連載
posted:2019.5.8 from:神奈川県相模原市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
神奈川県の藤野は、いつか訪ねてみたいと思っていた場所だった。
東京駅からJR中央本線で1時間半。
わたしの住む北海道からはかなり遠いが、芸術家が多数住み、
市民発電所〈藤野電力〉や地域通貨を推し進める〈トランジション藤野〉をはじめ、
持続可能な社会や暮らしをデザインする〈パーマカルチャーセンタージャパン〉といった、
ローカルならではのコミュニティづくりを目指す活動で知られている地域だ。
これらさまざまな取り組みのなかで、私が以前から注目していたのが
〈廃材エコヴィレッジゆるゆる〉だ。
その理由のひとつは、北海道にエコビレッジをつくりたいと
これまでさまざまなコミュニティを連載で紹介してきたが、
この場所は飛び抜けて個性的に感じられ、一度この目で見たいと思っていたからだった。
また、この場所の村長であり、万華鏡作家でもある傍嶋飛龍さんが、
実は高校でお世話になった恩師の息子さんというつながりも
興味を抱くきっかけとなっていた。
4月19日、仕事の関係で上京したタイミングに合わせて、
ついに廃材エコヴィレッジを訪ねることができた。
藤野駅から車で15分ほど。くねくねと曲がる山道を奥へと進んでいくと、
たった11軒の集落・綱子地区があり、そこに廃材エコヴィレッジはあった。
翌日に控えた「タイコマツリ」というイベントの準備で忙しい日ではあったが、
傍嶋さんは椅子に座ってゆったりとした様子でインタビューに応えてくれた。
このエコヴィレッジをつくるずっと以前(20年以上前?)に、
私は傍嶋さんが描いた絵を見たこともあって、
今回は、幼い頃から現在までの道のりをまずは聞いてみたいと思っていた。
「小学2年生くらいまで、席に座っていられない、落ち着きのない子で、
絵ばっかり描いていました」
学校では勉強についていけなかったが、父からは
「得意なことがひとつあれば生きていける」と教えられたという。
やがて美術大学に進学。大学院在学中に制作した絵画が、
第1回池田満寿夫芸術賞展で大賞を受賞するなど評価を受けた。
卒業後に千葉から藤野に移住し、仕事をしながら制作活動を続けていたが、
2009年に絵描きを辞める決意したという。
「万華鏡づくりも始めていましたし、なんでもありの音楽活動もしていて。
得意だった絵にこだわるんじゃなくて、
もっと自由な気持ちになりたいと思いました。人生がアートだと」
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その後、さらなる転機が訪れた。
2011年の東日本大震災で「人はいつ死ぬかわからない」ことを実感。
勤めていた施設を退職し、万華鏡作家として活動しつつ、
お金にしばられないライフスタイルを模索するようになった。
「時間も自由に使えるようになったので、
日本でおもしろい生活をしている人たちを訪ねるようになりました。
香川にある〈廃材天国〉という場所に行ってみて、
廃材だけで悠々自適に暮らしていけることを知りました。
その場所をつくっている秋山陣さんに
『廃材は情熱があれば集まる』と教えてもらったんです」
廃材天国は廃材だけで自宅をセルフビルドしたり、
中古の太陽光パネルでエネルギーも自給している場所だ。
そのほかさまざまな活動をしている人々に出会うなかで、
傍嶋さんは廃材でオフグリッドの小屋を複数建てていくプロジェクトを
やってみたいと思うようになったそう。
「資本主義の世の中ではどうしても何かに追われるようになってしまい、
ストレスがたまっていきます。生きるとは何か。
それは仕事をすることじゃなくて、幸せになること。
だから生活にかかるお金をダウンシフトする提案をしたいと思いました」
そんなとき、綱子地区を車で通ったときに、
廃工場に「売り出し中」という看板が出ていることに気づいた。
「何!! と思いました。ちょうど絵で稼いだお金を貯めていたこともあって、
これはやれっていうことかと思って買ったんですね」
2013年9月に廃材エコヴィレッジの活動はスタート。
「廃材は情熱で集まる」という教えのとおり、
建設現場などでめぼしいものを見つけると、もらえないかと交渉するようになった。
小屋に利用した材木や家具など、ここにあるものの99パーセントは廃材なのだという。
「お金にとらわれないコミュニティづくりに興味があるんです。
仕事に追われなくても、その日のごはんをみんなで分配して食べられたら、
きっと幸福度は高いですよね」
スタートしてから5年半。
コミュニティスペースから図書スペース、五右衛門風呂に地熱冷蔵庫など、
敷地内には、さまざまな場所が生まれた。
傍嶋さんひとりでつくるときもあれば、思い思いの時間に
仲間(村民)が集まってきて、みんなで作業をすることも。
現在、村民は300名。この場所を訪ね、村長と友だちになった人が村民になれるという。
そのうちディープに活動に関わってくれる人は50名ほど。
その職業はさまざまで、都会でバリバリ働いている人もいれば、
田舎で自給自足を実践している人も。
多様性のあるコミュニティが生まれているそうだ。
ちなみに、この場所の運営費は村民などからの寄付で成り立っているそうだ。
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廃材エコヴィレッジという名前の後には「ゆるゆる」という言葉がついている。
傍嶋さんの話を聞いているうちに、「廃材」や「エコ」というキーワードよりも、
私にはこの「ゆるゆる」こそが重要なのではないかと思えてきた。
「エコの合理性より、僕はアートに興味があります。
アートは喜びであり、楽しみであり、情緒的なものだと思うんです。
アートを見て心が動くというのは情緒があるから。
情緒というのは、いまこの瞬間を味わう心のことです。
暮らしにゆとりを持たないと、いまを心地よく味わう心は失われてしまう。
人生をアートしていくために、最も大切なことが情緒だと思います」
藤野に移住する以前、傍嶋さんは都会のコンクリートジャングルの中では、
心穏やかに生きられないことを悟ったという。
「繊細すぎたのか、人工物を見ると胸が苦しくなってしまって。
正気を保つためには自然の中にいないとダメだと思いました」
傍嶋さんにとって“ゆるゆる”である状態は、
生きていくうえで欠かせないことだったのではないか。
こうした状態をつくり出すために、ゆるゆると怠けるどころか、
全身全霊をかけて、廃材エコヴィレッジに打ち込んでいるのではいかと思えてきた。
そしていま、自分と同じように都会で生き辛さを感じる人に向けて、
地域にある空き家を手に入れ、住まいとして活用してもらうような、
空き家再生プロジェクトもやってみたいと考えているのだという。
現在でも、この場所にフラリと訪れる旅人は多く、
何日かそうした人を泊めることもあるそうだ。
「都会で辛くなっている人がいたら、田舎で“ゆるゆる”したほうがいいと思います。
緊張より脱力です! 田舎なら、ただ同然で住める家もあるはず。
田舎暮らしの人口を増やしていきたいんです」
もちろん廃材エコヴィレッジの活動も、今後も継続していくという。
「世の中に廃材があるかぎりつくり続けます。
廃材というのは人間の思い込みの概念で、すべて資源になって循環できる。
地球にやさしく持続可能なライフスタイルにつながります。
それにみんながゴミにやさしくできるようになったら、
人間ってきっと変われるよねって思うんです」
インタビューのあとは祭りの準備を少しだけしたら、すぐにお昼のしたくが始まった。
その場で採れた菜っ葉を入れた具だくさんのみそ汁と炊きたてのご飯を
真っ青な空の下に並べる。
みそ汁を飲んだそのとき、「ああ、うまい~!」
傍嶋さんは天に向かってそう叫んだ。
わたしはこの姿を見て、傍嶋さんの考える幸せというものが何なのかが、
パッと見えたような気がした。
「心の持ちようで、人生は変わる」という人もいるけれど、
自分を取り巻く環境を変えていかなければ、
穏やかな心のありようを獲得することはなかなか難しいのではないか。
食事をとるときも表現をするときも、瞬間瞬間の情緒を大切にする傍嶋さんは、
お金にとらわれずに自分が心地よいと思う空間を本気でつくり出す大切さを、
私に教えてくれているようだった。
information
廃材エコヴィレッジゆるゆる
住所:神奈川県相模原市緑区牧野10093-1
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