連載
posted:2019.4.24 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
わたしが引っ越してきた岩見沢市の山間の美流渡(みると)は、過疎化が進む地域だ。
人口はわずかに400人。小さなスーパーも1年ほど前に閉店し、
残る商店も数えるほどとなっている。
そんなこの地区で、昨年なんと20年ぶりに新店舗がオープンした。
スープカレーとスパイスカレーのお店〈ばぐぅす屋〉だ。
お店が始まってからというもの、わが家は毎週のように通っており、
この連載で早く紹介したいと思いつつ、ずいぶん時間が過ぎてしまった。
お店を切り盛りするのは、山岸槙(こずえ)さん。
接客から調理までほとんどひとりでこなし、3人の子どもを抱えるお母さんでもある。
きっと忙しい毎日を送っているんじゃないかと思って、
取材をずっとためらっていたのだった。
昨年12月、雪が降る季節を迎えてばぐぅす屋は冬期休業に入った。
それから約5か月、北海道にもようやく春の兆しが感じられるようになった4月中旬、
2年目のスタートを切ることになり、このタイミングで
山岸さんにじっくりと話を聞く機会をつくってもらうことにした。
山岸さんは大阪府出身。夫の実家である北海道岩見沢市に移住をしたのは25歳の頃。
きっかけは高校3年生のときに十勝の陸別町にある牧場で、
酪農体験をしながら1か月過ごしたことだ。初めての体験が数多くあり、
いつか北海道に住んでみたいと思うようになったという。
「一番感激したのは、道路に寝転んだこと。
ずっと都会で暮らしていたので、こんなことできるんだって(笑)」
高校卒業後はブティックで働きつつも、自分の進むべき道が見出せず
思い悩む日々を送っていたという。
このとき仕事とともにバンド活動もしており、
ある楽器に出会ったことが人生の歯車を動かすきっかけとなった。
「オーストラリアのアボリジニの楽器“ディジュリドゥ”の音に惹かれて。
自然を思わせるような音色で北海道を思い出しました」
このとき山岸さんは23歳だった。
「自分に何かきっかけを与えないと変わることはできないのではないか」と考え、
北海道で暮らそうと決意。荷物はバックパックひとつとディジュリドゥだけ。
以前に酪農を体験した牧場にひとまず身を寄せ、
そこから世界はだんだんに広がっていった。
数か月後に北見へ拠点を移し、働きながら夜はクラブでライブ活動を行った。
やがて、本場でディジュリドゥを学びたいという気持ちが募り、
1年ほどお金を貯めてオーストラリアへ旅立った。
3か月の滞在で、楽器の勉強とともに、さまざまな地域を訪ね、
ときには現地で知り合った友人が持つ山で2週間、
テント暮らしをしたこともあったという。
「本当に濃い時間を過ごしました」
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帰国して住み始めたのは、ふるさとに近い滋賀。
その後京都で暮らしたあと、再び北海道へと向かった。
今度は夫の実家であった岩見沢へ。そこで第1子を出産。
最初の5年は市街地に住んでいたが、
もっと自然のある場所で暮らしたいという想いがつのり、
岩見沢の山間・奈良町へと引っ越した。
そして、自分が少しずつ温めてきた夢を実現しようと行動を起こしていった。
「自分が好きなことで人にも喜んでもらえるものは何かと考えたら、
お店をやるしかないと思いました」
子どもができてからは本格的に料理に興味を持ち始め、
マクロビオティックや薬膳料理などを独学で学んでいたという。
「スパイスってすごい! と思うようになって。
東洋や西洋のスパイスについて知っていくうちに、
カレー屋がいいと思うようになっていきました。
スープカレーは北海道のブランドにもなっているし、
ファンの人は遠くからでも来てくれるんじゃないかと」
飲食店で働いて経験を積んだり、各地のスープカレー屋をリサーチしたり。
そして、住まいの近くで店舗を探し続けていたが、
なかなかいい場所にめぐり合うことができなかった。
この地域は過疎化が進み空き家は多いが、
台所が広く店舗として利用できそうな場所は少なかったという。
そうしたなかで、数年前にこの地域で閉店した
飲み屋さんのオーナーと出会ったのだった。
「これ以上、もう待てないと焦っていたときだったんです。
オーナーがお店を本当に愛していたことを知り、
人柄もすごくすてきで、借りることに決めました」
山間の地域に移住してから6年が過ぎ、その間に第2子、第3子も授かった。
一番下の子はまだ保育園に通う年齢だったが、
山岸さんは開店に向けての準備を着々と進めていった。
驚いたことに改装は業者に頼まず、ほとんどひとりで行った。
山岸さんは小柄で華奢。どこにそんな力があるのかと思うのだが、
天井の板をはがしたり、材料の運び入れなども自分自身で進めていったという。
「できないことは絶対ないですよ(笑)。それに、かあちゃんになっても、
自分のやりたいことができる、カレー屋を始められるのがうれしかったですね」
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2018年6月、ついにばぐぅす屋はオープン。初日からお店は大繁盛。
この地域では20年ぶりということもあって、
オープンの情報は、新聞や雑誌でも取りあげられた。
こうした情報を見て、市外からも多くの人が訪れ、
ときには行列ができることもあったそうだ。
「スープカレーが売り切れてしまったり、
ご飯を炊いてもすぐになくなってしまったり、長く待たせてしまったり。
去年はお客さんにすごく迷惑をかけてしまいました。
忙しすぎて家に帰ったらイスに倒れ込んで体をまったく動かせない。
そんな生活が、1か月以上続いたこともありました」
こうした多忙な状況のなかでも、山岸さんはカレーの味にこだわった。
オープンしてから、スープカレーのスパイスの配合を3回変えたそうだ。
何度も食べているわたしは、どれもおいしいと感じられるものだったが、
ひとつ言えることは山岸さんのカレーはとても繊細な味がするということだ。
肉や野菜の下処理が丁寧で、素材の味がクリアに引き立てられているように感じられる。
「スープカレーは満足できる味ができました。でも、スパイスカレーはまだまだ。
もっとスパイスの使い方が上手になりたい。
いまはインドやパキスタンのレシピでやっているものもあって、
オリジナルの味にしていきたいです」
また、お客さんが集中したときに、どうやってスムーズにまわしていくのか、
これまでの経験を踏まえて、さらなる工夫を重ねている最中だ。
昨年1年間を振り返って、山岸さんはいまどんな想いを持っているのだろう。
「本当にやってよかった。
子どもたちにも自分の働いている姿を見せられるのもいいことだと思います」
山岸さんはかみしめるように言った。
2年目となる今年は、定休日を月・金から月・土に変更した。
集客の見込める土曜日ではあるが、いましかない子どもとの時間も
大切にしたいという想いがあったそうだ。
子どもたちは、「今日は、何人お客さんが来たの?」とよく聞くそうで、
いつもお店のことを気にかけてくれているという。
思い描いていた夢を、15年以上の月日をかけて、山岸さんはかたちにしていった。
お店の名前を考えたのは、23歳の頃なのだそう。
アジアをまわっていたとき、インドネシアの言葉で「ばぐぅす」を知った。
「最高」とか「すてき」という意味だそうで、
この旅のあいだじゅう、山岸さんは友人と「ばぐぅす」を連呼。
楽しい経験の数々があったそうで、お店をやるなら、
この名前にしようと心に決めていたそうだ。
ばぐぅす屋ができて、まちの空気は確実に変わったように思う。
山岸さんは派手な宣伝などはせず、少しでもおいしいものをつくるために、
日々ひたむきに厨房に立っている。
そして、休みの日でさえも、お店がどうなったら良くなるのか想いをめぐらしている。
こうした一途な想いを持ち、常に工夫を怠らない心があれば、
人口が少ない地域でも、人々がにぎわう場所がつくれるんじゃないだろうか。
山岸さんのお店から、わたしはそんなヒントをもらったような気がした。
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