いを綴ります。

小豆島で山歩き!
海も山もまちも近いから楽しめる絶景

小豆島のお正月

あけましておめでとうございます。
2021年も「小豆島日記」をどうぞよろしくお願いいたします。

この年末年始は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、
地元に帰省されなかった方も多いと思います。
私たちもいつもなら家族に会いに帰省して、
東京や名古屋などでお世話になっている方々に挨拶しに行っていたのですが、
今年は初めて年末から年始までずっと小豆島で過ごしました。

しめ縄づくり。稲わら、橙、松の木、ウラジロなど材料は身近なところで集めてきます。

しめ縄づくり。稲わら、橙、松の木、ウラジロなど材料は身近なところで集めてきます。

わらの束をねじりながら、もう1本のわらの束とねじっていく。

わらの束をねじりながら、もう1本のわらの束とねじっていく。

ばらばらのわらが力強い縄になる。ちょっと感動。何事も自分でやってみることが大切。

ばらばらのわらが力強い縄になる。ちょっと感動。何事も自分でやってみることが大切。

年末はぎりぎりまで野菜を収穫、発送。
気づけば2020年も残すところあと2日! という日に、
急いでお餅をついて、しめ縄をつくりました。

お正月に実家に帰らないということは、
お正月準備を自分でいろいろと全部するわけですが、
大掃除、おせちづくり、餅つき、しめ縄飾り……
お正月を迎える準備ってなんて大変なんでしょ。
いやー、ほんと全部はできないです(汗)。
結局ずっとばたばたしながら大晦日を迎え、新年を迎えました。

2021年初日の出を早起きして見に行きましたが、雲に隠れてしまって見えなかった。小さな島と島の間から太陽が見えるはずでした。小豆島の花寿波島(はなすわじま)にて。

2021年初日の出を早起きして見に行きましたが、雲に隠れてしまって見えなかった。小さな島と島の間から太陽が見えるはずでした。小豆島の花寿波島(はなすわじま)にて。

年末についたお餅で元旦の朝はお雑煮。香川は「あんもち雑煮」(白味噌仕立てのお汁にあんもちが入った雑煮)が有名ですが、うちはシンプルなすまし汁に焼いた丸餅とかしわ肉のお雑煮。

年末についたお餅で元旦の朝はお雑煮。香川は「あんもち雑煮」(白味噌仕立てのお汁にあんもちが入った雑煮)が有名ですが、うちはシンプルなすまし汁に焼いた丸餅とかしわ肉のお雑煮。

元日夕方に初詣。日の出は見られませんでしたが、日の入はきれいに見られました。

元日夕方に初詣。日の出は見られませんでしたが、日の入はきれいに見られました。

観測史上最多の積雪!
雪とともにある暮らしのリアル

雪をかいても捨てるところがなくなる

私が住む岩見沢市は、年末にいまだかつてないほどの大雪に見舞われた。
雪が激しさを増していきJRなどが運休し、
連日全国ニュースで取り上げられるようになったのは12月14日のこと。
しかしそれでも雪は収まらずに、19日の時点で積雪が12月の観測史上最多となった。

この記録は、私たちが移住した10年前の大雪を超える。
このとき、道の災害派遣要請を受けて自衛隊が除雪作業に当たったのだが、
それを上回る量の雪が降ってきたことになる。

この原稿を書いている12月28日の時点で、累積の降雪量が428センチメートル。
昨年のほぼ倍となった!

私の仕事場から見える景色。物置の雪がマッシュルームのようになっている!

私の仕事場から見える景色。物置の雪がマッシュルームのようになっている!

東京で暮らしていた頃、豪雪に対しては日々の雪かきが大変(!)
というイメージしかなかったが、今年のような災害レベルの豪雪では、
実際にどんな困りごとがあるのかについて、今回は書いてみたい。

まず大きな問題となるのは、雪かき以上に、たまった雪をどこに捨てるのかだ。
玄関先の雪を脇に除けるだけでは、2、3日で高い山になってしまうため、
捨て場所にすぐに困ってしまう。
そのため、みなさん工夫していて、近くの空き地まで雪を持って行って捨てたり、
トラックの荷台に積んで指定の場所に持っていったり。

ただ、今回のような豪雪になってくると「排雪」が追いつかない事態がやってくる。
私が住んでいる美流渡(みると)地区は過疎地なので
雪の捨て場はたくさんあるのだが、市街の状況は深刻で、
2車線だった道路は、車1台がギリギリ通れるレベルとなり、
大渋滞が起こってしまった。

排雪が追いつかずにバスが運休したり、子どもの徒歩通学にも
支障をきたすようになって、いくつかの学校もお休みとなった。

2車線あった道路の幅が狭くなり、対向車が来ると譲り合いながら通行している。(撮影:平野義文)

2車線あった道路の幅が狭くなり、対向車が来ると譲り合いながら通行している。(撮影:平野義文)

道路脇の雪をトラックで運び出す作業は連日行われている。
私の仕事場の近くにも雪堆積場があって、
今年はトラックがひっきりなしに雪を捨てにやってきて、
市の除雪体制のおかげでなんとか暮らすことができていることを実感する。
そこに容赦なく新たな雪が降るという状況になっていて、
除雪作業に当たる人たちの大変さは計り知れないものがある。

道路脇の雪をトラックに積む様子。(撮影:平野義文)

道路脇の雪をトラックに積む様子。(撮影:平野義文)

また、道路脇に雪がうず高く積まれると、見通しがきかなくなって、かなり厄介だ。
私は運転が苦手で美流渡の周辺しか走らないのだが、雪は驚くほど白く、
道路と雪の壁の境がまったく見えなくなって、ヒヤッとすることがたびたびある。
道路脇の雪溜まりに車を突っ込んでしまい、
身動きが取れなくなるというケースも多発している。

道路と路肩を見分けるときの頼りになるのが矢印の標識。

道路と路肩を見分けるときの頼りになるのが矢印の標識。

こんな状況のなかで、吹雪になってホワイトアウトをしてしまうと、
命の危険を感じるレベルになってくる。出歩かないというのが一番なのだが、
これまで体験したホワイトアウトのことを考えると、
予想不可能で巻き込まれる場合も多い。

雪がチラチラと降ってきたかと思うと、数キロ進んだ途端に吹雪になることもあって、
こうなると、後ろから追突されないように、ソロソロと走り抜けるしかない。
夫によると「まだ地面がわかるうちはいい。本当にひどくなると
左右だけじゃなくて、上下すらもわからなくなる」のだという。

吹雪になると視界が本当に悪くなる。

吹雪になると視界が本当に悪くなる。

2020年、〈HOMEMAKERS〉は
どんなふうに変わった?

大きく変わった生き方、働き方

思いもよらぬ日々が続いた2020年も残りわずかとなりました。
いままでとは生き方、働き方が本当に大きく変わった1年。
私たち〈HOMEMAKERS〉にとっても大きな変化があった年でした。
2020年最後の「小豆島日記」なので、
今回はそんな変化についてまとめておこうと思います。

2020年3月、あれよあれよとコロナ感染が広がり、
子どもの学校は突然休校となってしまいました。

このあたりから私たちの生活にいろいろな変化が起こり始めました。
地域の伝統行事「肥土山(ひとやま)農村歌舞伎」の開催は中止され、
いつもなら練習や準備で大忙しなのに、ぽっかりと予定があいてしまいました。
それと同時に、オンラインストアでの個人のお客様からの野菜の注文がぐっと増え、
注文対応が少しずつ忙しくなってきました。

不要不急の外出が制限され、スーパーに野菜を買いに行くことも大変な時期がありました。

不要不急の外出が制限され、スーパーに野菜を買いに行くことも大変な時期がありました。

ご注文を受けた分だけ収穫、その日のうちに発送します。

ご注文を受けた分だけ収穫、その日のうちに発送します。

4月に入り、毎週金・土曜日にオープンしているカフェの営業を
しばらくお休みすることにしました。
当時更新したSNSにはこんなふうに書いています。

「HOMEMAKERS Farm & Cafe には、
島の外から来てくださる方もたくさんいますし、近所の方々もよく来てくださいます。
古家を改修した狭いカフェで、さらにコミュニケーションも比較的濃厚なので、
ここでいろいろな人が出会うことで感染を広げてしまわないようにという思いです。

そして今は、皆さんが家で心地良く過ごせるように、
野菜やシロップなどの加工品をお届けすることに専念します。
配送会社の方々がいつもと変わらず動いてくださることに感謝し、
私たちは小豆島から心を満たしてくれるおいしいものを届けます。

旬野菜セットやジンジャーシロップはいつも通り発送いたします。
皆さんの家での時間が少しでも豊かになりますように」

このあと、7月にカフェの営業を再開したのですが、カフェオープン日は土曜日のみに。
それまで週2日営業していたカフェを週1日営業に減らし、
その分、畑仕事や、野菜やシロップの出荷作業の時間を増やしました。
農業と発送業務により重きを置くように。

カフェからの眺めはすっかり冬景色。〈HOMEMAKERSカフェ〉は現在冬季休業中です。

カフェからの眺めはすっかり冬景色。〈HOMEMAKERSカフェ〉は現在冬季休業中です。

2020年最後のHOMEMAKERSのスパイスカレーは、ジンジャーポークカレー。

2020年最後のHOMEMAKERSのスパイスカレーは、ジンジャーポークカレー。

冬季休業前最後の日は、たくさんの常連さんたちが来てくれました。ホリデイケーキをご用意しました。

冬季休業前最後の日は、たくさんの常連さんたちが来てくれました。ホリデイケーキをご用意しました。

食も観光もまちの文化も楽しめる
「わたしのまちにある道の駅」


今月のテーマ 「わたしのまちにある道の駅」

ドライブ途中のひと休みに欠かせない道の駅。
産地直送の野菜などが購入できたり、
ご当地グルメが食べられたりと、
最近では旅の目的地のひとつとしても人気のスポットとなっています。

そこで今回は、〈地域おこし協力隊〉のみなさんに
近隣の道の駅について教えてもらいました。

そのまちの自慢の味や品々、土地に根づく文化を
ぜひ体験してみてください。

【秋田県秋田市】
まちを見下ろせる〈道の駅・ポートタワーセリオン〉

タワー型の道の駅として、
市民に愛されているポートタワーセリオンを紹介します。
おもしろい道の駅なので、今回はたくさんの写真とともにご覧ください。

まちのシンボルとして愛されています。

まちのシンボルとして愛されています。

その特徴は、地場産商品のラインナップもさることながら、
地上100メートルの展望台に無料で登れてしまうところが最大の魅力です。

日本酒大国の秋田。種類豊富なのでどれにするか迷ってしまいます。

日本酒大国の秋田。種類豊富なのでどれにするか迷ってしまいます。

ガラス張りのエスカレーターは景色も抜群です。

ガラス張りのエスカレーターは景色も抜群です。

まちを一望でき、晴れた日には奥に太平山を見ることができます。

まちを一望でき、晴れた日には奥に太平山を見ることができます。

港に沿って建てられているので、
道の駅で釣りもできちゃいます。
なんでも、光ものや高級魚のハタハタも釣れることがあるとか。

平日でも釣り人が常駐。家族連れで賑わいます。

平日でも釣り人が常駐。家族連れで賑わいます。

そして私が一番紹介したいのが、「うどんそば自販機」。
全国的にも大変珍しく、こちらの自販機をお目当てに訪れる観光客もいるほど。

ものの10数秒で熱々の出汁が効いたうどん、そばができ上がります。

ものの10数秒で熱々の出汁が効いたうどん、そばができ上がります。

その価格、なんと250円と格安。
写真をよく見てみるとわかるのですが、
自販機左側に天井から七味がぶら下がっているという
ユニークさもたまりません。

うどんそば自販機と同じカップ・麺・つゆ・天ぷらを使用した〈お持ち帰り用うどんパック〉250円(税込)も販売されています。

うどんそば自販機と同じカップ・麺・つゆ・天ぷらを使用した〈お持ち帰り用うどんパック〉250円(税込)も販売されています。

日本海に沈む夕日もよく見えます。

日本海に沈む夕日もよく見えます。

夜になると、季節や天気によって
電飾が異なって光るのも楽しみのひとつです。
撮影した日はクリスマスカラーになっていました。

見どころ盛りだくさんの秋田市の道の駅。
みなさんもぜひ遊びにいらしてください。

information

map

道の駅あきた港 ポートタワーセリオン

住所:秋田県秋田市土崎港西1丁目9-1

TEL:018-857-3381

営業時間:9:00〜(季節と施設によって異なります。詳しくはHPをご覧ください)

交通アクセス:秋田自動車道 秋田北ICから車で約15分

JR秋田新幹線秋田駅から車で約18分

JR奥羽本線土崎駅から車で約7分

Web:http://www.selion-akita.com/

photo & text

重久 愛 しげひさ・いつみ

「死ぬまでには一度は行きたい場所」で知られる鹿児島県与論島出身。2019年に縁あって秋田県秋田市にIターン。よそ者から見た秋田市の魅力や移住に至る経験を生かして、秋田市の地域おこし協力隊に着任。YOGAを生かした地域交流を図る事業や、移住者を受け入れる市民団体事業をプロデュース中。山菜採りにすっかり夢中に。自称「立てばタラの芽、座ればバッケ、歩く姿はコシアブラ」。

廃校になった学校はどうなる?
少子化の進む地方の現実と
廃校利用の可能性

中学校統合で、地域はどうなる…?

移住して伊豆下田で暮らす津留崎さん。
少子化はどこの地域でも課題ですが、ここ下田でも
市内にある4つの中学校が、2022年に1校に統合されるそう。
学校に通う生徒たちだけでなく、地域の避難場所であり
防災拠点でもある学校がなくなると、地域に影響が出そうです。
廃校を利用するいいアイデアはあるのでしょうか……?

島牧村の小さなマルシェで考えた、
本当に自然に寄り添う暮らしとは?

森と海とに囲まれた開放的な空気が漂う村

移住して9年になるが、本当に北海道は広いなぁとたびたび実感させられる。
数時間、車を走らせると気候が変わり、生えている木々の感じも変わってくる。
2か月ほど前に訪ねた、北海道の西部に位置する島牧村は、
森が深く海も近く、私が住む美流渡(みると)とは異なる景色が広がっていた。

ここを訪ねた理由は、10月17日に開催された小さなマルシェに参加すること。

「本当の意味で自然に寄り添った暮らしとは何かをみんなで考えたい」

そんなコンセプトから始まったのが「小さな町の小さなマルシェ」。
開催場所は〈島牧ユースホステル〉の敷地。
ここは吉澤隆さん、伊久子さん夫妻が45年以上続けている宿で、
息子の俊輔さんがマルシェの主催者だ。

マルシェの主催者、吉澤俊輔さん。

マルシェの主催者、吉澤俊輔さん。

宿泊した〈島牧ユースホステル〉の広間には、俊輔さんがとってきたフルーツが並べらていた。

宿泊した〈島牧ユースホステル〉の広間には、俊輔さんがとってきたフルーツが並べらていた。

開催前日に私はこの宿に1泊。吉澤さん一家はやわらかな笑顔で迎え入れてくれた。
イベントの準備に追われているのではないかと想像していたが、
そんなそぶりも見せずに、地元で採れたキノコや野菜、
鮭などをふんだんに使った食事を出してくれた。
食後に山で採ってきたというコクワの実を俊輔さんが勧めてくれた。
素朴で甘酸っぱいキウイフルーツのような味がした。

朝ごはんも土地のもの。ご飯の上にのった梅干しは、俊輔さんの手づくり。

朝ごはんも土地のもの。ご飯の上にのった梅干しは、俊輔さんの手づくり。

翌朝、マルシェの開催前に隆さん、伊久子さんが、
宿から車で十数分のところにあるブナの原生林を案内してくれた。
島牧はブナの北限帯で、国内はもとより世界各国から研究者が訪ねてくるという。
隆さんは、こうした研究者の案内役を務めることもあり、
動植物の生態やブナの森の成り立ちなどを詳しく説明してくれた。

ブナの森を詳しくガイドしてくれた隆さん。

ブナの森を詳しくガイドしてくれた隆さん。

紅葉が見頃を迎えていた。

紅葉が見頃を迎えていた。

ブナはちょうど葉が色づき始めたところ。
黄色い葉の間から木漏れ日が差し込んでいる。
地表には無数の苔が生え、キノコが顔を出していた。
木々に囲まれているのに、ブナの森は明るくキラキラと光っているような感覚がした。

同じログハウスが並ぶ双子住宅。
「となり暮らし」という
不思議なコミュニティを育む

かつての長屋のような暮らし

静岡県袋井市に、住宅メーカー〈BESS〉の「G-LOG」というモデルのログハウスが
2軒並んでいる。それはまったくの偶然だという。
G-LOGは三角屋根で、広いベランダ「NIDO(ニド)」が特徴的。
1階にもウッドデッキがあり、
外と内がゆるやかにつながっているような感覚で暮らすことができる。

道路に面した玄関側から脇を抜けて、庭側に回ってみると、
茶畑が目の前に広がる庭があった。そして後ろを振り返ると、
まるで双子のように同じ家がかわいく並んでいるのがわかった。

先に家を建てたのは萩田秀樹さん、美紀さん、瑚菜ちゃん、登羽くん一家。
2019年8月に完成した。

茶畑が見えるNIDOからの眺望。

茶畑が見えるNIDOからの眺望。

「この土地にBESSのG-LOGを建てようと決めたときは、
当然、となりは何も建っていない更地でしたので、どんな家が建つかわかりませんでした。
妻とは、「BESSユーザーが来たらおもしろいね、なんて冗談は言っていたんですけどね」
と言う萩田さん。

萩田秀樹さん、美紀さん、瑚菜ちゃん、登羽くんの4人家族。

萩田秀樹さん、美紀さん、瑚菜ちゃん、登羽くんの4人家族。

一方で、となりに家を建てたのは竹本忠弘さん、真奈美さん、灯里ちゃん一家。
候補の土地を見て回るうちにこの場所を見つけて気に入った。
そのときはまだ萩田邸は建っておらず、
となりに自分が建てようと思っていた同じG-LOGが建つことを知ることになる。
その情報はすぐにとなりの萩田さんに伝わり、
浜松のLOGWAY(BESSの単独展示場)で初対面。
即座に意気投合、交流が始まった。

竹本忠弘さん、真奈美さん、灯里ちゃん。

竹本忠弘さん、真奈美さん、灯里ちゃん。

「同じ土地で同じ家なんて、
絶対に感覚が近い人が来るはずなので楽しみしかありませんでしたね」と笑う萩田さん。

竹本さんは建築中に何度も現場に足を運んでいるが、
すでにとなりに住んでいた萩田さんは、頻繁に建築中の家の写真を竹本さんに送り、
現状報告などをしていた。ときには現場監督からの報告よりも早いくらい。
SNSを通じたやりとりや、竹本さんが見学に来た際に情報交換するなど、
暮らす前から交流を深めていった。

こうして2020年3月に竹本邸も完成。
かつてはひとつの建物を壁で仕切って複数の家族が生活する、
長屋というスタイルがあった。
あくまで個別でありながらも、ゆるいつながりを持つ暮らし方だ。
この2家族はまったく同じ建物に住み、暮らし始めた時期も7か月しか変わらない。
悩みやライフステージも近しいものがある。
いろいろなものがつながりながら、
不思議な「となり暮らし」のコミュニティが育まれていった。

同じG-LOGだが、竹本家(奥)は壁をオレンジにした。

同じG-LOGだが、竹本家(奥)は壁をオレンジにした。

離島で新型コロナウイルス感染が
広がるということ

急激な感染拡大、いま私たちができること

この文章を書いている12月9日現在、小豆島では
新型コロナウイルス感染がいままでにない規模で広がっています。
昨日12月8日夜、「【新型コロナ】香川県で1日としては最多17人の感染確認、
全員が小豆島在住」というニュースが流れ、
ここ数日で一気に30人以上の方がPCR検査などの結果で陽性に。
正直こわいです。

畑はいつもと何も変わらず。今年は昨年よりも野菜の栽培量をだいぶ増やしました。

畑はいつもと何も変わらず。今年は昨年よりも野菜の栽培量をだいぶ増やしました。

畑から眺める集落の風景。穏やかで美しい。

畑から眺める集落の風景。穏やかで美しい。

小豆島ではこれまで、ひとり、ふたりという人数で
新型コロナに感染された方がいたのですが、
それ以上広がることはありませんでした。
日々ニュースを見ていて、東京や大阪は大変だなぁと他人事のように感じていて、
あまり島外には出かけないほうがいいかなと思っていましたが、いまは状況が一変。

突然やってきたこの状況にみんながあたふた。
島の中では、どこで発生した? 誰がなった? 
病院はどうなってる? というコロナの話題ばかり。

小豆島に限らず、地方の狭いコミュニティの中では、
誰が誰とつながっている、誰と会っていたなんて情報はすぐに広がります。
今回の感染拡大に関して、誰が感染したのか、どこで広がったのかなど、
いまの段階では私は知りません。
でも情報の拡散力はすごくて、きっとすぐ伝わってくると思います。

紫色がとってもきれいな紫カリフラワー。

紫色がとってもきれいな紫カリフラワー。

ブロッコリーやカリフラワー、キャベツ、ナバナなど畑には冬野菜の葉っぱがワサワサ。

ブロッコリーやカリフラワー、キャベツ、ナバナなど畑には冬野菜の葉っぱがワサワサ。

とにかくいまは、正しい情報を得て、その情報をもとに

・自分たちが感染しないように気をつける。

・自分たちが感染を広げないように気をつける。

・やみくもにすべてを自粛しないで、いつもどおりやれることはやる。

ようにするしかないなと思っています。

今年の7月からは週1日、土曜日のみの営業に変更した〈HOMEMAKERSカフェ〉。

今年の7月からは週1日、土曜日のみの営業に変更した〈HOMEMAKERSカフェ〉。

新たに設置した外席。畑や山々を眺めながらランチ。

新たに設置した外席。畑や山々を眺めながらランチ。

サザエはどうやって取り出す?
下田に移住して3年半で
できるようになったこと

自分の成長に
ちょっとうれしくなる瞬間

伊豆下田に移住して3年半の津留崎徹花さん。
以前から「いつか魚をさばけるようになりたい」と思い続け
その機会が増えたものの、当初はなかなか難しかったようです。
それでも漁師の方や地元の人たちに教えてもらい、
いまではサザエもスルっと刺身にできるように。
さばき方の知恵や、おいしい食べ方もご紹介します。

旅行で訪ねたら、空き家が見つかった。
70人ほどの集落・万字へ
電撃移住した家族

2泊3日の旅から、すべては始まった

この地域の移住者で、実はまだ連載で紹介できていない家族がいる。
私の住む美流渡(みると)からさらに山あいへ15分ほど車を走らせた、
万字地区に住む笠原さん一家だ。

3歳になる息子さんはうちの次女と同じ保育所に通っていて顔見知り。
親しくなってしまうと、なかなかあらたまって取材というのもやりづらい。
けれど、先日、北海道のテレビ局から、このあたりの移住者を
紹介してほしいという依頼があり、番組制作に協力し、
あらためて笠原さんの移住までの道のりを聞く機会があって、
今回ようやく記事にすることができた。

最近、この付近に個性的な移住者が集まっていることから、北海道文化放送が取材にやってきた。

最近、この付近に個性的な移住者が集まっていることから、北海道文化放送が取材にやってきた。

笠原一家が東京から移住したのは2018年のこと。
その前年、当時、オーディオ販売会社に勤めていた夫の将広さんは
仕事で北海道を訪れ、美流渡にすでに移住していた友人の
新田洵司さんの家に立ち寄ったことがあった。
その暮らしぶりに感銘を受け、その数か月後、美流渡に家族で遊びにやってきたという。

「2泊3日の旅でした。そのとき私たちも田舎暮らしをしてみたいという気になって。
そうしたら、そのときたまたま空き家を見せてもらったんです」(妻の麻実さん)

築50年以上が経過した長屋。裏には畑が広がり山々の景色が美しい場所。

築50年以上が経過した長屋。裏には畑が広がり山々の景色が美しい場所。

2軒空き家を見せてもらったそうで、その1軒は万字地区の元炭鉱住宅。
ここにはかつては炭鉱があり、その当時建てられた長屋がいくつか残っていた。
築50年以上は経過しており、床が沈んでいて直さなければ住めない状態だった。
北海道への移住は、まったくプランになかったというが、ふたりの心は動いた。

「帰りの飛行機に乗ったときには、もう移住しようと決めていました」(将広さん)

そのとき将広さんは、会社勤めはしていたものの、
都会の暮らしに先が見えない、そんな閉塞感を感じていたそうだ。
そして3か月の間に、仕事を整理し引っ越しの段取りをしていったという。

「全部、置いてきました」

そんなふうに将広さんは笑った。まさに電撃移住だった。

自ら家の修繕を行った将広さん。天井を広くとり、自然に風が循環するようにと考えた。

自ら家の修繕を行った将広さん。天井を広くとり、自然に風が循環するようにと考えた。