colocal コロカル マガジンハウス Local Network Magazine

連載の一覧 記事の検索・都道府県ごとの一覧
記事のカテゴリー

連載

〈森の出版社ミチクル〉の新刊は、
道南せたなの農家グループ
〈やまの会〉の本

うちへおいでよ!
みんなでつくるエコビレッジ
vol.103

posted:2019.12.27  from:北海道岩見沢市  genre:暮らしと移住

〈 この連載・企画は… 〉  北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/

出版の既成概念にとらわれない本づくりを

岩見沢市の山あいの集落、美流渡(みると)地区で始めた
〈森の出版社ミチクル〉という活動。
昨年に立ち上げてから、いろいろな方に興味を持ってもらっていたが、
新刊がまったく出ないまま1年が過ぎ去っていた。
計画では昨年の夏に刊行する予定だった本が進まず、もどかしい日々を送っていた。

制作中だったのは、道南のせたな地区でオーガニックな農法で
作物や家畜を育てる5人の農家グループ〈やまの会〉に取材したものだ。
本づくりの経緯は以前の連載で書いたが、なぜ筆が進まなかったのかを
あらためて振り返ってみると、ずっと編集を続けてきたために身につけてしまった
“出版に対する既成概念”がジャマをしていたのだと気がついた。

やまの会のメンバーである村上健吾さんの牧場では、穀物飼料を与えず草だけで牛を育て、チーズをつくっている。牧場からは海が見渡せる。

やまの会のメンバーである村上健吾さんの牧場では、穀物飼料を与えず草だけで牛を育て、チーズをつくっている。牧場からは海が見渡せる。

この本のテーマとしたのは「死」。そしてその先に見える「生」だ。

やまの会のメンバーで家畜を育てている、
大口義盛さん、村上健吾さん、福永拡史さんは、
愛情を持って育てた動物たちを、やがては屠畜(とちく)に出すという
自らの仕事を通して「死」と向き合い続けてきた。

また、大豆やお米を主に育てる富樫一仁さん、
多彩な品種の作物を育てるソガイハルミツさんも、
自然の営みに日々寄り添うことで、「死」に対する独自の観念を持っていた。

やまの会のメンバーが考える死についてとことん深めたい。
そう思いながらインタビューの音声を文字に起こし、執筆にトライしていたのだが、
どこからともなく「死なんて重たいテーマに読者は興味を持ってくれるのだろうか?」
「エンターテイメントの要素も必要ではないか?」という考えが
ふつふつとわいてくるのだった。

こんなふうに、ひと目でわかりやすいキャッチーさと、
帯の言葉になりやすい打ち出しの強さが大切という、
商業出版で染みついた思考にとらわれてしまうこともあった。

インタビューの音源は手書きで起こした。手書きのほうが、大切な部分は文字を大きくしたりアンダーラインをつけたりなどがサッとできるので、自由度が高い。(撮影:佐々木育弥)

インタビューの音源は手書きで起こした。手書きのほうが、大切な部分は文字を大きくしたりアンダーラインをつけたりなどがサッとできるので、自由度が高い。(撮影:佐々木育弥)

しかし一方で、いままでつくってきた本のセオリーに沿ってしまっては、
自分で刊行する意味はあるのだろうか? という考えも浮かび、
両方が頭の中で渦を巻いて、まったく着地点が見出せなかった。

普段であれば、仮にさまざまな迷いがあっても“締め切り”に合わせるのだが、
自分で出すとなれば、安易に落としどころを見つけず時間をかけてもいいわけで、
そのためアイデアが浮かぶまでじっと待ったり、
とにかく手を動かしたりというのを断続的に続けていった。

次のページ
手書きの本の特徴

Page 2

手書きによって、気持ちが次第に解放されて

突破口が見え始めたのは、すべて手書きで仕上げることにしてからだ。
当初は、文章量も多いので、文字はフォントを使用しようと考えていたのだが、
インタビューでもっとも印象的なフレーズを、
A4サイズのコピー用紙に手書きしていくうちに、
気づいたら本文もすべて手で書くようになっていった。

パズルのピースを埋めるように、断片的にページをつくっていったところ、
次第に本の全体が見えてくるようになった。
手で書くことによって、いままで自分が縛られていた
出版特有のルールから、心が解放されることに気づいていった。

ランダムに書き進めていって、7割ほどできあがった段階で、全体が見えてきた。(撮影:佐々木育弥)

ランダムに書き進めていって、7割ほどできあがった段階で、全体が見えてきた。(撮影:佐々木育弥)

マニアックな話ではあるが、出版では文字表記の統一が非常に重視される。
「わたし」とするか「私」とするかなど、
ひらがなで表記するか漢字にするかといった取り決めが、
出版社や各媒体によって細かくある。
フォントを使うと統一されていないことがとても気になるのだが、
手書きであれば、ほとんど気にならない。

しかも、たくさん話す人であれば、文字を小さく行間を詰めて
ギュウギュウにしてもいいし、急に絵記号やフキダシを加えても、
アクセントになって楽しい印象が生まれるという発見もあった。

印刷のときに青、赤、黄色とひとりずつ色を変え、地色をつけた。強調したい文字をところどころ太字にしたり、フキダシを加えたりした。

印刷のときに青、赤、黄色とひとりずつ色を変え、地色をつけた。強調したい文字をところどころ太字にしたり、フキダシを加えたりした。

何より助けになったのは、文章の流れが多少おかしくても、
手書きだとそれほど気にならないということだった。

わたしは、文章を書くことに常に苦手意識を持っているため、
ときどき決め台詞やお決まりの表現に“逃げる”意識が働くことがある。

これまで表面的にはまとまりがよいけれど、
実感のこもっていない言葉を使ってしまって自己嫌悪に陥ることもたびたびあったが、
手書きの場合は素直にそのままを出したつたない感じでも、
味わいのひとつのように捉えられるような気がしたのだ
(本当にそうなのかは、いまもわからないけれど)。

こうして88ページ、最後の最後まで走り切ることができた。

全体を通して見てみると、やまの会のメンバーひとりひとりが語ってくれた生い立ちと、
自分なりの哲学を脚色せずに記していて、淡々と話は進んでいくのだが、
やがてそれが一本の線のようにつながって、ジワジワと深まっていくような、
そんな構成になったように感じる。

最後に迷ったのはタイトル。仮にわたしが出版社勤めであれば
『おいしいものが生まれるヒミツ』とか、そういう感じにしたと思うが、
一番素直にこの本を表そうと考え『やまの会が語った死ぬと生きる』とつけた。

たくさん話してくれたメンバーのページは、文字を小さくしてページに収めた。

たくさん話してくれたメンバーのページは、文字を小さくしてページに収めた。

次のページ
読んだ人の反応は…?

Page 3

ついに完成したものの、あれ? 感想がこない!

そして、ついに2年以上の時間をかけて10月に本が仕上がった。
刷り上がりを手にしたとき、腕が震えるような感覚があった。
いままで何百冊と本をつくってきたのだが、それらとは違う愛着がわいた。
どのページにも自分の想いがしっかり込められていると感じられた。

できあがると同時に、ささやかながらも告知を始め、
友人関係を中心に本が人の手に少しずつ渡っていった。
また、この本の刊行をきっかけに、初めて〈森の出版社ミチクル〉の存在を知り、
本を買ってくれる人もいた。

仲間と一緒に行っている地域PR活動の一環として東京・幡ヶ谷のギャラリーで「みる・とーぶ Tokyo」展を開催。会場でわたしの本も販売した。

仲間と一緒に行っている地域PR活動の一環として東京・幡ヶ谷のギャラリーで「みる・とーぶ Tokyo」展を開催。会場でわたしの本も販売した。

いままでとは違う本のつくりかたをしたこともあって、
自分ではおもしろいのかおもしろくないのかまったく判断がつかなかったため、
本を手渡した人たちからの感想をわたしは心待ちにした。

刊行から2週間ほどが経ち、本の到着を知らせる連絡はあるものの、
ダイレクトな感想を聞くことはほとんどなかった。
少ないながらもこれまで小さな本を出していて、
送ったらすぐに反応を返してくれる人が多かったし、
きっと感想を語ってくれるだろうと思っていた人からもレスがなかったりして
「これはいったいどういうことなのだろう」と困惑した。

そして、友人たちに「誰も何も言ってくれない」とついついぼやいてしまったら、
「感想がないのも、なんとなくわかる!」と言いながら、こんな言葉をよせてくれた。

「本ではないと思うよもはや。本の皮を被った何か。
大事なメッセージが詰まった何か。ちがう次元の、大事な創作でもあり、運動」

「結局、何の表現にしても想いの熱量と本質を見定めようとする
まっすぐな眼差しが何より大切だな〜等 感じ入り心に届きました
Thanks for your passion」

友人ふたりからきたこの言葉に心拍数が上がるような感覚があった。
そうか、何も届いていなかったわけではなかったのだと思ったことと、
この本では「死」というテーマを扱い、また、商業出版であれば、
やんわり自主規制するような言葉(これについては本を読んでくださったら
わかると思うが)も包み隠さず載せるようにしたため、
簡単に言葉を返すことが難しいものになっていたのかもしれないと思った。

それから1か月ほど経って、この本について
SNSなどで熱く語ってくれる人が現れるようになった。
同じ編集者として働いている友人のコメントを抜粋すると……

「テキストは楷書、それが読みやすい大きさで書かれているんですが、
手書きならではの畝りがあるんですよ。行も一直線じゃないし、
詰め込みたいところは文字が小さくなって情報量が多くなっていたりする。
これは、読むとすごい迫力があるんです。

うーん、すごいな、と感心したのも、語り手の熱量みたいなものが、
ページをめくると一目で飛び込んでくるんです。
読んでいると、同じスペースに入っている文字数が異なっているので、
スペースごとのカロリーが違うんで、読む側にも緩急がつくというか、
なんか不思議な読書体験ができます。これはかなり独特です」

また美術の先生をやっている友人が手術のために入院するとき、
わざわざこの本を持っていってくれて、病室で感想をノートに書いてくれたりもした。

友人が、わたしの本から連想を広げて記憶をたどってくれたメモ。こんなふうに手書きと手書きのコミュニケーションが生まれるのもおもしろいと思った。

友人が、わたしの本から連想を広げて記憶をたどってくれたメモ。こんなふうに手書きと手書きのコミュニケーションが生まれるのもおもしろいと思った。

何か特別な体験を感じてくれている人がいることは、
わたしのこれからの本づくりの大きな希望となるものだった。
これまでの出版で培った“手あか”のようなものを捨て去り、
自分の生のままを出すようなものに人が心を寄せてくれたことは、
何よりありがたいことだった。

こんなふうに本づくりを進めていくことのなかに、
きっと出版の新しい可能性も見つかるのかもしれないとも思った。

2か月経って、さらにありがたいことに、
もっとこうしたらよかったんじゃないかという言葉を寄せてくれる友人も現れた。
文字の配置に気を配ったり、ページをゆったり使って
遊びを感じる部分をもうけてもいいんじゃないかという声もあった。

確かにようやく時間が経って、いまページを見返してみると、
何か余裕のない(余白のない)切羽詰まった感があることもわかってきた。
手書きは表現に自由さをもたらしたと思ってはいたが、
まだまだ不自由さがあったのかもしれない。

本を出してみたことで、思いがけない発見が本当にたくさんあった。
これらを次なる本づくりへとつなげていきたいと、
いま、新たな本の構想がふつふつと浮かんできている。

〈森の出版社ミチクル〉の本は、わたしが運営する〈ミチクル編集工房〉のFacebookで販売をしています。

〈森の出版社ミチクル〉の本は、わたしが運営する〈ミチクル編集工房〉のFacebookで販売をしています。

Feature  これまでの注目&特集記事