岩手県洋野町をもっと知りたくなる!
地域との関わりをつくる
『ひろのの栞』を読む

三陸沿岸の北部にあり、青森県に隣接する岩手県洋野町(ひろのちょう)。
東に太平洋を望み、内陸の北上山系に囲まれた海と高原の美しいまちだ。
しかし、この場所で一般社団法人〈fumoto〉を立ち上げた大原圭太郎さんは言う。

「自然と生活が共存する里山の風景は、日本中にたくさんあります。
洋野町は、地域おこし団体や移住者の数がまだまだ少なく、
いい意味で、“地方創生”のフロンティアのような状態です」

アパレルから転身した大原圭太郎さん。

アパレルから転身した大原圭太郎さん。

事実、洋野町が国の推進する地域おこし協力隊の受け入れを始めたのは2016年と、
第一歩を踏み出してまだ日が浅い。
そんな洋野町に移住し、fumotoを立ち上げた大原さんは、
洋野町の「地域おこし協力隊」第1号、その人でもある。

アパレル店員から岩手県洋野町「地域おこし協力隊」第1号へ

太平洋を望む洋野町。マリンレジャーから豊かな海産物まで洋野町の暮らしを育む。

太平洋を望む洋野町。マリンレジャーから豊かな海産物まで洋野町の暮らしを育む。

大原圭太郎さんは仙台出身だが、
奥さんの出身地である洋野町は第2の故郷のような場所だった。

それまでは仙台や東京で服飾の仕事をしていたが、東日本大震災をきっかけに
「より地域に根ざした仕事」、そして「自分が本当にやりたいこと」を見つめ直したとき
洋野町の地域おこし協力隊募集の知らせが目に入った。

それまで考えていた、仙台から新しいものを生み出したいという気持ちは、
アパレル業界ではなくても、実現できるのではないか、
アパレルでやってきたことも実は地域おこしに近く、
洋服はあくまで手段だったんだと思うようになった。

それならば洋野町で地域おこしをするのもおもしろいのではないか、という考えにいたった。

「父が気仙沼出身でよく遊びに行っていたということもあり、
洋野町の生活圏と自然との距離感や海が見える風景に親しみを感じました」

そして2016年10月、はれて洋野町の地域おこし協力隊として、
洋野町の仕事に携わることになった。
自治体のHP制作や、移住者誘致のイベントへの出展、近隣地域と協力した取り組みなど
洋野町の観光振興推進員として、まちの観光協会の業務などを中心に行ってきた。

気づくことで、豊かになる 滋賀の魅力が伝わる 移住PR動画を公開中!

豊かな自然環境に恵まれるとともに都市部への良好な交通アクセスを有する滋賀県。
琵琶湖を中心に東西南北で環境や人々の暮らしぶりが大きく異なるのが特徴です。

このたび、そうした「滋賀ぐらし」の魅力を発信するため、3種類の動画を制作しました。

ひとつ目は、InstagramなどのSNSを通じて、
たくさんの人から投稿された動画をもとに制作した「滋賀移住コンセプトムービー」。
滋賀の風景や暮らし、文化など「滋賀ぐらし」の日常を捉えた動画を
多くの方々から投稿いただきました。

投稿された動画には、雄大な琵琶湖や地域のお祭り、自然の中ではしゃぐ子どもたちなど
何気ない日常の風景が映し出され、
どこかホッとするような滋賀らしさ、滋賀の豊かさが感じられます。

「滋賀移住コンセプトムービー」より。

「滋賀移住コンセプトムービー」より。

「滋賀移住コンセプトムービー」より。

「滋賀移住コンセプトムービー」より。

また、動画のバックに流れる歌にもご注目。
澄んだ歌声が印象的なこの歌は、滋賀県民のソウルミュージック『琵琶湖周航の歌』です。
歌と編曲を手がけたのは、湖南市に移住した夫婦デュオ・よしこストンペアさん。
明るくポップな曲調が懐かしくも新しい印象です。

〈徳山コーヒーボーイ〉山本統さん
コーヒーに導かれた、
自由で自分らしい生き方

山口県内に6つのカフェを展開している〈徳山コーヒーボーイ〉。
店によって異なる外観や内装などチェーン店らしからぬつくり込みと、
こだわりの焙煎から生まれる甘みのあるコーヒーで、
県内外のカフェやコーヒー好きから愛されている。

その副社長を務めているのが、山本統さん。入社7年目で異例の抜擢を受けた。
いかにもやり手に思えるが、
社会に出たばかりの頃は無力感に苛まれ、惰性で日々を生きていたこともあるという。

そんな彼が、徳山コーヒーボーイに入社し、副社長を務めるようになるまでには、
どんな道のりと出会いがあったのだろうか。

旅とコーヒーが大好きだった大学時代

山口県上関町(かみのせきちょう)で生まれ育ち、大分の大学に進学した山本さん。
大学時代は、とにかく海外に行くのが好きで東南アジアを旅したほか、
1年間オーストラリアにも留学している。
さらに、卒業旅行では7か国を経て、日本へ戻ってくる壮大なひとり旅を経験。
異国の地を気ままに歩き、まち並みや食文化の違いを楽しみながらさまざまな人と交流した。

コーヒーもこの頃からの大切な人生の相棒。海外でさまざまなカフェスタイルに触れた。
また、家でも学校でもない「サードプレイス」という考え方に共感して
スターバックスでアルバイトもした。

旅好きを生かせる仕事として地理の教員になることを志し、教員免許を取得。
そして新卒でまずは大手旅行会社に就職した。

「僕が高校の頃に出会った地理の先生は、
自分が行った国や地域の話になるととても生き生きと授業をしていました。
聞いている側にもそれが伝わってきて、ああなりたいなと。
添乗員としていろんな場所に行くことで、
のちに教員になったときに実感のこもった授業ができるのではないかと考えました」

焙煎時に一番いいタイミングで窯出しした豆で淹れる、徳山コーヒーボーイのコーヒーは甘みが強いのが特徴。

焙煎時に一番いいタイミングで窯出しした豆で淹れる、徳山コーヒーボーイのコーヒーは甘みが強いのが特徴。

震災がもたらした疑問と新しい道

そうして6年ほど勤めた。しかし次第に、ルールやノルマが課せられる職場の窮屈さが、
山本さん自身の気力を削いでいった。
教員になるという夢も諦め、
どこかやり切れなさを抱えながら数字と向き合う日々を送っていた。
そして東日本大震災が起こり、生き方に向き合う気持ちが変化していった。

「このまま会社にいていいのか、もっと納得できる生き方があるのではないかと考え、
会社を辞めることにしたんです」

もう誰かの下で働くのは嫌だ。
大好きなコーヒーに関わりながら、自分のペースで暮らしたい。
そう思った山本さんは当時結婚したばかりの奥さんと上関町で生活を営む準備を始めた。
当時は空き家になっており、幼少期を過ごしていた祖母の家を借りて、
コーヒー豆を売って生計を立てていこうと計画。
会社を辞めるまでの1年間はその準備に費やした。

BEANS&GIFT店にて。直営店ではドリンクの提供だけでなく、自家焙煎したコーヒー豆の販売も行っている。

BEANS&GIFT店にて。直営店ではドリンクの提供だけでなく、自家焙煎したコーヒー豆の販売も行っている。

こうして7年勤めた会社を2012年に辞めた山本さんだったが、
すぐにある転機が訪れる。

イラストエッセイ
『山を買う』の販売は?
小さな出版活動の経済について考える

出版活動4年目。その実情を振り返って

2016年、岩見沢市の山あいに8ヘクタールの山を買ったことがきっかけで、
私の出版活動は始まった。

購入の動機は、エコビレッジをつくりたいという構想をかたちにするためだった。
いまのところ、この土地でのエコビレッジづくりはまだまだ先の話だけれど、
山を買ったことに興味を示してくれる人が多く、
2017年春に、購入の経緯をイラストエッセイとしてまとめた
『山を買う』という小さな本をつくった。

買った山は木が伐採された跡だが、年々、幼木が大きくなっている。

買った山は木が伐採された跡だが、年々、幼木が大きくなっている。

本といっても大手ネットショップでの販売もしていないし、
ほぼ書店営業もしていない状況ながら、予想を超える反響があり、
現在までに800部ほどが売れた。
この出来事は、時間をかければ、小さな出版活動も
やがては経済が回るようになるのではないかという可能性を感じさせる出来事だった。
今回は、出版活動の実情を振り返りつつ、未来の可能性について考えてみたい。

『山を買う』。文字は手書きでイラストも自分で描いた。A6サイズ24ページの小さな本。

『山を買う』。文字は手書きでイラストも自分で描いた。A6サイズ24ページの小さな本。

これまで商業出版に携わっていたこともあって、本の流通や印刷費のことを考えると、
自費で出すということに魅力を感じられずにいたが、
『山を買う』の刊行で新しい世界が開けたように思った。

その世界とは、顔の見える関係性だ。
本をいつもレジの横に置いてくれた書店さん、
講演会を企画してくれた図書館のみなさん、
たびたび記事にしてくれた新聞記者さん。
地元のみなさんが本の販売をサポートしてくれ、
「本読んだよ!」と声をかけてくれたことが、次なる行動の原動力となった。

これまで何百冊と本をつくってきたけれど、
読者の姿はSNSの投稿で知る程度だったこともあり、
身近な地域の人たちが本を読んでくれたことに、本当に勇気づけられた。

ふきのとうの一生を切り絵によって表した絵本。A6サイズ、24ページ。造本作家の駒形克巳さんが本づくりのアドバイスをしてくれたおかげで生まれた。

ふきのとうの一生を切り絵によって表した絵本。A6サイズ、24ページ。造本作家の駒形克巳さんが本づくりのアドバイスをしてくれたおかげで生まれた。

2018年夏に、切り絵の絵本『ふきのとう』刊行を機に、
この出版活動の名前を〈森の出版社ミチクル〉として、
さらなる本づくりをやっていこうと考えた。

翌年には、北海道の道南せたな町で、
オーガニックな農法で作物や家畜を育てる〈やまの会〉に取材した本
『やまの会と語った死ぬと生きる』を刊行。

2020年には、山主や林業関係者などに取材した内容をもとに
『山を買う』の続編をつくった。

『やまの会が語った死ぬと生きる』。せたなで農業を行う5名と漁師1名にインタビューを行った。A5サイズ、88ページ。

『やまの会が語った死ぬと生きる』。せたなで農業を行う5名と漁師1名にインタビューを行った。A5サイズ、88ページ。

地方に移住して農業をしたい!
何から始めたらいい?

私たちが移住して農業を始めたわけ

あの大きな震災から10年が経ちました。
私たちは震災の1年半後に小豆島に移住し、いま農業を生業(なりわい)にしています。

9年目の春を迎えた私たち〈HOMEMAKERS〉の畑。

9年目の春を迎えた私たち〈HOMEMAKERS〉の畑。

春作のジャガイモ植え付け準備。

春作のジャガイモ植え付け準備。

都会から地方に移住して農業をしたい! 
そう思っている人が少なからずいると思います。
移住して農業をするには何から始めたらいいか? 

時々そんな質問をされることがあるのですが、
「農業」とひと言でいっても規模も形態もさまざまで、
そのスタイルによって適した地域や勉強すべき内容、
取り組み方もまったく違うので、答えはひとつじゃないです。

ここでは、実際に小豆島という離島に移住して
8年間農業に取り組んできた、いまの私たちが思っていることを書きます。

家で食べるように収穫した半端もの野菜たち。きれいに育てられなかったビーツや畑に残っていたワケギなど。それでも自分たちが食べるには十分。

家で食べるように収穫した半端もの野菜たち。きれいに育てられなかったビーツや畑に残っていたワケギなど。それでも自分たちが食べるには十分。

10年前の3月11日、私は名古屋のオフィスビルで働いていました。
ぐわーんぐわーんと船に乗っているみたいな感覚がして、それがあの地震でした。
その日は急いで子どもを保育園に迎えに行ったのを覚えています。

それから数日、テレビやネットでさまざまな報道を見ていて、
地震という自然のとてつもない力の怖さ、
一瞬でなくなってしまう普段の生活の脆さを感じ、
直接被害を受けなかった自分が何をできるのかなど、さまざまな思いがめぐりました。

いろいろ考えたなかで、いまでも頭の中に残っているのは、
人は「買う」ということにすごく依存して生きているんだなと感じたこと。

物流がストップし、スーパーが営業できず、食べものが買えない。
野菜を買うために行列ができて、並んでも数が足りなくて買えない。
誰かが用意してくれたものを「買う」ことで生活してる。
いざ買えなくなってしまったら、当たり前だと思っているいつもの生活が
すぐにできなくなってしまうんだなぁと。

そのとき、もっと生きる力を身につけたい、
生きるために必要なものを自分の手でつくれるようになりたいと漠然と思いました。
なんでもかんでもお金を払って買うんじゃなくて、
少しでも自分で生み出せるようにする。自分たちが食べるものをつくりたい。
その思いが、私たちが農業を始めたひとつのきっかけです。

小豆島に移住してすぐに畑で撮影した家族写真。これがスタート。

小豆島に移住してすぐに畑で撮影した家族写真。これがスタート。

連載100回記念!
津留崎家の移住をめぐる“旅”

移住先探しの旅に始まり、紆余曲折を経て、下田に移住した
津留崎鎮生さん、徹花さんと娘の一家。
自分たちの暮らしを見つめ直し、そのときどきの思いを
夫婦でリアルに綴ってきたこの連載もスタートから4年半、
ついに100回を迎えました。

今回は特別編として、人気記事のベストテンをご紹介しながら、
これまでの移住をめぐる“旅”を振り返ります。

――連載100回おめでとうございます! ここからは、連載開始からいままで、
よく読まれた記事をカウントダウン形式で振り返りたいと思います。

第10位 移住、どこで暮らす? 一家で移住先を探す旅へ

42歳の夫、42歳の妻、5歳の娘の津留崎家は移住することを決意。夫は会社を辞めて、移住先探しの旅へ。(2016年9月)

42歳の夫、42歳の妻、5歳の娘の津留崎家は移住することを決意。夫は会社を辞めて、移住先探しの旅へ。(2016年9月)

――10位は記念すべき第1回目でした。
移住先探しの旅を始めると聞いて、私たちも驚きました。

鎮生: いま思えば、移住先を決めないで旅に出るって、よく行ったよね。
行っちゃえば、移住できるだろうという気持ちはあったけど。

徹花: まだ迷いはありました。移住したいけれど、
どういう暮らしがいいという具体的なことは、はっきりしていなくて。
でも旅先で出会った人たちの暮らしを見ながら、こんなことができるんだと、
自分たちが求めていたものがわかるような旅でした。

車中泊ができるように車を改造。自分たちの暮らしを探す旅が始まりました。

車中泊ができるように車を改造。自分たちの暮らしを探す旅が始まりました。

第9位 こんな人は要注意!? 移住に向いていない人ってどんな人?

下田に移住して1年余り。実際に移住してみて、こんな人は移住に向いていないかも? というポイントをまとめました。(2018年8月)

下田に移住して1年余り。実際に移住してみて、こんな人は移住に向いていないかも? というポイントをまとめました。(2018年8月)

――9位はこちら。移住したいと考えている人たちにとって興味深い内容だと思います。
こんな人は難しいかも、というポイントとして

・収入を下げたくない

・虫、爬虫類と暮らせない

・心配性すぎる

・教育機関にこだわる

・免許がない、車の運転が苦

を挙げていましたが、いま振り返ってどうですか?

鎮生: たしかにそうですね。

徹花: 収入は本当に下がりました。それで不安になる人は大変かも。
ほかに何かあるかな?

鎮生: 人づき合いが苦手な人はちょっと難しいかな。
ただ、ご近所づき合いが嫌なら別荘地とか山の奥で暮らすという手もあります。

徹花: コミュニティが小さいと何をしてるか丸見えで、
たとえば庭に車がないと「出かけてたの?」とわかっちゃう。
そういうことが苦手だときついかもね。
うちは人づき合いが嫌いじゃないから、居心地はいいです。

最初は業者に依頼したスズメバチの巣の撤去も、自分でできるように。田舎は虫は多いけれど、慣れるそうです。

最初は業者に依頼したスズメバチの巣の撤去も、自分でできるように。田舎は虫は多いけれど、慣れるそうです。

〈きときと果樹園〉田中友和さん
大好きだった観光農園を受け継ぎ、
20品種以上のぶどう狩りを実現

周南市の中心部から車で40分ほど走ったところに、
15の農家が集まってできた〈須金フルーツランド〉がある。
標高200メートルの盆地に果樹園が広がり、
50年ほど前から梨、ぶどうの産地として知られ、
毎年秋には、フルーツ狩りに訪れる多くの人で賑わう。

その入り口から3キロほど奥に進んだところに、
須金フルーツランドに所属する農園のひとつ〈きときと果樹園〉が見えてくる。
田中友和さん、和歌子さん夫妻が20種類ほどのぶどうを育てている果樹園だ。

ふたりとも、もともと果樹栽培はまったくの未経験。
先代から農園を承継するために、一家そろって須金に引っ越し、
2017年12月にきときと果樹園をオープンした。

「ずっと農業をやりたかったから承継を決意した」と話す友和さんだが、
その道のりは決して平坦ではなかった。
「辞めたいと思ったこともある」というが、やり遂げられたのはなぜなのだろうか。

須金の中でも奥まった場所にあるため果樹園の入り口を示す看板をつくった。必要なものはできる限り自分たちの手でつくっている。

須金の中でも奥まった場所にあるため果樹園の入り口を示す看板をつくった。必要なものはできる限り自分たちの手でつくっている。

山の中に広がる1.2ヘクタールのぶどう園

きときと果樹園のある須金は、山と川に囲まれ、昼夜の寒暖差が大きい地区。
果樹の栽培に適した環境で、ぶどうは日の光を多く浴びながら育てられる。

桜が咲く時期のきときと果樹園。1.2ヘクタールのぶどう園のすぐ後ろに山がある、のどかな土地だ。(写真提供:きときと果樹園)

桜が咲く時期のきときと果樹園。1.2ヘクタールのぶどう園のすぐ後ろに山がある、のどかな土地だ。(写真提供:きときと果樹園)

取材で訪れた1月は収穫期を終えたオフシーズン。
それでも、田中さん夫妻は忙しく働いていた。この日行っていたのは、ぶどうの木の剪定。
樹形を整えることは、作業の効率を高めるうえで欠かせない作業だそう。

慣れた手つきで枝を剪定していく友和さんと和歌子さん。自分の背よりも高い枝を切ることもある、なかなか大変な作業だ。

慣れた手つきで枝を剪定していく友和さんと和歌子さん。自分の背よりも高い枝を切ることもある、なかなか大変な作業だ。

ほかにも、古くなったぶどう棚の修理やぶどう狩りの時期に
お客さんを迎え入れるスペースの整備もこの時期の仕事だ。

一年中ほぼ休みなく働きながら、3人の子どもの子育ても行っている田中さん夫妻。
それでも、いまの生活は充実していて、移住にまったく後悔はないという。
その根底には、「ずっとやりたかった農業をできている」という田中さんの思いがあった。

県庁マンとして農家をサポートする日々

須金に移住する前、友和さんは福岡県庁に勤める農業系の技師だった。
大学では農学を専攻し、就職のタイミングで農家になることも考えていたが、
技師の採用試験に合格したためそちらに進んだ。
以降は、農道の整備やため池づくりなど農家をサポートする仕事を15年ほど続けてきた。

他県に単身赴任していた和歌子さんが山口に転勤になったのをきっかけに、
山口県の中央に位置していた小郡町(おごおりちょう。現在は山口市)に引っ越した。
その頃から、休日は和歌子さんや子どもと山口県内の観光農園によく出かけるようになる。

観光農園で目にしたのは、自分の手で果物をもいでおいしそうにほおばる子どもの表情や、
そんなお客さんを見てよろこぶ園主たちの姿。

早生のブラックビート。(写真提供:きときと果樹園)

早生のブラックビート。(写真提供:きときと果樹園)

「いいなあ、自分もやっぱり農業をやりたいなという気持ちが強くなっていきました。
特に、観光農園はお客さんと直接話せることが魅力的でしたね」

そう思っていた友和さんに、ある日大きな転機が訪れた。

剪定した枝は一輪車に乗せて運んでいる。枝の向きを揃えているところに和歌子さんの丁寧な姿勢がうかがえる。

剪定した枝は一輪車に乗せて運んでいる。枝の向きを揃えているところに和歌子さんの丁寧な姿勢がうかがえる。

いばらき移住定住ポータルサイト「Re:BARAKI」 首都圏から茨城県へのテレワーク移住の 需要を見据えてリニューアル

新型コロナウイルスの影響で、暮らし方・働き方が大きく変わった近年。
当分テレワークが続く、あるいはもう毎日通勤というスタイルはないかも……
という方もいるのではないでしょうか。

そんな変化により、
自分たちに合った、より良い住環境を求める人たちが検討しているのが、
都心からの近距離の地方都市への移住です。
「もはや、移住というよりも“引っ越し”」というニュアンスに近いのですが、
ライフスタイルの多様性を受け、今注目を集めています。

例えば、茨城県。
都心からのアクセスにすぐれ、
二拠点生活や仕事を変えずに都心への通勤も可能な絶妙な距離感。
JR常磐線特急で上野から約70分の水戸、
学園都市としても知られ、つくばエクスプレスで秋葉原から45分のつくば、
ものづくりのまち笠間、ロックフェスで知名度のあるひたちなかなど、
特色ある数々のまちを擁します。

茨城県では、「IBARAKI DELTA ACTIONS」と称して、
地域や地域住民との多様な関わりを持ち、
その地に活力を生んでいくような深い関係人口づくりを目指して、
戦略的な関係人口施策を、3年前から行ってきました。

このような取り組みは継続しつつ、
「テレワーク」という時代の流れを、
県内に住んでもらうためのひとつのきっかけにすべく、リニューアルしたのが、
移住定住のためのポータルサイト「Re:BARAKI」です。

サイトを見てみましょう。

アラスカの大自然にふれてわかった
日本のやさしく美しい四季。
雨も風も心地いい庭と家

風が気持ちいいから、この土地に決めた

家の裏には田んぼが広がっていて、遠くには丹沢山系を望むことができる。
夜になると、その手前に2両だけのJR御殿場線がぼんやりとした光を放ちながら走る。
この家に住む松本茂高さん・弘美さん夫妻からそんな話を聞くだけで、
この場所の魅力が伝わってくる。

1年半ほど前、神奈川県小田原市に
〈BESS〉の「倭様(やまとよう) 程々の家」というモデルを建てたのは、
土地からの影響が大きかったという。

「初めてLOGWAY(BESSの展示場)に行って、1週間後には決めていたかな。
ほかのモデルも検討したんですけど、
この土地、そして自分たちの年齢やライフスタイルを考えると
『倭様 程々の家』という選択になりました」と言う茂高さん。

建設関係の仕事をしている松本茂高さんと弘美さんと愛犬・さくら。広縁でリラックス。

建設関係の仕事をしている松本茂高さんと弘美さんと愛犬・さくら。広縁でリラックス。

奥様の弘美さんも「初めて見にきたときは夏の暑い日の夕方で、
山のほうからすごく気持ちいい風が吹いていたんですよね」と、
この場所に決めた理由を教えてくれた。

家の裏手は広々とした田園風景。

家の裏手は広々とした田園風景。

かつて小田原市のまちなかに住んでいたときは、
「家の中にしか居場所がないからどこかに行きたくなって」月1回くらいは
旅行していたという。
しかし今は室内から土間、庭や広縁(ひろえん・奥行きのある縁側のこと)といった
内と外がゆるやかにつながる敷地全体が居場所となり、
「暮らし面積が広がって」あまり遠出をする必要がなくなったそうだ。

「特に最初の1年間はとにかく庭づくりが楽しくて、一日中、庭で過ごしていました。
誰よりも日に焼けていましたよ。
家を建てて完成ではなく、5年、10年かけて充実させていくつもりです」

立派な木ではなく、まだ細い木が多いのはそのためだ。
これから木が生長し、根を張って葉が生い茂る。
夏は木陰をつくり、冬は葉が落ちて日が差す。そんな木々の生長を楽しむ。

これから育つ過程を楽しむ「細い」木。

これから育つ過程を楽しむ「細い」木。

家を建てる前は森の中の別荘がほしいと思っていたというが、
家を建てることが決まると「自分の庭に雑木林をつくろう」と発想を転換。

「広縁の前を中心に植えています。木は1本ではなかなか育たない。
本来はいろいろな雑木を植えて初めて、正常に育つもの。
根がネットワークになって情報伝達しているんですよね。
これから伸びてきたら剪定など大変ですけど、それはこれからの自分の楽しみです」

木が順調に育っていけば、夏はサンシェードの代わりになる。
ちなみに通常のサンシェードはそれ自体がかなり高温になってしまうという。

「真夏の日差しが強いときにサンシェードの裏側の温度を計ると、
40〜50度になっていることもあります。しかし葉っぱの裏側を計ると28度くらい。
葉には蒸散作用があるので、天然のミストシャワーみたいなものです。
これで夏も快適に過ごせるとイメージしています」

本当の完成は数年後になる。
しかしそもそも、その年月が自然とともにある暮らしの本質なのかもしれない。

土間からつながるリビング。テーブルはウォルナットの木を自分で磨いた。

土間からつながるリビング。テーブルはウォルナットの木を自分で磨いた。

ふたりの好きなことを
移住で、かたちに。
丘の上の一軒家レストラン
〈Garden Restaurant Fathers〉

内閣府が昨年5〜6月にかけて実施した
「新型コロナウイルス感染症の影響下における
生活意識・行動 の変化に関する調査」によると、
首都圏・中京圏・近畿圏の三大都市圏居住者のうち、
これまでに比べて15.0%ほど地方移住への
関心が高まったという結果が出ているという。
この先何を大切にして生きていくかという指標をある程度決めたなら、
住む場所、働くフィールドは環境によって柔軟に変化する、
そんな時代が到来している。

2018年、島根県浜田市にレストラン
〈Fathers my first hero〉をオープンし、昨秋にはナチュラルワイン専門店を新設した
岡本皓資(こうすけ)さん、誉至子(よしこ)さん夫妻も、
そんなふうに人生を歩んでいるふたりだ。
木の茂る丘を開墾した、まるで隠れ家のような佇まいの一軒家レストランは、
コロナ禍にあっても、地元の人たちにとっては非日常の体験ができる場所と評判だ。

丘の上にある雑木林を紹介され、ピンときたという皓資さん。すでにあった空き家を解体するところから工事は始まり、幹線道路から丘の上につながる坂道もつくった。

丘の上にある雑木林を紹介され、ピンときたという皓資さん。すでにあった空き家を解体するところから工事は始まり、幹線道路から丘の上につながる坂道もつくった。

心地の良い空間を目指して

浜田で不動産業を営む義父の紹介で、
まったく手のつけられていなかった雑木林のような場所を見つけた皓資さんは、
すぐに森や自然の中にポツンとある一軒家レストランのイメージが沸いたという。

「モダンでクリーン、清潔感のある場所にしたかったんです」

開放的な大きな窓から庭を楽しむというコンセプトを据え、
北欧など海外の若いシェフが働いているようなレストランを参考に資料を集めた。
心地よい空間の指標は、自分のポリシーでもある
「目障りなものは置かない」ということ。
デザイン事務所に勤務していた皓資さんは、店のイメージを自分で考えた。

2階分の高さを吹き抜ける天井部分も含めて
無垢材を使用した温かみのある空間だが、
特注の家具とコンクリートの床は硬質なものを選んでスタイリッシュに。
壁にかかったポップなアートや観葉植物のほか
視界に入るものは、庭の眺望以外は必要最低限。
シンプルな空間の中にゆとりが生まれ、
窓の外から差し込む太陽の光の移ろい、
風のゆらめき、星の瞬きなどが彩りを添える。

皓資さん自ら設計案を出し、建築家や大工である義弟と一緒につくった空間。写真は、皓資さんのこだわりをかたちにした、浜田市内を見下ろす開放的な大きな窓や特注の大きなモルタル材のテーブル。庭はまだ発展途上にあり、少しずつ手を入れて育てていく予定。

皓資さん自ら設計案を出し、建築家や大工である義弟と一緒につくった空間。写真は、皓資さんのこだわりをかたちにした、浜田市内を見下ろす開放的な大きな窓や特注の大きなモルタル材のテーブル。庭はまだ発展途上にあり、少しずつ手を入れて育てていく予定。

昼はジビエを使ったハンバーガー(写真は猪のハンバーガー)、夜はコース料理を提供。いずれも併設のワインショップで選ぶ自然派ワインとのマリアージュが楽しい。魚や野菜はおもに地元浜田から旬のものを仕入れるようにしており、バーガーのバンズはお隣の江津市にある、国産小麦、天然酵母を使用した無添加パンのベーカリー〈紬麦〉のものを使用。肉は産地にこだわらず、味やルートに信頼のおけるものを選んでいる。

昼はジビエを使ったハンバーガー(写真は猪のハンバーガー)、夜はコース料理を提供。いずれも併設のワインショップで選ぶ自然派ワインとのマリアージュが楽しい。魚や野菜はおもに地元浜田から旬のものを仕入れるようにしており、バーガーのバンズはお隣の江津市にある、国産小麦、天然酵母を使用した無添加パンのベーカリー〈紬麦〉のものを使用。肉は産地にこだわらず、味やルートに信頼のおけるものを選んでいる。

東日本大震災をきっかけに
北海道に移住して10年。
文章を書く苦しさから解放されて

ビジョンのなかった移住。東京の仲間と離れた喪失感

3月が近くなってくると、いつも思うことがある。
もうすぐ東日本大震災が起こった、あの日がやってくるのだと。
毎年、節目となる日を、何かしらのかたちで残したいという気持ちになる。
昨年は、美流渡(みると)に移住した画家のMAYA MAXXさんとのプロジェクトである
〈Luceプロジェクト〉を、3月11日に立ち上げた。

今年は、この地域の人々にインタビューをした書籍
『いなかのほんね』の発行日を、あの日に設定させてもらった。
ついに10年が経ち、ここでもう一度、記憶を振り返ってみたいと思う。

岩見沢市の美流渡と周辺地域に暮らす人々10組にインタビューをしてまとめた本『いなかのほんね』はもうすぐ刷り上がる。北海道教育大学のプロジェクトの一環として中西出版より刊行。

岩見沢市の美流渡と周辺地域に暮らす人々10組にインタビューをしてまとめた本『いなかのほんね』はもうすぐ刷り上がる。北海道教育大学のプロジェクトの一環として中西出版より刊行。

あの日を境に暮らしはまったく変わっていった。
当時、東京の武蔵小金井にある1969年に建てられた古いマンションで暮らしていた。
長男は生後5か月。私は育児休暇中で家にいた。
偶然、夫も仕事を休んでいた日に震災に遭遇。
12階にいて建物は激しく揺れ、本棚のものがすべて落ちた。

最初は何が起きたのかわからなかったが、その直後に余震が来て、我に返った。
このままでは建物が崩れるのではないかと思い、
息子を抱えて同じ市内にあった実家に避難した。
それからずっとテレビに釘づけとなり、やがて福島第一原発に事故が起こったと知った。

岩見沢市は10年ぶりの大雪。私たちが移住した年も、災害級の雪が降った。

岩見沢市は10年ぶりの大雪。私たちが移住した年も、災害級の雪が降った。

私は大学生のとき、なぜだかわからないけれど、
チェルノブイリ原発事故や世界各地で行われている核実験について
調べていたことがあった。

写真集やドキュメンタリー映画を見たり、
放射線とは何かについての科学的な知識を得たりしていたこともあり、
事故が起こったときには、いままでに感じたことのない、
全身が恐怖で埋め尽くされるような感覚を覚えた。

さまざまな情報が飛び交うなかではあったが、
関東にもホットスポットができていたこともあり、
私は夫の実家があった北海道岩見沢市に移住を決めた。
幸いなことに当時勤めていた出版社が、
北海道での在宅勤務を認めてくれたこともあって、
2011年の夏に引っ越し、テレワークを始めた。

東京では見慣れない花が道端にたくさん咲いていた。

東京では見慣れない花が道端にたくさん咲いていた。

地方への移住というと、スローライフを求めてとか、自然に近い暮らしをしたいとか、
夢を実現させるために踏み出すというのが一般的な捉え方のように思う。
そして、どこに住むのかがとても重要だと思うのだが、
このときの私はとにかくすぐに移住できる場所ということで岩見沢市を選んだ。

移住のビジョンもとくになかったし、
会社のなかでたったひとりだけテレワークを始めたといううしろめたさや、
武蔵小金井のご近所で親しくしていた仲間との別れもあって、
コミュニティから外れてしまった喪失感は大きかった。

岩見沢市で暮らし始めても、なかなか友だちが増えなかった。
テレワークであっても管理職であったため朝から晩まで働いていて、
ほとんど外出しなかったし、息子が通う幼稚園の集まりにも時々参加する程度。
そして話す内容にも気を使っていて、
震災や原発事故について語ることは控えていたため、
移住してきた理由や意味を北海道のみなさんにうまく伝えることができなかった。

こちらに移住して初めて桑の実を木から取って食べた。

こちらに移住して初めて桑の実を木から取って食べた。

できることからアクションを!
「わたしのまちのSDGsの取り組み」

今月のテーマ 「わたしのまちのSDGsの取り組み」

最近耳にすることの多くなったSDGs。
持続可能な世界を実現するために
貧困や教育、資源、気候変動など
17のゴールから構成された取り組みのことです。

企業や団体が取り組んでるもの、と思っている人もいるのでは?
実は、私たちひとりひとりが行動・意識を持つことで
目標を達成する一助となることができます。

そこで今回は〈地域おこし協力隊〉のみなさんに
まちで行われているSDGsアクションについて紹介してもらいました。

大きな目標ですが自分の身近なところから始めるられる
SDGsの取り組みについて考えるヒントを探ってみてください。

※SDGsについての詳しく知りたい人は、
こちらをチェックしてみて。

【岩手県奥州市】
人×モノ×コト。SDGsを身近なものへと変える掛け算

奥州市環境市民会議〈奥州めぐみネット〉は2010年に発足。
奥州市環境基本計画である
「未来を見つめる100年循環都市 地球と共存する奥州(まち)」の
実現に向けて現在約90名の会員が
さまざまな取り組みを実施しています。

代表の若生和江さんは
「SDGsという言葉ができる前から環境問題に意識を向けていました。
自分がしていることはなんとなく大事と思っていましたが、
SDGsという目標が国連で掲げられたことをきっかけに
これまでの活動の意義が明確になった。
背中を押されたと感じました」と話してくれました。

若生さんは岩手県環境アドバイザーとして「エコクッキング」などの講座もされています。

若生さんは岩手県環境アドバイザーとして「エコクッキング」などの講座もされています。

これまでの米・野菜づくりも
やり方次第で環境に負荷をかけていることにも気づけたそう。
岩手は自然が豊かな分、環境やリサイクルなどの
SDGsの目標を都市部より身近に感じられるので、
ひとつのことが多方面へ影響することを痛感するそうです。

SDGs目標を体験できるよう開催された稲刈りイベント。飢餓や土地の豊かさを経験を通して考えるきっかけになりそうです。

SDGs目標を体験できるよう開催された稲刈りイベント。飢餓や土地の豊かさを経験を通して考えるきっかけになりそうです。

市営バスで巡る地元の歴史を辿るツアー。ツアーを通して「住み続けられるまちづくり」や、「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」などのSDGs目標を実現する取り組み。

市営バスで巡る地元の歴史を辿るツアー。ツアーを通して「住み続けられるまちづくり」や、「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」などのSDGs目標を実現する取り組み。

最近では地元の南部鉄器の会社が
他業種の企業とタッグを組んでイベントを開催。
お互いの持ち味を生かしながら
SDGsが掲げる目標への取り組みを
幅広い世代に伝えるきっかけづくりの場になっています。

南部鉄器の及源鋳造とコラボイベント。地元企業がつくる商品を使うことで「つくる責任 使う責任」、「質の高い教育教育をみんなに」などを体験を通して感じられます。

南部鉄器の及源鋳造とコラボイベント。地元企業がつくる商品を使うことで「つくる責任 使う責任」、「質の高い教育教育をみんなに」などを体験を通して感じられます。

「SDGsそのものは世の中を変える魔法の言葉ではなく、
各々が意識・行動を変えることで
初めて意味を成していくんです」と、話す若生さん。

〈奥州めぐみネット〉は豊かな暮らしのバトンをつなげられるよう
まずは自分ができることから始められるイベントや、
新たな地域交流の場を生み出す環境づくりを進めています。

information

map

奥州めぐみネット事務局(奥州市役所市民環境部生活環境課内)

住所:岩手県奥州市水沢大手町1丁目 1 番地

TEL:0197-24-2111

FAX:0197-51-2374

Mail:seikatsu@city.oshu.iwate.jp

Web:奥州市めぐみネット

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小川ちひろ おがわ・ちひろ

東京都品川区出身。大学で移民を学び、言語や異文化に興味を抱く。オーストラリア留学、台湾ワーキングホリデーと海外生活を経験。着任前は都内ギャラリーカフェに勤務。2018年5月岩手県奥州市地域おこし協力隊着任。今年度は台湾向けに東北のリアルライフスタイルやカルチャーシーンを伝えるウェブメディア立ち上げを目指し、自身も旅するように東北でしか味わえない経験を堪能中。

食卓で季節を楽しむ!
野菜宅配で旬の野菜の
お取り寄せはいかが?

日々の食卓に、ちょっとした楽しさを!

外食できない、旅行に行けない、イベント中止、そんな日々が続いています。
暮らしのメリハリが減ってしまった。
季節を感じる機会が減ってしまった。
そんないま、私がいいなと思っていることは、
食卓いっぱいに旬の野菜の料理を並べて食べること!

〈HOMEMAKERS〉のまかないごはん。季節を感じさせてくれる旬野菜の料理が並びます。

〈HOMEMAKERS〉のまかないごはん。季節を感じさせてくれる旬野菜の料理が並びます。

普段から私たちは家が働く場でもあるので、家で過ごす時間が長いです。
家が好きなので、家で過ごすこと自体にはそんなにストレスを感じない。
それとオフィスに通勤していた人たちに比べたら、
コロナ禍でそこまで生活が大きく変わってしまったというわけでもない。

それでもやっぱり1年もこんな期間が続いていて、小さな我慢をし続けていて、
気づかないうちに心に小さなストレスがたまり続けているような気がします。
気分転換に島を出て都会に買いものにいくのをためらったり、
いつもお世話になっている人たちに会いに行くのも諦めたり。

毎日外で過ごす時間が多いので窮屈な気持ちにはならないけれど、いつもと違う刺激が欲しくなったり、気分転換したくなる。

毎日外で過ごす時間が多いので窮屈な気持ちにはならないけれど、いつもと違う刺激が欲しくなったり、気分転換したくなる。

畑の脇では梅の花がきれいに咲いてます。もうすぐ春~。毎年この時期は肥土山農村歌舞伎の練習が始まり忙しくなる頃。

畑の脇では梅の花がきれいに咲いてます。もうすぐ春~。毎年この時期は肥土山農村歌舞伎の練習が始まり忙しくなる頃。

そして昨年に引き続き、今年も私たちが暮らす地区の伝統行事
「肥土山農村歌舞伎」は中止になってしまいました。
夏の虫送りや秋の太鼓祭りなどもどうなるかなぁ。
地域の行事や祭りに参加するのは、準備や練習、
朝早くからの弁当づくりなどとても大変なのですが、中止になってしまうと、
こうも暮らしにメリハリがなくなってしまうんだなぁと寂しく感じます。

知らない間に季節が流れていき、1年が終わってしまうような……。

季節の行事や気分転換の旅行、久しぶりの人に会いにいく、
そういう時間があることで、私たちは毎日の生活を楽しみ、季節を感じることができ、
記憶に残る日々を過ごしていたんだなぁとあらためて感じています。

でも、こういう状況のなかでどう楽しむか、
どうメリハリをつくりだし、日々が流れていってしまわないようにするか。
いまみんなが考えていると思います。
お菓子づくりをしたり、映画を見たり、いい入浴剤を入れてゆっくりお風呂に入ったり。
ちょっとしたワクワクや驚き、幸せを、毎日の生活のなかに取り込みたい!

冬の間ほとんど成長してなかったけど、2月に入ってからようやく茎を伸ばし始めたチンゲンナバナ。

冬の間ほとんど成長してなかったけど、2月に入ってからようやく茎を伸ばし始めたチンゲンナバナ。

紅菜苔(こうさいたい)という紫色のナバナ。いまが旬!

紅菜苔(こうさいたい)という紫色のナバナ。いまが旬!

締切間近! 移住希望者をサポートし
“職住一体”の京都の魅力を伝える
「京都移住コンシェルジュ」募集中

左から京都府農業会議の瀬野史朗さん、京都移住コンシェルジュの磯貝咲知さん、京都移住計画の藤本和志さん。

好きな土地や故郷に移住したい。

でも、うまく生活ができるだろうか。まちの雰囲気は自分に合うだろうか。
仕事はちゃんと見つかるだろうか……。

そんな移住検討者の不安に向き合い、
理想の暮らしづくりをサポートするのが「移住コンシェルジュ」。
現在、さまざまな市町村で移住コンシェルジュの働きが注目されています。

京都府でも現在、令和3年度の移住コンシェルジュの募集が始まっています。

京都移住コンシェルジュの事業は、
京都府と一般社団法人京都府農業会議、
京都暮らしのさまざまなサポートや情報発信を行う
任意団体「京都移住計画」が組んだ官民共同プロジェクト。


京都移住 Life Style Book

「京都」といえば、寺社仏閣や和食、伝統工芸などを思い浮かべる人が多いかもしれません。

しかし、あくまでこれは京都市の中心部に限った話です。
「京都府」全体では美しい山々や海、茶畑などが広がる自然豊かなエリアもたくさん。

農業や漁業を始めたり、
集落に溶け込みながらオフィスワークとアクティビティを両立させたりと、
自分らしい京都暮らしを実現している人たちが大勢います。

そんな職住一体の京都の魅力を伝え、移住検討者のサポートを行うのが
「京都移住コンシェルジュ」なのです。

根本的に何かが変わった。
北海道のアトリエで描いた
MAYA MAXXの新作

撮影:佐々木育弥

“生きている”っていう感じがします

昨年夏、私が住む美流渡(みると)地区に移住した
画家のMAYA MAXXさんが、3月1日から東京で個展を開くこととなった。

MAYAさんは愛媛県今治市の出身。
大学進学を機に上京し1993年に画家としてデビューした。
以来、東京をベースに活動を続けており、
2008年からの10年は京都で制作を行ってきた。

北国で暮らすのは今回が初めて。
十分な広さの制作環境を確保するための移住であったが、
以前から、アイヌやイヌイットなど北方の民族に興味を持っていたこと、
いままでとはまったく違う場所に身を置いてみたかったことも
北海道を選んだ理由となった。

美流渡は豪雪地帯。アトリエも雪に埋もれる。

美流渡は豪雪地帯。アトリエも雪に埋もれる。

「夏から秋、冬にかけて、新しい経験が常にありました。
いまちょうど10年に1度の大雪に見舞われているし、本当に大変です。
だけど、何もなくつつがなく暮らすよりも、困難も含めて何かが起こっていて、
それを乗り越えようとしている状況のほうが自分には合っています。
移住して半年ですが、振り返ってみると3年くらい過ごしたような感覚です。
“生きている”っていう感じがします」

移住した夏には制作環境を整えるためにアトリエにペンキを塗り、
秋には本格的な制作が始まった。
そして、作品に大きな変化が起こっていった。

撮影:佐々木育弥

撮影:佐々木育弥

真鶴で釣り三昧!
〈SON OF THE CHEESE〉山本海人の
両極端な2拠点生活

都会のクリエイターが真鶴へ移住した

真鶴半島のとある場所で海釣りに興じているのは、山本海人さん。
アパレルブランド〈SON OF THE CHEESE〉やサンドイッチ店〈BUY ME STAND〉、
蕎麦とバーが融合した〈Sober〉などを手がけているクリエイターだ。
ここには東京から遊びに来たわけではない。彼は真鶴半島の高台、
しかも半島の両側の海を見下ろせる最高のローケーションの家に住んでいる。

アパレルブランド〈SON OF THE CHEESE〉などをディレクションしている山本海人さん。

アパレルブランド〈SON OF THE CHEESE〉などをディレクションしている山本海人さん。

現在は、もともと住んでいた東京の家と真鶴の家を往復する2拠点生活を送っている。
きっかけはライススタイルの変化だった。

「2年前に、家から家具が全部なくなっちゃったんですよね。
ベッドひとつと犬2匹というミニマルアーティストみたいな暮らしになっちゃって。
その頃、なんとなく東京に居心地の悪さも感じて、真鶴に来てみました。
住民票も会社の登記もすぐに真鶴に移しましたよ」

真鶴の西側、湯河原、熱海方面を望むことができる。

真鶴の西側、湯河原、熱海方面を望むことができる。

こうして山本さんが移住してきたのは2018年。実は現在住んでいるこの家は、
山本さんの両親が5年ほど前に建て、別荘として使っていた家。
そこに居を移したのだ。

「最初は東京には一切行かずに、真鶴にいながら東京の会社をコントロールしました。
でも100%リモートというのはコントロールが難しくなって、
いまは半分ずつの生活に落ち着いています」

現在は新型コロナウイルス感染症の影響もあって、両親も真鶴を中心に生活している。
ローコストでつくることをテーマにした家だというが、
「古い物を寄せ集めて置いている」という家具も含め、
瀟洒なデザインの部屋がお父さんのセンスをうかがわせる。

ウッドテラスはくつろげる仕様に。

ウッドテラスはくつろげる仕様に。

テラスからは真鶴半島の西海岸を眺めることができ、
犬が快適に過ごせそうな広い庭からは反対側の漁港周辺を見下ろすことができる。
スペインや南仏あたりのリゾートを思わせる雰囲気だ。

アーチが特徴的な部屋の内観。

アーチが特徴的な部屋の内観。

小豆島の渓谷「銚子渓」。
高さ21メートルの滝が凍る!

動物園に、凍る滝まで。渓谷を楽しむ!

小豆島には、日本三大渓谷美のひとつである
「寒霞渓(かんかけい)」という有名な渓谷があります。
日本三大渓谷美と言われるだけあって、渓谷はもちろん、
その先にある小豆島のまちなみ、瀬戸内海を望む景色はとても美しく、
観光スポットとしても人気ですし、知っている方も多いと思います。

その寒霞渓から西に10キロほどのところに
「銚子渓(ちょうしけい)」という渓谷があります。

小豆島の山間にある銚子渓エリア。写真真ん中の建物の右下あたりに銚子の滝があります。

小豆島の山間にある銚子渓エリア。写真真ん中の建物の右下あたりに銚子の滝があります。

銚子の滝の下にはこんな大きな岩が重なってます。

銚子の滝の下にはこんな大きな岩が重なってます。

寒霞渓に比べたら小さな渓谷ですが、滝があったり、
野生の猿が餌付けされている〈銚子渓自然動物園 お猿の国〉があったりして、
意外とおもしろい場所なんです!

野生の猿たちがいる〈銚子渓自然動物園 お猿の国〉。柵はなくて、目の前で猿たちが歩いてます。

野生の猿たちがいる〈銚子渓自然動物園 お猿の国〉。柵はなくて、目の前で猿たちが歩いてます。

突然、孔雀もいたりします。小さな動物園みたいな感じです。

突然、孔雀もいたりします。小さな動物園みたいな感じです。

実はこの銚子渓、私たち〈HOMEMAKERS〉の畑から見える
美しい山々の景色の中にあって、うちから車で10分くらいで行けるところにあります。

あらためてその風景を眺めてみると、私たちは島暮らしだけど
海じゃなくて、美しい山の景色の中で暮らしているんだなぁと思います。
当たり前のように毎日そこにありますが、
ふとしたときに美しいなぁと感じさせてくれる渓谷です。

〈HOMEMAKERS〉の生姜畑の奥にあるのが銚子渓。島の中にある畑とは思えない風景。

〈HOMEMAKERS〉の生姜畑の奥にあるのが銚子渓。島の中にある畑とは思えない風景。

この銚子渓には、銚子の滝という高さ21メートルほどの滝があります。
小豆島で一番大きな滝らしいのですが、普段は流量がそんなに多くなくて、
山の中にひっそりとある感じです。
豪快な滝! みたいなイメージで見に行かないでくださいね(笑)。

とても寒い日が続いた1月。
そういえば、銚子の滝って寒いと凍るんだよなぁと思い出し、見に行ってみることに。
銚子の滝はちょっとわかりにくいところにあります。案内板などもありません。
お猿の国の駐車場から500メートルほど西に下っていくと、
道沿いのガードレールが一部ないところがあります。そこから入っていきます。

ちなみに以前は〈銚子茶屋〉という、食事処&お土産屋さんが滝のすぐ上にあり、
そのすぐ横から銚子の滝に行けたのですが、いまは行けないみたいです。
そして残念なことにその銚子茶屋自体がいまは閉まっています。
ガードレールの間から入って山道を歩くこと3分ほどで銚子の滝が見えてきます。

銚子の滝へ続く山道。落ち葉で滑りやすいので、歩きやすい靴で行きましょう。

銚子の滝へ続く山道。落ち葉で滑りやすいので、歩きやすい靴で行きましょう。

アイヌの音と物語に触れる、
OKIさん、Rekpoさんによる
小さな音楽会

縁がつながって、美流渡にふたりがやってくることに

昨年末に岩見沢市の美流渡(みると)で小さな音楽会が開かれた。
「アイヌの音と物語」というタイトルで、
カラフトアイヌの伝統弦楽器トンコリの奏者であるOKIさんと、
アイヌ伝承歌の歌い手であるRekpoさんがやってきてくれた。

この音楽会が開かれるきっかけとなったのは、
道内各地のアートプロジェクトなどでディレクターを務める
木野哲也さんとの出会いによる。
3年ほど前から私は仕事でお世話になっていて、今回
「アイヌ音楽の子ども向けの公演を開こうと思っているので、
美流渡でもやりませんか?」と声をかけてくれたのだった。

出演するおふたりの名前を聞いて私は心が踊る思いがした。
常々公演に行ってみたいと思っていたおふたりで、
これまでは子どもが小さかったり遠方だったりしてなかなか叶わなかったからだ。
さっそく、会を開けるように会場の選定や
地域の声掛けなどのサポートを行うこととなった。

会の当日、木野哲也さん(写真右)は、昨年、美流渡に移住した画家・MAYA MAXXさん(写真左)のアトリエに立ち寄った。木野さんは、芸術文化プロデューサーとして活躍しており、白老町で行われている飛生(とびう)芸術祭やウイマム文化芸術プロジェクトなど数々のディレクターを務めている。

会の当日、木野哲也さん(写真右)は、昨年、美流渡に移住した画家・MAYA MAXXさん(写真左)のアトリエに立ち寄った。木野さんは、芸術文化プロデューサーとして活躍しており、白老町で行われている飛生(とびう)芸術祭やウイマム文化芸術プロジェクトなど数々のディレクターを務めている。

この会の開催を決めたあと、新型コロナウイルスの感染者が市内でも確認されるなど、
北海道全体の緊張感がより高まっていった時期ではあったが、
なんとか開催できる方法を模索したいという気持ちがあった。

ちょうどその頃、子どもたちが通う小学校では
アイヌ文化を学ぶ取り組みが行われていて、学校に講師を招く予定が中止となり、
とてもがっかりしている我が子の姿を見ていたからだ。

子どもたちは授業でアイヌ文化について調べ、壁新聞にして発表した。

子どもたちは授業でアイヌ文化について調べ、壁新聞にして発表した。

この公演は文化庁の採択事業で、
道内の学校など5か所で開催されるツアーとなっていて、
出演者は事前にPCR検査を受け、万全の感染対策をしながら行うというものだった。

受け入れるこちらも、100人以上収容できるスペースを借り、
地域の20人ほどの親子だけに限定するという最小単位で行おうと考えた。
手探りではあったが、それぞれの家族に参加してみたいか尋ねていったところ、
思った以上にいい反応だった。
OKIさん、Rekpoさんの大ファンだと言ってくれた友人もいて、
私はとても勇気づけられた。

会場としたのは地域のコミュニティセンター。普段は地元主催のイベントで使用されている大広間を借りた。

会場としたのは地域のコミュニティセンター。普段は地元主催のイベントで使用されている大広間を借りた。

〈ミヤノオート〉植田祐司さん
事業を受け継ぎながら、
自分らしく働くには

タイヤのネジを慣れた手つきで、グッと締める。1本締めたら、また1本。
車の持ち主が安心して走れるように、ひとつのタイヤが終わったらまた次へ。
迷いのない手つきから、整備士が熟練者であることがわかる。

整備をしていたのは、山口市にある〈ミヤノオート〉の植田祐司さん。
根っからの車、バイク好きが高じて大学卒業後は、迷わず整備士の道へ。
海外メーカーで整備の経験を積んだ後、
2018年にミヤノオートを前オーナーから引き継いだ。

当時は前オーナーと面識はなく、創業のことしか頭になかったという植田さんが、
なぜ事業を引き継ぐことにしたのか。その道のりを聞いた。

ミヤノオートの看板から(株)が外されたワケ

ミヤノオートは2台の車が入る整備場、こぢんまりとした事務所、
販売待ちの車や展示用のカスタムカーが並べられた展示場からなっており、
一見、どこにでもある整備・販売会社に思える。

が、よく見ると看板には「ミヤノオート」の文字、そして事務所のドアには、
〈植田エンヂニヤリング〉なる名前が。
異なる名前が並んでいるのは、事業承継が行われたから。
事業承継とは、会社の経営権や理念、資産など、
事業に関わるすべてを次の経営者に引き継ぐこと。
一般的には、親族内や承継前からの従業員に引き継ぐことが多いが、
植田さんは縁もゆかりもなかったミヤノオートを引き継ぐことになった。

〈ミヤノオート〉の事務所(右)と車検場(左)。建物も、ミヤノオートの文字看板も引き継ぐ前から変えていない。承継の際に、法人名のみ植田エンヂニヤリングに変更し、ミヤノオートは屋号として残した。

〈ミヤノオート〉の事務所(右)と車検場(左)。建物も、ミヤノオートの文字看板も引き継ぐ前から変えていない。承継の際に、法人名のみ植田エンヂニヤリングに変更し、ミヤノオートは屋号として残した。

「大事なのは看板ではなく、整備や販売の仕事に集中できる環境があること。
ミヤノオートの名前で覚えてくださっているお客さんが多いので、
事業も名前も一緒に引き継ぎました」

そう話す植田さんだが、独立を考えていた当初は
事業承継のことはまったく選択肢になかった。
事業承継がどんなものかすら、わかっていなかったという。

事務所のドア。屋号のミヤノオートはあくまで大きく、法人名の植田エンヂニヤリングは小さく。植田さんの考え方がうかがえる。

事務所のドア。屋号のミヤノオートはあくまで大きく、法人名の植田エンヂニヤリングは小さく。植田さんの考え方がうかがえる。

ある日突然、職場がなくなった

大学卒業後に通った職業訓練校で整備士の資格を取得し、
就職したのは外資系自動車メーカーの〈フォード〉。
アメ車のデザインが大好きで、
自分の手で車を改造したいと考えていた植田さんにとってはこれ以上ない環境だった。

就職当初から「いつかは独立を」と考えていたものの、
環境がいいこともあり気がつけば10年近く在籍。
ところが2016年に、フォードは日本からの撤退を決定。
植田さんはこの事態をチャンスと捉えた。

事務所には、フォード時代に整備の大会で表彰された際の賞状が。フォードでは、整備とマネジメントを約5年ずつ経験した。

事務所には、フォード時代に整備の大会で表彰された際の賞状が。フォードでは、整備とマネジメントを約5年ずつ経験した。

植田さんは、「自分の思い通りにやるときがきた」と創業を決意。
準備を進めるが、そう簡単に事は運ばなかった。

地元で大ヒット!
知られざる「わたしのまちで
愛される調味料」


今月のテーマ 「わたしのまちで愛される調味料」

料理の味の決め手になる調味料。
全国的に有名なものも多いですが
地元企業がつくり、地元で大人気の知られざる商品も
全国各地に存在しています。

今回は、まちの人たちに愛される必需品的な調味料を
〈地域おこし協力隊〉のみなさんに紹介してもらいました。

名産品を使ったもの、伝統的につくられ食べられているものなど、
さまざまな調味料がラインナップ。
気になるものがあればお取り寄せしてみてください。

【岩手県奥州市】
一度食べたら病みつきに! ネギ農家さんがつくるネギドレッシング

奥州市江刺のネギ農家高橋沙織さんがつくる
〈ネギ屋のドレッシング〉。

ネギ農家の高橋沙織さん。

ネギ農家の高橋沙織さん。

個人で製造しているため、
できる時に、できる量だけ、自分のペースでつくられているそうです。
リピーターからの口コミで広がり、
SNSで販売告知をするとすぐに完売してしまうほどの大人気商品なんです。

ネギ畑の様子。

ネギ畑の様子。

息子さんも時々お手伝いをしてくれるそうです。

息子さんも時々お手伝いをしてくれるそうです。

〈ネギ屋のドレッシング〉は、
ネギだけでなくにんじんも入っているので鮮やかなオレンジ色。
ネギ特有の辛みや匂いは感じず、
本来の甘みが凝縮されている濃厚なドレッシング。

ベースのレシピはあるけれど季節によって
異なるネギの甘みや水分量に合わせて、
高橋さんの舌で味のバランスを調整しています。

販売先である古道具や雑貨、野菜などを販売する
〈YOLISUL〉のオーナーおふたりも、
あまりのおいしさに1回にボトル半量を
サラダにかけてしまうというのも納得。
材料に動物性のものは一切使用していないので、
ビーガンの方にもおすすめです。

かわいいデザインのパッケージ。

かわいいデザインのパッケージ。

ネギ生産者である高橋さんが、
このドレッシングを販売するきっかけになったのは
岩手県奥州市江刺にあるヨガスタジオ
〈ヨガスペースコパン〉で開催されたマルシェ出店だったそうです。

それ以来、ネギを生産するだけではなく、
自分が育てた野菜そのもののおいしさを引きだす商品を開発し続けていて、
その商品をいろいろなかたちでお客さんに届けています。

マルシェの様子。

マルシェの様子。

自慢のネギはもちろん……。

自慢のネギはもちろん……。

さまざまな野菜を販売!

さまざまな野菜を販売!

また、〈ネギ屋のドレッシング〉だけではなく、
ビーガンスイーツづくりもされている高橋さんは
「つくることが好きなんです」と話してくれました。

イベント限定のスイーツやピクルスなども販売。

イベント限定のスイーツやピクルスなども販売。

キャロットケーキにはドライいちじくも入っています。

キャロットケーキにはドライいちじくも入っています。

購入方法は市内のお店で数量限定、不定期で販売。
ハンバーガー屋〈GROW〉には
ネギ屋さんオリジナルソースを使用したメニューがあるので、
気になる方は、お試しあれ!

information

map

YOLISUL FUCHI″

住所:岩手県奥州市江刺川原町3-9

TEL:0197-34-0388

営業時間:11:00〜16:00

Instagram:@yolisul.fuchi

information

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GROW

住所:岩手県奥州市江刺六日町1-1

TEL:0197-47-6207

営業時間:11:00〜14:30(14:00L.O)、17:30〜22:00(21:00L.O)

日・祝日 11:00〜14:30(14:00L.O)

定休日:火曜

※ハンバーガー完売次第閉店。

Web:https://grow-funburger.com/

photo & text

小川ちひろ おがわ・ちひろ

東京都品川区出身。大学で移民を学び、言語や異文化に興味を抱く。オーストラリア留学、台湾ワーキングホリデーと海外生活を経験。着任前は都内ギャラリーカフェに勤務。2018年5月岩手県奥州市地域おこし協力隊着任。今年度は台湾向けに東北のリアルライフスタイルやカルチャーシーンを伝えるウェブメディア立ち上げを目指し、自身も旅するように東北でしか味わえない経験を堪能中。

伊豆半島の魅力とは?
観光スポットだけじゃない、
土地が持つ“豊かさ”

コロナ禍であらためて気づく、
伊豆半島の魅力

伊豆半島には魅力的なスポットがたくさんあります。
ダイナミックな地形、美しい夕陽――
伊豆下田で暮らす津留崎さんでも、まだ知らない場所があり、
それらを巡ってあらためて伊豆の魅力を発見したそう。
そしてそれは、単に観光地としての魅力ではなく、
土地の持つ“豊かさ”だといいます。

瀬戸内レモンはおいしい!
小豆島でレモンを育てる

もっと気軽に! レモン生活のすすめ

1月、小豆島は冬ど真ん中。
足の指がしもやけになったり、野菜を水洗いする手が冷えすぎて
真っ赤になってしまったり、そんな寒い日が続いています。

こんな寒い時期ですが、レモンやみかんなどの柑橘の収穫はいまが最盛期です。
柑橘の種類によって収穫タイミングが少しずつ違い、
冬の間は何かしらの柑橘を収穫したり、いただいて食べたりしてます。
今週はぽんかんをいただきました。
柑橘は種類が多すぎて、どれがどれだかいまだにわかってないです(汗)。

11月末頃から黄色く色づくレモン。4月くらいまで順番に収穫していきます。

11月末頃から黄色く色づくレモン。4月くらいまで順番に収穫していきます。

温州みかんとはっさくをかけあわせたスイートスプリングという柑橘。皮を向いてそのままみかんみたいに食べられます。

温州みかんとはっさくをかけあわせたスイートスプリングという柑橘。皮を向いてそのままみかんみたいに食べられます。

「瀬戸内式気候」と呼ばれる、降水量が少なく冬も温暖な気候の小豆島では、
昔から柑橘の栽培が盛んです。
昔は南向きの山の斜面では一面みかんなどの柑橘が栽培がされていたそうで、
うちの裏山も山のずっと上のほうまでみかん畑でした。

いまは高齢化により畑作業ができなくなってしまったり、
柑橘類の消費が減ったことで価格が下がってしまったりして、
柑橘栽培をやめてしまった畑も多く、あっというまに山に戻っていっています。
収穫されずに実がついたままの柑橘の木が島のあちこちにあります。

集落の中には小さな柑橘畑がぽつぽつあります。寂しいですが少しずつ放置された柑橘の木が増えています。

集落の中には小さな柑橘畑がぽつぽつあります。寂しいですが少しずつ放置された柑橘の木が増えています。

これは「ダイダイ」という柑橘。酸味が強く、果汁を搾って使います。醤油とあわせてフレッシュな自家製ポン酢をつくったり。

これは「ダイダイ」という柑橘。酸味が強く、果汁を搾って使います。醤油とあわせてフレッシュな自家製ポン酢をつくったり。

家具からキャンプギアまで、
ものづくりの楽しみは
家の中から外へ無限に広がる

買ったものを探すほうが難しい。手づくりに満たされた家

JR四日市駅から、鈴鹿山脈のほうへ向かって車で15分ほど。
大通りから1本入った静かな住宅街に、
伊藤芳樹さん、恭子さん、碧泉(あおい)くん、愛犬のかんぱちが暮らす住まいはある。
BESS〉の〈WONDER DEVICE〉は暮らしを楽しむための“装置”というコンセプト。
なかでも伊藤家が暮らす「PHANTOM(ファントム)」は
一面がガルバリウムの外壁に囲まれ、
外からは様子がうかがい知れない怪しげなムードが特徴的だ。

家の前には、切りそろえられた薪が太さや樹種ごとに整然と積まれ、
その上では、先日入手したばかりだというグリーンのカナディアンカヌーが存在感を放つ。
枕木を敷いたアプローチには、端材でつくったポストや流木の手すりが取り付けられ、
この数メートルを歩いただけでも、
伊藤さん一家が、この家での日々を楽しむ様子が伝わってくる。

35センチにきれいに切りそろえられた薪。1年半乾燥してようやく使用できる。

35センチにきれいに切りそろえられた薪。1年半乾燥してようやく使用できる。

「ここはぼくが積んだんだよ!」と、
薪棚の一角を指差す碧泉くんに続いて玄関へ向かうと、
芳樹さん、恭子さんが出迎えてくれた。
一歩中に足を踏み入れると外観のクールな印象とはうって変わって、
木の温かみあふれるやさしい空間が広がっている。

「ダイニングテーブルと椅子以外は、ほとんど自分でつくりました」

そう芳樹さんが話すとおり、リビングのテレビボードから琉球畳の小上がり、飾り棚、
2階ワークスペースのカウンターや、子ども部屋の秘密基地のようなロフトまで、
7年間にわたりコツコツとつくってきた家具や雑貨が、空間を彩っている。

年輪の模様がかわいい薄い板を、扉に貼ったテレビボード。

年輪の模様がかわいい薄い板を、扉に貼ったテレビボード。

2階にある芳樹さんのワークスペース。ホウノキの一枚板のカウンターも自作

2階にある芳樹さんのワークスペース。ホウノキの一枚板のカウンターも自作。

それだけではない。
5年ほど前から親子で毎月のようにキャンプに出かけている芳樹さんは、
テントやタープ、ローチェアなど、キャンプギアまでも自作して楽しんでいる。

「先日、ついに家庭用の溶接機も導入し、鉄の丸棒で『焚き火ラック』をつくったんです」

何かほしいものがあるとき、まずは自分でつくれないか、
調べることが習慣になっているという芳樹さん。

「彼は好きになるとのめり込むタイプで、以前、釣りにはまったときも、
竹を削って釣り竿を手づくりして、『売ってほしい』と頼まれるほど上達していました」
と恭子さんは話す。

横型の多い薪ストーブだが、芳樹さんは縦型のシンプルな形がお気に入り。

横型の多い薪ストーブだが、芳樹さんは縦型のシンプルな形がお気に入り。

どうして不便なところに住んでいるの?
北海道の過疎地に住む人々の
“本音”をまとめた本

撮影:佐々木育弥

ハタチの学生が山あいに住む人々にインタビュー

3月初旬に地域の人に取材した本ができあがる。
昨日、原稿のチェックをすべて終え、最終工程に入る段階までこぎつけた。
このコロカルで、岩見沢市の山あいに暮らす人々のことを書いてきて5年、
いつか単行本にまとめられたらと思っていたのだが、
今回、思いがけないかたちで実現することとなった。

きっかけはコロナ禍だ。
2019年より、私は北海道教育大学岩見沢校による
「万字線プロジェクト」というプロジェクトに関わっていた。
かつて炭鉱輸送の要として岩見沢市の山あいにあった路線から名前をとったもので、
学生がここでアートマネジメントについて学ぶという取り組みだ。

昨年は閉校になった美流渡(みると)中学校の体育館を使って
地元の人々と交流するイベントなどを実施。
今年度の活動を準備中だった矢先に新型コロナウイルスの感染が拡大し、
学生たちの授業はほとんどオンラインとなり、
イベントなどの開催は難しい状況となってしまった。

2019年に実施した万字線プロジェクトでは、閉校となった校舎で学生がイベントを企画。久しぶりに子どもたちが集まった。

2019年に実施した万字線プロジェクトでは、閉校となった校舎で学生がイベントを企画。久しぶりに子どもたちが集まった。

こうしたなかではあったが、秋になって対面での授業も一部は実施されるようになり、
担当教授・宇田川耕一先生は、学生を少人数のグループに分ければ、
地域でフィールドワークが可能ではないかと考えた。

そして、「学生と一緒に地域をテーマにした本をつくってみませんか?」と
宇田川先生から誘いを受けた。
年度末までの刊行という差し迫ったスケジュールではあったが、
地域の人々10組に学生が10問ずつ質問を投げかけ
1冊にまとめてみたいと私は考えた。

コロカルでもこれまでたくさんの地域の人を取材してきており、
人選は悩みどころだった。
今回は「地域の課題をアートを通じて解決する」という題目があったため、
まちづくりに関わったり、アートやものづくりに関わったりしている人に登場を願った。

このプロジェクトに参加したのは26名の3年生。
宇田川先生が5名ほどのグループに学生を振り分け、
10組の取材を1か月半かけて行う計画を立てた。

雪が降り積もる季節に学生たちの取材が行われた。(撮影:佐々木育弥)

雪が降り積もる季節に学生たちの取材が行われた。(撮影:佐々木育弥)