連載
posted:2019.5.29 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
画家であり、数々の絵本も描いているMAYA MAXXが、
今年も再び北海道にやってきてくれた。
MAYA MAXXとはわたしが東京の出版社で働いている頃に
雑誌の取材を通じて知り合った。
以来、約20年、ずっとわたしと家族を見守ってくれていて、
人生のターニングポイントになるようなきっかけをいつもつくってくれている。
北海道に移住してからも、わが家のことを気にかけてくれていて、
2016年と2017年には、わたしの住む岩見沢の美流渡(みると)地区で
ワークショップを開催してくれた。
今年のゴールデンウィークは、札幌の〈庭ビル〉にあるギャラリーで
『みんなと絵本とMAYA MAXX』という展覧会が開催されることになり、
MAYA MAXXは1週間ほど北海道に滞在することになった。
庭ビルの企画でイベントやワークショップの予定は目白押しだったが、
合間をぬって、わざわざ美流渡にも足を延ばしてくれた。
今回、美流渡を訪ねてくれることになって、
わたしはMAYA MAXXにひとつお願いをさせてもらったことがある。
これまで子どもに向けた絵を描くワークショップを開催してもらっていたが、
ここにMAYA MAXXが来てくれた“証”のようなものを
残してもらいたいという想いをずっと持っていた。
ちょうどよいタイミングで、地域のPRプロジェクトをわたしとともにやっている
吉崎祐季さんと上井雄太さんが改修をしていた
〈マルマド舎〉の第1期工事がようやく終ろうとしていたため、
ここに絵を描いてもらうのはどうだろうかとわたしは考えた。
上美流渡地区にあるマルマド舎は、ここが炭鉱街として栄えた時代に
料亭として使われていた築60年以上の古家。
ふたりにとって古家の本格的な改修は初めて。
1年半、凍えるような吹雪の日も夏の暑い盛りの日も、慣れない作業を続け、
いまようやく新たなスタートラインに立つことになった。
吉崎さんと上井さんは、ゲストハウスやイベントスペースとして
この空間を活用していきたいと考えており、ここにMAYA MAXXの絵があったら、
さらに生き生きとした場となるんじゃないだろうか、わたしはそんな期待を持っていた。
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MAYA MAXXがマルマド舎に来てくれたのは4月29日のこと。
近所のみなさんが見守るなかで、描かれたのはネイティブ・アメリカンの像だった。
昨年末、MAYA MAXXは京都から東京へと住まいを移し、
1月早々から原宿のヘアサロン〈boy Tokyo〉の一角で制作を始めており、
真っ赤な背景に浮かぶ人物像やユニコーンなど、
さまざまなモチーフを探るように描いていた。
そして、3月頃からネイティブ・アメリカンのシリーズを手がけるようになっていた。
「今日は何を描くんだろうと思って電車に乗っていたりすると
頭に浮かぶことがあるんだよね」
日々、SNSで制作の様子を見ていたあるとき、
まるで画面からエネルギーが飛び出すかのような
開放感のある1枚にハッとしたことがある。
このシリーズに私は強く惹かれていて、美流渡の地にも、
ネイティブ・アメリカンの人物像を描いてくれたことが本当にうれしかった。
美流渡の絵で特に印象的だったのは瞳。
わたしたちを見ているようだけれど、どこにも焦点が合わないような眼差しで、
この地の長い歴史のなかで起こったさまざまなことに
想いを馳せているように感じられるものだった。
「あそこの場所には、まだ何も中心がないような感じがして、
絵がひとつの中心になったらと思って描いたんだよ」
制作が終わった帰り道に、MAYA MAXXはそんなふうに語っていた。
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美流渡で絵を描いてくれた翌日は、
『みんなと絵本とMAYA MAXX』展を開催中の庭ビルで、
MAYA MAXXと自画像を描くワークショップが開かれた。
このときわたしも展覧会を見たのだが、
boy Tokyoで描かれた新作が多いことに驚かされた。
この10年間、MAYA MAXXは、京都にある〈何必館・京都現代美術館〉で
年1回ほどのペースで展覧会を行ってきた。
大きなキャンバスや屏風を用い、年齢を経て作品が熟成されていくような
堂々としたたたずまいの作品を描いてきた。
その作風は、今回東京に住まいを移したことで大きく変化。
デビューした1990年代当時のように“ストリート”から絵を生み出す、
新しいチャレンジが始まったのだった。
段ボールや紙といった手に入りやすい素材で描かれた作品は、
デビューの頃のような瑞々しさを感じさせる。
それでもデビューの頃とはやっぱり違う、
ふわりと浮かんだような不思議さがあるようにも思えた。
美流渡に描かれたネイティブ・アメリカンの絵や
ここに展示されている新作と向かい合うとき、
わたしにはあるひとつの言葉が浮かび上がってくる。
それは「人はいつでも新しく始められる」というものだ。
MAYA MAXXは現在58歳。
どんな年齢であっても、アトリエが整わなくても、絵を描く障壁にはならない。
東京に住まいを移してわずか数か月で、
新作が多数ある展覧会までしてしまうという姿を見ていると、本当に勇気がわいてくる。
そして、まちに目を向ければ、
炭鉱街として一時は栄えていたが過疎化が進むこの地域も、
いまこそリスタートできるんじゃないかというエールを、
絵を通じてMAYA MAXXは送ってくれたようにも感じられるのだ。
また、どんな状況でもMAYA MAXXは、わたしや夫、
3人の子どもたちひとりひとりに、将来の指針となるような温かな言葉をかけてくれて、
家族全員を幸せな気持ちにさせてくれる、ありがたい存在。
だから、別れ際には寂しさが募るのだが、
そんななかで美流渡にMAYA MAXXの絵があるということは、
わが家のよりどころができたようで、なんとも心強く思った。
美流渡の絵に添えられた言葉は「Meet Space, Meet Soul」。
マルマド舎で、ゲストハウスやイベントスペースとしての活動が始まったら、
きっとこの絵を多くの人が目にする機会が訪れるに違いない。
そのとき、わたしはこの絵を見ながら、地域でどんな新しいチャレンジができるのかを、
みんなとワクワクしながら話してみたいと思っている。
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